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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
473/544

不意打ちの職場参観




 羅針盤とゲートを使って、ハジメが服部と合流して一時間ほど経った頃合い。


「まったく……しょうがなかったとはいえ、随分と便利に使ってくれたな、服部さん」

「いやぁ、すみませんねぇ」


 二人は高層ビルが立ち並ぶ都市部のど真ん中を並んで歩いていた。


 なお、今回の呼び出しの目的である、とある国の要人との会談はまだ行っていない。それをスムーズに行うための()()()が終わったところだ。


「今回の会談は是が非でも成功させたかったもので、確実な安全が欲しかったんですよ」

「まぁ、俺に、いや、俺達にも大きな利があるから構わないんだが……」


 ビジネス街なだけに歩いているのは大抵スーツ姿の人達ばかりだ。ちょうど昼を食べ終わってオフィスに戻る人達、あるいはこれから遅めのランチに向かう者達で行き交っている。


 昨今はラフな格好を推奨する会社も増えているようで、ジーンズにスニーカー、シャツの上に薄手のカーディガンという格好のハジメが歩いていても特に違和感はない。


 もっとも、そんな如何にも大学生らしい青年と肩を並べて歩いているのが、〝くたびれた中年〟という概念を人の形にしたらこうなりました、みたいな姿&雰囲気の服部であれば、本来なら悪目立ちしそうなところなのだが……


「それはそれとして、いつもそうやって決めてればエリート公務員って感じなのに」

「イヤですよぉ。堅苦しい。ただでさえ息が詰まるようなお仕事ばっかりですのに、格好まで気を遣ってちゃあ本当に息ができなくなりますって」


 本日の服部さんは、ハジメの言う通り実に決まっていた。


 いつものよれよれのスーツ姿はおろしたての綺麗なスーツに。ゆるゆるの襟元もきちんと固く立っていて、首筋の黄ばんだ染みなんてありはしない。


 タバコ臭さもなく、むしろ石鹸っぽい香りまで。ぼっさぼさの髪だって、今日はクールにオールバックだ。もちろん、無精髭もない。デフォの猫背だって嘘のように真っ直ぐ。


「まぁ、目が死んでるのはいつものことだけど」

「時間が来たらキリリッとなるんで大目に見てくださいよぉ」


 なるのだろう。おそらく、この人は本当に。


 普段はどれだけ情けない感じでも、この男は国の裏の守護を担う者の一人だ。必要ならいくらでも冷酷になれるし、ぼへっとしているように見えて常に周囲を観察し、分析し、先を考え続けている。


 英国の保安局局長――シャロン・マグダネスと中身は同じタイプ。その本質は鉄血のエージェントだ。


「ああ、胃が痛い。……んぐっ。一国の要人との会談なんてお巡りさんの仕事じゃないですよ。政治家の仕事ですって」

「うん、まぁ。そこは俺と一緒で先方が求めてるからしょうがないわけだが……それより服部さん、俺達が合流してから一時間くらいだよな」

「はい? そうですが?」

「今、流れるように飲んだ胃薬、既に六錠目じゃないか?」

「? そうでしたか?」

「十分に一回の割合で飲むものじゃあないと思うんだが……」

「と、言われましてもねぇ」

「毎日、いったいどれくらい飲んでるんだよ……」

「ハハッ、おかしなことを。いくら南雲さんでも、今まで食べた米粒の数を覚えちゃいないでしょ?」

「……そこはせめてパンの数にしてくれっ」


 ハジメをして同情せずにはいられない。なんて儚い笑顔で悲しいことを言うんだ、と。


 ハジメはそっと懐に手を入れた。


 そういう時、もう職業病なのだろう。さりげない視線を向けて何を出すのか確認してくる服部に、「この人、もうプライベートと仕事の境界線なさそうだよなぁ」と思いつつ、周囲にばれないよう宝物庫から特製魔法薬を取り出す。


 いろいろなダメージの先送り薬でもあるエナドリではない。ちゃんとした回復薬だ。無限魔力で抽出した神水を数滴配合しているので回復効果は抜群である。


「南雲さん……うぅ、突然呼び出したあげく、会談前に各国のエージェントを排除するなんて面倒事までさせた私に優しくしてくださるなんてっ」

「往来でガチ泣きするのやめて? めちゃ見られてるから」


 きちんと市販の栄養ドリンクに偽装した小瓶を受け取り、泣きながら一気に飲み干す服部さん。


 パァ~と表情が輝く。両手を広げて、全身に陽の光を浴びているかのようなポーズで。恥ずかしい。OLさん二人組がギョッとした表情で足早に脇を抜けていくから余計に。


 真っ昼間のオフィス街で、今にも天に召されそうな雰囲気で栄養ドリンクを飲んでいる中年のおじさんがいたら誰だって避けるに決まっている。


 しかも、立ち止まってるから凄く邪魔そうだし。


「依存度が増しそうだから自重してたけど、今度からもう少し強めの胃薬を用意しようか?」

「助かります。いや、ほんと」


 なんてにこやかに礼を口にしながら、さりげなく周囲に視線を巡らせている服部。


 その姿に苦笑しつつ、ハジメは羅針盤を取り出しアピールするように軽く振った。


「安心してくれ、服部さん。羅針盤での索敵は常にしてる。今のとこ反応はないし、俺自身も注意してるから」

「おっと、すみませんね。もう癖になってまして」

「どこぞの暗殺一家の三男よろしく、マジで足音もしないしな」

「おっと、お恥ずかしい。まだ少し警戒モードだったので。ちゃんと足音も戻しますね」


 本当に、どこにでもいる中年サラリーマンにしか見えないのに中身はこれだ。ハジメも苦笑いを深めずにはいられない。


 とはいえ、本日の服部が特別にピリピリしているのも事実。


「会談までは……あと三十分ちょいか」

「ええ、この先に隠れ家的な料亭がありますのでね、そこで」

「英国と中国以外、かなりのスパイがいたな。秘密裏のコンタクトが聞いて呆れる。大丈夫か?」

「先方が無能というより、こればっかりは各国の諜報活動が死に物狂いである今の情勢のせい、というべきでしょうなぁ」

「あの米国でも、か」

「あの米国でも、ですなぁ」


 互いに顔を見合わせ、なんとも言えない表情でこれから会う相手の所属を口にする。


 そう、今回、秘密裏に会談を申し込んできたのは彼の大国だった。その情報機関に所属する一派閥のトップとでも言うべきか。何にせよ政府の要人である。


 だが、ほんの数日前に特急態勢で決まった本日の会談は、どうやら多くの国が掴んでいたようで。


 阻止か、あるいは諜報か。なんにせよ、この忙しなくも平穏なオフィス街の裏では、凄まじい諜報&防諜合戦が行われていたのだ。


 それこそ、会談までに全て排除ないし安全確保をするのに、服部達だけでは手が回らないほど。


 これが、急遽ハジメが呼ばれた理由だ。


 会談が決まった当初、ハジメの参加予定はなかった。会談内容を持ち帰って、ハジメとの話し合いの上、何度かの交渉を経て……というセオリー通りの予定だったのだ。


 だが、予想以上に情報が漏れていたこと。会談自体ができなくなりそうであったこと、そして、そう何度も協議を重ねられないだろう状況になってしまい……というわけである。


 服部が嘆息しつつ、苦笑を漏らす。


「諜報・防諜共に最高位の国家ですがね、それが過去のものになりかねない状況です。相当、焦っているようですよ。上への圧力は相当なもんだとか」

「だろうな。まして、こっちは成り行きとはいえ中国とも繋がりを持つに至ってるからな」

「ええ、訳の分からぬオカルトが現実化し、実際に国益を脅かしかねない。風の噂ではCIAやらNSAの長官が発狂しかけたとかなんとか」

「情報機関の長としちゃあ、そりゃあたまらないよなぁ」


 故に、焦りは積もり強硬派の発言力が日々強まっているとか。


 つまり、外交筋から情報提供を得られないなら是非もない! よく分からない事柄なら分かる奴を連行しろ! 一から十まで情報を吐かせろ! もはや手段は問わない! である。


 当然、その矛先が真っ先に向くのは日本であり、そして帰還者だ。


 そして、その強硬派をなだめて、日本から友好的に情報を得たい、もっと言えば超常現象分野においてノウハウの伝授を含めてがっつり協力体制を築きたい……というのが保守派の考えであり、そのトップが本日の会談相手だった。


「これ以上、ボランティアに目覚めるエージェントは増やしたくないでしょうからなぁ」

「帰還者騒動やらなんやらの被害を、もう忘れちまったのか」

「覚えていても、やらずにはいられないくらい切迫してんでしょう、強硬派は。今回の会談では、お伝えした通り彼等の返還交渉も含まれています」

「強硬派をなだめるための手土産ってわけだな」

「賢明な判断ですよ。こちら側に、自分達との交渉を有利にできるカードはこれですよっと、わざわざ教えてくれてるんですから。あちらさんにしては、随分と譲歩もしています。本気度が窺えるってもんですよ」

「引きずられるようにして他国も強硬手段に出そうだしな。実際、今の時点で出てるし」

「こちらとしても面倒事を減らすために、是非とも繋ぎを作りたいところです。超常現象なんてなくても、あちらさんが本気を出したら怖いのなんのって」


 何せ、かかっているのは国家の命運といっても過言ではない。


 今までの防諜システムがまるっと無視され、超常現象なんてもので好き勝手に情報を持っていかれるかもしれないのだ。他国にエージェントを送ることさえも躊躇われる。


 実際、日本に送り込んだ優秀なエージェント達がボランティア精神に目覚めて何人も勝手に辞職しちゃっているのだから。


 もちろん、日本とて絶対的アドバンテージを容易に手放すことはしたくないし、するつもりもない。だから、未だに圧力には屈していない。が、それも時間の問題だろう。


 米国側には、情報戦で遅れをとっている事実に加えて、もっと直接的で切迫した理由もあるからだ。


「覚醒者に対する対応力もまた、あちらさんは早急に求めていらっしゃるようで」

「……オカルト集団か」

「ええ、徐々に増えてるようですわ。他の国も同じではありますが、何せ国土も広けりゃ人口も多いもんで、その分ね」


 とはいえ、こちらの超常現象に対する専門家――陰陽寮のメンバーとて限りがあるわけで。出向させるにしても限度がある。と、物欲しそうな目を、わざとらしくチラチラ向けてくる服部。


 どうやら、会談前の打ち合わせも兼ねての雑談だったらしい。


「一応、今も悪魔共を世界中に放って監視はさせている。羅針盤で危なそうな組織も定期的に検索してるし、危険度別に監視を張り付かせてもいるが……必要なら、目に見える形で戦力を出そう。中身が悪魔の人形で良ければな」


 仲間を駆り出すわけにはいかない。特に、今しばらくは。それぞれ自分の道を歩んでいるのだ。新しい環境と生活に慣れるまでは世界を東奔西走させるのも忍びない。


 それに、退屈が大嫌いな悪魔共なら嬉々として働くだろう。現世で活動するための仮初めの肉体も貰えるのだから。


 なんてことを口にするハジメに、


「ああ~、それは悪目立ちしませんかね?」

「今、バージョンアップ版のゴーレムの研究をしてるところだ。見た目は人間にしか見えない、という感じにしたい。九割方はできてるからな。後は、悪魔に人間界の常識を覚えさせつつ細部を詰めていく……ちょいと急ぎで仕上げるさ」

「それはそれで恐ろしい話ですが……」


 服部が少し頬を引き攣らせた。


 人と見分けが付かない悪魔の集団……しかも、人間界の常識まで身につけている。


 なるほど、普通に恐ろしい。助力を請うて良かったのかと再考したくなるくらいには。


「悪魔崇拝者が、悪魔人形に思惑を潰されて逮捕とか……皮肉が効いてていいだろ?」


 ニヤリと笑うハジメには、服部も苦笑いを浮かべるしかない。これは魔王ですわ、いや、今はもう魔神と呼ぶべきですかね、と。


「制御は誤らんでくださいよ? 私なんかに言われることじゃないと思いますが」

「いや、肝に銘じておく」

「なら安心だ。交渉のカードの一つにできますよ。ああ、ちなみにですが」

「うん?」

「どうやら、最近増えているオカルト集団、どうもありきたりな悪魔崇拝ばかりじゃないっぽいですね」

「そうなのか?」


 きょとりとするハジメ。実は、流石に今のままでは情報処理のキャパを超えそうだったので、監視役の悪魔達にも、いちいちオカルト集団それぞれの思想まで報告はさせていなかったのだ。


「ええ。なんか終末論を唱えたりとか、楽園への旅立ちを呼びかけたりだとか、そんな感じの集団が増えてるっぽいですね」

「ふぅん? それもまぁ、ありきたりと言えばありきたりだが……」

「対応課にもちらほら報告は上がってますよ。覚醒者……ある日、突然に力が目覚めたような連中は、まぁ、なんというか、理由を見つけたがるのかもしれませんな」

「〝自分が力に目覚めたのには意味がある!〟〝なすべきことがあるんだ!〟みたいな?」

「ですねぇ」

「それはそれで、テロリスト化が心配だな。こそこそするのがセオリーの悪魔崇拝者の方がマシじゃないか?」

「南雲さんが氣力を掌握してるんで、個人の力でできることなんて大したことないですけどね。それこそ、近づいてぶん殴った方が早いですし」

「シアみたいなこと言うなぁ」


 ちなみに、それを言ったのは土御門家のジャスティスさんだ。陰陽術や式を使うより、ジャスティスパンチの方が効果的らしい。最近は術より筋肉を磨くことに傾倒しているとか。


「まぁ、何にせよです」


 米国は切羽詰まった状況なのだ。いつまでものらりくらりでは、ただ印象が悪くなっていくだけ。表の政治舞台で築き上げた友好国としての立場さえ危うくなる。


 犠牲者が加速度的に増えていくような道に、好んで進みたい者などそうはいない。


 故に、今回の会談は双方共になんとしても成功させたい。と改めて念を押してくる服部さん。


 会談の場には、もちろん外交のプロが同席するし、なんなら大物の政治家も同席する。基本は彼等が話を進めるだろうが、ほとんど司会進行みたいなものになるだろう。


 中身の話は、どうあっても服部が前に出なければならないし、具体的な交渉内容ではハジメの判断が必要になる。


 人員派遣も、エージェント返還も、そして氣力の供給などに関しても、全てを握っているのはハジメだから。


「分かってるよ。舐められないように、ガツンとかましてやれってことだろ?」

「違いますよ!? いや、舐められちゃいけないのは確かですけども!」


 ジョーダンジョーダンと笑うハジメに、服部は早速、胃の辺りを撫で始めた。


「酷い冗談です。ああ、私の胃がまた破壊される……こうなったら、捕らえたエージェント達の尋問も手伝ってもらわないと」

「勘弁してくれ。俺だって学生なんだ。対応課には遠藤の分身体がいるんだから、あいつに頼めばいいだろ。もう立派な村人クリエイターだ」

「彼は彼で今、別の任務に行ってもらってるんで」


 最初から本当に頼む気はなかったようで、服部さんは「仕方ないですねぇ」とあっさり引き下がった。


 と、そこで通信が入る。


『こちらユニコーン1。まもなく到着します』


 米国の要人を空港に迎えに行った護衛チームのリーダーだ。


 ちなみに、なぜチーム名がユニコーンかというと。


「もしかして、ユニコーンガンダ○か?」

「おや、よく分かりましたね」

「樹海の時もチーム名がガンダ○シリーズの機体名だったんだろ? 遠藤に聞いた」

「良いアイデアでしょう? 奮い立ちますからね。ガンダ○シリーズは至高です」

「服部さんって、意外にサブカルも詳しいよな」


 公務であってもほんのり趣味を交えて楽しむのが、激務に負けず長く続けるコツなのかもしれない。


 ちなみに、捕まえた各国のエージェントは現在、別の機体名のチームによって拘束・監視されている。


 ついでに、捕まったエージェントの一部は、彼等のやりとりを耳にして「こ、こいつらっ」と頬をヒクヒクさせていたりもする。


 実は、服部の部下が持つ個人のコードネームもガンダ○シリーズのキャラの名前だからだ。


 しかも、連行される際に「では拘束車両へ、アム○、行きます!」とか「やめてよね、本気で戦ったら君達が魔王に敵うはずないだろ?」とか、聞き覚えのあるセリフをちょくちょく言ってくるのである。


 他国のエージェントでも分かる者がいるというのは、服部の言う通りシリーズが至高であることの証左なのかもしれないが……


 なんにせよ、流石は服部の部下というべきか。上司と同じく、彼等もまた仕事の中でもささやかな楽しみは忘れないらしい。


 なお、作戦ごとにコードネームは変わるのだが、名乗りたいコードネーム(だいたい各シリーズのメインキャラ)が被った場合は、模擬格闘戦で奪い合いをしているらしい。by浩介。


 閑話休題。


「話は変わるけど、こんなオフィス街に料亭なんてあるんだな」

「一般人は知らないでしょうねぇ。ネットにも出てませんし」


 つまり、そういう秘密の話をするための店ということだろう。


 表通りを外れて、何本か裏通りを通り過ぎる。人が減って閑静な雰囲気になってきた。


「てか、こんな重要な会談なら、それこそ政府の施設でやれば良かったんじゃないか?」

「当初はその予定でしたよ。急遽こっちに変えたんです」

「なんでまた……いや、そうか。二度目三度目の会談は厳しいから」

「ええ、今回の会談でできる限りの事を決めてしまいたいわけで。ちょいと長丁場になるでしょうからね」


 加えて言うなら、交渉の席でピリついた時、とびっきり美味しい料理というのはささくれ立った気持ちを鎮めてくれる。


 シビアでハードな交渉の場となるだろう席だ。険悪なムードを和ませる手段は多い方が良いということらしい。


「南雲さんも、お昼は食いっぱぐれてるでしょう? ささやかですが、今回の報酬ということで奢りますよ。ま、経費ですけどね!」

「今日の講義が全部終わる前に帰るのは無理そうだなぁ」


 とはいえ、これも平穏な日常を少しでも維持するため。


 そう納得しつつも、ハジメが思わず苦笑を浮べていると……


「…………お父さん?」

「!?」


 不意に背後から声をかけられた。


 まるで「スナイパーだ!」と警告を受けた兵士みたいな凄まじい反応で振り返る服部。


 ちょうど近くのビルから出てきたところらしい人物を見て、みるみるうちに目を見開いていく。ハジメも見たことがないほどの動揺ぶりだ。


「れ、麗那(れいな)……どうしてここにっ」


 いや、服部さん、どう見てもバイト中だろ……と心の中でツッコミを入れるハジメ。


 麗那と呼ばれた女子高生らしき子は、オシャレなロゴの入った制服を着ていた。ハジメの記憶が確かなら、全国展開しているサンド系が美味しいカフェのロゴだったはずだ。


 見れば、歩道沿いにある駐輪スペースには同じロゴが刻まれたBOX付きの原付バイクも止まっている。昼食の配達に来たのだろう。


 服部なら瞬時に理解するはずなのに間抜けな質問をした理由は、やはり動揺が酷いからか。


 案の定、


「バカ? 見りゃわかんでしょ。バイトだっつーの」


 吐き捨てるような言い様だった。


 見た目はスレンダーなスタイルの金髪ギャルというべきか。髪には数色のメッシュが入っていて、メイクもばっちり、ピアス穴が豊富でネイルもキラキラ。


 中々どうして派手な見た目だ。目つきも鋭く、お口も悪いらしい。


 だが、バイト中はアクセサリーを外すという常識はあるらしく、制服も着崩してはいない。


(園部タイプか? にしては……)


 服部を見る目が厳しい。いや、オブラートに包まず言うなら、不意に部屋の壁に張り付いている羽虫を見つけてしまった時のような目、とでもいうべきか。


 ちょっとした反抗期とか、親子喧嘩の最中とか、そういうレベルではない。


 眼差しに温かみは一切なく、声音にも嫌悪感が滲んでいる。


(き、気まずぅ。空気が凍ってるって……)


 服部の表情が苦虫を百万匹くらい噛み潰したような表情になっていき、そんな服部の表情と全身を見て、お嬢さんもまた、まるで不審者を見ているような表情になっていくので尚更。


 なので、ハジメは思った。


(よし、逃げよう)


「服部さん、俺は先に――」

「そうか、バイトか……。なら早く行きなさい」

「はぁ? あんたに指図されたくないんですけど?」


 逃げられなかった。口を挟める感じじゃない。ならば仕方ない。気配遮断を使いつつ、この冷戦を具現化したような現場を即時離脱する――


「っていうか、何その恰好。いっつもだらしない恰好のくせに……」

「いや、これは……」

「しかも、なんか大学生っぽい人なんか連れて……なんか怪しくない?」


 矛先が、こっちに向いた! お嬢さんの眼光がハジメに刺さる!


「彼は……なんでもない。もういいから行きなさい」

「指図すんなって言ってるでしょ。……その人、新人警官には見えない。指導してるわけじゃないよね? 補導も違う。逃げる雰囲気も、逃がさない雰囲気もないし。そもそも、あんた窓際でしょ? 万年資料整理係が、わざわざそんな恰好して、そういう仕事するはずないし」


 こ、このお嬢さん、間違いなく服部さんの娘だ! 洞察力が半端ない! と内心で驚愕するハジメ。思わず、服部と麗那を交互に見やる。


 ああ、よく見れば本気モードになった服部さんと目元がそっくりだ……とか思っている間にも話はどんどん進んでいく。


「仕事にもいろいろあるんだ。お父さん、忙しいからもう行くよ」


 娘が離れないなら自分からと(きびす)を返そうとする服部。その際、ハジメをチラリと見たのだが……


(ほ、本気モード。従わないと殺すッみたいな目つきじゃねぇか……)


 例えるなら、オムニブスの悪魔絶対殺すマンことパトリック・ダイム長官みたいな目つきだ。


 最近、協議する機会が増えているのだが、その度に、悪魔を従えているハジメに「人類を裏切ったら奈落の底まで追ってでも必ず殺すッ!!」みたいな目で見てくるのだ。浩介曰く、それが特になんとも思ってないデフォの目つきらしいけども。


 ともあれ、よほど娘を関わらせたくないらしい。そもそも、公安に所属する服部は、家族にだって話せない仕事内容が多い。というか、ほとんどそれ。


 一応、ダミーの身分と所属があり、目立たない役職だが死ぬほど忙しいという設定にしているようだが、普段のよれよれな姿を見て、麗那は「うだつの上がらないダメな警官」だと思っているようだ。


 ついでに、


「あっそ。別にあんたがどんな仕事してようと興味もないけどさ――私やお母さんに迷惑だけはかけんなよ」

「……お父さんは警官だぞ。そんなことあるわけないだろう?」

「ハッ、家族を捨ててるような奴の言葉、信用するとかバカでしょ?」

「いい加減にしなさい。確かに、お父さんは忙しくてあまり家に帰れないけど――」

「あーはいはい、言い訳はいいって。とにかく、あんたが何をしようとうちらは関係ないんで。そっちが関係ないって好き勝手してるようにね」


 どうやら、親子仲は最悪らしい。麗那は父親を「家族を捨てて仕事に生きている人」と思っているようだ。


 実際、傍から見ればそうなのだろう。服部の多忙さは尋常ではない。そして、その仕事の重要性も。


 休みたいから休む、きちんと法律の基準に沿って休みを取る、休日なのだから呼び出しは断固拒否、なんてことがまかり通らない仕事だ。


 大勢の生命や財産、そして国の安泰がかかっている仕事なのだから。


 見切りをつけたように視線を切って、原付バイクへ向かう麗那。


(嫌悪感を抱いている……って印象もまだ甘かったな。こりゃあ、もう無関心の域に……)


 服部を横目に見る。去って行く娘の後ろ姿を、服部は黙って見つめていた。


 その瞳に込められた感情を、ハジメは上手く表現できなかった。たとえ語彙力がカンストしているレベルであっても、きっと言い表すことなんてできなかっただろう。


 それでもあえて表現するなら、娘への申し訳なさと、仕方ないと割り切った冷徹な感情が入り交じったような複雑な表情というべきか。


「……すみません、時間を取らせました。行きましょう、南雲さん」

「あ、ああ」


 ハジメは部外者だ。赤の他人だ。他家の事情に首を突っ込むべきではない。


 麗那とて、たくさんの積み重ねの上で今に至ったはずだ。最初から父親を嫌っていたわけではないはずだから。


 それでも、なんとなく後ろ髪を引かれると言うか、このままでいいのだろかとモヤモヤした気持ちを抱いてしまうのは、やはりハジメもまた娘を持つ父親だからだろうか。


 麗那と服部をミュウと自分に置き換えて見ると……


(……あ、むり、死ぬ……)


 魔神、娘からの無関心で無事に逝く――ハッと我に返り、あまりに恐ろしい想像を高速で頭を振って払い除ける。


 なんて阿呆なことをしつつも背を向けた服部に追随しようとして――


 その時だった。


『シャンブロ1よりガルダ1へ。尾行の可能性あり。指示を願う』

「! こちらガルダ1。現在地および状況を伝えよ」


 ビリッと響くような指示が服部から飛び出した。


 決して大きな声ではないのに、直接、脳に突き刺さるような鋭い声音だった。


 今まさにヘルメットを被ろうとしていた麗那がビクリッと体を震わせ手を止める。思わずといった様子で父親の方を見やる。


「な、なに? どうしたってのよ……」


 小さな呟きが漏れ出る。


 服部の顔付きが変わる。気怠そうな雰囲気が嘘のように消えて、代わりに覇気が満ちる。眼光もまた、視線だけで気の弱い生き物なら卒倒しそうな鋭さだ。


「麗那、何をしている。早く行きなさい」

「え、な、何よ……あんたなんかに――」

「南雲さん、すみませんが娘を送り出してやってください。――ガルダ1より各班へ。シャンブロがルートを変更する。配置パターンB6に移行。バンシィは援護へ。不審車両の後ろを塞げ」


 一瞬、父親の顔が覗くが直ぐにエージェントの顔に戻る。娘に見せたくない姿だろうに、割り切りの早さは相変わらず凄まじい。矢継ぎ早に指示を出していく。


 どうやら、本日の会談に参加する外交官と政治家を乗せた車両の護衛チームが、不審車両の存在を報告してきたようだ。


 緊迫した空気、豹変といっていい父親の様子に困惑していた麗那だったが、既に自分などいないかのように見向きもしない服部の姿を見て、次第に表情を険しくしていく。


「あんな父親の姿を見たのは初めてか?」


 父親を睨み付けていた麗那がハッと横を見る。音もなく隣に立つハジメに驚いたように目を見開いた。が、それも直ぐに睨み顔へ戻る。


「は? なんなのあんた。いきなり」


 なかなか辛辣だ。怪しい父親の隣にいた新人警官にも犯罪者にも見えない正体不明の相手に、警戒心をあらわにしている。


 ハジメは特に気にした様子もなく、服部の方を見続ける。ちょうど周囲の警戒のため散らばっていた部下のうち、数人が駆けつけたところだった。


「君の父親は家族にも言えない仕事をしている。言わないんじゃない。言えない仕事だ」

「い、意味が分からないんだけど」

「悪いことをしているって意味じゃないぞ。世の中には表沙汰にできない事件ってのがあるんだ」


 服部が隠してきたことを、ぼかすとはいえ勝手にペラペラしゃべることに罪悪感がないわけではない。


 父親のことを分かってやれと、この娘を説得するつもりも毛頭ない。


 今、自分が口にしていることは余計なお世話。むしろ、服部からすれば逆鱗に触れるような行為だろう。


 重々承知だ。


 けど、あんまりだと思うから。国を、引いては家族を守るため胃をぶっ壊しながら、命懸けの仕事に従事し続ける男が、娘から家族扱いさえされないというのは。


「俺はな、百人の殺人鬼に襲われるより、君の父親一人の方がよほど怖い。なんでか分かるか?」

「知るわけないじゃん。さっきからなに言って――」

「覚悟が違うからだ。服部幸太郎は、国と、そこに住む人達を守るためならなんでもやる。誰にだって頭を下げるし、必要ならとことん追い詰めるし、命だってかける」

「い、命って、んな大袈裟な」


 服部が周囲の部下に指示を出している。少し離れた場所なので何を言っているのかまでは分からないが、緊迫した空気はこれでもかと伝わってくる。


 麗那の目から見ても、いかにも仕事の出来そうな人達が、自分の父親に全幅の信頼をおいて従っているのがなんとなく分かった。


 知らない。あんな父親は知らない。


 いつもよれよれでだらしなく、誰に何を言われてもヘラヘラと笑っているような情けない奴なのだ。娘である自分に暴言を吐かれた時でさえ、落ち着いた声音で諭すように言葉を返すだけ。怒鳴り声を聞いた記憶なんて皆無である。


「誰にでも分かる仕事じゃない。誰にでもできる仕事でもない。君の父親は間違いなく、今、この国で代わりの効かない唯一無二の人だ」


 なんだか、無性に腹が立った。


 なんだこいつ、と訳知り顔で語る目の前の青年を、思わずひっぱたいてやりたくなるくらいに。


「……信じらんない。そもそも、だから何?って話だし。説教でもしてるつもり? だから、家族を捨てても仕方ないって? 何様なの?」


 言葉が溢れ出る。あんな父親、とっくの昔に見切りをつけて興味の欠片もないはずなのに。


 恨み辛みの言葉が止まらない。


 誕生日も、学校のイベントも、他の大事な出来事も、何度もすっぽかされた。貴重な家族旅行の最中でも、いつもあっさり仕事に戻ってしまう。そもそも家族で何かをした記憶だってほとんどないのだ。


 病気で寝込んで辛かった時も家に帰って来なかった。母親が怪我をして入院した時も、駆けつけたのは何日も経ってから。


 何かとプレゼントを贈ってくるのも気にくわない。何か物をあげておけば機嫌を取れるだろうなんて、どこまで馬鹿にすれば気が済むのか。


 学校のことも、将来の夢も、どうせ娘が何をしようと興味もないくせに。


「分かった? あいつは父親失格っつーわけ。なんも知らない赤の他人が、口出しとかやめてくれる? うざいんだけど」


 毛虫でも見るような目を向けてくる麗那だったが、ハジメは特に堪えた様子もなく。大人しく最後まで聞いて、「そりゃあ、ひでぇ父親だ」と苦笑交じりに同調までする始末。


 麗那は、拍子抜けしたような様子で目を眇めた。


「口出しをするつもりはねぇよ。こんなのはただの独り言みたいなもんだ。聞き流してくれていい。というか、聞かなかったことにしてくれ。あの人にぶん殴られる覚悟はあるが、好んで殴られたいわけじゃない」

「なにそれ……」

「家族には、知られなくないことだからな。危険から遠ざける意味でも、汚い世界を見せたくないって意味でも」


 守秘義務以上に、きっと服部は、単純にそんな世界を娘には知られたくないだろう。裏の世界なんて知ることもなく、表の世界で生きていてほしいはずだ。


「つまり、ただの俺のわがままだ。俺や仲間が世話になっているあの人が、せめて、娘にクソ親父と呼ばれればいいなっていう、な」


 麗那は何も悪くない。傍にいてくれない父親、いてくれない理由もよく分からない。それでも親を愛する子供なんて、それはそれで異常だろう。


 自分の不在を納得はできずとも理解できるように、きちんと手を打てなかった服部の落ち度と言えば落ち度なのだ。


 とはいえ、無関心は一番辛い。それが大切な娘ならなおさら。


(想像しただけで泣けてくる。俺も気を付けないとな……)


 なんて想いが、きっと珍しくもハジメにいらぬ手を出させた原因だろう。


 麗那の眼光が突き刺さる。好き勝手言いやがって、とでも思っているのか。


 同時に、服部からも眼光が飛んできた。なんでまだそこにいるんです? と、今にも抜き撃ちしてきそうな眼光だ。


 ほんとにそっくりな、迫力のある目つきである。


(やっぱ余計なことしたなぁ)


 ハジメも共有している無線機から報告が上がってくる。話しているうちに確認が終わったらしい。どうやら不審車両はただ偶然にも後ろを走り続けていただけの一般車両だったようだ。


 服部が部下の配置を戻す指示を出しつつ、こちらに歩いてくる。が、言葉を交わす時間的余裕はないようだった。


 ちょうど一台の車が滑り込んできた。日本側の要人を乗せた車両だ。


 一応、秘密裏の移動だからか、見た目は業者が使っていそうなワンボックス型の軽自動車である。中身はもちろん、排気量からして違う防弾仕様だろうが。


 偽装された車両がハジメと麗那のいる場所の少し先に停車する。


 服部は麗那を見て眉間に皺を寄せつつも進路を変更。襟を正すように背筋を伸ばしながら車両に駆け寄った。


 窓が開き、中の人物と少し言葉を交わす。と、服部の視線がハジメの方を向いた。


「南雲さん、こちらに」

「ああ」


 車内からは見えない位置で、手をビッビッと振っている。麗那はさっさと帰れ! という合図だろうか。合図だろう。うん、間違いなく。目がそう言ってる。


 もうさっさと行こう……と今度こそヘルメットを被ろうとしていた麗那の目が、それを見て吊り上がった。


 ハジメのせいで、なんだか無性にむしゃくしゃした気分が最高潮だ。半ば意地になってしまって、ヘルメットをバンッと座席の上に置き、ズンズンッと自ら近寄っていく。


 服部お父さんの頬が引き攣る! ギンッとハジメを睨む!


 ハジメさん、素知らぬ顔で近づく。その斜め後ろからついて行く麗那ちゃん。表情がコロコロ変わる父親に、まるで「いい気味だ」と思っているみたいに口元を歪める……が、それも車両の窓から顔を覗かせる男を見るまでだった。


「……えっ、横谷外務大臣……?」


 テレビでも見る著名な大物政治家を前に、思わず声が漏れる麗那。目を見開いて硬直してしまう。


「ん? そちらのお嬢さんは……ああ、いい。どうせ南雲君の仲間だろう」

「は、いえ、まぁ、はい」


 服部さん、冷や汗が噴き出している。まさか娘です、しかも一般人です、とは言えない。


 横谷清盛外務大臣。今、最も服部と関わりの深い政治家だろう。いろいろ黒い噂も多い男だが政治家としては有能で、外交における辣腕ぶりは周知のことである。


 最近の変わりゆく世の中のせいで、毛根を著しく痛めている男でもある。六十代でもふさふさだった白髪交じりの髪は、今やハジメ謹製(実際はエミリーの調合)の増毛薬がなくては瞬く間に枯れ果ててしまうほど。


「それより、南雲君。突然の呼び出しにも関わらず、応じてくれて感謝するよ」

「いえ、こちらにも利のあることなので」

「今日は頼んだよ。交渉で有効なカードは、ほとんど君が握っているんだ。くれぐれも私欲に走らぬよう、大人の判断をしてほしい」

「もちろんですよ。ええ、国益を守ることは家族と仲間を守ること。その根本は何があっても忘れません」

「……頼もしい話だな」


 言外に、家族と仲間に不利益が被るなら手段は選ばんと、にっこり良い笑顔で釘を刺すハジメに、横谷外務大臣もまたにこやかな笑顔を返した。腹の中は真っ黒っぽいが。


 何せ、帰還者騒動で一枚噛んでいる男である。手痛いしっぺ返しを食らっておいて、何食わぬ顔で〝理解のある政治家〟みたいな顔をできる点、面の皮の厚さは一級品だ。


 それくらいでなければ、他国とやり合うなんて無理なのだろうが。


 麗那が良い笑顔のハジメと横谷にドン引きしている間に、というかハジメに「こいつ何者なんだよ……」みたいな顔をしている間に、どうやら会談の前に釘を刺しにきたらしい横谷の矛先は服部に向き直った。


「服部君も頼んだよ。今回の会談は分岐点だと思ってくれ。我が国とあちらとの関係が決まる、な。相手の交渉カードをどれだけ引き出しゴミ札にできるかは、現場を誰よりも知る君次第だ」

「……あまり虐めないでください。私は一介のお巡りさんですよ」

「ハッ、面白い冗談だ。今や警察庁長官さえ君には配慮するというのに。それどころか〝日本の服部〟と聞けば、今や各国の重鎮共さえ顔色を窺うくらいだぞ?」

「ご冗談を」


 麗那が忙しなく横谷と父親へ視線を向けている。信じ難いものを見ているような表情だ。


「ふっ、まぁいい。とまれ、外交交渉の場でこの私を脇役にするんだ。相応の利益は叩き出してもらうぞ」


 服部が無意識に胃を抑えたのを確認して満足したのか、プレッシャーをかけるだけかけた横谷外務大臣は返答も聞かず、運転手に合図を出した。


 最後にニヤリと笑い、「私の進退もかかっているんだからな! その意味、分からないと言わせんよ!」と追い打ちまでかけて。


「くぅっ……あんのクソジジイがぁっ」

「どんまい、服部さん」

「南雲さん。一本、あと一本だけぇ」


 ハジメは苦笑しつつ無言で回復薬を手渡した。ぐびっと一気に飲み干す服部さん。


『ユニコーン1よりガルダ1へ。十分後に到着予定』

「ガルダ1、了解。こちらに問題はない。そのまま進め」

『ユニコーン1、了解』


 どうやら先方も間もなく無事に到着するようだ。


「麗那、本当に――」

「……バイト中だし、もう行く」


 服部の言葉を最後まで聞くことなく、麗那は踵を返した。


 その後ろ姿を再び見つめる服部。ハジメは、そんな服部を横目に眺めた。


「……なんです? 何か言いたいことでも?」

「いや、別に?」


 視線を逸らす。わざとらしく天を仰ぎ、「ああ、なんだか無性にミュウに会いたいなぁ」とか呟く。


 服部は、せっかく整えてある髪が乱れるのも気にせずガリガリと掻いた。そして、空瓶をハジメの胸元にドンッと押し当てるようにして返すと、


「麗那!」

「!」


 少し前に出て、娘へ声をかけた。


 一瞬、びくりと肩を震わせるものの、麗那は振り返ることもなく、聞こえていないみたいにヘルメットを被る。


「その……なんだ……」


 言葉に詰まる服部さん。麗那はバイクにまたがった。エンジンをかける。


 結局、悩んだ末に出てきた言葉は今日の出来事とは全く関係のない、ありふれた親としての言葉だった。


「バイトはほどほどにな。お金の心配はしなくていい。留学したいなら、いつでも、どんな形でもお父さんが出すから」

「!?」


 思わずといった様子で肩越しに振り返る麗那。


「……知ってたの?」

「留学のことか? デザインのお仕事に興味があるんだろう? いつかは海外でも学びたいって今から貯金しているらしいが……」


 麗那の表情が歪む。悔しいような、今更と吐き捨てたくなるような……複雑な心情をあらわす表情が、先程、麗那の背を見送った服部とそっくりだ。


「なんで……聞いたことなんてないじゃん」

「普段、あんまり口を利いてくれないだろう? だから、母さんに聞いた」

「……わざわざ?」

「娘の将来に関することなんだ。知りたいに決まってるし、応援もしている。だから――」

「っ、もうっ、うっさい! どうでもいいってのっ」


 服部の言葉を遮って、麗那はバイクを発進させた。


 だが、数メートルほど進んだ先で停止したかと思えば、イライラした様子でダンッダンッと勢いよく地団駄を踏み、一拍。再び振り返った。


 キッと鋭い眼光で父親を睨む。そして、


「……仕事………………頑張んなよ。このクソ親父ッッ!!」


 そう叫んで、今度こそ走り去っていった。


 ハジメは再び横目に服部を見た。目を見開いて硬直していらっしゃる。


 それはきっと、最初の「お父さん」なんかより、今の「クソ親父」の方がずっと胸に響いたからだろう。ずっとずっと娘の感情がこもっていたからに違いない。


 何より、娘からの「頑張れ」を貰ったのだ。


「南雲さん」

「おう」

「何を言ったのか知りませんが……」

「はい……」

「礼は言いませんよ。代わりに、ぶん殴るのはやめておいて差し上げます」

「ふぅ、一安心だ」


 娘のことで怒った父親の拳は、さぞ響いたことだろうから。ハジメは、わざとらしく胸を撫で下ろした


 ふんっと鼻を鳴らした服部は、乱れた髪をかき上げるようにして整え直すと、


「さて、仕事の時間です。〝頑張って〟いきましょうか」

「了解だ」


 見たことないほど気合いの入った顔つきで、ちょうど見えてきた先方の車両を迎えに歩き出したのだった。口元を綻ばせているハジメを極力無視しながら。














※おまけの後日談



 会談がおおよそ双方の望み通りの結果になって、数日後の夜。


 いつもの如く対応課で残業していた服部は、唐突にかかってきた電話に驚きつつも、嬉しそうな顔で席を外した。


 わざわざ廊下の隅っこで声を潜めて話す姿を訝しんで、対応課の職員達がドアの陰からトーテムポールのように様子を見守る。


「そうか、うんうん。分かったよ。母さんによろしく言っておいてくれ」

『自分で言えっての。まぁ、いいけど……』


 不意に会話が止まる。


 麗那から父親に電話をかけるのは十年ぶりくらいだろうか。小学校高学年に入った頃には、もう電話なんてしなくなっていたように思う。


 故に、まだまだぎこちない会話しかできない。


 それでも、こうして連絡してくれるようになったのは服部にとって望外のこと。あるいは、こちらから連絡しても出てくれるかもしれない。返信もしてくれるかも? と期待してしまう。


 自分の仕事をほんの一部といえ暴露したハジメには腹立たしさも残っているが、余計なお節介と言い切るには自分の自業自得な面が強すぎて……


 結果オーライなら、感謝しなくもない……なんて思っていると、


『あの、さ。関係ない話なんだけど』

「うん? 構わないぞ。なんでも言ってみなさい」

『ん……それじゃあ、その…………あの時のお兄さんってさ、どういう関係?』

「……あの時の、お兄さん?」

『なんかやたらと頼りにされてた大学生っぽい人。南雲君って呼ばれてた』


 トーテムポール化した職員達は見た。服部の綻んだ笑顔が、笑顔のまま徐々に陰りを帯びていく様を。笑顔なのに、こわい……。


『あ、別に仕事関係のことは話せないならいいよ』

「ああ、話せない」


 即答だった。取り付く島もない感じだ。だが、麗那ちゃん、気が付かない。普段なら父親譲りの洞察力で察しただろうに。


 代わりに、父親の第六感が冴え渡る。娘の将来の危機に洞察力が倍増しだ。電話の向こう側で、なんとなくモジモジしてる感じを察知する。


『でも、プライベートは別じゃん? いろいろ失礼な口を利いちゃったし、お詫びというか、いろいろ教えてくれたお礼もしたいっていうか……』

「必要ない。彼のことは忘れなさい」

『さっきから何!? 別にいいじゃん! 教えてよ! 連絡先とか!』


 服部の顔から、すとんっと表情が抜け落ちる。


 確かに、どんな存在よりも頼りになるし、実際、信頼もしている。本質的に悪い人間でないことも理解している。


 だが、だがしかし。それはそれ、これはこれだ。


 リアルハーレム男に、娘が興味を持っている……。そんなこと、父親として許容できるはずがない!!


「……絶対に」

『ああん!?』

「許さんからな! あの男だけは、お父さん、絶対に認めない!!」

『はぁ!? 意味わかんないんですけどぉ!?』


 どうやら、ハジメによって親子の溝を埋めるスタートラインに立った二人は、そのハジメの存在により、再び溝を深める危機に陥ったようだった。


 ハジメの個人情報を伏せつつ、上手く娘の興味を砕けるか……


 敏腕エージェントの腕の見せ所(?)である。


















 一方、ハジメと服部が会談に臨んだ日の夕刻。とある地方都市の裏路地にて。


「くっ、殺せぇ~~っ!!」

「ああ、はいはい。殺さない殺さない」


 女の悲痛な声が響いていた。


「よくもっ、よくもこんな辱めをっ」

「辱めっていうのやめて」

「どれだけ私の尊厳を踏み躙れば気が済むんだっ、この鬼! 悪魔めっ!!」


 内容だけ聞けば、もはや完全に事件である。が、実際は――


「お姫様だっこくらいで大袈裟な」

「せめて背負ってくれっ」

「暴れて危ないから、わざわざ持ち替えたんだろ。何度背負っても後ろに倒れ込んで、結局、足を持って引きずってるみたいになるんだから。絵面がただの犯罪なんだよ……」


 任務帰りの浩介と、浩介に対抗意識を燃やしまくったせいでミスり、呪術の類いで一時的に歩けなくなってしまった元〝影法師〟のリーダーにして、現在は中国からの陰陽寮への出向員である〝(シウ)〟だった。


「人気のないところに行けば、ゲートで帰れるから。それまで辛抱してくれ」

「それで土御門の解呪を受けろと?」

「俺の治療を拒否るんなら、そうなるなぁ」

「くっ、いっそ殺せぇ!」


 くっ殺が口癖の朱さん。綺麗な黒髪を無造作に後ろで縛った切れ長の目元が特徴の美人さんが、屈辱で顔を歪め、今にも涙をこぼしそう。


 一般的なパンツタイプのレディーススーツなのだが、それも任務のせいで汚れたり一部が破れたりしているので、余計に悲壮感が漂っている。


 それもあって、なのだろう。


「君、ちょっといいかな?」

「え?」


 あら、すっごい既視感(デジャヴ)。振り返ればそこに、まったく笑っていない笑顔のお巡りさんが複数人。


 朱さんのあまりの絶望ぶりに気を取られていたとはいえ、彼等の接近に気が付かないとは……と、今更気の抜けようを呪っても時既に遅し。


「ち、違うんです。これには深いわけが――」

「そうかそうか、深いわけがあるのか」

「そ、そうなんですよ! 決してやましいことがあるわけではなくて!」

「うんうん、そうなんだね」


 お巡りさんは穏やかな雰囲気で頷いてくれる。


「ところで」

「はいっ」

「実は通報があってね。抱きかかえられた女性が、いっそ殺してほしいとか、辱めを受けたと叫んでいるっていう、ね?」


 実は朱さん、根がとても真面目なので嘆きながらも必要なことはきっちりばっちりやる。しっかり勉強したので、今では普通に日本語もしゃべれるのだ。


 加えて、術の詠唱のためか発声も素晴らしく、美声がよく響く響く。


 つまり、まぁ、そういうことだった。


「とりあえず、君」

「は、はいぃ」

「その女性を離しなさい」

「朱さん! なんとか言ってやって――」

「ぐすっ、もうお家に帰りたい……」

「いつものガッツはどうした!? なんで今、そんな誘拐された少女みたいに――」

「君、今、誘拐って言った?」

「ち、ちが――」


 お巡りさん達が緊迫感に満ちた表情で、さりげなく包囲してくる!!


 どうやら、浩介がお家に帰れるのはもう少し先になりそうだ。ハジメや服部とはまた違った戦いが待っているようである。


いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


実際、服部みたいな仕事の人が順風満帆な親子関係を築くって至難だと思う。けど、何かと不憫な人なので少し救済の話を書いてあげたかった……というお話でした。なお、奥さんはある程度旦那の立場を理解しているので夫婦仲はそれほど悪くないという設定(願望)です。


※ネタ紹介

・暗殺一家の三男坊

 『ハンター×ハンター』のキルアより。

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― 新着の感想 ―
都合の悪いときは人から認識される設定だったのね アビィさん
なんで遠藤のあのシーン入れたんですか!!可哀想でしょう!!面白いお話有難う御座いますッ!!
親睦会の話はないんですか?
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