幽霊?
「幽霊?」
俺はぼうっとする。幽霊? 予想していなかった言葉を聞くにはあまりにもあっさり過ぎて、何も心づもりができていなかった。
「信じてませんか?」
「あまりにも急だったんで……意味を理解するのに時間がかかった」
本当は今も理解できてないけど。幽霊だといわれても、すぐに納得するのは難しいだろう。現に今、目の前の少女は足があって、手を伸ばせば触れられそうだ。
「そうです、か」
「幽霊ね。ということは死んでるのか?」
不躾だが気になってしまった。
「はい。一度この世を去っています」
少女は一度死んでいる。なら、目の前に立っている少女はなんなんだ?
幽霊、か。今まさに言ったことじゃないか。
「ここで起きた事故に、巻き込まれたんです」
少女は、おとなしい声色で話始める。彼女の口を止めることはできないな。
「当時、私はまだ小さい子供でした。本当に小さい、それこそ赤ん坊と呼ばれる時です。そこに一人取り残され、死にました。それだけです」
少女は続きを語る。
「そんな私を女神様は見つけてくださった。そして『思い出を持ってきなさい。』と、私におっしゃったんです」
『思い出』。いや、たまたまだろう。少女には気づかれないように聞く姿勢を整える。
「気づいたら私はここに一人でいたんです。目を覚ました時はすでに時がたち、誰もここには住んでいなかったんです。それが7歳の時でした」
長い年月がたったことを一瞬で悟らされる。
「ここに残されていた本を読み漁って知識を付けました。不思議なことに体は勝手に成長していったんです。食事をとる必要もなく、睡眠をとる必要もなく。長いことそんな生活を送り続けて今に至りました」
「そうか……」
俺にはこんな時にかける言い回しを持っていない。どう返事するのが正しいのだろうか。
「『思い出』ってなんなんだ?」
考えても思いつかなかったので、疑問で返すことにした。
「私にもわかりません。なにせ、私には思い出が一つもないですから」
言うべきか悩んだ。俺の仕事が『思い出を探す』ことだと。ただ、内容的に専門外だろうから、教えるべきではないか。
「そうか。見つかるといいな」
当たり障りのないコメントで濁しておくのが良い。
「ありがとうございます」
少女も苦笑いを浮かべている。気を使わせてしまったのだろうか。
「すまない、配慮が足りなかったな」
「どうして謝るんですか。そんなことないですよ」
少女が慌ててフォローしてくる。
「私、久々に人とあえてうれしかったんです。人見知りとか、そんなレベルじゃないですよね」
自虐して少女は笑う。そこにはどこか、悲しみの表情も混ざっているようだった。
「そうだな、仕事の時間は長いこととってある。仕事が早く終わったら探すのを手伝おうか?」
「え? いいんですか?」
「ああ。上の人からは『仕事先で出会った人にも親切に』って教え込まれてんだ」
俺のことを拾ってくれた人。恩人はいろんなことを教えてくれた。
「まあ、俺に手伝えることがあるのかはわからないけどな」
「いえ! そんなことはないです! ありがとうございます!」
急に前のめりで感謝の意を唱えてくれる。そんなにうれしかったのだろうか。
「そうと決まれば、私もお手伝いです!」
「それはさっき……」
「私のことを手伝ってくださる人に何もしないわけにはいきません。せめて、片付けぐらいはお手伝いさせてもらいますよ!」
「止めても聞かなそうな勢いだな」
彼女に聞こえたのだろうか。返事をせずに少女は焼けた家のほうへ駆け出していた。
「楽しそうならいいか」
小声で話す。俺も少女の方へと向かった。
幽霊の少女。誰もいない村でずっと一人だったんだろう。そんな少女に俺は何をしてあげられる? 俺にできることは、少しでも長く彼女と一緒にいることだろう。
「最初は何からしますか?」
少女が振り返る。少女の笑顔は、嬉しさ以外のなんにでもなかった。
「そうだな、いったん目的の家を掃除するか」
「そうですね。もしかしたらあっさり見つかるかもしれませんし」
俺たちは、真っ黒に焼けた家へと足を運んだ。
にしても幽霊か。思い出が何もない幽霊。何かにとらわれているわけでも、何か未練があるわけでもない。なら未練がないことが未練なのか? でも、この子の意思とは関係なくこの地に縛られている。俺が彼女の救いになることはできるのだろうか。
「ぼーっとしてどうしたんでですか?」
「俺も君と同じようなものだと思ってな」
「同じようなもの?」
話しながら昔のことを、一人だった時のことを思い出していた。
「俺も、なんていうと君に失礼かもしれないが、ずっと一人だったんだ」
「聞いてもいいですか?」
出会って間もない少女に俺の過去を教えた。親に捨てられたこと、盗みを働いたこと、盗みに入った家で救われたこと。今の仕事のことは話さないでここに来るまでの生い立ちを簡潔に話す。
「そんなことがあったんですね」
「だからだろうか。君に親近感を抱いてしまうんだ。変なところで俺と重ねてしまってるのかもな」
「……」
掃除を進めながら会話する。ただ隣にいる少女が黙ってしまった。
「あ、いや。すまない。気持ちが悪かったな。聞かなかったことにしてくれ」
「え? あ、そういうわけじゃなくてですね」
どういうことなのだろうか、不思議に思っていたら少女が一言。
「あなたも、縛られているんですね」
「……え?」
抽象的な言葉だった。縛られている。いったい何に?
「大丈夫ですよ。私が、解放してあげますから」
もしかして、この少女。少し変なんじゃないのか? ずっと一人だったがゆえに、少し変な思想に?
「君はいったい何を言っているんだ?」
「鳥はなぜ飛ぶと思いますか?」
俺の質問を無視して何の脈略もない別の質問を投げてくる。なぜ鳥が飛ぶのか?
「天敵から逃れるため、とかか?」
「言い換えれば、縛られているものから解放されるため。自由の象徴として鳥が使われる由縁ですね」
「平和の象徴に鳩が使われたりもするな」
「『ノアの方舟』の影響ですね。ノアが解放した鳩がオリーブを加えて帰ってきた、という話から来ています。でもこの話を、鳩のおかげで方舟から解放されたともとらえることができませんか?」
話がおかしな方向へ進み始めた。俺まで変になりそうなので早いとこ話題を切り替えておこう。
「さっきから何を言いたいんだ?」
「あなたは過去にとらわれている。私はこの地にとらわれている。それだけです」
さっぱり何を言いたいのかがわからない。いったいこの少女は俺に何を伝えようとしてるんだ?
「俺が一緒なんて言ったから怒ってるのか?」
「いえ? 怒ってませんよ。ただ、あなたを慰めようと思って。過去にとらわれて苦しんでるあなたを」
「……なら、かなり口下手だな」
長い間誰とも出会っていない少女。当然、今まで誰とも会話なんてしてこなかったのだろう。知識は残された本で得られるとしても、この子はずっと一人だったんだ。俺と同じなんて、とてもおこがましいことだったのだろう。
「はじめて言われました」
「おっ、冗談はうまいぞ」
この子に対する憐れみは絶対に表に出さなかった。
「ときに君、名前はなんていうんだ?」
改めて考えれば聞いていなかった。他愛のない雑談として改めて自己紹介をするのもいいだろう。
「名前、ですか」
「そういえば名前を聞くときはまず自分からってやつだったな。俺の名前は…」
少女が手を動かしながらおそるおそるこちらを見つめている。
「名乗りたいところなんだがな、実は俺の名前を知らないんだ。さっきも話したが親に捨てられてな。そもそも名前があったのかすらわからない」
周りの奴からは『十三番』って呼ばれてたが、番号を名前っていうのは無茶があるだろう。あの人からも『少年』としか呼ばれたことがない。
「……え?」
「そんなわけで俺のことを呼ぶときは好きに読んでいいぞ。文字通りな」
「……私もなんです」