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夜の庭園にて 1

 イリアスが屋敷に戻るとミリアレーナが玄関から出てくるのが見えた。

「どうしたんだい? ミリィ」

 声を掛けるとセシリアに肩掛けを渡しに行くという。

「こんな時間に外へ?」

 とうに日は沈み、高く昇った月が周りを照らしている。

「ええ、庭園がお気に召したようですね。

 もうしばらく外にいたいとおっしゃるので、掛ける物をお持ちするところです」

 そう言って、ミリアレーナは腕の中の肩掛けを示す。

「ああ、それなら僕が持っていくよ。 彼女と話もしたいし」

 朝は中途半端なところで話が終わってしまった。

 人となりを知るには十分だったが、それだけでは足りないと感じていた。

 ミリアレーナを下げ、庭園に足を向ける。

 早春の夜風は冷える。

 あまり外にいない方がいいが、部屋に閉じこもっていても気が滅入ってしまうのだろう。

 脳裏に浮かぶのは今朝見たセシリアの姿。

 庭園で花に囲まれて笑っていたセシリア。

 しかし、ふと振り返ったときに見えた顔は不安に青ざめ、手を握り締める姿だった。

 隠して見せない彼女の心の内を覗いたことが申し訳なく、声を掛ければ無神経に心情を暴くと思えば何もできなかった。

 笑顔でいても不安じゃないわけがない。

 当たり前のことだ、遠く離れたこの国に流れ着いて、いきなり光を失って……。

 どれほど恐ろしかったことか。

 それでも近づけば彼女は微笑むだろう。

 繊細で儚げな容姿からは想像もつかないほど、芯が強い。

 放っとけなかったのはそのせいなのかもしれない。

 彼女を面倒事とは捉えず、手を伸ばしたのは。

 わずかなりとも彼女の心を支えたい、あんな不安に震えないでいいように。

 気丈に振る舞う彼女のあんな姿を見てしまった今は、余計にそう思う。

 月明かりの落ちる庭を銀色の影を探し歩く。

 目立つはずのその姿を見つけるまで少し時間を要した。



 庭園の奥で彼女を見つけた時、僕はその場から動くことが出来なかった。

 噴水に腰掛けた彼女の姿は冴え冴えとした月の光の中で幻想的に浮かび上がる。

 画家なら絵筆を取らずにはいられない神々しさだった。

 しかし、イリアスの足を止めたのは絵画のような美しさではない。

 風に乗って聞こえてくる。

 細い、けれど遠くまで響く声。

 セシリアのくちびるから零れる旋律は控えめな音量でありながら辺りに響き渡り、周りの時を止めた。

 先程まで感じていた肌寒さも消え、胸の内から暖かさが湧いてくる。

 瞳を閉じたまま旋律を紡ぎ上げるセシリアは、神々しささえ感じさせる姿で歌い続ける。

 周囲の空気が変わったような空間で、セシリアの歌が止むまで僕は一言も発することが出来なかった。

 唐突に歌が止まり、セシリアの顔がこちらを向く。

 何故、と思い辺りを見回すと足元で小枝が折れていた。

 歌が止むと同時に先程の空気は消え失せ、冷たい夜気が肌を撫でる。

 あまりの変容に夢を見ていたような気さえする。

「セシリア」

 呼びかけて近づくと、セシリアは笑みを浮かべて僕の名前を呼ぶ。

「お帰りなさいませ、イリアス様」

「ただいま、セシリア。 あまり遅くまで外にいると、体に障るよ」

 肩掛けを羽織らせ部屋に戻るようそっと促すが、セシリアは「平気です」と言ってまだ部屋には戻りたくなさそうだ。

 顔色は良いので無理に帰す必要もないだろうが、風に当たりすぎるのは良くない。

 せめて直接風に当たらないよう、遮る位置に立つ。

 ただでさえ冷たい水に体力を奪われた後だ、風邪をひいたら辛いだろう。

「さっきは…、何を歌っていたんだい?」

 聞いたことのない歌だった。彼女の国に伝わる歌だろうか。

「あれは水の神様へ恵みの感謝を歌ったものです。 ここはに水が流れているから…」

 噴水の音が聞こえるのだろう。セシリアの微笑みは穏やかだった。

 うれしそうに手を伸ばし、水を掬い上げる。

「不思議ですね。 水の音がするのに潮の匂いがしないのは…。

 私の国では潮の香りのしない場所がなかったので、新鮮です」

 海に囲まれた島国から来たセシリアには驚きのことらしい。この国は一部を除いて平野が広がっているので、セシリアが見たら地平線の長さに驚くかもしれない。

 見せられないのが残念だった。

 セシリアは自分の歌が周囲に与えた影響を感じていないように自然体だ。

 さっきの効果が気のせいなのか確かめようとセシリアに頼む。

「セシリア。 さっきの歌を、もう一度歌ってくれないか」

 違う曲でもいいし、と言うとセシリアはにっこり笑って、別の旋律をくちびるに乗せた。

 先程とは違う、甘く伸びやかな声。

 歌っているセシリアは美しく、どこか安心したような、穏やかな表情をしている。

 心地よい曲だが、先程のように空気を変じさせはしない。

 やはり幻なのかと自問して首を振る。答えを出すのは早すぎる。

 最後のメロディが終わる。拍手をする僕に一礼して今の歌が春の訪れを祝う歌だと聞かせてくれた。

「セシリアは歌手なのか? 今まで聞いた中で一番感動したよ」

 僕の問いにセシリアは戸惑った顔で答える。

「え、いいえ? 歌手、とは違うと思います。

 歌手というのはお金をもらって歌を歌う方のことですよね。

 私は神官として海の神様に捧げるために歌っていましたから」

「なるほど。 だいぶ違うね」

 こちらでいったら聖歌を歌うシスターのようなものかもしれない。

 セシリアの所属していた神殿というのはこの国の教会とは仕組みも、信じる神も違う。

 彼女の祖国は海に囲まれた国らしく海に住む女神を祀っている。

 海王妃レーウァ。

 戦から逃れ、海を彷徨っていた亡国の王子と婚姻を結び、王子と民たちに住む島を与えたという神。彼女の国の始祖はその女神と王子の子供だと言われ、今でも王家は神の血統として尊ばれているという。

 その神に使える彼女も浮世離れした神秘的な印象をしている。

「私は司教様のお世話をしながら歌を歌っていました」

 確かにセシリアの歌はそれだけで力を持った祈りだった。

 身動きが出来なくなるほどの力。

 現に僕も歌っているセシリアから、目を離せなかった。

「セシリア…、もしよかったら、またこうして歌を聞かせてくれないか?」

 意識せず願いが零れた。セシリアが頷くのを見て胸にじわりと喜びが広がる。

 微笑みに隠された不安が少しでも紛れるように、彼女願いを知りたい。

 そう思っていたはずなのに気づけば自分が願っていた。

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