海辺の人影
波の音が聞こえる。
春先とはいえ夜明け前の海辺は冷え、暗い海は人を拒むような闇色をしていた。
息を吸うとひんやりとした空気が胸の中に入っていく。
潮風に混ざる香水の匂いに顔を顰める。
大した時間側にいなかったのに未だまとわりつく残り香はその主同様に華やかで、離れた今も存在を感じさせた。
舌打ちしたい気持ちで身体を払う。その程度で香りが消えないことはわかっていたが。
足を止めると静寂が突き刺さる。
先ほどまで身をおいていた喧騒が遠い世界の出来事のような錯覚を起こしそうだ。
陽の射さない海は暗く、うねる波間は誘うようにも、拒むようにも見える。
(らしくないな……)
感傷めいた思考に嘆息する。
まるで疲れているみたいだ。
自嘲しながらも海から目が離せずにいた。
波音だけが耳に届く。
ぼんやり海を見ていると、しばらくして乗ってきた馬がいないことに気がついた。
辺りを見回すと岩場で何かを突いている。
近づくと砂地に広がる銀色の髪が見えた。
(……人!?)
駆け寄って確かめると、岩場の陰に人が倒れている。
暗闇でもはっきり女性だとわかるほっそりとした肢体。
腰まである長い髪。俯せで顔は見えないが、随分と若そうだった。
腕を取って確かめると、冷え切っていたが脈はある。
とりあえず生きていたことにほっと胸を撫で下ろす。
ここからなら医者を呼ぶより連れて行った方が早いだろう。
抱き起こすと、驚くほど白い顔が現れた。
白く滑らかな肌、まっすぐに通った鼻梁に柔らかそうな唇。
双眸は銀の睫に縁取られ、まるで一流の芸術家が己の理想を体現させた彫像のように繊細に整っている。
青ざめてはいても息を飲む程の美しさに、思う。
海辺に倒れていた、美しい銀髪の女性。
――まるで、おとぎ話に出てくる人魚のようだと。