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魔物


 

 覚醒と半覚醒の間を漂うゆらゆらとした心地。夢心地の世界の中での時間は自覚した途端にシャボン玉が割れるように消えてしまう。

 

 ピチャン…………。

 

 どこかで水滴の落ちる音が響き、意識が覚醒する。

 

 ここはどこだ。

 

 頭を軽く振る。

 

 自分の名前は? 勿論、山下一郎だ。生まれた時からの名前なのだからそうそう忘れるはずがない。

 

 そこまではいいのだが、他のことがまったく思い出せない。

 

 出歩いた記憶もないし、正気を失うほどに酒を飲んだわけもない。

 

 どれくらい時間が経ったのかもわからない。

 

 それに妙だ。

 

 身体が動かない。

 

 なんとか動く顔をあげると、手術台のようなものにベルトで固定されているのだ。

 

 抜け出そうにもしっかりと縛り付けられ自分では外せそうもない。

 

 一体何が起こったのだ?

 

 声を出そうにも口に巻かれた布が猿轡になっている。

 

 考えられるのは誘拐されたとかか……。

 

 しかし、独身で生活保護で仕事もしていない四十過ぎの中年から巻き上げられる身代金など期待できるはずもない。

 

 それに、全身が熱い。

 

 見れば、他にも同じようにベットに固定されている人間が何人もいる。

 

 彼、彼女らは未だに意識がないらしく、眠っていた。


 彼らも同じように眠らされてここに連れてこられたのだろう。

 

 意識が覚醒してから急に喉の渇きが気になる。

 

 気のせいか、全身を襲う熱さが一層強くなっている。

 

 呼吸が自分の意識とは別に荒くなり、まるで内側から何かが膨らむような圧迫感があった。

 

 まるで体内で何か別の存在が自分の身体を侵食しているかのようだ。

 

「あぐぅぁぁぁぁぁ!!」

 

 得体の知れない不快感に全身が痙攣するが、固く固定されたベルトはびくともしない。

 

 凄まじい熱の高まりとともにボコボコと身体の至るところが膨らみだし、痛みと熱さで一郎の脳の回路は焼ききれたように意識を失った。

 

 だが、一郎はある意味幸運だったの だろう。

 

 他の者達とは違い、自らが異形の怪物となっていく姿を見ずに済んだのだから…………。

 

 ウルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!

 

 鼓膜を引き裂く咆哮と共に恐るべき怪物は夜の街へと解き放たれた。

 

 大量の悪魔の産声を背後で轟かせながら――――。

 

 ◆

 

 時は数時間遡り――

 

 時恵の依頼で俺と美海は二人で情報屋の元へと向かっていた。

 

 とある中華料理店の裏。

 

 繁華街にあるこの店は、多くの人が行き交い、情報の坩堝になっていた。

 

「この怪人が例の襲撃者ネ。見た目からしてふざけてるネ」

 

 語尾だけ独特の発音のこの男――本名不明の細身の長身で、小さな黒眼鏡をかけており、店でがめて来た肉まんを食べていた。

 

 情報屋が写真の襲撃者の姿を怪人と言ったのは納得だ。

 

 ワインレッドのスーツ服に三日月の笑みを張り付けた仮面をつけた長身痩躯の男なのだから。

 

 喜劇にでも出てきそうな姿の男は対異能力装備で武装した警備兵をいとも容易く葬っていた。

 

「その男、施設から出てから監視カメラで追えたのは漂流街手前までネ。あそこに逃げ込まれた以上はネットでの追跡はそこまでヨ」

 

 漂流街――。

 

 この燈都の一角を占める開発から放置され、密入国者、犯罪者、浮浪者……色々な人々の吹き溜まりとなっている。

 

 不衛生で病気も蔓延しているし、ネット環境なんて皆無なのだ。さらに衛星の監視も嫌って大量のボロ切れが街の上に張られていたり、至るところにバリケードとかもあり、警邏ロボットの進路妨害もされているらしい。

 

 なので、監視カメラで追えるのはそこに入るまでなのだろう。

 

 しかし、情報屋は得意気な表情でカードを一枚切ってきた。

  

「今の料金で教えられるのはここまでネ。追加の情報は高いヨ」

 

「あん? 漂流街から出たのを確認できたのか?」

 

 このエセ中国人め、足元見てやがる。

 

「まぁネ。それにこの情報。鮮度が大事なものネ。はやく買わないと大変なことになるヨ?」

 

「どういうことだ」

 

「そりゃ、金払ってからネ」

 

「かまいません。社長に許可は出ております。ちゃんと経費で落としますので」

 

「…………わかった。後で、『昴』宛に領収書送ってくれ」

 

 俺は時恵に渡されている仕事用のクレジットカードで支払った。

 

 俺の口座からは金が減らないので懐は痛まないのだから気楽だし、美海が経費で落とすで問題ない。

 

 後で、小言は言われるかもしれないが、依頼を解決できれば問題ない。

 

「オーケー。実は何人かの人間が漂流街から出てマイクロバスに乗ってたネ」

 

「そいつらと襲撃者との繋がりは?」

 

「簡単ヨ。漂流街の連中がバスをチャーターする金なんてないネ。それに保管庫から盗まれた封印指定異能具は――」

 

「『龍鬼血』か!!」

 

 俺は答えに行き着いて血の気が引くのを感じた。

 

 龍鬼血を使うには触媒がいる――。

 

 異形の怪物と言っても一体でできることは知れているだろう。だが、大量にそれらが発生すれば、被害は計り知れない。

 

 だが、触媒――人間――をどこで手に入れる?

 

 いなくなっても気づくことはなく、しかも、大量に短期間で人を拐うとなると――。

 

「漂流街の人間を触媒にするつもりか!!」

 

「彼らの乗ったバスは烏丸町にある廃病院に向かっていってたよ」

 

「ありがとよ!」

 

「ありがとうございます」

 

「まいどありネ」

 

 そこまで聞いた俺と美海は慌てて路地を抜ける。

 

 

「あれが例の病院か……」

 

「間違いないです。あちらに情報屋さんが言っていたマイクロバスもありますから」

 

 2人乗りバイクで一気に目的地へと駆け抜けたが、着いたころには既に日が傾きつつあった。

 

「他の『曙』の奴らもいるみたいだな」

 

 すでに先客がいるらしく、車やバイクも他に置いてあった。

 

 真っ赤な夕焼けはまるで鮮血のような鮮烈さで廃病院を不気味なほど赤く染め上げている。

 

 森の中に聳えた病院。

 

 敷地へは一般人が入れないようにアスファルトの壁に囲まれ、南京錠で扉も閉鎖されているが、俺は力付くでそれを破壊して奥まで進んできたのだ。

 

 しかし、ホラーすぎる不気味さだ。

 

 サスペンスとかで出てきてもおかしくないぞ。

 

 関係者以外立ち入り禁止の看板は雨風にさらされて錆びていたし、伸び放題の草木も不気味さを増す演出に一役かっていた。

 

 いかにもな景色に思わず俺と美海が顔を見合わせていると、木々の間から凄まじい速度で何かが飛び出した。

 

 いや、投げ飛ばされたと言ってもよかったが。

 

 地面を二転、三転と転がっていた物体――それを見た美海の口から小さく悲鳴が漏れるのが聞こえた。

 

 それは頭を砕かれ、肉塊になった人間。

 

 壊された人形のように手足が不自然な方向に曲がり、胸には引き裂かれたような傷が見える。

 

 恐ろしく鋭い傷は刀でも使ったか斬擊の能力かあるいは――。

 

 だが、それを悠長に観察する余裕はない。

 

 彼か彼女が飛ばされて森からさらに巨大な生き物が躍り出てきたからだ。

 

 かなりの重量らしく着地の衝撃で足元が揺れる。

 

「こりゃ、化け物だな……」

 

 額の左右の頭にそれぞれ生えた角に足と太い前肢。尖った口に並ぶ牙と筋骨粒々の岩のような肉体と分厚そうな赤銅色の皮膚。

 

 鬼と竜を合わせたような異形の獣――魔物とも呼ぶべきそれは暗闇の中、真っ赤に光る目でこちらを見据える。

 

「変異系の異能力者――ってわけじゃないよな?」

 

「進君――あれは、恐らくは『龍鬼血』の犠牲者です」

 

 美海は懐から栞を取り出すと、敵意を剥き出しにして眦をつり上げた。

 

 確かに、あの魔物の身体にはボロ切れのような布が所々にくっついている。

 

 恐らくは人間だった頃の衣服の残骸だろう。

 

「……もう戻せないんだな?」

 

「ええ……。もはやあれに人だった記憶も理性も心もありません。ただ、獣の本能のままに暴れるだけの怪物です」

 

 美海の手にはいつの間にか日本刀が握られている。

 

 美しい反りにそった波紋と妖しい輝きを放つそれは芸術品めいた美しさをもっていて吸い込まれるような魅力があった。

 

 美海のもつ異能具の一つだ。

 

 不滅の鋼によって鍛練された刃で厄獣に傷をつけることすら可能の名刀だ。

 

 美海は栞に書いたものを実体化させたり、他の場所から呼び寄せたりできる異能をもっているのだ。

 

「なら、討伐するぞ」

 

 俺は拳を硬め、低く腰を落としていつでも動けるように構える。

 

 血走った瞳が臨戦態勢に入った美海と俺を見据え、高らかに吠えた。

 

 ゴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!

 

 大気を震わせるそれを合図に俺と美海が同時に動いた。


 魔物の周囲に拳大の炎の玉が数十個も生まれると、俺達めがけて宙を駆ける。

 

「いくぞ!」

 

 俺は拳を、美海は刀を構えて左右から魔物めがけて一気に迫った。

 

 さっきまでいた場所に着弾した炎が弾け、俺達の背中を熱風が叩く。

 

 息苦しくなるほどの衝撃を利用して、さらに加速した俺と美海は一足飛びに魔物への距離をつめた。

 

「はっ!」

 

 美海の鋭い掛け声とともに突き出された刀が魔物の腕を浅く斬りつけた。

 

 さらに刀を高速で振るい、首筋、手首、内腿を狙うが分厚い皮膚の前に動脈には届かない。

 

(思ったより皮膚が分厚いですね。やはり今のままでは深手は与えられませんかっ!)

 

 しかも、人間を易々を投げ飛ばす膂力。

 

 一撃でも喰らえばバラバラにされる。

 

 魔物が振り回した裏拳の拳圧に前髪から焦げた匂いがあがる。

 

 かすっただけでも常人の骨を砕き、肉を抉るだろう。

 

(でも、あの力を使うわけにも――)

 

 一体でこれほどの魔物――。

 

 それが何体も街に放たれれどれほどの災害となるか。

 

「下がってろ!」

 

 思考する美海に魔物を挟んだ反対側から声があがる。

 

 直後、嫌な予感に美海は大きく飛び退いた。

 

「重拳!!」

 

 突進の勢いを利用して跳躍した俺は美海に気をとられてこちらに気づかない魔物めがけて拳を振り下ろしたのだ。

 

 ただの拳ではない。

 

 重力の異能を付加した重力拳だ。

 

 元々の進の超身体能力に加えた一撃は重機での一撃をも軽く上回る。

 

 魔物の顔が大きく歪み、クモの巣状の亀裂を走らせ、地面を陥没させながら魔物の顔が大地にめり込む。

 

「ハッ! 所詮は魔物。厄獣比べりゃどうってことないな」

 

 グルァァァァァァ!!

 

 対人なら頭が砕かれるほどの一撃だが、魔鋼で鍛えた刃でも通せない皮膚は打撃にも強いらしく魔物はめり込んだ頭をアスファルトから引き抜いて怒りの咆哮をあげる。

 

 角の片方が折れ、そこから緑色の血が垂れていた。

 

「うぉっ!」

 

 大気を引き裂いて振り回される拳や尻尾を俺はギリギリで避ける。

 

 あんなもので殴られれば大木で殴られるのと変わらない。

 

「っ……タフだな。魔物だけあって」

 

「油断しないで下さい! いくら進君の身体能力でも危険です!魔物は『曙』ですら脅威です!」

 

 そもそも、普通の軍隊なら一体の魔物でも相当な被害だ。

 

 いくら異能があっても、油断できない。

 

 身体強化ではない異能者なんて銃弾一発でも殺せるのだから――。

 

「わかってるよ。打撃は効果が低いようだな」

 

 ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!

 

 一向に攻撃が当たらないのに苛立ったのか、魔物は唸り声をあげながら拳を振り回してくる。

 

 体格差を生かして懐に飛び込んだので、魔物のほうも初手の火の矢は飛ばしてこない。

 

 自分に当たるのを嫌ったのだろう。

 

(一発でダメなら……何発でも打ち込んでやるか?)

 

 所詮は人の身体だ。

 

 アストラのような奥の手でも使わない限り限度がある。

 

 人がどれだけ鍛えても虎や熊相手に素手て勝てないように魔物と人間の身体能力の差は比べるのも虚しくなる。

 

「んじゃ……違う異能で行かしてもらうかな」

 

 俺の髪が逆立ち、青白い光を帯びていく。

 

「雷帝にひれ伏せ――鳴神」

 

 直後に世界が減速していく。

 

 ルォォォォォォ!!

 

 魔物の咆哮も舞う土ぼこりも、滞空する火の矢も全てが遅く感じる。

 

 体内の神経伝達速度の超加速により、今の俺は弾丸すらスローに見えるのだ。

 

 さらに能力を解放。

 

 右手が紅い光を帯びていく。

 

「終わりだ」

 

 俺はゆっくりと動く火の矢を平然と交わし、拳を振り上げている魔物に触れられるまで近づき、右手を魔物の胸――心臓の所に押し当てた。

 

「炎神の息吹」

 

 直後、俺の手は刃すら弾いた魔物の皮膚を易々と貫き、心臓を焼いていた。

 

 心臓を潰された魔物の眼からは光が消え、糸が切れたかのように崩れ落ちる。

 

「さすがに分子振動は防げないみたいだな」

 

 俺が使った能力は分子振動による加速と発熱による融解能力。

 

 どんな防御も貫通する異能だが、いかんせん加減ができないので、ほとんど使ってこなかった。

 

 犯罪者逮捕で触れたら手足がもげた――なんてことにもなりかねないのだ。


「相変わらずなんでもありですね」

 

「なんでもってわけじゃねぇよ。見たことある能力に限られるし、組み合わせは多いが、こんなの厄獣の王には通じねぇよ。まぁ、社長に言わせたら全然能力を使いこなせてないらしいしな」

 

 それでも、進の異能が異常だ。

 

 社長である時恵の異能力もそうだが、超能力の一言で片付けられない異能なのだ。

 

 系統も種類もバラバラの異能をあれほど複数持つ能力者は見たことがないし、記録もない。

 

「身体能力も異常ですけど、能力もですよね」

 

 刀を栞に戻した美海は一撃で絶命させられた魔物を見ながら呟いた。

 

 絶命した魔物はボコボコと肉体が歪みながら溶けている。

 

「まぁ、普通じゃないのは認めるが、それは美海もだろうが」

 

「権能持ちと一異能力者を一緒にしないで欲しいです」

 

 まぁ、一理あるが――。

 

 美海が本来の異能を使えば、俺との身体能力差は遜色ない。

 

 てか、絶命すると肉体は溶けるのか。

 

 気持ち悪いな……。

 

 厄獣に近いものがある。

 

 あれが出現する時は世界そのものが変わるのでわかりやすいが、こいつらは現実世界で現れたので被害はこっちのほうが出るかもしれない。

 

 厄獣は出現してから一定時間内に倒せば問題ないのだから……。

 

「急ぐぞ。他にも何体でたかわからないしな」

 

 俺なら脅威でもないが、Bランクの戦闘は最低四人がかりの討伐が基本。

 

 バイクや車の数を見てもそれほど多くの『曙』が来ているようではないので、危険度は高いだろう。

 

 さっきの殺された『曙』の男だってそれなりの実力があっただろうに。

 

(クソ……連れ去られた人数も聞いとくべきだった)

 

 後悔しても後の祭りなので、俺は舌打ちだけして敷地へと急いだ。

 

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