閑話 その頃、地球では ①
本日より再開です。よろしくお願いいたします!
八月初旬。学生にとっては夏休みが始まったばかり。
とはいえ、部活は当然、補習や特別講習等々、夏休みの間とて学校は閉鎖されない。普段とは比べるべくもないが、それでも少なくない学生が登校している。
夏の日差しが厳しい今日も今日とて、一部は気怠そうに、一部は熱意を以て、あるいは単に友人達との時間を楽しむ学生達。
講習の合間の廊下は、セミの大合唱に負けず劣らず賑やかだ。
そんな廊下の一角に、
「…………おかしい」
なんとも不審感たっぷりな小さな呟きが。
廊下で談笑しているとあるグループの方を、柱の陰から顔を半分だけ出して観察している不審者がいた。
教頭先生だった。
和浦教頭先生ことカツラ先生である。今日も先生の黒髪は艶やかだ。
そんな髪の完璧さに反するように、デフォルトの不機嫌顔が今日は一段と渋い。眉間の皺は深く、眼鏡の奥の目は不審感でいっぱいである。己の不審さを失念するほど。
「とはいえ、教頭先生。悪い変化ではありますまい」
実は、教頭先生には不審者仲間がいた。
まるでトーテムポールのように中腰で幸子先生が、片膝立ちで浅田先生が同じく覗き見している。
ある日、突然軍人口調になって以降、体も鍛え始めた浅田先生は今や立派なマッチョ。数学教師なのに体育の先生より日焼けし、袖は肩までたくし上げるのがデフォで、上腕二頭筋のアピールに余念がない。
そんな浅田先生の潜めた声に、教頭先生のカツラを密かに戻し続けたことでスネーク幸子と呼ばれるほどのスニーキング能力を身につけた幸子先生もコクコクッと頷いている。
なお、幸子先生の口数はスニーキング能力の向上に反比例して少なくなっていくらしい。今は授業以外でほとんどしゃべらなかったりする。
閑話休題。
「確かにそうだ、浅田先生。悪いことではない。むしろ、本来なら望ましいことだ」
「で、ありますな」
「だが、だがしかしだ。彼女は……彼女は畑山先生なのだ! 見ろ! あれが畑山先生かね!?」
そう、教頭先生達が不審者している理由は愛子にあった。
廊下の先で、愛子が生徒達と談笑している。後ろには愛子が指導担当の新任の若い男性教師もいた。
それ自体は何もおかしくない。愛子は生徒から人気だ。頻繁に呼び止められるし、談笑に興じることも多い。つまり、いつものことだ。
だが、違うのだ。この一週間ほど、明らかにおかしいのだ。まったくらしくないのだ!
と、その時、それを証明するような出来事が。
部活で登校していたのだろう。サッカー部のユニフォームを着た男子生徒が階段を駆け上がってきて、そのままの勢いで角を曲がろうとした。
ちょうど愛子達がいる方向だ。
同時に、愛子と談笑していた女子生徒の一人が、愛子に挨拶をしながら階段の方へ歩き出した。
階段も廊下も見える位置にいた教頭先生達が思わず「あっ」と声を上げる。
このままではサッカー男子と談笑女子がぶつかってしまう! と。
だが、そうはならなかった。教頭先生達が警告の声を上げる前に愛子が動いたからだ。
「待ちなさい」
「ふわぁ!?」
すれ違い様に談笑女子の手を取り、場所を入れ替えるように引き寄せる。刹那、角から飛び出した男子が目の前の愛子に驚き、目を見開いた。
反射的に踏みとどまるも前につんのめって倒れ込むサッカー男子。
そんな彼を、愛子は実に華麗に受け止めた。胸元に手を添えながら軽く一歩下がって勢いを完全に殺し、ふらつくこともなく支えている。体格の差は歴然なのに。
今までなら、というか一週間くらい前までならあり得ない光景だ。
時折、見えない位置にいる人の気配を察知するなど驚くべき能力を見せる時はあるが、しかし、彼女の空回り体質まで改善されているわけではない。
今だって、談笑女子を庇うことはできても、本来なら「あわわっ」と慌てるあまりサッカー男子君まで支えることはできなかったはずだ。
たぶん、一緒に倒れ込んでクッション代わりになるか、サッカー男子君の転倒は防げても自分は尻餅を突くか。どっちかだろう。
慌てることもなく、それどころか怜悧とさえ表現しても過言ではない凜々しい表情で、生徒二人を完璧に捌くなど……
「……やはりおかしいっ」
「た、確かに、今のは畑山先生らしからぬ格好の良さでしたな!」
教頭先生の言葉を浅田先生は否定できなかった。幸子先生も激しく頷いている。
他の生徒達や新任の先生も目を丸くして動けずにいる間に、呆然としつつも体勢を戻したサッカー男子の前へ、愛子先生は立った。
真下から見上げてくる目は、とても厳しい。
「廊下を走ってはいけません。高校生にもなって、まだそう教えられないといけませんか?」
「あ、いえ、その……ちょっと急いでて、それで――」
妙な迫力にしどろもどろになるサッカー男子君。無意識に一歩後退りそうになるが……
止められてしまう。言い訳も同時に。
くっと背伸びして腕を伸ばした愛子先生が、サッカー男子君の鼻先にメッと指先を突きつけたからだ。
「言い訳より先に、すべきことがあるのでは?」
「え? あ……す、すみません!」
愛子の視線がついっと横を向く。それに釣られて視線を向ければ、ぽかんっとしている談笑女子と愛子先生の手が繋がっていることに今更ながらに気が付く。
愛子先生が彼女を庇ったことは容易に察せられた。ようやく危ないところだったと理解して、慌てて頭を下げるサッカー男子君。
途端に、愛子先生の表情が綻んだ。厳格な雰囲気もフッと霧散する。ギャップのせいか、その場の者達には、まるで花咲くような笑みに見えた。
「はい、ちゃんと謝れましたね? 良い子です♪」
「!!?」
下げた頭を優しくポンポンされて、恥ずかしさに顔を上げれば、そこには先程までの厳しい表情が嘘のような優しい笑顔が。
それは今までの愛子先生が見せてきた、見る者に微笑ましい気持ちを与える童顔特有の可愛らしい笑みではなく、大人の女性の余裕と慈愛に満ちた笑顔だった。
サッカー男子君の顔がきゅ~~っと赤くなっていく。
そこへダメ押し。
「大事なのは繰り返さないことですよ? 次も同じことをしたら、もっと厳しくメッってしますからね?」
くすっと笑いながら、でも本気だろうことが否応なく伝わる眼差しで、またも鼻先にメッと指先を突きつけられる。
なんだろう、この気分は。と、サッカー男子君は思った。否、周囲の生徒達や、たぶん新任の先生も思ってる。
まるで、そう、素敵な年上の女性を前にした青少年、あるいは憧れのお姉さんを前にした少女の気分というかなんというか。
加えて、愛子先生は半袖ブラウスと膝丈スカートという至って普通の夏服なのだが、しっとり汗で湿った肌感とか、外された第一ボタンから少しだけ見える鎖骨とか、暑さのせいかほんのり上気した頬とか……
ほんとなんだろう、この気分は。
小動物先生だなんて呼ばれてしまうくらい色気の欠片も感じられなかった目の前の低身長童顔先生が、やたらと色っぽく見えてしまう!
そんな先生が、身長差のせいもあって上目遣いで自分を見つめている。
サッカー男子君は思った。思ってしまった。
むしろ、メッされたい……と。
新たな扉をこじ開けられた(?)かもしれないサッカー男子君だったが、しかし、「お返事は?」と慈しむような眼差しと共に小首なんか傾げられたら……
「は、はい! 気を付けます!」
そう言うしかない。畑山先生の期待は、裏切れない! 裏切りたくない!! と、顔を真っ赤にしながら。
あたふたとその場を去っていくサッカー男子君。
微笑ましそうに見送る愛子の姿が、また一層、大人の女性の余裕的なものを感じさせる。
その視線が、次いで談笑女子に向いた。
「いきなり手を引っ張ってごめんなさい。痛くありませんでしたか?」
痛めていないかと談笑女子の手を両手で包み込むようにして握り、それどころか優しくさすりさすり。もちろん、談笑女子に向ける眼差しは慈しみと心配に溢れている。大事に想われていることがこれでもかと伝わるほど。
「え、あ、ぜんっぜん! 庇ってくれてありがと、愛ちゃん先生!」
談笑女子の顔も赤くなった。握られた手が妙に熱い。庇われた時に一瞬見えた横顔の格好良さを思い出したのもあって、こちらもこちらでしどろもどろ。
そんな談笑女子にもしっかりと、とどめ(?)が刺される。
「良かったです。大事な生徒を守れて」
「ッッ!?」
ふにゃりと綻ぶ愛ちゃん先生の表情に、談笑女子から「ん゛ん゛っ」と汚い声が漏れ出す。なんだか新たな扉を開きそうになって、慌てて手を引き抜く。
そして、サッカー男子君同様、動揺しながらその場を去っていった。
周囲の生徒達がわっと愛子の周りに集まる。新任先生の尊敬パラメーターがぐんぐんっ上昇しているのが、そのキラキラな眼差しでよく分かる。
いや、それどころか少し別ベクトルの熱も見て取れるか……
「ねぇねぇ、愛ちゃん。やっぱりさ……男、できたでしょ?」
「そ、そうなんですか!? 畑山先生!?」
女子生徒の一人がにやけ顔で尋ねた瞬間、新任先生の目に緊張が走った。
一部の女子生徒の間では、愛子の変化をそういう風に予想しているらしい。
答えを興味津々で待たれている愛子はきょとりとした後、一拍おいてフッと笑った。それは大変に魅力的な、酸いも甘いも噛み分けたような余裕たっぷりの大人の女の顔で。
「……ふふ。秘密です♪」
指先を口元に添え、ウインクまで。女子生徒達がきゃーっと歓声を上げ、新任先生が少しばかり肩を落としてしまう。
なんてやりとりを全て見ていた教頭先生から、
「……何者だ」
ドスの効いた声が漏れ出した。目つきが完全に、突然の襲撃者の正体を問い詰める主人公のそれである。
それくらい今の愛子は、教頭先生にとってあり得なかったらしい。
「いやいや、教頭先生。畑山先生以外の何者でも――」
「一生懸命で真面目、生徒第一主義。分かっているとも。それが畑山先生だ。だがしかし。だがしかしだ!」
教頭先生が震える手で眼鏡を押し上げる。推理を披露する名探偵の如く、眼鏡が光る!
「だからこそ空回る! 動揺し、慌てて物事をなそうとして失敗し、上手くいかない現実を前に涙目で震える! それもまた畑山先生だ! あんな余裕に満ちた完璧な対応などできるわけがない!! まして、生徒の性癖をナチュラルにねじ曲げるような雰囲気を撒き散らすものか! 別人だ! あれは畑山先生の皮を被った別の何者かだ!」
浅田先生と幸子先生は、揃って「何言ってんだ、この人」みたいな目を向けている。
確かに気持ちは分からないでもない。それでも諦めずに頑張るところも愛子の良いところで、浅田先生も幸子先生も一人の教師として認め、信頼し、好んでいる一面であるから。
だが、だからと言って別人だなんて、そんなことあるわけがない。
現実的に考えて。
そう、現実的に考えれば。
現実主義の教頭先生、まさかの非現実的大正解である。
この一週間、生徒達の間で密かに「覚醒愛ちゃん」とか「スーパー愛ちゃんモード」とか称されている彼女は、確かに偽物なのだ。
愛子が魂魄魔法で創り出した自律型の分身体である。
ただ、ちょ~~~っとだけ理想の自分という願望が混じってしまっただけで。
オカルト関係はまったくちっとも信じていないのに、愛子の正体を見破った教頭先生は流石の一言だ。どれだけ嫌みっぽくて厳しくても、誰よりも生徒と先生のことを見ているだけはある。
「浅田先生!」
「は、ハッ! なんでありましょうっ、教頭先生!」
「病院を調べてくれたまえ! 評判の良い精神科だ! それから幸子先生! 車の用意を! 直ぐにでも畑山先生を見ていただく!」
「……は、はい!」
現実的に考えれば、確かにそうなる。
実は双子で替え玉だとか、スパイも真っ青な精巧な変装をした別人だとか、そんな荒唐無稽な話より精神に問題が出ていると考えるのが妥当だ。
「私は実際に見たことはないが、いわゆる二重人格というやつなのかもしれない」
「むむっ。解離性同一性障害とも言うあれですな?」
「そうだ。強いストレスが原因の一つと聞いた覚えがある。……くっ、こうなる前に、もっと気を付けておくべきだった。教頭として痛恨の極みだっ」
夏休み前、思わず「欧米かっ」とツッコミを入れてしまった愛子からの一ヶ月もの長期休暇相談。
あの時から疑いは持っていた。心のSOSを、そういう形で伝えてきたのではないかと。
だから、極力優しく接し、なんなら休暇と言わず休職でも構わないと、できる限り相談に乗ったつもりだった。
なんかドン引きを通り越して怯えられた気がしないでもないが……
「畑山先生は真面目で一生懸命な方だ。心配されれば全力で大丈夫だとアピールするに決まっている。その結果が……」
「あの状態なのですな……それならば、急激な変化も納得でありますっ」
幸子先生も激しく頷いている。瞳は使命感に燃えていた。絶対に、畑山先生を病院まで送り届けてみせるっと言わんばかり。
ちなみにだが、分身体は確かに高度な自律性を有し、基本的に愛子の価値観・考え方をトレースするものの、生徒からの相談など必要に応じて遠隔操作に切り替えることも可能だ。
分身体の体内に超極小専用〝ゲート〟を内包したアーティファクトと無限魔力の力業で本体と常時接続することにより、世界を超えても維持・感覚共有・操作ができるようにしてあるのだ。
そして、〝必要に応じた遠隔操作への切り替え〟は、愛子の定期的な感覚共有に基づいた能動的なものと、分身体が緊急事態と判断した場合になされる受動的なものがあって、今はまさに後者だった。
だって、そう大した距離でもないのに、不審者してる教頭先生達に分身体愛子が気が付かないはずがないし。
「他の先生方にも通達し、午後の補講も調整しなければな。後は……畑山先生のご実家にも連絡する。なんとお詫びすれば良いか……ともかく、浅田先生、柳先生! 行動だ! さぁ、行くぞ!」
「ハッ、了解であります!」
「承知しました!」
「ちょっと待ってぇーーーーーーーっ!!?」
愛子が大慌てで教頭先生達のもとへ駆け寄っていく!
「ちがうんです! 私、なんともありません! 絶好調ですぅ!!」
「!!? この感覚……元の畑山先生か!?」
まるで額にキュピーンッと来たかのような表情の教頭先生。もはやその勘の鋭さ、オカルトではないだろうか?
「教頭先生! あのですね、これは一種の、そうイメチェン的なやつで! 新任の先生の指導担当も任せて頂いていますし! もう少し落ち着きを持たないといけないと思って――」
あくまで、先程までの通称覚醒モードは意図的なものだと必死に弁解する愛子。
そんな愛子をジッと観察した教頭先生は、フッと笑った。思わず、愛子が身震いしてしまうくらい優しい表情だった。
「畑山先生。心の悲鳴は、案外、本人こそ気が付かないものだ。なぁに、念のためだ。午後は休んで、一度、病院へ行こう」
「いえ、あの、ご心配をおかけして本当に申し訳ないんですけど、本当に大丈夫と言いますか……」
「ならば、業務命令だ。病院に行きなさい」
愛子は悟った。あ、これダメだ。教頭先生、絶対に医者に診させる気だ! 目に生徒や先生を守らんとする時特有の鋼の意志が宿っているもの! と。
「ああ、そうだ。ついでに健康診断も受けるといい。一度しっかり己をチェックして、見つめ直す時間を取るべきだろう」
「そこまでさっきの私はおかしかったんですか!?」
ちょっと、ほんのちょ~~っとだけ〝できる私〟だっただけのはず。
確かに、ユエさんの大人の女の雰囲気や、シアさん達の良いとこ取りみたいな願望が混じっちゃったけど!
心の病気を疑われるほど本来の自分と乖離していると思われるのは……流石に心外です!
という感じで、ちょっぴり不満を覚えちゃう愛子。
加えて、精神科ならまだしも健康診断はまずい。気温や精神状態に応じた肌の質感や色合いまで再現できる超高度な分身体だが、あくまで魔力体だ。流石に検査なんてされたら大騒動まっしぐらである。
なので、いつも通りになった。
つまり、一生懸命に主張しようと張り切る気持ちと、不測の事態にテンパリ始めた心で空回り一直線。
「びょ、病院なんて行きません!」
「業務命令だと言った――」
「教頭先生! 信じてください! 本当の私の心は、むしろ現在進行形でリフレッシュしています! 楽しんでますし、幸せですらあります!!」
「げ、現在進行形? 幸せ? どういうことかね?」
それはもちろん、本体が旅行の真っ最中だからである。
だが、現状を客観的に見ればどうか。まるで、教頭先生と話している現状が楽しくて幸せだと言っているように見えなくもない。
いつものあれか? あれが来るのか!? と身構える教頭先生。
やはり良い勘をしていらっしゃる。いや、この場合、ただの経験則か。
愛子も愛子で、本体の存在やら異世界でバカンス中なんて荒唐無稽な現状を口にするわけにもいかず、どう説明するか今更迷ってテンパリ具合を加速させ――
「え? あ、えっと、それはその……(ハジメくん達と)一緒にいられて楽しいというか、(異世界の人達の)心配りが嬉しいというか、いっぱい(異世界のあれこれを)見られて感動的というか……」
「なっ、ここ数日、観察していたことに気が付いて……? なのに不快に思うどころか、か、感動的、だと?」
なんて教頭先生の呟きは、必死に言い訳を考えている愛子の耳には届かず。
視線を泳がせていた愛子は、最後にしっかりと教頭先生と目を合わせ、本気の感情が伝わる強い眼差しで言い放った。
「と、とにかく! 心配してくれてありがとうございます! でも、大丈夫です! (旅行中の)今、まさに幸せですから!」
「(今、この現状が)し、幸せ……?」
「はい! 少しいつもと雰囲気が違うかもしれませんが……教頭先生!」
「あ、ああ……」
「私を(新人指導役や担任に)選んで良かったと思ってもらえるよう頑張りますので、これからの私を見ていてください!」
聞きようによっては、妻も子もいる教頭先生が愛子を選んだ(意味深)ように聞こえなくもない。で、その結果、愛子が幸せであるかのような会話の流れに見えなくない。
という状況にざわっと。
もちろん、浅田先生と幸子先生は職員室で日常的に二人のアンジャッシュを見聞きしているので、なんとなく理解している。
だが、生徒や新人教師君はその限りではないので。
「え? 愛ちゃん先生の相手って……」
「いやいやいや、ないないないない」
「絶対なんかの勘違いでしょ? 勘違いだよね? 愛ちゃんのことだし」
「そうに決まってんじゃん。もし、そうじゃなかったら……あのヅラこ○す」
勘違いしそうになる生徒達だったが、なんとかギリギリ大丈夫そう。愛ちゃん先生の愛すべき欠点と会話の雰囲気から、なんとなく事態を察した一部の女子生徒達のおかげで誤解が広がることはなさそうだ。
ただ、新人教師君の教頭先生を見る目が尋常じゃなかったが。
「は、畑山先生! き、君という奴は毎度毎度どうしてそう誤解を招くような言動を――」
生徒達のヒソヒソ会話と新人教師君の犯罪者を見るような目に冷や汗をぶわっと噴き出しながら、できるだけ大きな声で注意をしようとする教頭先生。
なんとしても、愛子の口から真意を――というその瞬間だった。
「あっ、先生いた! もうっ、連絡したのに返信しないし! 職員室にもいないし!」
一人の女子生徒が階段を駆け上がってきた。よく通るうえに焦燥を孕んだ大声だったので、教頭先生は思わず言葉を呑み込んでしまう。
視線を向ければ、そこにはツインテールをぶるんっぶるんっ荒ぶらせて、いつになく慌てた様子なのは通称〝後輩ちゃん〟こと日野凜の姿があった。
剣道部は今日も部活のはずだし、彼女は部長なのだが……なぜか私服だ。さぼりだろうか?
ロック系ファッションで登校してきたことに教頭先生の目がつり上がり、周囲の生徒達も「あ、ひのりんじゃん」とか「ひのりんパイセンなにしてんの?」などと疑問顔になっている。
「日野さん? ダメですよ、校舎内を走っちゃ! それにその服装は――」
「そんなことより! 愛ちゃん先生! 一緒に来てください! あまいお姉さんがまた――あ~~、そのあれです! よく関わる名状し難いあれこれで頭がぱっぱらぱー状態なので、なんとかしてあげてください!」
「どういう状況!?」
定期的にヤバめのオカルト系事件に巻き込まれる極甘党なお姉さん――通称〝バスガイドのお姉さん〟が、何やらのっぴきならない状況にあるらしい。
彼女の逃走能力や生存力はハジメ達をしてオカルトだと言わせるレベルで、実際、いつも自分でどうにか切り抜けている。ハジメから詫びとして贈られた例の緊急救援用キーホルダーも未だに使われていない。
そんな彼女が逃げ切れなかった? しかも、これまたしょっちゅうなんらかの事件に遭遇しながらも、やっぱり自力でどうにかしちゃう日常冒険系女子高生であるひのりんが助けを求めにくるとは……
わけが分からないまでも、とにかく二人がまた何かしらの事件に巻き込まれていることだけは分かる。
これは応じないわけにはいかない。裏の世界の話なら、この場で事情説明を求めるわけにもいかないし。と、ひのりんに手を引かれるまま一緒に階段を駆け下りていく愛子。
「って、こらぁ! 待ちなさい! 君、日野さん! きちんと事情を説明しなさい! 畑山先生も話は終わっていないぞ! 何を素直について行っているんだね!」
急展開で反応が遅れた教頭先生が慌てて階段に駆け寄る。
三段飛ばしくらいの勢いで駆け下りる二人に、手すりから身を乗り出すようにして怒声を上げるが……
「すみませぇーーん!! ちょっと急用ができたので行ってきますぅ! 午後の補講には間に合うよう戻りますのでぇ~~っ!!」
「そんなこと認められると思ったかぁ! 止まりなさい! ええいっ、止まらんかぁ!」
「い、いけませんぞ、教頭先生! そんな勢いで階段を駆け下りたら――アァッ、落ちましたぞ! 教頭先生ぇ! 案の定、大切な頭部装備がっ」
「――ふっ、お任せを」
愛子を追う教頭先生と、ひらりっと取り残されたヅラ。
浅田先生が慌てて追いかけ、幸子先生が地を這うような動きでヅラを回収。一緒に教頭先生を追いかけ始める。
後にはもちろん、新人教師君と生徒達だけが残り。
「……先生、どう? この学校、結構いろいろあるけど……やっていけそう?」
「………ははっ、頑張るよ……」
帰還者達が卒業した後も何かと賑やかな学校。すっかり慣れたらしい三年生の女子生徒の言葉に、置いていかれた新人教師君は少し自信なさげに答えたのだった。
ガラクタの山脈地帯。
そう表現すべきこの場所は、かつて〝ゴミの山脈地帯〟と表現されるべき場所だった。不潔で、異臭が立ちこめ、道らしい道などなく、空は暗雲で覆われ稲光が奔り、まさにこの世の最下層というべき場所だ。
だが、今は違った。
あくまで山脈を築いているのは〝ガラクタ〟だ。ありとあらゆる機械の一部、金属などの資源が投棄された場所で、生ゴミもなければ、まして遺体だって転がってはいない。
オイル臭さ、金属臭さはあるが腐臭の類いはせず、ガラクタ山の合間にはしっかり認識できるレベルの道もあった。
そう、以前は立ち入り禁止であったこの投棄場は、今や人が足繁く通う場所になっているのだ。目的はもちろん、お宝探し。
山積みの機械の中に使えるものがないか、多くの人が今日も今日とてガラクタ山脈を削っては出土品を注意深く検品し、既に価値が決められている物を掘り起こしては、その価値の高低に一喜一憂し、あるいは「はて? これは何に使えるのだろう?」と議論し合う人達で賑わっている。
場所によっては露店なんかもあって、物々交換なり売買なりも行われていて、一見すればスラムのような場所だが鬱屈した雰囲気も危険な気配もない。
ここを訪れる者の多くは、希望と好奇心と、そして活気に満ち満ちていた。
そんなガラクタ山脈地帯の端っこに、まるで他の者達から距離を置くようにしてひっそりと立つ小屋があった。
金属の柱に鉄板を幾枚も溶接して作った壁と金網の窓。まるで継ぎ接ぎだらけの布のような小屋だ。
だが、柔さは感じられない。山脈から突き出した鉄骨や地面に打ち込まれたアンカーなども利用し、自重を支え合えるようしっかり考えて作られているようだ。
そんな見窄らしくも頑丈そうな小屋には看板が掛かっていた。
――初めの工房
日本語に訳したなら、そう読めるだろう。わざわざ金属の棒を鉄板に溶接して文字を作っているので、かなり読み難いが。
よほど、その名称に思い入れでもあるのか。
絶対に壊れないし外れない。そうであれ。そんな強固な意志を感じなくもない。
そんな工房の主は、実のところいろんな意味でかなり有名である。
数々の実用的な機械製品を作り出し、あるいは復活させた腕前はもちろん、一度工房に引きこもると寝食を忘れがちなので、しょっちゅう誰かが差し入れやら様子見やらに来るから、というのもあるが。
やはり一番は――
「ん?」
今日も今日とて工房内に引き籠もり、集めてきたガラクタをああでもないこうでもないと弄くり回していた工房の主が、不意に顔を上げた。
遠くから聞こえてくるバラバラバラッという感じの独特の音。
大変貴重で、ごく一部の者しか使うことができない乗り物――ヘリの音だ。
そんな極一部の者が、なぜガラクタ山脈なんぞにやって来るのか。
それこそ、この工房の主を誰もが知る最大の理由だ。
「今、いいところなのに」
暴風が巻き起こる。ヘリが工房の前の空き地に着陸しようとしているのだ。周囲の人達がわぁ~~っと散っていく中、ヘリの音にも負けない大声が届いた。
明らかに面倒そうな工房の主に向けて。そう、
「リスティーーーッ!!」
この人類再興の拠点たる都――コルトランの総督ジャスパーの義妹たるリスティへ。
工房の暖簾を面倒そうに押しのけて顔を覗かせるリスティ。ちょうどヘリが着陸した。
「なに?」
口数は少ない。愛想もない。おまけに不機嫌顔。それがデフォルト。
そんなリスティの強烈なジト目は、一部の紳士淑女に大変人気だが、それはさておき。
わざわざヘリで来るなとか、総督が軽々しく尋ねてくるなとか、今研究が良いところだったのに邪魔するなとか、ともかく抗議満載の視線を向けられた兄は、いつもなら人類再興の旗頭であるにもかかわらず直ぐ情けない面を見せるくせに、今日ばかりは違った。
「さっさと乗れ!」
一方的に告げてくる。様子も尋常ではない。
緊急事態だろうか? ミンディお姉ちゃんや他の兄姉に何かあった? と一瞬不安になるリスティだったが……
「――連絡が来たッ!!」
そのたった一言で、心臓を貫かれたような心地になった。目が自然と見開かれ、口元がわなわなと震え、立ち尽くしてしまう。
そんなリスティに、ジャスパーはヘリから降りないまま手を差し出した。喜色満面の表情と共に。
「来いっ」
「――――ッ!!」
眉間にぐっと力を入れる。口元を真一文字に引き結ぶ。そうしないと、自分でも何を叫んでしまうか分からなかったから。
だから、今はただ駆け出した。
あの人に会うために。
この五年間の想いだけを携えて。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
次回からは異世界旅行機工界編です。また一緒に楽しんでいただければ嬉しいです! よろしくお願い致します!