深淵卿第三章 樹海防衛戦① やっぱり締まらないヒーロー
依然、黒煙がゆらゆらと上がる富士山。
余震も噴火もなく、ただ喫煙者が紫煙を揺らめかせるように黒い煙を噴き出す様は不気味の一言。
既に真夜中だが近隣の市町村に住む人々が安穏と寝ていられるわけもなく、どこもかしこも騒然とした雰囲気で避難を続けている。
特に北西部。
青木ヶ原樹海を中心とする一帯は、早々に政府より発表された被害予想のレッドゾーンにあるためか最優先で避難が進められた。
現在は国道も封鎖されており、報道機関どころか専門家の調査も含め一切の立ち入りが禁止されていて、ゴーストタウンの様相を呈している。
全ては即座に派遣された自衛隊による避難誘導のおかげだ。
何か一つ決定するだけでも、関係各所を巡りに巡って山ほどの承認を経なければならず、夜ということもあって噴煙確認から数時間で派遣されるなどあり得ないのだが……
まして、専門家・有識者の知見を頼る会議すらすっ飛ばして最優先避難地区が設定・発表されるなど、もっとあり得ないのだが……
その不自然さに気が付いた者は多々あれど、今のところ、いつ噴火するのか、避難はどうなっているのか、そのことに大騒ぎの段階で問題は起きていなかった。
元より、青木ヶ原樹海は遥か過去の富士山の噴火により流れ出た莫大な溶岩が堆積してできた場所であるから、あり得ない話ではない。故に、
「有力者の誰かが、封鎖指定区域に身内でもいて強権を発動したんだろう……と考えてくれますかね? ま、スケープゴートとカバーストーリーの用意は政治家の十八番でしょうし、なんとかなりますかねぇ」
国道の封鎖拠点にある大型トラック型の指揮車の中で、ようやく手に入れた胃薬を飲みながら独り言ちているのは服部だ。
いつものくたびれたスーツ姿ではなく、黒を基調とした迷彩柄の戦闘服に身を包んでいる。傍らには自動小銃まで立てかけてあった。
無数のディスプレイが並ぶ指揮車の中には他にも幾人かいて、そのうちの一人が眉間に皺を寄せながら服部に視線を向けた。
「室長。強権発動したのは貴方でしょう。上も横も相当お冠のようですよ。事が終わったら覚悟してください」
「えぇ~、何を言ってんの、君。私は下っ端だぞぉ? 強権なんて持っているわけないだろう? 責任を取るのは、省庁間の承認をすっ飛ばして大臣を巻き込んだ局長の責任で――」
「その局長に何かして強権発動させたのは貴方でしょうが。時々、物凄く怖くなるんですけど。何をしたんです?」
はて、なんのことだか……と惚けた笑みを浮かべる服部に、部下の男は盛大に溜息を吐いた。
長い付き合いだ。上司として信頼もしている。だが、この軽薄にすら見える姿の裏に潜む〝国家の番犬〟の顔がチラつくと、未だに背筋が寒くなる。
表に出ている服部の地位だけでは説明のつかない多方面へのコネクションと、時に有力者さえ顔を青褪めさせながら快く協力的になる情報力は、凄まじいの一言だ。
とはいえ、流石に今回はやりすぎである。各マスコミにまで圧力をかけているというのだから、服部をして責任問題は免れ得ない常軌を逸した暴挙だ。
「それだけ重要ということなんだよねぇ」
「……ナチュラルに心を読まないでください」
米国のポリス系映画よろしく、ドーナツとコーヒーをどこからともなく取り出して「あんぱんと牛乳は古いと思うんだ。こういうところもグローバル化していかないとね」と、夜食を口にし始める服部に、指揮車の中の部下達は揃って溜息を吐いた。
とはいえ、他国の諜報員が多数入り込んでいて、それらが帰還者よろしく特殊な攻撃法を持ち、放っておくと富士山が噴火する――なんてことを聞かされれば、否が応でも危機感は募り、気合いが入る。
服部という有能な上司を責任問題で失いたくないからこその苦言だが、事の重大性は了解しているのだ。
なお、服部は、日本自体が〝龍〟という巨大妖魔という事実を話していない。自分でも未だに半信半疑の内容だ。荒唐無稽な話をして信憑性や危機感を下げるより、噴火を誘発できる場所と方法を持っているらしい、と伝える方が現実的だからだ。
いずれにしろ、富士山が噴火すれば周囲一帯は壊滅的被害を受けるのだ。日本が受けるダメージは計り知れない。看過できないのは同じである。というわけだ。
と、そこで通信が来た。避難住民の最終確認が完了した旨の報告が届く。更に、樹海外縁部へと展開させている部隊からも。
『デュエル1よりアークへ。配置完了、標的確認できず』
『バスター1よりアークへ。こちらも配置完了した。目標の位置は不明』
「こちらアーク。了解した。各部隊、そのまま作戦開始時刻まで待機」
その後にも、ブリッツチーム、イージスチームなどなど各部隊からも報告が届く。
「……室長、このコールサイン、今更ですけどもう少しなんとかならないんですか?」
ドーナツとコーヒーを胃に納め、ちょうど立ち上がった服部に部下の男が聞く。服部は装備の最終点検をしながら、キリッとした顔で言った。
「英国さんのコールサインがサーヴァントなんだぞぉ? 負けてられないでしょ」
「だ、だからって何もモビル○ーツの名称にしなくたって……せめて初代のにすればいいのに」
「いやぁ、ジャスティスさんだかフリーダムさんが誕生したからねぇ。ここは同じシリーズでいくべきだと思ったんだよねぇ」
「……富士山が噴火するか否かって危機に、あんたって人は……はぁ」
「なんだいなんだい。まだ三十代のくせに嫌な溜息を吐くねぇ。胃薬いる?」
「いりません!」
その間にも、最後の部隊から配置完了の報告が入った。
むすっとする部下にケラケラと笑いつつ、自動小銃のストラップを肩に通し、指揮車の後部ドアを開ける服部。
「さてさて、君達。お仕事の時間だ」
途端に、直属の部隊の隊員が目を見張るほど素早く整列した。
「時間外労働だが、仕方ない。日本の危機だ」
指揮車から飛び降りて隊員達の前に立ち、ゾッと背筋が震えるような猛獣の如き眼光を走らせる。
「前門にはとびっきりの虎がいる。後門の狼が我々だ。一つ、この国の公務員は恐ろしいということを教えてやろう」
無言のまま、しかし、一糸乱れぬ動きでキレのある敬礼をする隊員達。
それに満足げに頷き、妖魔にも効く特殊弾と同じく支給された暗視と妖魔視認の能力が付与された――サングラスをかける! そう、全員が! ターンはしないけど!
獰猛な目つきのまま、でもどこか「これ結構楽しいですねぇ!」みたい雰囲気を滲ませつつ、服部は叫んだ。
「ストライクチーム、ストライク1――服部幸太郎! 出るぞ!」
「あんたそれが言いたかっただけだろぉ!」
その通りだった。
服部達が外部を固め始めたのと同時刻。
既に樹海の中心部は地獄の如き戦場と化していた。
――祠防衛線・北東戦域
祠を中心に敷いた円環状の防衛線を四分割した、時計でいうところの十二時から三時までのこの戦域。
マズルフラッシュと銃声が絶え間なく鳴り響き、夜の闇を切り裂く。味方の怒号、人の精神を削るようなおぞましい人外の雄叫びや悲鳴が幾重にも重なっている。
「二時方向に新手! 物凄い数だ! セイバー分隊5から8、弾幕集中!」
保安局強襲課セイバーチームを率いるバーナードの怒声が無線を通して響き渡る。
視線の先には、闇夜を塗り替えるような白の群れ――多種多様の〝式〟が、まるで雪崩の如く迫ってきている。
開戦当初からずっと、絶え間なくだ。
(敵方の物量が尋常じゃないぞ! 既に戦争の物量だ!)
内心で悪態を吐かずにはいられない。
一度、少数の工作員がハウリアに撃退された後、再襲来に随分と時間をかけたものだと思っていたが、この準備のためだというのなら「なるほど」と納得せざるを得ない。
それほど……ハウリアの得体が知れなかったのだろう。日付を跨がずに可能な範囲での万全を期したに違ない。
もし、効果的な特殊弾を支給されていなければ、そして、暗闇も不可視の存在も暴いて見通す〝サングラス・アビィモデル〟が与えられていなければ、瞬く間に蹂躙されていただろうと思うと背筋が凍る思いだ。
何より厄介なのは、特殊部隊ではどうしようもない不可視遠距離の攻撃が乱発されてくること。
「セイバー3および11が倒れた! 護符が焼ききれてる!」
唐突に胸元を押さえて悶絶した隊員二人。呪詛だ。未だに、ただの一人とて〝影法師〟の人員は姿を見せておらず、この広大な樹海のどこかに潜んだまま的確に呪殺をしかけてくるのだ。
「今、解呪する! 下がらせてくれ!」
「よし、セイバー8、15! カバーに入れ!」
「「イエッサー!!」」
〝言語理解〟のイヤリング型アーティファクトにより言葉の壁はなく、土御門の術者――土御門清武が駆けつける。
「なんて強力な呪詛だよっ、くそったれ!」
普段にない悪態は、一種の悔しさか。呪詛対策に配った己の護符はものの見事に打ち破られ、結界と合わせて少なくとも効果が減衰されているはずなのに、体力も気力も充溢している屈強な隊員二人が戦闘不能に追い込まれている。
流石は大陸の道士というべきか。術者としての技量に明らかな差があると認めざるを得ない。
とはいえ、こちらも不思議アイテムでスペックは上がっているのだ。何より、一度は敵に操られるという失態を犯していながら、こうして挽回の機会を与えられている。
弥が上にも気合いが入るというもの。瞑目し、意識を研ぎ澄ませ、言霊を響かせる。
「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ!!」
古神道系の祓い詞。四十七音からなる〝ひふみの祓詞〟が、二人の隊員を蝕んでいた死の呪いを打ち払う。
「っ、助かった! 礼を言うぞ!」
「セイバー1! 3および11、復帰します!」
今死ぬほどの苦痛を味わったはずなのに、むしろますます戦意で瞳をぎらつかせて飛び起き、あっという間に前線へ戻っていく二人。
「す、すげぇな……」
アビスゲートの舞台だ! 寝ている暇なんてねぇぜ! ヒャッハー! 的な雰囲気に、というか実際に耳に届く声に、清武くん、ちょっと引く。
なんて言っている間に、
「ぼぅっとしない! 抜けてきてるわよ!」
「土御門は実戦経験が不足してますね! やはりエクソシストの方が凄いって、はっきり分かりますね!」
清武の背後の地面から飛び出した蛇の妖魔を、エクソシストであるアンナのトンファーから飛び出した光の鎖が拘束。清武に噛みつく寸前で間一髪、食い止める。
その隙を逃さず、空裂葬獄のミナステリア――ではなく、ハウリアのミナが二刀を以て頭部をちょんぱした。
特殊部隊が最前線にて銃火器による間引きをし、陰陽師が呪詛対抗、エクソシストが後衛よろしく遠距離攻撃、それらを抜けてきた敵を遊撃するのがハウリア。
そういう役割分担なのだが、武術にも長けた年配の術者はともかく、清武のような若い土御門は少々経験不足のようだった。
「アンナちゃん、マウント取らないの! 君も戦場で呆けるのはダメよ? まぁ、その辺はお姉さんがカバーしてあげるけど」
ね? とウインクするミナさん。おかしいぞ。ハウリアなのに弾けてない。普通に茶目っ気があって強くてスタイル抜群の美人お姉さんだ。
清武くん、キュンッとしちゃう。ウサミミだし!
「す、素敵だ……」
「え? ……えっ!? 今、私に言った!?」
「え、あ、す、すみませんっ。こんな時に!」
「べ、べべべ、別にぃ? き、気にしてませんけどぉ?」
あんまりにも出会いがなく、シアやラナの幸せオーラに当てられ続けて恋愛に飢えまくったミナさんは、最近、危険なレベルで情緒不安定だったりする。必然、ちょっと褒められるだけでチョロチョロしちゃう。
「そういうの後にしてもらえます?」
上空を抜けてきた飛行系妖魔を光の鎖で引きずり落とし、トンファーを脇構えにして突き出すように体を捻り、しかし、トンファーは当てずに回し蹴りを叩き込んだアンナがジト目で言う。
「そ、そうだな! オン・アビラウンケェン!」
「そ、そうね! クビオイテケェ!」
土御門のご年配方、ハウリアの仲間、そしてエクソシスト達まで呆れ顔になっているのを見て、取り繕うように走り出す二人。
それを背に、
「フッ、余裕だな。頼もしい限りだ。俺も気張らないとな……もうすぐ生まれてくる新しい家族のためにも」
「だからぁ! そういうこと戦場で言わないでくれるぅ!?」
近くの木の上からバーナードに強襲をかけようとしていた小さな虫のような〝式〟を、何か嫌な予感がして駆けつけた卿の分身体が冷や汗を噴き出しながら切り裂く。
深淵卿モードなのに、思わず素に戻っちゃうくらい焦った。
「おぉ、アビィ! どうだ? 影法師の連中は見つかりそうか?」
「今さりげなく死にかけたのに、全然に気にしてないな。幸運は起きてないのに……あ、そうか。この場合、俺が幸運の女神の一手になるのか」
息をするように死亡フラグを立て、実際によく死が急迫するにもかかわらず、あり得ないほどの幸運で死を回避しちゃう男。保安局一、否、おそらく世界でも有数の不思議存在。死神と幸運の女神に同時に愛されているらしいバーナードに、分身体はげんなりした顔になった。
ごほんっと咳払いを一つ。
「フッ、連中はかくれんぼが得意らしい。何かしらの術で隠形を図っているのだろう」
「妖魔の出所を探ればといけると思ったんだが……無理だったか」
「やはり、そこも工夫しているようだな」
卿は、全ての戦域で防衛に参加しており、同時に、遥か先で強力そうな妖魔を率先して狩っている。
それに加えて、影法師の捜索も行っていた。彼等を押さえれば、それでこの全く途切れない〝式〟の大群を止められるからだ。
しかし、彼等は隠形に関しても超一流らしい。サングラスの機能、気配感知の技能などを使って調べているが、樹海の入り組んだ地形や広大さと相まって、未だに見つけられていない状況だった。
「式は言わずもがな、妖魔の数も尋常ではない。今しばらく守護に傾注することとしよう」
「最大限に分身しての人海戦術は?」
「魔力のストックは相応に貰っているが、限界は早まるぞ? もし樹海の外、更に遠方に散らばっていて仕留めきれなければ……」
「そいつはまずい。向こうの手の内も判明してない段階だしな」
「うむ。魔王の手が空いていない現状、我という戦力の低下は下策だろう。なぁに、分身の数を制限しておけば防衛線だけは破られまいよ。いや、破らせはせん。この我がな!」
クルッとターン。サングラスをクイッ。バーナードも、否、近くにいた隊員全員がシンクロしたみたいに同じくクイッとな。
前方から巨大な狗のような妖魔が銃弾をものともせず突っ込んできたのを見て、軽いステップと共に木の上に飛び乗る分身体。
「OKだ! 雑魚は俺達が食い止める。大物、絡め手はそっちに任せるぞ! ヒーロー、アビスゲート!」
「フッ、任せよ!」
「これが終わったら、一杯やろうぜ。俺がおごるからよ?」
「だからぁ! そういうセリフはやめろと言ってるでしょうが!」
またも素に戻っちゃう卿の分身体。ちょうど飛び出して狗の妖魔の頭上に躍り出たところだったので、結果は言わずもがな。
「「「「あ……」」」」
分身体は、パクリといかれた。まるで、ご主人が投げたフリスビーをワンコがキャッチするような感じで。アクロバティックに翻るお狗様がふつくしい……
「ロ、ロケラン! ロケラン持ってこぉおおおい!」
「縛りの術だぁっ、急げぇ!」
別の分身体が駆けつけるまで、北東戦域に慌てふためいた声が木霊した。
――祠防衛線・南東戦域
「くっそっ。女神の奴! 死亡フラグを俺になすりつけたんじゃないだろうな!」
北東戦域での失態に羞恥を覚えて素に戻りつつ、分身体の一体が妖魔を氷漬けにして破砕する。
そこへ、吐き気を覚えるほど濃密な気配がやって来た。
一瞬で上空を横切る怪鳥。重力魔法で叩き落とそうとするが、それを阻止するような絶妙なタイミングで、異形の巨体が襲い掛かってきた。
白馬の体に虎の四肢。頭には一本角の妖魔。圧倒的な禍々しい気配は濁流の如く押し寄せる〝式〟とは一線を画す。明らかに妖魔だ。
「ただの突進などっ、甘いわ!」
空中の埃を蹴ってマタドールのように身をかわし、同時に小太刀で首を薙ぐ。が、
「なにぃ!?」
するりと、まるで優しく撫でたような感触だけが返り、妖魔は無傷で反転した。
――妖魔 駮
剣難を防ぐ異能を有する妖魔だ。
鋭い牙の覗く口元から太鼓を叩いたような鳴き声を発し、驚くべき速度で再襲撃をかける。
「やるではないか! だが、我が深淵からは逃れられぬと知れ!」
駮が相手をしている間に、まんまと飛んでいく怪鳥を、もう一体の分身体が止めようとする。
しかし、やはり連携ができているらしい。またも邪魔が入った。
「のわっ。樹海で火炎だと!? 遠慮がないな!」
周囲一帯を丸ごと呑み込み兼ねない怒涛の火炎。夜の樹海が赫灼の輝きに照らされ一時的に明るくなる。
「――深淵流土遁術ッ・怒涛土龍壁!!」
小太刀を地面に突き刺して地面を隆起させ壁とする。龍も奈落の闇も関係ないし、万象は呑み込めないが、火炎の波を塞き止めることには成功だ。同時に、吹き荒れる妖気のもとへクナイを投げつける。
「フッ、やるではないか! 我が闇からの一撃をかわすとはな!」
火炎で明るいので闇からの一撃ではないが、おかげで火炎放射は止まった。
延焼する木々でなお明るい樹海の奥に、原因たる妖魔がうっすらと浮かびあがる。
――妖魔 犼
またの名を金毛吼。獅とも狗ともつかない姿。身近な存在で言うなら狛犬が近いだろうか。妖怪だが霊獣でもある犼は、火炎を吐き出す神通力を有している。
「延焼はまずい。消火を――」
「焼亡は柿の本まで来れども 赤人なれば、そこで人丸!!」
それは類焼を防ぐ神歌。後方より延焼を見たご老公――土御門条之助の一手だ。同時に、通信越しの声が届く。
『浩介さん、鳥の妖魔はこちらでどうにかします!』
『今はアビスゲートと呼んでくれたまえ! アジズ君!』
『そんなことはどうでもいいです! 長期戦になる可能性があるんですから、魔力ストックがあるとはいえ無駄遣いはしないでください!』
『ど、どうでもよくはなかろう?』
通信は切れた。アジズ君、最近はなんだか本当に塩対応。嫌われているわけではないのだろうが、妙に警戒されているというか、なんというか。
「うぅむ。これは一度、一対一で腹を割って話すべきだな。うむ。今度、二人っきりになれる時間と場所を用意しよう」
『やめろください、マジで』
「アジズ君!?」
気になる! 弟分の内心がとても気になる! でも、駮と犼が、それどころか更に十体以上の強大な妖気を纏った妖魔が押し寄せて来たので後回し!
「ククッ。いったいどれだけの戦力を保有しているのか。よかろう、影法師よ! 同じ闇に生きる者として、とことんお相手しようではないかぁっ」
テンションを上げて、卿は妖魔の群れに突っ込んでいった。
その後方では。
「あらあら、アジズったら! 意識しちゃってぇ!」
「ふざけないでください。削ぎ落しますよ」
「何を!?」
エクソシストの姉御(漢女)、T・Jが自分を抱き締めて震えあがった。肩越しに振り返ったアジズ君の眼光が、まるでダイム長官の「貴様を……殺すッッ」と常に言ってそうな目つきと重なったのだ。
「来ます! 姉御は早く聖奏を!」
「了解よぉ!」
敵を弱体化させる聖なる演奏が鳴り響く中、次々に撃ち抜かれては消えていく〝式〟や木々の頭上を越えて飛来したのは、まさに怪鳥というべき存在だった。
――妖魔 鬼車
別名を鶬虞あるいは九頭鳥といい、九つの頭を持った異形の鳥だ。そのうちの一つからは常に血が撒き散らされていて、翼で起こす突風に乗って降り注いでくる。
「シャリフさん!」
「承知――私を守るのは神の盾。悪しき者の悪を断ち、正しき者を守護する救いの光!」
タワーシールドの聖神器使い、一見するとくたびれたサラリーマンにも見えるエクソシスト――シャリフ・イーストの守護の盾が、輝くドームとなって味方を守る。
劣化版の〝聖絶〟というべき結界に阻まれて表面を滑る嫌に黒い血。
その効果のほどは、運悪く結界外まで飛んだ一滴が付着したアーチャー4――東南戦域の特殊部隊チーム名は〝アーチャー〟――が、爆発音と同時に悲鳴を上げた。
ハッとして見てみれば、どうやら自動小銃が運悪く暴発したらしい。手が原形を失ってしまっている。
「拠点に転移させろ! エミリー嬢に治癒を! アーチャー6、カバーに入れ!」
小隊長のアーチャー1が直ぐに指示を出した。アーチャー4の傍らにいたアーチャー5が小さな金属板を取り出し、表面をスライドさせながらアーチャー4の傍らの地面に置いた。
一部をスライドさせることで魔法陣が完成し、魔力が循環して発動するハウリア式と同じ構造の〝転移用アーティファクト〟が発動する。地面にできたゲートへアーチャー4を入れれば祠の救護所に転移できる。後は、エミリーと、再生魔法が付与されたアラクネが治癒してくれるはずだ。
それを横目に、敵の正体を看破したご老公が叫ぶ。
「おそらく鬼車だ! 血は不幸を呼ぶ! 魂を喰らうという伝承もあるぞ!」
その言葉を受けて、というわけではないだろうが。伝承が事実であることが証明された。
クロスボウを発射したハウリアの一人――ネアが唐突に前後不覚に陥って倒れ込んだのだ。
「ネアさん!」
「ぐっ、ちが――」
「血!? どこか怪我を!?」
慌てるアジズに、ネアは歯を食いしばって言った。
「違うっ、外殺鏖華のネアシュタットルムだ! 間違えないように!」
「あ、はい」
悶絶状態でも、そこは間違えちゃダメらしい。さすネア。
「ふぅふぅっ。われぇっ、ようやってくれたのぉっ」
「二重人格!?」
ガバッと跳ね起きて、上空にメンチを切る外殺鏖華のネアシュタ――ネアちゃん。集落づくりでこちらにいる時間が長かったせいか、実は最近、極道ものの映画鑑賞にはまっている影響がもろに口調に出ている。
「愛人様直伝だぁっ」
一瞬のうちに両手の指の間に挟んだ計六本の手裏剣を飛ばす。
南雲家でくしゅんっとくしゃみをしている例のあの人直伝の投擲術は、手裏剣にそれぞれ別の軌道を描かせて包囲するように鬼車へと迫った。
必然、鬼車の回避スペースは下方にしかなく。
意図に気が付いたアジズが即座に動く。
「っ――神は義なる裁き人。我が身は聖徒の剣。主よ、貴方の戦士に加護をお与えください!」
大型ナイフの聖神器が輝き、その輝きが一瞬でアジズを包み込む。身体能力を爆発的に引き上げる能力が、アジズをロケットのように空中へ押し上げる。木々の枝を蹴りつけ方向転換し、高度を下げてしまっていた鬼車の背後へ一瞬で回り込む。
夜の闇に、美しい弧月が描かれた。
一拍遅れて、鬼車の多頭がまとめて斬断されバラバラと落ちていく。
空中で猫のように反転し五点着地を決めたアジズへ、共に東南戦域を守る仲間達からサムズアップが届けられる。
「ネアさん、大丈夫ですか?」
「フッ、当然です。このネアシュタットルム、いつだってボスの愛に守られていますから! そう、ボスの愛にね!」
「何を言ってるのか分かりません」
香ばしいポーズを取ってキメ顔をしている少女は相変わらずわけが分からないが、要約すると、念のためにと全員に支給されている〝龍〟の意識干渉を防ぐためのアーティファクトが、鬼車の〝魂を喰らう〟という能力を防いでくれたらしい。
「それより次が来ましたよ」
と、ネアがヤクザも裸足で逃げ出しそうな眼光を前線へと向けた直後、隣の戦場――南西戦域から凄まじい轟音が上がった。
大地が揺れ、空気を伝って衝撃波が届いてくる。更には無数の銃声をかき消すような雄叫びまで。
直後、南西戦域を預かるアサシンチームから通信が来た。酷く慌てた声音で、救援を求める声が。
『こちらヴァネッサ! 一部、突破されました! 敵は鬼の集団で――ああっ、浩介さんが死んだ!? この人でなしぃじゃなくて鬼でなしぃ!』
いや、割と余裕がある? とはいえ、分身体がやられるほどの相手なら確かにまずいわけで。ヴァネッサに代わり、大晴の声が届く。
『陽晴! すまない、抑え切れなかった! どうやら〝影法師〟は、思っていた以上に日本の化生を蘇らせていたらしい!』
中心部の祠の直ぐ傍にいる陽晴へ警告が飛ぶ。
すなわち、
『大江山の鬼が揃い踏みだ! 遠藤君! 娘を頼む!』
頭目たる酒呑童子、副将たる茨木童子、配下の四天王。
「くっ、そうか。酒呑童子の遺物が角一つというのは違和感があったが、やはりまだあったのか……姫様!」
ご老公が焦った様子で呟く。
どうやら、緋月が妖精界から直接召喚された酒呑童子であるのに対し、残りの遺物から顕現させられた〝日本の伝承通りの酒呑童子〟が、配下と共に現れたらしい。
そして、それが可能ならば――
『こちら北西戦域のカームバンティ――ええいっ、余裕がないわぁ! なんか酒呑童子を出せと、どでかい鬼が暴れている! アビスゲート! もう分身体を増やせ!』
『北東戦域より通達! 今、九尾の狐が頭上を突破した! おひい様っ、申し訳ありません!』
そう、同じ平等院の宝蔵に納められていた大嶽丸と玉藻前の残った遺骸から顕現させられないはずもなく。
嫌な予感は的中して、日本有数の鬼の集団と三大妖怪が中心部へと突破してしまった。
更に、ダメ押し。
今までも十分に脅威だった妖魔より、更に格上の大妖の集団が、どこか神々しい気配を纏う霊獣の類いが、加えてより濃密な呪詛が襲い来た。
大陸で、連綿と受け継がれてきた超常の組織の底力を見せつけられた気分だ。まるで、今までの攻勢が小手調べだったかのよう。
本格化した侵攻の圧倒的な圧力を前に、まずい、アビスゲートの最大限増殖を使ってもらうしか……と誰もが思ったその時。
『皆様、問題ございません。どうぞ、そのまま防衛を続けてくださいませ』
『対悪魔だけが能ではないことを見せてやるのです』
落ち着いた声音は陽晴のもの。やる気に溢れるのはクラウディアの声。共に祠の前に陣取る二人の、揺らぎ一つない声が味方の耳に浸透する。
直後、幼くも凛とした声音が木霊した。
『東海の神 名は阿明。西海の神 名は祝良』
清冽な光の柱が中心分より天を衝いた。
そこへ、まるで合唱のようにクラウディアの声が重なる。
『主よ、我が祈り、我が嘆きをお聞きください』
二つ目の輝く柱が噴き上がり、並び立った。
『南海の神 名は巨乗。北海の神 名は禺強』
『地にある聖徒をお救いください。不浄を払う力を以て、悪しき者共よりお守りください』
樹海の鬱々とした空気が、妖魔の侵攻に合わせて澱み始めていた空気が、言霊に合わせて祓われていく。
妖魔や〝式〟の足が、術者の命令を無視して止まった。本能が、近づくなと訴えたみたいに。
中心部へ強行突破した鬼の集団や玉藻前ですらも、思わず目を見開いて動きを止め、本能が命じるままに防御姿勢を取る。
その直後、二人の力ある言葉は完成した。
『四海の大神 百鬼を退け凶災を蕩う! 急々如律令ッ!!』
『敵意ある者よ、悔い改めよ! Amenッ!!』
二本のよく似た光の柱が収縮し、刹那、光の波濤となって広がった。
それは、系統は違えど同じ破邪の神言。
東方より、最強の陰陽師――藤原陽晴。
西方より、最強のエクソシスト――クラウディア・バレンバーグ。
当代最強の聖女と巫女の災いを打ち払う力ある言葉は一種の聖域を創り出し、敵の攻勢を問答無用に減衰させた。
鬼たちは軒並み煙を噴き上げて荒い息を吐いており、玉藻前も天より堕とされ大地の上で唸り声を上げている。
そこへ、ククッと楽しそうな声が。
『なんとなんと楽しい世でありんしょう』
『一応、世界の命運がかかっているのだが……フッ、同意しよう』
緋月と、本体の卿。
二人の最強術者を守る、最強の護衛。
『愛しの君。大江山の鬼どもは貰いんす。分御魂とはいえ、赤ら顔の大男な己など見たくありんせん』
『OKだ、我が愛しの鬼よ。ならば、大獄丸と九尾は我が相手をしよう』
なんて余裕しゃくしゃくの声が届いて、誰もがふっと肩から力を抜いた。
絶望する余裕もないと言わんばかりに。
そうして、
『藤原陽晴。わっちが主さんの前鬼を務めてあげんしょう。今宵の戦で証明してみなんし。真にわっちを前鬼とする資格があるか否か』
『承知しました』
『結果次第では真名を許しんす』
『ありがたく。では、酒吞童子様、遠藤様! 敵を近づけませんようお願いいたします! 前鬼と後鬼として!』
『あい』
『うむ! ……うむ? んん?』
一拍。
『ちょっと待ってぇ!? さりげなく後鬼扱いするのやめてくれるぅ!?』
最後の最後でやっぱり締まらず。
素に戻った卿のツッコミが、樹海の夜に木霊した。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
※妖魔、呪文の内容などはある程度創作です。
※アニメ再放送のお知らせ
アニメ2期を前に10月7日から1期の再放送がされます。ぜひぜひ。詳しい内容は以下より。
https://arifureta.com/news/news-2311/
※ガルド更新しています。
・本編 54話 フリードと相対。
・日常 50話 おませなユエちゃん生意気かわいい。
・零 36話 そうだね。時の流れは残酷だね。




