深淵卿の夏休み編 それぞれの事情
「待て待て待て! ナチュラルに開けようとするな!」
なんの警戒心もなく扉の前に立った緋月に、焦った様子で声を張り上げたのはエージェントJだった。
ソファーの後ろに片膝立ちで身を隠し、ひょこっと頭だけ出している。その手には普通のオートマチックピストルが握られている。
緋月が小首を傾げながらも、一応といった様子でドアに伸ばしかけていた手を止めた。
「心配しなんし。今度は取っ手を握り潰したりしんせん」
「そういう心配をしているんじゃない!」
緋月が常識では図れない強さを持っていることは理解していても、先の襲撃を早々に離脱したエージェントJであるから、実際に、その強さが常軌を逸したものであることは知らない。
まさか、普通のハンドガン程度では至近距離から撃たれても傷一つ負わないほど頑丈とは思いもしないだろう。本性が人ですらなく、伝説の鬼だということも知らないのだから。
純粋な心配と、扉の外の相手への警戒心から制止するのは当然だった。
更に、小声で浩介に「早くその子を奥の部屋へ!」と促し、まず陽晴の安全確保をしようともしている。
「あの、J。たぶん大丈夫ですよ。あの女、絶対人間じゃないんで……いろんな意味で化け物というか」
「レディに向かってなんて言い様だ。動揺しているのは分かるが、しっかりしろ! エージェントK!」
タンスの陰に隠れるエージェントKさん、大正解。
仮称グールに対する圧倒的暴虐と、仮称グールの鋭い爪や牙、人間離れした膂力による暴力を受けても傷一つつかない衝撃的光景を目の当たりしたのだから、当然と言えば当然の感想だ。
というか、仮称グールの群れに襲われた事実よりも、連中の攻撃を愉しげにわざと食らう姿とか。
高笑いしながら一撃を返せば、その度にグールが冗談のようにぶっ飛んでいく光景とか。
足踏み一つで地が割れる光景とか。
片手でグールを振り回し棍棒代わりにするところとか。
石垣から抉り取った石を握力だけで砕き、それを適当に払うように投げただけでショットガンでもぶっ放したみたいな破壊が生まれたりとか……
己の絶対的な力を誇示するような緋月の戦いぶりと鬼気を間近で目の当たりにしたことにこそ、エージェントKは精神をやられたと言えるかもしれない。
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!! 撃たれたくなかったらさっさと扉を開けろ! 下手なことをするなよ! 全員、見える場所で床に腹ばいになっておけ!」
自称デトロイト市警の警官だという男から怒声が響いてくる。そろそろ痺れを切らしそうだ。
「あのぉ~、俺達決して怪しい者ではなくてですね!」
やたらとヒートアップしているっぽい自称刑事に、浩介が言葉を返す。
「家の前に死体を転がしておいてふざけたこと抜かすな! サイコパスでももう少しマシな言い訳をするぞ!!」
「確かに!」
浩介は一瞬で納得させられてしまった!
「これだけデケェ声を出してんのに、人っ子一人顔を出さねぇ! 人気もねぇ! 村の連中はどこだ!」
「落ち着け! こちらはMCBだ! 敵じゃない!」
エージェントJが即座に身分を明かす。が、
「ああ!? MCB? なんだそりゃ! 聞いたことねぇぞ! どこの誰だ!」
エージェントJは「だよなぁ……」みたいな表情になった。それはそうだ。新設の公表はされない組織だ。その存在を認知しているのも、命令系統的理由から通達を受けた各組織や部署のトップ陣だけ。末端の刑事が知っているわけがない。
困るのは、正式名称を口にしづらいことだ。まさか、魔法的現象への対策組織だなんて言えない。普通に「馬鹿にしてんのか!?」となること間違いなしだ。
なので、所属の大本の方を明かすエージェントJ。
「DHSの新設部署だ!」
「ああ? 安全保障省だぁ?」
国土安全保障省――テロや災害、移民関連への対応部署が集まっている国内の安全を担う組織だ。一応、この下部組織であることは嘘ではない。
「そうだ! 今、この村では常識では図れない事態が起きている! MCBは、そういった事件の捜査に特化した部署だ! そちらが本当に警官だというなら、我々は敵ではない! 落ち着いた対応を――」
「いつまで面倒なやり取りをしていんすか」
真っ先に痺れを切らしたのは、自称刑事でもJでもなかった。
まどろっこしいと白けた表情を隠しもせず、緋月は辛うじて生き残っていた内側のドアノブを掴んで引いた。
自称刑事の男がギョッとした表情を晒した直後、慌てて拳銃を構え直す。
たっぷりの白髪をセンター分けで適当に伸ばした、革のジャケットとジーンズ姿の五十代くらいの男だ。身長は百八十センチくらい。がっしりした体型だが、少し腹が出ている。
腰のベルトには拳銃のホルスターと警官であることを示すバッジが掛けられているのが見えた。
いかにも仕事終わりにバーで飲むのが習慣になっていそうな、少しやさぐれた感のあるベテラン刑事……みたいな印象だ。
「……なんだお前等」
部屋の中へ視線を巡らせた刑事が、少し困惑した様子を見せる。
当然だろう。部屋の中にいるメンツは統一性がなさすぎた。服装も、この村の人間とは思えない。しかも、年端もいかない少女までいるのだ。それも明らかに東洋人の。
森の奥の寂れた村にいる一行としては奇妙すぎるだろう。
だが、困惑も一瞬のこと。直ぐに目を吊り上げると銃を構え直し――
「ほれ、そのような玩具を突きつけていないで、さっさと入りなんし?」
「あ? お……?……え?」
ひょいっと、いとも容易く取り上げられる刑事さんの拳銃。&バキャッとな。銃身が砕けて、部品を撒き散らしながら床に落ちていく。
よく映画などで見るスタイリッシュな分解技術ではない。まさかの素手での破壊である。
それはぽかんっと呆けても仕方ないという話。
指鉄砲でもしているみたいな間抜けな恰好のまま、刑事さんの視線はコロンコロンッと転がっていく銃の部品を追う。
浩介達の視線も、コロンコロンッと転がるそれを追った。
そして、その視線の行き着く先にバキャッと拳銃が投げ捨てられた。床板に半分めり込む形で。むざん……
なんとも表現し難い空気感と沈黙が場に漂った。
「や、やはり暴力! 圧倒的な暴力は全てを解決する!」
「ヴァネッサ、ちょっと黙ろうか」
緊迫した状況を文字通り一手で破壊した緋月に、ヴァネッサが拍手を送った。
空気を変えるべくヴァネッサなりに頑張ってくれたのかもしれないが……
浩介達は思った。
見てよ、あの刑事さんの表情! ぶっ壊された挙げ句、ゴミみたいに投げ捨てられた銃の残骸を真顔で見つめてるよ! 表情がなさすぎて怖いよ! と。
「あ~、その、なんだ。ともかく! こちらに敵対の意志はない。そして、我々も捜査でここに来ている。なぜデトロイトの警官が来訪したのか……こちらとしても気になるところだ。ひとまず、情報共有といかないか?」
エージェントJの冷静かつ刑事への少し同情が含まれた声音が響いた。
ようやく顔を上げた刑事さんの目にしっかり映るよう、ゆっくりとした動作で銃をホルスターに収める。
自称刑事の男を警戒はしているようだが、仮称グールの群れを蹴散らせる浩介達が傍にいるので、相手の警戒心を解くことを優先したらしい。エージェントKも少し躊躇いを見せつつ続く。
「……いいだろう。ぜひ聞かせてくれ」
素手で銃を握り潰されるという衝撃的な光景を目の当たりにしたせいか。あるいは、丸腰になったが故に警戒心よりも一種の諦めが勝ったのか。
腹をくくった様子で頷く刑事さん。なかなか肝が据わっていらっしゃる。
きっと、犯罪者に銃口を突きつけられても軽口を叩けるタイプだ。それこそ映画に出てくる剛胆な刑事のように。
健比古おじさんが、ちょっと目を輝かせているが……それはさておき。
修羅場なら何度も潜ってきたであろう経験則を感じさせる刑事は、案の定というべきか。一言、添えずにはいられなかったらしい。口の端を皮肉げに釣り上げて、
「三十年来の相棒の犠牲に見合う話であることを祈ってるぜ」
浩介達を睨むように視線を巡らせながら、そう言った。ついでに、新人の時、初めてバディを組んだ先輩警官が引退時に贈ってくれたものだと愚痴を吐くように呟きながら。
あの拳銃、とっても思い入れがあったらしい。
なんとも居たたまれない空気感が漂った。不機嫌そうにしながらも、刑事さんの瞳には隠しようのない悲しみが滲んでいたのでなおさら。
「緋月……いちいち物を壊して解決しようとするのは、もう少し控えてください」
陽晴が溜息交じりに苦言を呈するが、当の緋月さんはやっぱり悪びれた様子もなく肩を竦めるだけだった。
それから。
ソファーで向かい合う形で座った浩介達。もちろん、人数的に全員は座れないので、エージェントJと刑事が正面で向かい合う形で、Jの隣に健比古と陽晴が座り、その後ろのダイニングテーブルに浩介達が座っている形だ。
流石に、自称刑事の隣に我が物顔で座りたい者はいなかったらしい。
エージェントKはやっぱり顔色が悪く壁際の椅子に座っているし、朱やヴァネッサは窓際に立って外の様子を窺っている。
そんな中、
「デトロイト市警のリチャード・ヒル警部か……」
刑事の名乗りを反芻し、警官のバッジに目をこらすエージェントJ。一応、本物らしい。バッジを返しつつ、しかし、清武に視線を向ける。
「キヨタケ、すまないが本国経由でデトロイト市警に確認を取ってもらえるか?」
「了解です、エージェントJ。少し席を外します」
なぜ、わざわざ日本の組織を経由するのか。訝しむように目を細めつつ、リチャード警部が尋ねる。
「で? MCBってのは? あんたら、どういう繋がりだ?」
エージェントJは居住まいを正した。咳払いし、少し視線を泳がせる。
凄く怪しい。と、リチャード警部の目が言っていた。
「MCBとは……魔法的現象対策局の略称だ」
「……はぁ?」
実にまっとうな反応である。そうなるよねぇ~っと浩介達は生暖かい眼差しになった。
エージェントJは大変恥ずかしそう。そして、リチャード警部の表情は徐々に赤みを帯びていく。怒りメーター上昇中だと誰の目にも明らかだった。
「嘘ではない! 貴方が刑事だというなら、ここ最近、奇妙な事件が多いことは認知しているはず! 政府は、そういった不可思議な事件の多発に対応すべく、この度、その捜査に特化した組織を創設したのだ!」
羞恥心からか、声が大きいエージェントJさん。
「まるでMIB気取りだな」
ブラックスーツをジロジロと見て、揶揄するように言うリチャード警部。大正解。
なので、エージェントJは益々恥ずかしそうに視線を逸らした。まるで図星です……と言わんばかりに。
リチャード警部のボルテージ、更に上昇!
「おい、まさか本当に……」
「き、気のせいだ。あくまでたまたま似ているだけだ」
「本名も名乗らず、Jなんてふざけた名を口にしておいてか? 流石に狙いすぎ……」
「本名はジェームズ・フォードだ!」
羞恥心のあまり、普通に名乗っちゃったエージェントJさん。
某映画と違って、世間から存在を抹消することまで強要はされていないので、別にコードネームは絶対ではないのだが……
それでも、身元確認が取れていない相手に明かすのはどうなのだろう。と思う浩介達。
「どうせピカッとするから大丈夫。しっかりしろ、私」
そんな呟きが聞こえてきて、納得と同時にちょっと引き攣る。
どうやらエージェントJさん、情報を引き出すだけ引き出したら、リチャード警部にニューラ・○イザーをするつもりらしい。
咳払いを一つ。
「とにかく、嘘は吐いていない。確認を取れば直ぐに分かることだ」
「はんっ、そうかい。じゃあそうさせてもらおうか」
まったく信じていない様子で、リチャード警部がスマホを取り出す。
そして、直ぐにエージェントJを睨み、「てめぇ」と顔をしかめた。
「電波が通じねぇ。……こんなド田舎の森の中じゃあ仕方ねぇが、分かってやがったな?」
家の中を見回すが、固定電話の類いも見えない。これにはリチャード警部も思わず舌打ちしてしまう。
「衛星電話でも持ってんなら貸してくれ。まさか、身元確認されて困るってこたぁないよなぁ?」
清武が持っているのは異世界製通信機だ。浩介の持つ端末だけでなく、対応課にも異世界間通信の端末はあるので連絡が取れるというだけ。
つまり、端末のない米国内の組織には通じない。
「悪いが専用回線だ。所定の場所にしか通じない」
「なんだそりゃ」
じゃあ、こちらは確認もできずMCBなんて聞いたこともない組織の存在を信じろってのか? と怒り混じりの突き刺すような視線を向けるリチャード警部。
「もちろん、それで良ければ貸与しても構わないが?」
と、健比古が確認を取るように浩介を横目に言うが、リチャード警部は再び舌打ちで返した。
「それじゃあ確認になんねぇだろ。電話の向こうに誰がいるのか分かったもんじゃねぇ」
「ここを出る時に同行しよう。電波が通じる場所に出たら、その場で確認を取ればいい」
「ハッ、それまで俺が生きていられたならな」
皮肉たっぷりの表情を返すリチャード警部は、少しの間、難しい表情をした後、その視線を陽晴に向けた。
「おい、嬢ちゃん」
「はい?」
あくまで自分達はサポーター。この場はMCBに任せるべきと判断し、会話の主導権をエージェントJに一任していた浩介達である。
突然振られた対話の矛先に、当の陽晴共々、戸惑いを見せる。
「何か困ってることはねぇか?」
どんなサインも見逃さんと言わんばかりの真剣な眼差しだった。
それは、子供を守らんとする大人の、そして刑事の眼差しに思えた。
幼子の内心から、浩介達がどういう集団か推し量ろうというのだろう。
それが伝わったのか、陽晴は真っ直ぐに視線を返した。強く、揺るぎない眼差しだった。それこそ、リチャード警部がたじろぐほどに。
「いいえ、何も困ってはおりません」
そうきっぱりと告げて、柔和な笑みを浮べる陽晴。
何よりの証明だった。欠片も無理のない自然な笑みだったから。
だからだろう。リチャード警部は、
「……そうかい。それならいいんだ」
そう言って、エージェントJに視線を戻した。
怒りメーターは冷却されたらしい。疑わしい眼差しは変わらないが、少女が信頼する大人の言い分なら、ひとまずは〝そういうことにして話を聞いてやる〟という気持ちにはなったようだ。
「で、不死鳥の騎士団様は、ここで何をしてた? 何が起きてる?」
皮肉屋なのだろう。不可思議な事件に対応する年齢も人種もばらばらの魔法関係者という意味で、某魔法学校の映画に出てくる魔法騎士団を例えに出し説明を促すリチャード警部。
現実主義というか、魔法だの怪物だの超常現象の類いは信じないタイプの人間らしい。
と、そこで、ちょうど清武が戻ってきた。無言で頷く。どうやら確認が取れたらしい。リチャード警部は、確かにデトロイト市警の警部のようだ。
それに頷きを返したエージェントJは、一拍おいて口を開いた。
「まずは現状だけ簡潔に説明させてもらおう」
頑固そうで、しかも沸点の低そうな刑事さんである。まず、そちらの事情を話せと要求しても、いいやそちらが先だ! と押し問答になりそうな気配がビンビンなので時間の節約だ。
健比古の重傷や欠損再生の奇蹟、魔法や術の話は基本的に秘匿事項なのと、また話がややこしくなりそうなので省き、端的にここで起きたことを伝える。
どんどん険しくなるリチャード警部の表情。眉間の皺の深いこと深いこと。
それが、事態の深刻さ故ではなく、説明の内容自体への不満と不信から来ていることは明白だ。
「……つまりなんだ。この村には人を食う怪物がわんさかいて? 外の死体がそれで? 村人もおそらく全滅? そっちの日本人はこういう事態のエキスパートで、各国のエージェントまで揃い踏み? 国が正式に要請した協力者だってか」
こめかみをヒクヒクさせつつも、リチャード警部は落ち着いた声音で話の内容を反芻し、一拍おいて「なるほどな」と頷いた。
懐からくしゃくしゃのタバコの袋を取り出し、慣れた手つきで一本だけ飛び出させて口に咥え、しかし、陽晴の存在を思い出してかチラッと視線を向け、舌打ちを一つ。吸わずに懐へ仕舞い直した。
そして、
「なめてんのか、てめぇら」
至極当然といった様子でキレた。
ですよね~っと浩介達は思った。それはそうだ。一般人なら、それが普通の反応だ。荒唐無稽にも程があるから。
「残念ながら事実だ」
「あくまで、真面目に答える気はねぇってか?」
リチャード警部の目が剣呑に細められる。エージェントJは肩を竦め、窓へ視線を向けた。
「証明は簡単だ。外の遺体を見ただろう。あんな人間が存在するか?」
「確かに異様な遺体だったが……ありゃ水死体ってとこだろう。それで説明がつく」
変色した皮膚も、肥大化した蹄のような足や爪も、水気を含んで膨張・変形したものと判断したらしい。
「近くに川か湖でもあるんだろう。それか……この村の感じなら井戸があるだろう。現場はその辺りだ。違うか?」
なんとも常識的な判断だった。そして、その鋭い目つきは明らかに殺人事件を疑っていた。同時に、その犯人がこちら側であるか、少なくとも何か知っていると疑っている目だった。
陽晴に視線をチラチラと向けているのは、気遣いと反応を見ているからだろう。
幼子の信頼は善良性の証明だ。だから、ひとまず話は聞く。
だが、そもそも幼子にとっての善良の定義は大人によって定められてしまうことが多い。悪い大人によって歪まされている可能性は否定できない。といったところだろう。
「それか……カルト集団の馬鹿げた殺人とかな? 遺体を装飾したか。生前に何か拷問じみた肉体改造でもしたか。動物の皮を縫い付けられた猟奇殺人の被害者なら見たことがあるぜ? いずれにしろ、まともじゃねぇ」
あくまで現実的に考えるリチャード警部。
もちろん、広場には無力化した仮称グールの群れがいるし、魔法や術の類いでも見せれば考えが変わる可能性もあるが……
この分だと、何かと理由を見いだして超常現象の類いは否定しそうだ。
三十年以上、刑事としてやってきた彼からすれば、事件とは人間が起こすものという考えがしっかりと根付いているのだろう。
そのリチャード警部は、少し考える素振りを見せた後、無言で懐に手を入れた。エージェントJとKが顔色を変えて自分の銃に手を伸ばす。
それを鼻で嗤い、リチャード警部は物怖じすることなく数枚の紙片を取り出し、テーブルの上に投げた。
少しスライドしてばらまかれたそれは、写真だった。
無残にも、上半身と下半身が泣き別れした若い青年の遺体を撮影した写真だ。巨大な爪で引き裂かれたような傷跡が上半身にあり、下半身の写真は食われたみたいに抉れた痕が無数にあった。
元は金髪だったのだろう。ほとんどが血に染まってしまっているが、少しだけ元の色が見える。
その顔は恐怖に歪んでいた。光を失った瞳にはまだ、怯えが宿っているようで。
まるで、見てはいけないものを見てしまったかのような、苦痛よりも恐怖の方が勝っていたかのような、そんな形容し難い歪な表情だった。
ちょっとやそっとでは動じない浩介達だが、それでも息を呑むような凄惨な写真だ。
「これは……」
とエージェントJが窺うように尋ねる。
リチャード警部はなんの色も浮かんでいない無表情になって、しばし写真を見つめた後、重苦しい声音を漏らした。
「相棒だ」
ヒュッと息を呑む声が聞こえた。エージェントKだ。少しはマシになりかけていた顔色が再び真っ青に染まっている。カタカタと指先が小刻みに震えていた。
「さっき、奇妙な事件が多発していることを認知しているはずって言ったな。ああ、知っているとも。まさに、そういう事件を俺達は追っていたんだからな」
ポツポツと零すように語り始めるリチャード警部。
曰く、発端はミステリー小説の如き密室殺人だったらしい。被害者はフリーの記者。
だからだろうか。恨みを買うことも、危ない橋を渡ることも多々あった男は人一倍、扉や窓のロックには気を遣っていたのだが……
幾つもの錠はそのままに、記者の男は部屋の中で殺されていたのだ。
自殺でないことは明らかだった。なぜなら、部屋の壁に磔にされていたからだ。奇妙な魔法陣ともいうべき図形が描かれた壁に。
カルト的な犯行だった。
その捜査を、リチャード警部と警官三年目だった若き相棒ティム・シークレストが担当することになった。
科学的捜査のみならず、あらゆる有識者の協力を得ても殺した方法すら分からず、当然ながら捜査は難航。
そうこうしている間に、あまり治安のよろしくない地域で失踪者が相次いでいることが判明した。
元々、準犯罪者――否、明確な証拠がなくて手を出せていなかっただけで、明らかに犯罪に手を染めていた連中である。
警察に相談するなんてことはなく、発覚が遅れたのだ。
「ある日、なんの前触れもなく忽然と姿を消す。何かの裏取引に出て、そのまま取引現場に顔を出すこともなく二度と姿を見せない。なんて、どうせ敵対している連中に何かされたんだろうって事件は珍しくもない地域だ。だが、密室状態の部屋から何人も姿を消せば、ふてぶてしい連中でもいい加減ビビる奴は出てくるわな」
「なるほど。それで発覚したのか」
まだ少年と称していい年齢の住人が怯えきった表情で警察署に駆け込んできたらしい。
「ガキの証言は支離滅裂だった。事件の部屋から異様な気配がしたとか、何か奇妙な黒い影を見たとか。普通なら相手にしないが……だが、密室からの失踪だ。気になるのは当然だろう?」
手がかりすら掴めていなかったリチャード警部達である。無視などできるはずがない。
だが、やはり密室の謎も手がかりも掴めず。
その間にも、今度は別部署が捜査を進めていた犯罪組織の構成員が皆殺しにされる事件なども起き、その現場にはあの魔法陣が描かれていた……なんてことも。
遅々として進まない奇怪な事件の捜査に頭を抱える日々が続いた。
「根の詰めすぎっつーか、ティムの野郎、段々、思い詰めているような様子になってな。働きづめだったし、半ば強制的に休暇を取らせた。だが、あの馬鹿、その間も独自に捜査をしていたんだろうよ」
その休暇中の、ある晩のことだった。
「夜中に、あいつから連絡が来た。メールだ。事件の手がかりを掴んだから、これから、その現場に行くってな」
「手がかり?」
「詳細は分からねぇ。相当、焦っていたみたいだな。折り返し連絡をしたが出なかった。あるいは……出られなかったか。とにかく、メールには地図だけ添付されていた」
先走りやがってと悪態を吐きながら、リチャード警部は家を飛び出したらしい。
車を走らせ、地図が示す場所に向かった。
そして、到着した古い廃ビルの一室で相棒と合流した。
そう、無残な姿に変わり果てた若き相棒と。
「本当に馬鹿な奴だ」
リチャード警部は、再びタバコの袋を取り出した。陽晴に気を遣う余裕がないのだろう。自然な動きでタバコを咥え、火をつける。
一呼吸し、紫煙をゆっくりと吐き出す。
「クソ熱血野郎でな、鬱陶しいったらねぇ。朝から晩まで、それこそ家に帰っても捜査のことしか頭にねぇ。犯罪者は絶対に捕まえるんだってな。挙げ句、酒の飲み過ぎだの、運動不足がすぎるだの、この俺にまで説教してきやがる」
文句を垂れながらも、リチャード警部の声音に怒りや不快感はなく、ただただ平坦だった。感情を努めて抑制しているみたいに。
「そのくせ俺の酒を飲む姿が格好いいからって、大して好きでもねぇくせに、カルガモのヒナみたいに俺についてきて隣で飲みやがるんだ。俺は一人で静かに飲むのが好きなのによぉ。隣でぺちゃくちゃぺちゃくちゃず~っとしゃべってやがんだ。ほんと面倒な奴だったぜ」
浩介達は、ただ静かに警部の話を聞いた。事件には直接関係のない話だったが、そうすべきだと思ったのだ。
「だが、良い奴だった」
リチャード警部の視線が、過去から戻ってきた。その声音は力強い。そして、怒りが滲んでいた。
「断じて、あんな死に方をしていい奴じゃなかった」
「リチャード警部……お悔やみを申し上げる」
エージェントJの沈痛そうな言葉に、リチャード警部は自分が熱くなっていることに気が付いたのか、誤魔化すように溜息を漏らした。
「あの日、あいつはいったい何を知った? それを確かめたくて、あいつのパソコンやメモを漁った。遺品整理も兼ねてだがな。そしたら、なぜか別の地図が出てきた」
「なるほど。それが、ここを示した地図だったというわけか」
「ああ」
地図にはチェックマークだけがついていた。メモの類いはない。なぜ、そこをチェックしたのかは分からなかった。
ネットのマップサイトで衛星画像を確認すれば、森の中の開けた場所に村があるのは確認できたが、村の名称は表示されず。
見るからに閉鎖的な村は、案の定、ストリートビューも表示されなかった。
図書館で古い地図を漁って、ようやく村の名前がヴァンウィッチというらしいと分かっただけ。
「デトロイトからはるばるミシガン州の中央北部まで、わざわざ休暇を取って手がかりとも言えない手がかりを追ってえっちらおっちら。ドライブ中は俺も相当ヤキが回ったと自嘲したもんだが……どうやら大当たりだったらしい」
口の端を不敵に釣り上げて、リチャード警部は写真を懐に仕舞い直した。
「俺は本気だ。死ぬのなんて怖かねぇ。これが警官人生最後の事件で構わねぇ」
だから、とリチャード警部は身を乗り出した。その顔に浮かぶのは凄まじい覚悟と気迫だった。鬼の形相と称しても過言ではない激情が浮かぶ顔だった。
迫力に気圧され一瞬惚けた隙に、エージェントJは胸ぐらを掴まれてしまう。
グイッと引き寄せられたエージェントJに、ベテラン刑事らしい凄みのある目つきが突き刺さった。
「だからよぉ、あんま俺の忍耐を試すようなことすんな。真実を話せ」
端から超常現象なんて信じていないタイプのリチャードからすれば、エージェントJの事情説明はお巫山戯にしか思えなかったのだろう。
俺は事情を話してやったぞ。知りたいことは知れたろ? もう用済みだな? さぁ、どうする?
相手は丸腰の男一人だ。正式な捜査で来たわけでもない。何かあっても目撃者もいない。
言外に伝わるリチャード警部の意志と覚悟。
己の命を懸けて、エージェントJ達の反応と行動を確かめようとしているのが伝わってくる。
一触即発の雰囲気。
陽晴が肩越しに振り返り、浩介と視線を交わす。頷いた浩介は視線で健比古達に動かないよう制止し、エージェントJを見やりながら静観の態度を取った。
一斉に取り押さえられることも想定していたのだろう。リチャード警部は周囲に素早く視線を巡らせ、見極めるように目を細める。
一瞬、視線を彷徨わせたエージェントJは、一拍おいて静かな声音で口を開いた。
「……疑うのは当然だが、もう一度言う。私達は警部の敵ではない。危害を加えるつもりは一切ない」
「……」
「この村で起きていることは己の目で確かめればいい。この世の裏で起きている超常的な真実もな」
落ち着いた眼差しで、リチャード警部としっかり目を合わせるエージェントJ。
しばらく互いの眼光がぶつかり合った。
「……ふん。黒幕はヴ○ルデモートですってか?」
先に引いたのはリチャード警部の方だった。皮肉を口にしつつも手を離す。そして、踵を返した。
「上等だ。だったら、この目で確かめてさせてもらおうじゃねぇか。ガイドを頼むぜ、MCBのキン○スリーさんよぉ」
どうやら早速、村の調査をするつもりらしい。
いつまでも家の中で会話していても埒が明かない。ここで起きている真実を直接確かめながら、道中にMCBの真実も説明しろということだろう。
ズカズカッと無遠慮な足音を立てながら、さっさと家を出て行くリチャード警部。
浩介達は顔を見合わせた。
「……我々がここに来た理由も説明しそびれたままだ。道中で一緒に説明させてもらおうか」
「あ~、そうっすね」
エージェントJに、苦笑しつつ頷く浩介達。
そうして、揃ってリチャード警部の後を追うべく立ち上がり、
「ところで、あんな強面の頑固そうなおじさん警官なのに、ハリー・○ッターが好きなんてちょっと意外じゃありませんか?」
唐突に、ヴァネッサがそんなことを言った。例えや皮肉の尽くが某魔法学校の映画なので、そう思ったらしい。え、そこツッコミ入れる? と浩介達がなんとも言えない表情になる。
「別にいいじゃないか! おじさんがハリポ好きでも!」
なんか健比古おじさんがすっごい反応した。清武と陽晴が顔を見合わせる。
「……親父、好きだもんな。何度USJに連れて行かれたことか」
「そう言えば、わたくしの七歳の誕生日に、魔法の杖をプレゼントしてくれましたね……」
健比古おじさんも、ハリー・○ッターシリーズが大好きらしい。実は学生のローブや推しキャラの魔法の杖も持っている。
「あ、別に揶揄したわけではありませんよ! ちょっとやさぐれてるっぽいおじさんがハリポ好きなんて、ギャップがあって可愛いですよね? という話です」
なんだ、そうか。それならいいよ。と納得する健比古おじさん。
だがしかし、さっさと出て行ったくせに実は玄関の前で待ってくれていたらしい、ちょっとやさぐれているおじさん的にはビキッと来たようで。
玄関からガバッと顔を出し、
「次に俺を可愛いなんて言ってみろ、小娘。捜査官としての格の違いを、拳骨で教えてやる」
「イ、イエッサー!」
先程、エージェントJに迫った時よりも迫力のある眼光だった。こわ~い己の上司と重なったのか、思わずキレのある敬礼を返しちゃうヴァネッサ。
舌打ちを一つ。不機嫌そうな声音で「さっさと行くぞ!」と怒声を上げ、再度出て行くリチャード警部を視線で追いつつ、
「ヴァネッサさん、もう少し空気を読んでほしいのです……」
「クレアさん……空気を読んでウィットに満ちたジョークを口にしたんですが……」
「ヴァネッサ・パラディ。お前の空気読みは基本的に読めていないことを、そろそろ自覚した方がいい」
朱の言葉に、浩介達は揃って苦笑した。共通認識だったらしい。
ヴァネッサは普通に落ち込んだ。
リチャード警部が家の前の死体をしっかりと検分し、どう見ても人間に見えない異形の姿に顔をしかめて、しかし、それでも頑固に、
「……ハロウィンで、こういうのを見たことがある。最近は特殊メイクの技術とかも随分と進んでいるからな……人形だろう」
なんて理屈をつけた後。
自分でも無理があると思ったのだろう。すっかり黙り込み、それでも村人がいないかと周囲の家々を調べつつ、浩介達に促されて村の中央の広場に向かっている道中のこと。
「あ~、つまり、南雲の要注意組織リストに、元々この村が載っていたわけか……」
「そういうことだ」
このヴァンウィッチという村に来訪した理由を、エージェントJから聞かされる。
曰く、元々世界中の危険そうな組織を調べていたハジメは、このヴァンウィッチ村の存在にも気が付いていたらしい。
と言っても、要監視対象の危険な組織というわけではなく、調べてもよく分からない正体不明の神を古くから崇めている閉鎖的な村という点で、一応、リストに入れただけだが。
当然、そのリストはMCBにも共有されていた。
当局もヴァンウィッチ村にはさほど注意を払っていたわけではない。村や村人が何か事件を起こしたなんて情報もなく、何より古い村だったからだ。独自の因習や宗教観があっても不思議ではないと。
だが、今から一月ほど前、その認識を改めるべきことが起きた。
とある大学の宗教学関係の教授が行方不明になったのだ。最近、ネットでも話題にあがりがちな不可思議な事件を、新興宗教組織と結びつけて独自に調べていたらしい。
なのでフィールドワークに出ること自体は珍しくなかったが、無断で講義を何日も休んだとなれば話は別だ。そんな人柄ではなかったから。
当然、捜索願いが出され、捜査の結果、最後の足跡が発見された。そう、このヴァンウィッチ村に向かうというメモだ。
「ナグモ? 誰だ?」
「MCBの協力者だ。彼等と同じ、いや、彼等のリーダー的な存在だ。我が国の超常的な事件に関して、多大な協力を頂いている」
「……なんか胡散臭いな」
ふんっと鼻を鳴らすリチャード警部。
「で、そのなんたらって教授は結局見つからなかったんだな?」
「ああ。地元の警官がここに訪れて聞き込みをしたらしいが、村人は誰も知らなかったし、教授が訪れた痕跡も見つからなかったらしい」
「一月前までは村の方々も無事にいらしたんですね……」
陽晴が沈痛そうな表情で呟く。エージェントJは頷き、続きを口にした。
「だが、無駄ではなかった」
「戻って来た警官の様子がおかしかったらしい。酷く怯えていて、数日経っても異様に何かを警戒する素振りを見せていたのだとか」
健比古の補足説明曰く、警官は村にも村人にも何か異様な気配のようなものを感じ取っていたらしい。薄気味悪く、どこにいても常に見られているような怖気を感じていたとか。
そしてそれは、逃げ帰るようにして森の外の町に戻ってきても続いたらしい。
それから徐々に精神を病んでいき、今は精神病院に入院しているのだという。
「なるほどなのです。それでMCBに連絡が入ったのですね?」
クラウディアの確認に、エージェントJは頷いた。
「末端の組織ほどMCBの情報は制限されているが、町の小さな署であっても、署長にはオカルト関連の事件は上に報告する義務が課されるようになった。警察は縄張り意識が強いからな……無視する署も多いが、その署長は規則を守るタイプだったらしい。幸いなことにな」
あるいは、署長も怯えていたのかもしれない。
何せ、MCBのエージェントが入院中の警官を訪ねた時、彼はすっかり精神を病んでいてまともな会話もできず、ただ譫言のように、
――出ていけ出ていけ出ていけ出ていけ出ていけ俺の中から出ていけ出ていけ
と呟くばかりだったから。そんな異様な姿を見れば署長が手に負えないと思うのも無理はない。
「そうして、前任者達は戻って来なかった……」
ぽつりと、震える声で漏らしたのはエージェントKだった。顔色は一向に戻らない。彼の瞳にもまた怯えが滲んでいた。
リチャード警部の相棒の死に様を見てから、より一層、怯えが酷くなったように思える。年齢も背格好も髪色も似ていると言えば似ている二人だ。彼の死に、自分を重ねてしまったのかもしれない。
そんな相棒の姿を、エージェントJは目を細めて何か考えるように見つめ、溜息を一つ。
「そう、我々は後任なんだ。一週間ほど前、先に二人のエージェントがここに訪れた。そして、連絡が途絶えた」
由々しき事態だ。この古い村で何かが起きている。それも、おそらく超常的な何かが。
「局長は調査を一時中断した。二次被害を恐れてだ」
「当然ですね。あく――ごほんっ。出向員は?」
既に多数派遣されている魔神勢力からの特別な出向員――中身が悪魔の人間そっくりな人形集団。
つい悪魔と口走りかけて、浩介は慌てて言い直した。隣の刑事さんが訝しそうにしているが、特に口を挟んでは来ないのでギリセーフっぽい。
オカルトは信じていないタイプなので、悪魔と聞いても何かの比喩だとでも思うだろうが、ややこしいやり取りの種をわざわざ撒く必要はない。
「もちろん頼んだ。他の事件に出払っていたので三日ほど経ってしまったが、村に出向いてもらった」
しかし、その時には既に村人の姿はなかったらしい。
「エージェント達の姿も発見できず、怪物が存在したなんて報告もされなかったんだ……」
あるいは、当局に目を付けられたことで、村を捨ててどこかに逃げたのでは? とMCBは判断したらしい。
とはいえ、事態が事態だ。局長は慎重を期すべきと判断し、村への立ち入りを禁止。
一週間ほど後に来訪予定だった協力者一行を当てにして、合同捜査を申し出る予定だったのだとか。
健比古が困ったような表情で言う。
「エージェントJは、失踪した二人のエージェントが心配だったんだ。正式な合同捜査が始まるまで待っていては、もしまだ生きていても手遅れになるかもしれない。そんな時、事前準備で我々が来訪したものだから」
「ええっと、つまり……独断専行?」
と浩介が尋ねれば、エージェントJは目を伏せてしまった。
「っ、……その通りだ。局長には報告していない」
健比古達の協力を仰ぐので村に調査に入らせほしいと局長に頼んだが、局長は首を縦に振らなかった。正式な人員ではないし、万が一があっては国際問題になりかねないとの判断からだ。
「健比古達には申し訳ないことをした。全ては私の責任だ。本当にすまないっ」
「いや、Jの仲間を案ずる気持ちに、協力すると決めたのは我々だ。怪物の存在は予想し得ないものだったしな。どうか気にしないでくれ」
逸った自覚があるのだろう。忸怩たる思いと、危うく死にかけた健比古に申し訳なさそうに謝罪するエージェントJ。そんな彼の肩に、健比古は手を置いて首を振った。
次いで、浩介達に改めて手を煩わせたことへの謝罪を口にする。
救援自体は構わない。だが、悪魔人形により事前調査で無人の村と判断された上とはいえ、独断専行は不味かろうと浩介達が思わず苦笑を浮かべてしまう中、
「ハッ、どこのエリート様かと思えば、お前さん、なかなか見所があるじゃねぇか」
リチャード警部だけはガッハッハッハッと大笑いを響かせた。Jの腕をバシバシ叩いて上機嫌である。なぜか好感度が上がったらしい。
このおっさん刑事、絶対独断専行の常習犯だな……? と、浩介達は確信した。
そうこうしている間に、広場が見えてきた。
大穴から唸り声が聞こえてくる。何体かは目を覚ましたらしい。
既に分身体は消しているが飛び出してくる様子はなく。
「あ? なんだ、この音は……」
警戒したように呟くリチャード警部を連れて穴の縁へ赴く。
そして、リチャード警部は固まった。
「な、なんだこれは……」
土属性魔法で空けられた七メートル以上ありそうな深い穴は、上に行くほど反り返っていて脱出を著しく困難にしている。更には触れるだけで斬れてしまいそうな金属糸も蓋のように張り巡らされていた。
その底には積み重なるようにして仮称グールが大量に横たわっており、同族を踏みつけるようにして数体のグールが唸り声を上げている。
「さて、どうだろうか、警部。水死体でないことは証明されたが、あれが人間に見えるだろうか?」
「……」
絶句しているリチャード警部。答える余裕はない、いや、必死に理屈を探しているのだろう。この世にこんな怪物がいるはずないと。
だが、穴の底に蔓延る怪物の姿は、何より雄弁に事実を突きつけてくる。
リチャード警部は一歩、また一歩と後退った。
「これは……お前等が?」
「正確には、彼等が」
エージェントJが視線で浩介達を指し示す。リチャード警部は感情の読めない眼差しで浩介達を見やり、一度、瞑目した。眉間を指で揉みほぐす。
「あれは……なんなんだ?」
「私達もそれを知りたいと思っている。どこから来たのか。どいういった存在なのか」
「何も分かってねぇってことか……」
現実を直視するように、改めて穴の縁に寄って覗き込むリチャード警部。
「意思疎通は? 会話はできるのか?」
エージェントJが浩介を見やる。意を受けて浩介が代わりに答えた。
「今のところ、そんな個体は見当たらないですね」
「ここにいるので全部か?」
「やむを得ず殺した個体は、別の場所にまとめてます」
「殺せるんだな? いや、聞くまでもないか」
「まぁ、物理攻撃が効く相手なんで。頑丈ですし素早いですが、当たり所が良ければ拳銃でも倒せますね」
「そうか……」
リチャード警部の視線が再びエージェントJに移る。
「こいつらをどうするんだ?」
「さて、流石にそこまで独断専行はできないからな。何はともあれ局長に報告してからだ」
異世界製通信機の端末はMCBに置いていないので、森を出てから普通に連絡を取ることになるだろう。
「……ティムが殺されたのは、これに関わる何かを知ったから……か? あんな獣に襲われでもしたみたいな死に様……こいつらなら、できそうだな……」
「警部……」
まさかデトロイトにも仮称グールはいるのか。だとすれば、他の都市にも?
誰もがそんな事態を想像した、その時だった。
「! 今のはなんだ!?」
リチャード警部が突然、大声を発した。かと思えば、突然走り出してしまう。
「警部!? いったいどうしたんだ!?」
「何かいた! あの教会っぽいところに入っていった!! 黒い外套を羽織っているように見えたぞ!!」
「なっ、待て! そこに入ってはいけない!! 危険だ!」
エージェントJが、否、Kも健比古も、そして清武も血相を変えて制止する。だが、警部は相棒殺しの手がかりと思ったようで、
「そんなこと言ってる場合か! 何か知ってるに決まってる!! 絶対に逃がさねぇ!!」
聞く耳を持たず、十字架は掲げられていないが確かに教会っぽい大きな建物へ突進していってしまう。
「浩介君!!」
「浩様!!」
「おう、任せろ!!」
清武と、何かを感じ取ったのか陽晴も真剣な表情で浩介に呼びかけた。
全員で後を追いながらも、生み出された分身体が一瞬のうちにリチャード警部と距離を詰める。
だが、制止する前にリチャード警部は教会の大きな木製扉に到達。
両開きの扉が、ちょうど人一人が入れるくらい開いていたのもあって警部はするりっと中に入ってしまった。
直ぐさま後を追って中に入る浩介。
その直後だった。
何かが横合いから飛び出した。と認識した刹那には、
「ぐわぁあああああっ!!?」
浩介は悲鳴を上げることになった。片腕を持っていかれたからだ!
左腕が肩口からごっそり抉り取られている!
「大丈夫か!? 俺!」
「大丈夫だっ、俺! つい悲鳴を上げちゃってごめんね!」
ぼふんっと消える分身体。
後から入ってきて「何をやってるんだ……」みたいな目を向けてくるエージェントJや健比古達。
そして、分身という意味不明な事象を見て、尻餅を突いた状態で惚けているリチャード警部。
そんな中、浩介は早くもサングラスをつけた。室内なのに。外は薄暗いのに。
その視線の先に、それはいた。
黒い靄のようなものを纏っていて姿は判然としない。ただ、四足歩行で犬のような姿なのは間違いなさそうだった。
「気を付けろ、遠藤君! そいつだ! 私の腕を持っていったのは! 神出鬼没だぞ!!」
健比古が震えを帯びた声で警告する。
それに浩介は、否、
「フッ、委細承知!!」
深淵卿はいつものようにキレッキレのターンをして応じた。
そして、ターン中に飛びかかられて、
「くそぉっ、腕を持っていかれたぁっ」
「大丈夫かぁっ、俺ぇっ」
「まだターンしてる途中でしょうがぁっ!! 空気読んでよね!?」
天丼した。いつの間にか入れ替わっていた分身体と共に。
一瞬、心配の声を上げそうになった陽晴達だったが、顔を見合わせて一拍。
大丈夫そうだ! と頷き合い、ササッと外に出たのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
※新刊発売のお知らせをさせて下さい。『コミック16巻』が既に発売しております!
今回の表紙は雫! 例の如く巻末に短編を書かせて頂きました。雫の一人称視点でのお話。またユエが人たらししている話でもあります。漫画共々、楽しんでいただければ嬉しいです! よろしくお願いいたします!
※ネタ紹介
・不死鳥の騎士団
『ハリー・ポッター』シリーズより。例えに出たキングスリーも騎士団員です。ちな、白米は割とフォイが好きです。
・まだターンしてる途中でしょうがっ
ドラマ『北の国から』の「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」より。




