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「道……。道……!……道……だよね!?」
舗装こそされていないが、岩や草が除去されて踏み固められた、人が人の為に作った土の道。
車一台が余裕を持って通れるほどの幅がある道。その中央には、私の頭からつま先と同じ長さの間隔が空いた二本の線……車輪の跡が浅く刻まれている。それ以外にも有蹄類の足跡も、車輪に近い位置に薄く残っていた。
だが、枝葉の雲が裂けているとはいえ、月が浮かばない星明かりだけの夜空では、このモノクロの世界でも、それ以上の情報は得られない。
「動物と車……かな?どっちに進んだのか分かれば良かったんだけど……。まぁ、どっちに進んでも人には会えるだろうし……。“左手の法則”?だったっけ。何かあったら左に進むと良いって聞いた気がするから、取り敢えず左に進もうかな」
何をもって左なのか。そんな事、態々説明する必要はない。
私は地面から目を逸らすと左を向き、先の見えない道を眺めると、軽く溜息を吐いてから歩き始める。
あの青年達……仮に“不審者さん”達から逃げた事を後悔していたが、道を見つけてからは杞憂へ変わり、歩く度に浮かれ立つ心によって、それすら消えていく。
だが、その安心は束の間のひと時に終わり、私の周囲に新たな不安の種が芽を見せ始める。
──ガサッ。ガサッ。
道脇の薮の裏。その更に奥から聞こえてくる、枯れ草を踏み抜く音。
一つだけではない。少なくとも左右の藪の裏に、私を挟むように二つの音が耳に届く。
それだけでは無い。音に気が付いた私が、その場に立ち止まり周囲を見回すと、その音も止まり、気配だけが音のしていた方に残る。
(……つけられてる?)
そう考えるが、周囲に色づいた世界は見当たらない。もし、不審者さん達が私の跡を追っているのであれば、松明の明かりが見える筈だ。
暗闇でも遠くの私を視認できるほど夜目が利く可能性もあるが、最初に出会った時に松明を掲げていたから、その可能性も低いだろう。
──で、あれば、誰が私の跡をつけているのか。
確認の為再び足を動かし始めると、左右の気配も合わせるように動き始め辺りに枯れ草の割れる音が響く。
(つけられてるのは確定っぽいけど……)
その相手が人間でない事は確かだろう。ウサギかネコか……もしかしたら、夢で見たあの化け物の可能性も──
「や、やめとこ……」
自分の夢を恨みつつ、恐ろしい考えを消し去るように頭を振って薮の奥に視線を送る。
動物は夜目が利くと聞いた事があるが、もしかしたら、今の私の視界と似たモノクロの世界が動物達にも見えているのだろうか。
そんなどうでも良い事を考えていると、周囲に鳴り響く音のリズムが変わり、片方は私の前方へ、もう片方は私の後方へ回り込むと、薮を思い切り突き破りながら黒い塊が道へ飛び出してきた。
「い、犬……?」
飛び出してきた塊は、自身の四足を地面へ叩きつけるように力強く着地すると、地に這うように身を屈ませ頭を下げた。
釣り上げられた口唇から覗かせる二本の犬歯は異様に長く、垂らされた唾液は空中に白い線を引いている。
星明かりを反射して白く輝く一対の瞳には夢で見た化け物と似た雰囲気を醸し出しており、殺意を乗せながら、私の微細な動きを見逃さないように全身を睨みつけてくる。
全身の体毛は膨れ上がるように逆立ち、腰を上げ尻尾を天に伸ばしながら低く唸る。その額には、犬には本来ある筈のない“一本の細長い角”が生えており、禍々しい雰囲気を放っていた。
(やっぱり……夢で見た猪と雰囲気が似てる気がする……だとしたら、これも夢なのかな。犬に角が生えてるのもおかしいし……)
相手が威嚇しているが、自然と恐怖はない。犬だから。と言ってしまえばその通りだが、あの、夢の化け物と比べてしまうと目の前の相手は子供。ただの子犬に過ぎない。
とは言っても獣は獣。下手に刺激して噛まれでもすれば、人間である私にとっては致命傷になり得るほど、鋭い武器を持っている。
恐怖心がない事と無敵は全く違う。怖くなくても怪我はするし、死にもする。であれば、取れる行動は一つ。
私は、来た道を引き返す為にゆっくりと後ろを振り向いて足を動かすが、背後にいた子犬も歯を剥き出しにして威嚇しており、私がその場から動こうとしただけで大量の殺気をぶつけてくる。
「ど、どうしたらいいの……?」
私がそう呟いても、当たり前だが子犬達からの返事はない。ただ、威嚇したまま私を見つめてくる。
「もしかして……進むなって意味じゃなくて、“逃がさない”って事?だとしたらなんで──」
その時、全身が粟立ちを覚え、喉が締め上げられる感覚に言葉が詰まる。
背後からゆっくりと迫る恐ろしい気配。振り向きたくないと頭の中で叫びながらも、反射的に動いた体はいう事を聞いてくれず私は振り返った。
視界に入ったのは前方を塞ぐ角の生えた子犬。だが、気配を発していたのはその背後、私の知らない間に姿を現した存在──
一角二牙の大狼。立ち上がれば、ガタイの良い成人男性ほどの大きさもありそうな大柄で体格も良いその大狼は、闇夜に溶けるのでは無く、逆にどす黒く浮かび上がる太く長い角を天に伸ばし、仁王立ちしながら二対の瞳で私を見つめる。
その左右には新たに二匹の子犬を連れており、その子犬たちは、前後の子犬同様私に向けて殺意を向けながら頭を低く下げていた。
その姿を見た私は、自分でも信じられないくらい早く、速く動いた。
目の前にいる四匹の獣に背を向け、背後にいる一匹の子犬に体を向けると、弾く様に地面を蹴り付け、子犬に向かって弾丸の様に突貫する。
子犬一匹程度、簡単に跳ね除けられる。身体が動いた後に思いついた事だ。
だが、その考えが間違ったものだと、すぐに思い知らされる事になる。
「くぁいっ!?」
地面を蹴り付ける右足首に、鋭い痛みが走ると同時に踏ん張る力が抜け、身体を半回転させながら勢い良く倒れてると、背中を地面に強くぶつける。
「ぐふぅ!……あ、足が……!」
今もなお痛みを訴える右足首に慌てて視線を送ると、一匹の子犬が私の足にしがみ付く様に噛み付いている。
それを見て、振り払おうと右足を動かすが、見た目以上に子犬の押さえ付ける力が強く、右足は微動だにしない。
で、あればと、空いた左足で右足にしがみ付く子犬を蹴り付けようとした瞬間。いつの間にか私の側面に回り込んでいた別の子犬が、左足の付け根に噛み付いてきた。
「あぐぅぅぅ!いっだ!痛い痛い痛い!!離してぇ!」
大声を上げて必死に振り払おうと両足を動かす度に、子犬達の牙が深く突き刺さり、痛みは更に増して足先から順に感覚だけが消えてゆく。
その感覚に恐怖しながら上体を起こそうと手のひらを地面に付ける。
だが、それを傍で見ている口の空いた二匹の子犬が見逃すはずも無く、左右から勢い良く飛び掛かり私の手首に牙を深々と突き刺した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ──!!」
辺り一体に、誰のものか分からない雄叫びに似た悲鳴が響き渡り、周囲の雑音を吹き飛ばす。そんな中、果実を握り潰した様な音と石臼が回転する様な音だけが、厭に鼓膜を震わせる。
耳を劈く奇声と、痺れと熱を孕んだ激痛に耐える様に歯を食いしばると、ゴリッという音と共に口内に鉄の味が広がる。
そして、勝手に沸き出る咆哮によって無理矢理開かれた口から、まるで彼岸花が咲いたかの様に粘性のある赤い液体が放物線を描いて飛び散った。
黒く暗いモノクロの世界を一瞬だけ赤が覆い尽くし、瞬きによって世界が暗転する。そして、モノクロの世界が幕を開けると、私に覆い被さる様に佇む大狼と目が合った。
凛として、だけどどこか荒々しく、全く感情の読み取れない四つの瞳。そのどれもが、夜空に浮かぶ数多の星を映し出し、宝石よりも美しい小宇宙を作り出していた。
「綺麗──」
思わず溢れた賞賛の言葉。その声を聞いた大狼が何を考えているかなど、分かるはずもない。
首筋に当たる熱い吐息に鋭い牙。生々しい音を立てて吐息が液体へと変わり、笛の音が聞こえる頃には、私を苦しめる痛みが不思議と消えていた。
(あぁ、寒いなぁ)
先程まで全く寒さを感じなかったが、もうすぐ12月になる夜の森の中。寒くて当たり前だ。
寒さのせいか急な睡魔に襲われながら、私は自分に寄り添う四匹の子犬と一頭の大狼の姿を見て、
(暖かそう……)
そう思いながら、ゆっくりと瞼を閉じた。




