トータス旅行記56 確率なんて信じない!
グリューエン大火山の山頂の一角、大迷宮の入り口の前に転移したハジメ達。第一声は、闇落ちしかけたミュウからだった。
「わぁ! すごいの! お空が丸いの!」
レミアに抱っこされたまま、空を掴もうとするみたいに元気いっぱいに万歳する姿に、全員ほっと胸を撫で下ろす。
そして、改めて渦巻く巨大砂嵐に囲まれた内部空間と、見上げれば円形に穴を開けたような空が見えて歓声をあげた。
「山頂にしては随分と……面積が広いな。もしかしてエアーズロックのような台形タイプの山なのか?」
虎一が周囲を見渡しながら尋ねる。
今回のように登山せずに山頂へ来てしまえば、確かにここが山の頂上とは分からないだろう。一見する程度では、蒸気を噴き出し、あるいは溶岩を垂れ流す大地にしか見えない。縁まで凄まじく遠いのだ。
ハジメが首肯しつつ、その更に数倍の大きさだと伝えると、そこにもまた感嘆の声が広がった。
「ユエ、攻略の証で溶岩の噴出とか魔物を避けられないかやってみるけど、万が一に備えて常時結界を頼む」
「……ん!」
「今回は過去再生の役目、ティオがやってくれ。香織も、万が一に備えて直ぐに治療できるよう備えておいてほしい」
「なるほど。承知した」
「そうだね、その方がいいかも」
なんて指示を出しつつ、ハジメ自身もクロスヴェルトを数機召喚し、シアや雫、愛子達に親達を囲うよう指示を出した。
大人しく中心に集まりつつも、鷲三が訝しそうに尋ねる。
「ハジメ君、他の大迷宮に比べて随分と物々しいのだな? それほど危険なのか?」
「危険度という意味では、他とあまり変わりません。ただ、この大迷宮は一度、噴火で吹っ飛んでいるもので」
「お、おいおい。いつ噴火するか分からない場所ということかい!?」
それは流石に見学が躊躇われる……と智一が顔色を青ざめさせる。薫子達も不安がわき上がったようで、大迷宮の入り口を恐ろしげに見つめ始めた。
それに苦笑しつつ、ハジメは首を振った。
「この大迷宮には火山の噴火を抑える〝要石〟ってのがあるんですが、俺達が攻略した時、待ち伏せていたフリード・バグアーがそれを破壊したんですよ」
「……ハジメに勝てないからって大迷宮諸共吹っ飛ばそうとした」
当時を思い出したのか不機嫌そうに唇を尖らせるユエを宥めつつ、シアが説明を引き継ぐ。
「それでも流石は大迷宮というべきか、要石も含めて徐々に自己修復できるようで、私達が日本に旅立つ前の頃合いでもかなり修復は進んでいたんです」
鷲三が納得したように頷く。
「なるほど。修復の程度によっては攻略の証が効力を発揮しないかもしれないと」
「ええ。あるいは内部構造も変化している可能性だってありますから、見学するなら警戒しておくに越したことはないかな、と」
「とはいえ、それほど心配することはなかろう? 妾達が挑んだ時と違い、この大迷宮最大の厄介な点――暑さによる消耗は、ご主人様のアーティファクトで完全に避けられておる」
魔物も奇襲も、もはや大した脅威ではないと胸を張って言うティオに、ハジメは確信に満ちた表情で頷く。ユエ達も揃って自信満々に頷けば、それで智一達の不安も消えたようだ。
「ま、修復がまだ全然終わっていなくて、そもそも先に進めないという可能性もありますが、その場合は大人しくゼンゲン公の招待を受けるということで」
そうまとめて、更に結界からは絶対に出ないこと、気温調整のアーティファクトも外さないことなど諸注意をした上で、ハジメは一行を内部へと誘った。
「うわっ、すごい! マグマが宙を流れてる!」
「ほ、ほんとだわ。話には聞いていたけれど、実際に見るととんでもない光景ね」
「みゅ……こわいけど、きれい、きれいだけどこわい……不思議な感じなの」
「炎が持つ特有の美しさですね……」
火山の大迷宮特有の光景に、意外にもはしゃいだ声を上げたのは香織と雫だった。灼熱の輝きを放つマグマが川となって空中を流れる光景は、確かに二人をして驚かせるに十分だろう。
煌々とした赤い輝きが幾つもの支流を作って、ところどころでは滝となり、あるいは噴水のように噴き上がっては、また空中の水路ならぬマグマ路に合流して……
菫達は言わずもがな。ファンタジー世界の住人であるはずのリリアーナやミュウ、レミアでさえも、魅せられたように灼熱の世界を見つめている。
ティオが早速過去再生を発動し、うだるような暑さに早くもげんなりしている過去のハジメ達を映し出した。
「香織は、確かアンカジ公国に蔓延していた奇病を治療していて一緒に来てはいなかったのよね?」
「うん、そうだよ、お母さん」
「ああ、あれが例の静因石かい?」
智一が過去映像を指さす。ハジメ達が少量の鉱石を採取しているところだった。
「ええ。表層部分のは取り尽くされていたので、諦めて深部での大量採取を狙うことにしたんです」
七階層までは道を探すだけのシーンだ。内部構造が変化していなければ最短距離で行こうと、マグマの泉や噴出、立体の川を見学しながら先へ進む。
「ここまでは構造変化してないな」
「……ハジメ、攻略の証はどう?」
「狙ったかのようなマグマの噴出もないですけど?」
「おう、大丈夫みたいだ。ま、念のために警戒は続けておいてくれ」
どうやら、見学に支障はないらしい。実際に、魔物が出現する八階層まで問題なく下りることができた。そして、
「魔物が普通の動物じゃないのは分かっているのだけど……マグマの中に棲息しているところを見ると、それを物凄く実感するわね」
「こんな光景、本当なら死ぬまで見られないなぁ」
菫と愁の視線の先、かつて、火山で初めて遭遇しシアが倒したマグマ牛が、顔だけをマグマの泉から出し、しかし、ハジメを見るやスッと沈んでどこかへ去って行く光景を見て、写真を撮るなんてことも可能だった。
触れただけでアウトどころか、濡れたワンコがプルプルして水飛沫を飛ばすような気軽さでマグマを飛ばせる手合いは、流石の八重樫家も望むところではないらしい。ほっと胸を撫で下ろしている。
そこから先も特に構造変化はなく、魔物も時折姿を見せるだけで襲来することはなく。
過去映像の中でのハジメ達と、いかにも厄介そうな赤熱化、マグマと一体化したような魔物との攻防を見守りながら階層を下げることしばし。
「パパ達、見ているだけで暑そうなの……」
「あらあら、ユエさんがあんな虚ろな目をしているところなんて初めて見ました」
マグマの川を見て、水と思えばほら涼しい……とか光のない目で言い始めたユエを見て、ミュウとレミアが苦笑している。
「当時は、奇病の件で急いでいたというのもあって暑さ対策が不十分だった。本当に参ったよ」
「あっという間に汗だくで、もう気持ち悪いったらなかったですしねぇ」
「……ん。でも、汗だくの私達を見て、ハジメがちょっとドキっとしてくれたのは良かった」
「なぁ、ユエ。それ言う必要なくない?」
菫と愁が「ほほぅ?」と、香織達がシラ~とした目をハジメへ向ける。お父さんズの苦笑と、お母さんズの「あらあらまぁまぁ」みたいな視線が居たたまれない。
「うむうむっ。初めて妾に反応してくれたしの! 胸元を流れる玉の汗に視線が吸い寄せられておったわ! ふふふっ」
「たまたま目に入っただけだ。直ぐに目を逸らしただろうが」
「……そう、あれは事故のようなもの。むしろ、ハジメの視界に入ったティオの胸が悪い」
「酷くないかの!?」
「……結局、ハジメったら私の汗を拭うことに夢中になったし。シアなんか眼中にもなかったし。フッ」
「マジで言わなくて良くない!?」
「あれ? 喧嘩売られてます?」
「そのドヤ顔、物凄くビンタしてやりたいのじゃが」
「ねぇ、待って。汗を拭いてあげたってどういうこと? ねぇ、どういうこと? ねぇねぇ! まさか、ユエもハジメ君を脱がして……どこまで? ねぇ、どこまでフキフキしたの!」
「香織ぃ! いったい何を聞いてるんだい! お父さん、ちょっとそういうの良くないと思う!」
興奮する香織と悲しそうな智一さんを、それぞれ雫と薫子がなだめる中、ユエがキョロキョロと周囲へ視線を配った。が、直ぐに首を傾げる。
「……あの休憩用にハジメが作った洞窟、なくなってる?」
「ああ、まぁ、元々なかったわけだしな。修復ついでに埋められちまったんだろう」
「……ハジメ、あそこ。もう一度、空けて。過去映像が見れない」
過去映像で場所を確認し、指をさすユエ。ハジメが嫌そうな顔で首を振る。
「いや、わざわざ見なくていいだろ」
「……でも、それだと辛抱堪らなくなったシアとティオが調子に乗って、胸モロだしでのたうつ光景をお義母様達に見てもらえない」
「あれぇ? ユエさん、やっぱり喧嘩売ってます? 言葉足らずですよ? お仕置きされてって付け加えてもらっていいですか?」
「まったくじゃ。それだとただの変態ではないか。ちょっと語弊があるのじゃ」
「いえ、ティオさんはただの変態でいいんですけど、私を一緒にしてほしくないっていうか」
「あれぇ? シアよ、お主も妾に喧嘩売ってないかのぅ?」
なんて三人のやりとりは脇に置いて。
「ごほんっ。とにかく、みんな頭がちょっと緩くなっちまうくらい、ここの暑さはヤバかったってことです」
ハジメは強引に、かつての休憩場所から皆を先へ促した。
当時がどんな状況だったのか非常に気になるところではあったが、シアとティオが〝胸モロ出し〟部分については否定しなかったので、それなら確かに見るのはまずかろうと苦笑いを浮かべながら追随する智一達。
もちろん、愉快犯な南雲夫妻が息子をからかわないなんてことはあり得ないが。
「ハジメ、あんたもなんだかんだ言って男の子ね」
「大迷宮は危険な場所なのに、ユエちゃんに夢中とは……あれ? オルクスでもそう変わらないか?」
「……準備不足や大迷宮への理解度含め、いろいろ反省はしてるんだ。それ以上、突っ込まないでくれ」
「ねぇ、ハジメくん。さっきのフキフキの件――」
「雫! このむっつりを頼む!」
「はいはい」
「ママ、ふきふきはダメなの? お風呂の時とか、ミュウはふきふきしてもらうけど……」
「えっと……ミュウも大人になれば分かるわ」
そんな会話をしている間に、ハジメ達はとうとう辿り着いた。かつて不用意に静因石を取ったが故に、マグマが噴き出して強制ショートカットコース行きになった分岐点だ。
そこを見て、ハジメ、ユエ、シア、ティオが目を丸くした。
「おお? 静因石が復活してる?」
ハジメの言葉通り、アンカジ公国を救うに足る大量の静因石を採取したはずの場所は、過去映像の中と同じ様相を取り戻していた。
「ふむ……静因石は魔力を纏った空中のマグマの流れを制御する役割を持っておる。この大迷宮の構造を支える重要な要素であるが故、大きく流れを変えてしまうレベルで採取すると自動修復の対象になるのやもしれんな」
ティオの推測に誰もが「なるほど」と納得する中、お金への嗅覚が麻薬犬並に鋭いお姫様の心がワンッと鳴いた。
「ほほぅ? つまり、無限採取できると? 貴重な静因石を? いえ、落ち着くのよ、リリィ。ここは公国の領土。採取権はゼンゲン公にあり。密輸は危険すぎるわ。そもそも安定採取にはハードルが高い……でも、そこをクリアすれば……貿易協定を結ぶ? いえ、待って。そもそも大迷宮よ? 一種の不可侵領域だと主張すればワンチャンいける?」
ぶつぶつ、ぶつぶつ……瞳の奥に$マークを幻視してしまうようなキラキラもといギラギラお目々。
「ママ、リリィお姉ちゃんが……」
「シッ、見ちゃいけないわ、ミュウ」
良い子の情操教育には確かに悪そう。菫達が呆れ顔で見つめているのも気が付かず、どうやったらアンカジ公国から利権をむしり取れるかで頭がいっぱいの様子のお姫様。
ハジメ達の表情が物語っていた。
召喚された当時の、優しさと気遣いと品位に満ちていた〝異世界の可憐な王女様〟は、いったいどこに?
お前……変わっちまったな……と。
「おい、リリィ」
「ハジメさん。ものは相談なんですが、ここにもゲートホールを設置して王国に――」
「あれを見ろ」
「はい?」
目配せすれば、ティオが阿吽の呼吸で過去映像の該当箇所を再生。その瞬間、愁や菫達だけでなく香織達からも「あ……」と声が。
ドバッと溢れ出た。灼熱のマグマが鉄砲水の如く。
一瞬で空間を埋め尽くしていくマグマの激流は、過去映像と分かっていても肝が冷える。過去のハジメ達も、茹だった頭のせいで集中力が切れ、どこか茫洋としていた顔が危機感という名の張り手を喰らって目覚めたのがよく分かった。
あわや呑み込まれるというところで間一髪、錬成で作った小舟に乗って難を逃れるも、あっという間に怪物の顎門を連想させるような暗い洞窟の中へ流されていってしまう。
この場面だけ見れば、まさにジ・エンド。その後、彼等の姿を見た者は誰もいない……というテロップが流れてきそうだ。
それを指さしながら、ハジメは唖然としているリリアーナの細い肩に手を置いた。そして、優しい表情で言う。
「強欲は、いつか身を滅ぼすらしいぞ?」
「き、肝に銘じておきます」
ここで〝実力と手札があれば乗り切れます!〟とか〝ハジメさんのアーティファクトがあれば大丈夫!〟とか言い出さないあたり、このお姫様はまだ引き返せそうである。
「えっと、それで、ハジメ君。どうするんですか? たぶん、正規のルートはあっちですよね?」
リリアーナとのやり取りに苦笑していた愛子が、左奥へ視線を向けた。
洞窟のちょうど反対側にあたる場所に、毛細管現象の如く細いマグマの筋を這わせた石造りの門が見えた。その向こう側には緩やかな螺旋階段っぽい階下への道が見える。
「そうだな。俺達の過去を見学したいなら洞窟下りをしていくべきなんだろうが……」
「……と言っても、マグマの川を下っていくだけだし」
「グリューエンの魔物との戦闘なら道中でも見てきましたしねぇ」
「妾、ちょいと興味があるぞ。正規ルートを通っていたら、どんな試練があったのか。ご主人様はどうじゃ?」
悪戯っぽい流し目を送られて、ハジメは肩を竦めた。表情が何より雄弁に物語っている。見てみたい、と。
智一がくすりと笑みを浮かべる。
「いいんじゃないか? 案内ばかりさせているけど、この旅行はハジメ君達の旅行でもあるんだし」
「そうね。せっかくだし正規のルートに行ってみましょうよ」
薫子も同意すれば、鷲三達にも異論はないらしい。むしろ、ハジメ達も新鮮な気持ちで楽しめるかもしれないと分かって嬉しそうだ。
「未知とはいえ、今の君達なら危険はなかろう? 攻略の証もしっかり効いているようだしな」
「そうですね。じゃあ、正規のルートを行ってみましょうか」
鷲三の一言が最後の後押しとなって、ハジメ達は未知のルートへ歩みを進めた。
「久々にわくわくしますねぇ。ハジメさん、初見の敵が出てきたら、ちょっと私にやらせてくださいよ」
「血の気の多いウサギだなぁ」
シアが宝物庫からヴィレドリュッケンを取り出し、肩でトントンする。口角が上がっていて、ウサミミはわさわさ。
「シアお姉ちゃん、トレイシーお姉さんみたいなの!」
「……」
ヴィレドリュッケンが宝物庫に消えて、表情がすんっとなり、ウサミミはへなっと萎れた。無邪気な評価は魔物の一撃より効いたらしい。
「まぁ、攻略の証は、魔物に襲われないようにはできても特定の魔物だけは戦わせるみたいな細かい制御までできるわけじゃなさそうだから、戦いたいなら自分から襲いに行けばいいと思うぞ」
「……ん。生存本能を刺激すれば普通に反撃してくると思う」
「………………それやったら、まさに狂犬じゃないですか」
緩い螺旋階段を下りながら、愁と菫がシアの顔を両サイドから覗き込むようにして見やる。少し心配した様子で。
「シアちゃん、もしかしてストレスたまってる? 暴れたくて仕方ない感じかしら? でも、流石に……魔物とはいえ争う意志のない生き物を、無差別に襲うのは……」
「リアル超人だもんな。溢れるパワーを存分に使いたいって気持ちは、ハリウッド映画でヴィランが暴れ出す動機の最もポピュラーなものだ。だから、暴走して無関係なものを襲う前にハジメにぶつけるといいよ」
「義母様も義父様も、私をバーサーカーか何かと勘違いしてませんか?」
気遣うような優しい表情に、シアはジト目を返さずにはいられない。
敬愛する義理の両親に、戦う意志のない相手に独自理論で問答無用に襲いかかる狂犬皇女と同じタイプと思われているのは非常に遺憾だ。
「いい? シアちゃん。何事もまずは話し合いよ?」
「拳はまず、ハジメに向けなさい」
「DVを勧めないでくれないか、父さん。シアだぞ? マジでシャレにならんから」
「んもぉ! 義母様も義父様も酷いです! ちょっと話し合いが必要ですよ!」
だって……氷雪洞窟の試練でシアちゃんったら、もう一人の自分相手ですらまったく話を聞かず圧倒的暴力で片付けたから……
とりあえず、ぼこってから考えるスタイルなのは確かだから……
お義母さんとお義父さんはシアちゃんの将来が心配だよ……
シアは目を逸らした。
なんてやりとりをしている間にも、下の階層に到達。
ハジメ達も初見の階層は、大きな球体空間だった。階段の先は、オルクスの六十五階層のように一本橋が向こう岸まで通っており、他は全てマグマで満ちていた。
凄まじい熱気だ。アーティファクトと結界越しでも視覚的に伝わってくるほど。天井や壁にも重力に逆らうマグマが溢れている。
そして、
「うわぁ、おっきいね……今までの魔物とはレベルが違うように見えるよ。ね? 雫ちゃん」
「そうね。遂に中ボスの登場って感じかしら?」
「おっきなトカゲさんみたいなの! かっこいい!」
「え、えぇ? あれがかっこいいの、ミュウ? すごい迫力よ? ママは、ちょっと怖いわ……」
体長三十メートルくらいだろうか。一見すれば確かに巨大トカゲにも見えるが、動きはまるでヘビのように素早く滑らか。
マグマの中を身をくねらせるようにして泳ぎ、一本橋に巻き付いたり、くるりと回転しながら跳躍したり。天井のマグマ溜まりに飛び上がったり。
強靱な手足や鋭い爪、凶悪な牙がずらりと並ぶ顎門を有したドラゴンのような頭部と、当然のように全身にマグマを纏う姿に、愛子とリリアーナも息を呑みながら呟く。
「すごい身のこなしですね……あの巨体からは想像できないくらい素早い動きができるみたいです」
「特に尾の長さと先端が広がっているのも厄介だと思います。単に叩き付けるだけでも広範囲を攻撃できますし、マグマをすくいあげて撒き散らすこともできそうですから」
リリアーナがそう言った途端、まるで「その通り」と言わんばかりに、扇の如く先端が広がっている尾がマグマをすくいあげるようにして飛散させた。
それが一本橋の上にアーチを描くようにしてばら撒かれる。
「この限定された地形であれと戦う? ……いや、これは打倒せよというより、掻い潜って向こう岸へ到達せよ、ということなのかもしれんな」
「流石は鷲三殿じゃ。妾もちょうどそう考えたところじゃよ」
「なるほどです。確かに大迷宮でこういう場合って、打倒が必要ならそもそも出口が封鎖されていますもんね。打倒したら封鎖が解ける、みたいな」
鷲三、ティオ、シアの考察を聞いて、智一達も少し強張った表情ながら納得したように首肯した。
直後、どうやら魔物がこちらを認識したようで、鋭すぎる縦割れの眼光を注がれて体ごと硬直してしまう。ヘビに睨まれたカエルの気分だ。
マグマを滴らせながら、一本橋に纏わり付くようにして魔物が近寄ってくる。誰かのごくりっと生唾を飲み込む音が聞こえた。
「……ハジメ、攻略の証は効いてる? 敵意は感じられないけれど……ハジメ?」
ユエが念のために前に出ながら問うが、なぜかハジメから返事がない。
おや? と肩越しに振り返ると、なぜか目をかっ開いて魔物を凝視していた。というか、先程から妙に静かな愁と菫も、まったく同じ表情をしていた。
そう、あたかもトラウマに不意打ちで遭遇してしまったような雰囲気で。
南雲家の異常にようやく気が付いて、香織達も智一達も訝しげにハジメ達を見やる……
と、そこで、不意に愁がかくんっと頭を垂れた。
何を思ったのか、幽鬼のようなふらりふらふらとした足取りで一歩、また一歩前へと進み、これまたゆらりと片腕を上げ、魔物へ指をさす。
一種異様な雰囲気に呑まれて誰も制止できずにいるうちに、愁は積年の怨嗟を込めたようなオドロオドロしい声音で、南雲家の異常の原因を叫んだ。
「…………オロ○ドロさんだろう? なぁ、お前、オ○ミドロさんの亜種だろう!? なぁ! 天鱗オイテケよぉおおおおおおっ!!!」
「「「「「なんの話ぃ!?」」」」」
ハンターがモンスターをハントする某有名ゲームのお話である。もちろん、やったことのない他家の方々には分からない。
そう、分かるはずがないのだ。
「こんのクソ○ドロさんがぁっ!! あんたのクソウザったい動きに血管ブチギレそうになりながらも何体倒したと思ってんのよ!! 三十を超えてから数えてないわ! なのに一個も天鱗でないってどういうことよぉおおおおっ」
物欲センサーの悪魔に微笑まれて、モンスターから取れるはずの素材アイテムがまったくちっとも出ずに沼った時の絶望など。
何より、その沼の中で戦う相手が、全モンス一と言っても過言でないほど(独断と偏見に基づく。異論は認める)鬱陶しい動きと攻撃しかしてこない震えるほどのクソモンスであるときのイライラなど!!
「リアルラックならワンチャン!! 天鱗オイテケぇえええええっ!!」
「……んんっ、お、お義母様ぁ!? 落ち着いてくださいぃいいいいっ!! 突撃しちゃダメぇ! えっ、ちょっ、力つよ!? 香織ぃ手伝ってぇ!」
「わわわっ、大変! 愛ちゃん先生、鎮魂の出番!!」
「あわわわっ、大変! 今すぐにぃ!」
「いかんっ、義父上殿が突撃して!?」
「私が行くわ、ティオ! それよりハジメ――」
「てめぇに、てめぇに分かるか! 俺達家族の気持ちが! 結局、お前の天鱗だけ手に入らなくて! コインで交換して素材リストの『???』を埋めたあの敗北感が! お前に分かるかよぉ!!」
「ハジメさん!? 何を言ってるのか分かりませんよぉ! 落ち着いてください! んなっ、限界突破!? 嘘でしょぉ!? こなくそっ! 身体強化レベⅧぉおおっ!!」
カオスだった。
オロ○ドロ亜種モドキさんが、思わずビクッと震えるほど南雲家から迸るゲーマー魂は恐ろしいものがあった。
何せ、一般人に過ぎない愁と菫の形相や絶叫に、大迷宮の中ボスクラスである魔物がめちゃくちゃ視線を泳がせているのだ。
限界突破の証たる真紅の魔力を噴き上げるハジメよりも二人をチラ見し、「え? え? 自分、なんか悪いことしました!?」みたいな感じで動揺している――ように見える。
――いい? シアちゃん。何事もまずは話し合いよ?
先程、暴力的解決を安易に図るのはいけないよ、とシアに説いていた夫妻の、争う意志のない魔物へ理不尽な殺意を向けまくる姿が、そこにはあった。
「これだから南雲家は……」
頭痛を堪えるような智一のその一言に、きっと南雲家への全てが詰まっていた。誰も彼も、苦笑するしかないといった様子が、それを物語っている。
オロ○ドロ亜種モドキさんが、そろりそろりと後退しながらマグマに潜っていく。まるで、冬の熊と遭遇した人が、熊を刺激しないよう静かに後退していくみたいに。
「「「あっ、コラ!!! 逃げるなぁ! 天鱗オイテケェエエエッ!!」」」
ちなみに、その後三人が正気を取り戻した原因は、シアによる問答無用の拳骨だったりする。
「おほほほっ、皆さん、ごめんなさいね? ちょっと取り乱してしまって」
「「「「「ちょっと?」」」」」
「いやぁ、意地になって、最後には有給も使って家族総出で頑張ったんだけど出なくてねぇ」
「「「「ゲームのために家族総出?」」」」」
「トラウマを刺激されてしまったな……これが攻略当時だと思うとゾッとしちまうよ」
「……ほんと、正規ルートを通らなくて良かった……」
「ぜぇぜぇ、ですねぇ! 覇潰まで発動しそうになるなんて、久しぶりに肝が冷えましたよ! まったく!」
結局、一本橋を渡るに支障はなく、その先にあった更なる階下への螺旋階段を下りながら、南雲家がなんか言った。
誰もがジト目を送らずにはいられない。どこまでゲーマー一家なのだと。無論、尋ねれば骨の髄までと答えるのだろうが。
「ゲームをやるなら、とことん本気でやる。ミュウ、学びました」
「あ、あらあら……お願いだから学ばないで、ミュウ。ママの胃に穴が開いちゃうわ」
たぶん、もう手遅れ。そう遠くない未来では、自衛隊と玩具でドッグファイトするようなリアルゲームも本気でしてしまう子になるなんて、この時のレミアママには知るよしもない。
「やはり一度、ハジメ君もミュウちゃんも家で預かって常識のなんたるかを――」
「おおっと次の階層に到着したようですよ、智一さん! さぁ、気を引き締めて!」
「どの口で言うんだい?」
ハジメが誤魔化すように先陣を切って、螺旋階段の最下層に降り立った。正面に再び門があり、そこを抜ける。
「? なんだここ……いや、そうか。なんとまぁ鬱陶しいことを」
ハジメの後ろからぞろぞろとユエ達と愁達が続く。ハジメの困惑に訝しそうにするも、その理由は直ぐに分かった。
何もなかったのだ。
天井はそう高くないものの、五百メートル四方はありそうな広大な空間。そこには遮蔽物もなければ魔物もおらず、ただ更地が広がっていたのである。
向こうの壁際には門が見えており、閉じられてはいない。
「もしかして強力な魔物と戦うのかな?」
「迷宮で広い空間に出た時の定番よね?」
「いや、そうじゃないみたいだぞ、香織、雫」
推測を口にした香織と雫が、即座に否定されて「え?」と小首を傾げる。それはシア達も同じであったようだが、ユエだけは気が付いたようだ。
スッと細められた目がうっすらと輝きを帯びる。
「……なるほど。不可視の迷路ってこと?」
「みたいだな。空間遮断系の見えない壁で迷路を作ってやがる。普通ならマジで手探りで進むしかないんだろうな」
ハジメの説明を受けて、シアが宝物庫からピンボールサイズの鉄球を取り出した。それを振りかぶって全力でぶん投げる。
直後、鉄球は数メートルほど先で何もない場所にぶつかり、そのまま地面に落ちた。
「うわぁ、厄介ですね。破壊して進むのは無理で、しかもあっちこっちに転移用魔法陣が刻まれてません? あれ、たぶん迷路内をあちこち飛ばされる感じですよね? 正解のルートと魔法陣を割り出せ、的な。マッピング難度も鬼ですよ」
「うぅむ。おまけに、もしやこれ……」
「……ん。迷路の障壁の性質を見る限り、ティオの推測通りだと思う」
前に出るユエ。その目には空間の壁が見えているのだろう。鉄球の横を通り抜けて更に向こう側へ足を踏み入れる。そして、ネックレス型の気温調整用のアーティファクトを外した。
途端に「あっつぅ。しかもじめじめ……」と顔をしかめながら急いでアーティファクトを戻す。
それで鷲三や霧乃、虎一も気が付いたらしい。その顔に苦笑が浮かぶ。
「なるほど。ここに来てダメ押しだな」
「ええ。蒸し風呂状態で見えない迷路を抜けなきゃいけないなんて……」
「いよいよ集中力を殺しにきたな。むしろ、思考力まで失いかねないぞ」
空間遮断障壁で作った迷路のくせに、熱と湿気は充満しているらしい。と分かって、愁達や香織達からも「うわぁ」とドン引きしているような声が漏れ出した。
解放者、マジで容赦ねぇ……と言いたげに。
「俺の推測だと、あれだな。この迷路で散々消耗した後、たぶん次の階層で一戦あるぞ。今度こそ倒さないと前に進めない系の中ボス戦が」
「ミレディさん達なら確実にやりますねぇ」
「……ほんと、ショートカットコースで良かった」
「ユエは妾やシアよりも暑さに弱そうじゃしなぁ」
もちろん、攻略の証はここでも効力を発揮した。魔力を通せば、ハジメの魔眼には無数の空間の隔たりが空気に溶け込むようにして消えていく光景が映った。
で、案の定である。不可視迷路の空間を抜けて下層に下りると、そこには中ボス……中ボス(?)と首を傾げたくなる存在がいた。
「お、おぉ……これは、あれだよな? いわゆるミノタウロスって奴だよな?」
「フルアーマーで赤熱化してるけど、ね?」
愁と菫の上を見上げる表情が完全に引き攣っている。
マグマで囲まれた円形闘技場のような場所の中心に、体長十メートルを超える筋骨隆々の巨体が待ち構えていた。
牛のような頭部に二本の角。神話にも、創作物にも大変人気で引っ張りだこなモンスター、ミノタウロスそっくりな外見だ。
ただし、菫の言う通り、ただの魔物ではなく完全武装状態だったが。
おまけに、である。リリアーナが同じく引き攣り顔でハジメに確認した通り、
「あのぉ、ハジメさん。気のせいでしょうか? あの黒いフルアーマー、アザンチウム製に見えるんですが……」
「リリィ、良い目利きだな。ちなみに、全部アーティファクトみたいだぞ」
そう、武装の全てが最高強度を誇るアーティファクトだった。巨大な戦斧からも、あの魔剣イグニスや大鎌エグゼスに勝るとも劣らない禍々しいオーラが放たれている。
「……私、ほとんど成り行きで魂魄魔法を手に入れちゃったんですけど……解放者さん、もしかして本当は攻略させる気なかったりしませんか?」
「こ、この魔物が中ボスなの? どう見てもラスボスの風格なのだけど……」
魔装ミノタウロスとでも呼ぶべき存在が、ハジメの掲げる攻略の証を確認するように近づいてくる迫力に、畑山親子が自然と後退る。
「……こいつ、最後のマグマ蛇より強くない?」
「ユエの見立てでもそうなら、間違いないのぅ。最後はあくまで持久戦がメインであり、このグリューエン大迷宮最強のガーディアンは、間違いなくこやつじゃろうな」
あのオルクスの銀頭ヒュドラや、大樹の完全版人型ゴ○ブリに匹敵する威圧感を放つ魔装ミノタウロスに、ユエ達も問題ないと分かっていながら僅かに警戒の眼差しを向ける。
何せ、角を筆頭に見える場所は全て赤熱化しており、口からは吐息混じりにマグマの飛沫が飛んでいるのだ。周囲のマグマも不自然にうねっては魔装ミノタウロスの背後でアーチを描くことから、自然のマグマに干渉する能力もありそうである。
万が一にも親達に飛沫が飛んではならないと、結界の強化をしてしまう程度には身構えてしまう。
が、そんな大迫力の魔装ミノタウロスを前に、お目々キラキラではしゃぐ幼児が一人。
「かぁーーっこいいのーーー!!」
「「「「「エッ!?」」」」」
繋いでいたママの手を離して「あっ、ミュウ!」という声も置き去りに、ハジメと魔装ミノタウロスの間へ。万歳しながらぴょんぴょん!
攻略の証を睥睨するように確認していた魔装ミノタウロスが、その恐ろしき獣眼をミュウへと向ける。
敵意は感じないが、ハジメが本能的にミュウを後ろから抱き上げた次の瞬間だった。
魔装ミノタウロスの胸元が輝いた。フルアーマーの胸元に埋め込まれた拳大の宝玉だ。どうやら宝物庫だったようで、そこから小さな何かを取り出した。
そして、その凶悪な威圧感からは想像もできない、むしろどこか品を感じる挙動で片膝をつくと赤熱化を解除。更に、周囲のマグマは沈静化。
真っ黒な元の色に戻った鉄板さえ引き裂きそうな巨大な爪の先端で、器用にも摘まんでそれを差し出す。
「え? くれるの? ありがとうなの!」
「ブモッ」
一輪のお花だった。水晶で作った造花のようだが、とってもきれい。
ハジメパパでさえ目を点にしている中で、嬉しそうにそれを受け取って礼を口にしたミュウに、なんとまぁ驚いたことに、
「ブモモッ」
魔装ミノタウロスさん、パチンッとウインク。よく見れば、まつげがたっぷりフサフサだ。ビューラーでもかけたみたいにくるんと上向きにカールしていて、お目々ぱっちり。ミュウを見る目には優しさすら感じなくもない。
誰もが唖然としている間に、魔装ミノタウロスさんは踵を返した。
道を開けるように右側へ進んで行き、そのままやっぱりどこか上品な動きで、言うなれば貴婦人が入浴するような、どこか優雅な動きでマグマへと入っていく。
そして、そのまま沈んでいきながら、最後にサムズアップ。
「ブモッモ。ブモモ! ブモッ!」
なんか言ってる。
当然ながらこの間、誰も何も言えず、ただ黙って、けれど口を開けっぱなしで見送るのみ。
ただ一人、やっぱりこの子だけが言葉を返した。
「はい! お勤めご苦労様です! パトリシアお姉さん!」
サムズアップもビシッと返すミュウ。
もちろん、我に返ったハジメ達は一斉にツッコミを入れた。
「「「「「パトリシアって誰!?」」」」」
ちなみに、ナイズ・グリューエンはかつて、家族に等しいラクダのような動物に〝スザンヌ〟という名前をつけていたりする。
たいそう面構えの良い、気位の高い貴婦人のような性格だったとか。
いつもお読み頂きありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
一応、設定だけはあった火山の正規ルート。絶対に静因石お届け間に合わないだろうと思いショートカットになったような。出せて良かった。なお、正規ルートの場合、最後に戦うマグマヘビの数が減ります。あとミドロさんは今回思いついた設定です。……すみません、気が付けば煮え滾る心のまま書き殴ってました……
それと最終章の件、感想欄等で温かな言葉をくださった方々に心から感謝を! 嬉しかったです! ありがとうございます!
※ネタ紹介
・オロミドロ亜種
モンハンライズ・サンブレイクに登場するモンスター。泥を操る通常種と溶岩を操る亜種がいる。どっちも死ぬほどウザいが、もはや一周回って好きかもしれない。
・オイテケ
言わずもがな、ドリフターズの豊久さんより。