第六話 チャンポンメイリン
グラたん「第六話です!」
次の日。朝六時に起床したパルは身支度を整え、厨房に向かった。
そこでは既に咲夜がせわしなく動いており、簡単な挨拶を済ませると同時にパルも調理に加わった。朝食を食べ終えて午前中の掃除の時間になり、パルは昨日同様にバケツと布を持って廊下に出ようとすると咲夜が一旦待ったをかけた。
「パル、少し待ちなさい」
「どうかしましたか?」
「昨日も言いましたが、出来る限り能力を使用することを心掛けなさい。それに、万が一の時は私が何とかしますから。例え失敗しても構いませんよ」
「はい!」
昨日のこともあった翌日にこんなことを言ったら落ち込むかなぁ、と考えていた咲夜はパルの予想を裏切る元気な返答に思わず涙腺が緩くなってしまった。
例え、これがレミリアであれば、何言ってんの!? それでもメイドなの!? もしくは、昨日の今日で出来るわけないでしょ! 馬鹿なの? 鬼なの!? とヒステリックを起こしている所だ。
パルが完全に出払ったのを見て、咲夜は厨房で静かに泣き始めた。
それはともあれ、廊下に出たパルはとりあえずは何も考えずに布を水に浸けてからよく絞り、窓を掃除し始めた。パルとてどんな状況で、どんな条件で能力が発動するのか分からないのだ。こういう時は考えるよりも体を動かす方が良いとパルは知っている。
しばらくして、パルはそっと隣の窓を見た。
そこには昨日同様に大量のバケツと布があり、布はフワフワと浮いていた。
パルは一度目を強く閉じ、これが夢でありますようにと念じつつ目を開けた。
――現実は何一つ変わらず、パルは声の高い猫のような悲鳴を上げて廊下に倒れ、すぐに咲夜が救助した。
咲夜もただ泣いていたわけではなく、自分の仕事をしつつも空き時間には時間を止めて移動し、時間の許す限りパルの能力の発動を見ていたのだ。そして同時にパルの仕事ぶりも観察していたのだが、其方は特に問題はなかった。
紅魔館の何千という窓を綺麗にし終えたパルはまた厨房にて目を覚まし、咲夜と一緒に昼食の準備を整え始めた。作っているのは主に自分たちの分だ。
主であるレミリアは午前及び午後四時くらいまでは起きない。吸血鬼であるため日光には弱く、活動時間は夜の方が多いのだが、咲夜やパルは一応人間だ。生活習慣も大分違い、夕食の後、夜の十二時以降は咲夜も就寝してしまうため余程のことが無い限りレミリアと会う者は少ない。
余談だが咲夜は時間を止めても寝られるためその気になれば一秒間だけ時間を止めてその間に十分な睡眠をとることが出来る。そのため傍からは二十四時間働く奴隷――否、従順なる清楚なメイドとして見られることもある。
ともあれ、バケツを仕舞い、布を干し終わって手を洗ったパルは咲夜に仕事が終わったことを報告していた。
「お掃除終わりましたよ、咲夜さん」
「お疲れ様です。やはりパルが居ると早く終わって助かります」
「えへへ、そうですか?」
途中、全く記憶が無いにしても仕事がしっかり終わっていると咲夜が言っているのでパルはその言葉を信じていた。
昼食がてら咲夜と一言二言交わしていると、咲夜が午後の予定を聞いてきた。
「そう言えばパルは午後の予定は何かありますか?」
「ありませんよ」
特に予定はなく、この後はパチュリーのいる図書館で本でも読みながら養生しようと考えていたパルはそう答えていた。
「なら、少し付き合って貰っても良いですか?」
「はい」
頷き、また食事を手を進めた。
昼食を食べ終えた二人は紅魔館の前庭に出て陽に当たっていた。
「ん~」
今日の天気は快晴と言っても差し支えないほど良く晴れており、紅魔館の一角ではシーツや洗濯物が風ではためいていた。
パルは大きく背伸びをして全身で気持ち良さを伝えている。
それを見て咲夜も少しだけ目を閉じていつもより大きく息を吸って吐いた。
目を開け、咲夜は数歩歩いてパルの正面に立った。それを見てパルは咲夜に尋ねた。
「それで何をするんですか、咲夜さん?」
「パルのおかげで今日から午後が空くので、無理のない程度にパル自身を鍛えようと思います。何せ幻想郷には妖怪も数多くいますからね」
「なるほど」
そうは思いつつもパルも年頃の少女だ。パルから見ても咲夜は同年代くらいに見えるし、実際その通りなのだが、どうせなら何処かに出かけたりしてみたいな、とパルは思った。
「それと能力の使い方、弾幕の作成……後は買い物ですね」
何故一番まともなのが最後に来るんだろう、ともパルは思った。
咲夜が表情を引き締めたのを見て、パルも少しだけ緊張する。
「最初は能力の使い方からです。それを知らないことには鍛えようがありません。そういうわけなので使ってみて欲しいのですが――先に実践して見せた方が良いでしょうね。ちなみに私の能力は――」
そこで言葉を区切り、時間を止めて咲夜はパルの背後に回った。
「時間を操る程度です」
突如正面から咲夜の姿が消え、背後から声がしたことにパルは驚いて振り返った。
「うわっ! 何時の間に背後に……」
あまりにも可愛らしい反応に咲夜は一瞬だけ時間を止めて微笑する口元を直した。だが、それでも微笑は続き、咲夜は諦めて停止を解いた。
「ふふっ、使い方を間違えなければ便利な能力ですよ」
「でもそれだと居眠りとか手抜きとか……やりたい放題ですよね」
それを言われ、咲夜は何とか視線をそらさず答えた。
「そんなことしませんよ。特に掃除の手抜きは許しません」
咲夜とて真面目な振りはしているが実際に能力を多用していることは否めない。特に夜の寝つきは良いのに朝の寝起きは非常に悪く能力を使って心行くまで二度寝する常習犯だ。その分だけ働いているため誰も責められはしないのだが……。
「はい」
それでも尚、自分のことは棚に上げてパルを脅した。
「後、ちゃんと働いていなかったら下着を抜き取りますからね」
「ひぃ」
自分の知らない間に下着が無くなることを想像し、パルは少し怯えた。それを見て咲夜もやってしまった、と反省した。だがそれは過ぎた事と意識を切り替え、パルに指示する。
「さて、説明も終えたことですし、やってみてください」
「そう言われても何をすれば良いのでしょうか?」
確かに、と咲夜は思う。一応昨日の夜にこっそりとパチュリーからパルのことを聞いていたのだが、特に深くは考えていなかった。
「うーん……増幅系の能力ですから、例えばそこの石の数を増やしてみるとかでしょうか?」
「やってみます」
とにかく何してみれば分かると思い、パルは石に手を向けた。意識的に物体を指定したのが功を奏したのかパルの右手が僅かに白く光り、その白い光が石に当たって、石が二つに増えた。
「増えた……」
パルは確かに今、一つだった石を二つにしようと思って使ったのだが、まさか本当に出来るとは思って無く、目を見開いて驚いた。
これには咲夜も表情には出さず内心で驚いていた。
「しかしこれではイマイチ全貌が把握できませんね。雑草を毟ってください」
咲夜に言われるがまましゃがみ、近くの雑草を取ってみると今度は一瞬で前庭の雑草が抜けてしまった。これを見て咲夜は首を傾げてパルに聞いた。
「……パル、今どの程度抜こうと思いましたか?」
パルもあまり意識していなかったが、どうせやるなら全部抜けたら良いなぁ程度に思っていたため自分でもどうしていいのか分からなくなっていた。
「えっと、一応前庭の雑草を全部です」
「前庭には花や一見雑草に似た花もあるのですが……その区別は?」
「えっ!? そうだったんですか!」
咲夜に言われ、パルはギョッとして立ち上がり前庭を見渡した。
「していないのですね。しかし、抜けているのは全て雑草……範囲指定とかはしましたか?」
「し、してません」
それを聞き、咲夜は口元に手を当てて考え始めた。
「……ただの四則演算ではないなら高等数学? いえ、それなら範囲指定をしなかったことに説明が――」
「さ、咲夜さん?」
考えが口に出ていたことに気付いた咲夜は一度咳払いをしてパルを見て、エプロンの内側から一本のナイフを取り出した。
「パル、一つ試したいことがあります」
「はい?」
「このナイフを私に向けて投げてください」
咲夜の言葉に流石にパルも慌てた。
「ええっ!? そ、そんなことしたら咲夜さんに刺さっちゃいますよ!」
「私の能力は時間を操る程度ですよ。それに素人が投げた程度のナイフに刺さることはありませんので。ともかく、私に当てるつもりで、能力を使って投げてください」
パルとしてはあまり暴力的なことはしたくなかったのだが、咲夜の言い分も最もであり、自分の能力を調べるために親身になってくれている咲夜の気持ちを無碍にしないためにもパルは頷き、ナイフを手に取った。
「……分かりました。当たっても時間停止して暴力しないでくださいね?」
「ええ。あ、それと能力はちゃんと使ってくださいね?」
「はい。それじゃ、行きますよ」
予め一言合図してからパルは右手に力を込めてナイフを投擲した。とはいえ、人にナイフを投げるのはあまり得意ではないパルは投擲する瞬間目を瞑っていた。瞬時に時間を停止した咲夜はそんなパルを見て嘆息しつつも同時にパルではしょうがないと考えていた。
だが、その考えは正面を見据えた一瞬で吹き飛んでしまった。
「――っ! 冗談でしょ!?」
そこに、空中に浮いていたのは辺り一面、前庭を埋め尽くすほどのナイフだった。それらの刃全てが咲夜を狙っており、食らえば即死は免れないのを悟って心底同様した。
実に、それは咲夜自身の死を意味している。咲夜の能力は便利な反面、自分の精神力に左右される。
具体的には自分が絶対強者であるプライドと自負があれば咲夜はどんな状況であれ能力を発動させることが出来、例え紅魔館の最上階から落ちようとも受け身さえ失敗しなければ無傷で前庭に着地出来る。そう、停止した時間において傷やダメージは一切ないのだ。
その代わり、一瞬でも揺らぎ、動揺すれば停止は即座に解けてしまう。今もその状況に陥り、能力が一瞬とはいえ解除されてしまった。その一瞬でナイフは更に眼前へと迫り、今にも咲夜を貫かんとしていた。
咲夜は一度目を瞑り、大きく深呼吸して呼吸と動悸を整えた。これは動揺した時に何度も使う方法であり、一番効率よく落ち着ける方法だった。
完全に落ち着いたのを見計らって目を開け、咲夜は空中に浮かんで止まっているナイフを両手に持ったナイフで弾きつつ、絶対安全地帯であるパルの背後へと移動した。
「……解除」
咲夜が呟くと同時にナイフが動き出し、咲夜が居た場所に致死量のナイフが突き刺さっては消えて行った。あまりにもゾッとする光景にまた動悸が少し早まり、咲夜は必死に押さえつける。そしてパルから少し距離を取って呟いた。
「使用後に消すことも可能ですか……」
今までは何も分からなかったが、今の一連を見て咲夜の脳裏には一つの仮説が浮かんでいた。
「うう……」
一方でパルは……絶対咲夜に直撃したと思い込んでいるため、目を少し開いては閉じる動作を繰り返していた。それを見て咲夜は背後からパルに声をかけた。
「パル」
咲夜の言葉にパルは目を開き、背後を振り返った。
「は、はい! ってまたそんなところに!」
パルのホッとした表情に咲夜は微笑みながらも続けた。
「少しだけ貴方の能力が分かりました」
「そ、それで?」
「恐らく、物を増やす程度の能力ですね」
「でもそれだと雑草の件に説明が付きませんよ?」
「そう、雑踏にしても窓ふきや掃除にしても説明が付きません。それならばと私は一つ仮説を立てました。もし、物の数を四則演算で計算して増減できるのならば、と」
「計算してませんよ?」
「無意識領域の演算ということも考えられますが、それであるならば先程渡したナイフがあれだけの数に、それと一瞬で増えたことに説明がいきません。では、単純に数を増やす能力ならどうでしょう」
「えっと、それはつまり一本のナイフを二本や三本に出来るということですよね?」
「ええ。試しにこのナイフを五本に増やしてみてください」
「はい」
咲夜から渡されたナイフを受け取り、念じると五本に増えている。
「わっ! 増えた!」
ネックなのは持続時間ですが……消えませんね。もしかしたら――と咲夜は思う。
「では元のオリジナルを残して他は消してください」
「はい……えっ?」
今度はパルの手からナイフが消え、咲夜は小さく唸った。
「あれ、消えた……」
「持続時間も自由自在ですか……では次にもう一度五本に増やして、今度はオリジナルも消してください」
「良いんですか?」
「いくらでもありますから」
「分かりました」
パルはもう一度ナイフを増やし、今度は全部を消失させた。
「オリジナルも消せましたね」
「はい」
「では、ナイフを一本生成してください」
「はい。――――…………」
パルは言われた通りに念じ、ナイフを作ろうとイメージする。もう一度目を開けてみると、その手にナイフは無かった。
「生成してください」
「生成!」
咲夜に言われて今度は口に出してまで気合いを入れて念じたのだが、やはり結果は変わらずに増えなかった。
「パル?」
「うう……出来ません……」
咲夜に言われたことが出来ない、というのはパルの自信を著しく傷つけた。咲夜が無茶振りしていることに気が付けば良かったのだが、パルは生真面目だ。
「有を無には出来ても無から有は作れないということですか。分かりました。もう良いですよ」
「すみません……」
パルが深く頭を下げると今度は咲夜の方が申し訳なく思えてきてしまった。ただ、それをすると謝罪合戦になるため咲夜は何とか飲み込んで会話を次へと進めた。
「大丈夫ですよ。代わりに結論を出します」
「はい」
「結論として、パルの能力は『数を操る程度』の能力でしょう」
「数を……ですか?」
パルはイマイチピンと来ていないようで首を傾げた。
「ええ、先程のようにナイフや物質の数を自在に増減出来るということです。更に『数』であれば恐らく何でも可能なのでしょう」
「数、かぁ」
「そして同時並行による処理能力――此方は自前のようですね」
つまりは幻想郷の中でも希少な『二重能力持ち』で、もっと言えば『物事を同時並行処理する程度』の能力は一般的な人間でも持っているがそれが能力化した場合はまた話が違う。それこそ物事を同時に十個百個を同時に処理するくらいが普通だ。例えて言うのなら聖徳太子もその能力持ちだった。
ともあれ、この能力とパルの能力が合わさったのは実に極悪と言わざるを得ない。しかし、ただの雑草刈りや掃除に使われているのが現状だ。
「凄い能力ですね」
パルも少しだけ自覚したようで、他人事のように頷いた。
「ただし、使用時にはちゃんと使う数を決めなさい。ぼんやりした大雑把な不定数では危険すぎます」
咲夜が真っ先に危惧したのは能力の使用についてだ。
「現に先程のナイフを相手に投げる攻撃でも、その能力を併用すると必殺の投擲になります。それが如何に危険か分かりますか?」
「そっか、『数を操る』だから一回の攻撃で万や億の攻撃が出来るということですね」
「はい。自覚出来たのなら大丈夫ですね。能力の使用は主に私の目の届く範囲にしてくださいね」
「使用不能にはしないんですね」
「使い道があり過ぎますから」
咲夜の言う通り、例えば肉や野菜を一つだけ買って増やすということも出来るが、それをすると農家の野菜価格が著しく偏ることになる。また野菜を作って増やして売ることも考えられる。
「あくまでも節度を守って使えば良いんですよね?」
――根が良いパルならば大丈夫でしょうね、と咲夜は思う。事実、パルはそんなことを考えもしていない。
「ええ、重々注意してください。さて、そろそろ肉体的トレーニングに入りましょうか」
「はい!」
身体トレーニングが始まり、その最中も咲夜はパルを観察していた。時間が経つにつれて咲夜は一つ小さな溜息をついた。
――本当に『自身の肉体を数字化して鍛える』とか『走る距離を1mにする』とかに気が付かないのですね。生真面目というか何と言うか……私としては今のパルの方が好みですけれど。ただ本当に気を付けなければいけないのは彼女の発想力。例えば『1gの金を1tにする』とか『紅魔館の数を増やす』とか『幻想郷を5つに増やす』、『希少な生物の数を増やす』などでしょうか? そんなことを咲夜は脳裏で考える。
「なんにしてもパルの動向には要注意しておきましょう」
パル自身と能力は紅魔館に易があるのは間違いないが、一歩間違えば致命的なことにもなりかねない。ある意味核爆弾のような存在なのだ。
ある程度して咲夜はパルから目を離し、正門前にいる門番、紅美鈴を呼びに行った。美鈴自身は非常にマイペースで職務中でも居眠りすることが多い。今日もそれに倣って爆睡していた。そこを咲夜に発見されてナイフで刺されるのがお約束。今日も紅魔館に美鈴の悲鳴が響き渡った。
咲夜に言われたトレーニングメニューを終えたパルは一休みして紅魔館を見渡していた。何度見ても紅魔館の前庭は良く作られており、見栄えが良い。紅魔館周辺に森と湖畔があるため空気も澄んでいる。
少し待っていると咲夜が美鈴の首根っこを掴んで歩いて来た。そして美鈴を空高く放り、美鈴はとっさに空中で体勢を立て直して着地した。
「パル、次は武術の鍛練です。武術の基礎はチャ――美鈴が教えてくれます」
危うくいつもの口癖を出しそうになり、咲夜は焦る。美鈴自身ぞんざいな扱いをされているためか、一番若輩の咲夜にすら酷い扱われ方をしている。しかし美鈴自身は若干天然も入っているためかあまり気にしないことが多い。それが原因でもあるのだが。
着地した美鈴は咲夜の紹介を引き継いで良い笑顔でパルに挨拶した。
「初めまして、あたしは美鈴。よろしくね」
「よろしくお願いします、美鈴さん」
パルの言葉に美鈴は心を打たれた。
――いつもなら中華丼(レリミア様談)だのジャッキー(パチュリー様談)だのチャンポンメイリン(咲夜さん談)って呼ばれているのに! ……いやいや、安心するのは早いよ美鈴。ちゃんと先輩としての威厳と体裁を持って――。
「ああそれと彼女のことは好きに呼んでいいですよ。拉麺でも核ミサイルとでも」
そう考えている合間に咲夜が冗談を入れ、美鈴は破顔して叫んだ。
「咲夜さぁん!?」
――もしこのまま拉麺や緑一色とか呼ばれた場合、当分立ち直れないだろう。
「なら、美鈴先輩?」
そんな美鈴の予想は裏切られ、敬称を付けられたことに美鈴は喀血した。
「ゴファ!」
「うわぁ!?」
それを見て咲夜は思う。……確かにチャンポンメイリンは色々と不遇な目に遭っていますからパルの言葉は地獄に垂れる蜘蛛の糸と言ったところ、と。
美鈴は喀血したまま地に伏し、パルを見上げてその手を取った。
「ふ、フフ、あたしをそんな風に呼んでくれたのはパルが初めてよ……ばたっ」
勝手に茶番を始めた美鈴を見て咲夜は心の中で溜息を入れ、蔑んだ視線で見下してその顔面に蹴りを入れて吹き飛ばした。そのあんまりな扱いにパルは目を丸くしたが、美鈴にしてみればいつもされていることの延長線上でしかないため体勢を立て直して此方に走って来た。
「馬鹿やってないでパルに武術を教えなさい」
「あ、そうでしたね。じゃあまずは基礎の型から教えるよ」
それで良いのか、とパルは思ったが美鈴が大丈夫そうなのを見て頷いた。
「よろしくお願いします」
美鈴が『よろしくお願いします』という言葉を最後に聞いたのは一世紀くらい前だ。レミリアにしろ、パチュリーにしろ、咲夜にしても命令されるのが普通であり、頼まれることはあまりない。
美鈴は感動のあまり小さな嗚咽を漏らした。