Yukinoshita.part2
_
それから、益富と白峰のボクシングと喫茶店の二足の草鞋生活が始まった。
白峰が高校生になると、益富は正式に白峰をアルバイトとして雇用した。
そして、6年が過ぎ…。
白峰は19歳になると、本格的にボクシングに励むようになった。
そんなある日の事であった。
いつものように、喫茶店の営業を終えて
片付けが終わった頃に、益富は白峰を呼び出した。
「…すまない。また、大事な話がある。」
益富はそう言って、前と同じ席に白峰を案内した。
席に着くなり、益富はポケットから《《何か》》を取り出した。
それは、小さな箱のようなもので、微かに赤く光っていた。
「…渉、お前には話しておかないとと思ってな。
…実は、俺はこれから少し店を空けなければならない。」
益富はそう言うと、それをテーブルに置いた。
「…なんですか?これは。」
白峰は不思議そうにそれを見た。
「昨今、未知の生命体が我々の平和な日常を脅かそうとしているらしい。
…これは、極秘事項なのだが
政府が、秘密裏にそれに対抗する組織を結成したんだ。」
益富の話は、どこか現実味がなかった。
何かのアニメの話なのか、半ば冗談なのかと思いながら白峰は聞いていた。
「そして、それに俺は選ばれた。
今後、俺はその組織に加入して戦闘員となる。
未知の生命体に対抗する武器、それがこの
"箱装"というものらしいんだ。」
俄かに信じがたい話であった。
しかし、白峰は目の前に突き出された"箱装"を見て、それが現実の話ということを認識した。
「…師匠を選ぶ程という事は、余程の組織なんですね。
その、"BOX・FORCE"とやらは。」
白峰は驚きや衝撃といった感情は一切出さずに、益富の話を受け止めた。
「…俺が不在の間、ジムとこの店をお前に頼みたいんだ。」
益富は、白峰の評価を受け取る前にそう言った。
流石の白峰も、益富のその一言に驚きを隠せずにいた。
「…俺が…。」
白峰は困惑していた。
益富が背負う、彼の大切なものを引き受ける覚悟が
白峰にはまだ無かったのだ。
「…少し、考える時間をください。」
白峰はそう言うと、益富を見ずに徐に立ち上がった。
「…すまない、渉。
突然こんな話をされて、荷が重いとは思うが…。
俺も、必ずまたお前らと平和に過ごせるように
帰ってくる。約束する。」
益富は、立ち去ろうとする白峰の背中を見ながら
そう言った。
_
「…その後の事はまあ、言わなくても分かるだろ。
…里海のお父さんと同じだ。
"第1次NAMELESS大戦"によって、師匠は殉職した。」
白峰はそう言うと悲しそうな顔をした。
菊野はその気持ちを、誰よりも理解できる1人である。
菊野自身も、先の大戦において父親を亡くしている。
そんな話をしている頃に、2人は既に食事を済ませていた。
「…ごめんな。せっかくの休日なのに、こんな話しちゃって。」
白峰は両手を合わせて、菊野にごめんと謝った。
そして、手際よくマスターの元へ行き会計を済ませた。
「…あっ、渉さん。お金…。」
その白峰のスマートさに、菊野は財布を出すのが追いついていなかった。
「あ、大丈夫。気にしないで。」
白峰は、財布からお金を出そうとする菊野を制止した。
そして、軽くマスターに挨拶すると菊野の手を引いて店を後にした。
その速さに、菊野は全く追いつけていなかった。
浅草の街を少し歩いたところで、やっと自分が白峰と手を繋いで歩いている事に気がついた。
「…渉さん…。」
菊野がそれに気がついてそう呟くと、白峰は慌てて菊野を見た。
「あっ…ああ、ごめん。急に…。」
白峰もそれまで、自分のとった行動に気がついていなかったのか、そこでようやく我に帰ったようであった。
「…いや、大丈夫です。」
菊野は照れながらそう呟いた。
菊野の脳内は、必死に話を逸らそうと思考を巡らせていた。
「…あっ…でっ…でも、そう言えば、
渉さんがお店を引き継がなかったんですか?師匠から…。」
菊野の口から出たのは、先程喫茶店で話をしていた続きであった。
白峰は、菊野の問いに歩きながら少し考えて
ゆっくり話し始めた。
「…そうだね。さっきのマスターは、師匠のお父さんの知り合いで、ジム仲間でもある人なんだ。」
_
益富からの要求に、白峰は何度も考えを巡らせた。
"師匠"の思い、自分に与えられた責任と重圧…。
1週間程悩んだ末に、白峰は益富を呼び出して
その答えを伝えた。
「…師匠、すみません。
やっぱり、俺には師匠の大切なものを守れる程の自信はないです。」
白峰は、悩んだ末に益富の要求を拒否する答えを出した。
益富は白峰の答えに、驚くことも落胆することもなく、落ち着いた雰囲気のままであった。
「…こちらこそ、すまない。
お前に、重荷を背負わせてしまいそうになってたかもしれないな…。」
益富はそう言うと、座りながら大きく背伸びをした。
「ただ、安心しろ。
お前がそう言うかもしれないと思って、俺もちゃんと準備はしてある。」
そう言うと、益富は店にいたある人物を席に呼んだ。
その人物は、白峰も見覚えのある人物であった。
「彼のことは、覚えているか?」
益富に紹介され、その人物は白峰に深く頭を下げた。
「…その節は本当に申し訳ない事をした…。」
その人物は、大きな体の男性であった。
男性がそう言って頭を下げ、再び頭を上げた時
その男性の姿に白峰は驚いた。
「あなたは…。」
「…昔、"MAX"と敵対してた"|SPEED・SPIRIT"のメンバーでした、
黒山 越典と申します。」
黒山と名乗るその男を、白峰は知っていた。
それは、白峰が14歳の頃に、"MAX"を見物した時に襲撃に巻き込まれた際、白峰をメンバーと誤って殴打した人物であった。
しかし、そんな彼には当時の面影はそこまでなく
小綺麗な格好をした30代男性となっていた。
「…あの時は、君にとんでもないことをしてしまった…。
今回の話が、償いになるとは思っていないが
少しでも益富君がいない間、君の力になればと思ってこの話を受けさせてもらった。」
「…そんなっ!俺別になんとも思ってないし…それに、あれは面白半分で見物に行った俺の責任でもあります。
ただ、そのお陰というか、それがなければ俺はここにいなかったので。」
白峰は、黒山を責めるどころか擁護した。
それは白峰が述べたように、あの一件が無ければ白峰の今はないからだ。
「…君はそう思っててくれたのだね。本当に、何と言ったらいいか…。
その代わりと言っては何だが、お店とジムの事は任せて欲しい。」
黒山はそう言って、右手を差し出した。
白峰はそれを見ると、何の抵抗もなくその手を握った。
そして白峰は、益富を見て言った。
「師匠。俺も今まで通り、お店のサポートとジム通いは続けます。黒山さんのフォローは俺が務めさせて貰います。」
白峰はそう言うと、黒山と掴んだ右手を離し
益富に拳を向けた。
「…師匠。どうかご無事で。
俺たち、師匠の帰りを待ってます。」
「…ああ。ありがとう。
必ず、ここに戻ってくるよ。」
それは、守られることのなかった
益富と白峰の唯一の約束となった…。
_
「…それがさっきのマスターなんですね。」
「ああ。彼がいなければ、今こうして
俺は"BOX・FORCE"にすらいなかったのかもしれない。」
白峰の話を黙って聞いていた菊野の顔は、
深刻どころか何処か嬉しそうに見えた。
「…何かおかしかったか?」
少し笑顔の菊野の顔を見て、白峰はそう聞いた。
菊野は、クシャッとした笑顔で答える。
「だって、マスターさんがいなかったら
渉さんが"BOX・FORCE"にいなかったんですもんね。
って事は、私とも出会ってなかったって事だから…私もマスターさんに感謝しなきゃ!って。」
菊野のその台詞に、白峰はあからさまに動揺した表情を見せた。
そんな白峰の様子を、今度は菊野が不思議そうな顔をして覗いた。
「…私、なんか変なこと言いました?」
"NAMELESS"と戦うために、"BOX・FORCE"第3部隊"ローズ"にいた菊野と、今白峰の目の前にいる菊野は別人かのように、菊野は一段と可愛らしい女の子の仕草を見せた。
「…いや、全然変じゃない…。」
白峰は、抑えられない動揺を無理矢理はぐらかしながら、そう答えた。
「そうだ。」
白峰は話を逸らそうとしたのか、ふと目の前を指差して行った。
「…里海は、あそこ行ったことある?」
白峰が指差す先には、頂上が見えないくらい高く聳え立った、巨大な電波塔があった。
「…スカイツリーですか…まだ行ったことないですね。」
菊野は首を傾げてそう言った。
「…そっか。じゃあ行ってみる?」
「はいっ!」
白峰の問いかけに、菊野が間髪入れずにそう答えると、白峰は少し強めに菊野の手を引っ張った。
_
part.3に続く。