おぉ、神よ! 我を救いたまえ!
「それで?」
木製のカウンターにテーブルセット。革張りのソファーに暖色のランプ。雰囲気だけは落ち着きがあって素晴らしいサーモンサンド専門喫茶店〝ILS〟。
その中央に位置するテーブルに、実に落ち着きのない男がいた。
この店の店長である。
視線が泳ぐ泳ぐ。見るからに鍛えられている大きな体なのに、どっしり構えた感じは皆無。柳の枝みたいにふらふらだ。
「もしもし、エミリーです。アレン分析官を――」
「話しますっ、話しますから殺しのライセンス持ちは勘弁してっ」
迅速な通報は市民の義務。対面に座る浩介とエミリーのジト目は、そう言っていた。
一応、実際に通報はしていない。先程、入り口でかけた電話もだ。ふりだけである。
知らない仲ではないので、弁明くらいは聞いてやるということだ。
「違うんだよ! 浩介君もエミリーちゃんも誤解してるよ!」
人生終了間際を感じ取ってか顔色の悪いダーリン(?)に代わり、隣に座るサマンサちゃんが身を乗り出した。
ちなみに以前は、サーモンサンド道のマスターかつ店長がヘッドと呼ぶ人ということもあって、浩介に対してはミスターを付けていたサマンサだが、今は友人に対する気安さを感じさせる呼び方だ。
常連として通っていた時期に、エミリーを筆頭に女性陣が仲良くなり、そのまま友人関係になったからだ。
それもあって、悪いおっさんに手籠めにされてしまった疑いのある現状、自然とサマンサに対する視線は優しいものになる。
被害者を気遣うカウンセラーのように。
「サマンサ、いいのよ? 無理はしないで」
「してないよ!」
「サマンサ、ストックホルム症候群って知ってる?」
「知ってるけど違うってば!! というか、二人のダー――ごほんっ、店長に対する信頼のなさ、ちょっと酷すぎない!?」
そうは言ってもなぁ……と顔を見合わせる浩介とエミリー。
だって、マフィアより質の悪い裏組織の非合法エージェントだったのだ。組織から足は洗ったとはいえ、今も情報屋として裏の世界と繋がりのあるグレーゾーンおじさんだ。
本来、サマンサのような健全で真面目な大学生が関わるべき相手ではないのである。
「もうっ、ちゃんと聞いてよ! 誤解なんだから!」
「分かった分かった。ちゃんと聞くよ。で、誤解というと?」
「襲ったのは私の方なんだよ!」
「「ギルティ」」
もちろん、ウディ店長が、だ。浩介とエミリーからの蔑みの目が再びウディ店長へと突き刺さる。
荒事に慣れた裏世界の男が、格闘技どころか喧嘩だってまともにしたことのない女子大生に負けるわけがない。
ならば、そう仕向けたか、あるいは本来なら諫めるべきところ「役得だぜ!」くらいの気持ちで据え膳を美味しくいただいたか、と推測するのが自然。
どっちにしろアウトなおっさんである。
「先週ね、私、誕生日だったの」
「え、そうだったの? おめでとう、サマンサ! 教えてくれればプレゼントを用意したのに!」
「ふふ、ありがとう、エミリーちゃん。でもみんな忙しそうだったから、あえて伝えるのもなぁと思って」
「まぁ、実際に二ヶ月くらい来られてなかったからなぁ。何にせよ、おめでとう」
「ありがとう、浩介君! それでね、ほら、店長は私の誕生日を知ってるでしょ?」
「雇用主だしな」
「うん、で、冗談混じりに店長に頼んだのよ。お祝いしてって。私が行ったことのないような、大学の友達とじゃあ絶対に行けないような凄いお店に連れてって!って」
「ああ、なるほど」
サマンサもウディがグレゾンおじさんだと知ってはいる。なので、ちょっと憧れがあったというか、好奇心が疼いたのだろう。そういう少し危険で大人な雰囲気の隠れ家的な店というものに。
で、せっかくの誕生日だし、よく働いてくれているしということで、ウディ店長はご褒美として連れて行ったわけだ。
「本当に隠れ家的なお店でね、私、すっかり浮かれちゃって。まるでスパイ映画に出てくるヒロインみたいな気分っていうか?」
「なんとなく分かるわ。憧れちゃうわよね、そういうの」
エミリーも分かるらしい。スパイ映画も真っ青な裏世界を経験してはいるものの、浩介もそういう店は知らないので行ったことがない。
浩介も分かるのだろう。「確かに良いよな。裏の人間だけが入れる店で、符丁とかでやりとりしちゃったり。ロマンだよな」と頷いている。
不戦規定のあるホテルに滞在したり、銃火器のソムリエや防弾スーツのテイラーなんかと格好良くやりとりしたいのだ。自分だけのこだわりのカクテルなんかがあってもいい! だって、男の子だもの!
なんて浩介達のやりとりに、ウディ店長、ちょっと苦笑い。だが、直ぐに表情は改まった。話が核心に至ったから。
「それで、ついつい飲み過ぎちゃったのよ。顔に出ないタイプだから気が付いた時にはね……」
「……一人で帰らせるのは危ない酔い方だったんで家まで送ったんですよ。あの時、酒に強いんだと勘違いさえしなければっ」
ガクッと頭を垂れるウディ店長。サマンサが照れ顔で続ける。
「えへへ、ごめんなさい。楽しくってつい。で、私、ちょっと酒癖が悪いみたいなんだよね」
「ちょっとなんてもんじゃねぇ。とんだ絡み酒だよ」
サマンサちゃんは絡み酒の人らしい。それも言葉だけでなく、物理的に絡みつくタイプの。
家に送ったはいいが、ウディ店長に絡みついたまま離れなかったようだ。駄々っ子のように。
「流石に、締め落として放置ってわけにもいかないんで、まぁ、絡みつかれたまま酔いが醒めるまで水飲ませたりして介抱してたんですけどね」
「我慢できなくなって襲ったと」
「違いますよっ、ヘッド! 信じてくだせぇ! 二十も下の小娘に理性飛ばすほど落ちぶれちゃいませんよ!」
「え? あ、そうなの? なんだ、じゃあ未遂だったんだ――」
結局、最後まで紳士的で襲わなかったからこそサマンサの方が惚れてしまったのか、と結論づけそうになった浩介とエミリーだったが、ウディ店長はサッと視線を逸らした。
未遂じゃないらしい。
「おい、ウディ」
「浩介君、私が悪いんだよ! 店長が私を寝かしつけてどうにか帰ろうとするのが寂しかったんだと思うんだけど、いや、子供扱いに腹が立ったからだったかな? その辺りは酔っててあんまり覚えてないんだけど、とにかく、やっちゃったんだよ!」
「な、何を?」
「前にエミリーちゃんに護身用って貰った、えっと、アーティファクト? を使っちゃったの……」
「え? あの結界を張ったり、ショックウェーブを放てるやつ?」
「はいぃ……」
で、ウディ店長、見事に気絶したらしい。
なるほど、これは本当に酒癖が悪い。エミリーも頭を抱えている。そういうつもりで魔王様にお願いしたわけじゃないのに……と。
一応弁明すると、ショックウェーブを放つつもりはなく、結界を張って部屋から出られないようにしようと思ったらしい。身を守るだけでなく、相手を封じるためにも使えるという説明をしっかり覚えていたようだ。
ちなみに、お願いしたのはウディ店長が元は裏世界の住人だという点と、何かとトラブルに遭いがちな自分達と関わりを持ってしまっていることから、友人となるなら念のため、サマンサにも身を守れるものが必要だろうと考えたからだ。
間違っても、酔った勢いで異性を帰らせないためにぶっ放すものじゃあない。
「それでね、白目を剥いて気絶しちゃった店長に私、気が動転しちゃって……殺しちゃったかも!って」
「いや、殺すほどの威力はないって説明しなかったっけ?」
「浩介、ほら、サマンサって盲信癖があるから……」
それに加えて酔っていたから。一度、ウディ店長の危機を信じたら、もう冷静にはなれなかったのだろう。基本的にこの子、困ったちゃんなのだ。
「だから、浩介君に貰った回復薬? を使おうと思って店長に飲ませたんだけど、私、すっかり慌てて間違えちゃったのよ」
「間違えたって何と?」
「エミリーちゃんに貰った特製エナジードリンクと」
「「うわぁ」」
サマンサが試験勉強で泣きついてきたことがあったので、より集中できるよう確かに渡したことがあった。
その際は、ハジメに渡すようなスチール缶や注射器型ではなく、研究に長期集中するための自分用ということもあって試験管型の容器に入れたものだったので、確かに回復薬の容器と外観は似ている。
パニックになっていたのなら間違えても仕方ないかもしれない……が、それにしたってなんという空回り具合か。
「半分くらい飲ませて、でも全然目を覚まさないから、あれ?って思って。ちゃんと見れば良かったんだけど、その時の私は自分で飲んで確かめちゃったのよね。そしたらエナドリの味でしょ? パイン味で美味しいし、そのまま残りを飲んじゃって」
「もうツッコミが追いつきそうにないわ」
「海外のコントみたいになってんなぁ」
サマンサちゃんの暴走ぶりに頭を抱える浩介とエミリー。
「で、気が付いたら朝になってて……店長と一線を越えちゃってました! てへっ」
「「待て待て待て待てっ。どうしてそうなった!?」」
結末に至るのが早すぎる! なんかキングクリ○ゾンみたいに時間が飛んだぞ!? と浩介とエミリーはツッコミをハモらせる。
「……たぶんですが、お嬢のエナドリが効き過ぎたんでしょ。酒と合わさって興奮剤みたいになったんだと思いますよ」
「エッ!?」
ウディ店長がでかい体を最小限まで縮めて、両手で顔を覆っていらっしゃる。まるで暴漢に襲われた乙女みたいに。
「うっすらと覚えてます。気が付いたらサマンサに襲われてましてね、俺も意識がぼんやりしてるのに妙に興奮していて」
流石に歯止めが利かなかったらしい。最後まで致してしまったようだ。
正気に戻ったのは朝。隣で寝ている生まれたままの姿のサマンサを見て、ウディ店長は血の気が引いただろう。やっちまった! と。
「私もなんとな~くは覚えてるんだよね。…………へへっ」
照れたように頭を掻くサマンサ。その姿を見るに、ウディ店長と意図せず関係を持ってしまったことに対するショックはないようだ。むしろ、嬉しそうである。
なんか、ほとんど自分達が渡した道具やら薬のせいじゃね? となって、ウディ店長並に青い顔で身を限界まで縮めている浩介とエミリー。
英国では十八歳から飲酒が可能で、レストランなどでは十六歳からでもOKな場合もあるが、エミリーはお酒を嗜まない。
なので、お酒との飲み合わせ効果は盲点だったのだろう。特にエミリーの視線は動揺で回遊魚みたいに泳いでいる。
形容し難い空気になる店内。
気まずい……なんてもんじゃない。罪悪感がやばい……。
当時を思い出してか「えへ、えへっ」と照れ笑いしているサマンサの声と、時計のチクタク音だけがやけに響く。
そんなサマンサの様子を見て、戸惑い気味に、かつ気遣うようにエミリーが尋ねる。
「えっと、サマンサは……大丈夫なの?っていうか、さっきの様子を見るに二人は付き合ってるってことでいいの?」
「うんっ。ダーリンが責任を取るって言ってくれたからね!」
「でも、年齢差とか、裏家業のこととか……」
「年上の男性っていいよねぇ。元々、ちょい悪なオジ様とかすっごいタイプだったし、そもそも裏の世界がどうのって、そんなの浩介君やエミリーちゃんも一緒でしょ?」
「そ、それはそう、だけど……」
「それにダーリンってぶっきらぼうだけど、なんだかんだで優しいし、頼りになるし、私の知らない世界を教えてくれるし、サーモンサンド美味しいし、浩介君達や保安局の局長さん達みたいな凄い人達とも繋がりがある凄い人だし……あっちも凄いし、きゃっ♡」
「「それは聞きたくない……」」
「頼むから黙ってくれぇ、サマンサっ」
自分の世界に突入しているサマンサちゃんにダーリンの言葉は届かない。
「っていうかだよ? 前の店で縁があって、クビになって、たまたま入った店にダーリンがいて、超タイプで、雇ってもらえて、それで結ばれるとか……………………もう運命だよね!」
「「「うわぁ……」」」
ウディ店長まで声が漏れている。
超早口で熱弁するサマンサちゃんの目はキラキラだ。言葉に確信が溢れている。盲信癖が完全に発動しているようだ。彼女の中では、もはやウディ店長こそが運命の人で確定なのだろう。
その後も熱弁を続けたサマンサに、ウディ店長は精神的限界を迎え、浩介とエミリーも食傷気味となり精神的にダウン。
元々は昼食を食べに来たこともあって、久しぶりにサーモンサンド作りの腕前を見たいとサマンサに頼むことで話を中断させることに成功する。
サーモンサンド専門店の店主の彼女に相応しいサンドを作って見せる! とルンルンな足取りでキッチンに向かうサマンサを見送りつつ、浩介達はこそこそと言葉を交わす。
「まぁ、サマンサが良いなら良い……のかな?」
「そ、そうね。元々タイプみたいだったし……おじさん趣味なのね?」
「お嬢、そこはせめて年上趣味くらいで……いや、なんでもないっす」
「で、ウディ自身はどうなんだよ」
「……どうも何も俺に選択の余地はないですよ、ヘッド」
「つっても、ほとんど被害者な感じだけど? むしろ、俺等の落ち度もありそうだし……」
「まぁ、その辺は言ってもしょうがないでしょ。もう起きちまったことなんですから。それに、こっちは汚ぇ過去を抱えたおっさんですからね」
自嘲しながら肩を竦めるウディ店長。人としての価値という点で、自分とサマンサじゃあ比較にもならないと口にする。
「何においても優先すべきはあいつの気持ちでしょう。散々、俺なんかやめとけと説得しましたが気持ちは変わらないみたいなんで、ならしょうがねぇ。全て受け入れる覚悟です」
「ふぅん、殊勝じゃない? でも、仕方なしで付き合うって、それはそれでどうなのよ?」
「そういうわけじゃありませんよ、お嬢。俺じゃまったく釣り合わないって意味です」
苦笑気味の表情の中に、どこか優しさが滲んだ表情を見れば、なんとなく言いたいことは伝わった。
最初は自分達が半ば原因で前のバイト先を首になったサマンサへの贖罪から雇ったわけだが、閑古鳥の鳴きがちな静かな店で、明るく元気なサマンサと過ごす時間はウディ店長にとっても悪いものではなかったのだろう。
元裏の人間たるウディからすれば、サマンサはそれこそ太陽のように輝いて見えたのかもしれない。
恋愛感情でなくとも親愛は確かにある。ウディ店長はウディ店長なりに、エミリーや浩介が思っている以上にサマンサを大事に思っているようだ。
サマンサが望む限りは、望むようにしてやりたいと。
「まぁ、そのうち愛想を尽かすでしょう。まだ若ぇんだ。良い男の一人や二人、いくらでも寄ってくるでしょうし」
「サマンサ、友達多いみたいだものね」
「ええ、実際にサマンサ繋がりで若い客も幾分増えてますよ。あいつ目当ての若造もそれなりにね」
「その割には今日も寂しい店内だな?」
「たまたまですよ」
ちなみに、浩介達が来店した時に客がいないのは偶然だが、こうして話している時に誰も来ていないのは、話し合いのために結界が展開されているからだ。
割と役立つ情報源であるこの店にも、浩介の頼みで魔王謹製のアーティファクトは送られているのである。今は認識阻害の結界で、関係者以外の一般人は寄りつけなくなっているのだ。
「そんなスタンスだと、本当に取られちゃうわよ?」
「俺を選ぶのがどうかしてるんです。他に目を向けてくれるなら、それはそれで安心ですよ」
肩を竦めるウディ店長。本心なのだろう。自分のことより、サマンサの幸せを願っているのは。
なのだろうが……
「ええ、本当に安心できます……」
どうやら、他にも意図があるようで? 何やら遠くを見始めるウディ店長。儚い……表情がどんどん儚くなっていく! まるで死期を悟った老人のように!
「ど、どうしたんだ?」
「いえ、別に……ただ、サマンサは盲信しながら猛進する癖があるもんで」
「猛進? どういう意味よ」
「早くも両親に紹介したいそうです。というか、詳細は伏せてるようですが、既に恋人ができたことを実家に報告済みらしいです……」
顔を見合わせる浩介とエミリー。
「ちなみに、サマンサの親と俺は同じ歳らしいです……」
「「うわぁ……」」
浩介も揃って表情が引き攣る。
娘が、自分と同じ歳のおっさんを紹介してきた時の父親の心境とはいかに。
想像が及ぶと、恐ろしい結末しか浮かんでこない。
なるほど。覚悟を決めたとは、そういう意味も含んでいたのだろう。
「……殺されたって文句は言えねぇ。どうか、骨は拾ってください」
「ウディ……」
浩介は、そっと回復薬を渡した。所持している中で最も上位の薬だ。致命傷でもなんとか治るはず。
「まぁ、そういうわけなんですが、納得いただけましたかね?」
回復薬を大事そうに受け取って懐にしまうウディ店長に、浩介とエミリーは揃って苦笑を浮かべ頷くしかなかった。
取りあえず、通報はしない方針にせざるを得ないなぁと。
そうして、
「できたよ~! 新作、サーモンパインサンドの試食もしてみてね!」
「は? パイン? サーモンサンドに何してくれてんの?」
料理へのパイン使用は否定過激派の浩介が目を眇めた直後だった。
カランッと店の扉が開く音が。
「おっ、二人共やっぱりいたな!」
認識阻害の結界を超えて、ぞろぞろと来店したのはバーナード率いる強襲課の局員達だった。
ウディの目が見開かれる。裏切りに合ったような悲壮な眼差しを浩介とエミリーに向ける!
浩介もエミリーも必死に首を振るが……
「おう、ウディ。なんで認識阻害の結界なんて張ってるんだ? なんか隠し事でもあるんじゃないだろうなぁ?」
店の周囲に人気がなく、この店の結界限定で認識阻害を抜けられる道具が反応していたことから発した言葉なのだろうが、今その言葉はいろんな意味でタイミング悪かった。
ウディ店長の精神にクリティカルヒット。
たとえ、バーナードが笑っていて明らかに冗談だと分かる雰囲気だったとしても、だ。
ウディ店長は覚悟を決めた表情で立ち上がった。
「ん? サマンサの嬢ちゃん。それ新作か? いいねぇ、俺はパインが大好物なんだ。俺にも一つそれを――」
浩介とは相容れない嗜好のバーナードの前に、ウディ店長が歩み寄る。
そして、部下達と一緒に、浩介とエミリーが店に向かったと聞いて一緒に昼食を取りに来ただけのバーナードの前で膝をつき、両手を差し出した。
「俺がヤりました」
「え!? 何を!?」
ギョッと身を引くバーナード隊長。
そこへ、血相を変えたサマンサがウディ店長のもとに駆け寄り、ヒシッと抱きつく。
「違うんです! 悪いのは私なんです! 私がヤりました!!」
「だから何を!?」
ちなみに、年齢差はあれどサマンサはきちんと成人しているので、双方が納得済みなら違法性はない。
が、お巡りさんを見たら、特に悪いことはしていなくてもなんとなく悪いことをしていないか不安になる心理でも働いているのだろうか。揃って覚悟を決めてお縄に付こうとしている二人に、バーナード達も揃って困惑している。
「アビィ! いったいどういうことなんだ!?」
バーナードから救援要請が来た。
溜息を一つ。のそりと立ち上がる浩介。
「はぁ、昼飯を食いに来ただけなのに、なんでこうもいろいろ起こるんだか……」
「深淵卿だからじゃない?」
「……」
意味不明なのに妙に説得力を感じるエミリーの言葉に、浩介は苦笑しつつ仲裁に向かったのだった。
それから、空が燃えるような夕日に照らされている頃合い。
「うぅ、今日はなんだかやたらと疲れたわ……」
「午後も大変だったもんなぁ」
昼食を終えて大学に戻り、午後の講義も終えて帰路につく浩介とエミリーは、オレンジ色に染まる街路を疲れた様子で歩いていた。
カオスなILSを出て大学に戻った後も、案の定というべきか。中々に騒がしい時間が待ち受けていたのだ。
オルグレイ議員との関係について浩介が大学の上層部に呼び出されたり、オルグレイ議員との関係についてエミリーが学生達から質問攻めにされたり、オルグレイ議員との関係で浩介に対する認識度が上がったのか、エミリーに恋人がいるという認識も少し広がって落ち込む者が続出したり、そのことでも質問者が続出したり、そのオルグレイ議員からのしつこい夕食の招待をなんとか断ったり……
嵐を呼ぶ男とはこのことか。
なんにせよ、体力的というより気疲れが激しい。
それもあっていつもより早く帰宅することにした浩介とエミリーは、互いの心を慰めるように腕を組んで寄り添いながら歩いていく。
「それにしても、あんな雰囲気でもウディのサーモンサンドを食べれば、みんな笑顔になるんだから腕を上げたよなぁ」
「ちょっと悔しいくらい美味しかったわね」
ILSでのことを思い出して、苦笑いが深まる。
あの後、事情をバーナード達にも白状したウディ店長は、もちろん盛大に蔑みの目を頂戴することになった。
サマンサの空回り(?)、盲信から猛進コンボ(?)は知ってはいるので、局員の中には「いつかこうなるんじゃないかと思ってた」と同情的な眼差しの者もいたが……
別に逮捕案件ではないし、サマンサも幸せそうなので口を出すことでもないが、それはそれ、これはこれだ。ウディ店長への見方が厳しくなるのは仕方ない話である。
注文を受けて自ら腕を振るい始めたウディ店長を、カウンターやテーブル席に座る屈強な男達が鋭い眼光でロックオンし続ける空気感は凄まじかった。
まるで、映画に時折ある〝ギャングの溜まり場に警官は御法度〟みたいな雰囲気というか、余所者が入ってきた時の某悪徳の町の直ぐ壊される酒場の如き雰囲気というべきか。どっちが元アウトローで、どっちが保安を担う側が分からなかったくらいである。
ウディ店長の冷や汗は、もはや滝の如く。
その時点で認識阻害の結界は解かれていたので、珍しくも一般客が何組か来店したのだが……
彼等・彼女等は例外なく「ヒッ」と悲鳴を上げた。
転がるようにして出て行くか、そっと扉を閉じて静かに踵を返すか。引き返し方に差はあれど、彼等がこの店に来店することは二度とない、と確信するに十分な反応だった。
人里離れた静かな場所を好むという閑古鳥ちゃんは、ますますこの店を気に入りそうである。
それでも、最終的にウディ店長のサーモンサンドを食べれば、バーナード達の表情も一瞬で和らぐのだから、サーモンサンド伝道師(自称)の面目躍如というべきだろう。
「やはりサーモンサンドはすごい。受験に合格したのも、心の傷をいつも癒やしてくれるのも、裏の人間が改心できたのも、全てサーモンサンドさんのおかげじゃないか!」
「ど、どうしたの、こうすけ? 突然……」
「あ、ごめん。ついサーモンサンド愛が迸っちゃって」
「ほんと好きねぇ。というか、もう夕飯時だしお腹が空いたのかしら?」
くすくすと笑うエミリー。浩介も浩介で頭をぽりぽり。照れ笑いを浮かべる。
仲睦まじい様子には、同じく帰宅中の人達や家の前で遊んでいる子供達を見守っていた大人達も微笑ましげだ。
ここ数ヶ月、よく見る光景なこともあって中には気さくに挨拶してくれる人達もちらほらいる。
いろいろと悪い意味で噂が絶えなかった現在の住居も、少しずつ見方が変わってきているのだろう。
元の住人が幾人も亡くなり、すっかりいわく付き住居となってしまった場所――
「さて、ただいまっと」
「他の皆は帰ってるかしらね?」
周囲の家に比べても二回りは大きい、もはやお屋敷というべき立派な家――元ダウン邸の見方も。
そう、浩介達の英国での生活拠点は、元々エミリーが下宿していたレジナルド・ダウン教授の屋敷なのだ。
所有者死亡かつ相続者なしで売りに出されたこの屋敷を、エミリーはハジメに借金してでも買い取ったのである。
理由は単純。
ダウン教授の意志を、少しでも継ぎたかったからだ。たとえ裏切られても、大切なものを与えられたことは嘘ではないから。それを、忘れたくはなかったから。
つまり、エミリーもまた財力や立場、あるいは人間関係で苦しんでいる学生に手を差し伸べられればと、このダウン邸を下宿先として開放したのである。
場合によっては一人でオーナー兼管理人をする覚悟もしていたようだが、浩介やラナ達がそんなこと受け入れるわけもなく、むしろエミリーらしいと賛同。一緒に、大変な状況にある学生がいれば援助することに決めたのだ。
結果として現在、このダウン邸には苦学生が…………一人もいない!!
「うわぁ、呪いの屋敷に人が入ってくぅ!」
「また誰か死んじゃうぞぉー!」
玄関の扉を開けようとした瞬間、自転車に乗った子供二人が悪ガキ感満載で言い放ってきた。
「! コラァッ! あんたたち! なんてこと言うの!!」
エミリーが凄まじい勢いで振り返り怒声をあげる。ムチと化したサイドテールが浩介の顔面を強かに打ったのにも気が付かず、鬼の形相で拳を振り上げれば、悪ガキ達はきゃーっと楽しげな声を上げて逃げ去っていった。
これが、苦学生が一人も住もうとしなかった理由の一つだ。
ご近所さんのダウン邸への見方が微妙だった理由でもある。
それはそうだ。住人の大半が、それもまだ若い学生達が無残な死を遂げたのだ。なんとなく忌避感があっても仕方がない。
「むぅ、家は関係ないじゃない。内見に来た人達もなんで皆、ちょっと嫌そうな顔して帰っちゃったのかしら? 凄く良い条件のはずなのに」
「う、うん、そうだね……なんかごめんね?」
「? なんでこうすけが謝るのよ」
一応、応募が皆無だったわけではない。が、彼等は耐えられなかったようである。
そう、家の案内や条件の説明をする間、エミリーが無意識に放つ幸せオーラに。
(現役の学生にとって、エミリーはどうしたって年下の女の子、それも美少女だからなぁ。プライドもあるだろうし、下心を持つ奴もいる……と思って、一応、護衛も兼ねて必ず同席してたんだけど……悪いことしたかなぁ)
エミリーからすれば、あれだ。若い子を下宿させる素敵な老夫婦みたいな感覚だったのだろう。むしろ、家庭的で安心できるはず、と。
だが、それは年季の入った夫婦だから醸し出せる雰囲気なのだ。端から見れば、普通に若いカップルがイチャイチャしてるようにしか見えない。
そんな家に下宿? 毎日リア充がリア充しているところを見なきゃいけないの? しかも年下の? こっちはリアルに溺れそうなのに? ふざけんな! 施しは受けねぇ! どんなに大変だろうが自力で幸せになってやるぅっ。
というわけである。
なお、浩介が見た感じ、内見に来た者のうち半数くらいはエミリー目当てだったと思うので後悔はしていない。
「ま、まぁ、今はほら、少し違う形ではあるけど必要とされてるわけだしさ?」
「む、それはそうね。うん」
納得したのか不機嫌だった表情を緩めるエミリー。
夕日が少しずつ輝きを薄めていき、代わりに外灯が点灯する。それを合図にしたように、改めて玄関の取っ手にかける。
扉を開けて「「ただいまーっ」」と声を響かせれば、直ぐに返答が木霊した。
広いエントランスから奥へと続く廊下。その中程の左側――キッチンがある場所からひょこっと顔を覗かせるのは赤髪ショートのスレンダーな女性。
「おかえり、エミリー。浩介も」
リシー・アシュトン。ダウン教室のもう一人の生き残りにして、エミリーの姉的存在だ。
エミリーのトレードマークの一つであるサイドテールは、元々彼女に憧れて始めたものだが、当の彼女は退院した後、直ぐにばっさりと切ってしまった。
それが、単なる気分の問題か、それとも家族に等しい仲間や大切な人を亡くした悲しみから立ち直るための手段の一つなのかは、本人が語らないので誰にも分からない。
時折、夜中に一人でアルバムを見て静かに過ごすことがあるので、まだ完全に心の傷が癒えたわけでないのは明らかだが……
「ただいまっ、リシー姉!!」
「あ、こら! 飛び込んでこないの! 大学の講師がこんな甘えん坊でどうするのよ」
「今は博士でも講師でもない、ただの妹だからいいの」
「もぅ、しょうがない子ね」
胸元に飛び込んできたエミリーを、メッと叱りながらも慈愛に満ちた眼差しと共に抱き締め返す姿を見れば、それほど問題はないように見えた。
なお、リシーとの共同生活は、エミリーたっての願いだ。少なくとも学生である間は、と。
リシーを慮ってのことではある。だがそれ以上に、まだまだ一緒にいたいという単なるエミリーのわがままだった。
それが逆に、当初は遠慮していたリシーに共同生活への参加を決めさせたに違いない。この姉は姉で、妹分にはだだ甘なのだ。
(きっと、そんなエミリーの素直な気持ちが心の癒やしにもなってるだろうしな……)
なんて、エントランスの左側、キッチンの手前にあるダイニングルームに入って、大きな長テーブルの上に鞄を適当に置きつつ、微笑ましげに姉妹のスキンシップを見守る浩介。
「リシーさん、最近はいつも飯の準備させちゃってすみません」
「気にしないで。あなた達と違ってこっちはただの学生だし、それどころかコネで将来も安泰の身なんだから」
何かと多忙なエミリーに代わり、リシーはこの元ダウン邸改め〝グラント邸〟の管理者を担っている。
復学して学生に戻ったものの、エミリーのように講師をしているわけではない。将来もAlpha製薬への就職が約束されているので不安もなし。
「ちゃんとリシー姉の研究者としての力量を評価してのことよ?」
リシーの胸元から顔を上げて、抗議するように訂正するエミリー。エミリーの姉分だからという理由だけじゃないと。
「まぁ、差し出された厚意は遠慮なく受け取るタイプだから、コネ全開でも私はまったく気にしないのだけど」
流石はダウン教授が助けなきゃと思うほどの元苦学生さん。まだ若いのに現実の厳しさを随分とご存じのようで。プライドで飯が食えたら誰も苦労しないのよ! と言いたげな表情だ。
「それに、受けた厚意に見合う成果を出せばいいだけだしね」
「か、かっこいいっ、リシー姉!」
「ふふ、ありがと。とはいえ、あの魔王様、私に成果が期待できなくても何かとしてくれた気はするのよねぇ」
「えっと……それは俺の繋がりで身内には甘いからっていう?」
見抜いているのなら大したものだ、と浩介はキッチンに入りながら尋ねる。
「それもあるでしょうけど、あの人、使えるか使えないかは別として、とりあえず手駒を増やすことに余念がないタイプじゃないかなと思って。手段と言い換えてもいいけれど」
「「……」」
浩介とエミリーは思った。
想像以上に見抜いていらっしゃる! たった一度、挨拶がてらに会ったことがあるだけなのに! と。
どうやら良い人材であることは確かなようだ。エミリーの憧れメーターが、またもグイングインッと上昇しているのが見て分かる。
キッチンで手を洗いながら、浩介は二階部分をチラリと見やった。
「三人だけ? ちびっ子達がいないっすね?」
人の気配を探査して、そう口にする浩介。もちろん、浩介とラナ達の子供というわけではない。
実を言うと、当初の予定とは違うし、既に一般の苦学生を相手にした入居募集はしていないが、現在、この家は確かに下宿先として開放されているのである。
「そろそろ帰ってくるんじゃない? 近所に遊びに行ってるだけだから。ヴァニーは今日、遅くなりそうだって連絡があったわ。クレアは――」
「ああ、分身体を通じて知ってますよ。いろいろ変わって聖女業も大忙しだ。今日はかなり遅くなりそうです。ラナは聖域から――」
「今、帰ったわ!」
帰ったと言いながら、玄関からではなく廊下を挟んでキッチンの反対側にある地下室への扉を開いて顔を見せるラナ。
王樹のある聖域、つまりハウリアの地球本拠地から〝ゲート〟で帰宅したのだ。
地下室には複数の〝ゲートホール〟があるので、ここからバチカンや保安局とも直接行き来することもできる。
ヴァネッサやクラウディアも職務を終えたら〝ゲート〟で帰ってくることだろう。
リシーが笑顔でラナにおかえりを口にしつつ、何やら姉の匂いを堪能しているっぽいエミリーをグイッと引き離す。
「さ、エミリー。食事の準備を手伝って?」
「もちろんよ。ちょっと待ってて。今、着替えてくるから!」
玩具を投げてもらったワンコみたいな様子で各々の私室がある二階へ駆け上がっていくエミリー。紛うことなきシスコンである。
「私達も何か手伝いましょうか?」
「う~ん、いえ、大丈夫よ。それより夕食まで少し時間があるし、ふふ、浩介に膝枕でもしてあげたら? 夕べも仕事で寝てないんでしょ?」
「気遣いが心に染みるぜ……」
まだ生活を共にして数ヶ月だが、リシーの態度は随分と気安い。
当初は、それこそハーレムの中に放り込まれた部外者みたいな感覚だったのか、少し居心地が悪そうだったのだが、それも直ぐに慣れたようだ。
ラナ達が気さくだからというのもあるが……
おそらく、この家の特殊性が最大の原因だろう。
それこそが、〝違う形で必要とされている〟の事情であり、リシーが〝管理人〟なんてものを引き受けていて、彼女と関係者以外の住人の気配がある理由だ。
「お言葉に甘えましょ♪ はい、こうくん。おいで?」
「うっす」
ダイニングルームとは逆サイド、エントランスを挟んで右側にあるリビングルームへと入った浩介とラナ。
コの字型の大きなソファーの上にポスンッと腰を落とすラナが、自身の太股をぺちぺちする。ホットパンツなので滑らかでむちっとした肌が丸見えだ。
浩介が火に魅入られた夏の虫みたいにふわふわした様子で一時のくつろぎ時間を満喫し始める。
柔らかい後頭部の感触と頭を撫でる手の感触が心地よい。キッチンから聞こえてくる姉妹の楽しげな声も良いBGMだ。
分身体がクラウディアと頑張っている最中なので完全に意識を落とすことはしないが、それでも心身が休まり充実していくのがなんとなく感じられる。
どれくらいそうしていたか。
そろそろ本格的に意識が落ちそうになってきた頃合いで、
「「「「「ただいまーーっ」」」」」
なんとも騒がしい声が響き渡った。
ふんぬっと身を起こせば、玄関からぞろぞろと小学生くらいの子供が五人、それに七十歳台くらいの男性と女性が入ってきていた。
「お帰り、皆。神父様とシスターも」
「ああ、ただいま戻りました、浩介君」
「あら、憩いの時間をお邪魔しちゃったかしら? でも、子供達の前ですからほどほどにね?」
シスターの視線はラナに向いている。上品な雰囲気のシスターだが、多くの経験を経てきたであろう証は確かに瞳に刻まれていて威厳がある。これにはラナも「は~い」と素直に返事をするしかない。
子供達が「お腹減った~」とダイニングルームへ雪崩を打った。
リシーの「手を洗ってきなさぁ~い!」という声が響き、それが聞こえてか二階からも中高生くらいの少年少女が三人、降りてくる。
浩介とラナにお帰りを口にしつつ、エミリーに「子供達に手を洗わせて~」と頼まれてダイニングへと入っていく。
さて、彼等は何者か。
なぜ、浩介達と生活を共にしているのか。
その答えは、
「あ、こら! 手から水を出さないの! ちゃんと水道で洗いなさい!っていうか能力は無闇に使っちゃダメって教わって――言ってる傍から念動力でつまみ食いしようとしない!」
なんてリシーのお叱りの声からお察しである。
そう、彼等はみんな〝覚醒者〟なのだ。
別にそれで不幸があって親元にいられなかったというわけではない。ただ、彼等の親が特殊な力に目覚めた我が子に困惑し、どうすればいいのか分からず教会に相談しにきた結果だ。
現在、バチカンが陣頭指揮を執って、世界中でこうした相談に乗り、あるいは対応をしている。クラウディアが多忙で中々帰れないのも、これが理由の一つだ。
「ほんと、才能のある子達よね? 魔法が使えないハウリアとしては少し羨ましいわ」
「確かに。覚醒者の中でも上位数十パーセントの才能だからな」
なお、〝覚醒者〟の中にもランクはある。
陰陽師のように家系的に術などが伝わっているなど特殊な場合を除けば……
大半は五感が鋭くなったり、何かしら第六感が働くようになったり、あるいは人より少し怪我や疲労が治癒しやすい、身体能力が上がった程度のもの。
少し上になると、その感覚や治癒力、身体能力を意図的に上げられる。
更に上になると、いわゆる超能力のような現象を起こせるが、これも大半は些細なものだ。
それでも子供が扱うには危険だろう。いらぬスカウトに悩まされる者もいる。
そういう子達を保護する場所が、今、バチカンにより各国の教会を通じて作られているのだが、この〝グラント邸〟もその一つというわけだ。
何せ、ある意味、世界でも有数の安全地帯である。苦学生が来ないなら、ということでバチカンから依頼を受け、引き受けたのだ。
基本的には、週末などに親と会える距離の子達を預かっている。
「中高生ならともかく、最初の頃はちびっ子達もホームシックで辛くなるんじゃないかと思ったけど……楽しそうで良かった」
「ふふ、仲間がいるというのもそうだけど、やっぱり特別な力を学べるっていうのは楽しいものなんじゃない?」
「それは分かる。俺もトータスに召喚された時はワクワクしたからなぁ」
「引退したエクソシストさんが教師係を引き受けてくれるおかげで、世間体も悪くないものね。やっぱり世界的宗教は違うわ。神父とシスターは信頼度が違うもの」
「トータスだと悪徳の象徴みたいな存在だったもんな。特に獣人にとっては」
「ええ、死神みたいなものよ。また狂信者が出てきたら首を刈り取ってやるわ」
「どっちが死神なんだ……」
もちろん、今は邪神もおらず、気の良いファンキー爺さんが教皇をしているので、そんな気はないだろうが……
一瞬、ラナの瞳に宿った〝首刈りウサギ〟の危険な光に、浩介は背筋をぶるりと震えさせた。
「浩介! ラナ! ちょっと手伝って! 子供達が我慢できないみたいだから、少し早いけど食事にするわ!」
リシーの良く響く声に浩介とラナは顔を見合わせるとくすりと笑い合い、賑やかなダイニングルームへと向かったのだった。
そうして、いざ食事の時間となり。
「それでは皆、お祈りをしよう」
神父様の言葉に従って、食前の祈りを復唱する子供達。でも早口だ。今日はよっぽど楽しく遊んできたのか、それとも能力の練習にのめり込んだのか。ともかく腹ぺこらしい。
察した神父様が苦笑しつつ早口でお祈りを締め括れば、子供達は待ってましたと言わんばかりにわっと食事に手を伸ばす。
シスターが丁寧に食べなさいと注意するが、腹ぺこな子供達はある意味ギャングだ。中高生組が苦笑しながら、それぞれ子供達の面倒を見ている。
なんとも賑やかな食卓である。
ラナやエミリー達とだけの生活もきっと悪くなかっただろうが、それは卒業した後でいくらでもできること。
学生の間、こうした賑やかな家で過ごせるのは浩介にとっても嬉しいことだった。自然と表情が綻んでしまう。
しまうのだが……
それはそれとして、一つだけどうしてもツッコミを入れたいことが浩介にはあった。
(南雲、守りは必要だからって魔改造しすぎだと思うんだ……)
実はこの屋敷、ダウン邸から比べものにならないほどアップグレードしている。
結界機能や各種兵器による迎撃機能は当然、実は地下が例の空間拡張技術で凄まじいことになっている。
核攻撃を受けてもビクともしないシェルターとなっているのは当然、普段の訓練にも使えるし、各種アーティファクトも保管されている。
もちろん、転移で逃げることも可能であるし、世界中のどこにでも通信可能だ。なんなら、専用のアーティファクトを使えば、王樹の化身たる神霊ライラを介することで、ある程度、羅針盤を使わなくても覚醒者の位置を把握することもできる。
(いざという時の俺達の避難所にもなるようにってのは分かるけど……新型の飛空艇まで用意してんのはどうなんだよ)
いざとなれば、屋敷の上空に光り輝くゲートが出現し、そこから地下に格納している飛空艇で飛び立つこともできる。
(こんなの、こんなのさぁ……)
ところで余談だが、神父様は細身で禿頭だ。名前はチャールズ・ゼヴィア。初対面の時、浩介は思わず「惜しいっ」とツッコミを入れた。
そんな彼が教師役を務める、能力に目覚めた子供達の住む家……
なるほど。確かにツッコミを入れずにいられまい。
「ほんと、これってどこの恵まれし子ら○学園?」
「え? こうすけ、何か言った?」
「……いや、なんでもないよ」
楽しそうに最年少の女の子の相手をしているエミリーに、浩介もまた笑顔を返しつつ緩やかに首を振る。
南雲さぁ、お前、絶対に意識してただろ! だって、ライラと交信するアーティファクト、わざわざでっかい球体空間なんかにする必要なかったもんな! と思いながら。
そうして、どうか家の子達が平穏な日常を送れますように、そのためならいくらでもアビるんで……と、浩介は信じてもいない神に一人、静かに祈るのだった。
と、そこで、不意に浩介のスマホが鳴った。
食事の手を止めて、スマホを見やる浩介。
「誰? ヴァネッサ? それともクレア?」
ラナが小首を傾げて尋ねてくる。着信音が身内相手のものだったからだ。
「いや……アジズ? それにメッセージ? 珍しいな」
アジズ・スタイン。クラウディアの義弟にして十五歳の若きエクソシスト。
実は今、クラウディアたっての希望とアジズ自身の望みもあって、遠藤家にホームステイしているのだが……
日本は既に深夜を回っている。どうしたんだろう? と不思議に思いつつ、浩介はメッセージを開いてみた。
――タス テケ……
「アジズ!?」
そこにあったのは、ただ一言。急いで書いたと思しき救援要請だった。
時間は少し戻る。
深夜をとっくに回った丑三つ時の遠藤家にて。
二階にある部屋で、アジズは薄い本を片手に硬直していた。
疑問がぐるぐると頭の中を回る。かつて、これほど混乱したことはない。
自分は今、何を見てしまったのだろう? どうしてあの人の部屋に、こんなものがあるのだろう?
本能が今すぐに逃げろと叫んでいる。ここにいてはいけない。何も見なかったことにするんだと必死に訴えている。
だが、あまりに未知の存在を前に、思考は空転し体は動かない。
だから、それは来た。来てしまった。
「――見ちゃったんだね?」
「!!?」
バッと振り返る。冷や汗が噴き出す。
扉の陰から顔を半分だけ出している者がいた。
廊下の光が逆光となり表情がよく分からない。光源もないのに眼鏡が反射しているので余計に。
ただ、その口元が……
「な、なぜ、こんなことを……」
「…………なぜ? 分からないの? 貴方がいけないんだよ?」
ニチャッと歪んで……
アジズは自覚した。今、まさに自分の尊厳と価値観が危機にあることを。
ネームドの悪魔と相対する方が遙かにマシだと思えた。
魔力とも、氣力とも違う背筋に圧倒的な震えを呼び起こす気配。
最近見せてもらった映画であえて例えるなら、そう、これぞまさに――腐ォース!!
暗黒面が手を伸ばしてくる!!
故に、
「おぉ、神よ。我を救いたまえ……」
アジズは後ろ手で必死に救援要請を送信しながら、もう片方の手で無意識に十字を切ったのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
もう12月…信じられない。人類が気が付かないうちになんか自転とかなんかがあれしてこれしてなんやかんやで一年が短くなってませんか? 白米は強く疑っている。
※ネタ紹介
・不戦ホテル、銃ソムリエetc.
映画『ジョン・ウィック』シリーズより。銃ソムリエのシーンが一番好き。
・直ぐ壊される酒場イエローフラッグ
『BLACKLAGOON』より。不屈の酒場。何気に店長が一番好きかもしれない。
・サーモンサンドさんのおかげじゃないか!
『BLEACH』の月島さんより。全部月島さんのおかげ!
・エグゼビア・スクール
『X-MEN』より。球体空間はセレブロ。
・タステケ
『バカとテストと召喚獣』の坂本雄二より。