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メタセコイアの下で

作者: 北に住む亀

「今年の夏祭りは危険だよ」

 まるで今日の天気を言うようなさりげない調子で少年は言った。

 しなやかに伸びた四肢と大きな瞳が印象的な少年だった。



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 その日は夕方になっても町を覆う熱気が静まることはなかった。もうすぐ夏祭りが始まろうとしている。

 娯楽の少ない小さな田舎町では、年に一度のこの祭りは住民にとって最大最高のイベントになる。子供から老人までこの日の為に過ごしてきたと言っても過言ではない。

 事実、気の早い者は半年前から仕事もそこそこに祭りの準備に勤しみ、祭りが終わればその余韻で半年は仕事が手につかない。それでも会社をクビにならない所が、この町の不思議である。町全体が“仕事より祭り”の精神で溢れていた。今日の日本の不況に大いに貢献していることだろう。

 西の空が紅鮭色に染まり、太鼓や鉦の音色が生ぬるい風に運ばれてきた。

 始まりの合図である。



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「な~に馬鹿こいてんだぁ」

 実行委員である町長の怒声が室内に響き渡った。生来の声の大きさに加え、床には焼酎の一升瓶が転がっている。周囲の者は思わず顔をしかめる。

「馬鹿なことじゃねえ。今年の祭りは絶対に中止だ」

 町長の向かいに座っている一人の老婆が言い返す。こちらも酒が少々。

「また得意の占いだべか。あんたも年なんだからいい加減にしてくれや。この間もほれ、何だっけな……」

 町長が皮肉を込めて言った。



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 長久保ヨシは、この町でただ一人の占い師である。十五歳になると同時にこの世界に入り六十年以上が過ぎた。顔に刻み込まれた年輪のような皺の一つひとつが彼女の占い師としての成果を示していた。もっとも、その皺の三倍は失敗に終わっている点も見逃してはいけない点でもある。ヨシを語る上で忘れてはいけない事件がある。


 今から四十年前、この町は炭鉱の町として全盛を迎えていた。

 日本各地から炭坑夫が集まり、繁華街は無数の呑み屋や茶屋で溢れていた。一日の稼ぎを使いきった後は、黒いダイヤを採掘するべく地中深く潜って行く。温度40度、湿度100%となる坑内環境では、熱中症や自然発火、落盤などの恐怖が常に付きまとっていた。それでも男たちは、日本の復興と著しい成長を支える自負に満ちていた。

 残された女房子供が父親の無事を願う祈りは、いつしか“山神様”という炭鉱の神を生み出し、人々は旧盆の頃になると神様への感謝を込めて大きな祭りを催した。


 ある時ヨシは、夢の中で見たことのない大木の下に座っていた。

 灰褐色の幹は大人三人が手を繋いでも囲めない程の太さがあり、遥か上に繁っている葉は鮮やか過ぎる緑が彩っている。その隙間を縫うように幾筋かの陽光が地面に降り注ぎ、光の照らす部分のみ植物が物凄い速さで芽を出し、花を咲かせ、枯れ果て、やがて鈍く光る黒い石へと変わっていく異様な様を繰りかえしていた。


 すると突然、ヨシの頭上で葉音が鳴った。見上げると一人の少年が枝に腰掛けている。ちょうど逆光があたる位置に顔があるせいでよく見ることが出来ないが、年の頃は十歳前後だろうか。ぷらんとした両足には、無数の傷跡がある。見た目は、普通の町の少年のようだ。

「そったらとこ、よく登れたなぁ」

 ヨシが感心した声を出す。どんなに名人でも容易には登れないほどの高さに少年がいたからだ。その時一陣の風が吹きぬける。葉が揺らめき、光の角度が僅かにずれる。一瞬だけ少年の顔が映った。肌は健康的に焼けていて、その中心に光る大きな灰色の瞳が印象を強烈にしている。

 ヨシの問いに答えることなく、少年は告げた。

「第三坑道は危険だよ」

 ヨシは驚き見上げたが、いつの間にか少年の姿は消えかわりに光の霧が立ちこめ彼女を包み込んでいた。


 目覚めたヨシはまだ不思議な感覚の中にいた。

 あれはただの夢ではない。直感がそう告げていた。胸の内を薄い膜のような不安が支配している。しかし彼女はこのことを誰にも話すことはなかった。当時十七回連続で占いを外していたことが気にかかったのかもしれない。珍しく自身の占い師としての資質に疑問を感じていたのだ。しかし三日後、落盤事故が起きた。

 第三坑道内であった。



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 以来四十年、ヨシは占いのためだけに生きてきた。金も、名声も、恋すらも放棄してきた。どんなに失敗を繰り返そうが彼女はもう迷わなかった。占い相手に苦情を言われても、

「そんなこともあるべさぁ」の一言で片付けるまでに成長した。この言葉には、彼女の人生が凝縮されている。

 もっともおかげで町の人は大迷惑を蒙っていた。普通に占うだけならまだいいが、時には頼みもしないのにやって来ては勝手に占う、“押しうり”ならぬ“押しうらない”までするからである。

 今では彼女の占いは当たらないことで有名である。この町から新人の占い師が育たない原因は彼女のせいなのかもしれない。



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「そんなこともあるべさぁ」

 伝家の宝刀。ヨシの一言で町長の怒りは頂点に達した。

「バアさん。いい加減にせんか。お前だって町のみんながどれだけこの祭りを楽しみにしていたか知っているはずだ」

 そう言うと、町長は右手をすっと上げる。すると両隣に待機していた男たちがヨシの両腕をガッチリと固め、そのまま部屋から追い出した。

「たまには私のことを信じなさいよ」

 自業自得な遠吠えが、虚しく屋敷に響いた。



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 闇が濃くなってきた。それに逆らうかのように各地点に設けられた提灯に灯りがともされた。オレンジ色の光が幻想的な夜を創り出す。ひしめくように建てられた屋台からは魅惑の匂いが立ち上り、その間を縫うように人々は歩いていく。

 町の中央広場に建てられた、回転式の二階建やぐらを囲むように大勢の人が集まり踊っている。特に形式はない。ただひたすらに各人が自由に踊るのだ。その踊りは見事なくらいバラバラでもあり、不思議と調和されているかのようにもみえた。


 やぐらの頂上では、六人の若者が太鼓や鉦などを鳴らしている。額からは大粒の汗が滴り、光を受けて輝きながら落ちていく。演奏にあわせ人々の踊りは激しさを増す。無限の相乗効果を生み出していた。どの顔も一様に恍惚としている。異様な空間が辺りを支配していた。

 夜も十時を過ぎ、祭りは最高潮を迎えようとしていた。人は次の一年を無駄にしないためにも必死に踊る。あまりにも必死すぎて、誰一人としてその異変に気づかずにいた。

 やぐらの若者が、いつの間にか七人になっていることに。



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「あの老いぼれジジイ。今度最悪な結果になるよう占ってやる」

 老いぼれのヨシが文句を垂れている。右手には具のない焼きそば、左手には溶けかけのチョコバナナ。イマイチ緊張感に欠けている。もっとも町長がその占いを信じるかどうかは、甚だ疑問ではあるが。

 結局のところ、ヨシは町長の命によって夏祭りの参加を禁じられてしまった。しかし、彼女はそんなことで挫けるような女ではない。監視の隙をついて脱走し、人ごみを利用して祭りに紛れこんでいた。人々はみな浮かれた顔で踊っている。特に異変は見当たらない。ヨシは少々焦っていた。恐らくあの夢は本物なのだ。少年の予言が四十年前と重なる。

(四十年前と同じ……)

 ヨシは物凄い速さで走り出していた。



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 第三坑道はすっかり荒れていた。沿道を植物が侵食し、坑道を結ぶ出入り口は塞がれていた。これはこの場所に限ったことではない。全ての坑道は今は入ることすら叶わなかった。

 石炭から石油へのエネルギー転換は、この町から全てを奪い去った。その存在意義さえも。人は悲しみに直面した時に、いったいどのような行動に出るのだろうか。しっかりと自己を見つめ立ち直っていくのだろうか。しかし圧倒的な悲しみの前で人は無力だった。多くの人は町を去り、残された人々は忘れることで悲しみを昇華させるしかなかった。

 こうして町の記憶は、薄暗い坑道の中に追いやられ、コンクリートで塞がれた。もう二度と思い出すことのないように。



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 夏祭りはピークを突き破り、手のつけられない状態にまで達していた。互いに酒を浴びせあい、興奮した男たちはやぐらの柱によじ登る。女たちの中には浴衣を脱ぎだす者も現れた。大変な乱痴気騒ぎだ。人々は快楽に酔い、いつの頃か祭りの本当の意味を忘れてしまっていた。

 やぐらの上では、若者の演奏が続いている。その時、七人目の男の口元が微かに歪む。その表情は、かつて炭鉱の神として祀られていた“山神様”にそっくりであった。

 ゆっくりとやぐらが傾いた。



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 歩を進めるたびに、雑草についた夜露が絡みつく。坑内に到着した時にはヨシの思いは確信に変わっていた。塞がれたはずの第三坑道から光が渦を巻きながら外へとあふれ出している。先の地震のせいだろうか。近づいて見ると、人が僅かに入れる程の小さな穴が開いていた。

「久しぶりだね、ばあちゃん」

 坑内に入ると、いつかの少年が少し困ったような笑みを浮かべている。

「誰がばあちゃんだよ、まだまだ若いべさ」

 体をくねらせ、自慢のプロポーションを披露する。二人は四十年ぶりの会話を交わしていた。光の霧が二人を包み込む。

「あんた、山神様だろう」

「どうだろうね」

「夏祭りをどうするつもりなんだい」

「直にわかるよ」

 少年の上で、一匹の羽虫が音もなく飛び廻っている。

「だって閉山してから誰も思い出してくれないんだもん。つまんねえよ。今日だって本当は俺のための祭りなのにさ」

 まるで駄々っ子だ。大きな瞳に溜まった涙の粒が今にもあふれ出しそうだ。

 ヨシはかける言葉に詰まっていた。町の人を責めることはできない。ヨシ自身、炭鉱が閉山した後は占いに奔放する日々で、過去のことを思い出すことはなかった。確かに辛い過去を封印することで人々は前に進むことが出来た。ただし、それが本当に正しいことだったのか、ヨシには解らなかった。捨てられたこの場所は、町の記憶には生きていなかった。


 少年の涙はどんどん溜まっていく。ヨシは静かに少年を抱きしめる。

「今まで寂しかったろうに。ごめんなぁ」

 ほんのりと暖かく、まるでヨシと少年の体が一つに溶けていくような不思議な心地に包まれていた。

「ごめんなぁ、忘れちゃいけなかったかもなぁ。辛い労働も、離れ離れになった仲間のことも、閉山が決まった時の怒りや悲しみも」

 ヨシは抱きしめる両腕に一層の力を込めた。

「そして、みんなと過ごした楽しい夏祭りのことも」

 少年が少しだけ微笑み、涙が一筋頬を伝った。

「うん……」

 遠くで大きな音が響いた。やぐらがゆっくりと崩れ落ちていく。



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 数人の小学生が下校している。黄色い帽子と大きいランドセルが初々しい。意味無く駆け出す者、地面の昆虫とにらめっこをしている者、石ころを蹴っている者、誰一人として落ち着いて帰る様子はない。

「ねぇねぇ、この前のお祭りに行った?」

 一人の女の子が思い出したように尋ねた。

「行った、行った」

「やばかったよな~」

「目の前でガッシャーンだもんなぁ」

 男の子たちが、大きな身振りをしながら答える。

「しかも、誰もケガしなかったのがもっとすげーよな」

「そうそう、ウチの母ちゃんも奇跡だって言ってたぜ」


 夏の終りの陽射しが心地よく町を照らしている。真っ青な空には一筋の飛行機雲。子供たちは、右に左に寄り道をしながら広場をゆっくりと通り抜けていく。片隅には、出来たばかりの小さな祠がひっそりと建っている。その前には、具のない焼きそばと溶けかけのチョコバナナが供えられていた。



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