魔皇
「――一体何が目的だったんだ??」
「狂人の考えることは私にはわかりません」
俺と美海は敷地内で同じような魔物を討伐したり、他の『曙』のメンバーを救助したりしつつ、廃病院で魔物が現れたと思われる手術室にいた。
魔物の痕跡を辿るのは難しくはなかった。
床に刻まれた足跡やぶち抜いた壁を辿れば簡単だ。
だが、そこに至るまでに『曙』のメンバーにも多数の死傷者が出ていたし、こちらも無傷ではない。
仮面のテロリストがいれば手傷を負ったまま戦闘になると思ったが、どうやらここにはすでにいないらしく、もぬけの殻となっていた。
「異能具も見当たらないし、目的も不明かよ」
「人体実験……と見るべきでしょうか。『龍鬼血』の……」
「反吐がでるな」
「ただ、魔物の強さを考えると奪われた方で厄介なのは『ギャラルホルン』でしょうね」
魔物は『曙』のメンバーでも倒せる。
だが、厄獣ともなれば戦えるメンバー自体が少ない上に、あれの戦闘力が問題だ。
かつて、厄獣の討伐に失敗し、三つの都市が廃墟になったのだから……。
「調査については警察や専門の『曙』に任すべきです。私達にできることはなさそうですし」
「まぁ、それもそうだな」
俺も美海も一端は手術室から出ようと踵を返した瞬間――。
ドクン!!
「「!?」」
得体の知れない感覚。
急に自分だけが世界から引き離されたような浮遊感のような奇妙な感覚に襲われた。
動いていないのにも関わらず、俺と美海の目の前の手術室が急速に遠ざかっていく。
世界が切り替わる。
「これって!?」
「あぁ……隔界だ!」
隔界――厄獣がこの世界に現れる時に必ず起きる異なる位相との狭間の世界であり、異世界との狭間の場所と呼ばれている。
都市そのものが色褪せただけのような世界や、広大な砂漠から密林。
さらに上と下もわからない宇宙のような空間から地平の彼方まで真っ暗な世界もある――。
狭間の世界は万華鏡のように絶えず形を変えるため、毎回景色が違うのだが――。
「今回は鉄骨の世界かよ……」
俺と美海がいたのは地下駐車か建設現場に似た場所で、むき出しの鉄骨が無数に立ち並びアスレチックジムのようだ。
その最下層にいた――。
ジメジメの密林とかも嫌だが、色気もへったくれもない。
湿った空気と薄暗さに顔をしかめていると、柱の奥から人影が姿を見せた。
「おんや? そこにいるのは鬼姫と修羅ではありんすかぇ?」
「鮮血と業火……お前らも病院にいたのかよ?」
「まぁな。ここに入れたのは俺達四人だけみたいだな」
郭言葉で話しかけられたほうを見るといつの間にかドレスと甲冑を合わせたような服装の少女とトゲトゲ頭を真っ赤に染めた青年がいた。
「あんまり、その名は好きではないです」
「俺もだ」
「そうか? 二十歳いってないのに渾名持ちなんて凄いんだがな」
渾名に対して嫌悪感を見せた美海に対して、業火はヘラヘラと笑っている。
(それに修羅って……)
誰がつけたか知らないが俺もあんまりこの渾名は好きじゃない。
てか、思い切り人類の敵の称号だし!
「それよりも厄獣はでてきたのか?」
「焦らなくてもでてきんす」
厄獣独特の気配は今はないので、落ち着いてられた。
隔界に取り込まれたのはこの四人だけのようだ――。
となると、あまり手練れはあの場には来ていなかったのか?
あの魔獣にやられた位だと……残念だが、この世界には入れないだろう。
どういうわけか、この隔界に取り込まれるのは異能力者の中でも手練れなのだ。
それ自体は何故なのか不明だが、ここに入れるのは一種の強さのステータスになる。
他の手練れは厄獣召喚に備えて別の任務に当たっていたのかもしれないが……。
などと考えていると鉄骨を足場に細長い影が俺たちを見下ろしてきた。
「おやおや? まさか四人も巻き込まれるとは――。キヒヒヒ……想定外だ」
「今回の厄獣はこいつか?」
「いえ……たぶん人間ですよ?」
「そこは疑問系にするのはやめてもらいたいものだがね」
人の心に染み込むような声の男性はワインレッド色のスーツが特徴で髪をオールバックに撫で付けてている。
見た目は人間なのだが、放つ気配が人外に近いぞ。
理知的な顔立ちなのだが、その瞳には静謐な狂気の光が踊っており、破滅を匂わせる雰囲気を放っていた。
「てか、お前って今回の異能力研究所を襲った例の仮面男じゃねぇのか?」
あんな目立つワインレッドのスーツを着ている『曙』のメンバーはいない。
「そうだとしたらどうしたね?」
「こうするんだよ!」
スーツ男の足元から凄まじい勢いで火柱が吹きあがる。
業火の渾名に相応しい火柱は離れていても汗が吹き出すほどで咄嗟に腕で顔を庇った。
離れていてもこの暑さ。人間など一瞬で炭化させられるだろう。
吹き上げる火炎に耐えられなくなったのか、溶けた鉄骨もろとも男の影が地面に落ちた。
まだ聞きたいことがあったのだが……さすがに死んだか。
「まだ『ギャラルホルン』について聞いてないのですが……」
「悪用されるよりましだろうが」
「いきなりとは……これだから火属性の異能力者は短気でいけませんぇ」
「まったくダゾ」
「「ッ!?」」
鮮血の言葉に対して、話したのは立ち上る火柱からの声。
人間ならまず生きられない炎のはずだ。
だが、火柱から聞こえる声はいたって平然としたもので、それが逆に俺達の背筋を凍らせる。
「まったく能力を自由に行使できる野蛮な輩は本当に話ができなくて困るナ」
火柱から蠢く影が次第に巨大な物に膨れ上がっていく。
「これほどの炎――生身では一溜まりもないか――仕方がないな、羽虫どもよ。刮目せよ……これが真の魔でアル」
口調が変わる。
轟、轟とした音に混じりバキバキと骨や肉の砕ける音とビリビリと何かを引き裂く音が聞こえてくる。
膨らんだ影は内側から強風を巻き起こして火柱を吹き払った。
「我は魔皇煉獄ナリ……」
ズン、と腹の底に響くような太く重い声とともに俺たちの前に姿を見せたのは紅蓮の悪魔だった。
「これは……化け物でありんすぇ」
三メートルを悠々と越える身体。全身が赤銅色の分厚い皮膚で覆われており、ばさりと広がるのは燃える炎の翼。引き裂いたような長い口からは逆さに牙が生え、かなりの高熱を放っているのか、破れた衣服が燃えカスになっていた。
顔は鬼を思わせる作りで側頭部から後方に一対の角が生えている。
煉獄と名乗った男は文字通りの悪魔――魔皇の姿となって俺達と対峙した。
「ククク……さすが封印指定の異能……。力が漲ル」
煉獄は指を曲げ伸ばししながら凶悪な笑みを浮かべている。
巨体による圧とは違う圧力に暑さとは関係なく汗が吹き出てくる。
あの施設にいた異形と化した人々と同じような気配――。
こいつ……まさか……。
「『龍鬼血』を取り込んだのか!?」
俺の言葉に美海は目を大きく見開き、鮮血と業火もギョッとした表情になった。
まぁ、自ら肉体を化け物にしようと思うなんて普通じゃありえないからな。
だが、あの肉体の変化と禍々しい気配――。
あの施設にいた怪物に酷似している。ただ、あれよりも遥かに気配が濃い。
「そうダ。だが、勘違いしてもらっては困ル。我が異能は魔人化――『龍鬼血』はより我の力を引き出すための一ピースに過ぎない」
要はパワーアップに必要だったってことか。
敵対する俺達にはたまったものではない。
「それだけなら他の人間を巻き込むなよな」
一人で密かにパワーアップしてろよと思う。
「力ある眷属が必要なのだったのだ。まもなく来る――ラグナロクに備えテナ。残念ながら適応者はいなかったが……」
「そんなことのために罪のない人々を魔に変えたのですか!!」
激昂する美海だが、俺はむしろ他のことに意識がいった。
ラグナロク――。
ゲームとか漫画でも聞く単語だが、本来は神話で神々の運命――だったか?
北欧の終末論で、神々の黄昏とも呼ばれて二種類の話があったが……。
神々と魔物が戦争になるんだったが、それが関係あるのか?
それに『曙』の一部の前で終末論が来るなんて言われると無視できない。
「拘束して詳しい話を聞いた方がよさそうかぇ」
鮮血が自らの指先を噛みきるとそこから血がまるで生き物のように延び上がり、槍の形になった。
血を操る能力で医療とかでも使えるし、血液不足の場所でも血そのものを増やしたり、即座に傷口を塞いだりもできるが、血を固めて武器にもできるのか……。
ただ、あの煉獄の身体を見ると並みの武器では歯が立たなそうだぞ。
血の中の鉄分を凝固させても鉄の高度だろうし。
「そうするしかなさそうだが……よ」
業火は相性を見て顔をしかめていた。
まぁ、先手必勝の火柱を防がれたからな。
しかも、煉獄の名前と見た目からも火属性に耐性があると見て良い。
俺と美海でどうにかするか?
権能なら悪魔だろうが神だろうが互角に戦える。
こいつが悪魔化の異能ならば本物の悪魔を超えるとは思えないし、実際、敗けそうにはない。
しかし、臨戦態勢の俺達には対し、煉獄は悠然としたまま――。
「ククク……黄昏の日は近いが待ちきれぬとは愚かなものヨ。よかろう、我もまだ肉体に力を馴染ませなければならんのでな。遊んでやろう――」
煉獄は指を鳴らし、逆向きの牙を見せつけるように笑った。
「やってみな」
「ほぅ……まさか同族がいるとは」
俺を見て煉獄が邪悪に笑った。
こんなのに同族扱いされたくないのだが……。
瘴気を孕んだ異質なオーラが煉獄から立ち上っていく。
「やれるものなら……やってみんす!」
鮮血が手にした槍を投げつけたが、それは煉獄の分厚い皮膚に弾かれ明後日のほうへと飛ばされた。
おいおい……皮膚は金属製かよ……。
「行くぞ――」
(こっちも権能で迎え撃つ!)
煉獄がゆらりと動き、俺が異能を使おうと身構えた瞬間――。
ガラスを叩き割るような音が世界に響き渡る。
頭を揺らすような大きな衝撃に俺だけでなく煉獄までもがふらついた。
「な、何事だ!?」
「馬鹿な! 『ギャラルホン』に共鳴か!? なんたるタイミングだ!!」
さっきまで余裕を見せていた煉獄が焦っている。
どうやらあっちにも予想外らしい。
……にしても、共鳴?
どういう意味だ?
だが、問い詰める前に事態はさらに悪化していく。
けたたましい音に続き、俺たちの前で世界がガラスのように砕け散ったのだ。
砕けた破片の下には絵画を何枚も透かして重ねたような歪な光景が広がっていたのだ。
高速で無数の景色が回転し、色彩が坩堝になっている。
本来なら元の場所に戻る――はずだ。
だが、直感が違うと訴えている。
この隔界が解けた先は本来いるはずの場所ではないと――。
「ぐうぉぉぉぉぉ!!」
ひび割れ行く結界の中、何かに抗うような声をあげる煉獄もまた姿がかききえていく。
得たいの知れない引力に抗えない!
強烈な視界の歪みに意識を持っていかれそうだ――。
美海達は――!?
美海や鮮血、業火も回転する世界に呑まれて遠くに飛ばされている。
くそ……意識が……。
遠退く意識の中、伸ばした手は虚しく空をきる。
それを最後にぷっつりと俺は意識を失った。