トータス旅行記㊶ 今、お迎えに行きます
赤く染まった大樹の中の樹海。
地獄の業火もかくやという灼熱が、この階層の最初のボス――トレントモドキごと一切合切を焼き滅ぼしている。
トレントモドキが固有魔法により必死に木々の再生を行うが、それを嘲笑うかのように上空を旋回する円月輪の内輪から、奈落産のタールが絶えず降り注ぐので虚しい努力に終わってしまう。
次第に、トレントモドキのみならず周囲に集まっていたらしい他の魔物からも断末魔の悲鳴が上がり始めて……
「地獄絵図なんだが」
「地獄絵図ね」
愁と菫が遠くを見ている。容赦なく森林火災を起こす過去の息子から目を逸らすように。
一方、鷲三さんはハジメが放火の決断をした理由に顎をなでさすりながら唸っていた。
「うぅむ。未熟と言えばそれまでだが……」
過去映像の中で、結界に守られる雫や鈴、龍太郎が愁や菫と同じような表情をしていて、光輝だけは歯がみするような表情になっている。
勇者としての最大威力の切り札を繰り出しても結局はトレントモドキを仕留めきれず、複雑な心情を向ける相手にあっさり片付けられてしまう……
その事実を前に、光輝が内心に溜め込み始めた劣等感や嫉妬など負の感情を、幼い頃からの門下生として見てきた鷲三には読み取れたのだろう。
それは虎一や霧乃も同じらしい。自然と光輝の様子に注目しつつ疑問を口にする。
「自分の才能が通じない局面ばかりで動揺してるわね」
「しかし……ハジメ君。勇者という存在は、この世界でも破格の能力を誇るのだろう? だからこそ召喚された。大迷宮の試練が至難であることは、この旅行でよく理解したが……それでも、ここまで通じないものなのかね?」
「いえ、今回は特に相性が悪かったんだと思いますよ」
「相性?」
「ええ。魔物にもタイプがあります。見ての通り、トレントモドキは木を元にした魔物ですから火属性の攻撃には弱い」
「……ん。当時は特に意識してなかったけれど、たぶんこいつ、光属性に対する耐性を持ってる」
「確かに、植物系の魔物は光属性に対する耐性持ちが多いですね」
愛子が納得の表情で頷いた。愛子の切り札〝樹海顕界〟では、樹海を創出するだけでなく、その樹海の木々に疑似魂魄を与えてトレント化させるので、その辺りはよく理解しているのだ。
ハジメやシアは圧倒的威力の物理攻撃がメインであるし、ユエやティオの魔法も大威力ばかり。香織も分解魔法を得てからは属性の優劣など関係なくなっている。
だから、ハジメパーティーのメンバーがそれを意識することはなかったが、本来、一般的な冒険者や兵士達は、戦闘力が拮抗ないし劣っている場合はその辺りを意識して戦ったりする。
雫が腕を組んで苦笑いを浮かべた。
「光輝と戦わなきゃってなった時、龍太郎なんかは奈落下層のトレント系の魔物の魔石を手に入れていたわね。これより強力な魔物で、耐性だけでなく吸収能力まで持ってる奴よ。それで転変して〝神威の巨人〟の一撃を、見事に耐えていたわ」
「魔物と戦うのはポケモ○バトルと同じということなの!?」
「いやいやミュウちゃん。魔物同士で戦わせるなんてこと、変成魔法を持ってない限りありませんからね?」
「パパ! 鈴お姉ちゃんの魔宝珠、ミュウも欲しいの! ミュウのミ○ウツーが火を噴くぜ! なの!」
「この世界にミ○ウツーはいねぇよ。どっちかというとモンス○ーハンターの方だから」
「違うの。ルシファー達ゴーレムの姿をポケモ○のデザインにするの!」
「ああ、なるほど……もうちょっとデザイン考えてみるか……」
愛娘のおねだりにはめっぽう弱いハジメパパが真剣に思案し始める。結果、無骨なゴーレムだけでなく、動物モデルや幻獣モデルのグリムリーパーがいろいろ作られていくのだが……
「魔物って怖い外観ばかりだけど、ポケモ○みたいなのだったら愛らしくていいわねぇ」
のほほんと感想を述べる昭子さんは、まだ知らない。後に起きる某深淵卿の悪魔事件をきっかけに、グローブをはめたカンガルーなグリムリーパー――チャンピオンが畑山家に居着くことになり、ご近所さんからますます「畑山さん、あんたの家、変わっちまったな……」と評判(?)になることは。
閑話休題。
「まぁ、光輝のことは今言っても詮無きこと。それより、雫。あれくらい一刀両断にできなくてどうするのだ」
「じゃあお爺ちゃんがやってみてよ……いえ、やっぱりやめて。普通に危ないから」
未熟と言われれば否定はできないものの、むっとして言い返した雫。が、やれと言われたらマジで挑戦しかねない祖父の気質を思い出して我に返る。遅かったが。
「ふむ……ハジメ君、今は攻略者権限で魔物や試練を止めているようだが、あれだけ出すことはできるかね?」
「まぁ、できますが……」
「試そうとしないの! 見てたでしょ? 無制限に木の魔物を生み出せるし、たぶんだけど魔石を破壊しない限り再生もできるんだから!」
「こちらも再生ならしてもらえるだろう。死んでも生き返れるのだし問題なかろう」
「こんなところで妙な潔さを見せないで!」
「ならば……一太刀だけ。一太刀だけ入れさせくれ! なんだかいけそうな気がするのだ! 老い先短いじじいの頼みだと思ってっ」
「老い先短い人は怪物を前にうずうずしたりしないわよ! ほら、お父さんとお母さんも物欲しそうな顔しないの!」
八重樫家の皆さんは平常運転。
無制限に樹海を生み出せるトレントモドキの相手は確かに危険だ。観光なのに蘇生前提で語るのもおかしな話である。
とはいえ、だ。
お昼に鷲三の割と本気の戦いの相手をしたハジメからすると、黒刀を持たせたうえで、確実にトレントモドキの本体に一太刀を入れる機会さえ作ってあげれば……
(マジで一刀両断しそうなのがこえぇよなぁ)
もちろん、雫の予想通り魔石を破壊しない限り再生するのなら、それで決着とはいかないだろう。だが、両断だけならできてしまいそうなのが恐ろしい。虎一と霧乃は少し無理がありそうなものの、鷲三は二人の更に数段上の実力者であるが故に。
少し身震いしているハジメに、愛子が「そう言えば……」と小首を傾げて尋ねる。
「もしかして、私の〝樹海顕界〟のアイデアは、このトレントモドキさんの能力から着想を得て教えてくれたんですか?」
「そうだぞ。植物に干渉する魔法に絶大な適性のある愛子なら、魂魄魔法との併用でいけるんじゃないかと思ってな」
なるほど、と頷く愛子だったが、その横で昭子が目元を引き攣らせる。
「え、ちょっと待って、愛子。あんた、こんな怪物を生み出せるの?」
「うん。できるよ?」
「……ねぇ? あんた、うちの農園の土壌とかいろいろ改良してくれてたわよね? まさかと思うけど、勝手に木が動いたりは……しないわよね?」
愛子は、すっと視線を逸らした。
「ちょっとぉ~~っ! あんた、うちの農園に何してくれてんのよ! 果実に変な効能とかついてないでしょね!? ハッ、まさか味が良くなったのも魔物の影響……」
「それは大丈夫! 果実の木とは完全に別の木だから! ほらっ、たまに盗まれるって言ってたでしょ? だから、警備代わりに……」
「木々が襲いかかってくる農園とか、違う意味で有名になっちゃうでしょうが!」
「それも大丈夫! ばれないように、木の根っことかでこっそり撃退してくださいってお願いしておいたから……」
「それはそれでホラーでしょうが! 正体不明の何かに撃退されるとか怖いわよ!」
「……よ、良かれと思って! 良かれと思って!」
「良かれと思って? ハジメ君! ユエさん! うちの娘の常識を返してくれるかしら!?」
「「な、なんかすみません……」」
昭子さんの強烈なジト目と、〝良かれと思って〟数々のことをやらかしている事実を前に、ハジメとユエは盛大に目を泳がせた。
愛子は愛子で、「え? 私の常識……なさすぎ?」と、無自覚に変わっちまっていた自分に愕然としている。彼女は彼女で、異世界トリップの後遺症(?)を治すリハビリが必要なのかもしれない。
「それで、ハジメ。あのトレントモドキの洞に入って次の場所か?」
空気を変えるためか、過去映像の中でトレントモドキの幹にできた洞に入っていくハジメ達を指さしながら、愁が大きめの声で尋ねる。
「いや、このまますっ飛ばして一気に頂上の庭園に行こうと思ってる」
「なに? 大樹の大迷宮の見学はこれだけか?」
確かに旅行の日程的には少し押しているが、そこまで急ぐ必要があるのだろうか、と愁が訝しむ表情となった。
「香織の活躍をもう少し見てみたい気もするわね」
「娘が天使になったんだぞ、ハジメ君。もっと天使が天使するところ見せてくれ。君がだいたい爆撃するか燃やすものだから控えめじゃないか」
「あ、あのね、お父さん。天使の連呼はやめてほしいのと……この先でも、その、あんまり活躍はしてないから……ね?」
香織がやんわりと残りの見学をすっ飛ばすことに賛成の立場を表明するが、白崎夫妻だけでなく、菫達も、ミュウとレミア、そして愛子も含めて物足りない様子だ。
「ハジメ、この先に酷い光景があるんでしょうけど、私達だって奈落での光景を見てきたのよ? 魔法で精神安定も図れるんだし……」
「いや、母さん。確かに酷い光景があるから見せたくないんだが、ベクトルが違うんだ」
「ベクトル?」
「う~んとだな、次の試練は理想的な夢の世界に捕らえるというものだから、そもそも過去視できない」
だよな? と改めてユエと香織に視線で確認を取ると、二人は揃って困り顔で頷く。
「……ん。過去視は現実に起きた事象を視るものだから」
「眠っている姿は見られるけど、その時に見ている夢の内容までは、ね。過去に考えていたことまで可視化するのはちょっと無理かなぁ」
「で、あろうな。魂魄魔法なら夢の中に入ることも、あるいは夢を現実に投影して表出することも可能であろうが、それも目の前にいてこそじゃ。既に存在しない過去の脳内イメージには干渉のしようがなかろう?」
ティオの補足説明も聞けば、なるほどと頷かざるを得ない。
「つまり、次の試練の場所にはハジメ達が眠っている姿しかないわけね……」
「そういうことだ、母さん。そんで、三番目の試練は……モザイクありでも見せるわけにはいかない。特に、父さん達には絶対に」
「ん? それはどういうことだ?」
「センシティブがすぎる」
「んん?」
「義父様、義父様。つまり、あれです。エッチなトラップなんですよ」
「リアルエロダンジョンだとぉ!?」
「リアルエロダンジョンですってぇ!?」
南雲夫妻のテンションが爆上がり。他のご家族から白い目が注がれる。とりあえず放置。
「うぅ、あれは恥ずかしかったよね……」
「発情を促す白いスライムの海じゃからのぅ。妾も危なかったのじゃ」
「いや、ティオは普通に耐えてたじゃない」
「なのにハジメさんに冷たくされて敗北しかけるとか……ほんと、ティオさんですよねぇ」
「……ん。というわけで、全員が白濁液まみれで、ちょっとハジメ以外には見られたくない有様なのでご勘弁を、というわけです」
ユエの言葉でそういうことか、と内容が内容だけに曖昧な表情で理解を示す。が、一人だけ、よく分からなくて首を傾げる者が。
「みゅ? ユエお姉ちゃん、白いスライムさんまみれだと、どうして見られたくないの? 他の色ならいいの?」
「!? そ、それは……ハジメ!!」
「ここで俺にふるのはダメだろ!」
幼女の純粋無垢な疑問がユエお姉ちゃんに直撃。どうしてどうして? と興味津々な眼差しを向けてくるミュウにどう説明すべきか激しく視線を泳がせ、テンパった末にハジメへとまさかのキラーパス。
ミュウのキラキラお目々が、今度はパパを直撃。なので、
「レミアァッ!!」
「あらあら」
レミアママに丸投げする。レミアは頬に片手を添えて、焦るハジメとユエに微笑ましげな笑みを見せる。余裕だ。というか、むしろ説明役を任せてもらえて安心している節すらある。
それもそうだろう。かつて、海底遺跡攻略後の数日の滞在の間、ミュウは大人がされて困るベスト3に入るだろう定番の質問――赤ちゃんはどうやってできるのか――をハジメにしたのだが……
その時のハジメは困り果てた末に、こう説明した。
――水、炭素、アンモニア、石灰、リン、塩分、硝石、イオウ、フッ素、鉄、ケイ素、その他少量の十五の元素を摂取するとできる
その夜、夕食の席で自信満々に「赤ちゃんの作り方をパパから教わったの!」と発言したミュウに全員がギョッとしたのは当然。
更には、ミュウが物質の意味までは分からずとも見事に暗唱してみせたものだから、全員がハジメにマッドサイエンティストを見る目を向けたのも当然だ。特に、香織は元ネタを知っていたので余計に。
全力で視線を逸らすハジメを、その夜、レミアは寝かせなかった。恐ろしい笑顔と共に無言で「表に出ろ」と告げてこんこんとお説教をしたのである。
「ミュウ、ちょっとこっちにいらっしゃい」
「ママ?」
少し離れた場所へ、レミアに手を引かれてトテトテと歩いて行くミュウ。レミアはしゃがみ込んで、そっと耳打ちした。ミュウがふむふむと頷き、「え!?」と驚いた表情になり、次いでぷるぷると震え出す。
そうして、再び手を引かれて戻ってくると、
「……ミュウは、白いスライムさんには絶対に近づかないの」
恐ろしそうに、かつ、至極真剣な表情でそう宣言した。
「レミア、なんて説明したんだ」
「うふふ」
「なんの笑いだ」
気になるんだが……と、ハジメだけでなく他の者達もレミアを見るが、レミアはほんわかと笑うだけで何も言わなかった。
「ごほんっ。それはそうとハジメ君。その……大丈夫だったんだろうね? 天使な香織がそんな状態だと君とて……いや、待てよ。そもそも光輝君と龍太郎君もいるじゃないか!」
「大丈夫です。初っ端から正気でなくなっていたので拘束しました。途中で意識も失ってましたから」
「君は?」
「自分は全身に雷を纏っていたので、そもそも影響がなかったんですよ。ちなみに、香織達は自力で耐えきるとのことだったので、俺は周囲の警戒をしてました。もちろん、手を出したりはしてませんよ?」
「そ、そうか……」
くっつかれていたことは言わない。香織から一瞬の目配せで止められたから。
娘から「お父さん、時々面倒くさくなるから……」と思われているとは思いもせず、ほっとしながら「そういうことなら確かに見学するわけにはいかないか」と納得する智一。同じく胸をなで下ろしながら、薫子が尋ねる。
「それで、結局そのスライムはどうしたのかしら?」
「とんでもない量が溢れ出してスライムの海みたいになったので…………火の海に変えてやりました」
「結局それか! 君はどれだけ放火が好きなんだ!!」
「誤解ですよ、智一さん。ちなみに、最終試練ではユエが空間全体を蒼い炎で燃やし尽くしました」
「んん!? ハジメ、なんで今それ言った!?」
「「似た者夫婦!!」」
白崎夫妻が綺麗にハモるのを横目に、鷲三が話の軌道を戻しにかかる。
「それで、その次の最終試練が例の〝感情反転〟と、口にするのもおそろしいという敵がいるやつかね?」
「ええ、そうです」
「うぅむ。ハジメ君、魂魄魔法のケアがあっても本当に精神が持ちそうにないのかね? 感情が逆になる試練は非常に興味があるのだが……」
「すまぬ、鷲三殿よ。妾、あの空間に再び入って、まともに魂魄魔法を使える気がせん」
「……ん。右に同じく。知らなかったから勢いで乗り切れた。けど……」
「既に知っていると逆に恐怖が増すよね」
「黒ごまは嫌よ」
愛子だけは未だ知らぬ身なので、昭子が視線で「あんたは知らないんだから助けてあげられるんじゃない?」と問うが、「ティオさん達ですら発動が難しいとなると、私も自信ないよ」と愛子は首を振った。
「そこまで言われると逆に気になってくるんだがなぁ」
「ダメだ。あそこは決して開けてはいけない禁断の場所なんだ!」
「わ、分かった分かった。落ち着け」
「ユエちゃん達までそんなに嫌なら無理は言わないわ。でも、そこまでのエリアは、過去視しなければ問題ないんでしょう? せっかくだし、もう少し大樹の中を見てみたいのだけど?」
「……ん~、特に何もないですけど、それでもいいなら」
確かに、せっかくの大迷宮見学なのにワンフロアだけというのは少々寂しいかもしれない。
最終試練の空間にさえ入らなければ問題はないのだし……というわけで、散歩がてら天辺の庭園は後回しにしてもう少し見学すべく、一行は攻略者権限で洞を創り出したトレントモドキの中へと入っていた。
それが間違いだったとは思いもせずに。
転移の光に包まれて、ハジメ達は木の棺がサークル状に並ぶ空間に出た。挑戦者の数に応じて増減するのだろう。当時と異なり今は六つだけ並んでいる。
「挑戦中に転移すると、強制的にこの棺の中に転送されて睡眠状態になります。で、自分の理想とする夢の世界に囚われるんです」
「……夢を見ている間は、この木棺の中が琥珀みたいになる。一種の封印。自力で目覚めれば勝手になくなるけど、そうでないなら誰かが壊さないと出られない」
「で、出られないって……その場合、どうなるのかしら?」
昭子が恐る恐る尋ねるが、その答えはハジメ達も持っていない。ただ、シアの推測が最も的を射ていそうではあった。
「樹海では、死者は木の根元に埋めて自然へと還します。大迷宮が試練をクリアできなかった者を自動的に帰してくれるとは思えないので、リューティリスさんが森人族であることも考えると、たぶん……」
「よ、養分になっちゃう的な?」
愛子の言葉に、シアは苦笑い気味に頷いた。端的に言って恐ろしい。そうなると気になるのは当然、〝理想世界の内容〟だ。脱出の難度は、そこにかかっている。
「ハジメは、どんな理想を夢見たんだ?」
「制服着たユエと日常生活。召喚も奈落もなしで」
「ああ~」
召喚されてからハジメが経験した地獄を知っているだけに、愁も菫達もさもありなんといった様子だ。
「朝起こしてくれるユエも、一緒に通学する制服姿のユエも、風呂上がりに髪をかわかしてくれるユエも実に最高だった。ごちそうさまです」
「……ふふ。今は正夢になってる。幸せ?」
「幸福絶頂とはこのことだな」
「……もぉ、ハジメったら! 私も幸せ~♪」
「「すぅぐっ二人の世界に入るぅ!!」」
ふんわり湧き上がる桃色結界を、香織&シアがぶった切りつつ「私もいたんだよね! ちゃんとね! ちゃんとね!」「私もですよ! ウサミミなしなんて酷い有様だったらしいですけどね!」と、決してハジメの理想から除外されていないアピールをする。
ミュウが不安そうに「パパ、ミュウは? ミュウはいた?」と袖口をくいくいっと引っ張った。
「もちろんいたぞ。ユエと幼稚園へお迎えに行ったんだ。俺は学生の身分だから、レミアとの関係を怪しまれているという設定もあった」
「それは……リアリティがあるなぁ。実際に、レミアちゃんはいろいろ邪推されたものなぁ」
「そ、そうですね……ミュウの年齢的に、私が小学生か中学生なりたてのハジメさんを……その、手籠めにしてしまった的な……うぅ」
今は誤解も解けている……と思うが、当時を思い出して真っ赤な顔を両手で覆うレミア。ショタコンと思われて、男子園児の保護者達から微妙に警戒の視線を向けられたことは、未だに心をチクチクする。
「でも、ちゃんと抜け出せたのね? えらいじゃない」
「結構強引なところはあったけどな。まぁ、理想のユエじゃあリアルのユエには勝てないってことだ」
母親にぽんぽんっと頭を撫でられて、ハジメは若干恥ずかしそうに身を引いた。そして、隙あらばユエスキーな発言をするので香織達からジト目を頂戴する。
「ユエちゃんもやっぱりハジメとの理想の生活を夢に見たのかしら?」
「……ん。十一人の子宝に恵まれました。国も王権も渡しました。全てはハジメの思うがままに」
「「重いっ」」
と、愁と菫の声が重なるが、他の者達も同じように思っていることは表情を見れば丸わかりだった。
「……安心してください、お義母様、お義父様。きっとリアルでも十一人以上生んでみせます!」
「ちょっと多くないかな!?」
「ハジメが死んじゃうわよ!」
たぶんきっと、夢で子宝に恵まれたせいでリアルに欲しくなって目覚めたに違いないと、女性陣が引き気味にユエを見やり、男性陣がハジメへ死地に向かう兵士を見るような目を向けた。ハジメの目は虚空を眺めている……
「か、香織はどうなんだい? まさか同じような夢を……い、いけないよ! いくらなんでも体の負担が!」
「お父さん!? 何を言ってるの! 私をユエみたいなエロリストと一緒にしないで!」
「……は? 私をエロの権化と申したか? このメンヘラの化身が!」
「酷い! 私の夢はユエなんかよりずっと健全だもん! 青春ドラマみたいな日常を過ごしただけ!」
「で、日常的にハジメさんを襲ってたんですよね?」
「……」
シアの指摘に、香織はスッと視線を逸らした。顔は真っ赤だ。智一が「薫子! 再教育だ! うちの天使が悪い方向へ突き進んでる!」と必死に訴える。が、薫子さんは頬を染めて「あらまぁ。これは結婚前に既成事実ができちゃうかもしれないわね………………私達のように」とか呟いている。
初耳だったのか、香織がバッと智一を見た。智一はバッと視線を逸らした。「違うんだ……いつの間にか意識がなくなって……」と消え入りそうな声が聞こえてきた。意図せず、朝起きたら薫子さんが隣にいたのかもしれない。
何があったんだ……と誰もが思うものの、今の香織やこれまでの薫子の言動を見ていると、なんとなく想像できるというもの。
「ちなみに、私の夢にもちゃんとユエ達はいたよ。ハジメ君の最愛が私だっただけで。ユエが、ハンカチを噛んでキィーッて悔しそうにしているのには心がスッとしたよ!」
「……くたばれ、バカオリ」
「あ、でも雫ちゃんは私と同じくらい愛されてたから安心してね! ハジメ君と雫ちゃんに挟まれる幸福感は……うん、かなり危なかったよ」
「どこにも安心できる要素がないわ。香織の思考が一番危険よ……」
薫子の闇が見えそうだったので誤魔化すように香織が夢の補足説明を行うが、それの内容も闇が滲んでいたので、あまり意味はなかった。
「シアお姉ちゃんとティオお姉ちゃんは? やっぱり、みんな出てきたの? 楽しかった?」
好奇心満々で尋ねるミュウに、しかし、シアとティオは自然と視線を合わせて苦笑いを浮かべた。てっきりユエや香織のように楽しげに語るかと思っていたので、ミュウは不思議そうに首を傾げる。
すると、ハジメはミュウの頭を撫でながら、どこか優しい微笑を浮かべた。
「楽しいというより、きっと優しい夢だったんだろうよ」
「優しい、夢?」
ミュウの視線が改めてシアとティオを見る。大人組は既に察したようだ。二人が見た夢の内容を。その重みを。
「そうですね。優しい夢でしたね。そのままたゆたっていたくなるくらい」
「失った者は帰ってはこない。分かっていても、もう二度と見ることも言葉を交わすこともないはずの相手との時間は……あまりに甘やかじゃったのぅ。まこと、恐ろしい試練よ」
ハジメや香織は、手が届かないだけで失ったわけではなかった。故郷も、家族も、確かに存在していて、そこに手を伸ばすための旅だった。
ユエは、当時はまだ祖国に裏切られたという認識だったから、裏切り者達が夢に出てこなくて、女王のままハジメ達がいる状況であれば、それ以外に感じ入ることなどなかった。
だが、シアとティオは違う。
二人共、故郷を追われ、家族の多くを失った。それが丸ごとなかったことになっていて、夢の中で再会して、そこに現実で育んだ絆――ハジメ達までいるとなれば、それは確かに甘やかだったろう。
猛毒と称するに相応しいほどの、優しい世界だったに違いない。
「あ……ご、ごめんなさいなの……」
ミュウも、年齢不相応に聡い子だ。二人の、どこか儚げな表情と声色で察したのだろう。楽しかった? なんて聞いてしまったことにさぁっと青ざめて、震える声で謝罪を口にする。
シアとティオは首を振り、ミュウの前にしゃがみ込んだ。ハジメに代わって頭を撫でながら穏やかな表情を向ける。
「いいえ、ミュウちゃんは悪くありませんよ。確かに、楽しかったです」
「うむ。時代を超えて、みなで過ごす時間は奇跡のようであった。妾とおそろいの衣装を着たミュウは、それはそれは可愛らしかったぞ? 妾よりずぅっと、お姫様のようじゃった」
「私の場合エリセンが東の海にありまして、ミュウちゃんとも毎日遊べましたよ」
「みゅ……」
くすくすと笑うシアとティオに、ミュウの顔にもぎこちなくではあるが笑顔が戻る。
「ただ、とことん優しい世界でしたが、その分だけ一生懸命に歩んできた私の現実を冒涜するものでした。辛いことがたくさんあっても、現実でミュウちゃんと過ごした時間の方が何倍も素敵だったんです」
「妾達が現実に戻ってこられた理由には、ミュウの存在もあるんじゃ。だからの、ほれ、そう気を遣うでない。夢の世界でも、現実でも、ミュウと一緒に過ごす時間は最高に楽しいんじゃから、な?」
「……はいなの!」
両手をバッと上げて、元気よく返事をするミュウ。もう、その顔に陰りはない。
愁や菫達も、シアとティオの話を聞いて、この試練の本当の恐ろしさを実感したのだろう。強ばっていた表情が、ミュウとのやりとりで柔らかく綻んできた。
ダメ押しとばかりに、香織が残念な生き物を見る目をユエへと向ける。
「同じくらい酷い目にあったのに、ユエはどうしてこうもツッコミどころ満載の夢になっちゃったのかなぁ?」
「……おい、香織。その目をやめろぉ! この時はまだ叔父様の真実を知らなかったんだからしょうがないでしょ!!」
「ちなみに、ユエの夢に私はいたの?」
「……全員いたわ! 香織はポンコツメイド! 毎日、窓枠とか手すりに指を這わせて、『ちょっとっ、そこの駄メイド! 埃がいっぱい! 掃除もまともにできないの!』っていびり倒してやったんだから!」
「最悪だぁ! ユエって将来、絶対に昼ドラに出てくる嫌なお姑さんみたいになるよ! ね! レミアさん!」
「あ、あらあら、どうでしょうか…………素質はあるかもしれません」
「レミア!?」
私にふらないで! と困り顔になったものの、最後だけキャステイングのオーディションをする大物業界人みたいな眼差しでユエを見つめた昼ドラオタクのレミアさん。
もしかすると、十一人の子供達が将来連れてくる伴侶は大変かもしれない。
そんなやりとりのおかげか、空気が完全に旅行モードに戻る。
そうすると気になってしまうのが、この空間に入ってからほとんどしゃべらず、いつの間にか人の輪の外に退避して気配を殺している乙女である。
霧乃お母さんが目ざとく気が付く。
「雫? 貴女はどんな夢を見たのかしら」
「! ……別に、普通の夢よ。そう、みんなで学校生活。健全で平和的な、ね」
視線を逸らしてボソボソと告げる雫。ハジメが「はぁ?」と目をすがめる。
「お前、氷雪洞窟の試練をクリアした後に確か言ってた――」
「ハジメ?」
にっこり笑顔で、酷く重低音の声が響いた。思わず、ハジメが黙ってしまうほど圧のある声音だ。だが、霧乃お母さんは娘に威圧されたりなどしない。ハジメに代わって普通に口を開く。
「なるほど。大方、お姫様にでもなって、ハジメ君に守ってもらっていたとかそんなところかしら?」
「!!? な、なんでぇ!?」
「お母さんだもの」
まさかの図星。とはいえ、昭子以外は雫の中身が乙女チックであることを知っているので、むしろ納得の表情だ。昭子だけ意外そうである。
「う~ん、見られないのが残念ね。きっと、リリィちゃんを真似て、ふりふりのドレスに可愛らしいティアラとかつけていたんでしょうし」
「ッ! ッッ!?」
「ハジメ君はきっと、王子か騎士ね。あるいは両方かしら? 身分を隠している他国の訳あり王子様とか好きそうだわ。跪かれて、手の甲にキスとかされてモジモジしてたんじゃないかしら?」
「!!!!!?」
「ピンチの時に助けられるというのも好きだから、暗殺者に襲われたり……」
「待って、お母さん! なんで――」
「そうねぇ、あんたが考えそうなシチュエーションだと……そのまま国にはいられなくなって、ハジメ君と手を取り合って逃避行かしらね?」
「んんんんっ!!!」
「その過程で香織ちゃん達とも仲間になっていくのだけど、恋敵とかじゃなくて、皆からもお姫様扱いされてちやほやされてたんじゃないかしら?」
「そ、そんっ、なことぉっ!!」
「剣なんて握らないわね。直ぐに人質に取られたり誘拐されたりして、これでもかと〝か弱いお姫様ムーブ〟していたに違いないわ。で、助けられる度にハジメ君に抱きついて、『私の騎士様! 雫、怖かったっ』とかなんとか――」
「もうやめてぇーーーーーーーっっ!!!」
全て図星らしい。あまりの羞恥心に赤面&涙目となって錯乱。普段ならポニテガードするところをまさかの突撃。抜刀こそしていないものの、口封じのために鞘ごと振りかぶった黒刀で霧乃お母さんに襲いかかる。
そして、あっさり腕を取られて一回転。バックハグの体勢で拘束されてしまう。
「なんでぇ、なんで分かるのよぉ~」
「お母さんだもの」
幼少期、無理をさせていることに気が付いてあげられなかったことは、実のところ霧乃にとって軽いトラウマだったりする。
鷲三達と同じく、娘の才能の豊かさに舞い上がって目が曇っていたと言わざるを得ないが、言い訳にもならない。と、以降は殊更に内心へ目を向けるようにしてきたのだ。
なので、娘が妄想しそうなことなんて手に取るように推測できてしまう。ただし、内心を察することができても、その内心に配慮するかどうかは別の話。
直ぐに我慢したり、自分の可愛い部分を否定してしまう雫であるから、霧乃お母さんは代弁しがちなのだ。容赦なく。
「そっかぁ。雫ちゃん、そんな夢を見てたんだねぇ。もう! 可愛いんだから!」
「……ん、雫の乙女力は私達を戦慄させるレベル」
「リリィさんの衣装を着た雫さんですか…………ありですねぇ!」
「ふむ、せっかくじゃ。リリィが仕事を終えて再合流する際には、ふりふりドレスとティアラを持ってきてもらうとしようぞ」
「パパ! みんなで雫お姉ちゃんをお姫様にするの!」
「よし任せろ。リリィに連絡する」
「するな! いっそ殺してぇ! 殺してよぉーーーーーっ!!」
駄々っ子のようにジタバタともがく雫。ハジメ達の視線がすっごく生暖かい。
それがまた羞恥心を刺激するのだろう。霧乃お母さんの巧みな拘束を、昇華魔法〝禁域解放〟まで使って強引に抜け出し、部屋の隅へ。三角座りで膝を抱えると、いつものポニーテールぐるぐる巻きで殻に閉じこもってしまった。
と、その時だった。
ぽとっと、座り込む雫の肩の上に何かが落ちてきた。
慰めようと近づきかけていたユエや香織達の足が止まる。
なんだろう。黒くて小さな物体だ。木屑か何かだろうか? それにしては、なぜか忌避感が凄い。足がどうしても前に進まないくらいに。
「し、雫ちゃん? 肩に、ね? その……」
「私のことはほっといて! どうせ痛々しい奴よ! 私は!」
「……んんっ、雫。そうじゃなくて」
「な、なんかカサカサしてません? あれ」
「は、はははっ。そんなわけなかろう、シアよ。あれは、あれは最終試練の間にしかおらんはずじゃ!」
ギギギッと油を差し忘れた古いブリキ人形のような動きで、ハジメへと振り返る香織、ユエ、シア、そしてティオ。
愛子達も、そして愁や菫達も、雫ちゃんの肩の上に着地したそれを凝視したまま動けない。
ハジメもまた、ここにいるはずのない存在に、まるで認めたくない現実を前に思考停止しているかのように硬直している。
ティオの言葉を最後にしんっとする空気を訝しく思ったのか、雫がそろりそろりとポニテガードを解いた。
そして、肩越しに振り返り、その肩の上でピコピコと揺れる二本の細い何かに気が付く。
「んぅ? 何、これ――」
視線を少し下へ。肩に乗っている、黒くてテカテカした掌大の〝それ〟を、遂に認識した。
「――」
硬直。呼吸が止まり、目玉が零れ落ちんばかりに見開かれる目。一瞬で引いていく血の気。
視線に気が付いたかのように、〝それ〟が向きを変えた。それどころか、如何にも『おっと、すまぬ。着地場所を間違えた』と言っているみたいにひょこっと頭部を下げた。
それどころか、直後には理解し難いことに、妙に発達した後ろの脚で直立。
誰もが想定外の事態に硬直を解けない中、〝それ〟はいかにも、
『神殺し一行よ! よく来たな! 歓迎しようぞ!!』
とでも言っているみたいに残りの脚と触覚を大きく広げて――
次の瞬間、全方位の壁が爆発した。と錯覚するほどの勢いで〝それら〟――最終試練の間にしかいないはずの〝黒きG〟が、隙間という隙間から溢れ出した。
雫、愛子、レミア、そして昭子は、ある意味幸運だったのだろう。
「「「「――」」」」
さっさと意識を飛ばせたのだから。
悪夢など存在し得ない理想的な夢の世界へセルフで旅だった四人を除き、一拍。
「「「「「「「「「「「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!?」」」」」」」」」」」
ハジメ達は揃って断末魔の悲鳴を上げたのだった。
否。
「みゅ?」
ミュウだけは、どうしてそんなにパニクっているのだろうと不思議そうだったが。
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※ネタ紹介
・水、炭素、アンモニア~
⇒鋼の錬金術師の人体錬成レシピより。
※アニメも既に10話ですね。早い……改めて、公式Twitterの一週間限定ピクチャードラマ共々よろしくお願いします。(今週はノイントさんの優雅な日常話)
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