自覚
どうしたらあの瞳に僕のことを移せるんだろう。
ここ最近、ずっとそんなことを考えている。
流し込む酒がやけに苦い。
ひんやりとした液体は喉の奥で熱いものに変わる。
久々に酒場で飲んでいたイリアスに同僚の騎士が近寄ってきたが、ぼうっとセシリアのことを考えていたイリアスは最初呼びかけに気づかなかった。
「久々に来たと思ったら一人酒か? こっちのテーブルに来ればいいのに」
「いや、今日は遠慮するよ」
正直誰かと同席する気分じゃない。
断ると同僚はそれ以上誘わずになぜか隣に腰をおろした。
「で、彼女と喧嘩でもしたのか?」
「?」
セシリアと喧嘩なんてするわけがない。
意味がわからずにいると同僚の言葉には続きがあった。
「ここんとこ終わったらすぐに帰ってたじゃないか。 残務があるときもさっさと片して、付き合いにも顔出さないだろ」
言われて初めて気がつく。
イリアスの表情を見た同僚が呆れる。
「何、もしかして気づいてねえの?
噂がこんなに大きくなったの、お前のその行動が原因だぞ?
あのイリアスが一人の女のために毎日早めに帰ってる、ってな」
確かに最近は夜会に出るのも最低限断れないものだけにしていたし、出席しても顔見せ程度ですぐに帰っている。
「……」
「今まで誰かに合わせたり、何日も通いつめたりしないお前がその人のために毎日家に帰るようになったんだ、そりゃ噂も広がるさ」
呆然と話を聞いているイリアスに同僚は苦笑した。
「お前は目立つから色々言われるだろうが、一人を想うっていうのはいいことだ」
僅かに年長の同僚はわかったように頷く。
すでに結婚して子供もいる彼にとっては通った道なのだろう。
手の中のグラスが音を立てる。傾いた口から酒が零れそうなのをぼんやりと眺める。
キヅイテナカッタノカ……。
サイキン……。
ヒトリヲ……。
残りの酒を一息に飲み干す。
「帰る…」
そうつぶやいて席を立つ。
同僚は意味ありげな視線を投げただけで、何も言わなかった。
「イリアス様?」
セシリアは部屋にいた。
何も言わないでいると立ち上がって近くまで寄ってくる。
「お酒を飲まれてきたんですね」
その表情にも、言葉にも、なんの含みもない。
「きゃっ!」
「来てくれないか」
抱え上げて連れ去っているのに何を言っているのかと、靄の向こうの理性が言う。
腕の中のセシリアはおとなしく、されるがままでいる。
自分の私室に入りドアを閉める。
そういえば最近は自室に帰るより先にセシリアのところに行っていた。
そんなことにいまさら気づく。
「イリアス様、ここは?」
足が止まったことで目的地だと察したようだ。
「僕の部屋だよ」
「まあ。 私、初めて入ります」
「ああ。 僕も初めて人をこの部屋に入れた」
使用人以外でこの部屋に入ったのはセシリアだけだ。
ゆっくりとセシリアを床に下ろす。
壊れないように大切に、大切に…。
自分がわからない。
僕はどうしたというんだ?
「セシリア」
引き寄せ、顔を覗き込む。
「目を、開けてくれないか」
そっと頬に触れる。
ゆっくりとセシリアが目を開いた。
美しい、けれど…、何も映さない瞳。
「目を閉じて」
目を閉じたセシリアをじっと見つめる。
いくら見ても見えない。
女性たちが僕に向ける好意や欲望。
拒絶さえ見えない。
だから…どうしていいのかわからない。
例えば今、キスをしたら君はどう思うだろうか。
頬に添えた手に力が入りそうになる。
望まないことはしたくないのに。
抱きしめたい、触れたい、と思っている自分がいる。
強く抱きしめて、そのままくちづけてしまいたい。その頬にも髪にも、余す所なく想いを刻みたい。
触れたい、キミに……。
「…っ!」
何を考えているんだ、僕は。首筋に降りかけた手にぞっとする。
「イリアス様?」
瞳を閉じたままセシリアが小首をかしげる。
「いや、すまない…」
本当にどうかしている。
「歌って、くれないか」
眠るまでここにいてくれ。
言葉は最後まで口に出来ず、眠りに落ちて行く。
柔らかなのはベッドの感触だろうか、セシリアの手だろうか。
押し寄せる眠気に、もはや確かめることも叶わなかった。