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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
487/549

ありふれた休日小話 ミュウ&レミアの場合




「「「「「いやっ、もう子供いるんかいっ!!!」」」」」


 食堂に響く、いっそ見事なまでに揃ったツッコミの声。


 ある意味、学生達も南雲一家のあれこれに慣れてきたというべきか。


 明らかに似ていないうえに、年齢的に見てもハジメの実子というのはあり得なそうであるが、それをわざわざ口に出す者もいない。


 まるで都市伝説の如く、まことしやかに囁かれる南雲一家に下手に絡んだ者達の末路……


 既にいろいろ常識外れな集団なのだ。何があってもおかしくないと思ってしまう。ならば当然のこととして、積極的に地雷を踏みに行きはしない。実体験などまっぴら御免なのである。


 とはいえ、踏み込みすぎなければ大学生活を彩る大変興味深い集団なわけで。


 注目せずにはいられない結果、こうして心のツッコミが見事に合致して出てしまう、ということがだんだん増えてきた当大学の最新〝あるある〟だった。


 閑話休題(なんにせよ、だ)


 ミュウにとっては初めてやってきた大学である。当然、慣れていない。大勢のお兄さんお姉さんの注目とツッコミにビクッとなり、「ふぇ?」と驚きの声も漏れ出す。


 何か悪いことをしたかと、胸元に抱きついたまま少し不安の滲む上目遣いをハジメに注ぐ。


「気にしなくていい。みんな芸人志望なんだ」

「そうだったの。ふだんの努力というやつなの」


 そんなわけあるかいっと再び心のツッコミが揃う。


「それより……来ちゃったのか~」


 ミュウを膝の上に抱っこしたまま、柔和な笑みを――周囲の学生さん達から見れば娘にデレッデレのパパの表情――を見せるハジメ。ざわっ。


「えへへ、来ちゃったの~」


 再びギュッと抱きつくミュウ。ハジメはますます表情を綻ばせ、優しい手つきでエメラルドブロンドの髪を撫でた。


 見た目は全然似ていないのだが、その光景と雰囲気は間違いなく父娘のそれで。


 混乱と疑問の嵐に襲われていた学生さん達が、揃って意味もなく「お、おぉ……」と声を上げてしまうくらい絵になっていた。


「あはは、ミュウちゃんってば。終業式が終わったら家で合流と言ってましたのに」

「待てなかったんだね?」

「ふふ、かわいいじゃない」

「夕べは私が独り占めにしてしまいましたからね」


 シアの言う通り、この後ハジメ達は帰宅する予定だった。そこでミュウと合流するはずだったのだ。


 香織と雫が微笑ましそうに口元を綻ばせ、リリアーナは少し申し訳なさそうに眉を八の字にしている。


「……ミュウ、一人で来たわけじゃないでしょ? レミアは?」

「みゅ? そう言えば……しまったの! ここの建物が見えた瞬間、パパの気配を感じてダッシュしちゃったの!」


 ママを置いてきてしまったらしい。


 当然ながらレミアも大学に来たことはない。そして、当大学の敷地は広大だ。普通に迷いかねない。


「というか、よくここにいるって分かったな? 連絡もなかったのに」

「簡単な推理なの、パパソン君」

「どういうことだ、ミュームズ」


 パパのお膝から飛び降りて、ママを迎えに行こうとしていたミュウが人差し指をピンッと伸ばしてドヤ顔で語る。


「今はお昼時なの。そして、リリィお姉ちゃんは学食を経験したいと思うはずなの。あ、リリィお姉ちゃん、久しぶり! 会えて嬉しいの! ゆっくりしていってね!」


 話の途中でもしっかりお姉ちゃんにご挨拶。「私も会えて嬉しいです、ミュウちゃん」と笑顔を零すリリアーナとハイタッチ。一転、くるりとターンしてパパに推理の結果を突きつける。


「つまり、この時間なら三つの大きな食堂のどこかにパパ達はいる!」

「なるほど。だが、どうしてここの食堂だと?」

「ふっ、愚問だよ、パパソン君。そんなの――全部調べればいいじゃない! なの!!」

「うちの子、天才かよ!」


 いや、そこだけしらみつぶしかい! というか親バカかい! と、またも心のツッコミが一致する周囲の方々。


 親子の寸劇にユエ達がほっこりしている中、なぜか食堂の入り口付近が騒がしくなってきた。ハジメ達に注目していた周囲の学生さん達がざわっざわっ。


「でも、食堂に辿り着くだけでも大変じゃなかったか? なんせ敷地が広いからな」

「むしろ楽しかったの! パパ達を捜しながら大学を見て回れて!」

「そうか。なら良かった」

「みゅ! それに、特に迷わなかったし。道案内してくれる親切なお兄さんがいっぱいだったから!」

「なんだって?」


 どういうことか。その答えは、ハジメ達の後ろからやってきた。


「皆さん、ご親切にありがとうございました。おかげで主人を見つけることができました」

「い、いえいえ、そんな! これくらいなんでもないですよ!」

「お役に立てて光栄っす!」

「むしろ暇してたんでお供できて良かったですっ」

「あらあら、うふふ」


 ほんわりふわふわな雰囲気と声音が、優しく鼓膜を刺激する。


 ああ、なるほど……と納得の表情で振り返るハジメ。そこには案の定、暴力沙汰寸前の当事者でさえ、たった数分で和やかにしてしまうゆるふわ美人――レミアがいた。


 雰囲気に合ったふわふわのシフォンスカートにシンプルなサンダル、ノースリーブのシャツ。髪を一本の三つ編みにして肩から前に垂らしている。


 ウエストの細さと、いっそ凶悪なまでに突き出した胸元の膨らみが人目を引くのは言わずもがなだが、それ以上に……なんというかこう、余裕のある大人の女性感というか、人妻感が凄いというか。


 元々そういう雰囲気を纏っていて、それが魅力の一つでもあったレミアだが、卒業パーティーの日にハジメと腹を割って言葉を交わしてから、よりその傾向が強くなったようだ。


 だからだろうか。レミアの周囲には「あらあらうふふ」されて浮かれている男子学生が二十人ほどいるのだが、誰も彼も嫌らしい下心で近づいたというより、一種の憧れに近い感情で侍っているように見える。実際、「他にご用はありませんか?」と照れた様子で丁寧に接しているようであるし。


 とはいえ、親切心ばかりでないのは当然と言えば当然であり。


「くっそっ。こんな美人な奥さんと、あんな可愛い娘がいる旦那はどこのどいつだ?」

「日本語上手いけど……海外の人だろ? やっぱ教授の誰かじゃないか?」

「講義で思いっきり冷やかしてやるぜ」


 なんて声がぼそぼそと聞こえてくる。どうやら、ハジメの名前までは出していなかったらしい。それはそういう勘違いもするだろう。


 最後までお供してきたのは、どこの幸運野郎か確認してやるっという嫉妬も混じっているようだ。あとは……


「……なんだろう。初対面なのに、ただ、この人には笑っていてほしいとか思っちゃうんだが」

「分かる」

「娘さんと永遠に幸せでいろちくしょうめ」

「この親子を害そうなんて許されざるよ。俺達が守護らないと」


 なんか尊い人を見る目というか、神聖なものを見る目というか、違う意味で心を奪われている者達もいるっぽい。


 どうやら、よからぬ虫が寄ってきたり、トラブルに見舞われないようにと、自主的ナイト君達も集まっていたようだ。


「……流石はレミア。魔性の女」

「私、菫お義母様の漫画で読みました。こういうのを逆ハー状態というのですよね?」

「それはちょっと違う気がするけれど……ハリウッド女優に群がるファンの集団という表現の方が近くないかしら?」

「確かにそんな感じしますねぇ。では、彼等のことを暫定〝レミアガイズ〟とでも呼びましょうか」

「シア、絶対レミアさんが嫌がるよ、それ。でも……娘がいて夫を捜しにきたって明言してるのに、これだもんね。ほんと流石はレミアさん」


 子持ちの人妻と分かっていても、なお衰えない吸引力。確かにユエの言う通り、ある意味魔性である。ミュウの〝たらし〟な部分は間違いなくレミアからの遺伝だろう。


「それでは皆さん、失礼しますね」


 丁寧に頭を下げて(きびす)を返したレミアの後ろ姿をデレデレ顔で見送りつつ、直ぐさま鷹の目のようになって「主人とやらはどこの誰だ?」と探し始めるレミアガイズ(仮)。


 そして、分からせられるのである。非情な現実というものを。


「ママ、こっちなの!」

「あらあら、ミュウったら。ママをおいていかないで?」


 え、待って、娘さんの傍にいるのって……と目を見開いていく。


 彼等の心情が手に取るように分かる食堂の学生さん達。目元を覆ったり、天を仰いだり、現実が認められなくて呆けたり、もはや恐ろしい何かを見るような目をハジメに向けたり。


 深まっていく混迷の中、ゆるふわな雰囲気のまま、レミアは蕩けるような笑顔を彼に向けた。


「ハジメさん、すみません。ミュウがどうしてもというので……来てしまいました♪」


 最後だけは少し茶目っ気を出して、うふふっと笑う。


 多数の人がハートを撃ち抜かれた光景が幻視できた。一部のレミアガイズのハートも悪い意味で撃ち抜かれる。


 大学教授のような地位も名誉もある大人なら、こんな素敵な奥さんがいるのも納得できた。自分も頑張れば、いつか……と夢見ることも。


 だが、なんなのだ? いったい、この目の前の現実はなんなのだ!?


 愕然である。一部は死んだ魚のような目になって、あるいは世界の残酷さに膝が折れたり……


 でもやっぱり一番多いのは嫉妬の気炎を上げる者達で。


「くそがよぉっ、なんでよりによってあいつ!?」

「何かがおかしい。何かが狂ってやがる。いつから世界は、こんなにもおかしくなっちまったんだ? 幸運値、偏りすぎだろ? 誰かデバッグしてくれよ……」

「ミトメタクナイ! ミトメタクナァイッ!!」

「開示請求、上等だ! 今度こそ社会的に燃やし尽くしてやる――ちくしょうっ、やっぱりネットに繋がらねぇ!! 加護か!? 寵愛か!? 女神までハーレムに加えてんじゃないだろうなっ」


 あながち間違っていないのがなんとも言えない。〝箱庭〟で宝樹の女神がくちゅんっとくしゃみをしていることだろう。


 「はい、解散解散! お二人が幸せなら良いでしょうが」とあくまでナイトに徹する者達の先導で特に突っかかってくる者は出ず、この世の不公平に嘆く一部の者もなだめられながら食堂を後にしていく。


 それに同情の眼差しを向けながらも、食堂の学生さん達の一部はワンチャンを期待した。


「修羅場れっ、今度こそ修羅場れっ」

「隠し子であれ! 隠し子であれ!」

「愛人VS本妻――ファイッ」


 小声で願望を漏らす男子陣。女子の一部もリアル昼ドラなの? ドロドロなの!? と好奇心に満ちた目をさりげなく向けている。


 もちろん、そんな期待には応えることはない。


「あ、レミアさん、私の席にどうぞ」

「リリィさん、いいんですか?」

「ミュウちゃんもパパとママの傍がいいでしょうし」

「うふふ、ありがとうございます。では遠慮無く甘えさせていただきますね?」


 リリアーナがにこやかにハジメの隣を譲り、レミアがしゃなりと席につく。


「ミュウ。パパとママ、どっちの膝の上がいい?」

「う~ん……パパ!」

「あらあら、取られちゃいました」


 ハジメに抱っこされてご満悦のミュウを愛情たっぷりの眼差しで見つめるレミア。

 

 そんなレミアとミュウへ、親しさの滲み出る微笑を添えてユエが尋ねる。


「……ミュウ、レミア、お昼はまだ?」

「ええ、まだです。家に帰ってからと思ったのですけど、ミュウが早く行かないとパパ達が帰ってきちゃうと聞かなくて」

「……連絡してくれればゲートを開いたのに」

「ママと一緒にね、〝来ちゃった♪〟したかったの!」

「……ふふ、ならしょうがない」


 レミアとミュウの返答にも、同じくらい親しみが滲んでいる。それは香織達もまったく同じで。


「じゃあ、せっかくだしここで食べちゃえばいいよ」

「そうね。ミュウちゃんも大学の学食に興味あったでしょ?」

「ふっ、その言葉を待ってたの」

「ちなみにですが、ミュウちゃん。ホイップサンドはオススメですよ。ふわっふわっのパン生地と後味スッキリなクリームが絶品です!」


 シアがオススメを口にした瞬間、ミュウのお腹からくぎゅ~~っと可愛らしい音が鳴った。食レポみたいな内容に、お腹の虫が刺激されてしまったらしい。


 割と大きな主張だったので、流石にちょっぴり恥ずかしそうなミュウ。ほんのり頬を染めて、隠すように両手をお腹に添える。


 その姿があまりに愛らしくて、ユエ達は揃って表情を綻ばせた。なんとも慈愛の滲む表情と、ほんわかした雰囲気である。


 もう、十分だった。


「……完全に家族じゃん」

「分かってましたけどね」


 修羅場なんてなかったんだ。むしろ良い雰囲気すぎて、なんか泣けてきたわ……みたいな空気が食堂に広がる。


 どこまでも隙の見当たらない南雲ファミリーに、諦めか、呆れか、それとも感嘆か、きっと本人達も分かっていないだろう溜息がそこかしこから漏れ出した。


 とはいえ、こうして焦らすように小出しかつ定期的に話題を提供してくれるのだ。


 これだから南雲ファミリーの観察はやめられないぜ! 引き続き、注目を継続する! みたいな雰囲気の人達が多数のようである


 自分達が当大学のある種の名物になりつつある自覚はあるのかないのか。


 周囲の雰囲気を感じ取りながらもスルーして、ハジメは立ち上がった。


「そんじゃあちょっと買ってくるわ」

「……ん、行ってらっしゃい」


 合わせてレミアも立ち上がると、なんとなく察して抱っこしていたミュウを降ろすハジメ。


 正解だったらしい。ミュウはパパとママに手を伸ばした。ごく自然に片方ずつ手を取って、ミュウを真ん中に三人仲良く手を繋いでカウンターの方へ歩いて行く。


 カウンターの上にはフードコートのように大きな写真付きのメニューが並んでいる。それにキラキラの目を向けながら、はしゃいだ様子でぴょんぴょんするミュウ。


 当然、合わせてハジメとレミアで腕を上げ下げしてぴょんぴょんを補助。


「う~ん、CMにありそうなくらい良い絵面ですね」


 後ろ姿を見送るシアの言葉を否定できる者は、ユエ達のみならず周囲の学生達の中にもいなかった。


「……心配ない。私達ももうすぐ。雫の大胆な宣言のおかげで周囲に受け入れられやすいだろうし」

「その話はしないでちょうだい…………」

「うぅ、私も羨ましくなってきました……」

「リリィは年齢的にもうちょっと我慢しようね? ……仕事を再開したら忘れそうだけど」

「ボソッと言わないでください、香織。流石の私だってそれはあり得ませんからね!」


 大変、疑わしい。ユエ達の満場一致の感想だった。


 そうこうしているうちに、ハジメ達が戻ってきた。だが、なぜだろう。ミュウが妙にしょんぼりしている。


 トレーの上には美味しそうなパスタとホットサンドらしきものが乗っているが……


「ホイップサンド、売り切れてたの……」


 席に戻ってきたミュウの第一声がそれだった。


 シアから「あっ」と声が漏れる。人気なので割と早くなくなるのはいつものことだ。それを失念して期待させてしまったとバツの悪そうな顔になる。


 周囲の学生さん達の中にも、ハッとした表情で自分の皿を見る者がちらほら。空だ。先程まであったホイップサンドは綺麗にお腹に収まっている。別に悪くないのに罪悪感が湧いて視線を泳がせちゃう。


「また今度、食べに来たらいいさ。なんなら持ち帰ってやるから」

「みゅ」


 こくりと頷き、再びパパのお膝の上によじよじと登る。代わりに買ってきたチーズとハムがたっぷりのホットサンドを手に取る。


 十分に美味しそうだが……お口とお腹が完全にホイップクリーム受け入れ態勢で整っていたのだろう。なんとも微妙な表情だ。


 と、その時だった。


「お~い、南雲~」

「ん?」


 食堂の奥の方から、やたらと体格の良いヤ○ザ四人が――ではなく、ただ強面なだけの友人達がやってきた。


 ボクシング部の池田を筆頭に、柔道部の青木と五反田、剣道部の向坂である。


「うぉ、また美人が増えて――って、確かレミアさんとミュウちゃんだっけか?」

「ああ、そう言えば写真は見せたことあったけど初対面だったな」


 親睦会の時、否それ以降も、家族写真や別の専用フォルダに収められた大量の愛娘写真集を散々に見せつけられたので顔だけは知っている池田達である。


 大学では既に何度もユエ達も交えて昼食を一緒にしていたりするので、レミアを見てもそこまで緊張はしない。


 だが、ハジメの膝上から興味津々なくりくりのお目々を向けてくるミュウには、一様に身を固くした。一気に顔が引き締まる。


 つまり、ただでさえ恐い顔が、「んだてめぇ、ぶち転がすぞゴラァッ」みたい顔になっている。


「お、おい、どうするっ。ちっちゃい子だぞ!」

「娘なら怖がらないって南雲が言ってたけど……」

「くそっ、タイミングが悪い。いつか紹介された時のために、ミュウちゃんへの挨拶を特訓していたのに……不意打ちで顔が強ばっちまうっ」

「どう接するのが正解だ?」


 一瞬で円陣を組んで、こそこそと相談し出す強面四人衆。


 レミアとミュウを紹介しようとした矢先に背を向けられて、でも池田達の気持ちは分かるのでなんとも言えない苦笑を浮かべるハジメ。ユエ達も同じような表情だ。


 一方、周囲の学生さん達も度々、池田達がハジメ達と一緒にいる姿を目撃しているので、絡まれているのではと心配する者はほとんどいないようだ。むしろ、未だにヤ○ザの若頭と子分の関係を疑っている者はいるようだが。


 もっとも、ミュウが怖がって泣きはしないかと、そっち方面で心配している者は多数いるようである。食堂全体が、なんとなくハラハラした空気感だ。


 そんな空気を最初に破ったのは、やはりというべきか。ミュウだった。


「あっ、ホイップサンド……」

「え?」


 円陣の隙間から見えたのだろう。ミュウが思わずと言った様子で呟いた。


 池田が振り返る。その片手には確かに、ホイップサンドが二つラップに包まれた状態で持たれていた。


 凝視しているミュウと、自分の手元へ視線を何度も往復させる池田。


 五反田達が「ハッ、これはもしやチャンス!?」と池田の背中を小突いた。


 池田が肩越しに振り返り、くわっと見開いて何かを伝えてくる友人達に少しだけ訝しむ目を向けて――直後、「その手があったか!」と言わんばかりにクワッと目を見開いて了解する。


 普通に恐かった。


 池田達をあまりよく知らない学生さん達の間に、「ヤバイッ、ハーレム野郎が殺される♪ じゃなくて殺される!?」「通報するか!?」と緊張が走る。


 そんな中、池田が緊張で阿修羅みたいな顔になりながら、あと身を強ばらせているせいかやたらとパンプアップしてしまった大迫力の肉体になったまま一歩前へ。


 凄まじい威圧感に、南雲ファミリーの近くの席についていた学生さん達が思わず「ヒッ」と声を上げて仰け反る中、


「は、初めましてぇ、ぼ、僕は池田と申しますぅ。南雲からお話はかね、がね聞いておりまっす。お会いできて光栄っす! よ、良かったら、これ、どうぞっ」


 レミアに頭を下げ、あえて一人称を〝僕〟に言い換え、そのまま片膝を突いて、まるで女王様に献上品を捧げるが如くホイップサンドを差し出す池田くん。


 精一杯、優しい声音を心がけてくれたのだろう。震えて詰まりながらのそれが、しかし、まるで耐えがたい屈辱に怒り心頭といった様子に見えてしまう。


「あらあら、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。レミアと申します。この子は娘のミュウです。主人がいつもお世話になっております」


 立ち上がり、丁寧に頭を下げて挨拶を返すレミア。動揺は欠片もなく、ゆるふわ雰囲気の波動が池田達の怒気(勘違い)を和らげていく。


 周囲の学生さん達は、憤怒の赤いオーラと癒やしの白きオーラがぶつかり合っている光景を幻視した。聖女かよ……みたいな呟きがちらほら聞こえる。


「ほら、ミュウ? パパのお友達にご挨拶しましょう?」

「ハッ、溢れ出しそうなホイップクリームの量に心を奪われてたの!」


 ホイップクリームの魅力を振りほどき正気に戻るミュウ。ハジメの膝上から飛び降りて、池田達の前へ。


「はじめまして! ミュウはミュウです! よろしくお願いします! なの!」


 元気いっぱい、怯えた様子など微塵もなく両手万歳までしながらご挨拶するミュウ。


 レミアのほんわかオーラにミュウの天真爛漫オーラが加わり、池田達の阿修羅な気配が今度こそ一気に消し飛ばされた。ように、周囲の学生さん達には見えた。


 こ、この母娘、できるっ――みたいな驚愕の目が向けられる。


 当然、池田達もぽかんっだ。口を開けて、信じ難い者を見るような目をミュウに向けている。


「え、えっと、よろしく?」

「はいなの! よろしくなの! 池田お兄さん!」


 ミュウの煌めく瞳が五反田達にも向けられる。お名前はなんですか? と聞いているのは明白だ。


 動揺する五反田達。未だかつて、こんな小さな女の子にここまで真っ直ぐな眼差しを向けられたことはない。あっても、恐怖で視線を逸らせなくなった場合のみ。その後は防犯ブザーを鳴らされるのが先か、撤退が早いかのチキンレースである。


 なのでオロオロしつつ、どうにか自己紹介をしていく。


 そして、ミュウに〝お兄さん〟と呼ばれて、なんだか凄く感動をかみ締めているような表情になっていく。


「俺達のこと、怖くない、かな?」


 池田が、確認するように、あるいは本当にこれは現実なのかと疑うように、改めて問うた。


 ミュウは小首を傾げた。ジッと池田の目を見る。


「こわい? どうして?」

「どうしてって……ほら、体はでかいし、悪そうな顔してるから……」


 いつの間にか、食堂が静まりかえっていた。誰もが片膝を突いたままの強面な巨漢と、小さな女の子のやりとりを固唾を飲むようにして見ている。


 そんな中、ミュウは池田の様子を目をぱちくりとしなら見つめ、それから五反田達にも視線を巡らせ、少し考える素振りを見せて、


「あのね、池田お兄さん。本当に怖い人は、目が怖いの」

「え? 目?」


 そう言った。穏やかな微笑を浮かべて。


 思わずハッと息を呑むほど、それは大人びていて、それでいて優しい表情だった。


 池田達の視線がミュウに釘付けになっている。並の小学生なら泣き出しそうなそれを、ミュウは当たり前のように正面から受け止めた。


「どんなに笑っていても、どんなに綺麗な顔をしていても、悪いことを考えてる人は目が怖いの。ミュウはそれを知ってる」


 だから、と一歩前へ。池田のハリネズミのように固い短髪を、小さな柔らかい手で労るようになでなで。


「池田お兄さん達の目は、優しい人の目をしてるの。だから、ぜんぜんちっ~~っとも怖くないよ?」


 池田の目が更に見開いた。五反田達も驚愕のあまり息を止めてしまっている。


 周囲の学生達もまた、なんだかとても神聖なものでも見たような表情になっている。


 時間が止まったような空気感の中、ハジメが物凄いドヤ顔で静寂を破った。


「どうだ? うちの子は最高に良い子だろう?」


 池田達にミュウのことを語りまくった時に親バカを見るような目を向けられたが、果たして誇張だったか? と言外に問えば、池田達はハッと我を取り戻し、


「あ、ああ、いや……うん。良い子だな。想像していたよりずっと」


 小さな子供に撫でられていることに、今更ながら照れた様子を見せながら強く同意したのだった。


「そうだろうそうだろう。分かったなら、うちの子のためにそのホイップサンドを置いていけ」

「もぅ、パパ! お友達から喝上げしちゃメッでしょ!」


 周囲の学生達は思った。


 ミュウの正しく人を見抜く姿と良識に感嘆し、とてもまだ小学校低学年くらいの女の子とは思えない。ある意味で常識外だ、と。


 そして同時に、そういう意味では〝この親にしてこの子あり〟だな……と思ったけど撤回するッ。娘はこんなに良い子なのに、あんたって奴ぁっ!! と。


 ミュウが、言外にお友達以外なら(具体的には敵ならだが)、喝上げOKと言ってることには気が付かずに。


 ある意味、〝この親にしてこの子あり〟という印象は大正解なのである。


「ああ、まぁ、最初からそのつもりだったし別にいいんだけど」


 苦笑しつつ、ミュウにラップで包んだホイップサンドを差し出す素直で優しい池田君。


 ちなみに、これは昼時に食堂に来られない事情があった池田君が、それでも食べたくて昼前にダッシュで購入しに来て、わざわざ用意しておいた小さな花柄の保冷バックに保管しておいたものだったりする。


 それくらい甘党で、この学食のホイップサンドを愛しているのである。


 もちろん、そんな事情は知らないものの、なんとなくホイップサンドが大好きなんだろうなということは察したミュウは、当然の如く遠慮した。良い子。


「でも……池田お兄さん、楽しみにしてたんじゃ……」


 良い子ッと池田達のみならず周りの皆さんも感じ入ったように目を細めている。


「いいんだ、遠慮しないでくれ。俺なんかいつでも食べられるんだし、な? ほらっ」

「そうだぞ、遠慮なんてしなくていい。池田達のものはミュウのもの。ミュウのものはミュウのものだ」


 お前もう黙ってろよっみたいな視線があちこちからハジメに突き刺さる。なお、その視線の中には呆れ混じりのユエ達のものも含まれていたりする。


 ミュウもまた、娘たる自分のことだと暴走しがちなパパの性質を知っているのでサクッとスルー。そして、五反田達が、


「お、おい。俺達も何かあげられるものないか?」

「くそっ、こんなことならアメちゃんの一つや二つ、常備しとくんだったっ」

「あ、酢昆布ならあった! ――いや、これはないな」


 とか言い合っているのを見て、くすりと微笑む。どうやら、遠慮しない方が喜んでもらえそうだと思って。


 とはいえ、やっぱり独り占めは嫌なので。


「じゃあ、池田お兄さん」

「お、おう。ほら、遠慮なく受け取って――」

「半分こしよ! なの!」

「え? 半分こ? ……まぁ、確かに二つあるけど、別に俺は――」


 池田が何か言っている間にも、ミュウはその手からホイップサンドを取って、ラップを丁寧に剥がし、セットのうち一つだけを手に取って、残りの一個を池田に返した。


「美味しいものは、誰かと一緒に食べた方が美味しいの!」

「ヴッ」


 ミュウの無邪気で太陽の如く眩しい笑顔が炸裂。近距離で被弾した池田が思わず後退る。ハジメパパが心臓を押さえる。周囲のお姉さんお兄さんは鼻を片手で覆った。


 逆らう気も、異論を挟む思考も湧かず、まるで操られたかのようにフラフラと手を伸ばす池田くん。


 ミュウが眼差しで、「せ~のっ」と合図をする。一緒にパクリッ。


「んんんん~~~~~~っ!!」


 頬を真っ赤にして、目をぎゅっとつむり、小さな足でパタパタと足踏み。想像以上の美味しさに身悶えするミュウ。


 しっかり味わって、一拍。パン生地が大きな楕円を描くほど詰め込まれたホイップクリームが溢れ出して口元に白髭ができてしまっているミュウは、それを気にした様子もなく、


「おいしいのぉ~~♪ 池田お兄さん、ありがとうなの!」


 心から幸せそうに、ふにゃりとした笑みを浮べたのだった。


「「「「なんだ、ただの天使か……」」」」


 食堂の一角から、そんな呟きが漏れ聞こえてきた。間違いなく、今この場にいる全員の心の声の代弁だった。だって、お兄さんお姉さん達が一人の例外もなく、「むしろこっちが幸せになったわ」みたいなゆるんゆるんの表情になっていたから。


「ミュウ、良かったわね。池田さん、皆さんも、ありがとうございます」

「……いえ、こちらこそ、なんかありがとうって感じです。うん、やっぱこれ、美味しいよな、ミュウちゃん」

「みゅ!」


 レミアがミュウの口元を拭ってあげながら礼を口にする。「ママにもおすそわけなの~」と一口。「あらあらっ、本当に美味しい」と笑い合う母娘は、レミアガイズ(仮)をからかえないくらい、どこか尊くて。


 そんな様子をユエ達も慈しみの目で見守っている。


 なんだか食堂の中そのものが、幸せな空気で満たされているようだった。


 そうして、誰もが和んでいる中、


「池田」

「南雲……ミュウちゃん、本当に良い子――」

「ごめんな。先に謝っとくよ」

「ん? 謝る? 何を――」


 ハジメは改めて池田達に向き直り、謝罪を口にした。


「明日からミュウのためにホイップサンドを買い占めるから、当分食べられなくなると思う。ほんとごめんな」

「……」


 池田達は当然、微笑ましそうにミュウとレミアを眺めていた、そして池田達への誤解がすっかり解けた様子だった周囲の学生達も、笑顔のままギギギッとぎこちなくハジメを見やった。


 ハジメは、満面の笑みで言い放った。


「でも、問題ないよな! だって、全てはこの天使スマイルのためだから!」


 ユエ達が頭痛を堪えるように指をこめかみに添えている……


 それがいっそう本気の言葉だと感じさせて。


 なので、池田達と周囲の学生達は、否、それどころか実はいたらしい教授や事務員さん、更には食堂のスタッフさんも含めて、とうとう我慢できずに――


「「「「「もうお前は黙ってろよぉおおおおっ」」」」」


 それはそれは綺麗に揃ったツッコミを盛大に叫んだのだった。


 後に、現場にいた者達は語った。


 この時に感じた一体感は凄かった。まるで、魔王という共通の敵に立ち向かうべく人類の心が一つになったような、そんな感覚だった、と。



















 大学でのお昼の後。


 未だ空にオレンジ色は混ざっておらずとも、そろそろ夕方に入りそうな頃合い。


 南雲家から最も近い海水浴場から、更に沖合へ数十キロほど進んだ大海原のど真ん中を高速の小型ボートが進んでいた。


 風と波飛沫を搔き分けている搭乗者は、ハジメとミュウ、そしてレミアの三人だ。


「ミュウ、疲れてないか?」

「ぜんっぜん疲れてないの! 二十四時間、戦えるの!」

「そんなどこぞの社畜みたいなことは言わないでくれ」


 ボートの船首で、腕を組んで仁王立ちしていたミュウが肩越しに振り返ってサムズアップしてくる。確かに元気はまだまだ有り余っていそうだ。


「レミアは? 珍しく随分とはしゃいだ様子だったけど」

「久しぶりの海だったので……でも、大丈夫です」


 自覚はあるのか少し恥ずかしそうに目を伏せるレミア。ボートの縁に足を揃えて腰掛け、風に遊ばれるエメラルドブロンドを片手で押さえる姿は、なんとも絵になる。


 さて、なぜ三人だけでこんな大海原のど真ん中を走っているのかというと。


「海人族だもんな。そりゃやっぱり海が恋しくなるか……悪いな。忙しくてなかなか連れて行ってやれなくて」

「いえいえ、どうか気になさらないでください。こうして時間に余裕ができた途端、お出かけしてくれるじゃありませんか」

「ママと一緒に、お姉ちゃん達みたいにパパとデート、嬉しいの!!」

「そっか……喜んでくれてるなら良かった」


 そう、これもまたある意味ではデートだった。傍目には家族のお出かけだが。


 元々、ミュウの終業式が終わったら、初めての小学校で一学期をしっかり過ごせたご褒美もかねて、親子水入らずのお出かけをする予定だったのだ。


 具体的には、南雲家から一番近いビーチでの海水浴。


 トータスにいた頃は毎日海と戯れていた海人族の母娘である。やはり恋しくなるのだろう。久しぶりの海に、珍しくもレミアまでテンションが上がっている様子だった。


「凄かったよな、水中舞踏と表現すべきか? リアルマーメイドって、ちょっと騒ぎになったもんな」

「お恥ずかしいです……」


 両手でほんのり染まった頬を押さえるレミア。


 アーティファクトのおかげで見た目は人間にしか見えないが、海人族としての実体が消えたわけではない。


 その水中遊泳の優雅さ、潜水時間、そして単純な速度。どれをとっても驚愕に値するのは当然。


 まるでそう、地球で言うならオリンピッククラスのシンクロや競泳などの選手の技を全て合わせたような泳ぎだった。


 おまけに、水中から勢いよく飛び出して体操選手のように宙返りしたりするものだから、潜水していなくても、なんならビーチでくつろいでいるだけの人であっても、普通にレミアの泳ぎを目撃してしまうわけで。


 そうすれば興味津々で水中を覗きに来て、そこで踊るように泳ぐ美女を目撃。


 更にはそこに、同じく信じられないほど泳ぎが達者な美しい娘と、そんな二人に、まるで遊んで欲しがっているかのように集まってくる海の生き物達をも目撃することになり。


 まさに、リアルマーメイドである。


「ママの泳ぎは凄いの。それに凄く綺麗だし。まったく追いつける気がしないの」

「あらあら、大丈夫よ、ミュウ。もう少し成長したら直ぐにできるようになるわ」


 そうかなぁ? と小首を傾げるミュウ。母親の水泳技術は、娘的にまだまだ影も踏めないレベルらしい。


「まぁ、実際すごかったよ。俺も見惚れちまって、危うく盗撮対策が後手に回るところだったからなぁ」

「もぅ、あなたまで……」


 夫と娘からの手放しの絶賛にテレテレと髪を一房いじったり、むっちりした太股をすり合わせたりしちゃうレミアさん。


 ハジメはなんとなく視線を逸らしてしまった。娘の前で〝男〟を出すわけにはいかないから。


「あ~、あと、あれだ」

「はい?」

「その水着、身内以外がいるところでは、できれば禁止で」

「…………はぃ」


 海に遊びに行く予定が、もしかするとミュウ以上に楽しみだったのか。


 本日のレミアさんは、なんとも大胆だった。心のはしゃぎぶりを示すように。


 黒のビキニである。しかも、布面積の限界に挑戦するような。ちょっ、おまっ、この布の量でその値段取るの!? と目を剥くようなタイプのやつである。


 浜辺に隣接した着替え用の建物から出てきた時、そのムッチムチのボディと大胆な水着姿に、周囲一帯の時が止まったのは言うまでもない。


 「あなた……どう、ですか?」と照れ臭そうに、けれど褒めて欲しそうに期待の目を向けるレミアは、なるほど、確かに魔性の海の女だった。


 こんなマーメイドがいたら、そりゃあ屈強な船乗りもふらふらついていっちまうわ、と。


 もし隣に、「ママはミュウが守るッ」と警戒心バリバリの表情をした(ミュウ)と、少し呆けたものの、直ぐに〝その筋の人〟みたいな気配を出して周囲を牽制し始めた(ハジメ)がいなければ、魅了された者が群がっていたに違いない。


 いつも〝ママ〟に徹し、常に一歩引いてユエ達を立てるレミアが、自分のフィールドで、かつ本気で〝女〟を出すとこうなる――というのが良く分かる一件だった。


「……水着を見に行った時、冗談で勧めただけなのに、まさか本当にそれを選ぶなんて……ママの本気を見た気分なの」


 自分は年相応の水着――可愛らしいワンピースタイプのミュウが、若干遠い目をしている。


「あ、あらあら、冗談だったのミュウ? パパが絶対に喜ぶって言うから、ママ、頑張ってみたのだけど……」


 真に受けてしまって恥ずかしい……と、パーカーのフードを目深に被って小さくなるレミアさん。


 ハジメパパとミュウの目が合う。気持ちは一緒だった。かわいい……と。


「ごほんっ。それはそれとして……近くの旅館、とらなくて本当に良かったのか?」


 これ以上はレミアの羞恥心が持たないと思い、話題の転換を図るハジメ。


 実は、泊まりがけだというのに宿泊施設の予約はしていない。このままだと、場合によっては現地でキャンプじみたことになる。それもかなり特殊な現地で。


「それでいいの。むしろ、それがいいの」

「そうか。まぁ、環境も素材も準備万端だから好きにしたらいい」

「みゅ! ありがとうなの、パパ!」


 レミアが顔の熱を取りながら、少し心配そうにハジメを見やる。


「ハジメさん、無理はされていませんか?」


 家族それぞれとの時間も作って、娘の要望にも手間暇をかけて、忙殺状態からようやく抜け出したのに休めているのかと、レミアはハジメの顔色を窺うように尋ねた。


 それに、どこか恥ずかしそうな様子でハジメは頬を掻いた。


「大丈夫だ。むしろ、回復さえしてる気分だよ。忙しさで接する時間が減っていたからか? なんというか……ちょっと恥ずかしい話だが、レミア達との時間に飢えているというか、少しでも一緒に過ごしたいって気持ちが湧き出して止まらないというか、な」


 なんとも珍しい心情の吐露だった。レミアは少し目を丸くして、それからとびっきりの笑顔を向け、ミュウはミュウでむふーっと鼻息を荒くしてパパの胸元へ飛び込む。


「パパ、寂しかったの?」

「う~ん、まぁ、そうかもな」

「ふふふっ、しょうがないの。さびしんぼのパパのために、ミュウが傍にいてあげるの」


 食堂で少しだけ見せた年齢不相応の大人びた表情が、そこに少し熱を加えて再びあらわれる。


 娘が父へ向ける満杯の親愛の中に混じる乙女心。


 こんな表情が食堂で披露されていたら、きっと大きな困惑とハジメへの新たな疑惑が湧き上がり、非常に冷たい視線に晒されたことだろう……


 という予測は、実のところ既に実現していたりする。


「ミュウったら。あんまりパパを困らせちゃダメよ?」

「大丈夫なの! 人前では自重するの!」

「ならいいけれど……」

「いや、よくないが?」

「食堂では少し危なかったわ。気を付けましょうね?」

「はいなの!」

「いや、はいじゃないが?」


 レミアも腰を浮かせて、しゃなりとハジメの隣に密着する距離で座り直す。


 ちなみに、食堂では少し危なかったというのは午後からの予定を話していた時のことだ。


 リリアーナの案内はユエ達が引き継ぎ、ミュウとレミアは当初の予定通りビーチへ遊びに行くという話の中でのこと。


 実は、ただ海に遊びに行くことだけが今回のお出かけの目的ではなかった。むしろ、メインは別にあったのだが……


 そのメインについて、ミュウがうっかり〝匂わせ発言〟をしてしまったのである。で、当然、気になってユエ達がいろいろ尋ねてみた結果。


――ひ、秘密なの。パパとしていることは

――えっと、誰もいない場所でいろいろするの。これ以上は言えないの!

――初めてのことばかりだけど……パパに教えてもらいながら頑張るの!


 必死に誤魔化そうとするミュウから、そんな誤解を生みかねない発言が乱発。


 食堂の空気は凍った。ハジメパパに疑惑がかかったことは言うまでもない。


 結局一緒に昼食を取ることになった池田達が、ハジメを信じつつもなんとなしにしたミュウへの質問に、


――ちなみに、ミュウちゃん。将来の夢はある?

――パパのお嫁さん!


 と、ノータイムで響いた回答と、その時の雰囲気が疑惑を華麗に後押ししたものだから尚更。


 ユエ達とレミアの微笑ましそうな雰囲気でのフォローのおかげで、だいたいの誤解は解けただろうが……幼子の微笑ましい展望ではないかもしれないという疑惑は残ったに違いない。


 次に大学に行くときが少し怖いな。雫の気持ちが分かるな……と、ミュウとレミアのある意味強敵母娘に寄り添われてハジメは遠い目になった。


 と、そこで。


「あ、パパ。ここの辺り?」

「お? ああ、そうだ」


 片手に持っていた羅針盤の針がクルクルと回転していた。狂ったわけではなく目的地に到着したのだ。


 もっとも、周囲には何もない。相変わらず大海原のど真ん中である。


「休憩がてらの船旅だったけど、十分か?」

「はい。気持ちの良い潮風でした」

「早く作業に入りたいの!」


 ミュウの目がわくわくで輝いている。ユエ達にも秘密の〝目的〟が待ちきれない様子。浜辺で遊んでいたのは二時間にも満たない時間だったのも、ミュウが久々の海を堪能するより、こっちを優先したからだ。


 娘の逸る様子に笑みを浮べて、ハジメは万が一に備えてのネックレス――耐圧をメインにした防御結界や光源・ビーコン機能などを搭載したアーティファクトを手ずから二人の首にかけた。


「よし、それじゃあ行くか」


 ボートのエンジン部分についたボタンを押す。途端にボートの底部からカシュカシュッと音を立てて透明な小型パネルが幾つもせり上がっていき、まるで魚の鱗のようにボート全体を覆った。


 クリスタルの中に入ったような状態で、そのまま密封されたボートが沈んでいく。


 変形機能付きの小型潜水艇だったのだ。本当の行き先は海人族でも生存できない海底だったのである。


 ライトが必要になるほど潜行すると、やがて海底が見えてきた。そこに大きな亀裂も確認できる。


 海溝ではない。パックリと開いた傷跡のような亀裂だった。


「もしかして、パパが開けたの?」

「ああ。いかにも秘密の通路って感じだろ?」

「みゅ!! ロマンなの!」

「そう、ロマンだ」

「ふふ、ハジメさんも楽しんでますね?」

「そりゃあわくわくするさ。ミュウが口にした誘い文句にときめかない男はきっといないぞ?」


 なんて言葉を交わしながら、小型潜水艇だからこそ入っていけるそこを通って更に潜行することしばし。


 亀裂を通り抜けたその先には――


「ふわぁあああああっ!! ママ! 見て! あれ!」

「ええ、凄いわ……」

「驚いてくれたようで何よりだ。ゲートで移動せず、わざわざ潜水艇を使った甲斐があったってもんだな」


 娘のためならなんだってやっちゃう親バカパパの、本領を発揮した光景が広がっていた。


 言うなれば、海底の森。


 海水に満たされたドーム状の巨大空間の底面に、更に半球型のドームがあり、そのドームの中に豊かな緑と泉が見えたのだ。もちろん、そこに海水は満ちていない。


 空間を遮断する半球結界自体が光源となっていて空間全体が十分に明るい。水圧も亀裂の外と内では違うようで、多種多様な海の魚が泳ぎ回っている。


 半球結界の底面に沿うようにして進めば、小型の潜水艇は特に抵抗も受けず素通りした。周囲の莫大な海水が流入することもなかった。


「メルジーネ海底遺跡を参考にしたんだ。無限魔力のごり押しで空間を作って、整地して、箱庭の植物を移植した。海水をろ過して真水に変えてくれる植物もあるから、水の心配もない」


 潜水艇を砂浜に乗り上げる形で停泊させ、真っ先に海底の緑地に降り立つミュウ。「お、おぉ」と感動に打ち震えていらっしゃる。


「あの、ハジメさん。本当に無理はされてませんか? ちょっと準備しておく、というレベルではないと思うのですけど」

「なに、大したことじゃない。アワークリスタルを使って三日ほど完徹しただけだ」

「それは大したことです!」

「神霊達にもめいれ――お願いしたら快く引き受けてくれた」

「今、命令と……」

「娘のお願いのためならパパは無敵になる。そうだろう?」

「あなたという人は、もぅ」


 レミアが頭痛を堪えるような表情になっている。後日、神霊の皆さんにもしっかりお礼を申し上げないと、と決意しながら。


 さて、それはそれとして、こんな大袈裟な空間を作ってミュウが何をしたかったのかというと。


「パパぁ! ありがとうなの! ここなら最高の〝秘密基地〟を作れるの!!」


 振り返って、両手を広げて、満面の笑みで礼を口にするミュウ。


 そう、〝秘密基地〟である。


 子供なら、否、大人でも聞けばついワクワクしてしまう存在。自分達だけが知る秘密の隠れ家。一度は憧れるだろう場所。


 この夏休みの間にミュウがパパとやりたいことの一つが、まさにこれだったのだ。


 普通なら家の庭なんかにDIYで小さな小屋を作ったり、屋根裏部屋に小型のテントでも張って代わりにしたり、凄いところではツリーハウスなんか作ったりするだろうが、そこはやはり魔神クオリティー。


 地形を変え、自然を移植し、母なる海という常人では超えられない天然の防壁の中に場所を作ってしまったわけである。


 ただただ、娘に喜んでほしい一心で。


 ……秘密基地を作ろうという、娘からの魅惑のお誘いに心を奪われて暴走した結果では断じてない。たぶん。


 大喜びの愛娘に、ハジメパパは大変満足そうに「いいんだよ」と笑顔を返す。そして、


「だが、ミュウ。本番はここからだ。パパは環境を用意しただけ。分かってるな?」

「合点承知」


 神妙な表情で頷くミュウへ、ハジメは変わった形の〝宝物庫〟を手渡した。


 四角い箱だ。普通の木箱に見える。だが、ミュウは妙に感動した表情だ。


「い、いいんですか、パパ」

「いいんだよ。全て、ミュウのために用意したものだ。ミュウのクリエイター魂を見せてくれ!」

「パパだいすきぃいいいいいいっ!!」


 木箱(見た目だけ)を地面に置きながら、心の雄叫びを上げるミュウ。めちゃくちゃテンションが高い。


 パパもとっても良い笑顔。レミアママはついていけてない。あらあら、と困った顔で頬に手を添えているのみ。


 そんなレミアママとハジメパパが見守る中、ミュウは箱――新宝物庫系アーティファクト〝チェスト〟から素材を取り出した。


 全てブロック状の素材を! あと、ドット絵みたいなデザインのツルハシやシャベル、オノなんかも出てくる!


「あ、ミュウ。作業する時はこれを装備してくれ」

「みゅ? グローブ?」

「ああ、AIの音声認識機能を組み込んだ〝錬成用のグローブ〟だ。ある程度イメージ操作もできる。それで素材をくっつけたり解体したりできるから。もちろん、全部ブロック状で」

「最高なの」


 もうお分かりかだろう。


 そう、今日よりここで行われる親子の秘密の共同作業とは――


「パパ、ママ! 早速、隠れ家を作るの! このリアルマイク○セットで!」


 マインクラフ○。世界中で楽しまれ、一部では物作りの教材にもなっている大ヒットゲーム。


 秘密基地を自分の手で作って、ユエ達にサプライズしたい。でも、建築なんてできないし……と悩ましげだった愛娘のために、魔神様が生み出したリアルクラフトシステムである。


 ミュウと本物のゲームで遊んでいる時に、「これ、いけるんじゃない?」と思って現実に実装したのだ。


「あ、そうだ、パパ」

「おう、なんだ?」


 まずは木を切り倒して広場作りから、とオノを担いで先導を始めたミュウが肩越しに振り返る。


「ここで作った物、夏休みの自由工作として出していい?」

「原理にファンタジーが使われてるからダメ。宿題は正攻法で……でもまぁ、適当にやればいい――」

「きちんと! やりましょうね? あなたも、そう思いますよね?」

「「あ、はい」」


 ツルハシを握るレミアママの妙な迫力に、パパと娘は視線を逸らし、いそいそと作業に取りかかったのだった。



いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


時間なくてちょっと駆け足気味の話になりました。どこかで親子リアルマイクラの話も書ければと思いますが、ひとます休日小話は次の「ユエの場合」で最後となります。よろしくお願いします!


※ネタ紹介

・ミトメタクナァイッ!!

 アニメ『ガンダムSEED』より。早く映画見に行きたい…


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― 新着の感想 ―
マイ〇ラか…………。レ○だと思ったよ。
サラッとスルースルー('ω' )))≡3ーッしょうと思ったけど……よくよく考えたらコレ(マイクラセット)は世に出せば建設関係者がこぞって欲しがりそうだなぁ(特にリリアーナが)( ̄▽ ̄;) 政治家が権利…
ミュウちゃんとレミアさんやっぱどこにいてもあったか空間を作り出すのつよいなあ というかリアルマイクラできるんかい
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