【三題噺】靴下・海苔・マカロン
或る文芸評論家「これは、"冒頭から人に読ませる気はない"という作者の意向が汲み取れる作品だ!すばらしい!」
鈴木は、体育館のステージに立って説明をする田中先生から目を逸らして、「高橋」とだけ書かれた、佐藤の左胸にあるネームを見ていた。
「体操着、借りられたんだ。」
「ああ、うん。入学式んときに、なんか話しかけてきてくれた高橋って人から、なんとか借りられたよ。」
へえ、とだけ頷いて、「でもそういう人ってのは、たいてい一日だけの付き合いだよな」と鈴木が思っていると、佐藤はいきなりキリッとした目で尋ねてきた。
「パリっとした海苔と、湿った海苔、どちらが好きかな?ぼくは何とも言えないな!」
鈴木は、佐藤の着ている体操着について思いを巡らせているのを途切れさせられたことに、ちょっとした不満を抱いて、爪先だけ湿った靴下を履いた時のような表情をした。
「え、海苔?海苔かぁ・・・・・・。そうだな、俺もなんとも言えないや。」
すると佐藤は「どうやら君と意見が合致したようだ」と満足げに頷いて、きし麺のような靴紐を右手で弄りながら、「でも、味海苔だけは許されないよ」との思いを吐露した。
今朝、味海苔を食べてきたばかりの鈴木は、何か居たたまれない心情になり、「何も味海苔だって、好きであんな味を付けられたわけじゃない」と反論をした。
「じゃあ君は、味海苔の存在を肯定するわけかい?」
「なんでそうやって俺の主張が飛躍されるのかわからんが」と鈴木は前置きし、「でもまぁ、肯定するも何も、俺は今朝、味海苔を食べたんだよ。」と、味海苔を食べてきたことを素直に白状した。佐藤は度肝を抜かれたような表情をした。すかさず鈴木は、佐藤に軽蔑されないよう弁解を図った。
「いや、それでもね君、実に不快な味だったよ。けれども、味海苔の存在は肯定しなきゃならない。これほんと。そうさ、俺はそうじゃなきゃいけないんだ。『食べたということ』は事実だということを見落としちゃいけないんだ。さもなければ俺は、いったい何を食べてきたんだい。ええ? 俺は今朝、たしかに味海苔と共に存在していた。この事実を否定しちまえば、俺は『味海苔を食べた朝』という、事実として存在したはずの時間を欠落させた人間であり、君はそうした矛盾を抱えた俺と意見を合致させたということになるんだ。」
佐藤の顔は歪み始めた。田中先生は、鈴木と佐藤の口論を無視して、マカロンを投擲するスポーツテストの説明を続けていた。
「そういう君は、味海苔、食べたことある?」
鈴木がそう尋ねると、佐藤は「ない。」と素直に答えた。
「・・・・・・君は純朴な青年なのだな。」
「どうしてだい。」
「普通、こういう状況において『味海苔を食べたことがない』と回答する人間が、世間にどれほど存在するか考えられるかい?」
ふたりの間に、しばしば無言の時間が倦怠し始めていた。
「そいじゃあ、君はアンケートでも取ったようだね。」
鈴木は言葉をつまらせて、もがくような声で放った。
「取ってない。」
田中先生の声だけが体育館で反響する。
「君も純朴な青年じゃないか。」
それ以来、鈴木と佐藤は卒業式を迎える日が来ても言葉を交わすことはなかった。