結界
「空から行くのは不可能か……」
「どうみてもヤバそうな雲だしな」
地面に降りたティアと俺は空に広がる毒々しい雲を見上げていた。
降りる途中に雲に突っ込んでいた飛竜が骨になって落ちていたのを見ても飛び込む気はしない。
地上からも十分な瘴気が満ちているが、ティアも俺も普通の身体の作りではないからいけるだろう。
状態異常無効の恩恵があれば毒ガスの中でもいけるし、呪いが充満していても突破可能なのだから。
王都を囲む高い煉瓦の壁がまるでこの世界と別世界の境界線に感じられる。
雲も城壁と合わせるように広がっており、明らかに自然のものではない。
王都に入らせたくないってことか。
結界は王都全体ではないが、四分の一を覆えるほどの規模で、城も呑み込まれてる。
「ジャバウォックの気配はわかっておるわ。この王都はもはや通常の都市ではあるまい。心せよ」
「当然だ。んじゃ……いくか」
ティアと俺は門へと急いだ。
こんな形でまた王都にくる羽目になるとはな……。
見上げるほどの高さの城壁はグルリと王都を囲むように建てられ、何度も補修された形跡がある。
風雨に晒され、風化し、無数の傷痕を残しながらも立派な佇まいは長きに渡りこの地を守り続けてきた勲章だろう。
だが、都市の中から感じるのはもはやそんな歴史あるものではない。
もっとおぞましく這い寄るのは真冬を思わせる冷気だ。
黄泉の気配とも言うべきか……。
(黄泉の濃厚な気配と臭い……。まったく……またジャバウォックの古の魔法か?)
キンギィンキィン!
?
近くから金属音が響いてくる。
「聞こえたか?」
「あぁ……」
「この匂いは確か……」
ティアは鼻をスンスンと鳴らしている。
犬かっ!
暫く考えていたティアは思い当たる節があったらしく徐に走り出した。
「お、おい!」
「思い出したぞ! 急げ!」
慌てて瘴気が満ちた城下町へと突っ込むことになった。
「姫様を護るんだ! 指一本触れさせるな!」
聞き覚えのある女性の声が聞こえてくる。
「スティファノ、私も戦えます!」
「いけません! 姫様!」
こちらの声も聞き覚えがあるぞ?
姫にスティファノって、もしかして――。
角を曲がるって目にしたのはやはり盗賊に捕まっていた二人と騎士団の姿だった。
それを囲むようにいるのは、吐きそうな臭いが漂わせ、グニャリ、と果実が潰れるような嫌な音を立てて蠢くモンスター――歪な力によって蘇った存在であるアンデットだ。
しかも一体ではない。
何十体ものグールがいる。
「またゾンビかよ……」
今度は王都の人間か……。
それとも大昔にジャバウォックに殺された人間か。
腐肉鬼――グールがいるとなると、王都の人間だろう……。
ジャバウォックとは数時間の遅れだ。白骨そのものであるスケルトン化するには時間が足りまい。
「戦技・残影擊!」
「恐れるな!我らは王家の剣だ!」
護衛の騎士はそれなりの手練れらしくグールの数を確実に減らしている。
グォォォォォ!
だが、スティファノの剣を打ち合っているアンデットだけ明らかに他とは違う。
三メートルを優に超える巨体。
肩からネジくれた角のような刺が生え、腐り落ちた肉や枯れた皮膚をところどころに張りつけながら獲物を狩れる喜びに爛々と眼を輝かすアンデットから高い魔力を感じるのだ。
手にしたのは斧のように分厚い大剣と異様に巨大な盾。
その剣も盾も鎧までも返り血がこびりつき、赤錆のように赤黒く染まっていた。
見た目から並のアンデットじゃねぇ。
冒険者として戦ってきた魔物でもトップクラスだぞ。
ステータス魔法を使うとアンデットのレベルが表示される。
ブラッドナイト――レベル45。
おいおい……。
今までの魔物とは比較にならんぞ。
おぞましい鎧を纏ったブラッドナイトは俺とティアと眼?が合うと新たな犠牲者を見つけた喜びに高らかに咆哮した。
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
普通の冒険者ならこの見た目と声だけで萎縮するし、動きが恐怖で強張るだろう。
だが、今までとんでもない化け物を相手にしてきたんだ、この程度なら問題はない。
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
盾でスティファノを力任せに弾くと、俺めがけてブラッドナイトが走ってくる。
「まだ避難してないのか! 逃げるんだ!」
踏みとどまったスティファノが慌ててブラッドナイトを追いかけるが、巨体の歩幅と元々の速度が違う。
百メートル以上離れている距離を数秒で走ってくる。
低位のアンデットは動きは鈍く、反応も遅いが、高位のアンデットともなれば肉体のリミッターが外れ、生前よりも遥かに高い身体能力を発揮する魔物になるらしい。
ブラッドナイトはどうやら後者か……。
大型トラックでも迫るような威圧感がある。
のだが……。
「こっちはレベル150なんてチートと戦ってきたばかりでな、お前程度じゃ役不足だ」
ブラッドナイトの踏み込みよりも、さらに早い速度で懐に踏み込み、そのまま掌を硬い胸当てに押し付けた。
俺とブラッドナイトの踏み込みの速度で挟まれた胸当てはミシリと音を立てて亀裂を走らせる。
グォォォォ……。
反応できない速度での攻撃を受け、ブラッドナイトの足が止められる。
とてつもなく巨大で重い何かにぶつかったような衝撃。
体格で遥かに劣るはずの人間の出せる力ではない――。
ましてやこちらは生前よりもさらに高い力を出せるのだ。
距離が詰まったのはこちらに都合がよい。何せ、獲物が懐に転がりこんできたのだ。
アンデットである自分に痛覚はない。
故に骨が砕けるほどの一撃も痛みはないのだ。
ブラッドナイトは懐にいる小さな人間を切り裂かんと大剣を振り上げる。
当たれば粉々になるだろう、何千何万の敵を倒してきた大剣。
だが、ブラッドナイトがそれを振るうことはできなかった。
「炎神の抱擁」
ゼロ距離での分子振動によってブラッドナイトの身体が一気に燃え上がった。
グォォォォォ!
アンデットには効果抜群の炎。
しかも、その辺も魔法など比較にならない火力は鎧を融かし、大剣を握っていたはずの手が燃え落ち、ドスン、と剣が地面へ倒れる。
このままではあっという間に燃え尽きる。
ブラッドナイトは燃え落ちる前に引き裂けばいいと振り回したはずの腕がなく、急に視界が低くなった。
膝から下が炭化して崩れたのだ。
それだけではない。
肩も胸も首も、どんどんなくなっていく。
まるで子供が消ゴムで絵を消すようにブラッドナイトの身体が燃え溶けているのだ。
後に残った頭も粒子となって風に消えていく。
アアアア……。
ブラッドナイトがなす統べなく倒されて勝ち目がないのを悟ったのか、はたまた単純に上手そうだったからか、ブラッドナイトを取り巻いていたグールは標的をティアへと変えていた。
苦悶に呻くように、救いを求めるかのようにグールの何匹かは向きを変えると、こちらにヨタヨタと歩いている。
「ふむ、進ほど苦しみなくとはいかぬが、せめて苦しみは少なく天へと送ってやろう……」
ティアは魔力を高めると、一気に解放。放った雷の槍がさ迷うように揺れていたグール達を消滅させた。
遅れて追い付いてきたスティファノは俺の顔を見て驚愕したが、悠長に再開を喜ぶ場合じゃない。
「あ、あなた方は!」
「話は後だ! 残りを倒すぞ! 雷龍の鉤爪!」
そのまま開いた道を突き抜け、レティシア達へ群がっていたグールへと斬りかかる。
俺と騎士団に挟撃されたグールの群れは数分の後に倒されたのだった。




