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ア・ゴースト

作者: akko

月も星も無い夜だった。突然、神社にお参りに行こうと思い付いたのは。寝ている妹と父親を起こさないよういに、そっと布団から出て、コートを着た。少し厚めの靴下を履き手袋をはめて、家を出た。空は薄い雲に覆われて、一面グレーだった。こんな夜の空は好きじゃない。辺りの家の灯りは消えて、街灯だけが私の歩く道を照らした。時折吹く風は、ナイフみたいに冴えて、身体を刺した。風は低く唸って、不気味だった。街灯は所々消えかかっていて、灯りが点いている街灯には、無数の小さな虫が群がっていた。吐く息は白かった。鼻の上がつんとする。まるでそこにだけ寒さを集めたように、冷たかった。

 歩いて五分ほどで神社に着いた。時間は午前一時近くだったので、神社には人影は見当たらなかった。暗闇の中に巨木が何本も並ぶその光景は、夜に見ると大層不気味に思えた。これで月の光でもあったなら、少しは違ったのかもしれない。近くの道路には、車は通っておらず、改めて田舎だなあと感じた。

 私は小さく息を吐くと、神社の中へ入って行った。夏は、お祭りでにぎわうけれど、それ以外の日はほとんど閑散としている。私のように、思い付きとはいえど、お参りをする人などいるのだろうか。短い石段をいくつか上り、本殿に着いた。本殿のすぐ横には、最近切られたという巨木があった。直径百五十センチメートル以上はありそうだ。

 私は財布から十円玉を五枚出すと、まとめて賽銭箱に投げ入れた。一枚も零れず入ったのを確認すると、鈴を鳴らし手を合わせた。

願い事はいつも同じ。父と妹がいつも幸せでありますように。そして母の病気が良くなりますように。短く瞼を閉じると、私は心の中でそう願った。

 巨木があったところに目をやると、人影がひとつ、見えた。その人影を、私は知っていた。彼だ。

 「かんちゃん」と呼びかけると、人影がゆっくりとこちらへ向かって歩いてくるのが分かった。彼はどんな顔をしているのだろうか、と私はいつも想像する。

 「またこんな遅くに。どうしたの」と、彼は言った。彼は怪訝そうな顔をしていた。けれど半分は笑っていた。

 「なんでもないの。ただ、ちょっと、お願い事がしたくなって」

 と私が言うと、彼はため息を吐いて、「こんな真っ暗な中を女の子一人で歩くと危ないよって何度も言ってるのになあ…」とか、他にもブツブツ言っていた。けれど私は気にしない。夜闇は恐くないし、それに冴えた冬の夜の空気が好きだから。

 「寒くないの?」と、私は着物の衿を整えていたかんちゃんに問い掛けた。すると彼は、ああ、大丈夫。感じないし。と言ってそっぽを向いてしまった。ああ、そっか。と私は心の中で納得した。時々、彼はもうこの世の人じゃないということを忘れる。彼はもうすでに死んでいるという意識が、彼と会う回数を重ねる度に薄れていくような気がした。

 「ねえ、話そうよ」そう言って私は石段に腰掛けた。彼は私の隣に腰掛けた。

 「最近変わったことは?」と、私が質問すると、彼は「ないよ。ないない」と言って首を横に振った。

 「俺はずっとここにいるけど、何も変わらないよ。背が高くなったりもしないし」

 「ユーレイって成長しないの?」

 「さあ。知らない。俺はきっと死んだ時のまんまで、これから成長するなんてことないと思うけど。他の幽霊はどうなんだろうね。俺、他の幽霊に会ったことないからわかんないや」

 「え?かんちゃんはユーレイに友達いないの?」

 「いないよ」

 「じゃあ、ずっと一人?」

 「うん。ずっとひとり」

 あれ?その話したことなかったっけ?とかんちゃんは言う。私は、今日初めて聞いたと言った。するとかんちゃんは「そっか」と言って小さく笑った。

 「何年、一人なの?」と、私は聞いた。

 「さあ。覚えてないなあ。でもあの木よりは、全然短いけどね」と、かんちゃんは切り倒された巨木を指差して言った。

 「でも、ここに来る色んな人、観察できるでしょう」と言うと、彼は「まあ。少ないけどね」と言った。

 「毎朝、お参りに来るおばあちゃんがいる」

 と、彼は思い出したように言った。

 「もう八十を過ぎたくらいの人なんだけど。毎日、一人で。ちゃんとした服を着て、化粧も少しして」

 「うん」

 「春も、夏も、秋も冬も。暑くても、雨でも雪でも、ちゃんと来る。それで、いつも一人なんだ」

 「うん」

 「こんな錆びた所に、何を祈りに来るんだろうって、いつも不思議に思ってさ」

 「かんちゃんは、そのおばあちゃんが、何を祈っていると思うの?」

 「…さあ。わからないよ。人が何を祈っているのかなんて」

 「そうだね。私も、わからない。わからないよね」

 

 「そろそろ、帰った方がいいんじゃないの?」そう言ってかんちゃんは立ち上がった。

 「あ。そうだね」と言って、私も立ち上がった。

 「送っていけなくて、ごめん」

 と、かんちゃんはいつも同じ台詞を申し訳なさそうに言う。

 「いいんだってば。気にしないで。大丈夫。すぐだから」

 「それよりかんちゃん」「キスして」

 私がそう言うと、彼は少しだけ屈んで、私のおでこに小さくキスをくれた。

 「ありがとう。おやすみ。また来るね」

 そう言って私は彼に手を振った。すると彼も小さく手を振り返してくれた。かんちゃんの姿が段々と小さくなって、やがて闇に紛れて見えなくなった。彼は別れ際、いつも悲しそうな、泣き出しそうな表情をしている。私の気のせいかもしれないけれど、私はそんな彼を見る度に、切なくなる。

 明日も来よう。雨が降っても、雪が降っても、どんなに凍えそうなくらい寒くても。彼はきっと待っていてくれる。彼と会うことができるうちは、何度でもここに戻って来よう。



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