目を覚まして 3
イリアス様の足音が離れていってからしばらく、セシリアはぼんやりと風に運ばれる花の香りを楽しんでいた。
春の日差しは穏やかに温かく、気を抜いたら眠ってしまいそうな心地よさだ。
穏やかな風が頬をなで、通り過ぎていく。
時折知った花の香りが届き、心を和ませる。
(遠く離れた場所にも同じ花が咲くんだ―――)
もしかしたらよく似た別の花かもしれない、それでもセシリアには知った花と同じに感じられた。
(不思議ね…)
海に落ちたときは死ぬことも覚悟していたのに、こうして生きている。
ここは中央大陸の南東にある国だと話してくれた。
そんな遠くまで流されてきたことに純粋に驚く。
言語も風習も違う遠い大陸。ここまで死なずに流れてきたのは海が守ってくれたからだろう。
言葉が通じてほっとした。外の国に出ることなんてないと思っていたけれど、勉強していて本当によかった。
本でしか知らない場所に自分がいると思うと夢のような気がする。
流されて遠くの国に流れ着くなんて、まるで物語みたい。
(神殿の外に出ることも考えたことなかったものね……)
まして他国に行くことなんて、想像もしなかった。
目覚めた時は真っ暗で実感がなかった。けれど聞こえてくる音や肌に感じる空気、漂う香り。全てが自分の知っていた世界と違う。
何処にあるのかもよくわからない場所。それでも自分のいた国とどこかで繋がっている。
自分は本当に運がいい。助けてくれた人は優しく、とても気を使ってくれて、医者を呼んでくれたり、家に住まわせてくれたり、さっきのようにセシリアを気遣って色々と話しかけてくれたり……。イリアス様には感謝してもしきれない。
午後、また医者が来ると言っていた。
死を受け入れようとしたときは感覚が麻痺していたのかもしれない。迫りくる死にも諦めが先に立っていたから。
けれど、助かった今、光を失った事実は受け入れがたく感じていた。
何故―――?
そう問いかける心に理性が答えを返す。
わかっているでしょう、と。
その答えが恐ろしくて現実を否定したくなる。
けれど、どれだけ目を逸らしても真実は目の前にあった。
深呼吸をし、ゆっくりと瞳を開く。
時間をかけて辺りを見回した後、再び目を閉じる。
目を閉じれば華やかな庭園が浮かぶのに、開いた目には光すらも映らない。
テーブルの上に置いた手が震え出す。
(怖い……)
震える手を握り締めて呟く。
真っ暗になった世界。
知る人のいないこの世界でたった一人。
強く握るほどに手の震えは大きくなっていくような気がした