突然の痛み
穏やかな風を感じながらイリアス様の帰りを待つ。
イリアス様は身体に障るから部屋で待っているように言うけれど、風は心地いい。
暑くなるのはまだ先のことだろう。
肌で感じる限りでは、ウィスタリアの気候とそう変わらない。
神殿でも、今頃は同じような風が吹いているだろうか。
ひんやりとした泉の水を撫でながらそんなことを考える。
みんな、どうしているだろう。
ウル様はこの時間なら祈りを済ませてもう休んでいるかもしれない。クラリスなら寝台で本を読んでいるか、談話室で誰かと話しているだろう。
満ち足りた穏やかな日々。今のように新しいことに驚いたり心躍らせたりすることはないけれど、幸せだった。
何の心配も不安もない日々は短く、とても大切なもの。
戻れない今も宝物として胸の中にある。
二人の、みんなの笑顔を思い浮かべた瞬間―――。
「――…っ!」
突如胸に針で刺されたような痛みが走った。
衝撃に呼吸が止まる。
「…! ……っ!」
痛みは一瞬で消えた。けれど、全身が凍るような恐怖で、上手く息が出来ない。
「………」
まさか、と嫌な想像ばかりが頭を回る。
否定したいのに確信していた。見つかってしまったと。
落ち着こうと深く呼吸をしてるつもりなのに、動揺のためか少しずつしか息が吸えない。
動悸が治まった頃、ちょうどイリアス様が帰ってきた。
「セシリア? どうしたんだい、顔色が悪いようだけど…」
「あ…、いいえ。 少し風に当たり過ぎたようです」
今起こったことは言えなくて咄嗟にごまかす。
「部屋まで僕が送るよ」
そう言って腕に抱えられる。立ち上がれそうになかったのでイリアス様の腕に甘える。
「本当に顔色が悪い。 今日はもう休んだ方がいい」
身体の震えも寒さのせいだと、そう思ってくれればいい。
もたれる胸から伝わる暖かさが心を落ち着かせてくれる。
瞳を閉じてイリアス様の腕だけを感じる。さっきのことが、悪い夢であればいいのに。
寝台に横になると額にイリアス様の手が優しく触れる。
「おやすみ」
手が離れてしまう、と思ったときには手を伸ばしていた。
思わず掴んだ手の感触に驚いて手を離す。
イリアス様はとても驚いているみたいだった。困惑している気配も感じる。考えてみれば、セシリアから手を掴んだのは初めてのことだ。
そこに思い至ると一気に顔に熱が集まった。どうしたらいいのかわからず離した手を彷徨わせる。
おろおろと言葉を探していると、イリアス様は体調が悪いせいで不安になったのだと解釈してくれたみたいだった。
「眠るまでここにいるから」
さっきよりも優しい手つきで撫でられてどう答えたらいいのかと迷う。
シーツに横たわったまま見上げると穏やかな微笑みと目が合った。その瞳を見ていると何も言えなくなってしまう。
(違う。 きっと、何も言葉はいらないから…)
だから黙って手を握りなおす。
不安を溶かす優しさに、甘えていたい。
ほっと息を吐いた瞬間―――。
そこを狙ったように鋭い衝撃が身体を貫いた。
「……っ、…!」
最初とは違い、痛みの波は絶え間なく襲いくる。このまま心臓が止まってしまうのではないかと思った。
震えながら痛みに耐える。
胸を押さえ、少しずつ息を吸う。浅く、わずかしか入ってこない呼気。
苦しさよりも細かな針が刺さるような感覚のほうが辛い。
イリアス様が人を呼ぶ声が微かに聞こえる。薄れそうな意識を保とうと強く身体を抱きしめ、自分を確かめる。
(どうして? やっぱりダメなの?)
何度も何度も繰り返した問いが心に浮かぶ。
(許しては、もらえないの?)
痛みと悲しみに涙が滲む。
(遠い場所でひっそりと生きることすら許されないのなら、私は……)
義母に、義姉に、望まれていることが胸を刺す。
支えるように回された手にも気づけないほど、痛みは強く、大きかった。