トータス旅行記㊷ 女王様の願いと贈り物
「ええっと、つまりだ。神殺しを成就させた後に再び攻略者が現れた場合、最初からお前達が出迎えにくることになっていた、と?」
理想世界の試練を与える部屋から出て、現在、一行はハジメ達攻略者ですら知らなかった隠し通路――部屋の天井中央から降りてきた階段――を進んでいた。
もっとも、未だに意識を現実から遠ざけている雫は虎一に、昭子はティオに背負われた状態だ。レミアと愛子だけは辛うじて意識を取り戻しているが、愛子は身長が近いユエに肩をかりて、レミアはシアに寄り添われる形である。
また、意識を飛ばさなかった他の者達にしても一様に表情が引き攣り気味だ。
視線がチラッチラと一点に向けられている。気になってしょうがないが、直視し続けるにはもう少し慣れが必要で……いや、慣れるかな? 無理じゃない? でもなぁ……みたいな感じである。
それも仕方ないだろう。
―― 肯定 ――
ぬいぐるみサイズの人型ゴキ○リさんが、幼女の頭の上で仁王立ちしているのだから。しかも、その体からは毒々しい黒煙が吹き出しているのである。
「……何度も確認して悪いんだが、それ、最終試練の時の腐食の煙だろ? ミュウには本当に影響ないんだろうな?」
―― 肯定 ――
「もぅ、パパは心配性なの!」
「いや、なんで当人であるお前が心配皆無なのか、そっちも心配になるんだが。だってお前、Gさんだぞ?」
「人を見た目で判断しちゃいけないの! 保育園の先生も言ってたの!」
「そんな正論を言われても。ってか人じゃないし」
「人かどうかなんて関係ないの!」
「大物か」
メッとしてくる人型Gオンザミュウ……全く動じない姿に、感心よりも心配が募る。ミュウの感性はいったいどうなっているのか。少なくとも海人族の価値観的に平気というわけでないのは確かだ。
だって、さっきからミュウの後ろでレミアが泣きそうな顔になりながら、そぉ~っと手を伸ばしては腐食の黒煙がぶわっと広がりビクッと震えて引っ込める……というのを繰り返しているから。
「空中に投影する文字のため、というのは分かるのじゃがなぁ。使徒の分解を模した能力じゃぞ? 威力を知るだけに少々心臓に悪いのじゃ」
「……ん。触れてる周辺だけ円形脱毛になったりしない?」
「もうっ、ティオお姉ちゃんもユエお姉ちゃんも心配しすぎなの!」
そう、人型Gさん、実は意思疎通ができた。その方法は、その体から放出する黒煙で空中に文字を描くというものだ。
もちろん、トータスの字で基本的に簡単な単語しか表記できないが、単語のつなぎ合わせとハジメ達の推測に対する肯定・否定によって、どうにかコミュニケーションが取れている。
Gさんが人型をとっているのも、人型になる合体技で知能や技能を上昇させないと文字投影ができないためらしい。
なんにせよ、これにより阿鼻叫喚の地獄絵図と化した理想世界の試練の間でも群体にはお帰り願うことができ、人型Gさんの名と目的を知ることができたのである。
なお、人型Gさんの名とは。
「私、一生のうちでゴキ――Gさんに自己紹介されたあげく、会話をする日が来るとは思わなかったよ……」
「しかも、名前はウロボロス三世……すんごい強キャラ感あって違和感しかないんですが。いや、まぁ、最終試練さんなんで強キャラで間違いないんですけどね」
「試練の内容といい、リューティリスさんの感性って……」
長い単語は無理でも、己の名前だけはしっかりと黒煙表記できるらしい最終試練Gさん。香織とシア、そして愛子の所感に誰もが頷いている。
なお、三世と名乗っているが、どうやら三代目というわけではないらしい。
ハジメの「三代目ということか?」という、解放者の時代から考えると少なすぎる世代数に対する当然の疑問。
それに対する単語的応答からするに、単純に三より先の数字に対応できないだけっぽい。いかにも『我、三より先は分からん!!』みたいなジェスチャーを堂々と取っていたから。
つまり、初代ウロボロスさんから非常に遠い子孫というわけで、神代魔法による種の保護機能はあるのだろうが、やはり数千年単位での世代交代を重ねると劣化は免れないのだろう。思考能力もそれほど高いというわけではないようだ。
「ハジメは一度、ミュウちゃんを連れて訪れているのよね? その時はどうして出てこなかったのかしら?」
もし出てきていれば、空間全体がGの群体で埋め尽くされるという今夜にでも夢に出そうなトラウマ級の光景を見ずに済んだのに……という思いをちょびっと抱えつつ、菫が恐る恐るウロボロス三世さんに尋ねる。
―― 減少 ――
身振り手振りならぬ触覚振りのジャスチャーと、単語が一つ。触覚の一本は自分を、もう一本はユエを指している。
「あ~、ユエの〝神罰之焔〟で自分達の数が減ったって言いたいのか?」
ハジメが察して推測を口にすると、触覚がうんうんっと頷く。
―― 戻す 時間 ――
「……ん~。元の数に戻す? 時間がかかる?」
「つまり、対応できないくらい忙しかったということですかね?」
「まぁ、万を軽く超える数を一気に殲滅されてしもうたからのぅ。むしろ、お主が生き残っておった方が驚きじゃが」
―― 肯定 死…… ――
どうやら正解らしい。最後の〝死〟でユエの方へ頭部を向け、これ見よがしにプルプル震え出したので、きっと本気で絶滅するかと思って焦ったのだろう。
白崎夫妻や八重樫家が〝万〟という数にぞわっと鳥肌を立てている中、鷲三が少し視線を泳がせた。
「……八重樫たる者、ちょっとした雑技にGを使うこともある。故に狼狽えるなど情けない話なんだがな。先の大群には流石に肝が冷えた。だが……それですらほんの一部に過ぎない最終試練とは……」
ハジメ達が止めたのも頷ける、と少し肌をさする。智一が恐ろしそうにウロボロス三世さんをチラ見しながら尋ねた。
「だが、今回は出てきてしまった、じゃなくてお迎えしてくれたということは……それだけ死んでしまったにもかかわらず一年と経たずに数を取り戻しつつある、ということなのかな?」
まさかね? と隣で想像してしまったらしい薫子が意識を飛ばしそうになっているのを支えながら愛想笑いを浮かべれば。
ウロボロス三世さん、えっへんと胸を張った。取り戻しつつあるらしい。やばい。
ハジメを筆頭に全員の表情が盛大に引き攣る。
「と、とにかく、種の存続にかかりきりで余裕がなかったというのは分かったわ」
「すまないが、ウロボロス三世、さん? 私達はたくさんの貴方達に、その、あまり慣れていないのでね? できれば全員での歓迎は今後も遠慮させていただけるとありがたい」
―― 肯定! ――
愁の物凄く低姿勢なお願いに、気分を害した様子もなくウロボロス三世さんは力強い文字を表記した。
何も悪くないのに生理的嫌悪感をもたれることを、意思ある存在としてはどう思っているのか……
まるで『承知した! 気にするな! 我は気にしない!』と言っているみたいに、前脚を組むようにして威風堂々と仁王立ちする姿には、引け目も心を痛める様子も見受けられない。
とはいえ、そんな大人達の態度は幼女的に納得できないようで。
「んもぉ! みんな失礼なの! ウーちゃんの何がいけないというの? こんなに格好いいのに!!」
「「「「「マジで!?」」」」」
ハジメ達が揃って驚愕に目を見開く。それに対し「虫さんをモデルにしたヒーローはいっぱいいるの! パパ達は〝おたく〟なのにどうして驚くの!!」と、共感を得られないことに地団駄を踏みそうだ。
とはいえ、ミュウの意見は中々に鋭い。日本の特撮やアニメのみならず、外国の実写映画にだって虫をモデルにしたヒーローはたくさんいる。
Gに対する特有の感覚から先入観と偏見が先走っていたが……
「驚いた。そういう感覚で見るとちょっと平気になってきたぞ?」
「そうね。ちょっと表面がテカテカしてて、色合いとかがまだ気になりはするけれど……ありと言えばありかもしれないわね!」
「ミュウ、お前……やっぱり天才だな! 感性がピュアの極みだ!」
愛娘(孫)から「情けねぇオタク共だぜ!」と言わんばかりの溜息を頂戴した結果、南雲一家は啓蒙を得たかのような雰囲気に。
智一達も「ま、まぁ、そう言われればね……」「確かに人型なら……」と、南雲一家ほどではないが少し見る目が変わってきた。
―― 照/// ――
ウロボロス三世さんが、片脚を後頭部に添え照れたようにへこへこする。ちなみに、〝///〟の照れ表現もしっかり投影されている。このG、記号表記もいけるらしい。
そうこうしているうちに階段を上りきったようだ。体感で、建物なら十階分くらい上がっただろうか。そこから先は真っ直ぐな通路だ。暗くはない。壁や天井から生えた小さな枝葉が発光して明かりを作ってくれている。
菫や愁、そして薫子などは少し息切れしてきたところだったので、ほっと一息吐いている。
と、そこで小さなぐずるような声が響いた。
「……んんっ…………ここは? あれ? お父さん?」
「雫、目を覚ましたか」
雫のお目覚めだ。少しぼぅっとした様子で、父親に背負われていることに不思議そうに小首を傾げている。
「ん~、なんで私、背負われてるの?」
「む? もしや記憶が飛んでる?」
「記憶ぅ?」
父の背にいるとやはり安心するのか。少し幼い、舌っ足らずな口調でぽやぽやする雫ちゃん。その視線がぽや~っと周囲を巡り、そして――ミュウの頭の上に行き着く。
『お目覚めか! 我はウロボロス三世! よろしく!』と言っているみたいに、片脚をひょいっと上げて挨拶する人型Gさん。
雫ちゃんのお目々が、徐々に大きく見開いていき、逆に瞳孔はきゅぅ~~っと縮小。
「シィッ!!」
「ぬわぁ!?」
「こらっ、雫! やめなさいっ」
虎一が吹き飛ぶほどの勢いで背を蹴りつけ、一息にウロボロス三世さんに襲いかかろうとする! 飛び出したバーサーカーモードみたいな娘を、霧乃お母さんが空中で捉え、合気の要領でひっくり返し地面に押さえつけた。
「離してお母さん! ミュウちゃんの頭が! 頭が大変なのよ!」
「いいから落ち着きなさい」
「Gがっ、Gが人型でてらてら! クルゥ! きっトくるゥ!! 大量の奴ら~がぁ!!」
「ダメね、この子ったら錯乱してるわ。誰か鎮静の魔法をお願いできる?」
某輪っかなホラー映画のテーマソングのメロディを口ずさみ始めた雫は、なるほど、確かにSAN値が回復していない様子。
「し、雫ちゃん、落ち着いて! いっぱいの彼等は来ないからね!」
「そうですよ! それに、ウロボロス三世さんは理性的な方ですから! 襲いかかってきたりもしませよ!」
「黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ黒ゴマ……人型の? ッ!! そんな黒ゴマは存在しない! ならやっぱりあれはゴキ――駆逐してやるぅ! この世から一匹残らずぅ!!」
愛子と香織が二人がかりで魂魄魔法を使い始める中、母親にうつ伏せに押さえつけられながらも、じったんばったんと暴れて某進撃する巨人と戦う主人公みたいなセリフを吐く雫のもとへ、ミュウがトコトコと歩み寄る。
そして、ふしゅぅーっふしゅーっしている雫の眼前に正座すると、その小さな指先をビシッと雫の額に突きつけた。
「そんなこと言っていいと思ってるんですか! ゴキブ○さんだって、一生懸命生きてるんですよ!」
「え? え?」
「それ、価値観の押しつけだと思います!」
「あ、あの、ミュウちゃん?」
「もっと相手のこと考えたらどうですか! あなたがゴキブ○さんの何を知っているんですか? もっと勉強してから出直してください! そもそもあなたには関係ないですよね? なんの権利があってそんなこと言うんですか? あなた何様ですか!?」
「う、うっ、ち、違うのミュウちゃん! 私は――」
ぷんすかと怒り顔でまくし立てるミュウに、雫ちゃんは徐々に涙目へ。
その様子を見ていたハジメ達は戦慄に頬を引き攣らせた。
「ク、クソリプ攻撃だとぉ!? まずいぞ、父さん、母さん! ミュウがネットから悪い影響を受けてる!!」
「くっ、やはりミュウちゃんにSNSはまだ早かったか!」
「レミアちゃん、ごめんなさいっ。南雲家の英才教育のせいでっ」
「い、いえ、あれはわざと使ってるだけで、普段は大丈夫ですから……」
智一が南雲家に凄絶なジト目を送り、薫子や、ちょうど今の騒動で目を覚ましたらしい昭子さんもわけが分からないながらミュウの口舌にドン引きしている様子。
「ミュウちゃん! もうそれくらいで――」
教師魂に火が付いたのか、愛子が毅然とした様子でミュウを止めに行くが……
ミュウの手札は未だ尽きていないらしい。そして、最初から最後まで親切で気の良い、ミュウ自身は既に友達だと思っているウロボロス三世さんへの、理由なき理不尽な敵意に激オコらしい。ゴキへの偏見ゼロ故の純粋なお怒りだった。
「っていうかぁ、雫お姉ちゃん情けなぁ~い! ざぁ~こ♡ ざぁ~こ♡」
「んなっ!? ざこじゃないし!! いくらミュウちゃんでも、いい加減にしないと怒るわよ!」
「きゃぁ~こわぁ~い♡ 小さな虫さんに敗北しちゃう雫お姉ちゃんこわ~い♪」
「こ、このぉ!」
普段のミュウならあり得ない、完璧な煽り顔。なんてわざとらしい「こわ~い♡」なのか。
冷静で温厚な雫をしてイララッとせずにはいられず、逆に、そのせいでGへの恐怖が一時的に消えたらしい。
そのやり取りを見て、南雲一家に更なる衝撃が走った。
「クソガキムーブだとぉ!? まずいぞ、父さん、母さん! ミュウが〝分からせ〟をされてしまう!!」
「くっ、ミュウちゃんに新作ゲームのテスターはまだ早かったか!!」
「あなたのせいね!! レミアちゃん、ごめんなさいっ。うちの旦那の趣味兼仕事のせいでっ」
「……い、いえ、普段は大丈夫なはずですから……でも、家族会議の議題は増えましたね?」
「おい、南雲愁。ハジメ君もミュウちゃんも、一度我が家にホームステイさせないか? きっちりかっちり常識を説いてみせるから! 君の傍は悪影響がすぎるぞ!!」
何はともあれ。
「お母さんどいて! ミュウちゃんはこんなこと言う子じゃないの! 私がしっかり言い聞かせてあげないと!」
「おバカ。あなたが原因でしょうが」
べちっと娘の頭をはたきつつ拘束を解く霧乃お母さん。
「げ、原因って……」
「昔から死ぬほど苦手なのは分かっているけどね? 流石に錯乱しすぎよ。なんでミュウちゃんが煽ったと思ってるの」
「それは……」
改めてミュウを見れば、既に煽り顔ではなくむすっとした顔で静かにしている。
その頭の上のウロボロス三世が、まるで動じた様子もなく『なんかすまんな!』みたいな感じで堂々としているのを見て、雫はビクッとするも……
「ほら、今、ウロボロス三世さんのこと意識になかったでしょう?」
「ウロ? え? なんて言ったの?」
「彼の名前よ。ウロボロス三世さん」
「そんな馬鹿な」
「名前のことは置いておいて、ミュウちゃんの煽りで意識が逸れたのは確かでしょう。お友達を守るために、自分へ意識を逸らしたのね。まぁ、怒っているのも確かでしょうけど」
そうなの? とミュウを見れば、ふんすっと荒い鼻息が飛び出した。
なるほど、その通りであり、同時に怒っているのも確からしい。
「ミュウちゃん……その……あのね?」
「雫お姉ちゃんが、ウーちゃんのこと苦手なのはしょうがないの。でも、親切にしてくれているのに襲うのはダメ。ミュウは、そんな雫お姉ちゃん見たくありません!」
「ミュウちゃん……」
「でも、試練でウーちゃん達と戦ったから、ミュウが危ないと思って助けようとしてくれたのも分かるの。それはありがとうなの。あと……ミュウも言い過ぎたのでごめんなさい」
SNSの闇を知ってしまったミュウをどう諭すか少し悩んでいたものの、どうやらレミアの言う通りきちんと分別はついているようでほっと吐息を漏らす南雲一家。
一方、自分の錯乱ぶりを自覚した雫は、しょぼんと肩を落とした。
「うぅ……これじゃあ私、完全にダメなお姉ちゃんじゃない」
「ええ、ダメなお姉ちゃんね。八重樫の娘だというのに情けないわよ。ざぁ~こざぁ~こ♪」
「お母さん!?」
霧乃さんはクソガキムーブを覚えた!!
横目で母を睨みつつ気息を整えた雫は、まだウロボロス三世さんを見ると血の気が引く思いではあったものの、根性できちんと視線を向けた。そして、
「えっと、無礼な振る舞いをしてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げた。
謝罪を受けたウロボロス三世さんは……ひょこっと片脚を上げ、むんっと胸を張った。
言葉はなくとも分かる。
『気にするな! 我は気にしていない! ハハハッ』と言っているに違いない。
「やべぇ、ウロボロス三世さん、人間より人間ができてやがる……」
「……ん!? ハジメが〝さん〟付けした!?」
「リーさんに続いて、またも特殊な方がハジメさんの敬意を得ましたねぇ」
「ハッ……もしや、妾の爺様も妾が分かっておらぬだけで……特殊な趣味を?」
「とんでもない風評被害だよ、ティオ。やめたげてよ。ただでさえ、ティオのことで熱い風評被害を受けてる人なんだから」
各国の重鎮が欲してやまない魔王の敬意。それを、Gが得たと知ったら彼等はどう思うか。きっと遠い目になるに違いない。
何はともあれ、お互いにありがとうとごめんなさいをして仲直りのハグをぎゅ~~っとし合うミュウと雫にほっこりしつつ、一行は歩みを再開した。
今のやり取りで、昭子を含め他の者達もますますウロボロス三世の姿に慣れてきたようで、先程までよりずっと雰囲気は柔らかい。
「それで、この先に何がある? 神殺しのご褒美をくれるって話だったが……」
広々とした木の通路を歩きながら、ハジメが改めて尋ねた。
ウロボロス三世によるお出迎えの理由は、まさにそれ。
リューティリスは、攻略者が再び大迷宮に訪れた際、最初の転移魔法陣の記憶読み取り機能で神殺しの事実が確認できたことを条件に、褒美を用意していたらしい。
だが、その授受が行われる場所が、なぜ天頂の庭園ではなく未知の隠し部屋なのか。
あの広々とした庭園ならばどこにでも保管できそうなので、ハジメには少し疑問だった。
もっとも、ウロボロス三世に答える気はないらしい。行けば分かるとばかりに、ミュウの頭上で触覚をピッと先へ延ばすのみ。
実際、説明する必要もなく、もう到着したらしい。
「これは……驚いた。まるで王城の一室だね」
智一が感嘆の声を上げた。ハジメ達からも「おぉ」と驚きの声が漏れ出す。
「王城の一室っていうか……まんま、王城じゃないのか?」
「……玉座?」
広大な空間だった。どこもかしこもツタや花、枝葉などの植物に覆われた廃墟のような有様ではあるが、二列の太い柱が奥まで整然と並び、最奥には祭壇のような場所と、草木に絡みつかれた荘厳な椅子があった。床から直接生えた木々で編まれた立派な椅子だ。ユエの言う通り玉座に見える。
ハイリヒ王国や帝国の玉座の間を見たことがある一行であるから、それらによく似た雰囲気のこの場を王城の玉座の間と称するに異論はないようだった。
ウロボロス三世が、ミュウの頭上から離れる。飛翔し、玉座の方へ飛んでいく。ハジメ達を促すように。
ハジメ達は頷き合い、その後をついていった。そして、ウロボロス三世が玉座の背もたれの上に降り立ち、ハジメ達が玉座の手前――階段状の高台の下に来た時、それは起きた。
「わわっ、魔法陣なの!」
「玉座も輝き始めましたね……綺麗な若草色の魔力です」
「うむ。攻略の時に見たリューティリス殿の魔力光じゃな」
玉座を中心に発生した優しい色合いの魔法陣と、蛍火のように湧き上がる無数の輝く粒子。一拍おいて、光の奥から滲み出るように半透明の姿を見せたのは……
「わぁ~、きれい……」
「ほんと、ですね……女神様みたい」
「物語の中の、エルフの女王様がそのまま姿を見せたようだな」
「ええ、見ているだけで虜にされてしまいそうだわ」
ミュウが見惚れて頬を赤らめ、愛子もまた呆ける。愁と菫が視線を奪われながら熱い吐息を吐いた。
中分にされた白金色に輝くロングストレート。半透明でも分かるほど白く滑らかな肌は、純白のドレスと同化してしまいそう。凜と高みから見下ろす怜悧な瞳は翡翠色に輝き、まるで宝石の如く。
絶世の美貌と誰もが認めるユエに、勝るとも劣らない美しい森人の女王が、そこにいた。
ハジメ達攻略者にとっても、見たことがあるのは木の幹が変形してできたリューティリスの顔だけなので、まさに森の精霊、あるいは女神もかくやという美しさに息を呑んでしまう。
竜人の族長たるアドゥルと同じで自然と傅きたくなる威厳が感じられるが、同時に彼とは異なり、決して触れてはならない神聖さをも感じる。
そんな神々しい、大樹の大迷宮の創設者は僅かに目元を緩めて微笑み、大願成就の功労者へ隠されたメッセージを口に出した。
『神殺しの英傑に、心からの感謝を。改めて、ご挨拶を申し上げます。わたくしはリューティリス・ハルツィナ。大迷宮の創設者の一人にして、ハルツィナ共和国の女王ですわ』
やはり、大樹はもともと王城だったらしい。
『神なき世界は、その後どうなったのでしょうか? 自由な意思は健在でしょうか? 人々は種族に関係なく手を取り合っているでしょうか? 子供達が笑って生きられる、そんな世界になっていますか?』
僅かな憂慮と、きっと大丈夫ですわね? と信頼するような優しい眼差しがハジメ達の心をそっと撫でていく。
『何より、わたくし達のリーダーは、あの子は――』
一拍、切なそうに唇を嚙み締めるリューティリス。その表情を見れば、当時の彼女がどれほど強く、そのことを想っていたのかは一目瞭然だ。
その場の誰もが我がことのように胸を締め付けられ、そして――
『ミレディたんは、解放されましたか?』
「「「「「「「ミレディ〝たん〟!?」」」」」」」
あれぇ? なんか変な呼び方が聞こえなかった!? と誰もが目を剥く。
聞き間違いかな? と顔を見合わせるが、
『ああ、強くて優しい、わたくしにとっての初めての人間の友――ミレディたん! 貴方が長き使命から解放されていることを願ってやみませんわっ』
「ダメだっ、内容が頭に入ってこないっ」
「たんって、たんって何よ! その顔で萌え呼びはないでしょう!?」
愁と菫も混乱している!
オスカーやメイルと同じく記録映像に過ぎないので質問を挟む余地はない。それがもの凄くもどかしい! あと、何気にリューティリスさんぼっち疑惑が浮上しており、智一達の見る目が変わり始めている。
『え? なんですの、オーちゃんさん。あまり長く記録は取れない? まだまだ言いたいことはあったのですけれど、しかたありませんわね』
「「「「「オーちゃんさん……」」」」」
彼女の呼び方のセンスはいったいどうなっているのか。この記録映像を撮っているオスカーのいろいろ諦めているっぽい表情が容易に想像できる。
『わたくしの幼馴染みにして最初の親友――ウロボロスことウーちゃんの末裔に貴方を案内させたのは他でもありません』
「情報量とツッコミどころが比例するとか」
あと何気にミュウと同じ呼び方なところに、ミュウのセンスは大丈夫だろうかとちょっと心配が湧き上がる。
『神殺しという偉業に対し、ささやかながら報償を与えたく思ったが故。そして、もう一つ――あなたに選択をしていただくためですわ』
「選択、だと?」
単純に何かご褒美をくれるだけではないらしいと知り、ハジメは目をすがめた。
『そう、選択。神なき世に、大迷宮は必要か否か』
「っ、それは……」
ユエ達も息を呑んだ。リューティリスが何を言いたいか察したのだ。
『より正確に言うなら、神代魔法継承に対する挑戦権を残すべきか否か。言うまでもなく、わたくし達七人の魔法は、神殺しのために残したものですわ。だからこそ、憂慮せずにはいられませんの。神をも殺せる力を、神なき世界にも残しておくべきか否か』
リューティリスは続けて語った。
曰く、大迷宮には、大迷宮を永劫に存続させるための〝核〟が存在すること。その〝核〟を破壊しない限り、大迷宮自体も、その中の仕掛けや魔物も何度でも復活すること。
神代魔法継承の魔法陣も、どれだけ直接的に破壊しようが時と共に再生するのだという。
七つの神代魔法で隠匿・保護しているので、たとえ羅針盤で見つけてもそう簡単に入ることはできないらしい。
ただし、この大樹の大迷宮の核――玉座の真下に隠された通路から行ける中枢には、全ての大迷宮の中枢に入れる一種の鍵があるのだとか。
大迷宮の消滅を選択するなら、ウロボロス三世に頼むことで鍵が渡されるという。
もちろん、今のハジメに限っては、概念魔法による転移が可能であるから障害はないに等しいが。
『このことは、ミレディたんからは何も聞いていないでしょう。大迷宮は、あの子にとってわたくし達が生きた最大の証。一人、永劫を生きねばならないあの子に、最後の最後で全てを壊してもいいなどと…………言わせたくありませんでしたの。きっと、思い出の処遇にだって迷うはずですもの。あの子は、優しすぎるくらい優しいから』
思い出すのは、ライセン大迷宮の見学でミレディが写真の処分をハジメ達に委ねた時のこと。自分では処分できないと、切なそうに語っていた。
リューティリスの、否、オスカー達の想像は当たっていたようだ。
「なんですか、うぜぇくせに仲間から愛されまくっちゃって。ふんっですよ!」
シアが、腕を組みながらぷいっとそっぽを向いた。だが、どこか目元が優しい。解放者達の絆の強さを感じたのだろう。想い合う彼等に、ハジメ達の口元も自然と綻ぶ。
『ですから、わたくしが選択を求めますわ。そして、なぜわたくしなのかという点について、ご説明します。それは一つお願いがあるからなのです』
「願い?」
『もし、貴方が全ての大迷宮を破壊することを選んだとしても、この大樹に関してだけは、大迷宮の機能のみを破壊し大樹自体には手を出さないでほしいのですわ』
「どういうことだ?」
なんでも、他の大迷宮は〝核〟の破壊によって全体が自壊、ないし自動で通路や空間を穴埋めするような形で埋没するようになっているらしい。
だが、大樹の大迷宮だけは継承の魔法陣と試練の仕掛けの破壊、その再生機能の消失だけなのだとか。
もちろん、攻略者が自ら完全に破壊することはできる。リューティリスは、それをやめて欲しいと頼んでいるらしく、またそれを言うために大迷宮破壊の説明役を引き受けたという。
幻影のリューティリスが立ち上がり、その細い指で玉座の背を撫でた。
奇しくも、それはウロボロス三世と重なり、彼を撫でているかのようにも見えた。あまりに愛しげな手つきだったから。
『大いなる大樹。樹海の守り樹。聖域の象徴。生まれた時より大樹と共にあるわたくしには、どことなくずっと感じるものがありました』
ただ、世界で一番古く、大きな木?
樹海の中枢?
否、それだけではない。この世界の象徴だけでは収まらない。
『もっと、そう、もっと深く、世界の根幹に根付いているような……それは物理的な話ではなく、概念的な、人知を超えた何かと繋がっているような……申し訳ございません。上手く言葉にできないのですが……』
虚空を眺め、必死に己の中にある感覚を言葉にしようとして、しかし、結局見つけられず苦笑いを浮かべたリューティリスは、再びハジメ達の方へ視線を向けた。
それこそ、人知の極致に至っている超越者のような瞳を。情報に干渉する神代魔法の使い手の、ゾッとするほど深い眼差しだ。
『ですが、どうか覚えておいてくださいまし。大樹は、ただの古く大きな樹ではないということを。大樹を失うことは、何か取り返しのつかない厄災に繋がり得るということを』
だから、大樹自体の破壊だけは、どうか自重してほしいと願って。
『選択の結果は、ウーちゃんの末裔に伝えてくださいまし。きっと、貴方のその選択が、世界にとって最良であると信じますわ。……なんて、ミレディたんなら言いますわね?』
憂いと、超越者の雰囲気をフッと消して微笑むリューティリスに、ハジメ達は知らず詰めていた息を盛大に吐いた。
幻影のリューティリスが、ぱんっと雰囲気を変えるように柏手を打つ。
『さぁ、堅苦しいお話はここまで。報償授与のお時間ですわ!』
ウロボロス三世が、その時を超えた命令を受けたように動き出す。ハジメ達に場所を空けさせ、その足下に黒煙で魔法陣を描いた。
途端に、床が反応してゴゴゴッと両サイドにスライドし、その下から大きな木棺がせり出してくる。
「なんか見覚えあるな」
「……ん。というか、普通に夢の試練の木棺では?」
『妄想世界に誘う試練の木棺ですわ!』
ユエ様、大正解。
リューティリスさん、にっこりにこにこ。輝く笑顔で、まるでテレフォンショッピングの販売員みたいに説明し出す。
『妄想は素晴らしい。妄想ならなんでもできる! 最近は嫌がってわたくしを避けるメイルお姉様に踏んでいただくことも! 椅子になることも思いのまま!』
「なんて?」
聞こえていたけれど、聞こえなかったことにしたいハジメ。みんなの視線がティオに向く!
「な、なんじゃ! 妾だってご主人様に踏んでもらったことも椅子にしてもらったこともあるのじゃ!」
「「「「「いや、そうじゃない」」」」」
誰が張り合えと言ったか。というか、もうリューティリスさんに関して驚くのは疲れたので反応したくない。大迷宮の試練が〝あれ〟な感じなのは、間違いなく彼女の性癖が原因だ。もう確信しかない。
『妄想こそ人生の彩り! 妄想なき人生に華はなし! ですわ! だだをこねにこねてオーちゃんさん達に作っていただいた妄想アーティファクト! もちろん、安全性は完璧。依存症になりかけと判断されれば自動的に叩き起こしてくれるバージョンアップ版ですわ! まぁ、オーちゃんさん、そんな嫌そうな顔しないでくださいまし! 貴方の作品の中でも、これは傑作ですわよ! わたくし、寿命で死ぬギリギリまで使わせていただきますわ!』
記録取りをしているだろう過去のオーちゃんさんの心中は察して余りある。彼の苦労が偲ばれる……
というか、つまりこれ、リューティリスさんの使用済み木棺というわけで……
『さぁ、現実と変わらぬ夢幻にして無限の世界を、どうぞお楽しみくださいまし』
そんな、ドン引きするようなことを無邪気な笑顔で言ったかと思えば、一拍おいて、慈愛に満ちた微笑を浮かべるリューティリス。
『最後に、もう一度言わせていただきますわ。わたくし達の悲願を叶えてくださり、心から感謝いたします。もちろん、わたくし達のためでも、もしかしたら世界のためですらないかもしれませんが、それでも、英傑殿。貴方は世界を解放してくださりました。なればこそ、わたくしは、わたくし達は、心より感謝と祈りを捧げますわ』
――貴方様の未来が、自由な意思と幸福に満ちていますように
そうして、虚空に溶け込むようにしてリューティリスは消えていった。
正直、雰囲気の乱高下についていけない気分だったが、それでも彼女の想いは確かに伝わって、
「まぁ、なんだ。今言ってもしょうがないんだが…………どうか心安らかに眠ってくれ」
仲間と過ごす楽しい妄想でもしながら、と言い添えて、ハジメは苦笑いを浮かべたのだった。
愁と菫が、両手を合わせて黙祷する。それを見て、智一達も、ユエ達も、遙か昔の女王様の冥福を静かに祈った。
しばらくして、ウロボロス三世さんの羽音で全員が黙祷を解いた。
見れば、ウロボロス三世が木棺の上に立っている。はよ持って行け、ということか。
「ええっと、ハジメ君。これ、どうするの?」
香織が、これ持って帰るの? と、まるで煩悩を具現化したようなお持ち帰り用木棺になんとも言えない表情を向けて尋ねる。
他の者達も、面白そうだけど使用済みはちょっと……みたいな嫌そうな表情だ。
そんな中、ハジメは少し思案顔になり……
「………………一人用…………だが、改良すれば……あの夢のマシンを作れるか?……仮想現実の勉強をし直さなきゃだが……これをベースにするなら一気に…………ミュウも訓練したいと言ってるし、安全性と自由度を考えれば有用…………RPG風に設定を……」
何やらブツブツ呟いていらっしゃる。
実は、後にユエと香織がぶっ込まれることになる、とあるゲームの元ネタにしてシステムのベースになったりするのだが……それはまた別のお話。
「うん、せっかくのご厚意だからいただいておこう」
「……ハジメ、また奇妙で趣味全開なものを作ろうと思ってる?」
「期待しててくれ」
なんだか凄く嫌な予感がするユエ様。大当たりである。
木棺を〝宝物庫〟にしまいつつ、ハジメは改めてウロボロス三世に視線を向けた。
静かに、判断を待っている。
ユエ達も、そして愁達も同じくハジメを静かに見つめている。
ハジメは少しの間、先程までリューティリスのいた玉座をじっと見つめた。
果たして、ハジメの選択は――