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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
457/544

卒業式

たいっへんお待たせしてすみませんでした! 本日より更新再開します。最終章、どうぞよろしくお願いいたします!



 目蓋の裏が赤い。おぼろげな意識ながら、自分の体が強ばっていて、じっとりと汗ばんでいるのが分かる。


 思うように体が動かない。


 妙な焦燥感が胸中に渦巻き、意識が覚醒に近づいていく中、遂には首という急所に刺されたような痛みまで――


「……ッ!?」


 ガバッと跳ね起きたハジメ。僅かに呼吸を乱しながら周囲を確認する。


 ずるりと首筋から――ユエが滑り落ちた。ハジメの胸元から下腹部辺りまで。薄い桃色の唇の端に付いた血を扇情的にペロリとしている。


 加えて、動かない左腕を見ればシアがヒシッと抱き付いていて、右手は完全にティオの双子山に埋もれていた。


 チュンチュンッと元気なスズメの声が、遮光カーテンの隙間から差す陽の光に混じって届いてくる。


 今日はとっても良い天気らしい。


「なるほど」


 納得と共にガクッと肩を落とすハジメ。


 どうりで体が動かないはずである。昨夜は一人で寝たはずだが、いつの間にかガッチリと添い寝されていたらしい。


 目蓋の赤みは運悪く直射日光の直撃を受けていたからで、首筋の痛みは言わずもがな。ユエの寝ぼけカプチューだ。


「美味そうにもにゅもにゅしやがって」


 おそらくハジメの上にうつ伏せに乗って首筋にしがみつくという、「それ、絶対に寝にくいよね?」と言いたくなる体勢で寝ていただろうユエに、呆れ顔になる。


 ハジメの血の味を堪能しているのか、口元をもにゅらせているユエの表情は実に幸せそうだ。


 ティオをぺいっとベッドの外に落として右腕を抜き、「だばだっ!?」という奇怪な悲鳴を完全にスルーし、ユエの額にペチッとデコピン。


「……んんぅ……?」


 幼児のようにむずかりながら手をさまよわせたユエは……


「おぅ!? 待て、こら!」


 無意識で直ぐ近くにあった某棒をガシッと掴み、あ~~~っと口を開いて再びカプチュー体勢に。


 非常にまずい。大変おそろしい。この時ばかりは八重歯もチャームポイントではなく凶器だ。


 慌ててシアもぺいっと引き剥がして左腕を解放し、「ふぎゃ!?」という悲鳴をスルーして両手でユエを抱き上げる。一瞬の後、ユエの八重歯が空を切ってパクンッと閉じられた。


「あ、あっぶねぇ……朝っぱらから血の気が引いたぞ」

「んぁ? ……んぅ、はじめぇ? おあよぉ」


 流石に目が覚めたらしいユエさんは、ほにゃりと微笑んだ。たった今、自分がなそうとした悪魔の如き所業など知りもしない、天使の如き愛らしさで。


 溜息を一つ。「ん?」と小首を傾げるユエに苦笑しつつ「おはよう」と返し、ハジメは部屋のカレンダーへ視線を移した。


「まったく。一応は大事な節目の日だってのに、なんてスタートだ」


 カレンダーには赤丸が記されている。その赤丸は〝卒業式〟の文字を囲っていた。


 そう、〝龍〟と陰陽師にまつわる衝撃の事件から早数ヶ月。


 今日は、高校の卒業式だった。
















「んもぅ! パパったらこんな日にまでエッチなことしてたの!?」

「してない。てか、そんなこと娘に聞かれたくないんだが」


 既に制服に着替えて登校の支度を終えているハジメが、ダイニングテーブルの席に座って物凄く微妙な表情になっている。


 ミュウがおかんむりだ。対面に座ったまま、まるで説教態勢に入った親の如く腕を組んで鋭い眼差しを見せている。


「どうしてミュウとママを呼ばなかったの!」

「怒るポイントが盛大に間違ってるぞ。あと、呼んだんじゃない。勝手に入ってきただけだ」

「パパが気が付かないはずないの。つまり、暗黙の了解ってやつなの! なのに勝手になんて酷い! 男の人っていつもそう! 女の子のことなんだと思ってるの!」

「レミアぁ! ミュウがまた変なセリフ覚えてるぞ!」

「あ、あらあら……昼ドラが原因じゃないはずですよ? ミュウがいない時にしか見ていませんから。嘘じゃないです。本当です」


 朝食作りの手伝いをしているレミアが、キッチンからひょこっと顔だけ出して否定してくる。念押ししてくるところがちょっと怪しいが……


 なお、レミアさんはミュウがいる時は録画することにしているようだ。それを夜中にこっそり見るのである。部屋からたまに「あらあらまぁまぁ!」と興奮したような声が聞こえてきたりする。


 最近は自室にBlu-rayコレクションまで揃え始めているようだ。どれも名作ばかり……らしい。どろっどろの恋愛劇好きにとっては、と前提が付くが。(by(すみれ)情報)


「っていうか、もう小学生なんだし……むしろ、父親と添い寝なんて普通は嫌がるもんじゃないか? 智一さんも言ってた。小学校に入った途端、香織は一緒に寝てくれなくなったし、お風呂も嫌がるようになったって。日本酒片手に思い出し泣きしながら、『女の子の成長は早い。ハジメ君も覚悟しておくといい』ってさ」

「よそはよそ。うちはうち」

「くっ、口ばっかり……いや、ばっかりってこともないが達者になりやがって」

「むぅ……パパはミュウと一緒はいやなの? ミュウ、何か悪いことした?」


 ぷんすか怒っていたくせに、途端に悲しそうに眉を八の字にするミュウ。どうやら、最近は添い寝の機会があまりなくて、割とガチで寂しかったようだ。


「まぁ、最近はあれこれ忙しくて寝る時間も合わなかったしなぁ。ミュウがそうしたいなら別に構わないんだが……むしろ、父親としては嬉しいし」


 智一さんも言ってた。『お父さんの洗濯物と一緒にお洗濯は……』って遠慮がちに拒否られた時は前後一週間の記憶が飛んだって。と補足しつつ、自分がミュウにそう言われたら、確かに記憶くらい飛びそうと思って、なんとも複雑そうな表情になるハジメ。


 と、そこで、


「ハジメ、なんだか最近、智一君とよく話しているようだな。なんで父さんを呼ばない?」


 寝起きのぼっさぼさ頭のまま、ソファーでお茶を飲みながら朝のニュースを見ていた父――(しゅう)が、肩越しに振り返って実に不満そうな表情で問うてくる。


 今は娘とのお話に忙しいので誤魔化し笑いだけ返してスルーする。おじさん、悲しそうにお茶を自棄飲み。舌を火傷する。


「じゃあ、パパ!」

「た・だ・し! 条件がある」

「条件!? 娘がパパに添い寝してもらうだけなのに条件があるの!?」


 そんなの聞いたことないの! と驚愕半分不満半分で目を見開くミュウ。


 だがしかし、ここはパパとして譲れない。最近の忙しさも合わせて、子供のミュウとでは就寝時間が合わないというのは嘘ではないが、もう一つ、娘を想う父親として最近のミュウの言動には苦言を呈さねばならないことがあるのだ。


 ちょうど支度を終えたユエとシア、ティオがなんだなんだと目を丸くしながらリビングに入ってくる。


 舌の痛みに涙目になっている愁が、ユエに再生魔法をかけられつつ事情をさらっと説明。


 朝から勃発している父娘の交渉事に、微笑ましげな表情になりつつダイニングテーブルに座っていく。いつも通り見守る姿勢だ。


「その1」

「その1!? 一つじゃない!?」

「服を脱がない」

「ユエお姉ちゃんは絶対に脱ぐのに!」

「……ん!? ミュ、ミュウ? 絶対というのは語弊が……あると……」

「その2、やたらとキスしようとしない」

「ユエお姉ちゃんは〝てぃーぴーおー〟も無視してキスしてるのに!」

「……ふぐっ。く、空気読まなくてごめんなさい」

「その3、やたらとませた言葉を――いや、面倒だな。もう、これだけ守れ。――ユエの真似をしない!」

「ハジメ!?」


 ユエがバッとハジメを見た。しかし、娘の教育に真剣なハジメパパは見向きもしない。ショック。これではまるで、青少年保護上の有害図書の如き扱いだ。


「うぅ、で、でもパパ……ミュウは娘だけど……パパのお嫁さんにもなりたいし……」

「くっ、智一さん、こんな良い子なミュウでも反抗期は来るんでしょうか? その時、俺は耐えられるんでしょうか?」


 父親が娘に言われて嬉しい言葉のトップスリーには確実に入るだろうそれに、ハジメは感じ入ったように瞑目する。が、同時に、ハジメが土産に持って行った日本酒を浴びるように飲みながら、ありし日の小さな香織の思い出を語る智一の姿が思い出され、自分もいつか通る道なのかと恐れおののく。


 何はともあれ、ここは父親としてしっかり向き合わねばならない。ハジメはキリッと真面目な顔つきになった。


「パパは、ミュウに健全な女の子に育ってほしい」

「……ねぇ、ハジメ。それは私が健全ではないという意味? ねぇ、ハジメ。ねぇってばぁ」


 そういう意味だろ。とシアとティオは思った。健全どころかエロスの権化でしょ、と。


 袖をくいくい引っ張っているユエをチラッと見つつ、ミュウは唇を尖らせた。


「ユエお姉ちゃん達ばっかりずるいの……」


 昨日だってパパは一人で寝るって言ったのに突撃しているし、と実に子供っぽく拗ねるミュウ。


 ハジメ的には逆に、そういう子供っぽい部分を見せてくれると安心するというかほっこりするというか。


 なんだかんだで地球に移住してからも普通とはほど遠い出来事がたくさんあった。経験は子供を否が応でも成長させる。ただでさえ同年代の子より精神的に成長しているミュウだから、わがままは歓迎したいところだった。たとえ親バカと言われようと。


 それはユエ達も同じなのだろう。


「……ごめんなさい、ミュウ。お姉ちゃん達がずるかった」

「ごめんなさい、ミュウちゃん。でも、一応、理由はあるんですよ? 最近、ハジメさん眠りが浅いようで。誰かが傍にいると深く眠れるみたいなんです」

「頻繁に目が覚めてしまうみたいじゃな」

「え……そうなの、パパ」


 実はそうだった。少し前から夜中や明け方に何度か目が覚めるのだ。もちろん、そう深刻なものではなく朝までぐっすりという日もあるので、特に寝不足に陥っているということはないのだが。


「ああ、実はな」

「だ、大丈夫なの?」


 心配そうに身を乗り出してくるミュウの頭をぽんぽんしつつ、ハジメはからりと笑って見せた。


「おう、まったく問題ない。たぶん、王樹復活が世界に与える影響に、まだ無意識レベルで気を張っているんだろうな。氣力を掌握しているとはいえ、未だにいつどこでどんなことが起きるか分からないからな……」


 妖精界の崩壊を防ぐために必要だったとはいえ、王樹復活から波及した数々の事件には、流石のハジメも余裕ではいられなかった。


 特に、浩介が現代最強の少女陰陽師たる藤原陽晴(ひなた)と出会うことになった事件――最終的には〝日本そのものが龍の妖魔〟だったという衝撃的な事実が判明した事件は、日本崩壊どころか世界滅亡の危機ですらあったのだから。


 そんな超常的力や現象の実在が国家レベルで認識され始めた今の世界は、まさに過渡期というべき状況。


 あれから数ヶ月。


 状況が落ち着くなんてとんでもない。むしろ、各国も民間も水面下で刻一刻と火花を大きくしている。


 星の力は掌握していても、個々人が覚醒した力まで管理しているわけではないのだからさもありなん。


 ハジメ自身も、世界への影響の監視や対応、龍脈や龍穴を筆頭としたパワースポットの調査や保護、世界各地の目覚めかねない伝承の調査、急成長させてしまった〝箱庭〟の調整やらなんやら。


 何より、〝龍〟が再び起きるような事態だけは万が一にも避けなければならない。氣力の管理と掌握に関しては、より確固たるものにする必要があった。


 もちろん、頼りになる仲間や信頼関係を結んだ他国の組織とも協力してやってはいるが……まだまだ当分の間は、目の回るような忙しさが続きそうだった。


「服部さん達も忙しそうだもんな?」


 そろそろ朝食が出来上がりそうな気配を感じてか、同じくダイニングテーブルの方に移動してきた愁が言う通り。


「ああ。超常現象への対応に先んじた日本と中国、それに俺達と密接な関係のある英国とバチカン以外の国も、組織作りや対応策に熱を上げているからな」


 大陸の呪術集団〝影法師〟とは一応の協力関係を築けたが、それとて国益を前提としたものだ。英国やバチカンほど密接な信頼関係はなく、これからの外交にかかってくる。


 そして、超常現象への対応という分野において、この四カ国に圧倒的なアドバンテージを許してしまっている他国の焦りたるや想像に難くない。


 外交は政府に任せるべき領域といえど、裏の世界から伸び来る他国の手には服部達が対応せねばならないのだ。


 今や、服部さんの胃薬を飲む速度は西部劇のガンマンもかくやというレベル。量はガトリングの如く。浩介曰く、そのうち音を置き去りにするかもしれないとかなんとか。


 見かねたハジメは、つい最近からだがエミリー監修の異世界製胃薬を定期便で帰還者対応課に納品している。


 それを最初に浩介から受け取った時、服部さんは地獄で仏でも見たような雰囲気で「私達、薬仲間ですね?」と、それはそれは嬉しそうにくたびれた表情で笑ったそうだ。


 アウラロッドとも気が合いそうである。


 閑話休題。


「もう、あれじゃな。帰還者対応課というのも一種の隠れ蓑じゃろ。本命は内部の機密部署として同時に創設された〝超常事案対応室〟……じゃったか? あっちじゃろ?」

「土御門の人達――陰陽師の方々の部署ですね」

「……ん。みんな正式名称は無視して〝陰陽寮〟って呼ぶみたいだけど」

「ヒナちゃんも忙しそうなの。せっかくお友達になれたのに中々遊べないの」


 しょんぼりするミュウ。地球で出来た初めての、歳の近い裏の世界を知る友達というのもあって、ミュウと陽晴の二人はすっかり意気投合していたのだが……


 現代最強の少女陰陽師に暇はないらしい。まして、日本限定ながら稲荷神社を介せば自前で転移までできるのだ。彼女自身、使命感溢れる性格であるから、〝箱庭〟で遊んで以降、直接会って遊ぶなんてことはお預け状態だった。


 友達に会えない寂しさと、パパの状態への心配でしょんぼりするミュウ。それを横目に、雰囲気を変えるように勢いよく湯飲みを傾けた愁が確認してくる。


「卒業パーティー、そっちは園部さんのとこの店でやるんだったか?」

「ああ。父さん達も来たらいいのに」

「卒業パーティーは卒業生でやるもんだ。保護者同伴なんてありえんだろ」

「……ふふ、お義父様。それ、普通は子供の方が言うセリフでは?」

「理解のある父親だろう、ユエちゃん。こんな良い父親なのに、息子は娘の相談をよその父親にするんだ。酷いと思わないかい?」

「根に持つなよ……」


 卒業式の後、ハジメ達は優花の実家兼店である〝ウィステリア〟に集まって卒業パーティーをする予定だった。


 もっとも、参加者は愁の言う通り卒業生だけ……というわけでもない。ミュウとレミア、それにティオも参加予定なのは当然、浩介経由で陽晴やラナ達を筆頭に知らぬ仲ではない者達を幾人か招待している。


 保護者達も今日の卒業式には参列する予定なのだが、親は親同士で八重樫家に集まって宴会するらしい。


 子供達が行方不明中は、捜索のために立ち上げた〝家族会〟を通して協力し合い、支え合っていた仲だ。愁や菫達も、無事に子供達が卒業できたことを親同士で喜び合いたいのだろう。


「まぁ、とにかくだ、ミュウ。俺は大丈夫だから、今日は久しぶりに陽晴とも会えるんだし、気にせず楽しめよ?」

「はい、パパ。大変なのにわがまましてごめんなさい」

「だから気にするなって。パパこそ、最近は確かに寂しい思いさせてたな。悪かったよ。今日は一緒に寝るか」

「いいの?」

「おう。ユエの真似はせずにな」

「ユエお姉ちゃんの真似はせずに! これからはヒナちゃんをお手本にするの! 『今は自分を磨くのです。いつか振り向いていただけるように』って言ってたヒナちゃん、すっごく可愛かったの。目指せ、大和撫子! なの!」


 今度こそパァッと表情を輝かせるミュウ。ユエが「ねぇ、ミュウ。ユエお姉ちゃんはもうお手本じゃないってこと? クビなの? お手本クビなの? ねぇ、ねぇってば」と手を伸ばすが、その手は空気を読んだシアが優しい表情でガッと握り締めて止めた。


「パパ。ママも一緒!」

「あ~、まぁ、レミアがいいなら、な?」


 ちょうど全員分のお茶をお盆に載せてキッチンから出てきたレミアと目が合う。聞こえていたのだろう。ほわほわ笑顔でこくりと頷いた。少しばかり耳の先が赤い。


 なんとなく、レミアも日本に移住した当時に比べ、ミュウと同じく、ハジメに対する言動や雰囲気が変わってきたような気がしないでもない。以前の大人の余裕を感じる「あらあらうふふ」的な本心の分かりづらい雰囲気が鳴りを潜め、素で照れたり一喜一憂したり。


 トータスではハジメと接する時間が最も短かったレミアだが、別世界への移住にも慣れ、服飾のデザインというやりがいを感じる仕事も手にして、そのうえで一緒に生活してきたことで心情的にいろいろ変わってきたのかもしれない。


「はいはい、レミアちゃん。イチャイチャしてないで運んで運んで。朝ごはん、冷めちゃうわよ」

「あらあら、すみません。お義母さん」

「あ、私も手伝いますよ~」

「ミュウもお手伝いする~」


 炊きたての白米に、皮がパリッパリの焼き鮭、卵焼きにサラダ、そして味噌汁。菫がパタパタとスリッパを鳴らして配膳していく。


 オーソドックスながら丁寧に作られたと一目で分かる美味しそうな朝食だ。シアとミュウも手伝えば、あっという間に朝食の席は良い香りに包まれた。


「ありがと、母さん。レミアも。ってか母さんが作るとか珍しいな?」

「まぁ、今日みたいな日はね?」


 朝が弱く、完全に夜型の菫である。普段はシアやレミアに朝食作りを任せているが、息子達の卒業式の日となれば、やはりじっとはしていられなかったようだ。


「……ふふ、ありがとうございます、お義母様」

「義母様、感謝です!」

「どういたしまして。それにしても、ユエちゃんとシアちゃんの制服姿も今日で見納めねぇ。残念……いえ、普通にコスプレすればいいわね?」

「そうだぞ、菫。俺達の時もそうだった」

「やめてくれよ! 朝っぱらから親のアブノーマルな思い出話とか!」

「お義母様、それ詳しく」

「聞くな! だからミュウのお手本をクビになるんだぞ、ユエ!」

「!!?」


 卒業式の朝という特別な日も、南雲家はいつも通りの賑やかさだった。















「イィイイイヤァアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ッッ」


 ハジメ達の母校に、そしてこのめでたき日に、事件性バリバリの悲鳴が木霊していた。


 殺戮現場を見た乙女みたいな悲鳴である。いや、むしろ地獄から這い出た悪魔の絶叫というべきだろうか。思わず誰もが何事かと注目してしまう。


 が、直ぐに苦笑と共に視線を逸らした。


 それもそのはず。悲鳴の事件性はともかく、それは卒業式ではありふれた光景――といえなくもない、かもしれない……いや、ちょっとやり過ぎというか大袈裟すぎるかもしれないが……とにかく、あり得る光景だったから。


「おねえぇええさまぁああああっ、お願いだから留年してぇえええええっ!!」

「なんてこと言うのよ、この子は」


 ツインテがぶるんっぶるんっと荒ぶっている。顔は涙と鼻水でぐっしゃぐしゃ。女子高生がしてはいけない顔を恥ずかしげもなくさらし、愛しのお姉様の綺麗なおみ足に縋り付いている。


 こわい。もはや妖怪と言われても納得しそうな悲観っぷりだ。


 言わずもがな、ソウルシスターズの中でも特に抜きんでた〝お姉様フリーク〟――後輩ちゃんである。


 留年するまで死んでも離さないと言いたげに、雫をガッチリホールドしている。時々、流れるように自然な動きでおみ足にすりすりもする。雫お姉様は大変頭が痛そう。


 今は、無事に卒業式が終わり、講堂の外で在校生と卒業生、そして保護者や先生方が思い思いに語り合っている時間だ。


 雫の周りは、後輩ちゃんの荒ぶる様に少し引いているものの、それはそれは物凄い数の在校生(全員女子)で人垣ができている。


 鷲三や霧乃達も来ているのだが、娘の人気ぶりに近づけず、しかし、困った様子はない。むしろ、どこか嬉しそうに見守っている。


「いや、見てないで助けてほしいのだけど……」


 仕方なく、雫は香織を捜した。人垣で見えづらいが気配を探り……発見。


「うぉおおおおんっ、香織ぃ! よく、よく無事に卒業をっ、おめでとうぉおおおおおっ!! そしておめでとうぉおおおっ!! お父さんはっ、お父さんはぁっっ」

「もうっ、やめてよ、お父さん! 大袈裟だってば! 恥ずかしいよぉ!」


 荒ぶる智一お父さんに捕まっていた。あまりの号泣ぶりに周囲がドン引きしている。話しかけたそうな在校生達も遠巻きに苦笑気味だ。


 どうやら親友の助けは無理そうである。


 愛ちゃん先生は他の生徒や保護者と話しているし、優花達クラスメイトもそれぞれ友人達と写真を撮ったりして学校最後の思い出作りに忙しそうである。


「お姉様のいない学校にいったいなんの価値が!? 私はこれからどうすればいいんですかぁ!!」

「いや、普通に学校に通って卒業しなさいよ」

「暗黒の一年を黙って過ごせと? あんまりです!!」

「貴女の物言いがあんまりよ。見なさい、担任の先生の悲しそうな顔を。クラスメイト達もめちゃくちゃ微妙な顔してるわよ」


 いえ、大丈夫です。もう慣れてます。と言っているみたいに手をパタパタと振り返してくれる後輩ちゃんのクラスメイト達。これでクラスでも嫌われていないどころか浮いてもいないというのだから、コミュ力だけは凄いのかもしれない。


 まぁ、止めにこないところからすると、〝触るな危険! ちょっと離れて見守るのがベスト!〟みたいな扱いなのかもしれないが。


 と、その時、十人ほどの女子生徒達がソウルシスターズの人垣を搔き分けてくるという勇敢な行為を見せた。


「八重樫先輩すみません! この馬鹿は直ぐに回収しますので!」

「ご迷惑をおかけしました! それと改めて――」

「「「「「ご卒業、おめでとうございます!!」」」」」


 剣道部の後輩達だった。次の主将が率いる子達だ。彼女達もソウルシスターズだが、激しい競争を潜り抜けて剣道部員の座を射止めただけはある。面構えが違う。あと良識。


 張りのある声と美しい一礼には、雫も安堵と嬉しさを感じずにはいられない。自然と笑みが零れて、


「ありがとう。部活、頑張ってね? 必要ならいつでもお手伝いにくるから」

「「「「「っ、ありがとうございます!!」」」」」


 人垣の何割かがお姉様の純粋な笑顔にノックアウトされて倒れる中、剣道部の女子達は顔を赤くしつつも嬉しさ爆発といった様子で返礼した。


 そして、暴れる後輩ちゃんを簀巻きにし、猿ぐつわと目隠しをして、数人がかりで頭上に担ぎ、えっさほいさと離れていく。凄く手慣れている。誘拐組織からスカウトが来そうなくらい。


「さて、これでお父さん達とも話を――」

「お姉様! 第二ボタンをくださいっ」

「わがままを承知で申し上げます! どうか私に、そのおリボンを恵んでぇ!」

「身につけているものならなんでも!」

「なんなら下着を! むしろ下着を!」

「ちょっ!? 貴女達、落ち着きなさ――」


 雫の制止の声はキャーキャーという黄色い声に姿ごと飲まれて人垣の向こう側へ消えた。


 皆のお姉様が仲間や家族と話せるのは、まだ当分先らしかった。


「ありゃぁもうしばらく合流は無理だな」

「雫ちゃんの人気ぶりを舐めてたわねぇ。まぁ、ユエちゃんとシアちゃんも凄いけど」

「いいのか、ハジメ。あっちは男子もいっぱいいるぞ?」


 そんな様子を、少し離れた場所から見守っていた南雲一家。菫と愁が視線を転じれば、その先では在校生のみならず、別のクラスの卒業生に囲まれるユエとシアがいた。


 女子と男子半々といったところか。


 ユエはその美貌から知らぬ者はいないし、ハジメが絡まなければ元王族の気品すら漂わせるので、後輩達からすると憧れの存在だったようで。


 シアは部活の助っ人なんかをよくしていたのと、持ち前の天真爛漫な雰囲気と言動で慕う者が多かった。


「いや、挨拶くらいで口を出すほど束縛系じゃないぞ、俺は」


 実際、見た感じ一か八かのアプローチをしようという輩は……まぁ、スマホ片手にユエとシアの近くにスタンバイして、緊張の表情でハジメをチラ見している者がチラホラいるものの、わざわざ脅しに行くほどでもない。


「それに、最後の機会かもしれないしな。しつこくしなけりゃいいさ」

「まぁ、高校時代の繋がりが大人になっても続くなんて本当に一部だしねぇ」

「あたふたするハジメは見られないのか。それはそれで残念だな」


 ちなみに、ハジメのもとには在校生が一人も来なかった……なんてことはない。


 意外というかなんというか。どうやらリアルハーレム男として後輩男子達には密かに畏敬の念を抱かれていたらしい。


「オッス、兄貴ぃ!! ご卒業おめでとうございやすッッ!!」的な、頭にヤのつく自由業の方々みたいな挨拶をしてくる後輩男子が後を絶たなかったのだ。


 卒業後も男道の師事をしたいとかなんとか。連絡先の交換を願う後輩男子が、行儀良く列をなす様子は、それはそれでソウルシスターズの人垣並に異様な光景だった。


 面倒だったのでもちろん連絡先は教えてない。


 どうしても相談したいことがあれば愛子先生を頼れと丸投げしたが……


 密かにささやかれていた〝愛子先生も堕とされているのでは?〟という噂の信憑性が上がって、後輩男子達は「マジパねぇ。リスペクトが止まらねぇッス、先輩ッ」と余計に敬意を高めたようだった。


 そんな彼等に、すれ違う度にまるで頭にヤのつく自由業の姐さんにするような深い礼をされる愛子が困惑していたのは言うまでもない。


 と、その時、ハジメは捜していた人物を発見した。


「父さん、母さん。ちょっと行ってくる」


 ユエ達とはまったくの別方向。先程まで卒業式をしていた講堂に戻るように歩き出したハジメに、愁と菫が首を傾げる。


「ん? どこに行くんだ? 愛ちゃんや他の保護者の方々とは一通り挨拶したと思うが」

「写真も撮ったでしょ? 雫ちゃんと香織ちゃんはまだだけど……ほら、優花ちゃんがこっちをチラチラ見だしたわよ。写真はさっき撮ったし、そろそろ合流したいんじゃない?」


 なお、優花ちゃんはちゃっかりハジメとのツーショット写真を手に入れていたりする。もちろん、奈々と妙子の連携のたまものだ。式が終了し講堂を出た直後、ソウルシスターズの波が雫を襲い、在校生がユエ達に群がる混乱に乗じての早業だった。


 もっとも、二人に流されてというだけではなく、


――な、南雲! せっかくだし……一緒に撮らない? あ・く・ま・で! 記念に!


 と、顔を真っ赤にして、そっぽを向きながらではあるが珍しく素直な一面も見せていた。「「おぉ~」」と拍手しながら茶化す奈々と妙子には当然、撮影後にぷんすかと怒りをぶつけにいったが。


 それでもたぶん、奈々と妙子は後で香織にチクるだろう。香織に良い笑顔で問い詰められて必死に言い訳する優花は可愛いだろうから。


 友情万歳。


「いや、まだ挨拶していない先生がいるんだ。随分と遅い登場だけど、まぁ、あの人のことだ。生徒の自分に対する印象を考慮して空気を読んだんだろう」

「? そんな先生が……」

「ああ、なるほど」


 ハジメの言葉に少なくない感謝と敬意が感じられて意外に思う愁と菫だったが、講堂の出入り口の傍で、いつの間にか静かに卒業生を眺めていた人物を見て納得の表情になった。頷き合い、少し距離を置いてハジメの後に続く。


 その人物は、近づいてくるハジメを見て殊更にムスッと不機嫌そうな表情になった。


「何か用かね、南雲君」

「ご挨拶に――教頭先生」


 そう、不自然なくらい艶やかな黒髪ヅラがトレードマーク(?)の教頭先生だ。


 教頭先生は、ハジメの苦笑気味の言葉に少し意外そうな表情になるも、直ぐにデフォルトの万年不機嫌顔へと戻った。


「律儀なことだ。そこに自重が加われば、私はもう少し楽ができたのだろうがな。君は、私の教師人生において最も胃を痛めた生徒だったよ」


 嫌みたっぷりの口調も健在だ。一周回っておかしさが込み上げてくる。これはこれで、この先生の個性と思えているからだろう。


 そして、そう思えるのは……


「いろいろと面倒をかけてすみませんでした」

「ふんっ。それが教師の仕事だよ、南雲君。謝罪などいらん。……それに、君達がどんな事情を抱えていたのか、あるいは今も抱えているのか知らないが、私達が何かしなくとも、自分達でどうにでもできたのだろう」

「なぜそう思うんですか?」

「毎日、顔を見ていれば分かる。あのような事件に巻き込まれても、君達は楽しそうに笑えていたではないか。教師に頼らずとも憂いなく過ごせていた証拠だろう」

「なるほど……」

「とはいえ、だ。君のクラスは、君を精神的支柱として成り立っていた。これからは別々の道に進み、毎日顔を合わせるということもなくなる。……しっかりしたまえよ。君は人間関係に少しドライなところがあるが、自分を頼る友を見捨てることだけはないように!」


 これだ。嫌みたっぷりなのに、言葉の内容はよく生徒を理解した上での確かな〝教え〟なのだ。学校で一番嫌われていそうな先生なのに、言葉の端々に本当によく生徒のことを見ているのが分かるのである。


 だから、ハジメは最後にきちんと挨拶がしたかったのだ。


「教頭先生――ありがとうございました」

「……」


 深々と頭を下げるハジメに、教頭先生が少し驚いた気配が伝わってくる。


「本当に、前例のない対応ばかり強いられてめちゃくちゃ心労をおかけしたと思います。確かに、自分達だけでもどうにでもできたかもしれません。けれど、俺達が学校に戻れるよう、そして戻ってからも、教頭先生がずっと対応の指揮を執り続けてくださったのは事実で、そのおかげで俺達がまともな学生生活を送れたのもまた事実です。だから――」


――本当にありがとうございました。


 改めて、綺麗な一礼と共に告げられた感謝の言葉。それは、本当に心からのものと分かる強い感情が込められた言葉だった。


 少しの間、ここだけ時間が切り取られたような静けさが感じられた。


「……顔をあげなさい」


 一礼の姿勢を戻すハジメ。正面から見た教頭先生は相も変わらずしかめっ面だったが……


「君達の活躍を期待しているよ、南雲君。――卒業、おめでとう」


 そう言葉を贈った僅かな間だけは、教頭先生の表情は優しく綻んでいた。


 愁と菫が続いて挨拶とお礼を口にし、南雲一家が離れていくのを見送る教頭先生。


「で、何か用かね、畑山先生」


 実はハジメと教頭先生が対面しているのを見て、なんとなく近くに寄ってきていた愛子に不意打ちで声がかけられる。


 覗き見を咎められた気分になって一瞬ビクッとする愛子。


 だが、教頭先生は既にしかめっ面に戻っているものの、なんとなく肩の荷が下りたような雰囲気で、いつもよりずっと声をかけやすく感じる。なので、ついいつもより砕けた感じで話しかけた。


「いえ、用というわけでは。ただ、先程の柔らかい表情の方が、生徒達からもあまり誤解されないだろうにと、ちょっと思いまして」

「誤解も何も、私は説教くさくて鬱陶しい嫌な先生だ」

「えぇ? 自覚あったんですか!?」

「自分で言っておいてなんだが……随分と言うようになったものだね、畑山先生。以前に比べ神経が太くなったというか……」

「す、すみません。でもでも、せめて表情だけでもにこやかにすれば生徒達ももっと先生を慕うのにと思って……」

「そんなものは求めていない。人は良い思い出より悪い思い出の方が残りやすいのだ。昔を振り返った時、そう言えばあの先生本当に鬱陶しかったね、あんなことばかり言って――と思い出してくれれば十分なのだよ。それで、でもまぁ大事な話だったな、と思ってくれれば教師冥利に尽きるというものだ」

「う~ん……でも、どうせなら〝良い先生との思い出〟の方が良くないですか? というか必要だと思います!」

「何を言ってるのだね」


 感慨深そうに談笑する卒業生や保護者達、そして在校生を眺めていた教頭先生は、そこでようやく愛子へと視線を移した。


「それこそ、君のような先生の役目だろう」

「え?」

「生徒は十人十色。ならば教師もまたしかり。そうでなければ」


 ぽかんっと口を開けてしまう愛子。その間の抜けた表情にふんっと鼻を鳴らしつつ、教頭先生は踵を返した。残っている仕事を片付けに行くのだろう。


「何をしているのだね。どうせ、後で卒業パーティーにでも参加するつもりなのだろう? さっさとやるべきことをやりたまえ。間に合わなくても私は知らんぞ」


 話した覚えはないが、やっぱり見抜かれているらしい。


 以前から、畑山先生は生徒との距離が近すぎると苦言を呈されていたが、無事にハジメ達が卒業したことで、愛子の教師としてのスタンスも含め、少しは一人の教師として認められたのかもしれない。


 愛子は表情を改め、両手でパンパンッと頬を叩いた。ハジメ達が卒業しても、愛子の教師人生は続くのだ。来年は新しいクラスを受け持つ。いつまでも寂しがっていてはいけない。気持ちを切り替えねば、と。


 そして、改めて激動と言っても過言ではないハジメ達の学生生活を支えた〝教師の大先輩〟の背中を見て、愛子は思わず叫んだ。


「カツーラ先生!」

「誰がカツラだ! 私の名前は和浦(かずうら)だぞぉ!! わざとか!? わざとなのか!?」

「すみません、噛みました! そんなことより!」

「そんなことより!?」

「私、教頭先生のこと尊敬してます! これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!! 先生のことずっと見てますから!!」

「んんっ、き、君はまたそういうことをっ」


 数々のアンジャッシュ的なすれ違い会話から生まれた――私は畑山先生に狙われている(意味深)のでは?――というあり得ない誤解は未だ解けず。


 なぜか、その真実だけは見抜けない教頭先生と、誤解の存在自体に気が付かない畑山先生のすれ違いは、きっとたぶん……


「これからも続くんだろうなぁ」


 後ろの方から聞こえてきた愛子の声に、ハジメはくすりと笑い声を漏らした。


「なら真実を教えてあげればいいだろ」

「バカね、あなた。こんな奇跡的なすれ違いを解消するなんてとんでもない。愛ちゃんが遊びにくる度に聞かせてもらわなきゃ。値千金のネタよ!」

「なるほど。確かに」


 なんて南雲夫妻のやり取りを聞けば、智一さん辺りは「教頭先生に感謝してたんじゃないのか!? これだから南雲一家はっ」と怒鳴られそうである。


「さて、そろそろ腹も空いてきたし、切り上げて店に行ってもいいと思うんだが……」


 とクラスメイト達に視線を巡らせるハジメ。その時だった。


「おいっ、南雲! まだ行かねぇのかよ!」

「つか、俺達もう先に行くぞ!」

「あん?」


 唐突に響いた苛立ちに満ちた声音が二つ。肩越しに振り返れば、そこには信治と良樹の姿が。見るからにイライラしている。


「ああ、ちょうど俺もそう思っていたところだ。けど、先に行っても店には入れないぞ? 園部のご両親は八重樫家に直行だ。店の鍵は園部が持ってる」

「くそっ、こんな地獄にまだいろってのか」

「いったいどうしたよ。卒業式には相応しくない言葉だな?」

「うるせぇ! 見ろ、俺を!」


 信治がビッと指を差す。制服の第二ボタンの位置だ。しっかりとボタンは止まっている。


「実はいつも陰から俺を見ていたかわいい後輩女子なんて存在も、実は密かに俺を思っていた同級生もいやしねぇ!! 予備の第二ボタンを予備の予備の予備まで用意しておいたのに!」

「いや、それはもはや第二ボタンとは呼ばない――」

「第二ボタンを求められるなんて幻想だったんだ……あんなの漫画の世界だけなんだよ! ちくしょうが!!」

「お、お前等ほんとブレねぇな……」


 なお、中野家と斉藤家のご両親は先程、愁と菫、そしてハジメに挨拶をして一足先に八重樫家に向かった。たぶん、必死に〝第二ボタンを求める幻の女の子〟を求める息子達を、もう見ていられなかったのだろう。どこか遠い目をしていたから。


 と、そこで、信治の目がツイッとハジメの第二ボタンに向いた。


 ある。


 途端にニマァッと邪悪な笑みを浮べる恋愛に飢えたモンスター。


「へ、へぇ? なんだよ、南雲。お前もなんだかんだ言って誰も――」

「ちょっと先輩! 聞きましたよ! 剣道部の仲間を差し向けたのは先輩らしいですね! 私とお姉様の大切な時間を邪魔するなんて許すまじ!」


 ぷんすかとリスのように頬を膨らませて飛び込んできた後輩ちゃんの姿に、信治と良樹の表情がスンッとなる。


「なんだお前、解放されたのか? 俺等が帰るまで体育倉庫にでも監禁しておけって言っておいたのに」

「ハンッ。日々、南雲先輩と互角の戦いを繰り広げる私が、今更あの程度の拘束を抜け出せないとでも?」

「いや、遠目にも見事なくらい完璧な拘束だったと思うが……」

「あんなのぬるっと一発ですよ」

「擬音、おかしくない? お前、本当に人類?」

「先輩にだけは言われたくないです」


 なんて卒業式とは思えないくらい普段通りのやり取りをしつつ、しかし、ハジメと雫以外には割と礼儀正しい後輩ちゃんは、きちんと愁と菫にもぺこりとご挨拶。


 例のクリスマスの件――バスガイドさんやウサミミメイド先輩と共に巻き込まれた、なんか冒涜的な事件――で南雲家を訪れたことがあるので面識はある。


 が、単に面識がある以上に愁と菫の後輩ちゃんを見る目は優しい。というか、生温かい。


 だからだろうか?


「いつもうちの息子がごめんなさいね? ぜひ卒業後も遊んであげてね?」

「い、いえ、遊んでいたわけでは……」

「卒業後も遠慮無く家に遊びに来てくれていいからね」

「あ、あの、ですから遊びではなく、これはお姉様をかけた尋常ならざる戦いでして……」

「「うんうん、そうだね」」

「……」


 にっくき先輩の両親でありながら、後輩ちゃんは二人を前にすると物凄く居心地が悪そうだ。もじもじ、そわそわ。


 視界の端に、そんな後輩ちゃんの様子を感情の消えた表情でジッと見てくる信治と良樹が映っている。すごく不気味だ。神経の太さが丸太くらいある後輩ちゃんでも、流石に気になるらしい。


「あ、あの、先輩。あの人達……」

「気にしないでやってくれ。第二ボタンに幻想を抱いた悲しき獣なんだ」


 信治と良樹の目がクワッと見開かれる。ビクッとする後輩ちゃん。だが、特に逃げ出すことはなく、「第二ボタン……」と呟きながら何気なく視線をハジメの制服へと向けた。


「へ、へぇ。先輩の第二ボタン欲しがる子、いなかったんですか。まぁ、当然ですね! こんな鬼畜先輩が慕われるわけありませんからね!」

「いや、めちゃくちゃ求められたが全員男子だったんでな。流石になんか嫌だな、と」

「な、なるほど……」


 なんとも言えない表情のハジメに、後輩ちゃんもなんとも言えない表情に――かと思えば、何やらそわそわし始める。トレードマークのツインテを指先でくるくる。


 信治と良樹の目つきが人殺しのそれに近づいてきた。反比例するように愁と菫の眼差しは生温くなっていく。


「まったく、仕方ありませんね。ええ、ええ。本当は嫌ですけど? 仮にも雫お姉様の恋人ともあろう者がこの有様では、お姉様の評判に傷が付くというもの。ええ、ですから仕方なく、本当に仕方なくですが……わ、私が貰ってあげてもいいですよ」

「いや、やらんが?」

「……」


 スーンという感じの空気が流れた。後輩ちゃん、まさか断られるとは思わなかったのかお目々をパチパチしつつハジメを凝視している。


「……ふふ、おっかしぃ~。先輩、照れてるんですかぁ? 私はなんとも思ってないのに。ほら、さっさと渡してください。ソウルシスターズとして恥ずべき行為ですが、我慢してあげます。寂しい卒業式にしないために、これは私の慈悲ですよ? さぁ、感謝にむせび泣きながら差し出して――」

「いや、だからやらんて」

「……」


 再び止まる時間。後輩ちゃんとハジメの目ががっちり合う。意地悪の類いではなく、ハジメさん、本気で渡す気がないらしい。


 一拍。


「っ、ッッ、なぁんでですかぁああああっ!!!」

「声がでけぇ――ってやめろバカ。掴みかかってくんな」

「バカは先輩ですよぉ! どうせ渡す相手いないんでしょ!? この私が貰ってあげると言ってるのに何を拒否ってるんですか! ふざけんなぁ!!」

「いやだって……お前、成り行きで媚薬とか手に入れるわけわからん奴だし……第二ボタンを媒介に呪いとかかけてきそうだし……」

「呪いってなんですか!?」


 やたらめったら事件や騒動に遭遇する日常冒険系女子高生である。陰陽師やら呪術が実在するようになってしまった世の中では、成り行きで呪術とか習得しそうで怖いのだ。ハジメに対してだけは一切の遠慮なく攻撃してくるので尚更。


「ええいっ、呪いだのなんだのわけのわからんことを! いいから黙ってボタンを寄こせぇえええっ」

「寄こせってなんだ。上から目線が一瞬で崩壊したぞ」

「先輩に断られるとか私のプライド的に耐えられないっ」

「知らんがな」


 プロレスで言うところの手四つ状態で組み合うハジメと後輩ちゃん。ぬるりとした動きで手を振りほどき、


「ウサ先輩直伝スクリュー○イト!!!」


 某アメフト漫画の技を繰り出す。こう、回転しながら相手のボールを奪うあれだ。アキバのメイド喫茶にお勤めの、超人ウサミミメイド先輩の得意技である。


「やめろというに」

「アッ」


 顔面鷲掴みで止められる。後輩ちゃんの伸びた片手の指先が惜しいところでハジメの第二ボタンを掠っている。貰ってあげる、という上から目線にしては随分と必死だ。


 そんなハジメと後輩ちゃんの攻防を――


「「……」」

「青春だなぁ」

「良いわ、非常に良いわ! やっぱりあの子はネタの源泉ね!」


 形容しがたい冒涜的なものになりつつある目で見つめる信治と良樹。南雲夫妻の目は青春映画でも見ているみたいにキラキラだ。というかスミレ先生がスマホの動画機能でネタ用の記録を取り始めている。


「うぅっ、うーーーっ!!」

「なんでちょっと泣きそうなんだよ。……はぁ、分かった分かった」

「う?」


 後輩ちゃんをぺいっと引き剥がし、人語を完全に忘れる前に第二ボタンを千切って投げ渡すハジメ。


「あ……」


 咄嗟にキャッチした後輩ちゃんは、手の中のボタンをぽけっと見つめた。


 いつの間にか、思い出作りや後輩達の相手を切り上げてきたユエ達が少し離れた場所に集まってきているのを確認して、ハジメはそちらに足を向けつつ、


「縁が切れるわけでもあるまいし、そんなのなくても後輩はずっと後輩だろう」


 と苦笑を浮かべた。途端に、我を取り戻したみたいにキッとハジメを睨む後輩ちゃん。


「……べ、別にそういうつもりで欲しかったわけじゃないですぅ! 自惚れないでください! あくまで、可哀想な先輩のために貰ってあげたんですからね! お礼はどうしたんですか! ほらほらぁっ」

「はいはい、ありがとよ。くれぐれもいたずらには使うなよ?」

「ふんっ、貰った以上はどうしようが私の自由です~~~!」


 後輩ちゃんも周囲の状況に気が付いたらしい。特にソウルシスターズや自分のクラスメイト達の生温かい眼差しに。


 耳の先をほんのり赤く染めて、いつもの如く逃げるように走り去っていく。が、少し先で振り返ったかと思うと、後輩ちゃんは、


「ご卒業、おめでとうございまっす!!」


 そう、しっかりと後輩らしい言葉を贈ったのだった。ただし、思いっきりあっかんべーをしながら。


 自分達の特異な事情を抱えるクラスに最も遠慮無く突撃をかましては、騒々しくも楽しい時間を最も多くくれた後輩ちゃん。


 最後まで騒々しいその姿に、ハジメのみならずクラスメイトの誰もが満面の笑みを零さずにはいられなかった。


 ただし、


「なぁ、南雲。俺達に現実を突きつけて楽しい? お前には人の心がないんか?」

「信治、こうなったらパーティーであいつが食う飯にガムでも仕込んでやろうぜ」


 二人の恋愛に飢えたモンスター以外は。



まず、まだ読んでくださっている方々に心から感謝を。ありがとうございます。長くお待たせしてすみませんでした。


プロットが破綻したのち作り直しも上手くいかず心が折れ、一度書くことから離れていました。魔法学校に入学してアバタしたり、ハイリアで厄災ムーブしているうちに意欲が復活したので、プロットは未だ作りきれていませんがとにかく書きたいと思います。

元々アフターは時系列も気にせず書きたい話を書き殴るスタンスなので、きっと今回も書き始めればなんとかなる……なればいいな、なれ。という心情です。

最後までこんな白米で申し訳ないですが、ありふれた最終章、一緒に楽しんでいただければ嬉しいです。

どうぞ、よろしくお願いします!



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― 新着の感想 ―
優花ほんとすこCV富田美憂さんってとこも含めお気に入りのキャラや
嘘だ!最終章だなんて!!まだもっと読みたいよ!! ちょっと泣いてくる………
先輩と結婚すればお姉さまと家族になれるとか言い訳しながら迫ってくる後輩ちゃんの未来が幻視できる。
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