女帝の高校生活スタート①
「輪廻転生て、本当にあると思う?」
「――なんだ、アキ。藪から棒に」
「いいから」
「――――」
「寛人?」
「ないと思う。俺は宗教とかよく判らないけど、たましい、なんてものはない」
「そう。つまんない」
「――俺は、キミの暇潰しをするためにいるわけじゃないよ、小林アキ」
幼馴染の酒井寛人の癖のひとつに、少しばかり機嫌を損ねると、急にわたしをフルネームで呼んでくる、というものがあった。
※
誕生日での頭痛騒ぎから早二週間。
無事に高校の入学式には出席できて、授業も始まった。
まだまだレクリエーションのような雰囲気だ。
ただ新しい教科書をパラパラと繰った感じでは、そう難しいものもなさそうだ。
少なくとも、赤点を取って落第、留年、という憂き目は回避できるくらい。
前世ではここまでの高い教育水準はなかった。
数学なんてものは、建築や測量で覚えるものであって、座学した記憶はない。
国語に英語、古文漢文。言語は国が違えど統一されていたから、ひとつ覚えられれば充分だった。
歴史。暗記にだけは自信がある。
化学、物理。きっと魔法に、大変に役立つ。使う機会はないだろうが。
ただほとんどの教科で、少なからず役立つ能力がある。
記憶能力だ。
なにもこれから、新しい発見を探すわけでない。
高校の授業は暗記だ。そこに高度な思考回路は必要ないのだ。
ただ油断は禁物である。
わたしは精々落第だけはしないようにと、気を引き締めて授業に臨むことにした。
勉学以外では、部活の勧誘があった。
それはもう、小・中学校の頃のわたしを知る連中は、必死になって剣道部に勧誘してきた。
あまり剣道が強くない高校に、個人で全国大会まで進んだ人材はさぞ欲しかろう。
幼馴染で、現在わたしと登校を共にしている寛人は、剣道部に入ったようだが。
「だいたい、なんで急に、輪廻転生とか言い出すんだ。またあの変な本の影響か?」
やや眉を寄せながら彼は言う。
ひとが楽しんで読んでいたものに対して、変だとはなんだ、変だとは。
現世が恵まれない人間にとっては、異世界転生とは、憧れのものであるはずなのだ。
まあ尤も、転生してきた身としては、記憶が戻る前に持っていた憧れとは、だいぶ違う現実を垣間見ているのだが。
「――ときどき思うのよ。天才はどうして天才なのか」
「過去の偉人が言っているだろう。確か、一パーセントの才能と、九九パーセントの努力、とかなんとか」
「それは勿論ごもっとも。でもさ、こう考えてみてよ?
――前世の記憶がたまたま残っていて、現世に活かすことができたら。凄くない? 天才と呼ばれても、不思議じゃない」
「確かにな。ただそれ、必死で努力しているひとの前では絶対に言うなよ。怒られるから」
寛人はしかつめらしい顔をしながら、驚いたような声で忠告してくる。
一理ある、とは思ったらしい。
ただ輪廻転生否定派で、努力と根性を旨とするような幼馴染にとっては、堪えられない話だろう。
わたしの横を歩くのは、幼馴染の酒井寛人。
ほとんど生まれたと同時に始まった腐れ縁を、現在まで続けている。
身長は高く一八〇を超える。かなりの筋肉質。
頭髪は短めに刈り込んでいる。
鼻は日本人にしては高く、顎のラインはとてもシャープだ。俗に言う堀の深い顔である。
目は悪くないはずだが、眼力は妙に鋭い。さすが剣道をやっているだけある。
ちなみにその剣道は、わたしがやりたい、と言ったから、やり始めたらしい。
幼い頃はわたしの後をちょろちょろ付いてきて、どこに行くにも一緒だった。
年齢は同じだが、可愛い弟分だった。
それが中学一年あたりで、あっさり身長を抜かれ、互いの気恥ずかしさから一緒にくっついて回るということは少なくなった。
元々多くを語る性質でなかったが、口数はさらに減った。
逆にこちらの舌の回転は早くなったらしく、両親たちにしてみれば、わたしたち二人の会話量は、足して割れば以前と変わらぬようだ。
「分かってる。こんな持論を話すのなんて、寛人以外にできるわけないんだし」
「それならいいけど――アキ、やっぱりこの間の頭痛から変じゃないか?」
そして寛人、なかなか鋭い。
前世と今世の記憶は、もう混濁なく整理されているはずだ。
急に女帝だったわたしの記憶が戻っても、以前の小林アキとなんら変わることはない。
唯一の懸念だった母親さえ、わたしの変化に気付かなかった。あるいは、気付いていても、大きな変化を認められなかった。
しかし寛人は違った。
頭痛騒ぎの後から、急に接触が多くなった。
前から観察力に長じた、という風でなかったから、わたしは動揺した。
動揺したが、わたしは、
『十五歳の誕生日が過ぎたのだ。人間は成長し変化する生物だ。古典にも言うでしょう、女子と三日会わざれば刮目して見るべし、と』
そんなことを言った。
寛人は目を瞠いて、わたしがおかしくなったと、母に慌てて告げた。
こりゃまずい、と思ったが、おおらかで自由放任主義らしい彼女は、特に気に留めた様子もなかった。
「――なにも変なことなんてないよ。輪廻転生の話もね、最近、わたしがある結論に達したから、言ってみたかっただけ」
「ある結論?」
「わたしは天才でない、てこと」
わたしが眼鏡の端をくい、と持ち上げて、得意気に言うと、幼馴染は「なにを判りきったことを、偉そうに」なんて悪態を顔に貼り付けた。
いやね、ある方面では、確かに天才なんだよ?
魔法なんて、この世界で使えるひと、ほとんどいないでしょ?
流石にそんなことを口走ってしまえば、完全に痛い子認定されるので、止めておく。
「――でもさ、考えてもみてよ。
生まれたばかりの小さな子どもが、記憶とかほとんどないはずの子どもが、興味深げにどこかを見てること、あるじゃない?
唐突に部屋の隅を指差して、あっ、て言うこと、あるじゃない?
それって、前世の記憶なんだと思う。なにかを思い出して、それを親に伝えたいんだと思う。でも声帯は発達してないから喋れない。そんなこと、あると思わない?」
わたしは自身の正当性を主張するために言った。
――わたし自体が、輪廻転生を証明する生き証人だから、正当性もくそもないけど。
「別に、アキの話を否定するわけじゃない。ただ、肯定もできない。俺に解るのは、古馴染みが少しばかり様子がおかしい、てことだけだよ」
なにを思うところがあってか、寛人は目を逸らした。
それから、輪廻転生の話はおしまいになった。
わたしは口を尖らせながらも、学校までの道のりを一緒に歩いていく。
やがて二人の話題は剣道部についてとなった。
寛人はどうやら、部長からわたしを勧誘するよう熱心に働きかけられているらしい。
だから彼としても、望み薄とはいえ、毎日のようにわたしに剣道部の話をする。
あの先輩はいい人だとか、自分と一緒にどんな新入生が入部したとか、練習はきつくないとか、女子部員が少ないとか。
寛人の顔を立てて入部する、というのも少しばかりは考えた。
以前のわたしは、剣道は痛い、臭い、モテない、という理由で辞めたのだ。
そこに年頃の女子の主張の正当性は確かにある。はず。
ただ、そんな理由で、と言われれば、それもまた然り。
剣道とはそういう環境で心身を鍛えるものだ、と言われれば、確かにその通りなのだ。
でもわたしは、入部する気はなかった。
何故か? 理由なんて特にない。
入部しなくても、幼馴染はわたしの目の前からいなくなったりしないだろう、というのが、一応の答えである。
※
「おはよ、アキ。今日もつまらない顔してるね」
段々と学校が近くなり、周囲の学生の数も多くなっていく。
同じ中学から進学した人間もかなりいた。
大変に失礼な挨拶をしてきた女子生徒も、そんなひとりである。
「おはよう、恋。つまらない顔はお互い様でしょ」
彼女は福井恋。
名前からして大層福井県に所縁がありそうだが、本人曰く、行ったことはないし親戚もいない、両親の出身地でもないそうだ。
大きくくりっとした瞳は、万人を引き寄せるような魅力がある。
気の強そうな細く切れ長の眉は、確かに彼女の性質を表している。
はっきり言って、つまらない顔なんかではない。単なるわたしのひがみである。
身長はわたしよりだいぶ高く、一六五あるらしい。
髪は長いがひとつに纏められ、高く結い上げられている。いわゆるポニーテールだった。
身体の凹凸は年頃の女性らしさを主張している。
――本当に同じ歳かと思うほどに、わたしと比べて発育が良いらしい。
「じゃあアキ、ここで。また明日」
「ああ、うん。また」
中学からの友人の乱入により、寛人は退散した。
早歩きで校舎へと向かっていく。
元々、中学二年からは一緒に登校なんて恥ずかしいことはしていなかった。
件の頭痛騒ぎを懸念してか、入学早々、寛人が勝手にわたしの登校時間を見計らって家を出るのだ。
家が隣同士で、向かう学校が同じで、知らない顔でもない。
普通に考えて、一緒に登校するよね?
「ありゃ、寛人くん、先に行っちゃった。
お邪魔だった?」
「別に」
言いながらにやにやと笑みを浮かべる姿には、若干の殺意も覚えるが、それで気を取り乱すほどでもない。
こちとら精神年齢二〇〇を超えているのだ。小娘の戯れなど、歯牙にもかけぬ。
「ふたりは幼馴染なんだよね。ねえ、今度紹介してよ」
「やだ」
「なんで?」
「わざわざ紹介しなくても、面識あるじゃない」
恋はどうやら、寛人に少なからず好意があるらしい。
以前から事あるごとに、連絡先を教えてだとか、遊びに行くセッティングをしてだとか言ってきていた。
それをわたしは、ほとんど無下にあしらってきた。
前世の記憶を取り戻した現在もそのスタンスは変わらない。
理由は推して図るべし。
「もー、相変わらずつれないな、アキは」
拗ねた口調なものの、顔は笑っている。
何度となく繰り返された問答は、わたしたちにとって挨拶のようなものだ。
これでわたしが変に気を遣おうものなら、逆に不審である。
それからは恋と一緒に登校した。
学舎まではあと五、六分だ。
この世界のこの国を代表する桜は、もうほとんど散っている。
朝の時間に、風の肌寒さはまだ色濃く残っているが、陽射しは日毎に力強さを増している。
あと少しすれば、春を過ぎ、夏が来る。
新しくなった小林アキの生活は、始まったばかりだ。