卒業パーティー 後編
魔王が愛娘をよりにもよって勇者に預ける。
そんなあり得ない出来事に混乱するウィステリア店内だったが、愛子の十八番たる〝鎮魂〟と雫の一喝でどうにか冷静を取り戻した。
「予想外だったわ。ハジメと光輝の関係性で、こんなに私と皆の間で認識に差があったなんて」
「あのね、雫ちゃん。私やユエ達も少し意外に思ったくらいなんだから、皆なら普通に驚くと思うよ?」
傍目には、いつ殴り合いに発展してもおかしくないくらいギスギスしてる二人なので仕方ない。
優花達から〝いや、お前の認識が少数派なんだよ〟的な視線を注がれ、雫はちょっとたじろいだ。
あら? おかしいのは私なのかしらん? と視線をハジメと光輝へ巡らせる。
ハジメは口をへの字にして腕を組み凄まじく不機嫌そう。光輝も光輝で何か酸っぱいものでも食べたような表情になっている。
「やっぱり、そんなに驚愕される理由が分からないわ」
「「「「「なんでだっ」」」」」
こてんっと首を傾げる雫ちゃん。オカンアイにはいったい何が見えているのか。これにはクラスメイト総出でツッコミを入れずにはいられない。
「ま、まぁ、それはそれとして」
いまいち納得できない様子の雫だったが、このままでは話が進まないので強引に話題を修正する。
何はともあれ、ミュウと陽晴が砂漠界へ春休みに遊びに行く予定で、その付き添いを光輝、モアナ、アウラロッドがするというのは既に決まっていること。ならば、心配なのは分かるが改めて脅迫じみたことはしなくても……という話だ。
ひとまず、ハジメと光輝はギスギスなので矛先を変えてみる。
「遠藤君も、ね?」
「あ~、そうだな。陽晴ちゃんがあんまりにも尊くて、ついヒートアップしちまった」
雫の意を汲んで、苦笑しつつも冷静に返す浩介。
流石は浩介。アビィじゃない時は至って良識人だ。胃痛を代償にする必要はあるものの、クラスメイトの中で唯一、ハジメと光輝の仲裁を実力でやってのける男である。
「遠藤様……心配してくださって嬉しく思います。ですが、わたくしは大丈夫ですよ?」
「ミュウだって心配ないの! ぶいあーる空間でいっぱい訓練してるの!」
いい加減、どういう事情なのか知りたくて優花達が痺れを切らす。先陣は奈々。ぐいっと身を乗り出して不機嫌顔のハジメに切り込む。
「ねぇねぇ、南雲っち。結局、どういう話なのさ。ちゃんと聞かないと、私ら全員もんもんしちゃって夜も寝られないよ」
「南雲、あんた病気なの? 頭の」
「おいこら、園部。どういう意味だ」
「そのままの意味なんじゃないかなぁ? 南雲君が、溺愛してるミュウちゃんを身内以外に預けるってだけでも驚くのに、それが嫌ってる天之河君だなんて。頭がおかしくなったんじゃなければ、もう事件だよ」
「そこまで言うか」
そこまでのことだよ。とクラスメイト全員が頷く。
「別に複雑な話じゃなくてな。ミュウにトータス以外の異世界に行ってみたいって言われて、元々春休みに旅行の計画を立てていたんだが……ほら、〝龍の事件〟で俺の都合が悪くなっちまったから……」
「……例の〝世界樹の枝葉復活計画〟、一から見直してたのは知ってるでしょ?」
苦虫を噛み潰したような表情のハジメを見て、ユエが苦笑しつつも説明を引き継いだ。優花がちらりと光輝を見つつ頷く。
「それはまぁ……現に天之河達もまだ出発してないわけだし」
光輝がリリアーナと一緒に来たのは、トータスで神域の魔物狩りをしていたからだ。
例の〝召喚されすぎぃ事件〟の後、光輝は直ぐに各異世界の大樹を復活させる旅――すなわち〝世界樹の枝葉復活の旅〟に出たわけではない。
光輝からすれば、あの事件を経てようやく〝家に帰った〟のだ。
当然の話。しばらく休養もしたかったし、家族や故郷と過ごす時間も大切にしたかった。まして、モアナとアウラロッドも滞在するのだ。二人にも日本での時間を堪能して貰いたかったのである。
そうこうしているうちに、あの〝龍の事件〟が起きてしまい、ハジメは計画に待ったをかけた。
光輝達はその間、ハジメの手伝いをすることもあったが、ハジメ本人から「現地を巡る長旅になる可能性があるから三人での連携訓練などもしておけ」と言われ、もっともだと考えてトータスに渡ったのだ。
どうせならちょうどいいと、〝召喚されすぎぃ事件〟の直前までしていた神域の魔物狩りを再開しながら。だからリリアーナと一緒にやって来たのである。
「……ん。王樹復活に伴う世界への影響は予想外だった。だからハジメは、他の世界でも大樹を復活させた時に、同じ轍を踏まないよう予測と対策を練り直してた」
「計画も長期化させたんですよね。復活させる前に、その世界のパワースポットとか生態系を確認して、勇者さんにレポートさせて、必要なら更に懸念点を潰す対策をしたうえでないと復活には踏み切らないって感じで」
「おそらく、調査は一つの世界ごとに最低でも数ヶ月はかかるのではないかのぅ?」
「うわぁ、すんごい慎重」
「まぁ、今の世の中を見れば確かに慎重すぎるくらいがいいかもしれないね」
奈々と妙子が納得顔で頷く。確かに、他の世界でも同じように大きな影響が出ないとは限らない、と。
クラスメイト達も、氣力の扱いに目覚めた民間組織の対応を手伝ったりしているので、異世界で混乱が生じる可能性を思い、なるほどと頷いている。
香織がピンッと人差し指を立てて続きを話す。
「その手始めが砂漠界なんだよ」
「え~と、モアナさんの出身世界よね?」
優花の確認するような視線に光輝が頷く。
「南雲の指示でね。計画の大前提としてやっておきたいことがあるんだ」
「どういうこと?」
「女神様に直接話を聞くんだよ。そもそも大樹は復活させていいものか。復活させる場合の注意点は何か。後はそうだね。アウラから聞いた世界構造の話の裏付けとかも、できればね」
「私が以前にお話したことは、女神が継承する口伝ですから」
九つの世界の話。それを支える根本世界の話。各異世界に存在する大樹が、世界樹の枝葉に過ぎない話など。
これらはアウラロッドが自分で確かめた知識ではない。女神に就任したおりに世界樹から与えられた知識でもない。
ハジメがアウラロッドを横目にしながら付け加える。
「まして、アウラロッドは創世の女神じゃない。元は妖精界に生まれた一妖精にすぎない。任期制の女神だ」
業務内容に関するマニュアルとかある女神である。その知識の信憑性に関して〝怪しい〟と評価しても仕方がない。本人もちょっと自信なさげなので余計に。
ハジメは特に睨んだわけではないのだが、割と卑屈なアウラロッドさん的には、それが「この役立たずの駄女神めっ」と罵倒している冷たい目に見えたらしい。
必死な雰囲気で弁明し始める。
「し、仕方ないではありませんか! 継承した時点で世界が末期だったんですよ!? 延命に必死だったんです!」
ついでに言えば、禁則事項を犯して実際に頭がぱぁっになった歴代女神の実例なんかも前任者から伝えられていたらしい。
それは試そうとも思わないわけだ。アウラロッドがぱぁっになった時点で、妖精界は一気に滅亡する状況だったのだから。
「分かってる分かってる。別に責めてねぇから」
「本当ですか? こいつ本当に使えねぇな。まぁ、鉄砲玉くらいならできんだろ……とか思ってませんか? 私に見切りをつけてヤバイことやらせようと思ってませんかぁ!?」
「アウラ、落ち着いて! 流石に南雲もそんなこと…………………少なくとも俺がさせないから!」
「その間はなんですかっ、光輝様ぁ!」
「いや、しねぇよ? 俺をなんだと思ってんだ」
そりゃあ悪魔より悪魔らしい悪魔の王だろ。とクラスメイト達は思ったが口には出さない。
後が恐いのもあるがそれより、アウラロッドの自分が無能ではないアピールが必死すぎて……
なんかもうクビを切られそうな社畜さんが「自分、役に立てます! なんでもします! 御社の犬! 御社の犬!」と縋り付いているような有様なのが物凄く居たたまれなくて。
普段は対抗意識バリバリのモアナが、「もういいのよ! ちゃんと分かってるから!」とアウラロッドの頭を抱え込んでナデナデし始めたのでなおさら。
「ごほんっ。とにかくだ、創世からの女神に話を聞けば、あれこれ推測するより確実だろう。他世界のことまでは分からないかもしれないが、参考にはなるはずだ」
ハジメの意図に納得しつつ、そして女神の成れの果てみたいなアウラロッドの有様に関してはあんまり深く考えないようにしつつ、龍太郎がふと疑問を口にした。
「あ~、そう言えば、南雲。聖剣に聞くってのはダメなのかよ? 聖剣にも女神が取り憑いてるって話じゃなかったか?」
「取り憑いてるのか、アウラロッドのように自身の肉体を転変させているのか分からないが……当然、試みた」
「なんか無理だったぽいな?」
一応、女神らしき存在の姿は妖精界で確認しているのだ。聖剣に意思が宿っているのは疑う余地はない。
だが、明確に意思疎通できるかと言われればNOだった。光輝の意思に応える様子は窺える。剣の形態変化などだ。
しかし、任意で姿を見せることは当然、細かな意思疎通となると途端にダメだった。一応、明滅することはあるが、たとえYESかNOで答えられる形式にしても判然とせず。
「これは推測だが、ウーア・アルトにとって強く琴線に触れる出来事が起きて精神が高ぶった時にだけ〝反応〟できるんじゃねぇかな。そこには当然、勇者である天之河の精神状態も含まれると思うが」
「うん、俺もそう思う。形態変化の指示は聖剣の機能でもあるから応えてくれるけど……南雲の言う通り、意思表示というより感情の発露。それも意識してというより、どちらかと言えば反射的、あるいは本能的なものに思える」
「ええっと、カオリンやユエお姉様達の力でその辺りを回復させてあげることってできなかったの?」
鈴のもっともな疑問に答えたのは、というか答えたそうなのは「はい!」と声を出しながらピンッと挙手したアウラロッドだった。
まるで、授業で自分に当てて欲しいと先生にアピールする学生みたいに。
はい、アウラロッドさんとハジメが指をさすとパァッと表情が輝く。私、役に立ちます!
「ごほんっ。聖剣に関して、私が木製の天剣に転じるのは元が樹の妖精だからです。自然に考えれば、ウーア・アルトさんは憑依タイプ。そして、憑依というのは常に魂と器の均衡という面で危険を孕むのです」
曰く、妖魔にとって憑依能力はデフォルトのようなものだが、それでも器は選ぶ。使い捨てなら問題ないが、器の方が強すぎれば、あるいは不用意に長く留まれば、魂の側が器に引きずられるというのは往々にしてあること。
そして、ウーア・アルトがトータスの創世時代に近しい頃合いから聖剣に魂を宿していたのなら、そのうえで使われない時代も多くあったなら……
「無機物の性質に引きずられ意思が希薄になっていくのは頷ける話です。その場合、半ば本能的、あるいは感情的な反応だけを残すのが妖魔達の間でも周知の末路です」
「でも、死んだわけじゃない。そうだろ? アウラ」
アウラロッドはこくりと力強く頷いた。
「ただし、妖精界に訪れたことで反応する事柄や速度は上がっているようですし、女神の姿を幻視できたことからも、回復傾向にあると判断します。魂に致命的な損傷を負っているわけではないでしょう」
普段はあれだが、キリリッと目元を引き締めて断言するアウラロッドの姿には説得力があった。どこかほっとした空気が流れる。
「とはいえ、年月が年月です。回復には時間がかかるでしょう。本来、魂とは神でさえも容易に手を出してはならない禁忌の領域。まして、彼女のそれは創世の女神のもの。人の魂とは根本からして異なります。どれほど強大で卓越した力を持っていようと、人の子が手を出すのは致命に及ぶリスクを負うと知らなければ」
アウラロッドの視線はハジメを、そしてユエ達を巡る。
それは、元とはいえ確かに一つの世界で多くの命を守ってきた女神の忠告だった。
その忠告を事前に聞いていたからこそ無理な回復は図らず、他の女神に尋ねる方を選択したのだ。
「す、すごいの……アウラお姉さん、なんだか本物の女神様みたいなの!」
「本物の女神ですが!? 元ですけどぉ!」
いずれしろ、今の聖剣ウーア・アルトに、世界の根幹に関わるような複雑な事柄に関する意思疎通はできないということだ。
「まぁ、そういうわけで天之河を召喚した女神に、まずは話を聞きたいわけだ」
「フォルティーナ様は、少なくともモアナ達の知る伝承では創世の神ということらしいからね」
光輝が確認するようにモアナへ視線をやれば、モアナは、ちょっと元女神らしい姿を見せることができて早くもドヤっているアウラロッドを横目に、フッと口の端を釣り上げた。
「ええ、そう伝わっているわ。きっと、いえ絶対、栄養ドリンク依存症になりながら働く哀れな女神なんかじゃないわ! もっと、こう、すっごく女神様よ!」
「い、いいいい、依存症ちゃうし!」
激しく動揺して女神とは思えない口調になるアウラロッド。
エミリーが、どこからともなく「一本いっとく?」とラベルレスの毒々しい色をしたペットボトルを出した。
途端に視線が吸い寄せられ、左手を伸ばしかける元女神様。それを右手で押さえてぷるぷる。
もはや、何も言うまい。
「地球の状況が落ち着いて……そうだな。半年後、大学の夏休みに入った頃合いになら、俺達もある程度は自由がきくはずだ。その時に遅めの卒業旅行も兼ねて、春休みの埋め合わせをする予定ではある。星霊界にも行く予定だ」
情報は多方面から取得し、分析して裏付けなどを取った方が良いのは自明のこと。
シアが星霊界に召喚された際は悠長にしている時間がなかったが、今回は万全の準備をして星樹の化身たるルトリアにも話を聞く予定だった。
シアが懐かしむように目を細める。
「楽しみですね。ダリアさん、元気ならいいんですけど」
「悪いな、シア。友達との再会はもうちょっと待ってくれ。もどかしいだろうが、流石に俺がろくに動けない時に、あの世界に送り出すっていうのはな……」
「いえいえ、気にしないでください。星霊界は時間の流れが違いますからね。前回と同じ流れかも分からないですし」
「……ん。そういう意味でもルトリアよりフォルティーナを訪ねる方が容易い」
「そうじゃな。少数で行って何かあった時、タイミングよく救援に行けるか分からん世界に、無理をしてまで今行く必要はないからのぅ」
自分達が受験やら〝龍事件〟の対応に奔走している間にも、そっちはそっちでいろいろ考えていたんだなぁと、計画の概要については納得顔になる優花達。
が、それはそれだ。龍太郎が腕を組みながら、いまいち納得できてなさそうな表情になっている。そう、元々の話題――ミュウと陽晴の同行の件だ。
「なるほどなぁ。けどよ、やっぱり意外だぜ。半年後くらいに異世界旅行を計画してんだろ? ならなおさら、そんな嫌そうな顔してまで光輝に付き添いを頼んで、ミュウちゃん達を行かせる必要もねぇんじゃねぇのか?」
「必要性って意味なら、そりゃそうだ。けどな……ミュウはな、それはもうめちゃくちゃ楽しみにしてんだよっ。新しい友達ができるってな!」
あんなキラキラ笑顔で、あといくつ寝ると会えるって指折り数えて……
なのに、と。
握り拳を作り、わなわなしながら「その気持ち、あの笑顔、父親として裏切れるわけがねぇだろぉ!!」とかなんとか咆えるハジメパパ。
龍太郎が困惑しながら、「新しい友達だぁ?」と返すと、ミュウがキラキラ笑顔で身を乗り出した。
「龍太郎お兄ちゃんは知ってるの! クーネちゃんなの!」
「え、あの腹黒幼女か?」
「うちのクーネたんに何か文句でも?」
元女王様の本気の戦意が龍太郎に叩き付けられる! 目がマジだ! 答えによっては一戦交える気だ!
鈴が失言した彼氏の頭をべちこんっとはたき、代わりに謝罪する。デリカシーに振るべきステータス値も筋力に振ってしまった男の彼女は、中々苦労しそうである。
何はともあれ、話にだけ聞いていた砂漠の世界の小さな新米女王様に会えるということこそが、ミュウにとって春休みの楽しみベストスリーの一つだったのだ。
なお、ベストスリーの残りの二つは、陽晴と旅行できることと、娘の座を狙って待ち構えているであろう機工界の少女を分からせること、だったりする。
そんなわけで、〝龍事件〟のせいで致し方ないとはいえ、異世界旅行計画の延期が伝えられた際には、それはもう落ち込んでしまったミュウである。
娘を溺愛するハジメパパが、なんとか少しでも娘に春休みの楽しみをと奮起するのは当然だった。
「まぁ、そういうわけで、俺達がちょうど砂漠界に行くものだから、それならと付き添いさせてもらうことになったんだよ」
「娘の楽しみを是が非でも実現させてあげたいパパが苦渋を飲んだわけだね」
鈴が「相変わらず親バカしてるなぁ」と言いたげな目をハジメに向ける。と同時に、新たな疑問も。
「でもでも、ユエお姉様達の誰か一人くらいついて行けるんじゃないの?」
確かに、いくら忙しいとはいえ誰一人、ユエ達の中から付き添えないというのはないだろう。まして、だ。
「陽晴ちゃんも行くんでしょ?」
「はい。ミュウちゃんに誘っていただきました。異世界に訪れるなんて夢のような話です。しかも、同じ年頃の女王様と友達になれるかもしれないなんて……ミュウちゃん、改めてお礼を申し上げます」
「えへへっ、ミュウこそありがとうなの。陽晴ちゃんが一緒に来てくれて嬉しいの!」
「よ、幼女同士の友愛、プライスレスだね……まぁ、それはそれとして、陽晴ちゃんが行くなら、ロリコ――じゃなくて、遠藤君が付き添いでもいいと思うんだけど」
「なぁ、谷口。今、俺のことロリコンって言おうとしなかった?」
鈴、迫真の惚け顔。「違うからな? 次、ロリコン呼ばわりしたら深淵するからな?」とどぎつい釘を刺しつつ、浩介は陽晴へ微笑ましくも心配そうな眼差しを向けた。
「俺だって本当はついて行きたいけど、分身体は世界を越えて維持できないし……さっき言った通り、特例で受けさせてくれる講義がある。それに、受験に専念させてもらった分、本格的に大学が始まるまでは南雲や陰陽寮の手伝いをしたいしな」
「遠藤様、気にかけてくださって嬉しく思います。ですが、わたくしは本当に大丈夫です。いざとなれば緋月も呼べるのですから」
だから、どうか無理をしないでと芯の強さが窺える笑顔を返す陽晴。
瞳の中に、自分は浩介に四六時中守られなければならないお姫様ではないと、隣に立てる存在なのだという自負が垣間見える。
「貴方様のすべきことを、どうか優先してくださいませ」
なんてことを告げられれば、浩介としても「うん……分かってるよ」と、陽晴を信じて送り出さないわけにはいかない、ということらしい。
実際、卿の手数の多さや隠密性は、今、地球の安定を取り戻すに喉から手が出るほど欲しいというのがハジメの本音だ。
卿が事態収束に乗り出せば加速度的に対処が必要な事柄は減っていくのだから。
一方、ハジメの側も似たようなものだ。
「谷口の言う通り、俺もユエ達のうち誰か一人くらい付き添わせるって言ったんだが……」
「……むぅ、だったら行かないの。パパ達が忙しいのに、ミュウが遊びたいからってわがままするのは嫌なの」
というわけだ、とハジメの困ったような視線がクラスメイト達を巡った。あ~、なるほどねぇと誰もが微笑ましい表情になる。
子供がそんなこと気にするなと、むしろミュウが楽しみにしていた春休みの計画を変更したパパの方が悪いんだからと説得を試みたハジメだったが、こういう時は頑固さを発揮するミュウである。うんとは言わなかった。
結局、世界樹の枝葉復活計画のために砂漠界に行く光輝達に便乗する形を取れて、ハジメ達に時間を割かせることがない――という条件が揃って、ようやくミュウも気兼ねなく春休みの旅行を楽しめる状態になったということだった。
もっとも、ハジメの場合、浩介ほど納得したわけではなく、
「苦渋の決断だった。七日七晩、悩み抜いたさ。だが、ミュウが引け目なく春休みを満喫するには、このクソ勇者に同行してもらうのがっ、ベスッ、トォッ」
捻り出したような声音から、よっぽど不本意だったのが窺えるが。
光輝の方も、ミュウと陽晴には「きちんと護衛するよ」と誠意のある笑顔を向けておきながら、ハジメを横目にするなり一瞬で表情を変え、ふんっと盛大に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
そんな二人に、雫だけでなくとうとうユエ達も呆れ顔になる。
「いい加減、認めたらどうじゃ? ご主人様よ」
「……ん。陽晴や今のミュウなら自分の身くらい守れるだろうし、万が一の時の手立てもたくさんある。けれど、それでも最終的に決断したのは――」
いざとなれば陽晴の言う通り最強の鬼たる酒呑童子も召喚できるし、ミュウにはこっそり不可視化状態のエガリも護衛につける予定だ。アーティファクトによる護りも幾重にもある。
だが、それ以上に、きっと。
「ハジメさんってば、口で言うほど勇者さんのこと信頼してないわけじゃないんですよねぇ」
「おぞましいこと言うなよ、鳥肌が立っただろうが」
「おぞましいこと言わないでくれよ、シアさん。悪寒が走ったよ」
あ? と視線がぶつかるハジメと勇者。
龍太郎と鈴が「なんかユエさんと香織みたいじゃね?」「喧嘩友達、かな?」と、ちょっと嬉しそうにこそこそ話している。
今まさに食べようとしてた鈴のポテトがフォークをピチュンッされて皿に逆戻り。龍太郎の唐揚げもフォークがスパッと両断されてポトリと落ちた。
犯人は言わずもがな。龍太郎と鈴は揃って静かに座り直した。内心で「そういうところだよ!」と文句を飛ばしながら。
「南雲? 天之河? それ、うちの食器だけど?」
優花さんの目がつり上がっている! ハジメと光輝は顔を見合わせ、一拍。「わ、悪い」「ご、ごめん」と謝りつつ、綺麗に揃った動きで香織に助けを求める目を向けた。
香織が苦笑しつつ再生魔法で直す。エミリーが尊敬のキラキラ目で優花を見つめている!
ハジメと光輝は咳払いを一つ。気を取り直して。
「信頼なんぞまったくしてないが……死んでも守れよ。でなきゃ殺すからな」
「信頼なんてされても困るけど……死んでも守るから。口を閉じてろよ」
「んっもぅ! パパも勇者さんも春休みの旅行くらいで大げさなの!」
子供扱いしないでよね! というおませな声が聞こえてきそうな頬のふくれ具合だ。
とはいえ、ミュウの主張も分からないではない。未知の世界を行くわけでもなく、付き添ありきで子供達が友好を深める旅行をする。結局のところ、それだけの話なのだから。
ずっとにこにこほわほわとハジメ達の話を一歩引いた位置で聞いていたり、さりげなく追加の料理や飲み物を配るなど世話を焼いてくれていたレミアが、娘を援護するかのようにハジメの肩に手を添えた。
「まぁまぁ、ハジメさん。可愛い子には旅をさせよ、という言葉もありますから」
「……それはまぁ確かに。いつまでも親にべったりでも困るしな」
だから、今回はあえてレミアも同行しないのだ。
友達同士で遊ぼうという時に自分だけ母親に世話を焼かれるという状況を想像して、ミュウが難色を示したというのもあるが……
それを成長と見て、むしろ嬉しそうに受け入れて送り出すと決めたのはレミアであり、悩んでいたハジメの背を最終的に押したのもレミアだった。
母親が〝良し〟としたことなのだ。ユエ達からしても〝ならば〟というわけである。
クラスメイト達の中に、結局、娘に春休みを堪能してほしいパパ心が、勇者へのヘイトを上回った結果なんだなという納得が広がった。
優花が代表するようにミュウと陽晴へ笑顔を向ける。
「そういうことなのね。いいじゃない。ミュウちゃん、陽晴ちゃん、楽しんできてね。お土産話を期待してるわよ」
「はいなの!」
「ふふ、ありがとうございます、園部様」
モアナが「ようやく、うちのクーネたんにもお友達ができるのね! あの子の夢が叶うわ!」と、本人が聞けば赤面して殴りかかってきそうなことを呟いている。
対等な友達に飢えている砂漠界の小さな女王様の内心は聞こえなかったふりをしつつ、龍太郎が目を細める。砂漠界を思い出すように。
「それにしても、砂漠界なぁ。できればまた行ってみてぇけど、今は忙しいから無理だなぁ。よぉ、光輝。俺と鈴からよろしく言ってたって伝えておいてくれよ」
「私と龍くんも、大学の準備で忙しいもんね……家探しもあるし」
盛大な舌打ちが複数。信治と良樹を筆頭に彼女のいない男子陣からである。
そう、なんとこの二人、春から同棲してハジメ達とは別の大学に行くのだ。
「お二人とも、トータスに移住すると聞いていたので期待していたのですけど……」
リリアーナが少し不満そうに唇を尖らせる。
確かに、今でも龍太郎と鈴の展望は変わっていない。自分達の力を生かせるトータスに移住して冒険者をやる予定だ。
だがしかし、そこはやっぱりハジメ達と同じ気持ちがあるわけで。
「いやぁ、私達も大学に行ってみたかったし。学びたいこともあったからね」
「ほら、リリィの勧誘の件もあんだろ? 冒険者じゃなくて騎士団に入らないかってやつ」
「ええ。最近、どこかの誰かさんのせいで、うちの騎士団長の末永い所属は無理な気がしているので」
どんなに辛い仕事の連続でも、たとえ上司がブラックでも、私は大丈夫! 耐えられる!だって、最高の転職先が用意されているのだもの!
なんてことを声高に叫んでいるわけではないが、柱の陰からジッとクゼリー団長の様子を窺っていたリリアーナには、そんな心の声が聞こえたらしい。
もはや引き留められないなら、代わりを捜さなくては! と。
その〝どこかの誰かさん〟を睨むリリアーナ。〝どこかの誰かさん〟は素知らぬ様子で「カフェオレおいしい」とか呟いている。
「俺と鈴が行くのは体育大学だからな。今のスポーツ学とか鍛え方とか、騎士団に持ち込めば使えるような知識も学べんじゃねぇかな?」
「私も健康学部だからね。栄養面とかで役に立てるかも?」
「それは入団を前向きに検討していただけていると捉えても!?」
「必死すぎてこえぇんだけど……まぁ、冒険者って根無し草なところあるからなぁ」
「楽しそうだけど、いつまで続けられるか分からないし。しばらくは冒険者でもいいだろうけど、就職もありかなとは話し合ってるよ?」
「いつでもどうぞ。契約書は既に用意してますから」
「「だから怖いって」」
そんなだからクゼリー団長に逃げられそうなのだ。と、誰もが思った。
それから。
あらかた料理も片付けて、心地よい満腹感に浸りながら食後のお茶を楽しみつつ、話題の中心は完全に進路の話へと戻っていった。
静かに語り合うような緩やかな時間に、希望やら野望やらに満ちた将来が語られていく。
中には奇抜というか、そんな進路で大丈夫か? と心配になる者も。
例えば、仁村明人は意外も意外。天職〝幻術師〟を十全に生かし、マジで魔法を使う(は当然隠しつつ)マジシャンとして名を挙げるつもりだとか。
吉野真央もマイペースな性格故か、しばらくは諸国漫遊を楽しむらしい。ハジメの手伝いで得たバイト代を元手に冒険系YouT○berをやるとかなんとか。
相川昇は大学に行きつつも公安への入局がひとまずの目標らしい。つまり、服部さんの部下だ。
重吾は警察官を目指し、健太郎と綾子は同じ農業系の大学に。ゆくゆくは健太郎の祖父母が営む農業を継ぎ、綾子は獣医になるらしい。人相手では目立ちすぎる回復魔法も、動物相手ならこっそり使えば問題ないだろう、という目論見だ。
なお、この二人、遠方の大学故に綾子が健太郎の祖父母の家に下宿する形を取るらしい。既に互いの家族には挨拶済みだ。
だというのに、だ。
なんと、未だに正式に付き合っていないという。明らかに他者が入り込む余地がないのに、揃ってへたれの極みというかなんというか。
この点、なんとなくだが、お互いに断られるかもという不安から言い出せないわけではなく、むしろその絶妙な距離感を楽しんでない? とも感じられ、もはやクラスの中に二人の関係を指摘する者は誰もいない。勝手にやってくれ、という感じだった。
他にも、自衛隊に入る者、翻訳家、外交官、ジャーナリスト、プロ格闘家を目指す者、政治家を志す者、探偵事務所を開く者、ゆくゆくは父親の会社を継ぎたい者などなど。
後は特殊な事例で、南雲家のペットになりたいけどハジメに蔑んだ目で拒否された者や南雲家のメイドになりたいけど普通に拒否された者などが、大学に進学しつつ卒業後にハジメの会社へ入社、あわよくば秘書になることを目指していたり。
「なんだか〝それぞれの道〟に行けてない人もいそうで心配なんですが……」
巣立っていく生徒の一部に微妙な表情で呟きつつ、愛子は「と・く・に!」と、へらへらしている二人組に視線を向けた。
「中野君と斉藤君! 結局、あなた達は進学も就職もせず、かといって何をしたいという話も聞けていません! 将来をどう考えているんですか!」
「えぇ、祝いの席で進路相談とか勘弁してよ、愛ちゃん」
「そうっすよ。俺達は自由人なんです。なんかこう、良い感じに女の子にモテそうな仕事とかしますよ」
つまり、フリーターらしい。
「そう言えば、良樹。思ったんだけどさ、テレビ局とかよくね? スタッフくらい募集してるだろ。あわよくば女優とかアイドルと……ふふふ」
「それなら、いっそ身体能力いかしてスタントマンとかどうよ? 何あの人、凄すぎぃ! 抱いて!ってなる可能性がなくはない、はず!」
「お前……天才かよ!」
「よせやいっ」
誰もが思った。この二人はダメだ。仕事というものを舐めきってやがる。きっと一生、こんな感じにそこはかとなくダメな奴らなんだろうな……と。
実は、この先の未来で芸能人専属の警備会社を設立し、超オタク芸を披露する超強い警備員として有名になるとは誰も思うまい。
「もぉ! 二人とも自分の将来の話なんですよ! もう少し真剣になりなさぁ~~いっ!」
教師魂が燃え盛る愛ちゃん先生が雄叫びを上げ、それをユエ達がなだめつつ、他の者達は面白そうにはやし立てる。話はまだまだ尽きそうもない。
再び賑やかになってきた店内で、ふとハジメの肩に手が置かれた。
「ハジメさん。少しいいですか?」
「? ああ、別にいいが」
レミアだった。カウンター席の方へ視線を流す。どうやら少し会話の輪から離れて二人で話したいらしい。
珍しいこともあるものだと、視線でユエ達に少し席を離れると伝えれば、そこは阿吽の呼吸だ。一瞬で了解したユエが、さりげなく皆の意識がハジメ達にいかないよう認識阻害を施してくれる。
カウンター席の端っこに腰掛け、「で?」と促すハジメ。
「いきなりすみません。でも、皆さんが楽しそうに将来を語るので、私も希望を伝えておきたいと思いまして」
「……改まってなんだ? まさかと思うが」
もしかして、「異世界で暮らすのはもう限界! 実家に帰らせていただきます!」とか言われるのかと、ちょっと身構えるハジメ。
その内心を察したのか、レミアは「あらあら」とおかしそうに笑った。どうやら杞憂らしい。
「不満なんてありませんよ。むしろ、ハジメさんや皆さんの方が私に不満があるのではないかと、移住してきてからずっと思っていたくらいです」
「はぁ? なんでそうなる。俺の態度がそう見えたのか?」
「いいえ。ですが……いつかミュウが言いましたよね。自分は助けてもらわないと何もできないって」
「……ああ、マグダネス局長と初めて会った時だな」
「はい。あの言葉は私にも、いえ、私にこそ当てはまります」
「レミア……」
まさか、レミアがそんなことを気にしていたのかとハジメは驚きと共に忸怩たる気持ちを抱いた。
楽しそうに生活しているように見えたし、ゆるほわな雰囲気も作ったものには見えなかった。だが、元より本心を隠すのが上手なレミアだ。もっと注意しておくべきだった、と。
眉間に皺が寄るのを自覚しながら、ハジメは真剣な眼差しをレミアに向けた。ただの配慮ではなく本心であることが伝わるよう言葉にも努めて感情を込める。
「……確かに、戦闘面ではそうだろう。だが、何もできないなんてことはない。レミアほど人間関係を上手く取りなしてくれる奴はいない。それは、本当に助かってるんだ」
実際、近所の住人との関係ではレミアが最も良好な関係を築いている。
ハジメは、帰還者騒動のおりマスコミや政府には力を使ったが、ご近所さん達にはほとんど何もしてない。それでも南雲家が避けられることもなく、今までと変わりない人間関係を維持できているのは間違いなく、レミアが率先してご近所付き合いをしてくれているおかげだ。
それは、ミュウの友人達の保護者との関係でも同じであるし、ハジメの会社の関わる人達との関係でも同じだ。
彼女の一挙手一投足が、言葉の一つ一つが、漂わせる雰囲気が、他者の緊張を和らげる。疑心暗鬼を解きほぐし、気が付けば穏やかな気持ちで対話ができている。
それは希有な才能だ。
家の中でだって、レミアがいるだけで雰囲気が和やかになる。どんなに忙しくても、疲れても、ほっと息を吐けるのだ。
「ありがとうございます。せめて、そう言ってもらえるようにと頑張った甲斐がありました」
「意図して、だったのか」
「この程度のことしかできませんけれど……それでも、ミュウの母親というだけで全てを享受できるほど、私は図太くありませんよ?」
「そりゃ悪かった。で、希望ってのは? 話の流れからして、何かしたいことが他にもできたか?」
「いえ、むしろしてほしいことですね」
「?」
もっとできることを見つけた、それでもっと役に立ちたい――という話かと思えばそうではないらしい。
気のせいだろうか。ジッとハジメを見つめるレミアの瞳には、いつにも増して熱があるように思えた。
「ハジメさん。もし、私とミュウが平穏にエリセンで暮らせていたら、どうなっていたと思いますか?」
「うん? それはミュウが誘拐されず、神話決戦なんかもなかったらってことか?」
「はい」
「そりゃあ、どうなっていたも何も普通に暮らしていたんじゃないのか? 母娘二人で仲良く」
唐突に変わった話の流れについていけず、ハジメは戸惑い気味に返した。それに、緩やかに首を振るレミア。
「一年も経たないうちに私は再婚していたはずです」
再び、まさかという思いがハジメの心臓を少しばかり跳ねさせた。
「……好きな男がいたってことか?」
「いいえ、そうではありません。お忘れですか? 今でこそ自由ですが、海人族は元々、人間族の国に管理された種族だったことを」
「なるほど。そういうことか」
海産物の効率的な獲得に有用であるが故に、特別に管理された亜人族。それが以前のトータスにおける海人族の立ち位置だ。
当然、その人口も管理されていた。減りすぎてはいけないし、反乱ないし種族全体での逃亡が可能な数にもしてはいけない。
そして、いくら海の申し子といえど亜人である以上は魔法が使えず、海棲の魔物相手には死亡率も決して低くないという事情もある。
ならば、夫を亡くした女が、女の子一人産んだだけで後は自由なんてことはあり得なかった。ミュウがまだ四歳だったから子育てのためにギリギリ許されていたのだ。
「エリセンの男連中がレミアの再婚相手として躍起になっていたのは、気持ちの問題以上に制度的にチャンスがあったからか」
「ええ。最終的には上の方々が決めることですが、まったく自由がないわけではありませんでしたから」
それこそ、エリセンの男衆がやっていたように何かしらの競い合いをして、自分こそ相手に相応しいとアピールすることはできる。
慣例的に、族長や人間族の管理者も、その結果に異論を唱えることはほぼなかった。相思相愛ならなおさら、なんらかの認め難い事情でもない限り。
「とはいえ、時には外部の血も入れなくてはなりません。私は両種族の調整役というお仕事柄、王国や公国の方とも面識があったので……」
「貴族の後妻……いや、妾とか愛人辺りに収まる可能性があったわけか」
「おそらくは。そういう話が出ていたので」
考えれば普通に分かることだが、自由恋愛が普通である日本人の感覚だったせいか思い至らず、ハジメはなんとなく溜息を吐きたい気分になった。
「なんでエリセンに滞在していた時にそれを――いや、ミュウのためか」
「はい。誘拐されてやっと帰ってきたのです。まして、お別れを前にパパと思い出を作っている時ですよ? わざわざ現実を教える必要はないでしょう。それに……」
「それに?」
「教える前に、貴方が約束してくださったから。迎えに来ると、自分の故郷に連れて行くと」
くすりと笑みを零して、レミアは言う。
金ランクの冒険者だとか、絶滅したはずの種族を隠しもせず仲間と公言していることとか、他にもいろいろと理由はあるけれど。
短いながらもエリセンで過ごした中で、なんとなく直感がささやいたのだ。たぶん、ミュウがこの人を見つけた時点で、想定していた自分達親子の人生は大きく変わったのだ、と。
それはきっと抗いようのない大きな流れで、きっと抗いたいとも思わない素敵な未来に違いない、と。
だって、愛娘があんなにも素敵な笑顔を浮かべていたから。
「その直感は、最後の日、ミュウとハジメさんが約束を交わし、ユエさん達が笑顔であの子を抱き締めてくださった時に確信に変わりました」
ハジメはぽりぽりと頬を掻いた。想像以上に、レミアはレミアでハジメ達との出会いについて考えていたのだと知って、なんともむず痒い気持ちに襲われる。
とはいえ、こうして心の裡をいっそ明け透けなほど晒してくれているのだ。照れ隠しなどしている場合ではない。
なぜレミアがこんな話をし出したのか分からないが、せっかくの機会だ。レミアが自ら話すなら聞くつもりだったが、ハジメからは配慮して踏み込まなかった部分に正面切って踏み込む。それがむしろ、誠意ある態度だろうと考えて。
「……海人族の結婚関係が、最終的には上から決められたものであるなら……もしかしてミュウに父親のことをほとんど話してなかったのは望まない結婚だったからか?」
「それこそまさかです。確かに決められた相手ではありましたけれど、幼い頃から兄のように慕っていた人です。家族となるのに抵抗はありませんでした」
そもそも、エリセンの住人は一つの家族のようなものだ。顔を知らぬ者などほとんどおらず、同世代の者達はずっと一緒に育ってきた兄弟姉妹も同然である。
「ミュウが生まれる前に、あの人が言っていたんです。もし、子が生まれる前に自分が海から帰らないことがあれば、会えない父親の話なんてしなくていいと」
曰く、それは特別な話ではなく、漁に出る海人族の中での風習的なものらしい。男女に関係なく、海に出て漁をするということは、それだけ覚悟の必要なことだったのだ。
「父親の代わりになってくれるやつならたくさんいるんだから、寂しい思いをさせるくらいなら、そいつらに甘えさせてやってくれって」
「そう言えば、初めて海人族と会った時、男連中は必死だったな。俺を誘拐犯だと勘違いして物凄い剣幕だった。確かにあれは、よその家の子程度の認識とは思えなかった」
「はい、それが海人族ですから。私が人間族の方と再婚した場合、私はその方のもとへ、ミュウはエリセンの別の家に引き取られることになったと思いますが、そうなった場合でも、悲しくはありますが不安はありませんでした。母親代わりになってくれる良き方をたくさん知っていましたから」
レミアはそう言って、陽晴とはしゃぐミュウを見つめ目を細めた。愛しさに溢れる眼差しだった。
次いで、ハジメへと視線を転じる。質は違えど、その瞳に宿る感情の強さに大きな差は見受けられなかった。
「あの人と結婚したことを後悔したことはありません。優しい人でしたし、何よりミュウを与えてくれましたから」
「そうか」
「そして、ハジメさん。貴方がミュウと出会い、パパと慕われ、私達をここに連れてきてくれたことにも、この先、後悔することは絶対にないでしょう」
「……そいつは、良かった」
「うふふ、本当にありがとうございます、ハジメさん。私達親子にたくさんの素敵なものを与えてくれて」
「むずがゆいな。俺の方こそいろいろと感謝してるんだが……で、結局、それを言いたかったのか?」
「いえ、改めて感謝を伝えたかったのは本当ですけれど、言いたかったのは将来の希望であり、ちょっとした不満です」
「えぇ? 今の話の流れで不満に繋がるのか!?」
まさかの流れに思わず声を張り上げてしまって、「おや?」と何人かがハジメ達に気が付く。ユエさん、ビシッとサムズアップ。こっちは任せてゆっくり話せと言わんばかり。
「流石はユエさん。私達〝よめ~ず〟のリーダー様ですね」
「それ、誰が言い出したんだ? レミアの口から出るのは違和感が酷いんだが」
「まさに、そこです。私の不満は」
「え? いや、どこ?」
本気で分からない様子のハジメを前に、レミアは小さく深呼吸した。まるで緊張しているみたいに。頬もほんのり赤く染まっている。
「生活を共にしてきて、いろいろな出来事を経て、私は貴方や皆さんの傍にいられることに幸せを感じています」
「あ、ああ……」
「ですから、どうかそろそろ認識を改めてもらいたいのです」
「認識?」
「はい。私のことを〝ミュウの母親〟というだけでなく〝南雲家に嫁いできたレミア〟と」
「……」
咄嗟に返す言葉を見つけられず、ハジメはぽかんっとレミアを見つめてしまった。
「自覚はありませんでしたか? ユエさん達に対する配慮と、私へのそれが少し違うことに」
「……特になかったな。普通に接してるつもりだったが」
「あの人のことを一度も尋ねなかったのは、まさに〝レミアの心の裡には不必要に踏み込まない〟という、他の方々にはしない配慮ではありませんか?」
「それは……そう、かもしれないな。いや、そうだな。なるほど。それは確かに、家族となる相手にする配慮ではないかもしれないな。きちんと気持ちを確かめないなんて」
実際、レミアは感じてたのだろう。ユエ達に対するのと同じくらい大切な身内として扱われながらも、その中にほんの一握り、本人も自覚がないほど微量な〝大切なお客様〟に対するような気持ちが混じっていることに。
レミアが緊張の面持ちでハジメを見つめている。
ある種の告白なのだ。当然だろう。
ハジメは天を仰いだ。何をやっているんだと自分に溜息を吐きたくなる。が、そんなことをすれば、まるでレミアの気持ちに嘆息したかのようだからグッと堪えて。
表情を改め、真っ直ぐにレミアを見返した。
「伝えてくれてありがとな。察しの悪い男で悪いが、レミアがそう望んでくれるなら素直に嬉しいと思う。だから、改めて言わせてくれ――どうか、俺の家族になってほしい」
レミアは静かに目を閉じた。感じ入るように、あるいは心から安堵したように。
そして、ゆっくりと目を開けると、
「はい。娘共々、末永くよろしくお願いしますね。あ・な・た?」
と、いつもの本心が分かりづらいあらあらうふふ笑顔とは異なる、本当に嬉しそうな満面の笑みを浮かべたのだった。
なんとなく、気恥ずかしい。
にこにこと見つめてくるレミアの視線から逃れるようにグラスを勢いよくあおるハジメ。
「それにしても、なんで今なんだ? もっと早く伝えてくれても良かっただろうに」
誤魔化すように若干早口でなされた質問に、レミアはもう普段の「あらあら」を戻して答えた。
「一応、ハジメさんは学生さんでしたし、愛子さんが未だ遠慮を残しているのに私がお伝えするのはいかがなものかと思った、というのもあります」
「他にもあるのか?」
「ちょうど良いタイミングかと思ったのです。だって、卒業を節目に、あれをお出しになると話していたではありませんか」
「あ、ああ……そういう」
と、その時、店の窓がビリビリと揺れるほどの「「「「「えぇーーーっ!?」」」」という驚愕の声が響き渡った。
何事かとハジメが視線を転じると、同じタイミングでクラスメイト達も一斉にハジメを見やる。
その中で、信治がカッと目を見開いて叫んだ。
「南雲ぉ! おま、お前っ! この後、ユエさんとの婚姻届を出しに行くって本当かぁあああああっ!!!」
まるで、「それがお前のやり方かーーーっ!!」的な叫びだった。
「なんだユエ、話したのか」
「……ん~ん。エンドウが話した」
「あれ? 内緒だったか? エミリー達もハウリアも知ってるし、てっきりクラスの連中も知ってるものと思ってたんだけど」
実は、そうだった。レミアの言っていた〝あれ〟とは、まさにユエとハジメの婚姻届のことだったのだ。
ちなみに、浩介がこのことを家で話したところ、市役所で働く親父さんが「是非、私に受理させてくれ!」と頼んできたこともあって、今日は休みにも関わらず、この後、市役所で合流する予定だったりする。
「ど、どどど、どういうことなの南雲!」
やたらと動揺している優花ちゃん。奈々と妙子が一拍置いて冷静になり、この親友、今更何を動揺しているんだと呆れた目を向けている。
「どうもこうも、そのままの意味だ」
既にトータスでプロポーズしていることもあり、ハジメとユエ達の関係性は恋人ではなく夫婦同然である。そのように公言しているし、周知の事実だ。
とはいえ、それは婚姻届を出した〝法的に効果のある正式な婚姻〟ではない。事実上のものだ。
「ユエ達の戸籍は作ってある。けど、全員分の婚姻届なんて出したら、それは〝矛盾が残り続ける記録〟になっちまう。何かの拍子に気が付く奴は出てくるだろうし、何かしら手を打たないと、その度に対処しなきゃならなくなる。だから、まだ高校生でもあることだし、ひとまず保留にしてたんだが……」
「……ん。別に法的に認められなくても私達が南雲家の一員である事実に変わりはない。だから、無理してまで急いで出す必要性はあまり感じてなかった」
ユエ的に、対外的にも妻と見られる届け出を出すことに憧れはあったものの、日本に住む以上、それは一人だけに認められるものであり、であるならシア達の気持ちを慮って無理を言うつもりはなかった。
「私達が言ったんですよ。高校卒業を機に、ユエさんの名義で出しちゃいましょうって」
「うむ。ご主人様は、いずれ全員分の婚姻届を出してなお問題が起きないよう手を打ってやると言ってはいてくれたんじゃがのぅ」
「ユエさんは自他共に認める私達の正妻様ですからね。お義母様から配偶者がいることで得られるメリットが多々あると聞きましたし、皆で話し合った結果、対外的に認められる奥さんとして、ユエさんに届出をしていただこうと決めたんです」
レミアがそう言って和やかに微笑むと、男子達は納得と羨望の眼差しをハジメに注ぎ、優花達は窺うような眼差しを香織や雫、愛子に向けた。
「ええっと、香織達はそれで良かったの?」
「良くないね!」
「南雲ぉ! 納得してない子がここにいるんだけど!」
優花がビシッと香織を指さした。
「……なに、香織。また分からせてあげようか?」
「ユエはズルいと思います! チートです! この吸血姫はチート! 分解魔法まで使えるとかフェアじゃなかったよ!」
「香織……貴女、箱庭で倒れるまで戦って納得したんじゃなかったの?」
「むしろ、自分は無限魔力ありで、ユエさんは自己魔力だけのハンデ戦だったような?」
倒れるまで戦ったんだ……やっぱり、自分の名義で婚姻届を出したかったんだ……というかハンデありってなり振り構ってないじゃん……と、クラスメイトの誰もがなんとも言えない眼差しを香織に向ける。
ちなみに、今のユエは香織が使える魔法は全部使える。決定的な差があるのは他者への治癒や蘇生術くらいだが、自分の治癒という面では〝自動再生〟があるので一対一の戦いでは大差ない。そもそもの話、香織の使徒モードもユエが施したものだ。
婚姻届に記載する名義をかけた戦いで及ばなかったとしても、それは仕方ないという話。
「……別に、何度でも挑戦していいけど?」
「うぅ……もういいよぉ! ちょっと羨ましいと思った気持ちを晴らしたかっただけだから!」
「……んぅ? 晴れてる?」
「そ・の・か・わ・りぃ! 結婚式はぜぇ~~たいっ素敵なものにしてもらうからね!」
「……やっぱり晴れてない?」
「晴れてますぅ!」
晴れてるらしい。ぷいっとそっぽを向いたが。
ハジメが「状況が落ち着いたら、箱庭で盛大にしような」と苦笑気味に言うと、即座に「うんっ」と元気な返事が響き、満面の笑みが浮かぶ。切り替えが早い。
「まぁ、実際、私達の中で代表を選ぶならユエしかいないでしょう。逆にユエ以外だと違和感しかないわ」
「それはそうですね。私達の関係が世間一般では普通でない以上、こういう形で収まるというのは想定してましたし」
言外に、こうなると分かっていてなおハジメと共にある道を選んだんだ――と微笑む愛子。雫も含め、その表情に陰りはなく、彼女達が話し合いの末に決め、納得したことなのだと伝わる。
なるほどなぁ~とクラスメイト達の間にも納得が広がり、女性陣からは改めて「正式な結婚おめでとーっ」と祝福の言葉が届き、男子陣からはハジメを揶揄うような声が次々と上がっていく。
エミリーとクラウディアが「私達の場合は……」「いずれトータスに移住するなら必要ないのでしょうか? いえ、しかし……」と呟きつつ、ボスを祝福することに余念がないラナへ警戒の目を向け……
ミュウと陽晴が何やら互いに「頑張ろうなの! 同士ヒナちゃん!」「ええ、頑張りましょう、同士ミュウちゃん!」と激励し合っている中。
「あのぅ~」
控えめだがよく通る声が。ん? と皆が視線を転じれば、そこには涙目でプルプルしている王女様の姿があった。
「私、初耳なんですが」
「「「「「「「――あ」」」」」」」
ちなみに、この「あ」はリリアーナ以外の嫁~ズの皆さんである。
「あ~、その、すまん。伝え忘れてた」
「ひどいっ。私が放置系王女だからってあんまりですっ」
あ、自分で言うんだ……と誰もが思ったがひとまず黙って成り行きを見る。
「いや、だって婚姻届の話は最近決めたことでな。ほら、リリィはずっとトータスにいたし、忙しくて伝えるタイミングを逃したというか……」
「……」
涙目無言でジッと見つめてくるのが、どんな言葉より罪悪感を湧き上がらせる。
仕事から離れようとしないリリアーナだが、それはそれだ。確かに、いずれ南雲家に来るというのに大事なことを伝えていないのはハジメ達の落ち度である。
なので、ここは素直に全員揃って。
「「「「「「「「忘れていてすみませんでした」」」」」」」」
誠心誠意、心を込めての謝罪一択である。
「……ぐすっ。これはこれで居たたまれない」
でしょうね、と誰もが思ったが、もちろん暗黙のうちに全会一致でお口チャックした。
なんとも言えない空気感。
「そ、そうだ! せっかくだしよぉ! 二人が婚姻届を出すところ、俺等も見届けねぇか!?」
「りゅ、龍くん! ナイスアイデア!」
龍・鈴コンビのナイス話題転換。
「パーティーが終わった後に出す予定だったなんて水くさいぜ! なぁ、お前等!」
「坂上っち、良いこと言うじゃん! そりゃあ南雲っち達からしたら今までも夫婦って認識だったんだから、婚姻届を出すくらい大げさな話じゃないかもだけどさ!」
「だからって、こんな素敵なこと私達に黙ってやっちゃうなんて酷いよ! ね、優花!」
「そ、そうね! ええ、そうね! ここまで来たら末代まで祝ってやるわ!」
奈々と妙子がノリノリだ。優花はやけくそ気味に見えなくもないが。
なんにせよ、空気が一気に変わる。誰もがおめでたい瞬間を「見たい見たい!」とついてくる気満々に――
「婚姻届を提出する瞬間がチャンスだ。そんなリア充の象徴みたいなもん、俺の炎槍で灰燼に帰してくれるっ」
「待てよ、信治。そんなことしたら俺の風刃が切り刻めないだろ。まず俺からだ」
一部、目的が違いそうな奴がいるが、いい加減に見苦しかったのかラナさんにナイフを突きつけられてスンッと黙ったので問題はなかった。
「いや、市役所にこの人数で押しかけるとか迷惑――」
「南雲。今、親父に電話したら構わないって。もう市役所で待機しているらしいんだけど、職員一同、楽しみにしてるってさ」
「マジか」
以前、市販品とは比べものにならない効果のエナドリの贈り物をしたせいか、市役所の方々のハジメに対する知名度というか好感度は案外高いらしい。
あるいは、いろいろ騒動が起きる町だから栄養剤が嬉しいのか。だとすればマッチポンプ感が拭えない。
ハジメは盛り上がる店内に視線を巡らせ、困り顔と嬉しそうな顔半々といった表情で隣のユエを見下ろした。
「どうする?」
「……あちらのご迷惑にならないなら、断る理由ある?」
即答だった。ハジメの腕を胸元に抱き締めながら、上目遣いにふんにゃりと笑みを零すユエ。それは、まるで幸せに浸るような笑顔で。
なら、ハジメの答えも一つだ。
「分かったよ。お前等、パーティーはお開きだ! さっさと片付けて行くぞ!」
店内が揺れる。そう錯覚するほどの、今日一番の盛り上がり。
卒業を祝う席に、新たな祝福が広がって。
ハジメ達はまた、新たな一歩を踏み出したのだった。
今話も読みに来てくださりありがとうございます。
感想や誤字脱字報告、ハジメや優花の進路等に関するご指摘などもありがとうございました。
最終章は既出部分と異なる説明が今後も出るかもしれませんが(心が折れた原因)都度修正していきます。ただ、大きく修正が必要な場合は、申し訳ないですがまず書き切ることを優先し、完結後に直していこうと思います。ほんとすみませんが、どうぞよろしくお願い致します!
※ネタ紹介
・御社の犬
⇒「圧迫面接ゲーム 御社の犬」より。フレーズが頭から離れない。
・末代まで祝ってやる
⇒初音ミク「祝ってやる」より。何年経っても時折ふと思い出して聞きたくなる超好きな曲。