夜の庭園にて 2
夜の庭園にいつものように旋律が響く。
帰りの遅いイリアス様のため、セシリアは庭園で待つことが多かった。
望まれて歌うことは珍しい経験で、戸惑いもあるけれど、それ以上にうれしい。
歌えることも、歌を喜んでくれることも。
セシリアが個人的に歌を聞かせたのは母と祖父、乳母、それから父代わりの司教様と友人くらいだったから、そもそも他人に聴いてもらうこと自体が新鮮だった。
(人に喜ばれるのは、うれしいことね)
多くの人が集まった舞台。自分を取り巻く歓声。
一度だけの晴れ舞台を思い出すと、胸が痛む。
失ったのが光でよかった、とはさすがに言えない。けれど、声を失うよりはずっとよかった。
自分の声が誰かに届いたときに生まれる笑顔が大好きだった。
たとえ誰にも届かなくても歌っていたい。
歌うことはセシリアの命そのものだから。
(それに、聴いてくれる人もいるもの)
あれからほとんど毎日イリアス様に求められて歌っていた。
よほど遅いときは話をするだけだが、大体は夜が深くなる前に帰ってきてくれる。
恩返しというにはささやかだけれど、少しでもイリアス様の慰めになるならうれしい。
夜毎に望まれるこのひとときが長く続けばいい、いつの間にかそう思っている。
何も求めないイリアス様に少しでも返せるのなら、と。
(でも、このままじゃいけないわね)
優しさに甘えてはいけない。
故郷に帰りたいとは思うけれど、それは叶わぬ望みとすでに諦めている。
セシリアがこの瞳を持っている限り、許されはしないだろう。
帰れないなら帰れないなりに、この国で生きていかなければならない。
いつまでもイリアス様のお世話になっているわけにはいかないと、自らに言い聞かせる。
「ありがとう、セシリア」
歌が終わり、イリアス様が手ずからお茶を入れてくれた。
こうしてお茶をしながらいろいろな話をする。
話題は主にセシリアの故郷の話だ。
「そうか、セシリアの国には騎士はいないのか」
「ええ、王宮にも警護の兵士はいましたけれど、王から授けられる騎士のような身分はありません」
「そうか、こちらでは騎士は王に仕える兵士であると同時に貴族階級の一つでもあるんだ」
平民から騎士として認められる者もいるという。
話には聞いたことがあるけれど、実際にこうしてその国の人から話を聞くと驚きも大きい。
「イリアス様もそうなんですか?」
「僕は元々貴族の家柄から騎士団に入ったから、少し違うかな」
「貴族なのに騎士団に入るのですか?」
セシリアには不思議だったけれど、この国では珍しいことではないと言う。
「よくあることだよ。 騎士団の長官も貴族出身だし、騎士団の半数くらいはそうかな」
跡継ぎになれない次男や三男は騎士団に入ることが多く、能力によっては文官になる者もいるそうだ。
「セシリアの国ではどうなんだ?」
「私の国では神官になるか婿入り先を探すか、ですね」
男子のいない貴族の家に婿入りをすることもあれば、平民の家に入って職人になることもあると聞いてイリアス様が驚いた。この国ではあまり無いことらしい。
「でも貴族の方で一から商売を始めたとかは聞きませんでしたね。
商家に婿入りした方は聞いたことがありますけれど」
クラリスのお姉さんは貴族からお婿さんを貰ったと聞いていた。
それだけでもイリアス様にしたら驚きの話だったようで質問が次々に飛んでくる。
そんな風にお互いの話が面白くて、つい時間を過ごしてしまう。
長話をするには夜の庭園は向いていないとわかっているけれど、この時間が楽しみで心待ちにしていた。
イリアス様はとても忙しいみたいで日のあるうちに帰ってきたことはない。
そんなイリアス様を待つのも好きな時間だった。