女帝の高校生活スタート③
ハンドボールとソフトボール、ややこしい話です。頑張って調べましたが、間違いがあったら申し訳ございません。
さて、ここで疑問が沸き上がってきた。
高野姫子先輩の件だ。
あんなに目立つ紅い髪をしているのに、わたしは全然気付かなかった。
全校生徒が集まったであろう、盛大に執り行われた入学式にも、彼女の姿は見られた記憶がない。
特別に国際色豊か、という校風でない高校だが、二千人を超える生徒を有するのだから、外人ぽい姿は見かけられた。
金髪とか茶髪である。
それも一部に見られるような、不良とかやんちゃな日本人のする、不自然なものではない。
彼らの姿は、多数の生徒が出席する入学式でも、遠目から見てすら目立っていた。
高野先輩のように、不自然でない紅色など、気付かない方がおかしい。
そんな疑問を口にすると、恋はすぐに回答をくれた。
高野先輩は身体が弱いらしい。
だから体調が悪かったここ数日は、登校せずに自宅療養していたらしい。
入学式にも、当然出席していなかった。
赤毛とは、かなり珍しい特徴だ。それは遺伝子的な側面からも言えることだ。
彼女のような髪質の人間が、およそ赤毛のアンや雑多なアニメーションみたいに、想像の世界でしかほとんど存在しないのは理由がある。
劣性遺伝子なのだ。
物事の優劣とかではなかく、遺伝子的な優先順位。白人と黒人が結婚したら、高い確率で黒い肌の子どもが産まれます、というあれ。
赤毛は、人間としての遺伝子から見ると順位は低い。稀少な例であるらしい。
そういうひとには、少なからず先天的な病気が見られる、とは恋の言だ。
例えるならば、馬。
白馬は色々なテレビ番組に映る式典などで、特に目を惹き、目立つ存在である。
ただ彼らは、先天的な遺伝子の異常を持ちやすく、病気になりがちらしい。故に短命なものが多い。
勿論、人間にそれは当てはまらない。
だが極端な、統計的な例としては、確かに存在はするのだ。
だから、高野先輩が病気がちらしいと聞いて、秘かに合点がいったのである。
「次、アキの番だよ」
ふと、そんな声をかけられた。
思考に埋没していたわたしは、意識を元の世界に戻す。
いまは体育の時間だった。
行われているのは、この学校では恒例らしい、体力測定なる授業だ。
生徒個人の学力を測るのは、ある程度入試で充分である。
無論将来性まで計測することは出来ないが、最初のクラス分けなどでは重宝される。
学力の同じくらいの生徒を集めておいて、彼らにとっての学力を測りながら教育を施す。
それは成績の良くない落伍者を出さないようにとの配慮の意味と、優秀な生徒には高度な教育を集中して行うことができる、という面で大変に合理的だ。
いまのクラスも(聞いた話ではあるが)、入試の点数でクラス分けされたものらしい。
ただ、体力測定は入試でない科目だ。
スポーツクラスなら話は別であろうが、普通科の生徒には、特別関係のないものだった。
故にこの授業も、クラス分けや成績には、直接関係がない。らしい。
身体能力の高い生徒に対しての、体育教師の優遇が獲られる、程度の意味合いがあり。
また、体育教師は部活を受け持っている場合が多いため、眠った才能を発掘する意図もあるのだろう。
「よし、次。木田、小林、小森」
各自準備運動を行いながら、名前を呼ばれれば所定の位置に整列する。
一〇〇メートル走が最初の種目である。
「頑張ってね、アキ」
「まあ、ほどほどに」
恋と短く言葉を交わして、スタートラインについた。
体力測定とは、今までの小林アキの人生で、何度となく受けたものだ。
転生する前までの、中学生までの記憶では、この身体は中の中から上くらいの成績だった。
剣道部では持久力と筋力は鍛えていたが、どれも体力測定という授業において、やすやすと判断できるものではない。
防具を身に付けてマラソンしろ、と言われれば、誰よりも早く長く走っていられる自信はあった。
竹刀か木刀を、どれだけ早く力強く振れるか、という種目があれば、それも学年で一番になる自負もあった。
しかしながらこの場合の体力測定は、ごく一般的なものである。
だから剣道の試合でいくら強くても、わたしの身体能力は、あくまで中の上が関の山といった具合だった。
ただそれは、中学までの小林アキの話だ。
いまは前世の記憶を取り戻している。
身体の扱い方など、いくら寝たきりの時間が長かったといえ、わたしより長じるものなど存在しない。
加えて、魔法の力がある。
空気抵抗をなくそう、重力の干渉を減らそう、一時的に筋肉の動きをコントロールしよう、などは簡単にできる。
勿論、そんなことをしては大変に目立つので、しない。
でも、記憶を戻してからの自分の力には興味があった。
前世では体力測定なんてしたことがない。自分の能力がどれほどか、単純な興味があっても仕方がないだろう。と自身に言い聞かせる。
確か中学生女子の一〇〇メートル走の平均タイムは16秒8。高校一年では16秒3くらいだったはず。
わたし自身の最後の記録は、15秒9。
全世界的で全人類的なタイムは9秒5あたり。
さすがにそんなのは、素の肉体では無理だろう。
いくら魔法を使わずに全力疾走したことがない、とはいえ、それくらいは判る。
だから、人生で最初だけは、全力で走ってみようと思った。
「よーい、スタート!」
という女性教師の声と共に、スタートラインに立っていたわたしたち三人は、一斉に走り出す。
瞬間、脚の筋肉は発火する。
身体の中に存在する血液の流れ、酸素を下半身に集中する。
腕は空気を掻き分けるように、また脚の動きに合わせて、前方への推進力を得るように、前後に思いきり振る。
それらは魔法を使っていないから、あくまでイメージだ。
イメージだけで速くなれれば苦労はない。
ただそのときのわたしは、そんなことを考えながらゴールラインに向けて疾走した。
時間にしてたった十数秒間。
やけに長いと思われた無酸素運動は、やっとのことで終了となった。
小林アキの記憶にはしていたが、かなりきつい。
ぜえぜえと、上半身の全てを使って、不足した酸素を身体に取り込む。
僅かな時間を空けて、汗が額を伝う。
わたしのような平均的な女子にとって、やはり一〇〇メートル走とは、きつい運動であるらしかった。
やや遅れてラインを通過した二人を尻目に、
「――タイムは?」
ゴールラインの脇に立つ三人に訊く。
教師一人では、一度に三人のタイムを計測できない。
手伝いと称して、どうやら顧問を受け持つ部活の生徒にストップウォッチを持たせていた。
ただ、わたしの問への答はなかなか来ない。
ゴールラインにいる三人は、ひとつのストップウォッチに視線を集中して、目を瞠いている。
額の汗を拭い、眼鏡の位置を正しながら、わたしは、あまり良くない予感を持っていた。
「10秒6――」
およそ女子高生らしくないタイムが、ひとりの生徒の口から発せられた。
まさかそんな記録が出るとは思っていない。他のひとは勿論、わたしもだ。
その後。計測係の生徒のストップウォッチの押し間違いだの、故障だのと散々な騒ぎがあった。
一緒に走った二人のタイムは、あまりの出来事に忘れ去られて、計測されなかった。
結局は『何かの間違いだ』と断ぜられ、三人揃って再計測となった。
流石にまた同程度の記録が出てはまずい。
剣道部の勧誘を断り続け、最近になりその声も少なくなったのだ。
また陸上部を始めとするだろう運動部の面々に、煩くしつこく、勧誘されるなど御免だ。
再計測の結果は、13秒3。
大分先程より加減したが、それでまも平均を超える成績だった。
「――アキて、そんなに足早かったっけ?」
割りと付き合いの長いと思われる恋は、驚き半分、怪しさ半分でこちらに問う。
「なんか今日は調子が良かった」という返答は、全く聞き入られた気配がない。
調子が良いだけで、数ヵ月前とはいえ、自身の記録を三秒近く縮められてはたまらない。
恋はそう言いたいのか、鋭い視線を向けてくる。
わたしはそれを無視しながら、愛想笑いをして誤魔化そうとした。
他の生徒や教師も、わたしに色々と問い質したいことがあるのだろう、ちらちらとした視線を感じる。
そちらも気に留めながら、授業に集中できるように目線を移した。
次の測定種目はハンドボール投げだ。
はっきり言って、その種目の平均など知らない。中学では一度も計測したことがない種目だったのだ。
何メートル投げれば女子高生として不自然でないか、判らないのだ。
幸いにして、測定は出席番号順に行われる。
わたし以前の生徒の平均を計算して、大体近似値が出るように調整して投げる。
そんなことが可能なのかは、さておいて。
やるしかないのである。
だが。
「小林! お前からやれ」
女性教師からまさかの指名を受けた。
こちらの意図を汲んだのであろうか、酷く難しい表情をしながら、まるでこちらを睨み付けるように、鋭い視線を向けてくる。
「恋」
「なに? 先生呼んでるんだから、早くした方が良いんじゃない」
「ハンドボール投げの平均て、どのくらいかな」
「――知らない。なに、アキ。もしかして手加減でもしようとしているの?」
「違うよ。参考までに、知っていればと思って」
あまりにも平均より低いと、それはそれで問題がある。特に一〇〇メートル走で怪しげな記録を出した直後だ。
平均が良いのだ、平均が。
「文佳は知ってる?」
「分からないけど、わたしは確か、小学六年の頃で三〇メートルくらいだったかな。それでクラスで結構上位の方だったよ」
違ってたらごめんね、と付け加えられる。
恋の隣で一緒に待機していた村上文佳は、すぐにそう言った。
話題を振られると察したのか、彼女は過去の記憶を思い出してくれたらしい。
文佳の話によれば。小学生で三〇メートル、それでクラスで上位とのこと。
小学生と高校生で年齢は開きがあるが、およそ中学生だと三五から四〇メートルほどが平均だろうか。
催促する女性教師のところへ向かいながら、大体の予想値を導き出す。
――まあ、力加減が分からないので、狙ったところで何メートル飛ばせるかは分からない。
でも、平均を知っているのと知らないのとでは、全く違うはず。
目標は決まっている、三〇から三五メートルを狙う。
少し低い目標の方が都合が良い。平均以下ならば、足は速いが上半身はいまいち自信がない、と適当なことを言えるのだ。
用意された円形のサークル内に立つ。
久しぶりに持ったハンドボールは、記憶にあるよりずっと大きいようだった。
――あれ、これ結構投げるの大変じゃない?
わたしの手は大きいわけではない。握力も、現在は測定していないから判断出来ないが、直近の記録では『中学生女子としては少し強い』くらいだったはず。
握れないことはないが、遠くへ投擲するとなると難しそうだ。
せめて何度か投げる練習が出来れば、感覚が掴めるのだが。
「そのサークルの中だったら、助走して投げても良いからな」
「はい」
女性教師からの助言。有り難く聞き入れよう。
先ほどの一〇〇メートル走があった手前、記録が十メートルでした、なんてことになったら確実に疑われる。
実力隠しでないかと。こちらは真剣に取り組んだというのに。
わたしは前を見据える。おおよその三〇メートルの場所に狙いを付ける。
長年にわたり戦場を駆けてきたのだ。距離感くらいは簡単に把握出来た。
さあ、行くぞ。
わたしは目印のない目標に向けて、助走をつけ、ハンドボールを投げた。
それは激しい空気抵抗に晒されながらも、半円を描いて飛んでいく。
間もなくして、地表に達する。てんてんと転がるそれは、確かに、わたしが狙った通りの場所で最初の着地をした。
完璧と自画自讃である。
我ながら精確なコントロールだった。
ひとりの生徒がメジャーを持ち、ボールを追いかける。もうひとりの生徒は、メジャーがずれないように、わたしの足元で先端を押さえている。
「――32メートル50です」
そんな声が聞かれた。
若干の誤差はあったが、ほとんどわたしの信ずる平均的な記録が出た。
心の中で握りこぶしを振り上げる。
正直あそこまで飛ばせるか不安だったのだが、上手くいって良かった。
そこでわたしは、教師の顔色を窺う。
『まあ、こんなもんか』という表情を期待していた。
が。
「――――――」
大層なしかつめらしい顔をした、教師の姿がそこにあった。
それは期待外れのためだろう。
一〇〇メートル走では大変に優秀な成績だったが、こんなものか。いや、もしや実力を偽っているかもしれぬ。
そんな考えをしているのが、ありありと見て取れた。
「――なあ、小林」
満足して元の場所に戻ろうとするわたしを、後ろから呼び止める声が聞かれた。女性教師である。
「なんでしょう」
「ハンドボール投げの平均て、知ってるか?」
「えっと、三〇から三五メートルくらいですよね?」
不思議な質問である。
彼女は相変わらず険しい表情のまま、こちらを見据えていた。
恐い人物、ということはない。歳も若くクラス全体からの人気もある教師だ。
そんな彼女が、わたしの答を聞いた途端、目を剥いて、大声で言った。
「そんな女子高生がごろごろいてたまるか! 高校一年女子の平均は14メートル50くらいだぞ!」
「えっ――」
「お前が言っているのは、たぶんソフトボール投げの平均記録だよ」
――終わった。
別に何も始まっていないし、本当に何かが終わったわけではない。
ただ比喩的な表現として、わたしのいまの心情を伝えるには最も適切な言葉であろう。
ふらふらと、わたしは元の待機場所に戻る。
恋は呆然としながらも、こちらを見てくる。
文佳は、両手を合わせて顔を下げていた。俗に言う『ごめんなさい』のポーズである。
彼女は悪くない。ハンドボール投げとソフトボール投げなんて、はっきり言って判別がつかない。
特に体育に興味を持たないひとにとって、その間違いは充分にあり得るのだ。
わたしは自分でも判るほど乾いた笑い声で、文佳に、気にしないで、と言った。
本当に、別に、彼女のせいでは、ないのだから。
※
授業が終わると同時に、女性教師に声を掛けられた。
話があるから、放課後に職員室まで来い、とのことである。
彼女は五年前から、女子野球部の顧問だった。
元々、全国区で見ても、女子野球部がある高校は未だ少ない。
わが校は、日本で屈指の実力を誇っていた。
そこに現れた、小林アキという生徒。足が速くて、肩が強い。
わたしが顧問だったとしても、そんな選手はのどから手が出るほど欲しい。
取り敢えず恋との約束があるので、丁重に断った。
教師は必死な様子で、少しだけでもとか、迷惑はかけないからとか言っていたから、勧誘する気満々だろう。
あまりにもしつこく言い寄るので、明日の放課後に、ということで一端の逃げを打つ。面倒なことの先送りにしかならないが。
また、収まってきていた部活の勧誘が一気に増えた。
以前は剣道部ばかりだったが、どこから話を聞きつけたのか、陸上部やらソフトボール部やら、とにかくうんざりする程度には、上級生たちが教室にやってきた。
最初は丁寧に断っていたが、あまりにも人数が多いので、最後は机に突っ伏して顔を隠し、居留守を遣った。
これで放課後にオカルト研究部の見学など、本当に可能なのだろうか。
「なにやったんだ? 小林アキ」
「――訊かないで」
最終的には、放課後間近になって訪れた寛人に、そう尋ねられた。
直接に顔を見ずとも、大変な呆れた表情は見てとれる。
本当に、どうしてこうなった。
自業自得なのは重々承知しているのだが、思わず誰か姿の見えない存在に、そう訊きたくなるのは当然のことでなかろうか。
とにかく、普通の恋愛に対するハードルの高さが、やや変わったと、直感していた。