女帝の高校生活スタート⑤
魔法の確認をしよう。
みなが寝静まった深夜に、わたしはベッドを降り、机に向かった。
今日も色々なことがあった。
(既に日付は変わっていて、昨日のことではあるが)
体力測定では、おかしな記録を叩き出し。
オカルト研究部の見学では、活動内容は問題があるが、どうやら本物のオカルトを経験したらしい。
LINEで恋に聞いたところ、やはりわたしの名前は一度も出した記憶がないという。
まあ、人間の記憶などあてにはならない。
この国の政治家もよく使うではないか、『記憶にございません』と。
それに、予めわたしの情報を掴んでいた可能性も多々ある。
直感ではそれらの可能性は否定されるのだが、そう結論付けた。
本人に直接聞いてみないことに正確な解答が導き出せない事象は、他人がどうこう推測してみても無駄なのだ。
そう考えながら、わたしは机に向かって座る。
前世の記憶を取り戻したあとの日課といえば、魔法の確認である。
鍛練や学習ではない、ただの『確認』だ。
今回のことで、無意識のうちに魔法が使用された、という可能性がある。
わたしの現在の能力を計り、今後の普通な高校生活を送る上で、これ以上の目立つ行為は自重せねばなるまい。
だから、魔法の力を今一度正しく認識し、問題があるなら制御して、学校生活に臨まなければいけないのだ。
肉体の操作とは、自身のものとはいえ扱いが難しい。
前世では肉体強化は日常茶飯事で、特に制御してなど考えなかった。
当然だ。
戦場で敵が襲いかかってくる状況で、手加減などしない。
あらゆる手段を講じて、降りかかる火の粉を払い消さなければならない。
殺めぬように筋力を操作して、相手に致命傷を与えずに鎮圧する、なんて芸当は、前世において一度もしたことがなかった。
だから、今回も必死になるあまり、意図しないところで、魔法が使われたのではないか。
もしそうなら、可能性が少しでもあるなら、確認しなければならない。
たとえどんなにわたしが、肉体強化の魔法を上手く制御できると自負していても、だ。
ちなみに、器物の損壊が出ない程度には、他の基本的な魔法は既に試し打ちしてある。
ライターほどの灯火を指先から出したり。
空のコップを水で満たしたり。
離れた場所のものを手元まで引き寄せたり。
身体を床から少しだけ浮かせてみたり。
以前の世界で最も簡単だったそれらは、こちらでもすぐにできた。
物理法則な同じであれば、難しいことなどはひとつもない。
逆に今の、科学が進歩した世界の方ができることは多かった。
光を集めて部屋を明るくするとか、レーザー光線として打ち出してみたりだとか。
『光』というエネルギーについての研究が万全でなかった前より、今世は解っていることが多いだけに、やれることは増えた。
ただ制御は難しいらしく、レーザーを打ち出したところ、部屋の天井にごく小さな穴を開けてしまった。
わたしの部屋が二階で良かった。一階だったら、たまたま上にいるかもしれない母の身体に、風穴を開けていたかもしれない。
すぐに天井は、穴の周りの部分を拡げたり伸ばしたりして、一見では判らない程度には修復された。
慣れないことはするものではない。潰す肝がいくらあっても足りない。
――そんな具合で、わたしは毎夜に魔法の力を確認していた。
今日は肉体強化について、確かめてみようと思う。
魔法によって身体を強化する、というのはいくらか方法がある。
脳に働きかけ、制限を取り払うやり方。
無理な運動を強要されると、脳が行動の端々にブレーキをかける。それを魔法で誤魔化し、限界まで運動能力を高めることができる。
また筋力を強化するやり方。
運動により使用される箇所の筋肉を無理矢理増やしてしまう。単純に、腕の筋肉を使う運動なら、近くの他の場所から、筋肉を動かしてくっつけてしまえば良い。
ここまでは主に己の身体と向き合って、魔法を媒体にして誤魔化すもの。
他者に働きかけるものではないから、字面にするよりずっと簡単に行える。
ただあくまでそれらは、人間の限界を意図的に引き出すものである。人間以上の力を出すことはできない。
日々の鍛練により、肉体の限界までの幅を広げることはできる。筋力の絶対量を増やせば、それだけ自在に操れるエネルギーが多くなるのは当然だ。
でも人間という形を与えられている以上、たとえば熊と戦ったり、恐竜(前世では、この世界で言う恐竜のような生物がいた)を打ち負かしたりできない。絶対的な筋力量――というか質量に差があるからだ。
じゃあどうするか。わたしみたいにひ弱でか細い女の身体が、世界最強と呼称されるには、なにをすれば良いか。
言うだけなら簡単だ。
エネルギー量は、そのエネルギーを発生させる際の物質の重さと速度で決まる。
それは前世でも今世でも、共通な法則だ。
だったら速さを上げれば良い。
世界に働きかけて、空気抵抗をなくす。
身体に推力をかけて――背中にジェットエンジンをつけるようなイメージか――跳躍する。
質量を増やしたって良い。
運動の箇所に、そこらにある石やら岩やらから、蛋白質や骨よりも重いものを身体に取り込んでしまえば、身体は重くなる。
言うには易し、しかれども世界に働きかけるというのは、自分の身体をどうこうするより、労を要するのだ。
意思が自分とは別にあるのだから、当然である。
ただ優れた魔法使いは、それらをやすやすとやってのける。
世の理を理解し、世界と共にある者には、そう難しいことではない。
わたしもそれらは得意だった。
まあ尤も、わたしが使ったのはごく若い時分と、年老いて肉体が衰えた頃だけである。特に後者は、闘争とかでなく、歩いたり物を持ち上げたりの、日常生活で使われた。
帝たる存在が、戦場で己の身体を強化して、戦わなければならない状況など、敗戦間際にしか訪れないのだ。
過去の懐古が長くなった。
やはり二〇〇年という前世の記憶と人格は、昔を振り返り、ああだこうだ、と論じるのが好きらしい。
わたしは机を立ち、部屋の中央辺りに移った。
跳躍をしてみよう。単純に、ジャンプするのである。
大きく広い家だったので、もちろんわたしの部屋だって、子どもに与えるには大きすぎるくらいの空間的スペースがあった。
こんな、普段とやや違った運動をしたいときには、大いに役立つものだ。
まずは最も単純な、自身の肉体強化を試す。
世界に働きかけて、脳の制御を取り払い、自分の限界を引き出す。
ぐっ、と脚に力を込める。
無駄に高い天井までの距離は、頭頂部からおよそ二メートルの位置にあった。
普通の女性であれば、いくら限界まで能力を引き出したとして、あそこまで届くはずはない。
――いくらか不安があるので、最初はほどほどにしてみようと思った。
果たしてジャンプした瞬間、わたしの不安は的中した。
すぐに天井が、目の前まで来たのだから。
慌てて身を捻り、頭でなくて背中で天井に当たる。
ちょうど、柔道の受け身を取る体勢と同じだ。
一瞬後に、ドン、と大きな音が響き渡った。
危なかった。咄嗟に身体の向きを変えていなければ、頭から天井に落ちていたかもしれない。
強い衝撃に、酷く肺が圧迫される感覚を味わいながら、次は地面に向かって落ちる。
幸いにして今度の着地は、静かに、優しくできた。
「アキ、なに? 今の音。ずいぶん凄かったけど」
「――ごめん、ベッドから落ちた」
大きな音に驚いた母が、すぐさま飛んできた。
そりゃあ深夜に、いくら防音が効いていても、あれは消しきれないだろう。
重力に逆らった運動だったといえ、三メートルほどの高さから落ちて、受け身を取ったのと同じようなものだ。
部屋に入ってきて、怪訝な表情を見せる母に、わたしは床の上から答える。
それくらいしか、できる言い訳がなかった。
「もう、気を付けてよね」
ただ、彼女は欠伸をしながら、そう注意を向けてくるだけだった。
天井に娘がぶつかった、などとは、到底考えに及ばないだろう。
「ごめんなさーい」
わたしは背中を擦りながら謝辞し、布団に潜り込んだ。
程なくして母は部屋を出ていく。
それを見ながら、わたしはほっと安堵の溜め息を吐いた。
あっぶねー。とは、口汚くもそのとき思った全てである。
流石に天井に傷をつけたり、大穴を開けたりしては、誤魔化しのしようもない。
また怪我もなかったから(背中に痣くらいは出来ているかもしれないが)、衝撃こそ大きかったが痛みはさほどない。
今夜判明したのは、やはりこの身体は以前と比べ、どうやら作りがおかしい。あるいはおかしくなったらしい。
いくら身体の限界を引き出したといえ、垂直跳びで三メートルほどもある高い天井に達するなど、はっきり言ってあり得ない。
前世でも二〇〇年の間に、魔法を使わずにそんな芸当ができる奴はいなかった。
明らかにおかしい。
ただ今日のところは、魔法の確認はここまでにしておこう。
これ以上の騒ぎは迷惑になる。加減をしようにも、加減をして『あれ』だったのだから、どうしようもない。
ベッドに潜り込んだのだ、このまま寝てしまおう。
確認は、また明日でもできるのだ。
それに、自身の様子が明らかにおかしい、とは確認できたのだ。
及第点をつけておこう。
わたしはそんなことを考えながら、深夜二時の就寝を迎えた。
一日の疲れが相当に溜まっていたのか、眠りはすぐに訪れた。
夢は見なかった。
ただ。
頭のどこか片隅で、僅かに残る思考が言うのである。
ところで高野姫子とは、何者であるか、と。