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03

 狼さん(ルド)は、私に全てを与えてくれた人。



 私は何者で、どうしてここにいるのかよく分からない。生まれた時から塔に入れられ、言葉もよく知らなかった。

 疑問を持つことさえ無く、毎日はただ規則正しく進んでいく。それが正しいことなのか、間違っていることなのか、判断する基準さえなければ私は不満を持つことも無かった。


 私が3歳の時にルドが現れ、私を取り巻く環境は一変した。

 ルドは下手くそな字で私に言葉と文字を教え、私がルドのような汚い字を書くと頭を掻いて困った顔をした。それから、綺麗な文字を書けるように教本を持ってきて改めて教え直してくれた。

 私は綺麗な字を書けるようになったけど、ルドの教えてくれた蛇みたいな字が好きだった。


 ルドは地声が大きく、笑うとガハガハとうるさい。けれど沈黙しか無かった塔の中では心地の良い賑やかさだった。

 ルドは狼さんで、時々耳を出したり尻尾を生やしたりした。もふもふと触ると、くすぐったそうにして時折仕返しだと、私をくすぐった。

 マリワナという乳母(ナニー)が私にはいたけれど、マリワナは私にそんなことしなかった。


 人との触れ合いがこんなにも優しく、温もりのあるものだと私は知らなかった。



 マリワナは時に無感情に、時に憎らしげに私を見た。そう言う感情があるのだと知ったのも、ルドが来たからだった。

 ルドは私に全てを与えてくれた。



 ルドは絵本や、文字が読めるようになると文字だけの本を持ってきた。本当はダメなのだと、大きな声で言うものだから塔の中でなければ秘密にしきれなかった。

 綺麗な絵、ワクワクするような文章。



 私は幸せだった。

 塔の外に世界があることを知ったけれど、ルドが傍に居てくれるなら、外の世界を望むことはしない。外の広い世界よりも、狭くふたりきりの空間の方が幸せだった。




 本を読む。

 ページを捲る。

 字を追う。

 頭の中に違う世界を作る。



 ルドは時々塔を出たけど、新しい本を持って帰って来てくれた。だから今日も、多少遅くなるけれどきっとすぐに帰って来てくれる。


 日が暮れて、塔が暗くなる。

 はめ殺しの窓から入る日差しが減って、文字が読めなくなっていく。日が暮れてきたら、ルドが帰ってくるはずだった。

 外には雪が降り始めていて、私はそっと目を閉じた。森は私の手足。空は私の心。

 お願い、まだ降らないで。

 ルドが雪を被らぬよう。

 すると、私の気持ちに反応したのか雪は降り止んだ。いつからこんなことが出来るようになったのか、私にはわからない。

 違う、出来るようになった(・・・)ではなく、出来ると気付いた(・・・・)のだ。




 塔が完全に暗くなった頃、石の階段を踏む音がした。トントン、と規則正しい音。

 私は一瞬、ルドだと思った。

 けれど違う。

 ルドは静かだ。足音がしない。

 獲物を狙う獣が、息を潜め足音を立てないように。ルドは狼で、いつも身に付いた本能が足音を消した。

 足音がする(・・・・・)のはおかしなことだった。

 私は息を潜め、シーツをかぶった。



 塔には昔、マリワナしかいなかった。

 だからルドとマリワナ以外の人に会ったことが無い。私はルドに、優しいだけでは無い人間がいることを聞いた。悪意に満ちた人がいることも聞いた。



 石の扉が重たげに開けられた。

 開けたのは、明るい金髪をした青年だった。シーツに丸まった私を見ると、微笑ましげに笑った。

 ルドと違って線が細く、美人、と呼ばれる部類の青年であることがわかった。



「初めまして、お姫さま。僕はリゥネル。リゥネル・ステルウマン」



 ガサツで、威圧的で、大きな狼とは違う繊細な美しい人。リゥネルは美しい所作で私の前に立ち、膝を曲げ恭しく礼をして見せた。




「ルドは?」


「ルド?ああ、ルドベキア・ロワラットのことですね?」



 リゥネルはくつくつと喉の奥で笑った。



「彼はもともと、こんな辺鄙(へんぴ)な場所に送られるような人材では無かったので、彼に相応しい場所へと戻りましたよ」



 馬鹿にするように笑って、私の部屋の窓から雪深い森を見下ろした。今は雪の降らないその森は、鬱蒼として暗く、リゥネルが辺鄙と称するのも仕方の無いところだった。



「お姫さまの子守りは僕に任せてくださいよ。これでも、ご婦人方に好まれる顔をしているのですよ?」



 リゥネルが優しげに笑ってみせる。

 私は首を振った。


 いかにも好青年な彼は確かに、人好きのしそうな顔をしている。けれど私は、そんな紳士的な品の良い笑顔よりも、ガサツで豪快な笑顔の方が好きだった。

 布団に潜り込んでリゥネルから身を隠す。


 自由のない私の唯一の抵抗だった。



 それから、ルドがどうすれば(ここ)へ来てくれるのか考えた。

 大声で叫べばいいのだろうか。



 ああ、足が動けばよかったのに。



 そうすれば私は、どこまでも自由に駆けて、ルドの元へ行くのに。





 リゥネルはいつまでも布団から出ない私に呆れて、部屋を出て行った。このまま帰ってこなければいいと願った。

 私はそっと布の間から顔を覗かせ、寝台から出ようとした。


 足は自由が効かず、前のめりに私の体は落ちていく。


 ドスッ、と鈍い音がした。



「あ、おい!お姫さま!」



 すぐに扉が開いて、リゥネルが私を抱き起こす。それから、困った顔をして私を寝台に押し込んだ。



「不満なのはわかるけど。でも、危ない事はするんじゃ無い。この塔で何をしようと、誰に伝わる事も無いのだから」



 この塔で(・・・・)何をしようと(・・・・・・)

 私は一気に頭が冷えた気がした。

 ルドを呼ぶ方法が、分かったように思った。




     ❄︎ ❄︎ ❄︎




 ルドベキアはその日何度とも知れぬ溜息を吐いた。



「おいおい、ルドベキア。辛気臭いため息ばっか吐くなよな」



 グラウス・メルカリアは、ルドベキアに胡乱げなめを向けて文句を言う。



「何が不満だってんだよ。国王陛下に仕えられるんだぜ?」



 しかも、影だ影。

 ルドベキアからすれば何が得なのかよく分からないことを、あたかもなかなか得られぬ幸福のようにグラウスは言う。



「影はなあ、割に自由だ」



 まあ確かにそうだが、とそこはルドベキア自身も頷く。

 今は国王陛下が国民に挨拶をする、という行事で王城のバルコニーに出ているため、ルドベキア達は最上階から王と国民を見下ろしていた。

 グラウスが見るのは王のいる方だが、ルドベキアが見ているのはかの姫君のいる森の方だった。


 森の上には黒々とした雲が広がり、きっと雪が降っているのだろうと思う。


 ここ最近ずっと、こんな様子で森は晴れる様子が無かった。




     ❄︎ ❄︎ ❄︎



「おい!ルドベキア!大変だ!」



 大変なことが起こったのは、さらに数日後のこと。

 ルドベキアが姫の元を離れ、約1週間のことだった。



 森の上空を覆っていた雲が数日で広がりを見せ、王都に雪がちらつき始めたと言うのだ。しかも、ここ最近で気温がぐっと下がり、冬至でも類を見ないほどの寒さだと。

 ルドベキアも少なからず実感していたが、それが姫や力によるものだとは気付かなかった。



「どうした?」


「やべぇよ!やべぇ!王都のあちこちに、氷が張って!このまんまじゃ、国全体が凍結するぞ!」


「……」



 ルドベキアはそっと、窓の外に目を向けた。

 森は暗く、それひとつが大きな建物か何かのように黒く黒くそびえている。



 ルドベキアは立ち上がった。



「おいルドベキア?急にどうしたんだよ」


「この書類は任せた」



 手早く書類をグラウスに押し付け、部屋を飛び出す。



 そして、駆け出した。



 ルドベキアは今、姫がこの異常気象に影響を与えていると理解し始めていた。そして、本当にそうなら、早く行かねばと思った。

 理由は無い。ただ、この雪じゃ姫は寒かろうと。




 王城を飛び出すと同時に、ルドベキアは疾風のごとき自身の走りを、もどかしいと感じた。人の脚よりも、獣の脚。

 走りながら転げるように獣へと化す。


 地を捉える4本の脚は、ルドベキアの望むように走った。森へ、森へ。


 森へ近づくごとに、寒さは増し、雪は強く吹雪いた。ルドベキアが森を歩く時、大抵は雪は止んでいた。

 仮に降っていても、ごく少量だった。それなのに、今は荒れ狂うように雪が吹雪いている。



 獣の脚は速い。だが、それでもまだ足りない。

 ルドベキアは滅多に使わない身体強化の魔法を用い、より速く、(はや)く駆けた。



 塔の扉を体当たりして開け放ち、階段を駆け上がる。


 1番上の扉を開けると、びっくりしたように姫がこちらを見た。そして、それがルドベキアだと気付くと姫は破顔した。



「ルド!」



 約1週間振りの声。

 明るく、無邪気な姫の声。


 ルドベキアは姫に近付いて、掛け布を引き落とした。そして、脚を露出させる。


 姫は少し困惑した様子で、けれども抵抗はしなかった。信頼しきっているのだ。ルドベキアを。

 ルドベキアは牙を出し、身体強化の魔法で強化された牙を持って姫を拘束する足枷を砕いた。

 最初からこうすればよかったのに、と己の不甲斐なさを悔いる。



「姫さん……」



 ああ、名前を呼べないのがもどかしい。


 人の姿へと転じ、姫を掻き抱く。と同時に、部屋の扉が開いた。警戒するようにルドベキアはそちらへ目を向ける。



「お久しぶりだね、ルドベキア・ロワラット」



 飄々(ひょうひょう)とした笑顔のリゥネル(そいつ)には、覚えがあった。



「リゥネルか」


「覚えていたんですね」



 神出鬼没で、いつも笑顔な好青年。まさか彼が姫の側にいたとは。



「何故ここに?」


「それはこっちのセリフだ、リゥネル」


「僕?僕は陛下の命を受け、貴方の代わりを」



 やはり裏の読めない笑顔で言ってのける。



「そうか。俺はちょっと野暮用でな」


「野暮用?……陛下は確か、(ここ)へは来ないよう命令されたそうですが」


「陛下に言い付けるか?」



 リゥネルは面白そうに笑みを深めた。



「いいえ。僕はロマン主義なので。……囚われのお姫さまの末路が気になります」



 そんな奴だったか、とルドベキアは首を捻る。邪魔をしないなら別にどうだって構わないが。



「それより、ルドベキア。外には兵が仕向けられてますが」


「分かるのか?」



 眉を寄せると、リゥネルはちょいと肩を竦める。



「まあ、ね。さて、どうします?このままこの塔にいるのはお勧めしません」


「……姫さんはどうしたい?」



 ルドベキアはどうすべきかわからない。姫は塔より外の世界を見た事がなく、勝手に連れ出すと決めても良いものか、分からなかった。



「ルド、ルドと一緒にいたい。……ここにいたらそれが無理だというのなら、外へ行きたい」



 姫は小さな体で、ルドベキアにしがみ付いて離れない。



「じゃあ僕はここを出る準備をしてこよう」



 楽しそうに、リゥネルは扉を出て行った。

 それをちらりと見ながら、ルドベキアは姫を見る。



「ルド、……おかえりなさい」



 姫は一瞬、物言いたげな顔をした。文句かも知れないし、違うのかも知れない。

 けれどそれをぐっと飲み込み、そう口にした。


 ああようやく帰ってきたのだと、ルドベキアはそう思った。



「ただいま、姫さん」




 しばらくすると、リゥネルは大荷物を抱えて来た。



「感動の再会は済んだかい?」



 感動の再会とは大袈裟な。しかし、それよりも気になるのは大荷物の方だった。



「おいリゥネル。その大荷物はなんだ」


「ん?僕ら(・・)の荷物だよ」


「僕ら?」


「お姫さまと君と、僕。……君のはいらなかった?」



 悪戯っぽく笑うリゥネルに、本気なのかと呆れる。



「バカいえ。いらないのはリゥネル(おまえ)のだ」


「そんなぁ。まあ、ルドベキアに何を言われようと僕は行くよ?言ったろう、僕はロマン主義なんだ。姫の結末を見るまでは付いて行かないと。

 それに、君を逃したとあれば僕の首が飛ぶよ?……ああ、職業的な意味でね」



 物理的に飛ぶことを想像したのか、小さく震えた姫を見てリゥネルは誤解を解いた。



「さ、早く逃げよう。ゴタゴタしていたら兵たちが来てしまう」



 あれよあれよと言う間に、リゥネルは結局ついて来ることになった。




     ❄︎ ❄︎ ❄︎




 かくして、囚われの姫君と元騎士の狼と、飄々とした青年は3人、自由を掴む旅へと出たのでした。



「お前はいつまで付いてくるんだ!」


「さあねえ。お姫さまがしあわせになるまで、かな」


「そうなの?じゃあリゥネルとはもうお別れよ。私はもう、しあわせなのだから」


「ええ。お姫さまはひどいなあ」


「ほら、姫さんもこう言ってる。早くどっか行け」



 シュンとするリゥネルを見て、姫は笑う。



「でも、リゥネルがいなくなったら私は不幸になってしまうわ、きっと。だから、いなくならないでね」



 そんなこんなで、今日も3人の旅は続くのです。




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