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歴史の始まりが何かと言われると、普通は神話時代を語ります。多くの神話が混沌とした世界に神が降臨し、人間に祝福を与えて平和をもたらしたという内容は、みんなご存じだと思います。神話時代の前に何があったかについては、民間伝承を通じて伝えられてきたものが多いですが、その時期に入ると、伝承以外の記録物や遺物があまり見つからないということです。神話時代以前の歴史があると言われているのが定説ですが、まだ明確に解明された部分がない分野です。
そして、この神話というものも、いろいろな種類があり、宗派によって意見が分かれることも多いため、学問的にアプローチする場合は、様々な神話を比較検討しながら見る必要がありますが、これらを全部省いて、とても簡単に、必要な部分だけを簡単に話します。
現代のすべての国家の始まりとなる文明と言えば、エスゼニアを指します。エスは中心、ゼニアは地球という意味で、 ゼノア大陸の東南部内陸地域で発生した文化です。 ゼノ各地域にはそれぞれの民族がそれなりに文化圏を形成していましたが、エスゼニアはそのレベルが違います。広大な平野や大きな川がなく、丘陵地帯で人々が住むのに適した場所ではありませんが、その土地には巨大なマナの脈が流れていました。 そして、エスゼニアはその大地に存在するマナの脈を農業に適用し、農業生産物を多く生産できる技術を発見しました。多くの生産量は、その社会をより豊かにし、多くの人口とマナの脈をよりよく活用するための魔法研究、それを実現するための教育の増進、これらが相乗効果をもたらし、文化的、政治的にも大きく発展しました。その威信はエスゼニア周辺の地域まで広がり、羨望の的になることもありました。
ところが、エスゼニアはある瞬間、突然崩壊します。これについては様々な意見がありますが、ほとんどの通説で言われているのは人口論的な原因です。エスゼニアが崩壊した時期、ある学者ラミール・リーが主張した人口論は、限られた空間と限られた資源で人口が増加する際、その限界点に達するほど、社会全般の不安度が上がるというものです。特に、その人口増加幅と、限界点に達するまでの変化幅が農業魔法を成し遂げたエスゼニアでは、その程度が甚だしいため、他の文化圏の社会不安よりもさらに大きく発生したということです。彼の人口論は当時も、そして今に至るまで発展し、大体通用されています。適切な人口調節、それが人口論の核心です。近年では、人口論の問題点が多く指摘されている状況ではありますが、それでもなお、人口論は現代の人口問題を考える上で非常に重要な考え方の1つです。
とにかく、再びエスゼニアの話に戻りましょう。一度崩壊したエスゼニアの地域に新たに建設された文明、そしてその人々はエア人と呼ばれています。エア人とエスゼニアの代表的な違いは、農業魔法の進展です。エスゼニアでは、自分たちが住む土地の豊かなマナの脈を利用しなければ、農業の増進に役立つ魔法だけを行使できたのに対し、エア人たちは、マナの脈がなくても大地に農業魔法を与えることができる技術を持っていました。
エア人たちは、エスゼニアの時代よりもさらに発展した農業魔法、政治、社会体制などを備えており、以前のエスゼニア崩壊の原因が人口論にあると考え、再びそのようなことが起こらないように対策を講じました。それが移民政策です。エア人たちは、適正な人口を維持するために、特定の人口数に達すると移民集団を作って送り出しました。
この移民集団は、他の地域に移住して定着し、彼らの先進的な魔法技術を元々住んでいる先住民たちに伝え、移民たちは移住した地域でも強固な地位を築くことができました。そして、その移民たちは本来エア人であり、エア人たちが信じているエア教を信じていたため、エア本土ともつながりを持ち、交流を行おうとしました。
エア人の移住は、ほぼゼノア全大陸で広範囲に行われたと考えられています。そして、巨大なエア文化圏が形成されます。一部の人々は、これをエアという国家が作られ、その範囲がゼノア全大陸に及んだと言う場合もありますが、移民集団はその移住した地域で独自に生活し、もちろん本土に対する羨望や交流意識はありましたが、それを現代の国家と同一視するのは間違った考えです。
このようなエア文明が繁栄を続ける中、突然タラン人が登場します。彼らの起源については議論が分かれていますが、学界ではおおむね、エスゼニア人起源説、自然発生説、融合説の3つの起源があると考えています。
エスゼニア人起源説は、エスゼニアが崩壊した時、その本来の地域を離れて他の地域に行った集団の一部がタラン人の起源になったという説です。自然発生説は、エスゼニアと関係なく、その地域で独自に発生したという説で、融合説はこの二つを融合した説です。その地域に先住民がいたが、エスゼニアが崩壊した時、エスゼニアの一部と融合してタラン人の起源になったということです。
タラン人は基本的にエア人に対して敵対感を持っていました。それはタラン人が信じるタラン教でも出てくるのですが、タラン教ではエア人のエア教に出てくる神が実は人間を惑わせた者たちであり、自分たちタラン教の神がこの間違った世界を浄化しに来たし、タラン人がその選ばれた民族だという教理を持っていました。 教理ではこれがタラン人とエア人が対立する原因となっていますが、実際にどのような理由で対立が起こったのかについては、明確にわかっていません。 ただ、エア人の移住と彼らの影響力の拡大がタラン人にとって不満を持っていたと考えられ、タラン人のエスゼニア起源説を採用すると、彼らは本来自分たちが住んでいた土地を回復したかったのかもしれません。
このエア教と異なる信仰であるためか、タラン人はエア人に比べて魔法感興力が高かったです。魔法感興力とは、マナを感じて操作する能力で、エア人は魔法的構造を研究し、特定の回路や式などで特定の効果を出すことはできますが、突然手から火や水のようなものを作り出すような魔法は使用できませんでした。ところが、タラン人は何もない空中で火を作り出して投げることもできたし、このような直接的な魔法の使用は軍事的に利用価値が高かったです。
この能力の差でタラン人はエア人に比べて圧倒的に強い武力を持つことができたし、タラン人はエア人を弾圧して彼らを征服していきました。
エア人たちは本来自分たちの本土をタラン人に奪われ、彼らの弾圧を避けて移住を続けていきました。彼らの行列はゼノア東南部から西南-西北、そしてゼノア大陸西北の海を越えた島まで続きます。彼らが島まで移住する間、タラン人はゼノア全大陸を征服しました。
エア人が移住していった島は、エア人の最後の砦でした。そして、そこに住んでいる本来の原住民たちがいたのですが、彼らをフィオネ人と呼びます。エア人は彼らと一緒に住みながら同化し、エアフィオネと呼んでいましたが、これが後日エピネに縮約されます。




