噂 2
好き勝手な噂はイリアスの耳にも入っていた。
ピリピリした様子に同僚の騎士たちも話しかけようとはしない。
イリアスが何よりも不快に感じていたのはセシリアを貶めるような噂が出まわっていることだった。
決して清廉ではない貴族たちがセシリアの噂をするだけでも嫌だ。自分を棚にあげてよく言う。
セシリアの清らかさを知っているからこそ、なお不快だった。
『美しさを武器に近づいた』貴族の一人が言っていたことを思い出して剣の柄を握る手に更に力がこもる。
訓練だというのにイリアスの形相に怯え、同僚たちはみな対戦相手にならないように目を逸らしていた。
噂は屋敷にまでは伝わっていない。
外に出る使用人たちは当然皆知っているが、セシリアの耳には入れないように気を使っていた。
一部の口の軽い使用人たちはセシリアには近づけないようイリアスも厳命している。
イリアスが腹を立てているのは貴族たちだけではなく、自分に対しても怒っていた。
噂を好都合だと考える自分もいて、それがたまらなく嫌だ。
自分勝手な欲望のために彼女を貶めたくない。
なのに、傍に置き続けるために都合がいいと思ってしまう自分もいて、汚らわしい想像に吐き気がする。
なんの関係もない女性を手に入れるために事実無根の噂を肯定するなんて、どう考えても恥ずべき行いだ。
「イリアス様?」
黙りこんだイリアスを不審に思ったのかセシリアが呼びかける。
心配そうな表情に、考えていたことの醜さを再認識すると頭を抱えたくなった。
セシリアを前にしてこんなことを考えるなんて―――。
(どうかしている)
笑ってごまかすが、見えないと雰囲気や感情に敏感になるのか、セシリアの表情は晴れないまま。
「何かあったんですか? あの……、疲れたような感じがします」
感じているのはそれだけではないだろうに、言葉を濁して追求してしまうのを避ける。
慎ましやかな気遣いに表情が綻ぶ。
「大したことじゃないんだ。 今日はいつもより話す人間が多かったから、それで疲れてしまったのかな」
話す人間が多かったというよりも耳に入ってくる話が多かったというのが正しいが、正確なところはセシリアには聞かせたくなかった。
セシリアは頭から信じはしなかったが、深く追求することはしない。
言葉の代わりに僕の手を握る。
「セシリア?」
流れるメロディは眠りに誘うように優しい。
イリアスもこれほど動揺していなければ心地良さに瞼を閉じていただろう。
セシリアの手に包まれた自分の手を強く意識する。この程度で、と思うがどうしようもない。
対するセシリアは平静で、この行為になんの含みもないのだと知れる。
ただ僕を励まそうとしてくれているだけ。どこまでも純粋なその思いに、胸が少し痛んだ。
胸の痛みをごまかし、セシリアを抱きしめる。
突然の行動にも、セシリアは嫌がらない。
ただ僕から苛立ちが消えたのを感じて、頬を緩ませ笑う。
その微笑を守りたい。周りの悪意からも、彼女を襲う不安からも。
そう思う程に自分が傷つけてしまうことを恐れる。
まっすぐ過ぎる信頼と好意を裏切ってしまうことを。