金木犀の花カクシ
これが、金木犀の香り。
窓を閉め切っても潜り込んでくる甘い、どこか切ない香り。
これが、金木犀の花。
葉の内側にたわわに、遠慮がちに咲き誇る小さなオレンジ色の花。
おばあちゃんの庭に咲く金木犀の大木は深い緑と和風なオレンジの色合いに、私は感嘆の息を吐いた。
「痛たっ?!」
頭に何か落ちてきた。
頭を抑えて足元を見ると、大振りの枝がある。花がついたまま、まるで手折られた様に。
「お、お、おばあちゃーん!」
私は枝を拾い上げ、縁側に身を乗り出しおばあちゃんを呼び寄せた。しわくちゃな顔にのんびり笑顔を浮かべて、おばあちゃんはのったりのたりと床の軋みを踏みしめるようにくる。
「おばあちゃん!枝が!枝が落ちてきちゃった!」
触ってないのに、無残に折られた金木犀の立派な枝を掲げて私は泣きそうになった。
そんな私を見て、おばあちゃんは庭の金木犀をぼーんやり眺めた。そして、こっくり頷いた。
「金木犀さんがあんたにあげるそうだよ」
ゆーっくりした口調で、噛みしめるようにおばあちゃんは笑った。
「本当にくれるの?」
「彼はそう言ってるよ」
彼、とおばあちゃん金木犀の巨木をニコニコと見つめた。
……金木犀って彼、なの?
おばあちゃんは、一輪挿しの花瓶を持ってきてあげるねぇ、て踵を返して行っちゃった……。
「あ、あの……ありがとう、ございます……?」
私は金木犀さんに向かって頭をさげた。
手の中の立派な枝から素晴らしい薫香が鼻腔を刺激し、まるで何かに酔ったかのように私の頭はぼんやりする。
いや、ぼんやり、じゃなくてうっとり、かなぁ。
「でも、部屋に飾っちゃダメだよ」
おばあちゃんは一輪挿しの花瓶を片手に縁側へ、どっこいしょ、と腰を下ろした。
「人が眠る部屋に花を入れちゃダメなんだよ」
「どうして?」
「花の人に攫われちまうからさ」
花の人……。
「この土地にあるふるーい言い伝えさあ。花の人の分身である花を枕元に置いて寝ると、その花の人が攫ってしまうんだよ」
だから、これは居間に飾ろうねぇ。
おばあちゃんは私から枝を受け取って花瓶に挿した。しわくちゃの手がゆーっくりした動作で枝を整え、しわくちゃの顔でくしゃっと笑顔を作る。
「気ぃつけるんだよ」
「うん!」
さてさて。
どうやって連れ去ったのやら。
孫の部屋には男が一人。
金木犀のような甘い橙色の髪に、生い茂る黒緑のような瞳の男が立っている。
「なるほど、あの子の頭に落としたのはそういう意味だったのかえ」
ーあの子はもう己のものー
「否定はせんよ」
まくらに着いたわずかな花弁。
甘い匂いが部屋を満たす。
「じゃがな、わしももう歳、なかなか身代わりはつくれんよ」
ーほかのものにいっておこうー
「たまには顔を見せてくれよ。お前らとの約束、忘れたとは言わせんからな」
ー善処するー
ぶわり、と風が吹きわたり男は散ってしまった。
花カクシ。
神ではなくて花が隠す。
ゆめゆめ忘れることなかれ。
花の近くで眠ること、なかれ。