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02




 姫はあっという間に言葉を覚えた。

 元々、物覚えの良い子だったのだろう。


 足枷の鍵はマリワナも驚いていた。あれは足枷の鍵として、国王陛下に渡されたものだという。

 ならば、どこかですり替えられたか、国王陛下自身に姫を解放する気などさらさら無く、最初から偽物を与えられていたか、だ。



 姫は足枷について何も気にしていない様子だった。



「ルド……ミセス・キャニスが来てる」



 彼女はとても聡明な子でもあった。



「ああ、そうだな。大丈夫だ」



 初めて会った時のようにクッションに埋もれている姫は、綺麗な絵の本を読んでいた。ルドベキアが勝手に持ち込んだものだ。

 クッションに広がる髪を梳き、頭を撫でながら宥める。



「ロワラットさま。少々お時間よろしいでしょうか」



 ルドベキアが来てから、マリワナは以前より姫の部屋を訪れなくなった。

 部屋に来たとしても、大抵はルドベキアに用がある時であった。



「ああ、構わない」


「ルド行くの?」



 寂しそうにルドベキアの裾を握り、姫が体を起こす。



「すぐに戻ってくる」


「ほんと?」


「本当だ」



 姫はそれでもぎゅっと裾を握り、それからゆっくり手を離した。その仕草がなんともいじらしい。



「随分懐かれたようですね」



 マリワナは呟き、すぐに踵を返して部屋を出て行った。初日に来た時と同じ下の階に入って行くので、ルドベキアも後を追う。



「ミセス・キャニス」



「ロワラットさま、どうぞご安心ください。わたくしは本日限りでこの塔を出ます。姫さまは本日5歳。ようやく……やっと、お役御免です」



 マリワナは晴れやかな顔をしていた。

 ルドベキアが見たこともないほどに晴れやかに笑い、お仕着せでくるりと回り、淑女の礼をして見せる。



「貴方に面白いことを教えてあげましょう」



 荷物はとうに纏めたのだろう。大きな鞄が2つ膨らみ、壁際に並べられていた。



「わたくし、最初は貴方と同じように姫さまのことを同情しました。しかし……わたくしはここへ来る前に、息子を2人、人質に取られたのです。

 勝手なことをすれば王城で働く息子を2人とも、不敬罪で殺す、と。

 わたくし、段々と姫さまが憎くなりました。姫さまがお生まれにさえならなければこんなことはなかったのです。ええ、すべては姫さまのせいなのです」



 ようやっと、息苦しくカビ臭いここから逃れることができるのです。

 マリワナは答えを待たず、鞄を持ち上げてよろよろと塔を降りて行った。



 何も面白いことなどなかった。

 石壁を叩き、殴りつけ、吠える。


 なぜ姫が憎まれねばならんのか。



 そうだ、なぜ彼女は塔に幽閉されている?



 ルドベキアは考えた。彼女が生まれた日、夏だというのに王国に雪が降った。

 母親は全身が、産婆は取り上げた両手が、それぞれ凍傷となった。それゆえに国に害をなすとされ、ここから出ることを許されない。



 分からなかった。

 国では魔術師が働いている。普通なら、力の強い魔法使い或いは魔術師として育てられるのではないか。




 分からないままに部屋を出て、姫の前に座り込んだ。



「ルド?」



 彼女の前てゆっくりと変化し、狼になる。

 のそのそと歩き、彼女の背に回るようにした。クッションを前脚で蹴り飛ばして、彼女の背を預けられるクッションに自信がなる。尻尾を丸めて彼女の膝の上へ置き、前脚を伸ばして彼女の横に置く。

 賢い彼女はその大きな獣が彼女を傷付けないことを知っていて、頭を撫でた。

 ゆっくりゆっくりと撫でるその手つきは優しく、ささくれ立ったルドベキアの気持ちが落ち着いていく。



 小さな手は優しく、ルドベキアの狼の口より小さい。少し頭を起こして彼女の手を甘噛みすると、くすぐったそうに笑った。



「ミセス・キャニスは、もういないの?」



「ああ。もういない」


「寂しいね」



 寂しい、だろうか。

 マリワナとはほとんど会わなかった。会っても事務的な話しかしなかったし、ルドベキアは姫の扱いについてマリワナを恨んでいた。

 言葉を与えず、名前を付けず、衣食住だけ与えて鎖に繋ぐ。もちろんそれは王の命令であったが、それでも、と思わずにいられない。



「姫さんは寂しいのか?」


「うん。____でも、ルドがいるから平気」



 ぎゅ、と首のあたりに姫が抱きつく。

 小さな体躯はルドベキアが狼の力を持ってすれば折ってしまうのもたやすく、それゆえに守ってやらねばと思った。



「そうか」




     ❄︎ ❄︎ ❄︎




 塔へは定期的に食料が届けられた。

 寡黙な運搬係は余計な口を叩かず、塔の前に荷物だけを置いて去っていく。



 ルドベキアが話すのは目下姫の前でだけで、姫とルドベキアは互いの存在だけが話し相手であり、まともに目を合わす相手だった。



「姫さん、夜には帰ってくる」


「どこに行くの?」



 姫は7歳になった。

 出会った当初から人形染みていた美しい容姿はより美しくなり、大人になるのが楽しみだ。しかし最近来た運搬係の話から、彼女が大人になることはあるのだろうかと心配になった。



「本を、買ってくる」



「本!楽しみ!待ってるね、ルド」



 ルドベキアは頷いた。それと同時に良心が痛んだ。

 彼が姫に嘘をついたのは、これが初めてだった。今まで一度も彼女に嘘をついたことはなかった。


 本を買ってくるのは嘘ではない。

 姫の部屋の左側の壁、クッションの向こう側には背の高い本棚が一面を占めている。その本棚はまだ空きがあり、本棚と本を買い揃えて行っているのはルドベキアだった。

 偶に森を出ては本を買い、姫に渡す。

 言葉も文字も、彼が教えた。



 姫は読書が好きだった。



「あ、夜まで帰ってこないんだよね……?」


「できるだけ早く帰ってくる」


「じゃあ、帰って来るまで本を読んで待ってるね」



 姫は立てない。

 姫は歩けない。



 本棚の上の方を手に取ることはできないため、本を取り出すのはルドベキアの役目だった。


 ルドベキアは姫を肩に座らせ、本棚の端から端までを移動する。姫は5冊本を選んだ。



「どこで読む?」


「ベッドが良いな」


「わかった」



 大きな寝台に寝かせると、姫は5冊の本を全て開いた。そして、にこやかに手を振った。



「行ってらっしゃい、ルド」



 笑顔はどこか寂しそうで、ルドベキアは改めて早く帰ってこよう、と思いながら塔を出た。


 サクサク、と固まっていない雪を踏みながら今日は降っていないんだな、と思う。ほぼ毎日この森には雪が降っている。



「そういやあ、降らないのは姫さんの機嫌が良い時……?」



 いやまさか。姫の機嫌に左右される天候では無いはずだ。しかも、年中雪を降らすことができるほど姫の魔力が強いはずが無い。



 首を振り、また別のことを考える。

 2日前のことだ。


 2日前は丁度食料の運搬係が来る日で、その日の当番は珍しくお喋りな奴だった。



『ここの姫さま、王様に相当(うと)まれてるらしいぞ』


『疎まれてる?』


『この森から出さないのもそうだが、16の成人前にはこの国を出すか……消してしまうおつもりらしい』



 消してしまうなど、冗談ではなかった。

 この森から出さない、というのも解せない。一生をこんな狭い森で、冷たい塔で過ごせというのか。

 仮にも、血を分けた娘に対して。



 今日ルドベキアが森を出るのは、姫のことを尋ねるためだった。


 森を出ると、空がパッと晴れ渡った。

 地面は緑色の草に覆われ、それに温い。


 等を出る時に来ていた上着を脱いでも、まだ暑い。そうか、今は夏か。失われた季節感がルドベキアに違和感をもたらす。

 手でパタパタと顔を扇ぎながら、王城を目指した。



 森から王城へはそう遠くなく、徒歩でも30分かからない。ルドベキアの一歩は大きいためにもっと早く着けた。



 門番はルドベキアの顔を知っている。

 そのため、すぐに門を開いてくれた。



「しかしまあ……当然か、王には会えないよな」



 王城へは入ることが出来る。

 一定の地位を持っていればそれは許可される。しかし、王は多忙であり一介の護衛騎士ごときが会えるはずもない。


 どうしたものか、と誰でも通ることのできる通路をふらふらと歩いた。

 こうして無駄に時間を使っていれば、帰る時間が遅くなる。



 急にぐい、と腕を引かれた。

 反射的に足を踏ん張り、その場に止まってしまう。



「ルドベキア!踏ん張るなよ!」



 懐かしい、といえば懐かしい声だった。

 塔へと送られる前は毎日のように顔を合わしていた。


「グラウスか」




 グラウス・メルカリア。かつての同僚であり、しかしそこまで仲の良い奴ではなかった。



「そうだよ。グラウスだ。……で、踏ん張らずにこっち来いって」



 腕を引っ張られ、怪訝に思いながらもついていく。彼が壁の一部を押し込むと、グルンと回転扉のように壁が人一人分の大きさだけ切り取られ、回る。

 どうやら隠し通路の入り口だったらしい。



「普通さあ、こう、急にグイッと引っ張られたら来るのが普通じゃん。なのになんで来ねえのよ」



 ぶつくさと文句を言いながら、あまり明るくない通路をスタスタとグラウスが歩く。

 獣の目を持つルドベキアにとって、この程度の暗さは平気だが、ただの人間であるグラウスが躓くことなくここを歩いているのは不思議だった。



「で、何の用だ?グラウス。俺は急いでる」


「知ってるって。でもよ、陛下に用があるんだろ?なら、オレに付いてきた方がいいよ」


「何で」


「オレも出世したの。んで、今は……陛下の影の護衛」



 影の護衛は、王専用騎士団とは別の組織である。表立って動くこともなければ、その存在が表に知られることもない秘密の騎士。



「ああそう」


「何だよ、興味なさそうだな」


「興味ない」


「……ひでぇ。仮にも親友のオレの出世を祝わないとか。お前みたいな友人持ったのがオレの人生の汚点だよ」


「そうか。ならその汚点は錯覚だから気にするな。俺はお前の友達になった覚えはない」



 グラウスは涙目だった。

 しかし暗さのせいにして気付かなかったことにし、グラウスを急かして速く歩かせる。



「で、陛下の影の護衛サマが俺に何の用だ」


「だぁかぁら、陛下に会わせてやるって言ってるんだよ。……陛下はお前が、もっと早くに会いに来ると思ってらしたがな」



 少し距離があるらしく、陛下の部屋までグラウスはペラペラと口を動かした。



「まず初日に帰ってくると思ってた。陛下はお前のちっとした失敗を大袈裟にとって姫さまの子守(左遷)を言い渡したが、お前の(ちから)は高く買ってる。だから、帰ってくるの待ってたんだよ」



 どこのツンデレだ、と思わないでもない。



「なのにお前は帰ってこない。じゃあ1ヶ月ならどうだ」



 やれやれ、とグラウスが肩を(すく)める。



「どうしたことか、帰ってこない。1年なら?2年なら?……ところがどっこい、お前ってば帰ってこねえじゃん」



 そして今ようやく、王城に来たわけだ、と言った。



「さ、陛下に会って来いよ」



 グラウスが恭しく扉を開けた。

 いきなりの明るさに目がくらむ。すぐに慣れると、そこは執務室だった。

 執務机の前に座った陛下1人が部屋にいて、他には誰もいない。隠し通路や外の扉前には騎士が控えているだろうが、実質部屋には2人きり。


 数年前に見た時よりもシワの増えた陛下は、ルドベキアを認めると目尻にシワを寄せ、笑った。その笑顔の何と胡散臭いことか……。



「久しぶりだな、キア」


「そう呼ぶのはやめてください」



 ルドベキアを、ルドと呼ばずキアと呼ぶ陛下は、数年前とその相貌以外何も変わっていない。



「そう言うな、可愛い狼よ」


「可愛い?いつか喉笛に噛み付くかもしれませんよ」


「昔はそれを心配したものだった。しかし今はどうだ。……白い姫は気に入ったか?」



 にぃ、っと笑ってみせる陛下。

 白い姫、というのが姫さん(あの子)を指すことは分かっていた。


 そして、この数年で彼女がルドベキアにとって大事な存在になったことが陛下にばれていることも気付いていた。


 しかし、せめてもの抵抗としてルドベキアは気に入ったか、という問いに答えなかった。



「陛下に聞きたいことがあってきました」


「構わんよ。だが、わしが答えるだけでは損だ。メリットがない」



 陛下は考える素振りを見せた。顔は笑っていて、それがフリだけであることは見て取れた。

 陛下は既に考え付いていて、それがルドベキアにどれだけの衝撃を与えることが出来るのか想像し、楽しんでいる。



「わしはお前の質問に全て、嘘偽りなく答えよう。だからお前は、わしの言うことをひとつ、呑むのだ」



 いったいどれだけの無茶を言われるのか覚悟していたルドベキアは、拍子抜けした。たったのひとつだ。



「なに、出来ないことは言わん。わしはそこまで意地悪ではない」



 にひにひと笑う陛下を見据え、良いだろう、と頷いてみせる。



「で、その言うことってのは何だ?」


「口調が崩れておるぞ。……まあ良い。こちらからの条件(それ)は、質問が終わってからにするとしよう。お前が嫌だ、と言えないようにな」


「俺が嫌だと言うような内容なのか?」


「そうでもないさ」



 のらりくらりと、陛下は明確な条件を示さない。

 仕方ない、とルドベキアはため息を吐いた。どうせ、大したことはない。

 ならば本題に入り陛下の頼みをひとつ聞いて、早く帰ったほうが効率的だ。



「わかった。なら、質問を先にしよう。……何問でも構わないんだな?」


「ああ」



 全部、というのでルドベキアは思いついた端から聞くことにした。

 陛下はその玉座に腰掛けるだけあって、口約束を違えない。言葉のマジックを使っては人を嵌めるが、今回はそんな心配は要らないだろうと思えた。




「何故あの子に名前を付けてやらない?」


「あれはわしの子ではない」


「……隠し子だとでも?本当は正妃腹じゃなかった、とでも?」


「そう単純なものなら、第一王女の地位と名をくれてやるさ」


「じゃあどういう意味だ」


「あれは、単純に言えば神域よ。聖域でも良い。お前は神に名を付けるか?あれは、神の子。精霊そのものと言える」



 ルドベキアは理解出来なかった。

 陛下はボケてしまったのだろうか。



「お前、今失礼なことを考えたろう。……はあ、お前(オオカミオトコ)という存在があるのだから、そう言うものもあって不思議ではないだろう。

 あの姫は、正妃の胎を借りて生まれてきた、精霊だ」


「人の姿をしているし、あれは人だ」


「人であって人でない。人の胎を借りたんだ、人であるのは当たり前だろう?しかしその力、その存在は精霊だ。名前なぞ、付けられようはずが無い。

 わしの子だと扱えば、神罰が下るだろうよ」



「ならばあの扱いは何だ。塔に隔離し、まるで罪人のようだ」


(あれ)は力の制御が出来ん。人の合間に埋めることも必然的に不可能。ならば、あの森に囲うのが必然」




 聞けば、彼女の力は森全体を覆うほどのものらしい。そして、感情のままに凍らせたり雪を降らせると。

 爆発的な感情の波が来れば、国ひとつ氷漬けにすることも可能だと。



「言葉を与えないのは何故だ」


「人の世に染めてはならん。神の世は決して人と交わらない。ならば、神の子とするあの子に人の言葉を教えてはならん」


「足枷はどうしてだ!」


「人の世はままならぬことが多い。不自由ばかりだ。足が動かなければ、そう感じることは少なかろう。他の世話は全てさせているしな」



 ルドベキアはもう何も聞けなかった。

 何ひとつ、理解出来なかった。


 姫の力が強いのはわかる。神の子とするのも、精霊と呼ぶのも良いだろう。

 だが、足枷や扱いはやはり納得がいかなかった。



「さて、もう質問は無いかな。わしの頼みも聞いてもらおう」



 一度区切り、口を開く。



「お前には姫の護衛及び監視を辞めてもらう。そして、影の護衛騎士となれ」




 反論は許さない。



 ルドベキアは、最初に条件を聞くべきであったと深く後悔した。




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