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吹雪の来訪者

あと一話更新します。

 

 窓際に設けられたベッドに横たわり、老人は外の景色を力なくながめていた。


 雪の日は動物も気配を潜め、森は穏やかで、暖炉にくべた薪のはぜる音が眠気にうつらうつらとなった老人の意識を覚醒させる。


 となりを見ると、小さな木の椅子に腰をかけた少女が老人のベッドに突っ伏す形で寝息をたてていた。


 老人は肉が落ち、血管が蔓のように浮き出た手で少女の頭を数回なでる。


 起こしたら申し訳ないな、と思った老人であったが、気持ちよさそうに頬をゆるめた少女を見てその心配は杞憂だったと悟る。


 強い風が吹き、窓がカタカタと震えた。外へ繋がる戸外が叩かれたように音をたて、傍らで眠る少女がわずかにたじろいだ。


 昨晩から降り続いた雪は止む気配を見せず、荒々しい吹雪となった。


 家が壊れやしまいか、と老人は立て付けの悪い戸外を睨み危惧する。この家を建てたのは自分がまだ若い頃で、建築知識の浅い人間、若い頃の老人が一から建てたのだ。


 どこから吹き入ったか知らぬすきま風に身を抱くことは一回でなかった。

 そのため、老人とともに暮らす少女は、山を降りて街で暮らそうと提案した。


 しかし、老いた身体で山を降りるのは困難で、街の人間に下山の協力を頼む金もない少女は渋々引き下がった。



「はやく、おじいちゃんを元気にさせるから待っててね」と言って。



 それからというもの、少女は薬草学などの難しい本を懸命に読みあさり、晴れた日の午後には小さなナイフを腰に携え、小動物を狩りに出掛けた。


 狩った獣を、移動販売で老人の家へ訪れた商人に売っているらしい。


 愛想のいい商人で、たまに老人の話し相手にもなってくれる。


 ――この雪じゃ、来れないな。


 話し相手を欲しているいま、彼と語りたかった。森で大きな足跡を見たこと。空を流れる七つの光を見たこと。そして、自分が死んだあとのことを。


 開くことのない戸外を老人はながめ、自分の人恋しさに気づき恥ずかしくなった。


 そのときだった。

 先ほどまで老人の視線を集めていた戸外から鳥が木をつつくような音で、コンコン、と聞こえた。


 老人は外の吹雪を一瞥いちべつし、気のせいと考えた。が、またしても同じように戸外からコンコン、と音が聞こえ、老人は吹雪の来訪者を訝しんだ。


 傍らで眠る少女の肩を揺すり起こし、布団へ潜るよう小声で囁く。

 戸を叩く音は断続的に聞こえる。

 最初、眠そうに目をこすっていた少女だったが老人の意図を理解してからは早かった。

 素早く老人の拡げた布団へ潜りこむと、亀のように布団から顔を覗かせて、定期的に音を鳴らす戸外を見据えている。


 弱く、枯れかけた声で「どちら様ですか」と老人は問うた。

 少女を胸に抱き、相手の反応を警戒する。


 すると若い男の声で、「旅の者です」と返ってきた。優しげな声だと老人は思った。


 少女も厳つい声を想像していたのか、安心した表情をしている。

 男はさらに続けて言った。


「麓の街、エレガスナからやって来ました。この山でしか採れない薬草を採りに来たんです」


「〝ゆきね草〟!」と少女が反応する。「昨日の夜ご飯に使った薬草」


 この地域の名産ということで当然老人も知っていた。

 よく知ってるね、と少女の頭を撫でると男へ言った。


「……何もないが入りなさい。スープを飲んで暖をとるくらいはできる」


「ありがとうございます」


 扉がゆっくりと開き、牡丹雪をはらんだ寒風が暖炉に暖められた部屋に吹き入った。


 老人のもとまで雪は運ばれ、少女の髪に落ち着くと、灯りが消えるようにして静かに消えていった。


「わあ……綺麗」


 雪を払ってから家へ入った来客に、少女は感嘆の声を漏らした。


 雪のように白い髪に、少女と老人を見る双眸は紅い色をしている。身に纏う外套も白く、少女は一瞬、この旅人が雪に何か特別なえにしのある、人間とかけ離れた生き物のように思えた。


 男は戸外を閉めると自分に雪が残ってないのを確認し、二人のもとへ歩み寄った。


「初めまして。イラといいます。ミアさんに、テンズさん」


 人の良さそうな笑みにミアは「はじめまして!」と元気よく答えるが、テンズと呼ばれた老人は違った。


 初対面なのになぜ自分らの名前を知っているのか、老人は警戒をあらわにイラを睥睨へいげいする。


「外はとても寒かった。図々しいのは承知なのですが、スープをいただけませんか? 色々と話したいことがあります」


 色々と話したいこと、その言葉の〝色々〟の部分に心当たりのあるテンズは、年相応に力なく笑って応えた。


 ――きっともう、お別れだ。


 スープを温めようと、キッチンへ駆けるミアの姿を追うテンズの瞳には、諦観の色が浮かんでいた。


「ベッドに寝て話すのは失礼でしょう。テーブルへ移動したい。肩を貸してもらっても?」


「弱っているのですね」


「この雪です。吸えませんから」


 イラに肩を貸りる際、テンズはそうこぼした。




 × × ×




 キッチンから香るスープの香りに、イラは食指が動く。左手で空腹とばかりに腹腔をさすり、テーブルを挟んで対峙するテンズへ「ミアさんはよく料理をするのですか」と訊ねた。


 テンズは笑って答えた。


「私が倒れてから……そうですね。二年くらい前からです。妻はとっくに亡くなってますから」


「これは失礼しました。思い出したくない話だったでしょう」


「いえ。もうすぐ自分も死ぬんです。死んだらまた会えますよ」


「死期を延ばしているのに?」


 間髪を入れずに質問され、テンズは答えに窮した。


「……どこでそれを知ったのですか」


「他人の受け売りです。移動販売の彼、最近弱ってるらしいですよ。熱にうなされ、商売をやる気力もない。身体に異変を感じ始めたのは、あなたが倒れた頃と同時期らしいです」


「それは……申し訳ないな」


「でもそうしないとあなたは死んでしまう。ミアさんを残して」


 二人は、鼻唄をうたいながらスープを混ぜるミアを見る。身体に不釣り合いなエプロンをつけ、楽しそうに料理をしている。


「悪いことをしている自覚はあります。しかし、私が死んだらミアはまた昔のように独りになってしまう。ミアの母、私の娘はミアが六歳の頃に姿をくらましたんです。ちょうど雪の降る日だった」


 テンズは窓の外をながめ、かつての情景を想起する。


「ミアの父は負魔ガルマに襲われ、娘はひとりでミアを育てた。私たち両親の協力もありましたがね。あの日、娘は森に出た負魔ガルマを狩るため、麓のエレガスナにある家から、ミアを残して森へ入ったんです。ここも森の中ではありますが、もっと深い森へと」


 イラは真剣な表情で話を聞いている。


「翌日、雪は止んで私は狩りに出た。森へ行きました。すると、木々がなぎ倒された場所へ出て、私は雪に埋もれた血濡れのペンダントを発見したのです。娘のペンダントです。不安に思った私たち夫婦は、山を降りて娘の家へ向かった」


 普段よりも饒舌になったテンズの呼吸は荒くなる。「長く喋ることがないんですよ」と、心配するイラに笑ってみせる。呼吸を整えるのにしばらくの時間を要した。


「……ミアは最初、私たちを娘だと思ったのでしょう。戸を開けるとすぐさま駆けてきて、〝お母さん〟と呼んで私の腰へ抱きついたのです。……ひどく震えていました。こんなにも震えるのかと、私はミアに触れることが恐ろしくなった。ミアは料理の並んだテーブルで、手をつけることなくずっと娘を待っていたのです。訪れたのが私たちと知ると娘の行方を尋ね、そして私たちは答えに窮した。……それを見て察したのでしょう。父と同じように母はどこかに行ってしまったのだと。私は忘れられない……忘れられないんです。あのときのミアの震えに、表情が抜け落ちる姿が……」


 うつむき、悲しげな雰囲気を漂わすテンズにイラは「事情はわかりました」と言う。


「残酷なようですが、それでもあなたの行いを悪と糾する人間がいる。命を奪い、自分のものにする能力を、許せない人間が。僕はその人に依頼され、あなたのもとへと訪れました」


「……ゆきね草は」


「すいません、嘘をつきました」


「構いませんよ。しかし、ここを訪れた記念に、降りるときにはゆきね草を持っていくといい。身体が暖まって、穏やかな気分になれる」


「それはいいですね。この件の依頼主は寒さに弱いんです。いまの時期はとても寒い。重宝するでしょう」


 続けてイラは言った。


「さらに、その依頼主は子供の涙にめっぽう弱い。もし、今回の件で少女――ミアさんが独りぼっちになってしまうなら、私が養ってやると言っていました。学校に行かせることだってできるし、私自身が教鞭を振るうこともできると」


 老人の目が見開かれ、瞳には活気が宿った。


「それは……本当ですか」


「ええ。あの人は冗談はつけど嘘はつきません」


「……その依頼主について教えてください」


「女性で、動物が好きです。森を歩いていてうさぎにでも遭遇したら、しばらく足を止めてしまう。もしそのうさぎが怪我をしていたら、怪我を治そうとする女性です。嘘をついた自分ですが、これは嘘ではありません。優しい、女性ですよ」


「掃除が苦手なのが欠点ですが」とイラは笑って付け足した。


「……もう、吸わなくてもいいんですね」


「移動販売の彼も元気になります」


「謝らないといけませんね、これまでのことを」


 憑き物が落ちたようにテンズは微笑んだ。

 キッチンから、「スープできたよー!」というミアの声があがって、老人は孫の作ったご飯を、はじめて味わえるのだと思った。


「いい匂いだ」


 二年前から失われていた食欲がよみがえるように、老人のお腹からは、空腹を知らせる音が鳴り響いた。



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