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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
488/544

ありふれた休日小話 ユエの場合 上

二万字超書いても足りなかったので「ユエの休日」だけ上下編となります。

最近、長い一話ばかりですみません。



 八月の朝。遂に夏休み期間に突入しながらも、たいていの社会人ならせっせと仕事を始めているだろう時間帯に、


「……ん、完成」


 南雲家のキッチンから大変満足そうな声が響いた。


 半袖Tシャツの上から純白のふりふりエプロンをつけたユエだ。なお、下は下着以外なにも履いていない。


 今は肉体年齢を大学生モードにしているので、本来の肉体と兼用しているTシャツの丈がいろんな意味でギリギリだ。


「……ふんふふ~ん♪」


 ご機嫌らしい。


 艶やかな唇はゆるやかな弧を描き、素足のつま先がトントンと床を叩く。芸術的な腰のくびれを強調するようにお尻も振っちゃう。


 そうすれば、ギリギリ丈のTシャツもヒラヒラ。合わせてローライズタイプの可愛らしい白のショーツがチラチラ。もちろん、キュッと引き締まったお尻のラインも「呼んだ?」と言わんばかりに顔を覗かせる。


 朝っぱらから中々に刺激的な光景だった。が、当の本人には欠片も気にした様子がなく、その手は目の前のウッドバスケットにあれこれ詰め込むことに夢中で。


「……あ」


 おしぼりらしきものがコロリと落下。床に落ちたそれに、なぜか足を軽く交差したまま膝を曲げず前屈スタイルで手を伸ばす。


 そうすれば白磁の如く滑らかな細身の長い生足がより強調され、当然、ギリギリのライン戦線を守っていたTシャツは腰まで撤退を余儀なくされる。


 姿を現すのはもちろん、グッと突き出された魅惑のお尻で。


「……ハジメ? そこで何をしてるの?」


 床に手を伸ばしたことがきっかけで、ようやく観察者の存在に気が付くユエさん。


 屈身した状態のまま、キッチンの斜め後ろの出入り口へ向けた目を丸くする。


 そこには壁にもたれて腕を組み、まるで鑑定士がお宝を吟味するような目で奥さんを見つめる旦那の姿があった。すっごく真剣な目だった。


「ユエを見ていた」


 実に堂々とした発言だった。心なしか、表情までキリッとしている。


「……アーティファクトの補助まで使って〝気配遮断〟しながら?」

「その通りだ」


 実に堂々とした発言だった! 表情がとてもキリッとしている。奥さんを盗み見していたことへのやましさなんて欠片もなさそう。


「……もぅ、どうして声をかけてくれないの?」


 分かっていて言ってそうなユエ。口元が悪戯っぽく、それでいてどこか嬉しそうに薄い笑みを浮かべている。


 体勢を戻し、若干残念そうな表情になったハジメのもとへトテトテ。


 エプロンとTシャツを盛り上げる豊かな胸の先がふにゅりと潰れるほどの至近距離で寄り添う。


「あんな素敵な朝の光景を壊すなんてとんでもない」


 らしい。わざわざ全力の〝気配遮断〟をしてまで、キッチンに立つご機嫌な奥さんの後ろ姿を堪能していたようだ。


「……ふふ、ならしょうがない」

「ああ、不可抗力だ」


 極めて真面目な表情でそう返すハジメに、ユエは遂に噴き出した。


 そして、愛しそうに目を細めて少し背伸び。ハジメの寝癖を手すきで整えながら、チュッと軽く触れる程度のキスをする。


「……おはよう、ハジメ。よく眠れた?」

「……ああ、おはよう、ユエ。ばっちりだ」


 ハジメも目を細めてキスを返す。


 鼻先が触れる距離で見つめ合いながら、しかし、ユエはどこか困った人を見るような眼差しで、もう一度ハジメの頭を撫でた。


「……そう、なら良かった。朝ごはん、食べる?」

「そうだな。出かける前に軽く腹に入れておくか」

「……ん、分かった。用意する。待ってて」


 慈愛たっぷりの眼差しを向けて、ついでに指先でハジメの頬まで撫でながら身を離すユエ。くるりと背を向けて、コンロに乗ったままの鍋に火をかける。


 温め直されるお味噌汁を傍らに、卵焼きを作る準備も開始。


「父さん達は……仕事だな。シア達はどうした?」


 ユエの後ろ姿を先程までとは少し違う眼差し――何か尊いものを見るような、幸せをかみ締めるような眼差し――で眺めながら、ハジメは家の中に気配がないことを確かめて尋ねた。


「……シアはティオと一緒に買い出し。旅行用の」

「とっくに準備してあるだろ?」

「……もう少し買い足したいものができたらしい。特に、お土産類で」

「ああ。二人共、再会したい相手がいるしな。ミュウとレミアは?」

「……雫のところ。ミュウが最後にもう少し仕上げておきたいからって」

「仕上げる?」

「……格闘術? 黄金の右ストレート? 道場の人達に見てもらうらしい」


 調味料を入れた卵を溶きながら、肩越しに意味ありげな目を向けるユエ。


「……〝娘としての格の違いを分からせるためなら、拳で語ることも辞さない〟byミュウ」

「機工界のあの子か……娘扱いはしないと言ったはずだけどな」

「……理屈じゃないみたい。つまり、父性を感じさせたハジメが悪い」

「ごほんっ。まぁ、強くなるのは良いことだ。それにミュウのことだから、どうせ仲良くなるだろう。それで、リリィは?」

「……お義母様のところ。アシスタント体験」


 漫画文化もトータスに持ち込みたい王女様は、本当にギリギリまで文化吸収に余念がないようだ。


 ジュワーッと耳に心地よい音が響く。卵焼きを作る手つきに淀みはなく、見ていた限り悪癖も発動していないようだ。ちょっと安心。


「……ハジメ。監視しなくても教わった以上の調味料は入れない。安心して顔を洗ってきて?」

「あ、いや、そんなつもりは――」

「……そんなにお尻が見たいなら後で好きなだけ見ていいから、まず朝の準備しよ?」


 ユエの輝くようなお姉さんスマイル。二人っきりの時は甘えん坊な態度も多いのに、時折こうして年上の女性っぽさを感じさせるのは、ハジメ的に反則だと思う点だった。


 なので、こういう時はだいたい、


「……了解っす」


 特に何も言えず素直に頷くのが常。ミュウとは違う意味で、ユエには勝てないハジメである。もっとも、それは時としてユエにも当てはまることなのだが。


 とにもかくにも、ハジメはすごすごと洗面台に向かったのだった。


 しばらくして。


 壁掛け時計のチクタクという時を刻む音と、外から響いてくる夏らしいセミの鳴き声だけが聞こえる静かなリビングに、


「うん、美味いよ、ユエ」

「……良かった♪」


 満足そうなハジメの声と、それよりもっと満足そうなユエの声が響いた。


 ハジメとユエ以外誰もいないリビング。テレビも点けていないので、いつも賑やかなリビングが尚更しんっと静まりかえっているように感じる。


 だが、寂しいとは感じない。なんだかんだ、久しぶりに二人っきりで過ごす午前の時間だ。たまにはありだと思う。堪能せねば。


「ずいぶんと上手に――いや、余計なことしなくなったなぁ」

「……それは余計な一言だと思うけど」


 洗顔などはしてきたが、未だにパジャマのままのハジメである。向かいの席に座るユエもエプロンは取ったが、相変わらずTシャツ一枚だ。


 のんびりのほほん。朝食を静かに楽しむ二人の雰囲気は、確かに恋人を超えた夫婦のそれだった。


「……いったい何度シアに拳骨を落とされ、レミアに真顔で説教され続けたと思うの? 流石の私も家のキッチンでは、もうアレンジは加えない」

「それだけされても、シアとレミアの聖域以外では暴挙に出るのも辞さないってところが、流石ユエだ」

「……暴挙とは」


 ちょっと何を言ってるのか分からないです……みたいなすっとぼけた顔をしているユエに、ハジメは苦笑を浮かべてしまう。


 だが実際、料理の腕は随分と上がったと思う。


 卵焼きはハジメ好みの醤油ベースで絶妙だし、シャケの塩焼きもシンプルだが完璧な塩加減だ。きちんとバランスを考えてサラダも用意してくれている。


 それが、たまには自分もハジメに手作り料理を食べさせたい、家族にも褒められたいという気持ちからなされた努力の結果と知るハジメとしては、なんとも感慨深い。


 ……キャンプ料理などでは未だに、よく分からない海外製の調味料を密かに混入しようとするのは玉に瑕だが。


「これはお昼も期待できそうだな?」

「……ん。期待してて。私の知る限り、ピクニックに最も適した思い出のお昼ご飯を用意した」

「…………なんだろう。そのドヤ顔を見てると急に不安が込み上げてきたんだが」

「気のせい」

「きのせい」

「んっ」


 ほな気のせいか。と納得し、お味噌汁をズズズッ。


 今日はこの後、二人っきりでピクニックに行く予定だ。


 デートの内容や行き先自体はユエの発案だが、旅行前日の今日、この空白時間にユエとの二人っきりのデートを提案したのはシア達だったりする。


 優しい正妻様は自分よりシア達がハジメと過ごせる時間を優先することが多く、特にハジメが忙殺されていた時期はそれが顕著だった。貴重な時間をシア達に譲ってきたのだ。


 だから、今日のこの時間はおそらく、シア達の気遣いでありお礼でもあるのだろう。


 旅行に出ればしばらくの間、ハジメと二人っきりの時間を過ごすことはないから。


「……なんか嬉しそうだな、ユエ」

「……当然。シア達の気遣いが与えてくれた時間だし」


 朝食を食べ終わってお茶を飲みながら、テーブルの下でユエの足がふ~りふ~りと振り子のように揺れているのが分かる。


「……別に気にしなくていいのに」

「みんなユエのことが好きなんだよ」

「……知ってる。でも、そうじゃなくて」

「おん?」

「……なんだかんだで、夜のハジメ独占率は私が一番高いから」


 だからデート時間を譲っていることくらい気にしなくていいのに……という意味だったらしい。思わず食後のお茶をぶほっと噴きかけるハジメさん。


 そんなハジメにニヤリと悪戯っぽい笑みを向けたユエは、更に追撃した。


「……夕べもお楽しみでしたね」

「本人に言われるのは凄く微妙な気持ちになるんだが!?」

「……夕べは楽しまれてしまいました。ポッ」

「わざとらしく頬を染めるのやめてもらっていいか?」

「……なのに、まだ足りないと言わんばかりに朝一からお尻を凝視して……。ハジメのえっち」

「ふ、不可抗力だから……」


 ユエが立ち上がって身を乗り出してきた。Tシャツの首元から中が完全に見えるような体勢だ。更に唇をぺろりっ。挑発的に目を細め、囁くように誘惑する。


「……出発前にお楽しみ、する?」


 一気に膨れ上がる艶めかしい雰囲気。穏やかだった朝のリビングが、途端にピンク色の空気に侵されたように錯覚してしまう。


 が、糸で釣られるようにユエへ視線を向けたハジメは、飛びそうだった理性が一瞬で鎮火するのを感じた。


 その視線の先にはギリギリ丈のTシャツ。最近のユエのお気に入りのそれ。


「なぁ、ユエ」

「……ん? なぁに、ハジメ」


 甘く蕩けるような声音だった。


 だがしかし、ハジメの目は野獣になるどころか、むしろ逆に悲しげというか、微妙そうというか。


 だって、しょうがないのだ。


「そのTシャツ着るの、やめないか?」

「……?」


 ユエはキョトンッとした表情になった。体勢を戻し、自分を見下ろす。下着が丸見えになるのも気にせず、両手でよく見えるようTシャツの裾を引っ張った。


 そうすれば、胸の膨らみで歪んでいたそれ――プリントされた文字がはっきりと見えた。


――I am vampire!!


 私は吸血鬼だ!! と英語で書かれていた。しかも、英語なのに達筆な筆文字で。


「……ユニークで良いと思うけど」

「本当にな。自己主張激しすぎない?」

「……ふふ、まさか本当に吸血鬼とは思わないでしょ?」


 という部分がユエ的にツボッたらしい。


 なんらかの言葉がプリントされたTシャツを部屋着にする。それが、ここ数ヶ月の間にできたユエのマイブームなのだ。


 シア達はなんとも微妙な表情だが、ミュウと(すみれ)からは大変好評である。調子に乗って、大学にも着て行こうかと割と本気で考え始めたユエを、なんか嫌だ! と本気で諫めたのはシアと香織だったりする。


 二人共、外では〝誰もが振り返り見惚れる綺麗で可愛いユエ〟のままでいてほしいらしい。


 なお、他にも〝POWER!!!!〟〝I can do it!!〟〝天上天下唯我独尊〟〝四面楚歌〟などなどバリエーション豊かなコレクションを持っている。


 つい先日など配達の受け取り時に〝無敵ッ〟と書かれたTシャツを着ていたため、配達員のおっちゃんが玄関口で噴き出していた。


「……ハジメ、次のデートはルーマニアに行こう。ブラン城を見てみたい」

「アンティークショップ巡りとか古城巡りがユエの趣味なのは分かってるんだが……まさかと思うが、そのTシャツを着て行く気じゃないだろうな?」

「……フッ」


 ショッピングとか映画とか定番のデートはもちろんする。だが、ユエが移住してきてから特に好むのは、実はハジメの言うデートだったりする。


 なお、ルーマニアのブラン城とはドラキュラの居城のモデルとして有名な観光スポットだ。


 本物の吸血鬼が、〝私は吸血鬼だ!〟と書かれたTシャツを着て、ドラキュラ伝説の地を巡る……なるほど、シュールだ。地元民の方々や観光者達は、果たして人間離れした美貌のユエを見て、どう思うか。


 悔しいが、ちょっと気になってしまうハジメだった。


「まぁ、ユエが楽しいならいいんだけど……」

「……ん、楽しい。今を全力で楽しんでると断言するっ」

「そうっすか。何よりっす」


 全力のドヤ顔。どこからか取り出した扇子をバッと開くと、そこにはやはり達筆な筆文字で〝幸福満開〟の文字が。幸せそうで何よりである。


「……で? 〝お楽しみ〟する?」


 Tシャツを半ばたくし上げたままのユエさんの悪戯っぽい笑み。〝I am vampire!!〟の文字が嫌でも目に入る。


 やっぱりなんとも言えない表情になったハジメは、


「楽しみは夜まで取っとくよ。今は、久しぶりのデートを楽しもう」


 ご馳走様でした、と綺麗に食べきったお椀とお箸を置いて手を合わせるハジメ。


「……ん♪ それはそれで良き」


 お粗末様でした、と返して綺麗に食べきられた食器に嬉しそうに微笑むユエ。もう淫靡な空気は微塵もない。


 食器を片付けて運ぶユエの後ろ姿を再び見つめて、ハジメは整えたばかりの髪を乱すように頭を掻いた。


 そして、目尻を下げて微笑むと。


「ずっと続けばいいな」


 こんな素敵な朝が。


 想いが籠もった言葉は、実のところ無意識だったようで。


 ハジメは少し自分の言葉に驚いたように目をぱちくりとし苦笑を零した。頭を振って、一拍。残りのお茶を一気にグッと飲み干して、


「ユエ、洗い物は俺がするよ。ユエも準備してきたらどうだ?」

「……ん~。なら一緒にやる。隣に来て?」


 足取りも軽くキッチンへと入っていったのだった。










 ピクニックの準備を終えたハジメとユエは、しかし、家を出ることなく地下工房へ下りていった。


 ハジメの工房の手前には、以前にはなかった地下エントランス的な場所が出来ている。今後のことを考えてだ。


 直径十メートルくらいの円形広間で、壁も天井も床も白一色。しかし、見た目はレンガ造り(実際は合金製)。SFと中世ヨーロッパが混在したような空間だ。


 実に、魔法と科学を合わせた創造者たるハジメらしいデザインだった。


「……見た目に反して凶悪。映画のC○BEを思い出す」


 エントランスに入ったユエの第一声だ。トラップ迷宮に閉じ込められた男女の脱出劇を描いた有名な映画である。


 完成時にも見せてもらったのだが、改めてそう思ったらしい。表情に若干の呆れが窺える。


「一度入ったら最後ってか? まぁ、敵意のある奴が侵入した万が一の場合を想定しているからな。あながち間違いじゃない」


 エントランスの中央の床には魔法陣が彫り込まれていて、天井にはシャンデリア風の光源がある。壁には等間隔でガーゴイルが装飾された柱と荘厳で重厚な扉が交互に並んでいた。


 十個の扉以外全て、侵入者に対する拘束ないし致死性トラップが仕込まれた感知&防衛機構だ。


 もちろん、シア達もツッコミを入れた。自宅の地下に何を仕込んでいるんだと。


 だが、ハジメ的には当然の措置だった。


「いずれは各世界直通の〝世界扉〟が集まった場所になるかもしれないんだ。セキュリティーはいくらあってもいいだろう」


 そう、正面の工房に続く扉を除く九つのそれは、全て〝世界扉〟だった。


 現在、開通しているのはトータスの扉のみだが、各世界の安全や防衛機構など諸々の必要な対策ができたら順次開通していく予定だ。


 つまり、今日のピクニック先は言わずもがな。トータスなのである。


「……まぁ、確かに自宅が真上にあるし」

「本当は別の場所にしようとも思ったんだけどな。いざとなれば土地ごと消滅させられるような場所に」

「……ん、聞いた。遠い地のこの場所と家との行き来も、幾つもの致死性トラップを仕込んだセキュリティー付きのゲートを使って辿り着けるようにするのが理想って」

「うん」

「……私達がなんて言ったか覚えてる?」

「そんなゲートを何度も通らないといけない方が危ない。どこのトレジャーハンターなの? だな」

「……ん」


 それはそう、とユエ達が満場一致でしたツッコミには頷かざるを得なかった。


 せっかくの直通扉なのに、万が一、認証に失敗したらギロチンに早変わりする扉を何度も通らないと行き来できないなんて、それこそ〝それなんてC○BEシステム?〟である。普通に面倒だし。


 総ツッコミを食らった結果、ハジメは渋々このエントランスに過剰な防衛機構を仕込むことで妥協(?)したのだ。


 なお、防衛機構が突破ないし破壊された場合、地上の敷地内にいる者は強制転移で脱出するシステムが南雲ハウス自体に仕込まれていたりする。


 自宅そのものを、日曜大工するお父さんの如くせっせとアーティファクト化するハジメに、ユエ達が生暖かい眼差しを向けていたのは言うまでもない。


「……途中からお義母様とお義父様もノリノリで〝私が考えた最強の自宅要塞案〟をプレゼンするし、ハジメは嬉々としてアイデアを取り入れるし――」

「ごほんっ。それより、今日の服装もかわいいな!」


 当時を思い出して、ユエが再び生暖かい眼差しになり始めたので慌てて話題の転換を図るハジメ。


 だが、適当なことを言ったわけではない。


「……ふふ、そう?」


 澄まし顔をしながらも嬉しさを隠しきれない様子でくるりとターンするユエさん。


 先程までのダサTは、もう着ていない。


 だぼっとした大きめの白のパーカーに黒のミニスカートとパンスト、そしてショートブーツ。髪はポニーテールにしている。


 体は大学生モードのままだが、どこかトータス時代の旅装を彷彿とさせる格好で、しかし、そのラフさが今のユエをも示しているようでもあり、実によく似合っていた。


「……ちなみに、パーカーの丈はスカートとほぼ同じにした」

「おう? こだわりか?」


 その答えは、ユエさんが背を向けて腰をくっと上げたことで明確になった。


 パンストに覆われているとはいえ、まるでパーカーしか着ていないような光景が。


 またもギリギリを狙ってきていらっしゃるっ。ハジメの心はざわついた!


「……ふふっ」

「ユエ、人前では気をつけような」

「……もちろん、そこは鉄壁だから安心して。誘惑したいのはハジメだけだから」

「そろそろ出発しようか!」


 ダメだ、このエッな奥さんピクニック前に旦那の理性を殺しにかかっている! と言わんばかりに、ハジメは強引に視線を逸らしてトータスの〝世界扉〟へと向かった。


 その後をついていくユエの足取りは実にルンルン♪で、表情はとても楽しげだった。


 ちなみに、本日のハジメの装いも白のパーカーを基本にしたコーディネートだ。オススメしたのはユエ。つまり、ライトなペアルックである。


 それもまた、ユエ的に心が浮き立つ要因の一つだった。











 トータス行きの〝世界扉〟を抜ける。こちらは変わらず、王宮隣接の塔の上の展望台が出入り口だ。快晴の空が気持ちよい。


「いずれこっちも地下に移して、本格的な防衛機能をつけないとな」

「……」


 ユエ様が心のこもったジト目を向けている。トータス直通扉を作った時に、一応こちらの〝扉〟にも防衛機能を改良・増設したことを知っているからだ。


 まだやるの? と言わんばかりである。


 そんな奥さんの視線に気が付いているのかいないのか。ハジメは展望台の縁に寄って地上を見渡した。


「しばらく見ないうちに随分と広がったなぁ」


 リリアーナが夢中で行っている都市作りの成果が見えた。以前の王都に比べて既に1.5倍はありそうである。


「……ハジメ、いい?」

「おう」


 一応の確認の直後、ハジメの視界が切り替わった。本来ならリフトの魔道具で塔の天辺から王宮内に入るのだが、今回はユエが転移させたのだ。


「やっぱそれ便利だよなぁ」

「……どやぁ」


 腰に両手を添えて華麗なドヤ顔を見せるユエ。


 ハジメの言う〝それ〟とは、ゲートを使わない空間転移〝天在〟のことであり、同時に〝触れずに他者をも転移させる上位互換転移〟である。


 そう、現在のユエは遂に触れることなく対象を任意の座標に空間転移させることも可能になったのだ。


 もちろん、空間魔法を使える者が僅かにでも抵抗すれば失敗するし、効果範囲もそれほど広くはない。加えて、対象や座標を明確に認識していなければならないなどの制限はあるが、いずれにしろ最高難易度たる転移系術式の中でも絶技に分類されるだろう。


 最近ではテレビやエアコンのリモコンを手元に転移させることに使われることが多く、度々シア達から呆れの視線を頂戴するのだが、本人曰く〝横着〟ではなく〝鍛錬〟らしい。


 シア達の、なんとも無駄な用途に使われる無駄な絶技だという評価は変わらなかったが。


 と、その時、リフトがあるテラスと王宮内を隔てる部屋の扉がバァンッと勢いよく開かれた。


 本来ならリリアーナの登場だと思うところである。ハジメが来訪する時はいつもそうだから。


 だが、王女様は既に地球にいる。そして、彼女以外で出迎えに最速で来そうな人と言えば――


「ヘリーナ――」

「お姉様! 貴女の愛しの義妹が――チッ」


 女性の騎士だった。雫の魂の妹を自称し、勇者と竜人族の長がタッグを組んで討伐――じゃなくて鎮静化させる必要があった怪物(モンスター)だった。


「お前、今、舌打ちした?」

「? なんのことでありますか? それよりハジメ様、そして奥様。ようこそいらっしゃいました。そして、ご結婚おめでとうございます。心よりお祝い申し上げるのであります!」

「……おぅ、ありがとよ」

「……ん、んぅ。ありがとう?」

「はっ! これより王妃様のもとまで案内させていただくのであります!」


 胸元に手を添えてビシッと敬礼する自称義妹騎士。ハジメとユエの表情はなんとも微妙だった。祝福されて嬉しい気持ちと、自称義妹騎士への猜疑の気持ちが絡まり合っている。


「お前が案内?」

「はっ。三ヶ月ほど前に王妃様の近衛騎士隊への異動命令を頂きまして、事前に来訪は伺っておりましたので、王妃様に志願し出迎えの栄誉を賜ったわけであります」

「ヘリーナはどうした?」

「休暇であります! 王女様が休暇の時くらいしか取れませんので」

「ああ、それは確かに」


 ソウルシスターズの深淵にどっぷりと浸かって染まりきっているような要注意人物だが、雫がいなければ怪物化はしないので(たぶん)「まぁ、いいか……」と顔を見合わせるハジメとユエ。


 それを見て、自称義妹騎士は「ではっ」と軍人らしいキレのあるターンをして先導を始めた。


 王妃の近衛隊に配属になったということは、きっと、たぶん、おそらく、少しはマシになったと判断されたからに違いないだろうし。


 ちなみに、王妃への挨拶は折り込み済みだ。ピクニック先をトータスにしたのは、ユエ的に行きたいところがあったからではあるが、それとは別に王妃様には直接会ってお詫びをしたいことがあったからだ。もちろん、礼節として挨拶しておきたいというのもあるが。


「ところでハジメ様」

「ん?」

「ワンチャン、私にも地球に行くチャンスを――」

「ねぇよ」

「何やら地球でも各国とのやり取りで大変お忙しい様子。私の闇属性魔法なら、首脳陣を一網打尽に貴方様のペットにして差し上げる自信があるのでありますっ」

「どんなアピールの仕方だよ。完全にヴィランの発想だぞ」

「……ん。やっぱりダメだった。この子、頭があれだ」

「ならばっ、奥様! ペットをお飼いになる予定はございませんか!?」

「……どうしよう、ハジメ。この子、人としての尊厳すら捨てにきてる。ある意味、捨て身なんだけど」


 問題児(ソウルシスター)は、やっぱり問題児(ソウルシスター)だった。何も変わっていない。頭がシスターズソウルに侵され切っていた。


 血走った目と、よく見れば禁断症状でも出ているみたいに震えている手が非常に危なっかしい。もう随分と長く愛しのお姉様に会えていないせいだろうか。


と思っていると、その直後、


「うぅ、ぐすっ。ひっくっ」

「お前の情緒、どうなってんだ……」


 なんか泣き始めた。三歩分くらい更に距離を取るハジメとユエ。ドン引きしている二人をそのままに、自称義妹騎士が訥々(とつとつ)と内心を吐き始める。


「直ぐそこにお姉様へと通ずる道があるというのに、私には通れないのであります。ワンチャンッと思い、王女様が通った瞬間に突撃した時の私の気持ちがお分かりになりますか? かつてハジメ様が奥様を助けに神域へ飛び込んだ時のように、何度も剣を突き立てたこの私の気持ちが!」

「え、待って。お前、そんなことしたの? なんで生きてんの?」

「お姉様のお側に侍るまでは死んでも死にきれないのであります。たとえ、超重力に押し潰され、熱線で四肢を穿たれ、空間破砕で王宮外までぶっ飛ばされても、ソウルシスターたるもの不屈の闘志なのでありますっ」


 四肢が折れ曲がった女性騎士が唐突に空から降ってきた時の王都の人々の恐怖や如何に。


「親方ぁっ、空から鬼の形相をしたズタボロの女がっ!!」「こいつっ、こんな有様なのにまだヌルヌル動いてやがるっ」――恐怖と混乱が広がっただろうことは想像に難くない。


「……ハジメぇ」

「お、おう。こいつ、やっぱやべぇわ。いや、後輩もわけ分からん耐久力を持ってるし……ソウルシスターズって存在がやべぇのか」


 ある意味、今更である。雫お姉様のお側に寄り添いたい魂の妹達は、時に人の限界を超えるのだろう。


 肩越しに血涙を流しながら、切なそうに、そして言外に〝通行許可〟を懇願してくる自称義妹騎士。こわい。死んだら怨霊の類いになるんじゃないかと思わせられる。


 ユエでさえ、ちょっと震えながらハジメの腕をギュッと抱き締めているくらいだ。


 だが、そんなユエの姿が女性騎士を我に返させたらしい。今まではあり得ないことだ。一度、雫お姉様へのパトスが迸ればクゼリー団長にハートブレイクショットをぶち込まれ、物理的に不整脈を起こされるまで止まれなかった狂気の義妹(自称)が、なんと!


「も、申し訳ないのであります! 案内の途中に私的なことを! 心から謝罪するのであります!」

「「え、なに、こわいっ」」


 未だかつて、常識的な態度がこれほどに恐ろしかったことがあるだろうか。もう、目の前の女性騎士がサイコパスにしか見えない。


 思わずギュッと抱き締め合うハジメとユエ。


 魔神とその正妻様を怯えさせるなんて、ある意味世界的な快挙を成し遂げておきながら、当の本人はあくまで殊勝な態度だ。


 血涙をハンカチで拭い、きちんと頭を下げて謝罪し、改めて先導する。


「お姉様がご結婚されたと王女様から聞き、私は思ったのであります」

「なんか語り始めたぞ」

「……シッ、ハジメ。刺激しちゃダメ。どこに地雷があるか分からない」


 ぴっとり寄り添いながら耳打ちし合うハジメとユエの姿は、傍から見ると実に仲睦まじく見えるのだろう。


 結婚の事実もユエが肉体年齢を操作できることも、リリアーナを通して王宮内には伝わっているようで、たまにすれ違う使用人の皆さんは、大学生モードのユエに目を丸くしたり見惚れたりしつつも、祝福を伝えるような柔らかな眼差しと一礼を贈ってくれている。


 特に女性の使用人達からは、「なんて素敵なご夫婦だろう」的な、一種の憧れや羨望の眼差しも感じられる。


 それが二人の、特にユエの心をくすぐってくれるので、目の前のサイコパス騎士を放置して王妃のもとへ転移逃亡する選択を今のところ選ばせていなかった。


 やっぱり、結婚を祝福されるのは嬉しいものだから。


 周囲の人達と目の前のサイコパス騎士の温度差で風邪を引きそうではあるけれど。


「このままではいけないと。私は変わらねばならないのであります! ただ己の願望を満たすためでなく! 騎士としての心構えと、ウェスペル子爵家の淑女デラニーとしての気品と礼節を今一度思い出し、お姉様に侍るに相応しい人間になるのでありますっ」

「お、おぉ。がんばれ~」

「す、すごぉ~~い」


 なんだかよく分からない迫力に気圧されたせいか、ハジメとユエの語彙力が死んでいた。遠慮がちに小さくパチパチと拍手。


 内心、「こいつ、そんな名前だったんだ。ていうか、貴族令嬢だったんだ……」とか思ったが雰囲気的に口をつぐむ。


 ぐりんっと振り返るサイコパス(疑)騎士デラニー。


 思わず「なんだ!? やっぱやんのかっ」と言わんばかりに、ハジメとユエは揃ってファイティングポーズを取ってしまう。実に息の合った夫婦である。


「ですので、ハジメ様、そして奥様。行き来の自由度が増した今後において、私を評価して欲しいのであります。そして、お眼鏡に叶ったなら、その旨、どうかお姉様にお伝えいただきたいのであります」


 ハジメとユエは顔を見合わせた。最初の態度を見る限り、とっても遠い道のりに思えて仕方なかった。なんなら山賊が仙人に昇華するくらい無茶じゃないかと思った。


 でも、お姉様のためなら不可能さえ可能にする(かもしれないと思わせる)ソウルシスターであるから。その原動力は、どこまでもお姉様を慕う一途な気持ちであるから。


「ま、まぁ、あくまで評価だけでいいなら、な?」

「……ん、んぅ。雫を怯えさせないって確信できるなら、まぁ?」


 ソウルシスターズの特攻隊長たる後輩(ひのりん)ちゃんのことも、なんだかんだで許容している雫である。


 ソウルシスターズの中で雫が怯えるのは、このモンスター(さりげなく闇属性魔法のエキスパートで、そこにシスターズソウルが合わさると最凶に見える)だけだから遠ざけていたのだが、そこがクリアされるなら本質は後輩ちゃん達と同じだ。


 なら確かにワンチャンあるかぁ――と困り顔になりながらもハジメとユエは頷いた。


 そんな、ある意味最大の壁たる魔神様と正妻様のお言葉に、自称義妹騎士はパァッと表情を輝かせた。


「心から感謝するのでありますっ!!」


 彼女が実際に自重を覚えるかは神のみぞ知ること。


 モンスターが一人で人間に戻ってくれるなら、それに越したことはない。と、ハジメとユエは、心なしか弾む足取りで先導する彼女の後ろ姿をホッとした面持ちで眺めたのだった。


 そうして間もなく、ハジメ達は王宮の一室に辿り着いた。


 扉の両サイドに立っていた他の女性騎士二人がハジメとユエを見て最敬礼しつつ、どこかホッとした様子を見せる。


 彼女達も王妃の近衛なのだろう。問題児が無事に役目を終えたと見て安堵したらしい。立場を弁えて言葉こそかけてこないが、道中の使用人達と同様に、一拍おいて祝福の気持ちが伝わる柔和な笑みを向けてくれる。


「王妃様、ハジメ様とユエ様をお連れしたのであります!」


 中から扉が開かれた。室内に待機している近衛だろう。


 以前に比べ、いささか警備が厳重な気がしないでもないが……おそらく、リリアーナも言っていた新時代の過渡期に生じうる危険性を考慮してのことに違いない。


 もっとも、魔神の身内たる王妃を傷つけようなんて自殺志願者は存在しないだろうが。


「お久しぶりですね、ハジメ殿、ユエ様」

「お久しぶりです、ルルアリアさん」

「……ん。お久しぶりです」


 以前に比べ二倍以上の広さになった執務室の最奥に、これまた二倍になった大きなデスクがあった。書類の山脈の狭間から王妃ルルアリアが笑顔で立ち上がる。


 他の家族の場合と一緒で、王妃だからではなくリリアーナの母親だからという理由で丁寧語で返すハジメとユエ。そこに他人行儀さは既になく、香織達の家族に対するのと同等の親しみがこもっていた。


 二人が丁寧語を使わない身内の親なんて問題児ならぬ問題父であるカムくらいのものである。


 ちなみに、先日のリリアーナとのデート時に地下鉄で目撃した例のあれについて、電気椅子に拘束して問いただしたところ、案の定、あちこちの地下鉄に潜っていることをゲロッた。


 一応、ボスの命令を無視して蔓延(はびこ)ろうとしていたわけではなく、何やら不穏な気配を覚えたため念のために調査していたところ地下鉄に潜ることになったとのことだった。


 本当に隠し拠点を作ろうとしてないな? と問い詰めたハジメに、カムはとても澄んだ眼差しで、絶対に目を逸らさず頷いた。逆に怪しかった。


 でも、証拠はないので一応釘だけ刺して不問とした。なんだか月日を経るごとに蔓延り方が巧妙になっている気がしてならず、釈然としないハジメだった。


 閑話休題。


 わざわざデスクを迂回して回ってきて、歓迎の握手をしながらこてりと小首を傾げるルルアリア。


「あら、ハジメ殿。そこはお義母さんではないのですか?」

「あ~、いや、それは……」

「義母上でもいいのですよ?」

「それは呼び慣れないといいますか……いえ、呼ぶなら、貴女に対してはそれが一番しっくり来る気はするんですが……」


 困り顔で頬を掻くハジメ。他家の親に対する呼び方は実のところ名前呼びということで了解し合っている。ハジメからすると、義母も義父も多すぎるので呼び方がややこしくなってしまうからだ。


 薫子(かおるこ)霧乃(きりの)などは、ハジメに〝お義母さん〟と呼ばれてみたかったようで少し残念そうだったが、どうやらルルアリアも同じらしい。


 からかい混じりながら、ほんの少し残念そうな雰囲気が滲み出ている。


「……ハジメ。他の家族がいない時は呼んで差し上げたら?」


 ルルアリアの気持ちを汲んだユエが、頬を掻いていたハジメの手を取ってニギニギしながら提案してくる。こちらも少しのからかいと、可愛い人を見るような雰囲気が滲み出ている。


 大学生モードのユエの身長はハジメの肩口くらい。本来のそれよりずっと顔が近い。間近にある紅玉の如き瞳に見つめられながらの提案は、ハジメにとっては既に万難を排して叶えるべき事柄だ。


 傍目には唐突に至近距離で見つめ合い始め、これまた唐突に甘い空気を醸し出し始めたハジメとユエに(本人達に自覚なし)、ルルアリアが「あらまぁ♪」と微笑ましそうな笑みを浮かべる。


 真面目な顔で扉の脇に待機する問題児(デラニー)を横目でジッと観察中だった、扉を開けてくれた女性の近衛騎士――おそらく先輩の近衛だろう――も、不意に流れてきた甘い空気にハッと視線を転じ、少し頬を赤らめている。


 当のソウルシスターだけ、ソウルシスター故に我関せずだ。どこまでもブレない奴である。


「ごほんっ。では、義母上と。……直ぐには難しいので練習しておきます」

「ふふふ、呼んで頂ける日が楽しみですわ」


 なんとも嬉しそうなルルアリア様。逆に、ハジメはなんだか気まずそう。


 それはそうだろう。義母と呼ばれることに喜ぶルルアリアの、その大事な娘さんに、


「その、改めてすみませんでした。リリィに婚姻届の話、伝え忘れていて」


 大事な話を伝え忘れていたのだから。普通なら「失礼極まりない!」と怒られても仕方ない落ち度である。


「その節は、通信だけの事情説明で大変失礼しました」

「……私からもごめんなさい」


 ユエが小声で「ハジメ、あれ出して」と声をかける。頷いたハジメが宝物庫を光らせると、ユエとハジメで分担するようにラッピングされた箱が二個、出現した。


「これ、お詫びも兼ねたお土産です」

「……お義母様の新作と、私達のオススメを詰め合わせました」

「え、(すみれ)の新作? ということは……」

「はい、少女漫画の詰め合わせです」

「全て許します!」


 王妃様から即座のお許しが出た。表情が輝いていらっしゃる。


 リリアーナが何度か地球に来訪した後、お土産代わりに持ち帰ったスミレ先生の作品に、すっかり魅了されてファンになっているルルアリアである。


 娘と同様、しっかりと少女漫画というジャンルそのものにはまっているようで、トータスでは手に入らないそれにご機嫌な様子だ。


 一抱えもあるダンボール二個分の漫画は、詫びとして十分以上の威力を発揮したようである。


 キラキラした眼差しで肩越しに近衛騎士二人を見やれば、了解した二人がいそいそと箱を受け取る。


「お、王妃様。ご堪能された後は……」

「みなまで言わなくてよろしい。もちろん、書庫に収めますわ。好きに閲覧なさい」

「「ありがたき幸せっ」」


 どうやら近衛騎士達もスミレ先生の作品、引いては美少女漫画の沼にはまっているようだ。デラニーでさえ瞳を輝かせている。


 二人が嬉しそうに隣室へ箱を運んでいく姿を見送りつつ、ルルアリアはゆるりと手を振って部屋の一角を指し示した。


 接客スペースだろう。柔らかそうな革張りのソファーと、脚や縁の意匠が素晴らしいテーブルがある。


 ハジメとユエが並んで座り、その向かい側にルルアリアが腰を下ろす。


 ルルアリアがパンパンッと軽く手を叩くと、隣室の扉を開いて侍女がカートを押してきた。お茶の用意をしてくれたようだ。


 芳醇な香りを漂わせる紅茶が、並んで座るハジメとユエの前に置かれた。


 ルルアリアが視線で促し、まずは一口。「美味しい……」と二人揃って顔を見合わせ、口元を綻ばせる。


「まずは祝福の言葉を贈らせてください。ハジメ殿、ユエ様。正式なご結婚、我が国を代表し心から祝福申し上げます」

「「ありがとうございます」」


 身内としての親しみはあるが、それでもやっぱり相手は一国の王妃である。改まって祝福されると、なんともむず痒いというか。ハジメとユエは揃って少し照れ顔を見せた。もちろん、視線を絡ませながら。


 その、いちいち仲睦まじい様子に、ルルアリアは堪えきれないようにくすりと笑い声を漏らしてしまう。


「先程は思わず〝許す〟などと口にしましたけれど、特に不快に思っていたわけではありませんわ。事実上の婚姻関係は周知のことですし、ハジメ殿の故郷が一夫一婦制であることは聞いておりましたから」

「そうでしたか……それなら良かった。いや、良くはないか」

「……ん。良くない。正妻と認めてもらっている立場としても、まさに痛恨の極み」

「お忙しい事情も、娘が移住を選ばなかった事実もございますれば、そこまでお気になさらないで? 謝意も誠意も、もう十分受け取りましたわ」


 朗らかに笑うルルアリア。が、一転。


「とはいえ、王家の者としては、いつか国を挙げての正式な結婚式はしていただきたいですけれど。ねぇ?」


 なんて、(したた)かに執政者としての要望も伝えてくるので、内心でほっとしつつもハジメとユエは苦笑しつつも頷くしかなかった。確かにハイリヒ王国の、いや、トータスの民もリリアーナ姫の結婚式は見たいだろうし、政治的にも効果的だろうから。


「それはそれとして、むしろあの子の母親としては、わたくしの方が申し訳ない気持ちが……」

「え? 何がです?」

「事実上の婚姻関係があったとはいえ、今回のことが一つの節目であることに違いはないでしょう? 意識的にも、より〝自分達は夫婦になった〟と実感があるのではありませんか?」

「……ん。たかが届け出と思っていたけれど、想像以上に実感がある。幸福度のステージが上がったみたいな?」


 ハジメの太股に手を置いて愛しそうに撫でるユエさん。たぶん、無意識。


「ふふ、そうでしょうとも。何事も区切りというのは大事ですから」

「ごほんっ。それで、申し訳ないとは?」


 ユエの手に自分の手を重ねてなでなでを止めつつ――だってルルアリアさんが見てるから!――ハジメが先を促す。


 ルルアリアは、どこか頭の痛そうな表情で娘への心情を語った。


「この良き区切りの時に、わたくし、とうとうあの子が移住したいと言い出すのではないかと期待したのです」

「ああ~、でも言わなかったと」

「……ん。想像できる。毎日元気に資料作成してるし」

「でしょう? 世界間の行き来も自由度が増したことですし、わたくしからも移住の意思はないのか確認したのですけど……あの子ったら」


 なんでそんなことを聞かれるのか分からないという娘のキョトン顔に、ルルアリアは思わず天を仰いだらしい。


 リリアーナは、もう十分に年齢不相応の苦労と重責を背負ってきたのだ。新時代の過渡期が到来するとしても、復興が終わった今、リリアーナが国政から離脱するには良いタイミングだった。


「確かに、あの子がいなければ困ることは多いのです。しかし、あの子がいなければ立ちゆかないことは、もうないのです」


 ということも伝えた。なんなら、ハジメ殿に愛想を尽かされる前に、しっかりと夫婦生活をした方がいいと説得もした。


 答えは、快活で自信満々な笑顔だった。「ハジメさんなら、私のやるべきことを全力で応援してくれますから大丈夫です! 私達、相思相愛ですよ!」と。


 ルルアリアが悩ましげに頬に手を添える。


「ハジメ殿。どうでしょう。ここは一つ魔王と呼ばれる者に相応しく一国の姫をさらってみては?」

「その姫に嫌われたくないんで。というか王妃のセリフじゃないですよ」

「子作りの予定も耳にしましたわ。いっそ、ユエさん達と同じタイミングで強引にしてしまえば――」

「母親のセリフでもないと思いますが!?」

「だって、あの子の働きぶりを見ていると……そこはかとなく不安なのです。もしや、以前から抱いていた懸念が現実化してしまうのでは? と。このままだと本当に仕事を生きがいにして、夫婦生活を蔑ろにするような子になってしまう気がして」


 貴方が娘に甘いから、そんな未来もあり得そうだと思ってしまうのですよ? と少しばかり責めるような眼差しがハジメに突き刺さる。


 そんなこと言われましても……と、なんとも言えない表情になるハジメ。


 代わりに、ここは正妻の出番だ! とユエが身を乗り出す。むんっと両手に力を入れながら。


「……安心してください。リリィのことは私がしっかりと見ます」

「ユエ様……」

「……リリィは愛国心が強いですから、過渡期を迎える〝今〟から目を逸らせないだけ。でも、ハジメや私達を愛しているのも紛れもない事実です。まさか本当に、数年後も私生活を捨てるほどの仕事人間のままだとは思いません」

「そう、ですよね。子作りのこともありますし……ええ、王族としての執務から離れたからといって禁断症状に襲われたり、代わりを見つけて熱中したり、それでいつの間にか世界的な影響力を持って引くに引けなくなったりなんて、きっとありませんわね!」

「……はい! そんなことあるはずがありません! 流石に! 南雲家の明るい家族計画は、私が守ります」

「ああ、ユエ様。貴女が正妻で良かった。どうか、これからも娘をよろしくお願いいたしますね?」

「……ん! お任せあれ!」


 分かり合ったように堅く握手するユエとルルアリア。


 ハジメは思った。あれぇ? なんだろう? まるで今、フラグが立ったような感覚が……と。


 まさか数年後、ルルアリアの懸念が地球で現実化するとは誰も思うまい。ある意味、流石は母親というべきか。娘のことがよく分かっていらっしゃる。


「さて、本当にお久しぶりですから、できればゆっくりとお話したいところなのですけれど、せっかくのデートをお邪魔するのも申し訳ないですわね?」


 祝福の言葉と娘のことを改めてお願いするという最低限の目的は達したからだろう。


 ペアルックにも見えるハジメと成長した姿のユエの寄り添った姿に目を細めて、ルルアリアは早々に話を切り上げた。


 その気遣いをありがたく頂戴するハジメとユエ。ルルアリアに合わせて立ち上がる。


「ところで、今日はどちらへ? 新王都の散策ならば、いろいろ手配できることもございますけれど」

「……お気遣いありがとうございます。でも大丈夫。行き先は――」


 ユエがハジメの腕を抱えながら見上げてくる。


 それに優しい眼差しを返したハジメは、髪型が崩れないよう気をつけながらも繊細なガラス細工に触れるような手つきでユエの頭を撫でつつ返答した。


「ユエの故郷に足を運ぼうかと」


 ルルアリアは目を丸くした。王族として歴史の勉強は当然しているルルアリアであるから直ぐに理解したのだ。


 ユエの故郷とは、すなわち、かつて吸血鬼の国があった場所。今の時代では、どの種族も生活圏を広げていない秘境――大陸最南西域一帯に広がる〝大湿地帯〟だ。


「随分と遠い場所に――ああ、いえ、お二人に距離は関係ございませんでしたわね。良き休日を過ごされますよう」

「ありがとうございます」

「……旅行から戻ったら、改めてお茶会をしたいです。今度は地球でいかがですか?」

「まぁ、ユエ様! それは素敵ですわ! わたくしも常々行きたいと思っておりましたので」

「ああ、うちの母も〝ルルとデートしたいわぁ。もっともっとサブカル文化に沼らせてあげないと〟ってぼやいてましたし、ちょうど良いですね」

(すみれ)が? ふふ、デートだなんて、もぅ……ですが、それもまた素晴らしいお誘いですわ。では、わたくしも執務を頑張って休暇を確保しないといけませんわね?」


 ある意味、リリアーナよりも自分に厳しい王妃様である。今まで本当の意味で対等の友人というもの得られなかった彼女にとって、菫の存在は宝物のようなものらしかった。


 両手を胸の前で合わせて、頬を染めて、まるで少女のようにキラキラした笑顔を浮べる様を見ると、確かにデートという言葉は相応しいかもしれない。


 と、その時だった。ハジメとユエが何か気が付き部屋の外へ、更には廊下の先を見るように視線を転じた。


 その表情には揃って、少しばかりの驚愕が浮かんでいた。


 特に注意していたわけではないし、むしろリラックスしていたくらいだが、それでも見知った複数の気配を感知した距離が意外なほど近かったのだ。


「? どうかされましたか?」


 ルルアリアが不思議そうに首を傾げる。その直後、部屋の外の近衛騎士から来客の知らせが届いた。


 見知った気配通りの相手だったので、挨拶に来たのだろうとしばし待つことにするハジメ達。


 急ぎ足で来たのだろう。三十秒もしないうちに接近していた者達は辿り着いたようだ。


 ノック音の後に、来訪者から声がかかる。


「ルルアリア様。ヘリーナでございます。マイロー――ハジメ様と奥様の来訪を感知しまして、急ぎご挨拶に参りました」

「そ、そう。いいわ、入りなさい」

「失礼いたします」


 ルルアリアが少し戸惑い気味だ。休暇中のはずの侍女長が来訪したこともだが、〝感知〟とか〝マイロー――〟とか、気になるワードが耳を突いたから。


 とはいえ、そこは全使用人の中で最も信頼する侍女長である。ハジメとユエに目配せで一応の了解を取り、直ぐに入室を許可する。


 しゃなりと入ってきたヘリーナさん。相変わらずキリッとした美人さんである。


 そして、相変わらず侍女服――クラシックなメイド服姿だった。


 休暇中だったのでは? と思うものの疑問は口にしない。というか、できない。


 だって、それ以上の疑問と驚きがルルアリアの内心に吹き荒れたから。


「ハジメ様、奥様。お久しゅうございます。出迎えに上がれず申し訳ございませんでした」

「お、おう。それはいいんだけど……」

「……ん、その、えっと……ヘリーナ。後ろの人達は」

「はい、奥様。休暇中でしたので、お友達と女子会をしておりました。お二人とも知らぬ仲ではありませんので、共にご挨拶に。何せ、正式なご結婚をされてから初めての来訪でございますれば」


 にっこりと心からの祝福を伝える笑顔と共に、惚れ惚れとするようなカーテシーを決めるヘリーナさん。


 その背後で、休日の女子会をしていたという〝お友達〟――帝国の皇女トレイシー、ハイリヒ王国の騎士団長クゼリー、サウスクラウド商会が最も懇意にする商会の長モットーの孫娘サミーア、女神(あいこ)狂いの神殿騎士デビッドの妹シスターフィリム、そしてティオの第二の母たる竜人ヴェンリさん――もまた一斉にカーテシーを決めた。


 まるで訓練でもしていたかのように一糸乱れぬ洗練された動きだった。揃って気配が薄かったのも、そのせいか。


「「「「「「ご結婚おめでとうございます」」」」」」

「……ああ、わざわざありがとう」


 見た目だけは堂々と礼を口にするハジメ。


 だがしかし、その意識は完全に別のところにあった。


「……」

「……」


 またしても何も知らされていない王妃様が、王妃スマイルを浮かべてこっちを見ている!


 そして、だいたい察しているけど直接説明されたことはない正妻様も、素敵なジト目でこっちを見ている!


 まるで前門の義母王妃、後門の正妻。


 無理もない。だって、全員メイド服だもの。そうそうたるメンバーな上に、全員がメイド服なのだもの。


 隣室から戻ってきた近衛騎士達――特にデラニーが騎士団長の姿を見て「え? だんちょ、休日に何を? ご乱心? ついに頭がおかしく?」とか言っている。恭しく頭を下げながらもクゼリーの額にビキッと青筋が浮かんだ。


 というやりとりはさておき。


 別にやましいことはなく、元々ヘリーナとの事前の取り決めで諸々の都合的に王妃とユエにだけは話しておこうと思っていたので、リリアーナのいない今日は確かに事前に決めていた条件に合うベストタイミングである。


 とはいえ、だ。


「ハジメ殿。よろしければもう一杯、美味しいお茶をいかが?」

「……ハジメ、素敵な提案だと思う。もう一杯頂こう? メイドスキーなハジメの愉快なお話を添えて」

「……」


 笑顔のユエが腕を組んでくる。まるで逃がさないと言わんばかりにギュッと。


 ハジメは思った。


 よし、ちょっと気合いを入れて慎重に言葉を選ぶぞ! と。


 楽しいピクニックの前に、どうやら戦いが待っていたようである。





いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


二万字超えてもピクニックにすら辿り着かないという。

言い訳します。お察しの方もいると思いますが、異世界旅行編にトータスは含まれません。トータス旅行記でやったからです。とはいえ、トータスキャラの現状に全く触れず異世界旅行編に入ってしまうのもな……と思いユエ編に入れました。結婚を祝福されるユエを書きたいというのもあって。

というわけで次回も「ユエの場合」です。よろしくお願いいたします!


※ネタ紹介

・前屈スタイルのユエ

 女優の菜々緒さんの有名なポーズより。

・親方! 空から女の子が!

 映画『天空の城ラピュタ』より。パズーも、きっとこんな女の子は受け止めたくないはず。

・夕べはお楽しみでしたね

 『ドラゴンクエストⅠ』より。


 

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― 新着の感想 ―
ようやく観察者の存在に気が付くユエさん > 嘘だあぁっ!? 気づかなかったのに、そんな扇情的なポーズは取らん! 少女漫画の詰め合わせです > 翻訳してあるのか、読めるようになっているのか…………。
ソウルシスターズってなんなの? 素で分霊箱でも作れたりする存在なの???
後はアレだね もしも未来 ハジメとの息子や娘が出来てた話的なやつもあったら面白そう
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