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6 君の名は

 久しぶりに受けた高校の授業は想像以上に疲れてしまった。

 藤四郎の時、勉強だけでもしておかないと将来確実に詰むと踏んでいた俺は、それなりに頑張って学業と対峙してきた。でも人には向き不向きというものがある。頑張ったからと言って国内トップクラスの大学に入れたわけではなかった。からかわれることに日々嫌気がさしていたから、勉強も気づかぬうちに手を抜くようになっていたのかもしれないけれど。しかしそんな言い訳は意味がないからやっぱりやめよう。


 授業の内容は俺が学んでいたことと違うこともあれば同じこともあった。

 歴史や現代文とか文化に即する教科は流石に全く異なるけれど、数学とかはあまり変わり映えがない。

 だがそれにしても藤四郎の時よりも授業内容がすんなりと頭に入ってきた気がするのは気のせいだろうか。

 ここ数日での直感だとゾーイは恐らく勉強熱心だし、俺よりも地頭がいいのかもしれないな。


「ゾーイ。お昼は何を食べようか?」


 学食へ向かう廊下を歩きながら隣のジアが笑いかけてくる。ゾーイはいつも何を食べていたのかな。突然趣向の違うものを食べたらジアは驚いちゃうかも。


「どうしようかな。ジアは何食べる?」


 とりあえずはぐらかすぞ。


「私はいつも通り日替わり定食を食べるよ。今日は唐揚げなんだって! すごく楽しみ!」


 唐揚げ定食か。美味しそう。


「……わ、わたしは……」


 まだこの一人称に慣れない。

 家では何度か「俺」って言いそうになってその度に舌を噛んだふりをした。

 頭の中で必死に日記の内容を振り返る。出来る限り高速でページをめくり続け、ある日の記述を思い出す。


「釜玉うどん……」


 シンプルな味が美味しくて気に入ったと、入学してすぐの日記に書いてあった。


「ふふふ。本当に好きだね、ゾーイは」


 ジアは背中で手を組んでくすくすと笑う。

 よし。メニューの選択に間違いはなかったみたいだな。

 ほっと一安心していると、廊下の先で何かを見つけたジアがきゅっと靴を鳴らして急停止する。


「ジア……?」


 まるで美術館に侵入した盗人が警備に見つかった時のような緊迫感のある動きに、俺は思わず目を丸くした。


「どぁっ……! そっ、ぉうだっ……! やっぱり今日は学食やめよぅうかぁっ?」


 ジアは舌が回らないままに俺の前に立ちはだかってそんなことを言う。


「え? なんで? もう学食そこだよね? そんなに混んでなさそうだよ?」


 とりあえず落ち着けと言いたいくらいには彼女の顔には焦りの色が浮かんでいた。

 前に進もうとする俺の腕をガシッと鷲掴みにし、相撲の取組のごとく俺のことを足止めしようとする。


「ええええでもさぁ。購買のお弁当も美味しいよ? たまにはそっちも……!」

「唐揚げ楽しみだって言ってたじゃん!」


 ぐぐぐぐ、と、俺たち二人は両者が引き下がらないままに互いを抑え込もうとした。

 ジアは一体どうしたんだ。突然態度が急変したけど、何か都合の悪いものでも見つけたのか?

 せっかく釜玉うどんという正解を当てた俺もなんだか意固地になってしまった。とにかく何かを見てから彼女の顔色が変わった。彼女が見ていた方向を見ようと首を伸ばすと、ジアが「あ゛っ!」と目の前に掌をかざそうとする。


「どうしたのジア。見えないって……!」


 反射的にジアの手を掴み、下へとおろす。すると開けた視界の端っこに、やけにキラキラとしたオーラを振りまいた生徒が映った。


「うあああああぁぁ」


 ジアの悲壮感に満ちた声が崩れ落ちる。ワタワタとしたまま、彼女は俺が見ている人物と俺のことを交互に見やった。

 誰だろう。

 ジアが見せたくなかったのは多分あの生徒。でも、俺にはあれが誰だか分からない。少し長めの髪の毛を目にかからないように額の真ん中から分けていて、キリッとした眉とは対照的に穏やかな目つきの男子だ。


 身長もそこそこあって、顔が小さいのかスタイルが際立ってよく見える。周りにいる友人たちも申し分ないくらいの骨格をしているけれど、彼は特に存在感を放っていた。

 食堂の前で会話をしている彼が笑えば、あまりの爽やかさに質の良い映画の一場面を見ている気分になった。

 ただ同時に、彼を見た瞬間にズキンと胸が痛んだ気がした。

 痛みはすぐに消えていった。でも、心臓が一つ下に落ちたような感覚は残っている。


「……えっと……」


 ジアがこんなに慌てるということは、あの生徒はゾーイと何かしらの接点があった人ってことだよな。

 でもこの学校に因縁なんて関係、築き上げることなんてできなさそうだけど……。

 俺が瞬きもせずに一点を見つめ続けていると、ジアはそっと俺の手を優しく握る。


「ねぇ。ゾーイ大丈夫? ……ら、ラーシャのこと……その……」


 ぼんやりとした意識の中で呆けていた俺のことをジアは心配そうに見つめてくる。


「ら……っーしゃ……?」


 なんか知っている名前だな。

 ジアに視線を下ろしてそんな呑気なことを考える。が、次の瞬間には心臓がギュンッと一回転した。


「ラーシャ……!」

「うわぁっ! 声が大きいよゾーイ!!」


 ジアは慌てて俺の口を両手で押さえた。タイミングよく、ラーシャたちは食堂の中へと入っていって俺の声は辛うじて届かなかったみたいだ。存在感がないことに今は感謝したい。


「ご、ごめん……。つい……」


 ジアに謝り自戒する。今、もし彼に見つかっていたらどうなっていたことか。考えただけで嫌な汗をかきそうだ。

 ラーシャは何度もゾーイの日記で目にした名前だった。恐らく彼女が恋していたはずの彼。彼もゾーイのことは認識しているし、友だちとまではいかなくとも知り合いではある。そんな彼といきなり会話をすることなんて俺にはできない。早速ボロを出してしまいそうだからだ。しかもジアの前で。

 俺がひやひやしていると、目の前にいるジアもまったく同じような心模様を覗かせる。


「やっぱり……まだラーシャに会うのは怖い……?」


 ん?

 それはどういうことだろう。


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