キャスパ諸島4
場所は変わってキャスパ諸島のとある島。
船で20分とかからない近場の島でレベル15~20程度の魔物が出てくる初心者向けの島だったのだが――。
「くそっ! なんなんだこの魔物は!? レベル60なんてこの島にはいないはずだぞ」
「助けてよ! 置いていかないでよ! あんた前衛なんだから楯になりなさいよ!」
「るせぇ! お前こそ魔法でどうにかしやがれ!」
「さっきから使ったわよ!でも、まったく効かないのよ!」
男一人、女一人のパーティーは死に物狂いでジャングルを走っていた。
いや、さっきまで男二、女一のパーティーだった。
日もくれて来て、そろそろ戻ろうかと言う時にそいつは現れた。
スライム程度の弱い魔物やビッグエッグと呼ばれる巨大な卵の殻を被った魔物ばかり現れる島でいるはずのない巨大な魔物。
キメベロス
レベル60
蛇、狼、熊と三つの異なる魔物の首をもたげ、木々を踏み倒しながら現れたそいつは呆然としていた男の一人を一噛みで上半身と下半身を分けてしまった。
新品の鋼鉄性の胸当てがまるで豆腐のように食い千切られたのを見た瞬間、残された二人は我が身が先とばかりに逃げていた。
それをいたぶるようにキメベロスは二人を追いかけていたのだ。
猫が捕らえたネズミをなぶるようにいつでも追い付けるのに、敢えて恐怖を与え、それを楽しんでいるのだ。
「あ…………」
恐怖で足がもつれた女魔導師が体勢を崩して地面を転がった。
二転、三転と泥をまみれになりながら転がった女魔導師を振り返りもせず男はひたすら走る。
助かった。
男の中で沸き起こったのはその感情だ。
どす黒い喜び。
女を襲っている間にジャングルを抜けて船に飛び乗ってこの島から出る。
(へへ、悪く思うなよ! 転けた自分を呪うんだな!)
黒い喜びに笑いを噛み締めていた男だったが、それは本能数秒で絶望へと変わった。
頭上から迫った生暖かい腐ったような臭いの風と生臭い縄のような唾液を感じ――。
直後、男が見たのは幾重にも並んだ牙がギロチンのように落ちてくるおぞましい光景だった。
◆
「あ……く……」
泥まみれになりながら立ち上がった女魔導師は何故か生きていた。
真横には巨大な爪痕。
あの魔物は自分ではなく、自分を見捨てた男戦士を先に追ったのか?
なぜ?
答えなど決まっている。
戻ってきて仕留めるなど容易いからだ。
頭上に落ちている影を見上げた瞬間、女魔導師はそれを痛いほど実感した。
死ぬ順番がわずかにかわっただけだったのだと。
目の前に立ち塞がってこちらを見下ろすキメベロスの蛇の口から男戦士の足がプラプラと不気味に揺れていた。
まるで枝にかろうじて付いている枯れ葉のように力なく揺れているのだ。
その身体はもうあの怪物の腹の中なのだろう。
そして、数秒後には自分も――。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫し、滅茶苦茶に魔力を練って魔法を放とうとする。
効かないのはわかってる。
せめてもの意地だ。
怪物はそんなもの理解しないだろう。
でも、黙って喰われるなんてしてやるものか!
死を覚悟してまで放った火球。
今まで放ってきた火球とは比較にならない巨大な一撃。
ツヴァイクラスしか使えなかったはずの一撃はフィーアクラスにも匹敵するものになっていた。
過たずキメベロスに直撃したそれは爆炎と熱波を撒き散らし、煙が視界を覆うほどの爆発を巻き起こした。
(これが――人間の底力よ! 黙ってやられるなんてごめんよ!)
全魔力を加減なく放った女魔導師は抗えない脱力感でその場に崩れ落ちる。
一矢報いれた――。
人生で最大の威力の魔法をまともに受けたのだ。いくら強くても――。
煙が晴れるなか蠢く巨体を見て、その考えがいかに甘いか思い知った。




