深淵卿第三章 裏側の戦い 後編 ~もう皆一人でいいんじゃない?~
真白の濃霧が漂う深い森の中。
巨大な狒々が十頭、慎重に歩みを進めていた。体長は三メートル前後、黒い体毛に、人面と見紛う容貌。女子供を好んで喰う、人喰いの伝承を多く持つ大陸でも有数の妖魔だ。
今は使役される身なれど、その狡猾さと凶暴性には些かの衰えもない。己を縛る仮初めの主の隙を、虎視眈々と狙っているくらいだ。
そんな狒々の妖魔は、しかし、今この時においては名前の由来ともなった下卑た嗤い声すら出さず、まるで首元に刃を突きつけられているような緊迫した雰囲気を発していた。
十体で互いの視界をカバーするように、警戒の視線をあっちへこっちへ忙しなく。
息を潜めるように、足音を立てぬように、慎重に、慎重に。
できるなら今すぐにでも踵を返したいが、主から命令に変更はなく、侵攻しないわけにはいかない。危機を何度も伝えているのだが、応答すらしてくれない。
森には入っていないはずだが、何かあったのか。とはいえ、とことん憎らしい主であっても〝縛り〟が生きている以上は従わざるを得ない。
否、たとえ撤退が許されても、もう手遅れだろう。
そのことを、狒々達は本能で理解していた。
この霧が、気持ち悪いほどに白い濃霧が……
「――ッ!」
リーダー格の狒々が、息を呑みながら動きを止めた。
特に歳経た狒々は、覚の如く人の心を読むという。その伝承に相違はなく、このリーダー格の狒々はその能力を有している。
その全開にしていた読心の能力が、
――皆さん、お願いしますっ
丁寧な、それでいて狒々の本能を擽るような女の声を捉えた。
声だけで分かる。「極上の獲物だ!」と叫ぶ本能と、「今すぐ逃げろ!」と叫ぶ意思が同時に湧き上がる。
リーダー格の狒々は迷わなかった。本能を殴りつけて甲高い鳴き声を発し、群れに警告する。飛び退けと。が、遅かった。
ゴッと地面が爆裂した。と錯覚するような勢いで根が飛び出してくる。
冗談のように硬質化した木の根は一瞬で二体の狒々を貫き、そのまま巻き付いて締め上げてしまう。
更に一体が、飛び退いた先で大口を開けた植物に頭から喰われた。
かと思えば別の一体が、粘液塗れの蔦に一瞬で絡め取られ、これまた一瞬で白目を剝いて泡を吹き、痙攣し始める。
リーダー格の狒々に、選択の余地はなかった。
「――ッッ!!」
捉えた思念の方向へ駆けよ、極上の獲物は早い者勝ちだ! と鼓舞するように配下へと号令を出す。
主の思念をキャッチできない以上、退路など既にないのだ。この濃霧が方向感覚を狂わせてくるが故に。
周囲の木々や植物のどれが、今のように襲ってくるかも分からない。
だが、最初は百体もいた配下が十分の一になるほどの被害を受けながらも、この森のどこかにいる敵の思念を辿って、ようやく手が届きそうな距離まで来たのだ。
ならば、もはや突貫する以外に道はない!
獣の咆哮が、妖気の放散と合わせて白霧を僅かに吹き飛ばす。その道を一直線に駆けていく。
恐るべき、この森の主を思う存分に味わってやると目を血走らせ――
「あわわっ、大変大変! やっぱり位置を把握されてる!」
見えたのは、一際大きな巨木の上に腰掛ける小さな女だった。
目視可能な距離まで詰められて、見るからに慌てている。
女で、子供だ。それも力の充溢した。
緊張と畏怖を感じていた狒々達の精神が、途端に反転した。愉悦と嗜虐心、そして食欲に。
散々に群れをやられたのだ。ただでは殺さない。なぶって、泣き喚かせて、体の端から少しずつ味わいながら喰らってやろう、と。
十メートル近い頭上にいることなど関係ない。狒々の前では避難場所になりはしない。
太い幹に組み付き、ニヤニヤと嗤い声を響かせながら凄まじい勢いで登り……
「――〝衝魂〟!!」
桃色のファンシーな衝撃波が迸った。
ただの衝撃波なら、きっと耐えられただろう。だがそれは、物理防御力などなんの意味もなさない、魂に直接叩き込まれる衝撃であるから。
「「「「「――ギィッッ!?」」」」」
思考に空白ができる。わけも分からず意識が遠のく。四肢から力が抜け、仲良く地面へダイブ。
その地面に、
「キングさん! やっちゃってください!」
可愛らしい声に、ざわざわと葉鳴りが応え、地面から根の剣山が飛び出した。
半数が滅多刺しとなり、半数が串刺しで動けない状態に。
運が良いのか、実力か。リーダー格だけは剣山の隙間に体をねじ込むようにして無傷で済むが、意味はなかった。
ゴゴゴッと地鳴りのような音が響き、朦朧とする意識を叱咤して正面を見る。
「……」
きっと、その人面の表情を言葉にするなら「うそやん……」だろうか。
全長三十メートルはあるだろう巨木が立ち上がっていた。
そう、立ち上がっていたのだ。
無数の樹の根を伸ばして、あるいは束ねて蜘蛛の如き足とし、幹の中程が横に裂けて赤眼と乱杭歯のような口ができあがり、太く大質量の枝が触手のようにうねって大気を攪拌する。
森の王の顕現、というべきか。
地響きが轟くなか、〝魔樹の王〟が咆哮を上げた。ビリビリと空気が震え、明らかに格の違う存在に狒々達の本能が竦み上がる。
否、狒々だけではない。それは、今この〝王樹の聖域〟たる森に侵攻している外敵の全てが感じているものだった。
『マテ――』
人語すら操れる狒々が同情を買おうと口を開きかける。狡猾な本性が、キングトレントの枝葉に守られるように包まれている女――愛子の甘い性格を読み取ったのだ。
それは確かに当たっている。愛子に積極的な人殺しは無理だ。命乞いされれば余計に。
だがしかし、狒々は知らなかった。思考は読めても、記憶は読めなかったから。
本当に必要とあらば、やっちゃう系であるということを。
加えて、テンパると人の話が右から左に抜けて空回っちゃう系だということを。
「ハジメ君も、神霊の皆さんもいない……失敗したら世界が大変なことに……うぅ、お腹いたい……でもダメよ、愛子! しっかりするの! ハジメ君は信頼して任せてくれたんだから! ふぁいとぉっ、ふぁいとぉーーっ」
ぶつぶつと何か呟いていたかと思ったら、ふんすっと気合いを入れて、狒々キングの命乞いをさくっとスルー。
「キングさん! やっちゃってぇっ!!」
合点承知! と器用にも枝葉の先端でサムズアップしたキングトレントは、必死に根の剣山地帯から脱出しようとしていた狒々達に向けて無数の枝を乱打した。
枝と言っても、一本一本が極太である。その破壊力といったら、一撃で家屋を粉砕できるレベル。
それが、だ。容赦なく乱打乱打乱打。まるでチタタプ! チタタプ! チタタプ! である。もちろん、狒々達は妖魔なので死ねば霧散するだけで肉の塊ができあがるわけではないが。
狒々達は絶望顔で消えていった。
「う~ん、これで一先ず大きな群れは全部対応できたはず……今のお猿さんは優先して倒すとして……後は東に少し、西から新手の集団? むぅ、やっぱりトレントさんを派遣して術者の方を押さえないとキリがないかも。あんまり樹海の外に出したくないけれど……」
思考し、うんと頷いて方針を決め、手に持つ杖に魔力を通す。
三十センチ程度の見た目は木製の杖だ。王樹から生み出されたものをベースに、ハジメが鉱物を融合させたもの。
化身たるライラとの共感のほか、彼女の権限を一部代理行使できる者の許可証であり、同時に愛子の魂魄魔法や作農師としての技能を爆発的に上昇させる力を持つアーティファクトでもある。
名を〝守護杖〟。
現在、この聖域の森は、普段とは様相を異にしていた。それも、この杖の権能と愛子の力が合わさった結果だ。
ただでさえ王樹を守り、認識を阻害する結界があるというのに、そこに〝樹海顕界〟を施したおかげで、白霧の認識を狂わせる能力と植物系の魔物や魔樹の軍がはびこる魔境と化しているのだ。
「ナイトさん! ビショップさん! あとポーンさん十体で聖域外縁部の捜索をお願いします!」
周辺の木々が途端に動き出す。五メートルほどのポーントレント、十メートルほどで最も頑強なナイトトレント、八メートルくらいであらゆる魔法を使うビショップトレントが、傅くように愛子へ一礼し、濃霧の向こう側へ移動していく。
名称から分かる通り、トレントにもチェスにちなんだ種類と特技があるのだ。
そして、樹海一帯だけでなく、キングの周辺には常に近衛魔樹部隊が囲んでいたりする。
先程も本当は到達する前に狒々達を殲滅できたのだが、出番皆無を危惧したキングが「ワシだって愛子殿に命令されたい!」的なあれでわざと通したのだ。
また、愛子の傍の幹の中には〝人型の魔樹クイーントレント〟がおり、かつて大樹の大迷宮で相対した人型ゴキブ○もとい、模倣使徒と同程度の能力を持った護衛もいたりするので、いずれにしろ危険はなかったりする。
愛子がテンパっていたのは、単にいつもの如く空回っただけである。
「凄いですね、先生。まさに〝森の女王〟だ」
「どうしてこの人達はみんな〝もう一人でいいんじゃない〟系なの?」
唐突にかけられた男女の声にビクッとなりつつ、愛子が腰掛けている枝の先の方を見れば、ゲートから出てくる光輝とモアナの姿があった。
「天之河くんにモアナさん!」
ちょっと呆れ顔というか、自信喪失しそうな苦笑い気味というか、なんとも微妙な表情で歩み寄ってくる二人。
「そっちは大丈夫なんですか?」
「はい。ユエさんが無双してるので」
「なるほど。ユエさんですからね」
それで納得できてしまうのが正妻様クオリティー。
「では手伝いに来てくれたんですね?」
「はい。一応、前衛と、前衛もできる支援なのでバランスいいかなと思ったんですが……」
「必要なさそうね? 魔王陛下が〝守護杖を持って樹海顕界を発動した愛子は、聖域限定ではあるが、ほぼ無敵だ〟って言っていた理由が分かったわ」
そう言いつつハジメから預かった魔力がストックされた宝珠を渡す光輝達。
なお、愛子の魔力が尽きない限り、樹海も白霧も、植物系の魔物達も瞬く間に再生可能だ。更に、白霧を通して樹海全体を把握することもできる。
壊し得ず、隠れ得ず、尽きない軍勢に、逃げることも許されない霧と森の異界。
その全てを掌握する森の王。
なるほど。確かに無敵だ。
僕達、とんだ役立たずだね……と目が死にかけている光輝とモアナに、愛子は慌ててぷるぷるした。
「そんなことはありません! 一人だと心細くて……お二人が来てくれて本当に助かります!」
お二人の顔がほわ~んとなった。理不尽な目に遭ったあと、猫動画を見て癒やされている人のような顔だ。
「それに、ライラさんのサポートがなくなってから、どうにも樹海の操作に違和感がぬぐえないというか、ちょっと大変で……」
少し前まで一緒に防衛戦を繰り広げてくれていた神霊スライム達は、現在、とある事情から〝宝物庫の中の世界〟――〝箱庭〟の中に入っている。現状打開の一手のためだ。
王樹の女神によるリアルタイムのサポートがなくなってから、かなり樹海の操作――具体的には、樹海の土台たる聖域への干渉難度が上がっているらしい。
「それは、もしかして王樹の性質のせい、ですか?」
「みたいですね」
どうにかスペシャルエナドリのススメから逃げ切った時に話題逸らしとして聞きかじったことから推測する光輝。
その質問に、愛子は頷いた。守護杖をふりふりと樹海全体に指示を出しつつ、もう片方の指をピンッと立てて、まるで教室で授業をする時のように話し出す。
「世界樹の枝葉が、その世界に適した固有の力を生み出すのはご存じですよね?」
「ええ。モアナの世界なら恩恵力ですね」
「光輝達が使っているのは魔力よね?」
「ですです。で、地球のそれを、ハジメ君は〝氣力〟と名付けました」
それが地球固有の力。かつての万分の一程度に減衰していたそれが、現在、王樹の復活と共に龍脈を通して世界中を駆け巡っている。
ハジメが聖域で行っていた作業の一つが、この地球固有エネルギーの解析だったのだ。
その解析中に教えてもらったことを、愛子が語るところによると、この氣力は魔力などに比べかなり素子に近いのだという。
「それはつまり……どういうことかしら?」
「他のエネルギーに変換しやすいってことかな?」
「らしいですね。同時に、他のエネルギーを受け入れやすいということでもあるそうです」
小首を傾げる光輝とモアナ。愛子が守護杖の先でペチペチと幹を叩いた。
途端に細い枝葉がニョキニョキと伸びてきて、人の形と、地球という文字を描いた。
「私達地球人は、この氣力を潜在的に宿す、あるいは適性のある人種です」
「……そうか。本来なら地球の人間である俺達が質の違うトータスの魔力を扱えるのはおかしい。けれど」
「そもそも氣力の性質が他のエネルギーを受け入れやすいから、それに適した光輝達は魔力を扱えたというわけね」
「お二人とも優秀です!」
ニコニコと笑みを浮べながら称賛する愛子に、またも二人してほわぁとなる。光輝がちょっと照れつつ疑問を口にした。
「それだと他のエネルギーも、やろうと思えば扱えるんでしょうか?」
「理論上は。ただし、一度魔力の性質を受け入れてしまった以上、ある種のリセットをしないと難しいだろうとのことです。複数の異質な力を自在に切り替えられるほど人間の体は器用じゃないと」
「なるほど。あくまで下地はあるということですか」
「ですね。それで、天之河君は覚えていますか? 私達がトータスに召喚された時、イシュタル教皇が言ったことを」
少し思案し、今の会話の流れに関係しそうな話を記憶の縁から拾い出す。
「俺達の基本スペックがトータスの人達より高いって話、ですね?」
「正解! 高地トレーニングのようなものだろうとのことです」
つまり、より素子に近いエネルギーに適した肉体的性質を持ちながら、ほとんどエネルギーが枯渇している世界で生きてきた地球人は、魔力を受け入れる素養があり、かつ酸素の薄い高地から地上へ降りた時のように、膨大な魔力を受け入れる素養も培われていたということらしい。
魔力が身体能力にも関わってくるトータスであったから、当然、地球人のスペックもトータス人のそれより上になる、ということだ。
「あくまで仮説段階らしいですけどね。今はこっちの対処を優先しなきゃですし」
「なるほど。でも筋は通っているように思えますね」
「私もそう思います。で、話が逸れちゃいましたが、私達召喚された者は魔力に馴染んでしまっていますから……」
「この氣力が満ちる聖域だと、受け入れてはもらえるけど質が違うからやりにくい、ということなのね? 先生殿」
途中から光輝と愛子を交互に見て、なぜかにこやかな顔になっていたモアナが結論を口にする。
モアナの呼称に笑みを浮べて、愛子は頷いた。二人が視線を交わしていることに気が付かず、光輝は思案のためにうつむけていた顔を上げた。
「そっか。その辺りをライラさんが調整していたけど今は箱庭だから……って、先生? モアナ?」
ようやく気が付いて、光輝が小首を傾げる。
すると、愛子がちょっぴり照れくさそうに笑いつつ、
「よくできました。それではこれで授業を終わります!」
なんてことを言った。ぽかんっとする光輝の隣で、モアナが微笑を浮べて一礼する。
「ありがとうございました、先生殿」
「分からないことがあれば聞いてくださいね。って言いつつも、にわか知識なので答えられないことの方が多いですけど」
そこまで聞いて、ようやく光輝は理解した。愛子の説明は、単なる状況説明ではなく、早々に退学してしまった光輝への気遣い。〝授業のように〟ではなく、確かに久しぶりの授業だったのだ。
なんだか懐かしくて、居ても立ってもいられなくて勝手に飛び出していったのに、まだ生徒の一人として扱ってくれることが無性に嬉しくて、光輝は「んん~~」と変な声を漏らしながら両手で顔を覆った。
そして、ぽつりと小さな声で、
「授業、ありがとうございました」
そう言ったのだった。
「はいっ。では、聖域の外に出て術者を捕らえてきてください! 外縁部にいないようで、だいぶ離れたところから隠れて妖魔を送り込んでいるようなんです! さぁ、駆け足!」
「……先生。もうちょっと余韻に浸らせてくださいよ」
パンッと柏手を打って、あっさりと空気を変えちゃう愛ちゃん先生。
光輝は感情が迷子になっているような顔になりつつ、苦笑い気味のモアナを連れて、そそくさと外部の敵を捜しにいったのだった。
真夜中の南雲家――のお向かいさんの家にて。
「あなた! あなた見て! 南雲さん家にまた人が入っていったわよ!」
カーテンの隙間から外を覗きつつ、奥さんが声を潜めて旦那さんを呼ぶ。
リビングでくつろいでいた旦那さんは露骨に顔をしかめた。度々、カーテンの隙間から南雲家を観察している妻に、いかにも趣味が悪いと言いたげに。
「ねぇ、あなた。普通車の中から十数人の人が出てくる動画って知ってるかしら?」
「ああ、この前、衝撃映像の特番でやってたな」
唐突な話題転換に、テレビ画面から視線を転じて訝しむ旦那さん。
奥さんはカーテンの向こうを凝視しつつ、恐ろしそうな震えた声音で言う。
「南雲さんのところ、確かに大きなお家よ。旦那さんは社長さんですし、菫さんはあの〝スミレ先生〟ですもの。うちとは稼ぎが違うわ」
「ん゛ん゛っ、ま、まぁそうだな……」
「稼ぎが違うわ」
「そうだな!」
大切なこと(?)なので二回言ったのか。ちょっと自棄気味に同意する旦那さん。
「けれど豪邸というわけじゃないわ。周囲より一回り立派なくらいで」
「そんなのは見れば分かる。何が言いたいんだ?」
「家の大きさに反して、招かれた人の数が多すぎるのよ!」
肩越しに振り返った奥さんの瞳には、理解できないものに対する明確な恐怖があった。
「……さっきからずっと見ているが、そんなに多いのか?」
「百人は超えているわ」
「多いな!? セレブのパーティーか!?」
なるほど。立派な家とはいえ、一般住宅街の家屋の範疇を出ない南雲家では、どう考えてもキャパオーバーだ。
「普通に考えれば密航船の船倉みたいな状態になってるはずよね?」
「すし詰めにすれば、まぁ、入るだろうしな。想像しただけで怖いが」
「それだけじゃないの。今日は見たいドラマもなかったから、私、もう四時間は観察してるでしょ?」
「ああ。怖くて声かけられなかった」
「そうっ、怖いのよ! 入ってないはずの人が何度か出てきたのよ! どうなってるの! 最近、お巡りさんの巡回がやたらと多いし! 少し前なんか庭から異様な気配してたし! それにマフィアっぽい人達とか、明らかに一般人じゃない人達とかも訪れるし! どうなってるのよ!」
マフィアっぽい人達とは、つまりバチカン事件の際に訪問した英国保安局のマグダネス局長一行だ。黒塗りの車に、局長を守る黒服達。マグダネスの雰囲気も堅気じゃない。
明らかに一般人じゃない人達とは、八重樫流の門下生や、服部のような政府関係者だったりだ。
南雲ハジメの行方不明から帰還後のあれこれ。
その全てをお向かいの奥さんは見てきた! カタカタと青ざめた様子で震える姿は、旦那さんも看過できない。
まだまだローンが残っている我が家へ視線を巡らせ、実は南雲家が騒がしくなってきた頃からずっと考えていたことを、意を決して奥さんに言う。
「……引っ越そうか」
「は? 絶対、いやだけど?」
奥さんは、旦那さんの正気を疑うような目を向けた。ローンも残ってるのに、何を言い出すのかと。さっきまで正気を失いそうな有様だったのに真顔で。
「え、いや、だって、怖いんだろう?」
「ええ、怖いわ。どう考えてもおかしいもの、南雲さんのところ。あなたは美人さんをたくさん見られて嬉しいでしょうけど。レミアさんに挨拶されてデレッデレの顔で出勤するのは何度目かしら? あなた、レミアさんがミュウちゃんを送り出すタイミング、狙ってない?」
「今はそんな話はどうでもいいんだ! お前の精神状態が心配なんだよ!」
勢いで乗り切れ! と言わんばかりに叫ぶ旦那さん。そんな夫に、奥さんは言った。
「精神状態って……至って良好よ。というか、ハジメ君が戻ってきてから頻繁にいろんなことが起きるせいで、私の毎日はドキドキが止まらないわ! もう平凡な日常なんて……このスリルがない日常なんてっ、絶対に耐えられない! 引っ越ししたいなら一人でしてちょうだい!」
「あ、そういう感じ……」
シッシッと手で払う仕草をされて、旦那さんはソファーに座り直した。ぼへっとテレビに視線を戻す。なんか富士から噴煙が上がっているらしい。大変だなぁ、もしかして南雲さんのところが関わってたりしてなぁ、ハハ……と内心で大正解を呟きつつ、あんまりおいしくない晩酌で心を癒やす。
「あっ!? 銀髪美人さんが二階の窓を割りながら飛び出したわ! ああっ、頭から庭に落ちて……あれ絶対に投げ落とされたのよ! ほらっ、窓のところにナイフを持った女の子が!」
今日も今日とて、奥さんは目撃する。南雲家の異常を、カーテンの隙間から。
まるでお化け屋敷を楽しむような怯え顔で。
で、たった今、エガリ妖精をハジメの部屋の窓から外へぶっ飛ばしたナイフの少女――優花はというと。
「優花っち、落ち着きなよ~」
「普通に見たら殺人事件が起きた瞬間だよね」
「うっさい! あんたらがからかうからでしょうが!」
例の如く、ハジメとの関係を揶揄され、悪ノリしたエガリが背負い投げでぶっ飛ばされた現場――ハジメの部屋で優花がキッと目を吊り上げる。
なお、悪ノリとは、ハジメのベッドに優花を押し込めて簀巻きにしたことだ。
ハジメのベッドという点でぽわぁとなりかけた優花だが、ニヤニヤ顔の奈々と妙子がカメラを構えていたこと、両親と愁&菫までニヤニヤ顔で部屋を覗き込んでいたことでぷっつんしたわけである。
羞恥心はパワー。それはそれは見事な脱出&背負い投げだった。
「あ、すみません! 私、窓、壊しちゃって――」
「まったくです。反省してください、花ちゃん」
「誰が花ちゃんよ!っていうか、後ろに立つな!」
シュンッと神出鬼没に舞い戻ったエガリに全力抗議。その間に、なんか窓枠が光って勝手に修復されていく窓ガラス。再生魔法付与のアーティファクトがどこかにセットされているらしい。いつの間にか、南雲家は自己修復機能を備えていたようだ。
「優花、もう夜中だよ。ご近所さんは当然、地下とはいえ、もう就寝されているお家の人もいるのだから騒ぐのは感心しないな」
「もう、うちの子ったら素直じゃなくて……ごめんなさいね、菫さん」
と、優花の父――博之がたしなめ、母の優理が困った表情を浮べて言う。娘が、人外の存在とはいえ人の姿をした相手を二階から投げ落としたのだが……スルーしちゃうあたり、園部家も大分染まってきているというべきか。
やっぱり投げ落としはスルーした菫と愁が「とんでもない!」と道理を説くような真面目顔で言い返す。
「何を言うんですか、優理さん。ツンデレはステータスですよ。優花ちゃんの良い所じゃないですか」
「全くです。この可愛さは一朝一夕で身につくものじゃありません。ハジメも優花ちゃんには一目置いてるようだし、うちはいつでも大歓迎ですよ!」
親が勝手に盛り上がっている。その恥ずかしさと居心地の悪さと言ったら。
優花はこれ以上ないほど顔を真っ赤にして蹲ってしまった。
……八重樫家と地元警察の連携による警戒が町中でされている中。
黒幕の正体が判明し事態が大きく動くということで、現在、クラスメイトの各家族が南雲家に避難してきている。
修学旅行中はミュウの戦力で問題なかったのだが、彼等の大半が今はミュウと一緒に京都に出張中だ。優花を筆頭にクラスメイトの半数は守護についているが、万が一に備えて今夜一晩は、というわけだ。
空間魔法で拡張された広大な地下空間の、ホテルのような個室で各々過ごしてもらっている。
一応、既に周囲一帯の諜報員は全てハジメ達が片付けた後で、服部の部下も警戒網を敷いてくれているので特に問題は起きてない。
なので南雲家に深刻な空気はなく、だからか、優花はハジメとの関係でいじられずにはおかれないらしい。
クライメイトどころか、親達にまで。
そんなんじゃないし! と否定すれば否定するほど、なぜか周囲は生暖かい眼差しになっていくのだ。なんでよぉ! と、もうカリチュ○ガードするしかない心境である。
それがまた「かわいいなぁ」と親達の心を擽ってしまうのだが。
「それで、花ちゃん。主のベッドの匂いはどうでした――」
「それより! ノガリはどうしたのよ!」
チェンジよチェンジ! あっちの方がまだマシなんじゃないの! と言いたげに叫ぶ優花。
「む、なんですか。私では不満だと? いったいどこが?」
「不満を圧し固めて人の形にしたのがあんたでしょうが」
心外! と思いつつも、優花ちゃんの目つきが人殺しのそれになりつつあったので(袖の内側からナイフもするりと)、エガリはすんっとした顔で答えた。
「愚妹なら、ずっと箱庭です」
「箱庭? 宝物庫の中の世界よね。何をしてるのよ、この緊急事態に」
「緊急事態だからこそですよ。忌々しいですが、現状では私より愚妹の方が主の役に立てているのです」
「? どういうこと?」
「私が空前絶後の可憐さを持つ美女妖精に転生したように」
「その過剰な自信を何割か削ったら、もっと可憐になれるわよ」
「愚妹が、SF世界のボスキャラ専用アンドロイドを乗っ取るという冒涜的な方法で、あざとくもメイドロボなんて主のご機嫌取りが露骨にすぎる残念極まりない転生をしたのは自明のことですが」
「自分上げの妹堕としが露骨にすぎて残念妖精になってるの気づいてる?」
「それ故に! 機械的な分析や計算・素子配列変換装置の調整やプログラミングに関しては他の追随を許さないレベルなのですよ。忌々しい」
「最後のいらない」
「知っていますか? 主から直接にメイド服を賜ったのですよ! 私は自前なのに!」
「その情報はもっといらない」
「あのクソビ○チが!」
「可憐の意味、一度調べた方がいいんじゃない?」
妙子、奈々、そして南雲家と園部家の両親ズがこそこそと話す。優花の律儀さというか、ふざけた言動に対してもきっちり反応しちゃう気質というか、そういうところがいじられやすく、かわいいんだよね、と。
とにもかくにも、ノガリマザーもとい、メイドロボ化しているらしいノガリさんは、現在、箱庭で重要な任務にかかりきりらしい。
となれば、このウザい方向へ振り切れてしまっているウザい生き物とは、まだしばらく付き合わねばならないわけで。
「南雲……早く帰ってきてよぉ」
ちょっと泣き言を呟いちゃう優花。
もちろん、親達は揃って「あらあらまぁまぁ!」とレミア口調になりつつ悶え、親友達は鼻息荒くスマホに保存。
と、そこで、レミアが二階に上がってきた。部屋の様子を見て困った人達を見るような表情になりつつ、夜の番をしている他のクラスメイトの夜食を作ったので一緒にどうかと口にする。
これ幸いと飛びつく優花。しかし、途中で「……あ」と声を漏らす。レミアの微妙にまとわりつく憂慮の雰囲気を察して。
「……レミアさん、言ってくれれば私が夜食作りましたよ」
「優花さん?」
「心配ですよね、ミュウちゃんのこと。……無理しないでください」
娘が戦場に行っているようなものだ。母親として心配しないわけがない。
あるいは、何かしていないと落ち着かない心持ちで、だから夜食を作っていたのか。
とはいえ、そうだとしても一人でやるよりはずっと良いはずだ。誰かと一緒に食べる食事が楽しいのと同じくらい、誰かと一緒に料理するのも楽しいものだと、優花は知っているから。
そんな優花の気遣いに、レミアは少し目を丸くすると、「あらあらうふふ」と嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、優花さん。でも大丈夫ですよ?」
「そう、ですか?」
「はい。雫さんやデモンレンジャーさん達もいてくださいますし」
だから信じて待ちますと言うレミアに、護衛の切り札といえば聞こえはいいが現状ただのストレス量産存在でしかないエガリがピッと挙手した。
優花が両手にナイフを握り締めながら「なに?」と尋ねる。奈々と妙子が「やばい、からかい過ぎた。会話にナイフ装備がデフォになってる……」と引き攣り顔になりながら優花の両脇にスタンバイし、さりげなく腕を押さえた。
「お嬢様の傍にアラクネがいるので、こちらのアラクネと視界共有させれば様子が見れますが、どうします?」
「真っ当な意見ですって!?」
ナイフがぽとりっと落ちて床に刺さった。奈々と妙子の足のつま先ギリギリだ。二人から「ひゃぁ!?」と悲鳴が上がる。
「あら、いいじゃない、レミアちゃん。見てみましょうよ」
「ミュウのお友達を確認する良い機会だしな。というかエガリたん、できるなら早く言ってほしかったよ」
菫と愁の言葉に、レミアも頷く。
「いえ、この体になったせいで機械を併用した映像投射ができなくなりまして……アラクネの中の姉妹に手柄を与えたくなかったものですから」
「心が狭いにもほどがあるわ」
優花のツッコミが冴え渡る。
イ゛ッと〝宝物庫〟から出てきた何番目の姉妹なのかは分からないアラクネが、ハジメのデスクの上に着地した。
そして、少し動きを止めて赤い目をピコピコ点滅させると、ハジメのPCに足先の端子を伸ばして接続し、ディスプレイを起動した。
すると、乱れ気味の映像に先行して音が届いた。
『戻れ! 戻って来いッ、虎蛟! なぜ無視をする!?』
『くそっ、縛りは解けていないはずなのに!』
『馬腹! なんだその顔は!? そんなデレデレした顔、見たことないぞ!?』
『なんなんだ、なんなんだお前はぁっ!! 土御門の術者なのか!?』
『初めまして、ミュウです! おじさん達の名前はなんですか! なの!』
『自己紹介、だと!?』
そんな混乱に満ちた複数の男の声と、元気よく挨拶するミュウの声だ。
室内に「あ~」と察する声が木霊する。たぶん、対峙している相手が使役していた人外を奪ったというか、お友達になってしまったというか、そんな感じだろう。
案の定、鮮明になった映像には……
空中を遊泳する無数の怪魚と異形の獣が、ミュウに寄り添うようにして侍っている光景と、五芒星付きの覆面をした者達――十中八九、〝影法師〟だろう術者達が狼狽えまくっている光景が映っていた。
「ふむ、京都の妖魔を、寺社仏閣に封印されているのも含めて、〝影法師〟の術師達があちこちで捕らえようとしているようですね。それを、お嬢様達が邪魔して回っている状況のようです」
その過程で、彼等の使役する大陸の化生――その中でも特に水棲系の尽くが主の命令を無視してミュウにラブコールを送っているらしい。
人面系の化生が、早速つけられたらしい愛称で呼ばれてデレデレしている。
「みゅうぅ」
レミアが両手で顔を覆った。
「京都に存在していた元々のお友達や、お友達のお友達も加わって、手分けして〝影法師〟達を捕縛しているようです。今は京都御所の御池庭?という場所が一級の〝龍穴〟らしく、そこを守護しているようですね。放っておくと、龍脈を穢すために、お友達が放り込まれかねないそうで」
ミュウの傍で、遠い目をしている雫が映っていた。時折、右手が霞んでいる。おそらく、神速の抜刀で何かを斬っているのだろう。黒刀の鞘自体も淡い輝きを帯びているので、非物質さえ斬り裂く剣撃で呪術の類いでも斬っているのかもしれない。
だが、やっていることはそれだけだ。主を裏切った(?)妖魔達や、デモンレンジャー達が返り討ちにしている。
「〝影法師〟に捕まって使役されてしまっていた元々のお友達も、かなり助けられたようですね。彼等も結界の要を守りに行ってるようです。ふむ、流石お嬢様。本当に百鬼夜行しそうですね!」
「みゅうぅうううっ」
レミアママが崩れ落ちた。人食いやら厄災やら妖魔の多くは恐ろしい伝承を持っている存在が多いことは知っているのだ。心配で勉強したから。
両手の指で数えられるくらいならまだしも、〝人外のお友達百人できるかな?〟の道をリアルで突き進む娘に、ママの精神はいっぱいいっぱいだ。
と、そこへ不意に、
『なんということだ! いたいけな少女に群がる悪鬼羅刹共め!』
若い男の声が乱入した。ただでさえ混沌としている現場に、狐のお面を被った青年が香ばしいポーズを取りながら参上。
『お嬢さん方、もう大丈夫! ジャスティスが来た!!』
『間に合ってます。お引き取りください』
雫さんの死んだような声音が速攻で返される!
だが、そんな辛辣極まりない返事に、ジャスティスこと土御門大賀はめげない。というか、聞いていない!
『おぞましき化生共よ! 今すぐ少女から離れるがいい! そして京の都を荒らす不届き者共よ! お仲間は既に私が倒したぞ! 卑劣な策略で町から引き離されてしまったが、ジャスティスは何度でも舞い戻る! そこに助けを求める者がいる限り!』
シュバッシュバババッとやたらとキレのある香ばしい動きとポーズを取りながら、最後には何枚もの呪符を扇状に広げて両手に持ち、キメ顔を浮かべるジャスティス。
全員が察した。ああ、アビィの被害者だな……と。
『待ってください、ジャスティスさん! この子達は悪くないの!』
『なに? 少女よ、しかし、君はそれらがどれだけ恐ろしい存在か分かっていない――』
『関係ないの! 心と心で通じ合えば、お友達になれるの! ねぇ、みんな!』
妖魔達が一斉にコクコクッと頷く。ジャスティスは衝撃を受けたようによろめいた。
『なん……たることだ……。大切なのは心ッ。私は、ジャスティスを掲げながら大切なことを忘れていた! 君こそ真のジャスティスだ!』
全員が思った。たぶん、〝影法師〟の皆さんも思っている。
なんなんだ、この茶番は……と。
『度重なる戦いで私のジャスティスは尽きかけている。あるいは、ここが死地かと思ったが、ふっ。お嬢さん!』
『はいなの!』
『敵はまだまだいる。奴等は妖魔を従えているが、君なら新たな妖魔達とも友達になれるだろう! それこそが君のジャスティス道! 共にジャスティスしようではないか!』
『みんな! 一緒にジャスティスするの!』
妖魔達が、なんとなくのノリで『ォオオオオッ』と雄叫びを上げる。異様な盛り上がりに、なんとなく〝影法師〟の術者達がたじろぐ。
ジャスティスはお構いなしに、雫にも爽やかな笑みを向けて手を差し伸べた。
『さぁ、君もジャスティス――』
「――〝魄崩〟」
ザンッと不可視の斬撃がジャスティスを斬った。ように見えた。「アッ!?」と声を上げてジャスティスが倒れる。
場が、しんと静まった。
ジャスティスがハッと跳ね起きた。外傷はなく、意識が一瞬途切れただけのようだ。
雫の、非物質的な存在なら選択して斬れる斬撃が、一瞬だけ意識を斬ったらしい。
いったい何をするんだ! と抗議しかけて、しかし、雫の笑顔を見て「ヒッ」と悲鳴を上げるジャスティス。
『もとは仲間の不手際ですし、つい手が出てしまったのは謝罪します』
『え、あ、はい?』
『でも、あまり私の前で正義を連呼したり、ミュウちゃんをたきつけるのはやめてください。でないと』
『で、でないと?』
『泣いて謝るまで殴るのをやめません』
『……そろそろフリーダムもいいんじゃないかと思っていたんだ』
ジャスティスは敗北した。雫さんは、あんまり正義を押しつけられるのが好きではないらしい。某幼馴染みのあれこれで。
雫の顔が、ぐりんっとミュウを見る。ミュウから『ヒッ』と声が上がった。
『ミュウちゃん、友達は選べなんて言わないわ。でも、無差別は感心しない。その場のノリだけじゃなく、きちんと相手を見ること。それから、お友達ができたのなら、レミアさんにお話してあげなさい。心配させたいわけじゃないでしょ?』
『は、はいなの』
お姉さんとして言うべきは言い、こくこくと頷くミュウに微笑を返す。そうして、瞳からだけ笑みを消すという器用なことをしながら妖魔達へ視線を巡らせる雫。
『覚えておきなさい。その子への想いがなんであれ、傷つくようなことをしたら斬り捨てるだけじゃ済まさない。――あなた達の伝承を片っ端からねじ曲げてやるわ』
きっと、たぶん、かなり望ましくない感じに。できないとは不思議と思えなかった。あ、これはやると言ったらやるやつだ。と妖魔達をして理解させられちゃったからコクコクッと頷くしかない。
『はい、それじゃあ油断せずに行きましょう』
ちょうど敵方の増援が押し寄せてきたので、にこやかに笑って柏手を一つ。
妖魔達がチラチラと雫を気にしつつも、『自分達はお嬢のために戦います! 邪なことは考えていません! 本当です!!』と、どこか信頼を勝ち得んとする必死な様子で戦い始め、だからか単に縛られ命令を実行しているに過ぎない妖魔では比べものにならず。
呪術の類いは雫が尽く斬り裂き、ジャスティスもテンション抑えめにフリーダムな戦い方で相手を翻弄するので、防衛線に危なげはなく。
「ふむ。雫様の護衛兼監視があれば、お嬢様の戦力だけで問題なさそうですね」
エガリの結論に、異論はでなかった。
ただ、レミアだけが、
「帰ってきたら、いったいどれだけのお友達を紹介されるのかしら? うふふ……」
と、少し遠い目になるのだった。
バチカンの地下に広がる対悪魔組織オムニブスの拠点。
その中でも一際大きな空間――訓練および実験用の大広間に、激烈な獣の咆哮が響き渡っていた。
思わず鼓膜を庇わずにはいられない大音量だ。しかもそれは、本来生物という生物を恐慌に陥れかねないドラゴンの咆哮。
だがしかし、それに畏怖を抱く者はいなかった。むしろ、哀れみを感じていた。
だって、なんだか泣き声っぽかったから。
「ぬぅんっ!!」
と重低音な気合いの声が響く度に、生々しい粉砕音と衝撃波が迸る。
大広間に通じる四つの出入り口を封鎖する形で待機しているオムニブスの居残り組メンバーが、ドン引き顔で立ち尽くしている。
「うわぁ、なんですか、この状況」
「あら、シアさん。早かったのね」
訓練場に入ってきたのはシアだった。答えたのは、事前に来訪を知らされていた元エクソシストで、みんなのお母さん的存在であるマーヤ女史だ。
既に引退して秘密の通路の管理人をしているが、今は黒い戦闘服に大きな弓を肩に提げている。
「警告、助かったわ。案の定、保管していたドラゴンにまつわる聖遺物から顕現しかけてね、パトリックが相手をしているところよ」
改めて見れば、地面にめり込んでいるが訓練場の中心に何かがあり、そこから上半身だけを顕現させたドラゴンの、その頭部にオムニブスの長官パトリック・ダイムが馬乗りとなっていた。
そして、なぜか上半身裸で、老人とは思えないマッチョな体から湯気が出るほど汗を流しつつ、筋肉を脈動させて――ドラゴンの頭部をタコ殴りにしていた。
その表情は控えめに言っても悪鬼羅刹のそれである。
片手に金属の大きな書物を持ち、それを戦槌のように打撃武器として使っている。もう片方の手には金属書物と一体となった鎖が握られ、それがドラゴンの顎門に巻き付いて開口を封じ、更には首も締めているようだった。
ぬぅんっという声が聞こえる度に、鱗が砕けて周囲に飛び散る。どんなに激しくもがいても、ロデオのようにバランスを取って殴るのをやめない! 気のせいだろうか、ドラゴンの目元が濡れ始めているような……
ぬぅうんっ!!! グォオオオオオッ!!
「あの人、人間です?」
「よく言われるわ。でも、人間よ」
「一応、ドラゴンにまつわる遺物がそれなりにあると聞いて来たんですが……」
「あれで最後ね。結局、パトリックが全部やっちゃったわ」
「……これ、私はいりませんね。念のため、妖魔に有効な武具や結界系のアーティファクトを持ってきたんですが……もう、あの長官さん一人でいいのでは?」
ぬぅんっ!! ギィヤアアアアアア!!
改めて考えると、浩介ですら分身体を出さないと取り押さえられなかったご老人である。無意識下で魔力による身体強化をしているのだろうが、それにしてもまるで暴力の化身だ。
呆れ半分感心半分のシアに、マーヤ女史は肩を竦めつつ話題を転換した。
念のために聖神器である弓矢で援護できるようスタンバイしていたのだろうが、その必要性はなさそうだと。
「〝影法師〟だったかしら? こちらにも手を伸ばしてくると思う?」
「う~ん、どうでしょう。結界用アーティファクトを持たせられたのは、ここも一級の霊地だからだそうですけど……いくら人員が多いと言っても、富士にほとんどの戦力を投入しているから念のためって話でしたよ? 次点で聖域ですし、バチカンでの活動は目立ちすぎるので標的にはならないだろうと」
「彼等が日本を欲しがる根本的な理由が、それなのね」
ハジメ曰く、氣力の巡りが良い土地を仮称〝霊地〟と名付けたのだが、日本は破格らしい。聖域は言わずもがな、バチカンも一級の土地ではあるが比較にならないほど。
その理由は言わずもがな。日本が土地であって土地ではないから。
「まさか、日本そのものがドラゴンとはね……」
「クレアさん達を貸していただいてありがとうございます。代わりに、結界はしっかり張っていきますから」
「日本そのものが厄災となりかねないのでは、協力しないわけにはいかないわ。気にしないでちょうだい」
ふんぬぅっ!!! ィヤアアアアアア!?
「……ドラゴンさん、泣いてません?」
「悪魔すら泣くエクソシスト、それがパトリックだから」
やっぱり、バチカンはダイム長官がいればいいや……と、クラウディア繋がりで身内になるかもしれない人達の心配を放り投げるシア。
ちょっぴり、「うちの父様とどっちが強いかしらん?」と武人ウサギらしい思考が顔を覗かせた。
力のパトリックと、技のカム。
果たして……
ぬぅわぁらぁああああっ!!
ァアアアアアア~~
最後に一際大きな雄叫びと泣き声が上がって、ドラゴンは顕現しきれずに消えていった。
後には、上半身から蒸気をゆらゆら上げながら、天を衝くように拳を掲げるダイム長官の姿が。
それはまさに、勝者の姿。
一拍。
オムニブスの者達は爆発したような歓声を上げたのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
17,000字近く書いてしまった。本当は8,000字前後にしたいんですけどね……
次回から浩介サイド。本章最後の戦いへ突入です。
※ネタ紹介
・チタタプ 金神威より。日常からも。
・ジャスティスが来た! ヒロアカの某平和の象徴より。
・ジャスティスからのフリーダム ガンダム種より。




