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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅤ
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深淵卿第三章 樹海防衛戦④ 覚醒する龍の影

すみません、やっぱり一話では終わらんかった。

次で本当に最後なんで、もう少しお付き合いください!




 暗闇に沈む樹海の中を、黒の津波が蹂躙していく。


 そう錯覚させるのは、もちろん


「「「「「フハッ、フハハハハッ!!」」」」」


 なんか高笑いしている深淵卿だ。


 総数千体の高笑いする同一人物。祠を中心に四方八方へと散っていく分身体が全てを呑み込んでいく。


 〝式〟の大群も、前線に出ていた妖魔も、新たに喚び出された死霊も、数多の呪詛も。


 そして〝影法師〟の術士達も。


 なんと言っても分身だ。何をしても雲散霧消してしまえば意味がなく、刹那のうちに別の分身体から新手が湧き出してくる。


 木から木へ飛び移っては蜘蛛のように張り付き、あるいは土遁術で地中をうぞぞぞぞっと這い進む。中には荒ぶる鷹のポーズで空中移動するへんた――分身もいれば、気持ち悪いくらい高速のモデル歩きをしてくる変態もいる。


 正面からはまずい。いろんな意味で! と隠形してやり過ごし、祠を目指そうとしても……


「「「「「貴様っ、見ているな!!」」」」」


 見てない。むしろ、全力で視線を逸らしている。


 なのに、見つかる。術と霊符でしっかりと隠匿の結界を敷いた中ならまだしも、移動中の個人が使う隠形程度では見破られてしまう。


 五人の分身体が一斉にぐりんっと顔を向けてくる姿は鳥肌ものだ。こんな樹海の奥で一般人が遭遇しようものなら、確実にトラウマもの――


「「「「「ミぃツけぇタァぞぉーーーっ!!」」」」」


 否、SAN値直葬で間違いなし。狂気に陥って、その辺の木の根に頭をぶつけて死にたくなるかもしれない。


 もちろん、相対しているのは元より覚悟ガン決まりの集団。〝龍〟の想念に当てられてしまって既に狂気に陥っている者達である。


 怯むことなどありはしない。本能的に後退しちゃうけど、ぐっと踏ん張れる!


『『『オン キリキリ――』』』


 一瞬のうちに呪殺の真言を口にする。三人がかりだ。人一人を絶命させるには過剰なほど。


 とはいえ、遅い。絶望的に。


「深淵流」

「体術」

「――スタイリッシュ(暗き闇より出ずる)に掌底(無明撃)ッ」


 きっちり三人で分担した無意味な技名が木霊すると同時に、無駄にシンクロしたターンを決めながら、三人の術士へそれぞれ掌底が叩き込まれる。


 カハッと短い呼気を漏らして意識を飛ばす三人の〝影法師〟。ぐらりと揺れる体は、そのまま倒れ込む――前に、「「「フハハハハッ」」」という高笑いを上げる分身体達にさらわれていった。深淵の如き真っ暗な樹海の奥へ。


 悪夢だ。ホラーである。新たな都市伝説に名を連ねそう。


 連れ去られた彼等がどうなったのかは、少なくとも〝影法師〟の術者達には分からない。


 捕虜に取られることは組織最大の禁忌であるが、しかし、今の彼等に撤退の二文字はないが故に。


『走れッ――一人でも祠に辿り着けば我等の勝利だ!!』


 大陸の言葉が迸る。祖国のために身命を捧げる〝影法師〟が、容易に祖国の存在を示す失態に、しかし、誰も注意を向けない。


 仲間の犠牲も、祖国の不利益も関係なく、ただ突き進む。


「させんよ!!」

「どこを見ている!」

「ラナが見ているっ」

「テンションが上がるなぁっ」


 もう誰に向かって話しているのかも分からない。が、押し寄せる十数人の卿を相手に、〝影法師〟の一人は足を止めて相対した。仲間を先に行かせつつ、右手で左袖から何かをずるりと引き抜く。


 と同時に、そのまま薙ぎ払った。


「ぬふっ!?」


 分身の一体が首と胴体の泣き別れを強いられる。


 驚くべきことに、どうやら抜刀術の一種だったらしい。霊符を束ねて両刃剣の形にしたような武器が、いつの間にか術者の手に握られていた。


 〝影法師〟で一、二を争う剣術の使い手――〝太刀影(ダイダオイン)〟。


 彼の使う霊符の剣は、普段はただの札であるが故にどこにでも仕込める。それを瞬時に束ねて刃としつつ、その霊符の効果――〝切断〟〝不可視〟の術をも発動すれば、見えぬ斬撃のできあがりだ。


 卿をして不意を突かれた一撃は見事の一言。


 だが、


「大丈夫かっ、吾輩よ!」

「フッ。吾輩、再誕!!」

「「「「おめでとう!!」」」」

「元気なアビスゲートちゃんですよ!」


 太刀影は思った。言葉は分からないけれど『こいつ、ふざけてやがるっ』と。いちいち変なポーズ取ってるから仕方ないね。


 そして、分身体達が自作自演のお誕生日会をしている間にも、太刀影の背後にはぬるりと別の分身体が現われていて。


「ぐぁ!?」


 ピトッと触れた小太刀の切っ先からアババと流れた電撃により、太刀影は白目を剝くことに。


「ふぅむ、なんとも不可解な。いったい何を考えているのか」


 分身の一体が太刀影を担いで暗闇に消えていく。


 それを見送りながら呟く卿。


 〝影法師〟は着実に打倒できている。既に幾人かを村人にした結果、総数も判明している。


 このペースなら、もう数十分もあれば片が付くだろう。


「元より、服部殿には〝可能な範囲での不殺〟を望まれてはいたが……」


 外交上の問題だ。〝影法師〟を切り捨て知らぬ存ぜぬを貫いたとしても、重要戦力を皆殺しにされてしまえば()()()()()引けなくなることもある。


 今後の超自然的な力が認知された世界で、わだかまりを残したままというのは望ましくない。


 もちろん、祠の防衛に勝る優先順位はなく、必要とあらば全滅させることも(いと)わない。そこは現場の人間に、卿達に一任してくれている。


「我等が魔王陛下も何やら()()()()()ジャスティス刑を選ばれたようであるし、吾輩もキルゼムオール! と言われるよりは良いのだがなぁ」

「実際、絶命すると呪詛の媒介になってしまう。処理が手間であるから、無力化が最も効率的ではあるが……」

「解せんな」


 そう、彼等は打つ手なしと判断すると、躊躇うことなく自害を図るのだ。死がトリガーとなっているようで、直ぐに呪詛の媒介となって周囲を汚染してしまう。


 なので、彼等を無力化した後、さっさと拘束したうえで陰陽師のもとへ運び、呪物ごと浄化してもらうのが最適解だった。


 だが、だからこそ奇妙だった。


 玉砕覚悟の特攻。それ自体は、土御門本家で黒衣の男や椿(つばき)に化けた女の自らを(にえ)とする覚悟から不思議ではない。


 やり方はなんであれ、彼等は祖国のために身命を賭すことに躊躇いがないのは既知のことだ。


 だが、彼等は決して無能ではない。


 黒衣の男と偽椿は、()()()()()()()()()()()()命を捨てたのだ。


 だが、今回の突撃はどうだ。最初の慎重に慎重を重ねた合理的な攻勢とは雲泥の差。まるで癇癪(かんしゃく)を起こした子供の暴走だ。


「これは、例のあれか?」

「〝龍〟の思念に、ということか?」

「嫌な予感がするな」

「まぁ、なんであれ、一切合切、我が深淵に呑み込めば問題ないがな!」

「「「「「しかり! しかり! しかり!!」」」」」


 ノリに乗っている卿だが、悲しいかな。独り言である。


 自問自答に区切りをつけて、更に樹海へと散らばっていく分身達。


 と、そこへ、本体からの情報共有が。


 どうやら、数多の分身軍勢を振り切って祠まで肉薄した驚くべき〝影法師〟の一派がいるらしい。精鋭中の精鋭だ。それはつまり、


「ほぅ、ようやく親玉の登場か!」

「我等の捜索網をくぐり抜けるとは、敵ながら天晴れ見事!」

「だがしかし!」

「吾輩の目から逃れられぬ!」


 フハハッ、フハハハハッ!! と深夜の樹海に盛大な独り言と高笑いが響く。


 〝影法師〟との最後の戦いが、本体のもとで始まった。











「――〝分け身を散らし(ひざまず)け〟ッ」


 裂帛の気合いが込められた、しかし、どこか幼さの残る女の声が響いた。


 流暢な日本語だ。だが、それを発したのは小柄な体格の〝影法師〟――〝影戯(インシー)〟。相手の意識を縛り、誘導する〝言霊〟の術に特化した組織随一の言語能力を誇る若き道士だ。


 もっとも、相手が悪すぎるが。


「残念!!」

「我を支配したければ!」

「〝神言〟クラスでなければな!!」


 元々の耐性に加え〝魂殻〟――〝龍〟の思念対策に支給されたアーティファクトが完全に防ぐ。そうなれば、もはや卿の行く道を遮れるものなど存在しない。


 鳩尾に肘鉄が叩き込まれた〝影戯〟が崩れ落ちる。


 それを無視するようにして、この場最大の手数を支える〝影法師〟の呪言が迸った。


『フゥーーッ、フゥーッ。境界神勅 一切死活滅道 氣精増大 万鬼創呪 急々如律令!!』


 荒い呼吸を繰り返しながら〝鏡〟の破片を握り締めた〝影従(インツォン)〟が、流血で真っ赤に染まった両手を突き出す。途端に溢れ出たのは、大量の〝式〟だ。


 〝影法師〟でもトップクラスの呪力量を持つ彼が一度で量産できる〝式〟の数は尋常ではない。


 とはいえ、最精鋭数人以外の全ての〝影法師〟を囮に、全力で隠形して祠まで五十メートルほどの位置まで接近したものの、発見された後に僅か数分で還された〝式〟の数は既に三百を超えている。


 消される端から大量に補充する手腕は見事の一言だが、その命を削って新たに生み出した二百体以上の〝式〟も……


「足りぬ!」

「吾輩に物量で挑もうなど笑止千万!!」


 二百体の卿により正面から叩き潰されていく。赤熱化した小太刀と、風刃を纏う小太刀が一刀のもとに〝式〟を両断し、爆裂する大地と、縦横無尽に飛び回る十二本の輝くクナイが闇夜ごと〝式〟を斬り裂いていく。


 その劣勢を覆えさんと、新たな呪言が響いた。


『この術は雲海を喚ぶ。この雲海は悪鬼怨霊の邪気である。禍ッ雲よ、穢れの八重雲よ! 生ある者の生を穢したまえ!』


 触れた者を病魔に犯させる猛毒の煙を操る〝雲影(ユンイン)〟の術式だ。


 溢れ出る毒々しい煙が周囲一帯を瞬く間に覆う――前に、


「深淵流」

「風遁術」

八重(はちがさね)

「――深淵之(黄泉より吹)魔風(く闇の吐息)!!」


 必要のない印を両手で組み、八人同時に息を吐き出す。もちろん、意味はない。風属性の魔法により突風が発生し、病魔の雲を一気に吹き飛ばした。


 その風に乗るようにして分身が接近し、そのまま〝雲影〟に飛び蹴りを放つ。


 同時に、分身五体が気持ち悪いほど滑らかなムーンウォークで高速後退。


「吾輩の目は誤魔化せんと言ったはずだぞ!」


 精鋭の部下すら囮に前へ前へ。一人、卿の防衛線を突破しようとした〝影法師〟の頭目――〝真影〟の左右へ、ムーンウォークで追いつく分身体。


 それを囮に、頭上という死角から荒ぶる鷹のポーズで卿が襲来する。


『式神招来――〝飛僵(フェイジィァン)〟』


 静かな声音に反し、訪れた結果は凄まじかった。


 飛来する卿の更なる頭上から新手が飛来した。相変わらずの血色五芒星の覆面に黒衣だが、〝影法師〟ではない。と、卿の直感は警告した。


 咄嗟に、荒ぶる鷹のポーズのままもう一体、分身を生み出して頭上の敵に対応させるが……


「なにぃ!?」


 降り注ぐ無数の圧力の柱に打ち落とされた。ご丁寧にムーンウォーク中の分身達まで。衝撃が迸り、分身体三体が消されたことに驚愕する。


 流石に荒ぶる鷹のポーズを解除。本体たる卿は空中の(ほこり)を足場に反転し、眼前に迫った新手を切り裂かんと小太刀の二連撃を放つ。が、


「ぉおおお!?」


 驚愕再び。人外の速度で振るわれたはずの二撃を、あろうことか新手は素手で剣腹を撫でるようにして逸らしてしまった。


 しかも、そのまま流れるように肘打ちを繰り出してくる。


 咄嗟に膝で受け止めるが想像以上の衝撃が伝播してきて目を見開きつつも、更に埃を蹴って空中で独楽のように回りながら頭上を取る。


 およそ人間には不可能な技。完璧な死角取り。


 だが、新手はそれにも対応した。同じく空中で反転し、かつ空中に止まりながら流麗の極みというべき連撃を繰り出してくる。


「飛翔の能力に達人級の武術! おまけに、人外の膂力!」

「何者だ!」

『ただの死に損ないさ』

「「「!? キャァアアアアッシャベッタァアアアアアアッ!?」」」


 叫んでいる間にも分身体を出して〝真影〟を襲いつつ、本体は目の前の飛翔自在な武術の達人と、超高速の空中武闘を繰り広げる。


 はっきり言って、純粋な武術の腕では完全に負けていた。


 まるで何百年もの時間を武術の錬磨に費やしたような、重厚な圧力が伝わってくる。


 それもそのはず。彼の正体は、


――妖魔 飛僵(フェイジィァン)


 高位の僵尸(きょうし)、つまり、キョンシーだ。


 僵尸は、実のところ第一から第八まで階級がある。物語によく見られる定番のそれは大抵が第一から第三だろう。


 法力と飛行自在の能力を獲得し、同時に生前の知能をも完全回復させた第五級の僵尸、それが飛僵だ。


 彼は〝真影〟の先祖であり、その家系の守護者の一人。数百年も武を磨き続け、強力な法力さえも取得している、言わば陽晴でいうところの〝前鬼〟なのである。


 スペック差は歴然なれど、卿が今まで相対した中で最も純粋な武に優れた存在は、その神業を以て卿の攻撃を凌ぎ、辛うじて足止めに成功している。


 そして、〝真影〟の打倒に向かった分身の方にも更なる新手が。


『式神招来――〝羅刹(ルゥォシャ)(ニィァォ)〟』

「ぬ!?」


 〝真影〟が黒染めに白字の霊符を投げた途端、その霊符が転じて妖魔が出現した。


 和名〝らせつちょう〟。姿は、灰色の体に(かぎ)のような(くちばし)と白い大きな爪を持った(つる)というべきか。墓地に漂う陰の氣が積もって形をなした妖怪で、伝承では人の目玉を奪うという。


 その伝承由来なのか、羅刹鳥が分身の一体に視線を合わせて嘴を開き、奇怪な鳴き声を上げた途端、視界が暗闇に閉ざされてしまった。


 どうやら相手の視力を奪う能力を持っているらしい。


 ならばと逆サイドと後方から別の分身体が行くが、


『式神招来――封豨(フォンシー)(ユィ)(シィァン)(リィウ)


 黒い霊符が三枚、宙にばら撒かれると同時に妖魔も三体出現し足止めしてくる。


「ォオオオオオッ!!」

「でかい! 硬い! 普通の斬撃では効かんか!」


――妖魔 封豨


 巨大なイノシシの姿。怪力で、その毛皮は並の刃を通さない。分身の一体が斬りかかるが切り裂けず、かつ凄まじい突進力で弾かれる。


「ふんっ、甘いわぁあああ!?」


――妖魔 蜮


 三本足のすっぽんに羽を生やしたような甲虫の化生。別名〝水弩〟とも呼ばれ、口に含んだ砂を放つことで、命中させた相手に発熱や頭痛といった死に至るほどの病魔を植え付ける。


 散弾のように拡散した砂の一粒が回避した分身体を掠め、それだけで意識がぼやけてしまった。咄嗟に分身体を生み出して、病魔にかかった方を霧散させて凌ぐが、散弾状に放射され続ける病魔の砂が弾幕となって主に近寄らせない。


「おのれぇ! 自然破壊反対!!」

「その無数の首、固結びにしてやろうか!」


――妖魔 相柳


 九つの人間の頭を持つ大蛇の化生。ケラケラと嫌らしく嗤う醜悪な顔に相応しく、その体から毒々しい液体を振りまいており、触れた樹海の草木が瞬く間に汚染され朽ちていく。


 そうして、左右と背後の分身を僅かな間とはいえ足止めした〝真影〟は、更に、


『ハァハァッ、式神招来! ――〝(グゥイ)打牆(ダーチィァン)〟!!』


 別名を模壁鬼(もへきき)。土塀で四方を囲い動けなくする妖魔だ。人間の行く道を妨害する性質の妖魔を、この時は防壁として利用する。


 残り三十メートル。


 その木々を薙ぎ倒し、硬い溶岩質の大地を隆起させトンネルのようにしながら邪魔の入らぬ道を作り出す。


 そして、ダメ押し。


『玉帝有勅 神硯四方 金木水火土 雷風雷電神勅ッ』


 呪術の使い過ぎで反動が来た。咳き込みと同時に吐血する。体の内側が酷く痛む。同時に何体もの妖魔を顕現させた代償も襲っているのだろう。


 だが、足は止まらない。


 たとえ、〝龍〟の想念で目的と手段が逆転してしまっていても、それは元から備わっていた〝覚悟〟の矛先がすり替わっただけの話。その重み、堅固さには些かの揺るぎもなく。


(祠の中まで行けずとも良い。入り口の数メートル手前まで辿り着けば呪詛は届く! そこまで行けば、この身は朽ちても構わないッ!!)


 莫大で切実な愛国心が、死に物狂いの進撃を後押しする。


 なぜ、呪詛そのものに転変した場合の必要な効果範囲が分かっているのか、その不自然さに気が付くこともなく、


(全ては祖国(りゅう)のためにっ!!)


 ただ真っ直ぐに突き進む。


――祠まで、あと二十メートル。


「大したものだ! だが、ここから先は通行止めである!」


 即席トンネルの左右の横壁が吹き飛び、進路上に卿が雪崩れ込んできた。


 まったくもって、とんでもない存在と相対してしまったものだ。と、心のどこかで苦笑いにも似た気持ちが湧き上がり、逆に、覆面の奥では不敵な笑みが浮かぶ。


『軽磨霹靂電光転 急々如律令ッ!!』

「「「んんんっ!!?」」」


 雷光が視覚を白に染め上げた。一拍遅れて鼓膜をつん裂くような轟音が迸り、進路上のトンネルが丸ごと消し飛ぶ。


 〝真影〟の切り札――雷電召喚の秘術。


 乾坤一擲。僅かな時間さえ稼げればと放ったそれで、いよいよ体に限界が来た。


 意識が飛びかける。視界が霞む。手足から力が抜けていく。


 だが、目標までは残り――十メートル。


 粉塵が舞い上がり視界が効かない中、それでも、あと少し。ほんの数メートル。


 それだけ進めば、もう、委ねて良い。


 作戦前に呑み込んだ、とっておきの呪物。そのうえ幾重にも重ねた術がある。藤原の姫が浄化の術を使おうとも直ぐには祓えるはずもない。


 数秒、それだけあれば祠を外からでも穢すことができる。そうなれば、〝龍〟の復活も成る。


 〝真影〟は口元に勝ち誇った笑みを浮かべ――


『我等の勝ちだ――』

「いいや、我等の勝ちさ」


 トッと軽い感触が腹部から。『あ?』と視線を下げれば、いつの間にか、粉塵に紛れるようにして地を這う姿勢から小太刀を突き出している卿がいた。


「ちと痛いぞ? 経験者が語るのだ。間違いない」


 何を、という暇もなくずぶりとめり込む卿の片手。腹部に差し込まれた異物感と、一拍遅れて襲来した激痛に、失いかけていた意識が一瞬で飛び起き、またシャットダウンしかけ、と明滅した。


 声も上げられないほどの凄まじい痛みに身動きもできず、


「耐えるがいい。それほどの気概を持ちながら、利用されたまま終わるなど本望ではなかろうよ」

『ひぐっ、ぎぃいいっ、おま、お前ッ――』


 勝手に体が崩れ落ちる。できたのは睨みつけることだけ。


 だが、その睨みで理解した。自分が何をされたのか。


 卿の手が引き抜かれる。その血塗れの手に、小さな牙らしきものが握られていた。ドクドクと脈打ちドス黒い瘴気を垂れ流すそれは、間違いなく〝真影〟が呑み込んだ呪物だ。


「ドクターアラクネ! カマンッ、プリーズ!!」

「イ゛ィ゛~~!!」


 飛び込んできたアラクネ先生が、倒れた〝真影〟の腹に再生魔法を照射していく。


「姫君よ! 回復できたかね?」

「問題ございません」


 粉塵が突風で払われる。緋月の張り手で起きた風だ。


 晴れて、かつ随分と見晴らしが良くなってしまった場所を陽晴が歩いてくる。


「――神火清明 神水清明 神風清明」


 神道における邪気祓いの言霊を口にしながら、片手の刀印を払う。更に、懐から取り出した呪符数枚を使って呪物を包み込めば、尋常ならざる気配が息を潜めるように大人しくなった。直ぐには祓えずとも、呪詛の威力を削いだ後で封印することは可能ということらしい。


「さて」


 腹部の激痛が少し収まってきて、しかし、既に限界の体では動くこともできず、歯ぎしりの音を響かせる〝真影〟に、卿が告げる。


『たった今、最後の〝影法師〟を無力化した』


 ネイティブな母国の言葉が出て驚いたのか、僅かに〝真影〟が身じろぎした。〝言語理解〟なんて言葉の壁を取り払うファンタジーな力など知らないのだから当然だろう。


 とはいえ、その驚きも僅かな間のこと。直ぐに憎々しげな気配を発し始め、顔が僅かに動く。覆面越しに現状を確認しているのだろう。


 その視界に、祠の周辺にいる場違いな敵戦力が映る。なぜかいる英国とバチカンの人員、どこの誰かも分からないコスプレ集団。当然、大量の分身も。


 陰陽師は陽晴を含め十数人しかいないが、それも、


「少し離れた場所で、お仲間も確保している。死人は少ない」


 そういうことなのだろう。


 事実、土遁術で作った檻に、エクソシストの結界と、ハウリア特製麻痺毒エミリーちゃん改造バージョンを投与され身動きどころか思考も混濁している状態だ。


 召喚した妖魔も、既に全て還されてしまったのが分かる。飛僵だけは実際の遺体から術で作られた存在であるから拘束されているだけのようだが。


 なんにせよ、もはや勝ち目がないことは明白だった。


 故に、


「チェックメイトだ」


 それが、厳然たる事実だった。


 だが……


『終わりではない』


 慄然とするほどの怨嗟が込められた声音だった。


『全ては〝龍〟のためにッ』


 肉体がある。命もある。ならば止まるわけにはいかない。諦めるなどあり得ない。


 執念というより、もはや狂気の域にある気勢が迸る。


 だから、卿は敢えて真実を口にした。〝影法師〟の現況に核心を得るために。


『聞け、大国の影よ。お前達が復活せしめんとしている〝龍〟とやらは、人の掌中に収まるほど可愛げのある存在ではない』

『黙れ。貴様に何が――』

『〝龍〟とは、この日本という国そのものだ。日本列島という巨体を有する妖魔なのだ。この意味が、分かるか?』

『……』


 それは、愛国心の塊のような彼等には急所を刺し貫く言霊のような真実だった。


『〝龍〟が復活すれば、日本という霊地を得るどころの話ではない。下手をすれば世界滅亡の危機だ。当然、君の愛する祖国も例外ではない』


 祖国の滅びに、全力で身命を賭していた。


 言外の言葉は、確かに伝わっただろう。通信は繋がっているので、離れた場所で拘束されている〝影法師〟の術者達にも伝わっているはずだ。


 果たして、どう受け止めるか。どのような反応を示すか……


『それがどうした』


 押し黙っていた〝真影〟から、嘲笑が漏れ出す。


『全ては〝龍〟のためと言ったはずだ! 〝龍〟の復活のために祖国があるっ。我等がいる! それこそが祖国の利となるのだ!』


 狂ったような叫び、嗤う〝真影〟。通信機の向こう側からも同じような狂った嗤い声が響いてくる。


 卿は溜息を吐いて、仲間の方へ振り返り肩を竦めた。


「支離滅裂の極み。確定だな」

「やっぱり、〝龍〟の思念に影響されてってことね?」

「しかし、陛下のお話では無意識に少し作用する程度だったのでは?」

「強まっている、ということでしょうか?」


 ラナが口にした推測は確定的だろう。ヴァネッサの疑問も、クラウディアの推測が的を射ているに違いない。


「まぁ、これだけ封印の地で暴れれば、どなたでもぐずる程度のことはありんしょう」


 緋月の楽観的な言葉も的を射ていればいいのだが……


 と、なぜか決着がついたにも関わらず、本能の奥の方で鳴り響く警鐘が止まらず、卿はふざけた言動もなく顔をしかめた。


 陽晴が「何はともあれ」と、本当の意味で戦いの終わりをもたらすべく前に出る。


 肩越しに大晴やご老公に視線を向ければ、了解の頷きが返り、捕虜を囲っている一族の方へ無線で通信をした。


 一拍おいて、陽晴が両手を合わせて、すっと息を吸う。


如医善(にょいぜん)方便(ほうべん) 為治(いじ)狂子故(ほうしこ) 顚狂(てんおう)荒乱(こうらん) 作大(さだい)正念(しょうねん) 妙法蓮(みょうほうれん)華経(げきょう) 心遂(しんつい)醒悟(しょうご) 是人意(ぜにんい)清浄(しょうじょう)――」


 それは狂気に陥った者を正気に戻す日蓮宗系の祈念文の詠唱だった。


 陽晴を中心に陰陽師達が一斉に唱えるそれが光の粒子となって〝影法師〟へと降り注ぐ。


 すると、あれほど憤怒と憎悪の気配をまき散らしていた〝真影〟から、徐々に困惑の感情が滲み出してきた。


 そうして、


「――開仏(がいぶつ)知見(ちけん) 使得(しとく)清浄(しょうじょう) 出現(しゅつげん)於世(おぜ)


 祈念を繰り返すごとに困惑は強まり、やがて何か振り払うように激しく頭を振ったかと思えば……


『なんたることだ……』


 震える声が微かに響いた。


『正気に戻ったかね?』


 卿がしゃがみながら問う。〝真影〟はうつむいたまま何も答えない。


 その心中は、想像するまでもなく荒れ狂っていることだろう。あるいは、焦燥に満ちているか。


 おそらく、〝龍〟の話は信じていない。日本そのものが妖魔など普通は容易に信じられる話ではないのだから当然だ。


 そんな戯言よりも、愛国心の塊のような〝影法師〟である。その胸中を締めているのは一つに違いなく、まさに〝無力化され捕まったこの状況〟こそが〝なんたることだ〟に込められた大半の心情に違いない。


 策士策におぼれるというべきか。〝龍〟復活のプランが、その〝龍〟に踊らされた結果というのも、妖魔を使役する術者としての矜持に大いに傷をつけたことだろう。


 間違いなく、失態だ。大失態だ。


『……自害、させてくれ』


 絞り出したような声音だった。紛れもない懇願だった。


 ドクターアラクネがついでに打った麻痺毒のせいで、辛うじて話すことはできるが舌を噛み切るほどの力は入らない。


 本当に万策尽きた状態で、〝影法師〟としては最悪の展開を迎えてしまったのだ。


 今更死んだところで、残った遺体の処理を自分で完璧にすることはできないから、正直、祖国の不利になる道は免れないだろう。


 せめて、自分達の死体を使って日本側に責任を負わせるなど外交のカードになってくればいいが、甘い考えだという自覚はある。


 だが、もう、ほかにないのだ。


 ただただ、大失態を犯した己への罰が、死んで詫びること以外に思いつかないのだ。


『それを認めると思うか? 死が引き金となり、更なる策が発動しないとなぜ言える?』


 卿の厳しい指摘に、〝真影〟は自嘲気味にくっと喉を鳴らした。


『……察しがいいな』


 どうやら、本当に未だ策があったらしい。絶望的な態度に反して、最後まで油断ならない有り様に、まだまだ実戦慣れしているとは言えない大晴やご老公、陰陽師達が生唾を呑み込んだ。


『案ずることはない。退却時の足止め用の策だ。退避ルートに呪物を隠してある』


 罪人の血肉を壺に詰め、死してなお牢獄に押し込めることで、その怨念を醸成する呪術。


 壺を壊せば煙のような強力な呪詛が一瞬で広範囲に広がり、触れた者の意識を死者の怨嗟で埋め尽くして前後不覚に陥れる。当然、長く続けば生気を失い死に至る。


「なんて攻撃的な撤退なの。やるわね――」

「ラナインフェリナ、ちょっと静かに」

「……はぁい」


 旦那からのまさかのご注意。ラナさん、しょんぼりと項垂れる。ウサミミもへなぁ~とする。大晴がそれをチラチラと見ながら「……なぜウマミミではないのだ」とか呟いている。ご老公から蔑みの目。陽晴の頬もヒクヒクする。


『私と、部下数人の命と連動させている。死ねば術が発動し壺は自壊する。そして、我等には効果のない呪詛が撒き散らされる。が、自害を認めてくれるなら解除しよう。できれば、我等の死体は跡形もなく消し去ってくれると嬉しいが……』

『図太いにもほどがあるぞ』

『確かに』


 苦笑いを漏らし、それきり再び沈黙する〝真影〟。生きて、再び祖国の地を踏むことは全く考えていないらしい。それは、禁忌を犯した〝影法師〟にとって死よりも辛いことなのかもしれない。


 すっかり覇気を失ってしまった〝真影〟と、おそらく離れた場所で同じ状態だろう〝影法師〟達。


 早くもバーナード達やアジズ達、そしてカム達が勝利の喜びを分かち合おうと笑みを見せ始めているが……


 魂の八割がおふざけでできているともっぱら評判の卿は、しかし、笑顔一つなく通信機越しに服部へと呼び掛けた。


『服部半蔵殿』

『幸太郎です。忍者じゃありません。あと、今はストライク1です』

『すまん、ストライク1。今の話は?』

『もち、聞いてましたよ。さっさと村人にして、壺の位置だけ聞き出してください。伏兵は警戒しときますから、陰陽師を派遣してくだされば解決でしょ』


 国家側の人間として、〝影法師〟の処遇に関する意見を聞こうとするも、ばっさりと切り捨てるような提案が返ってきた。なるほど、合理的である。


「まぁ、そうであるな」

「アビスゲート? さっきからどうしたの? 何かひっかかることでも?」


 ラナが案じるような眼差しで卿の顔を覗き込んできた。


 ラナを見返し、周囲を見回し、既に戦勝ムードが広がっているのを見て、卿は、


「いや、考えすぎであろう」


 苦笑いを浮べ、頭を振った。


 長かった夜も、もう二時間もすれば白み始めるだろう。後は、〝影法師〟を村人かジャスティスにでもして情報を引き出すだけ引き出せば、防衛戦は完全勝利だ。


 一息吐き、まだかまだかと待っている協力者達に、勝利の宣言を贈ろうと口を開く。


「諸君! よくやってくれた! 樹海防衛戦は、吾輩らの勝利で――」

『んん!? 遠藤さん!? 影法師に何かしました!?』


 唐突に響いた服部の焦燥に満ちた声。


「ストライク1? どうしたのだ?」

『どうもこうも! いきなり煙が発生しました! 触れた隊員がぶっ倒れましたよ! ん? ちょいお待ちを、今、イージスチームから報告が……壺!? 壺を見つけたのか!? 小さな黒い蛇が割ったぁ!? ええいっ、急いで退避しろ! 煙には触れるなよ!』


 通信機越しのやり取りだけで、何が起きたのか分かる。オープン回線になった通信で、更にブリッツ、デュエル、バスターチームからも同様の報告が流れてくる。


 卿達の視線が一斉に〝真影〟へと向いた。


『どういうことだ? なぜ発動した?』

『? 何を言っている?』

『例の壺とやらが、蛇の妖魔に壊されて呪詛が発動したぞ』

『は? あり得ない。謀っているのか? 取引はしないということか?』


 卿の目からしても、〝真影〟が(とぼ)けているようには見えなかった。


「遠藤様。とにもかくにも清めませんと。祠からは遠いので慌てる必要はないかと存じますが、放置はできません。それに……」

「それに?」

「嫌な予感がするのです。おそらく、遠藤様が感じているのと同じ予感……」


 どうやら陽晴もまた胸騒ぎを覚えていたらしい。


 いずれにしろ、最も効果的な対策を取れるのは陰陽師だ。服部に噴煙の位置を教えてもらい、陽晴達を高速で現場に運んで浄化する。


 そう指示を出そうとした、その瞬間だった。


 ドンッと腹の底を打つような爆音が響いたのは。


「なんだ!?」


 と、卿が状況を把握する前に地面が跳ねる。それほど大きくはないが、鳴動するように大地が揺れている。地震とは異なる奇怪で気持ちの悪い震動だった。


「おや? これはこれは、とんでもない瘴気ではありんせんか」


 一人泰然自若な緋月が、ふと気が付いたように周囲へ視線を向けた。


 いつの間にか、色濃い黒煙のような瘴気が大気を穢していた。見渡す限りの大地から、まるで温泉地のあちこちから立ち上る湯気の如く黒々とした瘴気が噴き出している。


『遠藤さん! 祠の防衛はどうなってます!?』

「問題はない。――エミリー?」

『ええ、こうすけ。こっちは何も起きてないわよ?』

『なら、どうして富士が噴火しているんですかねぇ!?』

「なんだとぉ!?」


 その報告には、流石に卿も度肝を抜かれた。慌てて木々を駆け上がり、樹海上空へと飛び出る。


 そして、目撃した。


 噴火と言えど、別に溶岩が飛んだり、マグマが噴き出しているわけではない。


 だが、確かに噴火というべき勢いで黒煙が噴き出していた。今までのゆらゆらと立ち上る感じとは比較にならない勢いだ。


 それどころか、その黒煙により空が覆われていく。


 瞬く間に月光が遮られ、暗雲というにはあまりに禍々しい気配を発する黒雲で天を塗りつぶしていく。


 富士山一帯の空気が、明らかに変わった。


 重苦しく、吐き気を催すような、名状し難い澱んだ空気に。


 もはや慣れたとも言える穢れた空気は、まさに呪詛のそれだ。ただ、規模が、濃度が、圧力が桁外れなだけで。


「まさか……〝龍〟め。直接、現世に干渉できるほどに蘇りつつあるというのか!?」


 もし、壺の破壊が〝龍〟の手によるものなら?


 最後の祠を破壊せずとも、ここでの呪詛合戦と、ダメ押しの醸成された壺の呪詛で十分に覚醒を誘うことができたなら?


 ゾッと背筋を悪寒が駆け抜けた。


 その怖気にダメ押しをするように。


「――ッ!?」


 音が消えた。と逆に錯覚してしまうような絶叫が轟く。空気の伝播による物理的な音ではない。生きとし生けるものの魂に、あるいは精神に直接叩き込まれるような常軌を逸した咆哮。


 危うく、それだけで意識が飛びかけた。


 樹海の中でも、何人か倒れたようだ。それほどの精神的衝撃だった。


 おそらく、関東圏全体に響き渡っただろう。もしかしたら、日本全土に響いたかもしれない。少なくとも、もはやメディアに対する圧力は意味をなさないだろう。


 雨が降り始め、風も吹き始めた。見渡す限りの空が既に黒い。亀裂のような無数の稲光が迸っている。大嶽丸の暗雲招来が児戯に思える規模だ。


 そして、富士山上空の黒雲の狭間に、うごめく巨大な何かが見えた。


 影を圧縮したような輪郭の判然としない、ただ長大だと分かる何か。圧倒的な気配が、今この瞬間も増大していく。


「ティオ殿……だと良かったんだがなぁ」


 願望混じりの己の呟きに引き攣り笑いが浮かぶ。冷や汗も滝のように流れていく。


「復活……ではないな。そのための分御魂を出した、と言ったところか」


 だとしても、逆に言えば〝龍の影〟というべき劣化版の存在で、日本全土に影響が出るような天変地異が起きているのだ。


 おまけに、〝龍の影〟による暴威は、明確に卿達へと向いているらしい。


 地上の分身体を通して、ラナの緊迫した声が届く。


『アビスゲート! やばいわよ! 瘴気とやらが集まって形を成していくわ!』


 分身体越しに、その光景は見えていた。


 まるで咆哮に応えるように、瘴気が形を成していく。天より降り注ぐ禍々しいプレッシャーほどではなくとも、緋月や大嶽丸に匹敵、否、それ以上の大瀑布の水圧の如き気配を発する存在が生み出されていく。


 祠の北に、巨体が現われた。


 実体は判然としない。影を象ったような、それこそ影法師のようなあやふやな輪郭。


 ただ、八首の巨大な龍であることは分かる。


 祠の南にも、とぐろを巻く巨大な蛇が出現した。こちらもやはり影を凝縮したような姿だが、頭部から角が生えているのは分かる。その影の中で、ルビーのように光る赤黒の目が酷く恐怖心を煽る。


 更に、東と西からも、おびたただしい数の大小様々な〝影の蛇〟が生み出されていく。


「まさか、日本における蛇龍伝承を再現している?」


 陽晴の震える声音が、直感を言語化した。脳裏に浮かび上がる伝説の名――八岐大蛇や夜刀之神、その他、龍や大蛇の伝承にある名が絶望を突きつけてくる。


『馬鹿な……本当に、〝龍〟は……こんなものをっ、我々は復活させようとしていたのか!』


 血を吐くような後悔の滲む叫びを上げたのは〝真影〟だった。


 術士として、人として、理解したのだろう。確信したのだろう。


 天上にうごめく〝龍の影〟と、それが生み出しただろう数多の〝蛇龍伝承の影〟を見て、〝龍〟は決して目覚めさせてはならない生命の宿敵というべき存在なのだと。


「フッ、どうやら本当の死闘はここかららしいな――南雲、急いでくれよ、マジで」


 最後に少し素に戻ってしまいつつ、それでも卿は叫んだ。


「守るべき存在を思い出せッッ!!」


 分身体も合わせて同時に迸った雷鳴の如き叱咤。


 それが、本能が感じ取る明確な恐怖を、誰もが感じているであろう絶望を吹き飛ばす。


 否応なく伝わる不退転の覇気が、一時的に〝龍の影〟が放つプレッシャーを相殺し、冷たく固まりかけた仲間の魂に火をくべた。


「戦力を祠前に集中せよ! 四方を固めろ! 影法師の拘束と麻痺を解け!!」


 明確な指示を得て、全戦力が動き出す。刻一刻と〝蛇龍伝承の影〟に包囲されていくのだ。離れた場所に捕虜など取っている場合ではない。


「服部殿!」

『了解してます。外側から挟撃をかけますよ』

「エミリー!」

『分かってるわ! 魔王様に連絡を取る! 状況が変わったって!』


 打てば響くように返る答え。戦力の配備も、名を呼ぶだけで皆が了解し瞬く間に布陣を整えていく。


 そんな中、不意打ちのように自由を得た〝影法師〟の術士達が、陰陽師達の後からやって来て、呆然としている〝真影〟の側へと駆け寄っていく。


『真影っ、チャンスです。今のうちに撤退を!』


 〝影従〟の呼びかけに、〝真影〟は言葉を返せず。自失状態にも似た有様で、ぺたりと座り込んだまま。


 そこへ、


「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば穢れは在らじ。残らじ! 阿那清々(あなすがすが)し! 阿那清々し!」


 柏手を一つ。ふぅっと息を吹けば、途端に清冽な突風が吹き、周囲一帯の瘴気が吹き飛ばされていった。


 数多の〝蛇龍伝承の影〟のうち、小さなものは消し飛び、強大な存在も一時的に存在を揺らがせて動きを止める。


 清らかな空気に戻った戦場で、小さな少女の視線が肩越しに〝真影〟を捉えた。そのあまりに真っ直ぐな瞳に、知らず喉が鳴る。


『力をお貸しください、道士殿』


 散々利用され害された一族の姫が、害した者達のリーダーに頼んだ。


 術で縛って命令を聞かせるのではなく、頼んだのだ。


 その事実に、〝真影〟の胸の奥で言いようのない感情が湧き上がった。


 あえて近い表現を探すなら、〝こんな小さな術士に負けていられるか〟という気概だろうか。人としての器で敗北を感じかけて、それを振り払うような気持ちだ。


『そこのあなた! 組織のリーダーでしょう! しゃきっとなさい!』


 いつの間に近寄ったのか。ラナが、他の〝影法師〟が止める間もなく、〝真影〟の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。


『逃げたければ逃げればいいわ! 気概のない戦士ほど、戦場で邪魔な存在はいないのだから! けど、自分達のしたことに責任を感じるなら、その捨てようした命、大事な祖国のために未だ使う気があるのなら! 武器を取れ! 拳を握れ! 雄叫びを上げろ!』


 旦那によく似たビリリと痺れる叱咤だった。


 部下達が、どうするのかと指示を待っているのが分かる。


 掟に従うなら逃げるべきだ。撤退命令は既に出ているのだから。踊らされたとはいえ、プラン通りではある。


 加えて、生命の天敵とは分かるが、日本そのものが妖魔に転じるという点は根拠がない。日本の勢力と〝龍〟が双方削り合った後に、本部から師父クラスの最強戦力を喚んで助力すれば予定通りだ。


 そんな思考が一瞬のうちに脳裏を駆け抜けて、


『総員に告ぐ。掟に背く覚悟のある者は共に戦え! 異論あるものは帰還しろ! 咎めはしない!』


 そう言って、〝真影〟は掟を一つ、部下の前で明確に破った。


 血色五芒星の覆面を自ら取り払ったのだ。


 後ろで束ねた長い黒髪を宝飾で縛った、切れ長の瞳が特徴的な二十台後半くらいの女だった。やや鋭すぎる目が威圧的だが、十分に美人と言える面貌だ。


『〝真影〟!?』

『全責任は私が取る!! 時間がない! 今すぐ決めろ!!』


 ハスキーボイスが、取り戻した覇気と共に伝播した。


 顔をさらすということは、どの道、彼女の〝影法師〟としての命は終わったということだ。その覚悟を見せられて、部下達は――


 黙って、霊符を抜いた。


 それに、少しだけ笑みを浮かべ、〝真影〟はラナと陽晴に向き合った。


「信用しろとは言わん。だが、あの角の生えた大蛇は我等がやる」

「フッ、上等よ。それじゃあ、陽晴ちゃん達には、同じくらいヤバそうな八首を任せても?」

「はい、ラナ様。必ずや」


 ラナの采配に、陽晴と〝真影〟は僅かな間、視線を搦めて……背を向けた。それぞれの部下を背に、己の戦場へと向かっていく。


「フッ、見事な扇動だ。流石は吾輩のラナインフェリナ」

「フッ、当たり前よ、私のアビスゲート」


 なんてやりとりの直後、再び咆哮が迸った。


 陽晴の浄化が効果を失い、〝蛇龍伝承の影〟が遂に動き出す。


 天空の〝龍の影〟も、その長大な巨体を黒雲の下へと降ろし始めた。


「では、行くぞ!」


 卿のかけ声に、雄叫びが返る。


 最後の死闘が始まった。



いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。



※ネタ

・貴様、見ているな! ジョジョのDIO様より。

・キルゼムオール 大魔法峠より。サブミッションこそ王者の技。

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― 新着の感想 ―
地獄事件の信者のことがあるので洗脳を解除してもまた………って予測してたら、もっと良くない展開に転げ落ちる感じで予測を裏切られたで御座る
深淵卿の分身体って、持ってる武器もアーティファクト級の攻撃力あるんかね? あと、部分分身できたら阿修羅マンとかできたりしないのかねー? 六本腕全てにアーティファクトとかそれはそれでロマン?
う~ん。 嫁候補?
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