対応課は今日も平和だった
「でな? こう自然な感じで腕とか肩にぽんっと触れて来たりするわけよっ。これ、もうそういうことだるぉ!?」
「いや、違うんじゃないかな……」
「普通に並んで歩いていてだ、しかも別に混んでない道でだぞ? 腕と腕が当たるなんてある? 距離感やばいっしょ?」
「うん、やばいね」
「心なしか、俺への笑顔が多い気がするしさぁ。任務以外でもよく話しかけてくれるし……昇さんのお話、面白いからもっと聞きたいってよぉっ」
「でしょうね」
そりゃあ任務だからね。俺達〝帰還者〟の情報めっちゃ欲しいだろうからね。と、肩をバシバシ叩いてくる浮かれまくりな昇をジト目で見るが、夢見る男子は気が付いた様子もなし。自分語りに夢中だ。
事務所の片隅にある休憩スペースで、仲良く並んで天丼を食べている柳と朱を、浩介は横目にチラリと見やった。
柳が少しの緊張感と申し訳なさが混ざったような視線を送ってくる。朱は朱でズズズッと熱いお茶に口をつけながらも凄く冷たい目線を送ってきていた。
「ほらっ、今も俺のことチラ見しちゃってんじゃん! やべぇってやべぇって!」
「うん、ほんとやばいね。……お前のチョロさが」
「え? なんだって?」
どうやらバイトは午後過ぎに終わっていたにもかかわらず、ずっと事務所で待っていたらしい昇君。
先程、柳を食事に誘ってあっさり断られたのに帰ることなく、「じゃあ俺もコンビニでなんか買ってきて一緒に食べちゃおうかなぁ!」とくっそ下手くそなウインクなんてしてしまう始末。
取り敢えず、柳は誰が見ても明らかな愛想笑いを浮かべて、上長への帰還報告と朱の治療を土御門に頼まないといけないからと、浩介と朱と共にその場を離脱。(結果的に、話を合わせるべく朱が素直に土御門の解呪を受けてくれたので、その点は助かった)
その間も「真面目な柳さんも素敵だ!」とニコニコ笑顔を向けてくる昇に、もう隠しもせず目元が引き攣っている柳ちゃんは、「あんなにあっさり墜ちていますが、それでも私はやってませんっ」と必死に弁明しているような表情でこっそり自白してくれた。
もっとも、複雑な話は何もない。
ただただ要約すれば、この一言に尽きる。
――相川昇は想像を絶するほどチョロかった
言うまでもなく、相川昇は帰還者の一人である。浩介や世界のエネルギーを牛耳る魔神の仲間なのである。
故に、昇のバイトに同行した当初、柳は内心でかなり緊張していたのだ。
友好関係を結び、可能な限り帰還者の情報を得るという役目は一筋縄ではいかないだろう。しかも、大前提として僅かたりとも害意があるなんて思われてはならないのだ。
術なんて使えるはずもない。〝言霊〟だってもってのほか。
あくまで自力の対人テクニックだけで、不快感や不信感を与えないよう注意を払いつつ、築き上げた信頼と友好をもとに自主的に出せる情報を出してもらう……
まさに至難である。けれど、それが柳のお仕事。
ひとまずは信頼できる同僚という立場を第一目標に、できる限り愛想よく接していこう。少しでも良い印象を持っていただこう。
そう決意して接して――
気が付いた時には既に堕ちていた、というわけである。
柳ちゃんにも何が起きたのか分からなかった。困惑で頭がどうにかなりそうだった。一目惚れとか逆ハニートラップとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない。恐ろしいほどのチョロさを味わったのだ。
「あのさぁ、分かってると思うけど、一応、彼女は他国のエージェントなわけで」
「かっこいいよな。俺等より年下なのに。語学もチートなしであれだぜ? 強くて賢くて可愛いとか……ふぅ。天使は完璧な存在。つまり、そういうことだよな?」
「それは取り敢えず置いといて、俺等の情報とかホイホイしゃべってないだろうなって話だよ」
「トータス時代の話ならたくさんしてるぜ。あんな嬉しそうな表情でせがまれたら、誰だって話してあげたくなるに決まってる」
「う、うん、まぁ、そこは別に秘密でもなんでもないというか元々オープンにしてる部分だけど……」
「心配すんな。柳さんは清い心の持ち主だ。清楚とは、可憐とは、そして純粋とは、彼女のためにある言葉だと確信しているっ。彼女が俺達にとって不利になるようなことするはずがなぁい!」
「うん、とりまお前への情報制限は必要だと確信したわ」
ダメだこいつ、早くなんとかしないと……と頭を抱える浩介。
ちなみに、今いるのは給湯室である。本当にコンビニダッシュしそうだった昇を浩介が呼び止めて押し込んだのだ。尋問のために。
その扉の陰からこっそり顔を覗かせ、心配そうな柳と視線が合うや否や、気持ちわる――ではなく本人的に爽やかな笑みとウインクを返す昇。
柳がぶるりっと震えたのが分かった。急いで視線を落とし、「私、今は天丼に夢中なので!」みたいな雰囲気を醸し出す。
「へへっ、照れてる姿も可愛いぜ」
「お、おうぅ」
としか言えない。やべぇよこいつ。発想が勘違い男そのものだよ。と、思わず片手で目元を覆う浩介。見ていられなかったのだ。
確かに、〝勘違いさせられた〟という点には情状酌量の余地はあるかもしれない。とはいえ、柳がしたことと言えば、自分の存在をアピールするためにちょんと指先で突いたようなもの。
まさか彼女も思うまい。それがドミノ倒しの最初の駒だったなんて。突いたが最後、「ああっ、止まってぇ~~~っ」と悲鳴を上げたくなるほど心を傾けてくるなんて。
焦ったはずだ。他国のエージェントである自分にこんな異常なほど急激な好意を寄せる姿、自分が良からぬ方法を用いて心を縛ったと思われても仕方ない! と。
当然ながら、柳に昇に対する恋愛感情はない。
そして、彼女が最も恐れているのは、帰還者の方々に不信感を持たれること。なんらかの非道な手段――要は呪術の類いを使って昇を堕とし情報を搾取する気では? と疑われることだ。
必要とあらば関係を持つことくらい国家の影であった柳に躊躇いはないが、情報源としての価値だけを見て昇と関係を持つことは、それこそ敵対行動と取られてもおかしくない。
というか、本当にこんなにチョロい人がこの世にいるのか? 思春期まっただ中の中高生でもあるまいし、凄まじい経験を積んでいる帰還者の一人だというのに。
なら、これはやはり逆ハニートラップなのでは? という警戒心も拭うことはできない。
(――〝昇さんが本気なら、私も相応に誠意ある対応をしないと帰還者の皆さんとの関係も悪化しかねないので〟……か。うん、柳の立場からすれば当然の懸念なんだろうけど)
エビのてんぷらを頬張りつつも、敵対行為を疑われていないか心配そうな目を向けてくる柳に、「大丈夫大丈夫」と手をひらひらさせる浩介。
「なぁ、恋愛クソマスターのアビィさん。俺と柳さんの関係がバレちまった以上、お前をその道の名人と見込んで相談したいんだけど」
「俺への隠しきれない嫉妬心と思い込みの激しさに今直ぐ逃げ出したい気分だけど、なんだよ?」
「その、さ。お互いの家に挨拶に行くのってどんな感じ?」
「ストップ。ストップだ、相川。脳内猪突猛進はそれくらいにしとけ」
あと、柳の両親に挨拶はできない。娘を売り払った連中なので。とは、もちろん言わない。本人が昇には打ち明けていないようなので。
「クソアビィは英国とかバチカンと繋がりが強くなるわけじゃん? 結婚したらさ。つまり、俺も同じ立場になる可能性が高いわけで」
「お前の脳内ブレーキどうなってんの? 最近、点検した?」
「いわゆる国同士、いや俺達帰還者と国の架け橋的な? 重要な立場だよな? へへ、同志として話を聞きたいっていうかさ?」
「OK、もう手遅れだというのは分かった。お前が聞くべきは真実だよ」
結論、柳はなんにも心配しなくていい。柳が何か良からぬことをして昇がこうなったなんて誰も疑わない。誰がどう見ても、初めて訪れた春(勘違い)に暴走しているだけだ。
むしろ、ちょっと笑いかけられただけで「この子、俺のこと好きかも?」を通り越し、結婚確定まで脳内で進めているようなヤバい奴に狙われていることに同情すらするだろう。
昇が本気でアプローチをかけて、それを〝影法師〟の上層部が知ったら、間違いなく柳には関係を持つよう命令が来るだろうし。その場合、柳は逆らえないし、逆らわないに違いない。
というか、先程こっそり聞いた感じ、柳的に好意を持たれること自体は悪い気はしないらしく、帰還者側が柳に呪術使用の嫌疑を掛けないなら、ひとまず第一の目標であった〝信頼できる同僚〟になりたいというスタンスは変えたくないらしい。
なので、その延長線上に……と考えればワンチャンなくはない。かもしれない。
ただ、今は空を飛ぶどころか成層圏外まで飛んでいきそうな浮かれ具合が普通に怖いので、落ち着くまでは適切な距離を保って様子見したいのが本音らしい。
なお、昇は元々こういう奴なのではなく、周囲にリアルハーレム野郎が三人もいて、大学に入っても特に出会いはなく、嫉妬心がこじれた結果だろうというのは、いちいちアビィに〝クソ〟を付けている点でも分かるので、ある意味、自分達のせいでもある――という事実からは目を逸らす浩介。
「いいか、相川」
「お、早速アドバイスか? ありがてぇっ」
「心をしっかり持って、覚悟の準備をするんだ」
「そうだよな。国際結婚だもんな。しかもエージェントだし、覚悟はいるよな!」
成層圏どころか銀河系も突破してそうな浮かれ具合の今の昇には、もはや何を言っても通じまい。と、浩介は覚悟を決めた。
「全部、お前の勘違いだ」
「ん?」
「柳は別に、お前に対して恋愛感情はない。ただ異国の地に派遣されて、同僚と良い関係を築けるよう努力していただけだ」
「……んん?」
「むしろ、ちょっと愛想良くしただけで墜ちたお前のチョロさにドン引きしてる」
「……」
「こんなチョロい人がいるなんてあり得ない。逆ハニならまだいい。けど、自分が術で堕としたと思われたら大変だと戦々恐々としてるんだ。それが現状の――真実だ」
昇の両肩に手を添えて、真剣な眼差しで訴える浩介。
昇はキョトン顔から訝しむ表情へ。そして、ストンと表情が抜けて真顔になった。
じっと見つめ合う二人。なんか異様な雰囲気が給湯室から漏れ出してきて、対応課の職員さん達や土御門の方々が「なんだ?」と覗き込んできている。
流石にやりとりが気になったのだろう。柳が立ち上がってこちらに来ようとするが、朱が腕を掴んで止めている。ズズズッと片手でお茶を飲みながら、怜悧な横目だけ向けてくる。
言外に「貴様がなんかこう上手くやれ! 私の妹が困らない感じで!」と訴えてきているのがヒシヒシと伝わってくる。
「なるほど。そういうことか」
「分かってくれたか、相川。けど、何も悲観することはないと思うんだ。これから少しずつ――」
「つまり、だ。お前はこう言いたいわけだ」
「う、うん?」
「柳さんも朱さんも俺のもの。七番目のお嫁さんどころか、八番目も頂いちゃうぜっと」
「エッ!? ち、ちがっ――」
「こんのクソアビィさんがぁあああああっ!!」
「あぶねぇっ!?」
そんなわけないだろとか、なんか家の兄貴みたいなこと言ってるとか、ツッコミを入れる暇もない。咄嗟にリンボーダンスのように仰け反る浩介。顎先を掠めるように頭上を拳が通り過ぎた。
事務所内がザワッとなる。柳があわあわして駆け出そうとするが、朱お姉様が阻止。膝上に抱え込むようにして抱き締め、更にはニヤリと笑って「いいぞ、もっとやれ!」と煽るような表情を見せてくる。
このお姉様、勘違いを誘発する発言のオンパレードといい、やはり浩介を困らせるのが最近の楽しみなのか。
「ちょっと思ってたわ! 敵同士が最後には協力し合って、その後も一緒に行動するとか完全にヒロインルートだよなって! アビィなんて俺の幸せのために死ねばいいのに!」
「かんっぜんに勘違いだし、言っていいことと悪いことがあるんだからなっ!!」
腐っても前衛である。天職〝戦斧士〟というパワーファイターである。放たれるジャブの一発一発ですら常人相手なら容易く骨を砕くほどの一撃だ。
押し寄せる嫉妬と怒りの連打を、マトリック○の如く上半身だけ残像が見るほどの速度でかわしまくる浩介。
それを見て対応課の方々が騒然とし出す。帰還者同士の仲間割れが給湯室で起きているのだ。冗談ではない。そこまで関わりが深くない他部署からの出向員などは顔面蒼白だ。
「おいおい、何をやってんだ!?」
「なんか柳ちゃんを巡って争ってるっぽいな?」
「流石は俺等のアイドル。このむさ苦しい上に胃痛が隣人の部署にやって来た癒やし。そりゃあ若けぇのは取り合いになるわな」
「いやいやいや、何を落ち着いているんですか!? 止めないと!」
「個人的には相川君を応援したい。ガキの分際でリアルハーレムとか許せないなって思ってたんだ」
「そんなこと言ってる場合か!! 帰還者同士の争いだぞぉ!? 服部さんに連絡を!」
慌てているのが外務省など他部署からの出向員。椅子にふんぞり返って観戦モードに入っているのが元々服部の部下である公安の方々だ。
「柳さんが見ているのは俺だ! 彼女まで手籠めにはさせねぇっ、このクソアビィさんがよぉおおおおおっ!!!」
「人聞きの悪いこと言うな!! というか正気に戻れ! 目がガン決まってて怖いんだよ!」
プロレスで言うところの手四つ状態で組み合う昇と浩介。
残酷な真実を受け入れられず、クソアビィさんがハーレムメンバーを増やそうと画策しているのだと解釈した昇は、春の訪れを逃がすまいと必死なせいもあってか、尋常でないパワーを発揮していく……
徐々に膝が折れていく浩介。やべぇっ、これは深淵卿になるかしかない!? イヤだぁっ! 今日は既にやってるんだ! お薬も飲んだばかりなんだ! と必死に踏ん張る。
と、そこで、
『やめてくださいっ、私のために争わないでぇっ!!』
脳の奥に直接、するりと入り込むような声音が響いた。いつの間にか姉様の腕を振りほどいて駆け寄ってきていた柳ちゃんの〝言霊〟だった。
ハッと我に返る恋の鬼神と化していた昇君。手は組み付いたままだが、力を抜いて視線を転じる。
「リ、リーウさん」
「昇さん! 私、昇さんのそんな姿、見たくありませんっ」
「ち、違うんだ! 俺は君を守ろうと――君は知らないんだ! このクソアビィさんの危険性を! 幼女どころか人外のお姉さんさえ見境なく誑し込むクソ野郎なんだ!」
「なぁ、相川。そろそろキレていい? クソアビィさんの危険性、叩き込んでいい?」
「例え深淵殿がクソ野郎だったとしてもっ」
「おっと、柳ちゃん? なんで横から刺してきたの?」
「ロリコンで特殊性癖で言動が痛々しいとびっきりの奇人でもっ」
「混じってるよねぇっ、明らかに悪意が混じってるよねぇっ」
「それでもっ、仲間じゃありませんか! 私に異世界のお話をしてくれている時の昇さんは、いつだって仲間のことが誇らしそうでした!」
「リーウさん……」
「そんな昇さん達の関係が素敵だと感じて、だから私は、昇さんともそんな仲間になれたらと……」
うるうるとした眼差しで昇を見つめる柳ちゃん。昇も落ち着きを取り戻し、バツの悪そうな表情で柳を見つめ返す。
二人の視界には、既にアビィさんはいなかった。散々ディスられたのに。
なんなん? この雰囲気いったいなんなん? なんで皆、俺のこと刺しておきながら次の瞬間にはいなかったものとして扱えるの? 可愛そうだと思わないの? アビィの心、泣いてるよ?
ふらりと給湯室を出た浩介の肩に、そっと優しく手が置かれた。
肩越しに振り返る。朱さんがいた。見なかったことにした。めっちゃ笑いを堪えている顔だったから。ペシッと手もはたき落とす。
「勘違いさせてしまってごめんなさいっ。ただ、信頼してほしくて……」
「か、勘違い……そうか、そうなのか……」
「でも、仲良くなりたいのは本当で――いえ、こんな言葉、私に言う資格はありませんよね……」
「リ、リーウさん……そんな、そんなことはないさ!」
「昇さん?」
「俺の方こそごめんな! 信頼できる仲間になりたいって気持ち、よく分かったよ! で、でもっ、俺の気持ちは変わらないから! きっと君にそれ以上の気持ちを抱かせてみせる! チャンスをもらえないか!」
「昇さん……こんな私に、そう言ってくれるんですね。ありがとうございます。私にも立場があるので何も約束はできませんが……これからもよろしくお願いしますっ」
「リーウさん!」
「昇さん!」
固い握手をする柳と昇。
何を見させられているんだろう? 事務所の職員さん達のうち、外部の出向員の方々はみんな浩介と同じような表情だった。公安の方々だけが「おぉ~青春だねぇ」とか「柳ちゃん泣かせたらただじゃおかねぇ」とか言いながらまばらな拍手をしている。なんてアットホームな職場(笑)だろう。
柳が安堵で滲む目尻の涙を拭くべく、顔を背ける。片手で目元を隠すようにしつつ、肩口に口元を寄せる。ちょうど、浩介と朱からだけ表情が見える角度だった。
嘘のように涙が消えていた。めちゃキリッとした目つきで口パク。
(落とし所、こんな感じでOKでしょうか?)
と言っていた。
浩介への助け船という意図は確かにあっただろう。適度なディスりも昇をなだめる目的だったに違いない(そうであれ)。
そして、誤解は解きつつも、帰還者に敵対行為と取られない範囲で向けられる好意の糸自体は切らせない。
なるほど。悪くない落とし所だろう。誰にとっても。……そう、この期に及んでなお、柳や朱にとっても!
浩介は思った。
やっぱ柳ちゃんが一番こえぇ~っと。というより女性エージェントが、だろうか? 服部も怖い人間だが、それとはまた別ベクトルで恐ろしい。
「フッ」
再び、朱さんが浩介の肩に手を置いた。ドヤ顔だ。すっごくドヤ顔だ。妹の手腕を誇っているのだろうが……「これは始まりに過ぎない。隙を見せればどこからでも食いついてやるからなっ」という警告(?)、いや宣告(?)にも見えたのは気のせいだろうか?
再び手を払って、視線を柳に戻す。既に昇へ向き直っていた柳の瞳は、一瞬で潤いを取り戻していた。……もうほんと怖い。
今日は、ただでさえ深淵卿化して心がイタイイタイだったのだ。 浩介が一緒だと空回り率が上がってしまう朱の動きにも神経を使っていた。
しかも、実は別の場所でもいろいろ動いていて昨日から寝ていない。
なのに、目の前には人の気も知らないでデレデレしている同級生と、いろんな意味で一筋縄ではいかない姉妹がいて、対応課の方々からも自分達のやりとりに呆れやら生暖かい表情を向けられている気がしないでもない。
「……はぁ」
なんだかドッと疲れる浩介。ああ、今日も徹夜だなぁ、朝日が目に染みるぜ……癒やしが欲しい……
と、その時だった。浩介の最大の癒やしがやって来たのは!
「ただいま、こうく~~~んっ!!」
今日、普段はあまり寄らない対応課に顔を出した最大の理由。それこそが愛しのウサミミお姉さん――ラナ・ハウリアとの待ち合わせだ。
入る前から浩介の気配を掴んでいたのだろう(摩訶不思議なことに)。ガチャッと扉を開くや否やラナが満面の笑みで飛び込んでくる。
もちろん、ウサミミは隠されている。ポニテスタイルで、その髪留めが隠蔽のアーティファクトだ。格好はパンツスーツ姿。スマートタイプなので、むしろスタイルの良さが強調されている。
彼女の周りだけ重力が優しいのでは? と思うほどぴょんぴょんと軽快な足取りで駆け寄ってくる。
が、いつも通りラナが抱きつくより早く、
「ラナァーーーっ!!」
「!」
浩介が駆け寄った。十日彷徨った砂漠でオアシスを見つけたような表情で、これまた珍しいことに人前であるにも関わらず自ら恋人を抱き締める。
ヒシッと抱き締められたラナは、思わず万歳スタイルで目をぱちくり。
しかし、それも僅かな間のこと。直ぐに目尻をふにゃりと下げると、浩介をあやすように優しく抱き締め返した。
「あらあら、こうくんったら珍しい。何か辛いことでもあったのかしら?」
「いや、ちょっと女の人って怖いなって」
「私が怖いの?」
「怖くないから抱きついて癒やされてる」
「ふふ、こうくんったら。いいわ、好きなだけギュッてしてあげる♪」
嫌らしさの欠片もない、まるで聖母が我が子を抱き締めているかのような温かい雰囲気が漂う。
それほどラナの表情は慈愛に満ちていて、浩介の表情は緩んでいた。
昇の表情が引き攣っている。「こ、こいつ等、いつの間に南雲とユエさんに勝るとも劣らない〝二人っきりの世界〟を出せるように!?」みたいな顔だ。
柳もちょっと頬を赤らめているし、朱に至ってはなぜか妙にそわそわと落ち着かない様子である。
「ここ、対応課のオフィスで間違いなかったよな?」
「言いたいことは分かる」
今日、米国との重要な会談があることを知る外務省からの出向員が死んだ目になっていらっしゃる。
仕方ない話だろう。学生同士の修羅場があったかと思えば、職場恋愛(?)がテーマのドラマみたいな展開が繰り広げられ、挙げ句の果てには恋人同士が二人っきりの世界を作り出しているのだ。
情報戦の最前線を担う部署の一つなのに! 今まさに国家間の行く末が決まりかねない重要な会談が行われているのに!
元より公安の方々だけはやっぱり平常運転で、「若いっていいねぇ」とニヤニヤしたり、「くそぉ、見せつけやがって、アビスゲートさんがよぉ」なんて悔しがっているが。
ラナが僅かに身を離して、物凄く自然な動きでキスをする。軽く唇に触れる程度のものだが、二度、三度と。まるで、母が子をあやすのに背中をポンポンする代わりの如く。
浩介の頭上にゲージが幻視できた。心のHPゲージだ。レッドゾーンに入っていたそれがギュインッと回復していくのがなんとなく分かる。
とはいえ、これ以上恋人同士のイチャイチャがエスカレートしては困る。TPOというものは弁えてもらわないと。
というわけで、公安のおじ様から「それくらいにしとけ!」とお叱りが飛んだ。
「ハッ!? す、すんませんっ、こんな場所で!」
浩介の顔は真っ赤だ。ハジメ&ユエの如き桃色結界を出せるようになっても、あの二人ほど堂々とイチャつく度胸――いや、この場合は非常識さか? は持ち合わせていない。ペコペコッと頭を下げまくる。
「あら、ごめんなさい? でもしょうがないわ。こうくんがあんまりにも可愛いかったんだもの」
ハウリアはやはりハウリア。頭の中が魔王サイドである。
服部さんが不在時に指揮を執るNo.2の上長――先程、柳達も報告しにいった相手――が腹の底にずんっと響くような声音でたしなめる。
「ラナ君、そういうことは仕事を終えてからにしてくれ。危険な呪物を確保しているんだろう? 別室で既にご老公達がお待ちだ。結界の準備もできている」
上長――市原は対応課で一番見た目がやばい。角刈りで超重量級の柔道家みたいな体も迫力満点ではあるが、一番やばいのは顔面全体を斜めに走る三本の傷跡だ。
どうやったらそんな傷が付くんだよ。お前、人食い熊とでも戦ったんか? とツッコミを入れたくなる。
そんな普段は寡黙な彼が口を開くだけで場はぴんっと張り詰めるのだが、そこはハウリアだ。
「はいはぁい、直ぐに行きます♪ こうくん、ごめんね? もう少し待っててね?」
一応、協力組織の幹部なので丁寧語くらいは使うが、態度的には一般人に接するのと変わらない気安さである。真に敬うはボス一家のみと決めているのだ。
なので、別れ際にチュッとおまけのキスだってしちゃうのである。市原から深い溜息が漏れ出る。
「流石は深淵殿の奥方様です」
「た、確かにな。私でも市原殿を前にすると少し緊張するんだが……」
テッテッテッと軽やかな足取りで別室へ去って行くラナの背を見送りつつ、思わずといった様子で呟く柳と朱。
朱は、そんな自分の呟きにハッとすると誤魔化すように咳払いをした。ラナのことも、あまり認めたくはないらしい。本当に負けず嫌いというかなんというか。
「ところで、ラナ・ハウリアは何をしに? 呪物とは? 貴様が今日、珍しくもここに顔を出したのは彼女が来ることを知っていたからだろう?」
「ああ、樹海の隠れ里の件らしいよ。侵入者……というより探っている連中がいるみたいで」
「やはりか……大丈夫なんだろうな?」
「うん、まぁ、そこは……南雲の防衛システムと、ハウリアの凶悪な隠れ里があるからさ」
かつて、ハジメが懸念し却下したこと。
富士の樹海ってハウリアの隠れ里にもってこいの環境ですよね! というカム達の期待は、実のところ実現してしまっていた。
原因は当然、〝龍事件〟だ。
日本=龍の妖魔という衝撃の真実。それを復活させ得る祠の存在が明らかになった以上、彼の場所を封印ないし保護するのは当然の措置だ。
とはいえ、政府が守りを担ったところで超常現象からは守れない。必然、陰陽寮が担うことになるが、ただでさえ数に限りがあり仕事も増大傾向にあるのに常駐警備などさせていられない。
なので、ハジメのアーティファクトや、陽晴や緋月経由で妖魔を守護役に置くのは当然として、それらを臨機応変に活用しつつ、必要とあらば人前に、あるいは対応課に顔を出せる別の信頼できる集団が必要だったのだ。
で、あの樹海の最深部で嬉々として生活できる集団として、必然的にハウリアが選ばれたのである。
というか、ここがチャンス! とばかりに売り込んできたのだ。
森の中のハウリアほど恐ろしいものはない。トラップとアーティファクトで備えているなら尚更。
これ以上の適任はいない。流石のハジメも頷くしかなかった。
通達を受けた当時のトータスで、地球移住枠が増えたよ! やったね! 新しい人員は俺だな! はぁ? 私だが? 寝ぼけてんのかカスが。うるせぇ死ねよ塵芥が――みたいな野蛮極まりないやりとりと、蘇生が必要なレベルの内部抗争が起きたのは言うまでもない。
ちなみに、樹海移住組には元々聖域にいたネアとパル、そしてミナも含まれている。
大抵のハウリアがそうだが、彼等には可能な限りボスの傍にいたいという習性(?)がある。ネアとパルも例に漏れない。
また、超常現象が増えている今の世の中では、特異性を有するミュウの身の安全は常に気がかりだ。大事な大事な自分達の〝お嬢〟なのだから護衛の強化は過剰なくらいでいい。
自分達は歳も近く、護衛役に最適。共に学校に通い、日常を共に、フフフッ、したい。とハジメに常々嘆願していた。
だがしかし、いかんせん頭がハウリアである。
ミュウの日常をハウリアしかねない。と、パパは容赦なく却下した。
二人は絶望した。それはもう悲壮な顔だった。なんかいろんなところから液体が漏れ出しちゃうくらいに。
子供二人がいろいろ垂れ流しながら土下座で「どうかお考え直しを!」と懇願する様に、家族からも白い目を向けられたハジメパパは――まぁ、折れた。
せめて俺達が納得できるレベルで常識的な言動が取れるようになったら考えてやる……と。
どの口で言うんだ? というツッコミが一部から入ったが、もちろんスルー。
で、今回の日本移住計画がちょうど持ち上がったので、二人は渡りに船だと参加したわけだ。
閑話休題。
「なんでも、今回の侵入者は妖魔を従えていたみたいでさ」
「ふむ……それで呪物の回収ということは、つまり自前の術ではなく、その呪物が力の源というわけだな?」
「たぶんね。自身の力は弱くても、そういう〝物〟を手にして力を発揮できる人も増えているみたいだから。というか力を底上げするために、そういう〝物〟を求めている人も、っていうべきかな?」
「なるほど。樹海に侵入したのも、〝龍〟が目的ではなくそういった物がないかと考えてのことか」
「これから尋問だろうからまだ分からないけどね。たぶん、そうなんじゃないかな?」
「で、今回はラナ・ハウリアが侵入者と呪物を確保したというわけか」
「そうそう。他にもいただろうけどね」
なお、生活の本拠地を英国に移しているラナがなぜ、今回の捕り物に参加したかと言えば、結論から言えば偶然である。
ラナは浩介の正妻という自負がある。なので、遠藤家の実家にも頻繁に顔を出すようにしているのだ。そのついでに、富士樹海の隠れ里の様子も見に行くことが多いのである。専用のキーを渡されているので、ゲートを使えば移動は容易なのだ。
「俺がちょうど任務中だったからさ、それなら犯人と呪物を誰かがここに届ける必要があったから」
「ちょうどいいと待ち合わせ場所にしたわけか」
「うん。俺もどうせ朱さんを運ばなきゃいけなかったし。意地を張るから」
「くっ、一言多いぞ……」
困らせてやっていたかと思えば、恋人に会うついでに運ばれていたと知って朱の顔がなんとなく渋くなる。
「ついでに、久しぶりだし二人っきりで外食しようかって……へへっ」
「任務中に、時折熱心に携帯を見ていたのはそれだったんですね」
「ケッ。見せつけやがって」
柳から呆れ顔が、昇からはジト目が向けられる。
「せっかく情報共有してやろうと思って、お前を待っててやったのにな」
「え? 相川はただ柳さんのストー――会いたかっただけだろ?」
「誰がストーカーだ! 失礼な、じゅんあ――んんっ。とにかく! これを見ろ!」
本人を前に純愛と口にするのは、ちょっと恥ずかしかったらしい。さっきは少し誘導され気味ではあったものの中々に男らしく好意を伝えていたというのに、素面(?)になるとヘタレるようだ。
昇は誤魔化すようにスマホを突き出した。
「ん? なんだこれ?」
「吉野のYouT○beチャンネルだ」
「え、そんなのあったのか?」
「結構前から開設してるぞ。冒険系YouT○berとして、秘境とか探検してる」
吉野真央。浩介のパーティーの付与術師。マイペースな彼女は卒業パーティーで、しばらくはハジメからのバイト代を元手に諸国漫遊を楽しむと言っていたが、まさか有言実行していたとは。
「えっと、つまり吉野の近況を知らせにきてくれたってことか?」
「それだけじゃないし、あくまで柳さんに会うついでだけどな。ほら、南雲の奴、今は俺等に気を遣ってくれてるだろ? 新生活を優先しろってさ」
「まぁ、そうだな。ほとんど依頼も来ないし」
「お前は特にな。南雲の依頼がなくても、陽晴ちゃんとかクラウディアさんからの依頼は結構あるだろ? 今日みたいにアビィが必要な案件もあるだろうしな」
お前の分身、便利すぎるんだよ。断れる時は断れよ?と苦笑する昇に、頼まれると中々断れない性格の浩介はなんとも言えない表情で頭を掻いた。
「まぁ、とにかく、大したことない情報は回ってこないだろう、今のお前のとこには」
「つまり、吉野のYouT○beチャンネルに大したことないだろうけど、知っておいて損はない情報があるってことか?」
「話が早くて助かるぜ」
なるほど。元々動画サイトを頻繁に見るタイプでもなく、ハジメに次いでなんだかんだ忙しい浩介である。実際、元パーティーメンバーがチャンネル開設していたことも知らなかったわけで。
その辺りを察して、ついでとはいえ仲間の近況を教えようとしてくれていたことには素直に感謝の意を伝える浩介。
それを軽く流し、昇は昨日の日付の真央がした配信のアーカイブを再生した。
興味深そうに柳や朱も覗いてくる。ちなみに、ハジメには真央本人から、対応課には昇から報告済みだ。
「ふぅん? えらいジャングルって感じの場所だな? どこだ?」
「まぁ、見てろって」
浩介の言う通り、画面に映ったのは緑が生い茂るジャングルだった。
その中を如何にも探検家っぽい格好――おそらくチャンネルの趣旨に合わせた衣装なのだろう――の真央が自撮りしながらずんずんっと進んでいる。
『はい、今日も始まりましたこんにちマオマオ! 冒険系YouT○berのマオヨシだよ!』
「だれこれ」
「YouT○berとしてのキャラ作りだろ。気にすんな」
いかにもジメッとしていそうなジャングルの中を、目元に添える横ピースと悪戯っぽい笑みで飾る真央の姿に、浩介は思わず目を点にした。
いつも気怠そうなのが真央だ。少なくとも浩介の認識では。
どうやら真央は真央で、しっかりと考えながらYouT○berとして頑張っているらしい。チラリと見やれば、既に登録者が十万人を超えていた。
コメント欄にも〝こんばんマオマオ!〟〝おはマオマオ!〟なんて浸透しているっぽい挨拶がめっちゃ書き込まれている。挨拶が違うのは時差か。グローバルに人気のある証なのかもしれない。
実際、チート言語能力をいかんなく発揮し各国の言語で挨拶をしている。
後は、初見さんだろうか。たまに、ただインターネットに繋ぐだけならまだしも、ジャングルの中でラグなく配信するとかどういう技術? と疑問の声が上がっている。まさか魔神謹製の異世界ファンタジー技術とは思うまい。
というか、
「いや、ブラジルかよ! アマゾン川流域の熱帯雨林って、吉野はいったいどこに行く気なの!?」
真央さん、えらい場所を彷徨っていらっしゃる。凄い笑顔で。配信だから演じているというだけでなく、普通に楽しそうだ。それこそ景色の綺麗な場所を散歩しているような様子である。
「やはり帰還者はどうかしているな……」
「魔物はびこる剣と魔法のファンタジー世界を旅していたのですから、地球のジャングルくらいどうということもないのでしょうね」
なんてボソボソした姉妹の感想を耳にしつつ。
「ちょっと先に飛ばすぞ」
「いや、普通に見たいんだけど」
元パーティーメンバーの新たな道行きが気になってしかたない浩介。なぜ、今まで見ていなかったのか。水くさい。仲間なんだから開設したのなら連絡くれればいいのに!
吉野はいったい、これまでどこを冒険していただろう。初配信の時、果たして躊躇なくこの挨拶ができたのか!? 初マオマオした時どんな顔してたの!? ねぇ、どんな顔してたの!! 興味が尽きない! 帰ったらアーカイブチェックしなきゃ! あ、あとチャンネル登録と高評価も忘れずに!
そんな浩介の興味をサクッと無視して、目的の場面まで一気に飛ばす昇。
画面の中で、真央が周囲の光景を見せながら改めて目的を話している。どうやらジャングルの中に遺跡があるという噂を聞いて調べに来たらしい。
しかも、意外なことに一人ではないようで、現地ガイドだろうか? それにしては装備の整った大人が十数人、周囲にいるようだった。
真央と同じように撮影している者もいれば、いろいろ大荷物を背負っている者達もいる。彼等のリーダーだろうか、イケメン俳優みたいな雰囲気の男があれこれ指示を出していた。
「ここだ」
昇がそう言った直後、画面の上の方を何かが横切った。木々から木々へ妙な光彩を放つ影のようなものが高速で通り過ぎたのだ。
周囲の者達は気が付いていない。真央だけが感知した。カメラが迅速に後を追うが、影はあっという間に枝葉のベールの奥に隠れてしまい、正体は分からず。
しかし、後衛職と言えど、そこは異世界チート組だ。カメラが追えずとも、真央の動体視力は相手の奇怪さをしっかりと捉えていたらしい。
『なに今の? ジャガー? いやでも色がおかしかったし? それに、あんな速度で木の上を移動できるもんなの?』
コメント欄も加速していた。アマゾン川流域の生物に詳しい者もいたのだろう。速すぎてカメラの焦点速度が合わず、該当箇所を一時停止したりスローにしたりして確認しても判然としない。だが、少なくとも七色に見える体毛の四足動物は見たことがないと騒然としている。
真央の周囲の大人達もカメラの映像を確認して険しい表情だ。
なんでも、遺跡の情報の中には現地の人達が避ける理由も含まれていたらしい。何か得体の知れない存在が守っているのだとか。
『おお~、何かの見間違いかもしれないけどさ、なぁんか良い感じに冒険らしくなってきたじゃん?』
リスナーの中には引き返した方がいいのでは? とコメントする者達もチラホラ出始めたが、むしろ真央の表情はキラキラと輝きを増していく。
何やら周囲の大人達を集めて相談を始める真央。
「王樹の復活に伴って、何かの伝承が復活しないかって点も警戒してるって、南雲が言ってたろ?」
「ああ、氣力は掌握してるからまずあり得ないだろうけどってな」
「実際、龍の復活に伴い世界各地の〝龍伝承〟も具現化しかけているからな。警戒は当然だ」
「人の手が入れば、人為的に起こすことは不可能ではないでしょうしね」
つまり、真央が遭遇した影も、現地の伝承の一部で具現化した何かなのではないか? という考えのもと、一応、ハジメの方に報告済みらしい。
とはいえ、アマゾンはそもそもが生物の宝庫だ。毎年、凄まじい数の新種が見つかる秘境である。故に、〝大したことないだろうけど一応伝えておくべき情報〟ということなのだろう。
「吉野は冒険系って自称してるけど、現地の伝説とか噂を聞いて秘境を探検するのがメインだからさ、ほとんど秘境ハンターとか遺跡ハンターみたいな感じなんだよな」
「南雲としては有り難い存在だなぁ」
「情報料をたっぷり払ってくれるから吉野的にも助かるみたいだな。ちなみに、海外組として明人もいるわけだが、あいつもマジシャンしながら情報集めしてるみたいだ。主に覚醒者に関してな」
「そうなのか?」
「ああ。この前も軽い暗示が使える程度だけど覚醒者がいるって情報を掴んで様子を見に行ったらしくて」
「それで?」
「実際に覚醒者だったんだが、詐欺まがいの方法で金をふんだくってたから〝分からせた〟って言ってたぜ。ファンタジーな力を使ってマジシャンなんて許せないってよ」
「……仁村って確か幻術使って世界一のマジシャンになってやるとか言ってなかった?」
「言ってたな」
実は、既にマジシャン業界では期待の超新星として注目され始めている仁村明人君。世界各地で、ほんのちょっとした超能力紛いのことができる程度の覚醒者で、かつ道を踏み外しそうな者達を見つけては〝分からせて〟、自分のマジック集団に引き込んでいるらしい。
表の顔はマジシャン。裏ではマジックを使って密かに人助けをするダークヒーロー組織の長。
マジシャンヒーローズの創設者として、いつか出会うだろうヒロイン(願望)とのロマンスを経て(妄想)、彼女に正体を明かす時(超妄想)、眼鏡を取りながら髪をかき上げて決め台詞を口にするのが夢らしい。
「なんか、ちょっと調子に乗ってる感ない?」
「あるな。そのうち、〝私が天に立つ〟とか言い始めそうだ」
その場合は目が覚めるまでたこ殴りにしてやろうと、淳史と約束しているらしい。
「ま、とにかくだ。吉野の奴、秘境ばっか歩き回っている間にいろいろ奇妙なもんを見つけたりしてるみたいだからさ、一応、お前にも知らせとこうと思ってな。配信が意外に面白いってのもあるけど」
「なるほど。ありがとな。これはもうしばらく気が付きそうになかったから助かるわ」
それにしても、と。昇と浩介の会話が一段落ついたのを見て朱が指摘する。
「この吉野真央の周囲にいる者達は何者だ? 貴様達の仲間か?」
「極力隠しているようですけど、動きや視線の動かし方が軍人じみてませんか?」
そう、見る者がしばらく見ていれば分かる。真央の周囲にいる大人達は、ただの現地ガイドというには動きの中に時折滲み出るのだ。訓練を受けたもの特有の動きが。
「それは俺も気になったけど……でも南雲は前からマオチャンネル知ってて何も言ってないんだろ?」
「っていうか、南雲の紹介らしいぞ? 吉野は他人を強化するのが本領だし、秘境や遺跡の調査自体は素人だからさ、専門家チームのサポートがあった方がいいだろうって」
あと、昇が聞いたところによると真央曰く、いざという時は肉壁にしていいとかなんとか……
きっと冗談の類いに違いないので口にはしないが。
「なら安心か」
「あいつ、どこでそんな伝手を作ってくるんだろうなぁ」
なんて話をしている間にも、映像の中で真央達の相談は終わったようだ。
どうやら謎生物の進路と本来の目的地は少し離れており、真央は謎生物の追跡を、大人グループは当初通り遺跡へ、という感じで意見が割れていたようなのだが。
『はい、というわけで謎生物を追うぞ~!』
『くっそっ。どうしてこう人生というのは斜め上ばかりに行くのかっ』
イケメン俳優っぽいリーダーさんが地団駄を踏んでいる。論破されたらしい。
『せっかく独立して好きにオーパーツを追えると思ったのに! あの時、ボスと出会ってしまったのが運の尽きか!』
『何をブツブツ言ってんの? ほら、行くよ、ルフィさん!』
『ゴム人間じゃないと何度言えば分かってくれるのかな、マオ! 私の名前はウィルフィードだ!』
『似たようなもんじゃん?っていうか、偽名は良くないよ。チームなのに』
『偽名じゃない! 本名だ! ルフィが間違い!』
『でも南雲からはルフィだって……』
『ろくに名前も覚えてないくせに危険地帯への同行を強制するとか! ほんとにボスは斜め上だな! どうせならファンタジーな力で最高地点に至らせてくれないかねぇ!』
浩介は思った。
あ、この人たぶん同類だ! と。何かと弄られるというか、ツッコミを入れざるを得ない立場に追い込まれるところが。
実は例のバチカン行きが決まる前、ハジメから受け取った古代の細菌兵器にまつわる事件で、その兵器を奪い合ったオーパーツ調査のプロとは思いもしない。
何はともあれ、当時の望み通りボスの犬になれたのだから、きっとルフィさんも喜んでいることだろう。
と、そこでラナが戻ってきた。配信もストップ。
「こうくん! お待たせ!」
「ラナ、お帰り。滞りなく?」
「ええ、呪物もしっかり預けてきたわ。問題もなさそうよ。清武君も張り切ってたから」
「清武さんが?」
「ええ、ミナからの手紙を添えたからね」
「ああ、なるほど」
土御門清武。土御門直系の青年だ。樹海決戦のおり、うっかりミナに見惚れた奇特な青年でもある。
初めての異性からの好反応に、嫉妬と羨望と焦燥に狂った恋愛モンスターの如き有様になっていたミナも最近は随分と大人しい。奥ゆかしくも「お互い忙しいし、まずはお手紙で……」なんて言っちゃうくらい。
浩介やラナからすれば、飢えたライオンが千載一遇のチャンスを逃すまいとネコを被っているようにしか見えなかったが……
たぶん、きっと、ミナとしても初めてのことに戸惑っているだけに違いない。富士樹海の隠れ里に移住した理由も、手紙のやりとりをしやすくするためであるし。というか、そうであれ。
「それより、どうするこうくん。疲れているなら食事はまた今度にする? ちゃんと帰ってから食べた方がいいでしょう? 分身体じゃあ味は分かっても空腹は満たされないし」
そう、実はここにいる浩介は分身体だ。本体はもちろん、留学のため英国にいる。ラナも本来は浩介の生活拠点で一緒に暮らしているのだ。
「いや、いいよ。本体の方は本体の方でしっかり朝食を食べてるから」
英国はちょうど朝だ。向こうでも、そして同時にバチカンの方でも分身体が一晩中活動していたので確かに疲れてはいる。が、それはそれだ。
「何より、ラナと二人っきりの機会は逃したくない」
「もうっ、こうくんったら!」
ほんとに水が高きから低きに流れるが如き自然なキスが、再びラナから浩介へ。
そのままキーワードを呟いて専用の宝物庫を起動すれば、ラナが変身へのロマンのために頑張って習得した早替えも発動。
光に包まれたかと思えば一瞬でセクシーなお姉さん衣装に早変わり。
腕を抱え込むようにして組めば、豊かな胸元はこぼれんばかり。思わず対応課のエリートさん達も視線を吸い寄せられる。
「それじゃあ行きましょ? こうくん♪」
「あ、そういうわけなんでお先です!」
仲良く寄り添って退勤していく二人。
それを見送りつつ、
「柳さん、もしよかったらこの後、一緒に――」
「あ、昇さん、お疲れ様です! さ、姉様、報告書を片付けてしまいましょう!」
「あ、ああ、そうだな……」
ぽつんっと取り残される昇くん。
天を仰ぎ、溜息を一つ。「帰るか……」と退勤していくその煤けた背中を、対応課の大人達はなんとも言えない表情で見送ったのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
※ネタ紹介
・覚悟の準備
ワザップへの抗議文らしいです。今回調べて初めて元ネタを知りました。
・失礼な純愛だよ
言わずもがな『呪術廻戦』の乙骨さんより。
・私が天に立つ
『BLEACH』の藍染様より。明人が口にできる日はたぶん来ない。
・最高地点
『ワンピース』のルフィより。もちろん、ウィルフィードさんは至れない。