深淵卿第三章 さすひな!
身長二メートル半の鬼女と、身長百三十センチ弱の少女が対峙している。
酒呑童子こと夜々之緋月と、最強陰陽少女こと藤原陽晴。
前者は月のように妖しく輝く目で見下ろし、後者は陽の光のように輝く目で強く真っ直ぐ見上げている。
着崩した黒の着物と、多少乱れてはいるもののピシッと着こなされた淡藤色の着物がまた、二人の相反する性格を示しているようだった。
「……」
「……」
お互い、無言だ。視線も逸らさない。相手の心の深奥まで覗き込み、その性質を完全把握せんとしているかのように見つめ合っている。
それはあたかも、視線で鍔迫り合いをしているかのようであった。
他方、外野は実に騒がしい。
浩介から「ひ、陽晴ちゃん!?」と驚愕の声が漏れ出し、大晴パパから「こ、こら戻りなさい、陽晴!」と焦燥の声が、ご老公や他の者達からも「姫様っ、いけません!」「おひい様ッ、お戻りを!」と警告するような声が次々と。
それはそうだろう。
確かに、陽晴は自他共に認める現代最強の陰陽師で、その力は圧倒的だ。
だがしかし、彼女はあくまで術者。
近接戦最強格の妖魔の、その間合いで睨み合うなど自殺行為に等しい。最悪の場合、何もできずに拳一つで、否、指先一つであっさり死ぬ。
藤原と土御門がプチパニックに陥いるのも当然だ。
だが、聞こえているはずなのに、陽晴は一切を聞き流した。あるいは意識できないほど、全力で目の前の鬼に集中しているのか。
力ずくで引き戻すことも可能だが、その場合、なぜか陽晴に応えて相対している緋月がどう出るか分からず、結果、大晴達も下手なことができない。
なので、散々あわあわおろおろした後、彼等の視線は一点に向けられた。
そう、陽晴が前に出た原因であろう男――浩介に。
藤原と土御門の視線が「あんたが原因じゃないの!? この状況なんとかしてよ!」と訴えている。
そりゃあ、浩介を抱擁しようと近寄って来た鬼の前に立ち塞がったのだ。「あんた、本当におひい様とどういう関係なの?」と胡乱に思うのは当然だろう。
(ちょっと遠藤さん。一件落着って時に痴情のもつれで刃傷沙汰はシャレになってませんよぉ。なんとかしてください)
(痴情のもつれってなんですか、痴情のもつれって)
(そろそろはっきりしてもらおうか。遠藤君とやら。君、娘とどういう関係だね?)
(報告では伏見の山頂で既に一緒だったようですが……そもそも、あんな山道から外れた山奥でいったい何を?)
振り返れば、お姫様のご身内が後ろにいた。浩介の肩を、それぞれガッと掴んでいる。真顔だ。おっさんとじいさんの真顔が両サイドにドアップである。ついでに耳元で囁いてくる。とても逃げ出したい。
(何を勘違いしてるんですか。やましいことなんてあるわけないでしょ? 陽晴ちゃんはまだ子供ですよ?)
(世の中には、ロリコ○という許し難い人種がいてだね……)
(はっ倒すぞ)
いくら陽晴のお父さんでも、その呼称は許し難い。と、浩介はジト目を返す。
(ちなみにですがね?)
服部が、大晴とご老公の後ろにそっと寄り添い、二人の耳元に囁いた。
(この人、婚約者がいるうえに、その婚約者公認の愛人が三人もいますよ)
((!?))
(服部さぁんぃっ、今、なんでそれ言った!?ってか愛人とか人聞きが悪い!)
浩介の抗議も虚しく、大晴とご老公の視線が、一族の大切な姫にまとわりつくハエを見るような目になった。
(いやぁ、どうせ言うでしょ? あっちには)
そう小声で言って顎をしゃくる服部。
言わずもがな、その先には睨み合う緋月と陽晴がいる。
なるほど、陽晴は既に知っていることだが、真っ向から好意を伝えてきた緋月には、きちんと説明が必要だ。浩介自身、確かに伝えるつもりであった。
ならば、緋月がどう反応するか分からない以上、大晴達まで騒ぎ出したら困るわけで、事前に伝えちまえ、というのは分からないではない。
(ってなわけで、遠藤さん。漢を見せる時ですよ)
(うっ。分かってますよ。緋月にはきちんと説明して――)
(幼妻と鬼嫁ゲットですね。しかし、陽晴さんに対しては、くれぐれも節度を守ってくださいよ。あと十年は。逮捕案件になるのは嫌ですからねぇ?)
(ねぇ、それ冗談で言ってるんだよね? そうだよね?)
陽晴は、伝説の鬼を前に陰陽師として思うところがあるに違いないのであって、断じて〝女の戦い〟をしているわけではない。だって、陽晴ちゃんは極めて常識的で良識のある女の子なのだから!
浩介は、そう信じている!
脳裏に少し、本気で魔王を狙っているっぽい娘さんや、どうにも勇者に並々ならぬ感情を抱いていそうな砂漠世界の新幼女王様が過ぎったが……
彼女達が陽晴に良い笑顔で「仲間♪ 仲間♪」と手招きしている姿も幻視しちゃったが……
気のせいに違いない!
藤原と土御門の「もう、この空気に耐えられない!」「健比古なんか、片腕ないうえに致死級の呪詛受けてるんだ。早く治療に専念させてくれぇ!」(by清武)という視線の圧が強くなった。
確かに、本格的に治療した方がいい者が多い。藤原の者達が衰弱しているのはもちろん、土御門の術者達も無事ではない。健比古は特に。緋月の戦いの間に清武達が呪詛を解呪し、浩介が渡した回復薬も飲んでいるので、しぶとくも命の危機から脱しているが、それでも絶対安静の状態だ。
なので、急いだ方がいい。
浩介は、緋月の反応を想像して戦々恐々としつつも、咳払いを一つ。
崖から飛び降りる心持ちで口を開いた。
「あ~、陽晴ちゃん? 陰陽師として緋月を警戒するのは分かるけど、むやみに暴れたりはしないと思うから、その辺で、ね? 緋月も、暴れたりしないよな? な?」
先に反応したのは緋月だった。
無表情に近かった顔が、浩介に向くや否やぱっと華やぐ。が、
「それは、小娘次第でありんすねぇ」
返答はなかなか物騒だった。
「ひ、陽晴ちゃん」
浩介が再度、今度は肩に手を置いて呼びかけると、陽晴はようやく反応を見せた。
持ち前の霊視的直感力で何かを見極めたのか、依然、緊張の滲む表情ではあったが、肩に置かれた浩介の手に自分の手を重ねて、
「ご安心を。わたくしから戦いを望むことはございません」
そう答えた。緋月の視線が重ねられた手に向けられ、スッと目が細められる。
だからか。陽晴は直ぐに手を離し、浩介の手も離れさせるように一歩前に出た。
にわかに緊張が走る中、次の瞬間になされたことに、浩介と服部以外の全員が絶句することになった。
「どうして、貴女様に不義理ができましょうか」
陽晴が、綺麗な所作で頭を下げたのだ。
「この度は一族を救っていただき、心から感謝いたします」
一瞬、時間が止まったようだった。それほど、しんとした空気が充満した。
当然と言えば当然だ。
現代最強の陰陽師が、不俱戴天の仇と言っても過言でない鬼に対し、頭を下げたのだ。
その衝撃は伝統と歴史を繋いできた陰陽師達だけでなく、当の鬼たる緋月すら思わず瞠目させるほど。
そんな空気を、なぜかドヤ顔している浩介がぶち壊す。
「ほら見ろ、陽晴ちゃんはそんな子じゃないんだ。どんな時でも礼節を忘れない。さすひな! これはもう、マジさすひな!」
「遠藤さん、気持ちは分かりますがね? 空気読みましょうよ」
服部のツッコミに、藤原&土御門の皆さんが一斉に頷く。
小首を傾げて不思議そうに浩介を見やる陽晴。
緋月が溜息を吐いた。どこかつまらなそうな苦笑いを浮かべて、その表情を隠すように扇子を広げて口元に添える。
「わっちは愛しの君の期待に応えただけでありんす」
お前達を救うために顕現したわけではない。勘違いするなという忠告が、冷えた声音で広がった。
再び、微妙な緊張が走るが、緋月に向き合う陽晴には、やはり動揺はない。
「承知しております。しかし、結果は結果。感謝しない理由にはなりません。遠藤様が呼ぶ名は、どうやら貴女様の呪で秘されているようで、わたくし達には聞き取ることができません。ですので、通名で呼ばせていだきます。大江山の酒呑童子。鬼の頭領殿。藤原陽晴が一族を代表して、感謝いたします」
神妙に頷き、なお礼を尽くす陽晴。
どこまでも弁えた姿に、緋月は興味が失せたような表情になって……
「ですが」
おや? 顔を上げた陽晴ちゃんの表情がキリリッと引き締まって?
「お前の、遠藤様に対する好意に関しては、少々、忠告したきことがございます」
藤原&土御門の皆さんが、ざわっとなる! そりゃそうだ。あの礼節を忘れぬ姫様が、〝お前〟呼びである。明らかに敵対も辞さない覚悟が感じられる!
浩介から「待って。ちょっと待って陽晴ちゃん」と嫌な流れを感じて焦る声が出て、服部から「ほぅら見たことですか」とドヤ顔が迸る。大晴とご老公も焦る焦る。いろんな意味で。
「へぇ? なんね?」
緋月の瞳がきらりと輝く。今度は期待を裏切るなと言いたげに見えるのは気のせいか。
にわかに高まる緊張感。
と、その時、トゥルルルルルとコール音が。とっても既視感。
「あ……す、すみません」
案の定、浩介だった。土御門の皆さんから「またお前かよ!」みたいな視線がガンガン突き刺さる。
水を差された緋月も笑顔が怖いし、陽晴は困った人を見るような目になっている。
「分かりますよ。ええ、私には分かります。修羅場の追加でしょう? さすアビ。これはマジでさすアビですわぁ!」
「服部さん、ちょっその口、閉じててもらえますぅ!?」
でも否定はできない。だって、スマホの画面には〝エミリー〟の文字が。
実は分身に余裕がなくて、今度はきちんと断りをいれてからだが、ラナ達の傍にいた分身も解除していたのだ。
終わったら連絡すると言ったのだが、痺れを切らして連絡してきたらしい。
「愛しの君、それはなんね?」
緋月が、騒がしい音を立てる物を睨む。スマホどころか電話も知らない彼女からすれば、勝手に鳴り続ける鈴のようなものと認識しているのかもしれない。
「えっと、ですね。これは遠くにいる人と話ができる道具でして……」
「遠くにいる人? それはまた奇怪な」
コール音は鳴り続けている。一度、切ってしまおうか。それで、後でかけ直すとメッセージでも送れば……
「遠藤様。もしや、セーフハウスでお話になられた方でしょうか?」
「あ、はい。そうっす」
「では、出て差し上げたほうが……遠藤様を案じて、連絡なされているのでしょうから」
なんという良識! でも、嫌な流れだ!
「愛しの君を案じて? 誰ね、それは」
ほら!
「遠藤様の婚約者と……恋人の方、とお聞きしております」
「……………………は?」
笑顔! 緋月さんが満面の笑顔。血塗れ姿のまま浩介にとびっきりの笑顔が突き刺さる。鬼気が漏れ出している!
死地に等しい戦場が凪いだと思ったら、本格的な修羅場の風が吹いてきて藤原&土御門の皆さんも凍り付く。
トゥルル~? トゥル! トゥル!
なぜか、コール音が音割れを起こした。まるで催促でもしているみたいな音だ。
「応えんのかぇ? 愛しの君」
笑顔の圧が凄い。いつの間にか血色の妖気を纏っていらっしゃる。それで器用にも血糊さえ払い落としたらしい。元の美しい白髪に戻っている。身だしなみも整え、戦闘準備万端とでも言いたいのだろうか。
「……遅かれ早かれ、確認しておくべきことではありますね」
陽晴がよく分からないことを言う。誰かに言ったというより、自分に言い聞かせるための独り言といった感じだ。
「遠藤様。様々な愛の形があるということは……その、わたくしも、未だ理解が完全には追いついていないのですが……」
「いいんだよ。一生、追いつかなくて。陽晴ちゃんは、そのままの君でいて」
「いえ、そうではなく。酒呑童子に対し、遠藤様がどういう結論を出されるにしろ、大切な方が遠方にいらっしゃるうちに紹介されるのがよろしいかと思います」
思いのほか、陽晴の表情は真剣だった。
浩介に対する憂慮と、まるでまだ戦場にいるような緊張感を微かに滲ませているように思える。やはり服部が邪推(?)するような雰囲気ではない……
正直、陽晴の内心を図りかねている浩介だったが、彼女の言葉は、いつだって心が込められていることを理解している。
なので、ちょっと表情を引き攣らせつつも、浩介は意を決して通話状態にした。
途端に、スピーカーモードではないのに誰でも聞こえるくらいの声量がどんっ。
『こうすけ! 大丈夫!? こっちから電話してごめんね! ラナさんが『大丈夫だから待ってなさい』って言うんだけど、やっぱり心配で……もしかして邪魔しちゃった!? それなら直ぐに切るから!』
一息で一気に。なお、愛しの浩介のために必死に勉強したので、既に〝言語理解〟のアーティファクトがなくとも日本語である。電話の向こうの少女が、どれだけ浩介を想っているか、この場にいて分からない者は一人もいなかった。
緋月さんの獲物を見つけたような微笑みが怖い……
服部を筆頭に、大晴達から「おら、早くスピーカーモードにするんだよぉ」と視線が飛んでくる。
仕方なくモードを切り替えつつ、浩介は冷や汗を流しながら答えた。
「ああ、大丈夫。もう片が付いたから。落ち着いてくれ、エミリー」
なるべく穏やかな声音で言うと、『良かったぁ』と安堵の呟きが聞こえてくる。
『ほら見なさい、エミリーちゃん。こうくんが本当にまずい状況なら、きちんと援軍要請してくるって言ったでしょう?』
『そ、そうだけど……』
『浩介様が分身体を置いておく余裕がないなんて余程のことなのです。仕方ありませんよ。私も心配しました』
『いえ、クレアさんは自分の心配をしてください。貴女、いったいどれだけ窓から落ちたら気が済むんですか。そわそわと落ち着きなく歩き回ってはピタゴラスイッチみたいに……ほら、パフォーマンスと勘違いして、通りに地元の子供達が待機しちゃってますよ』
なんてラナとクレア、それにヴァネッサの声も届く。不安になると窓から落ちるらしい聖女に「クレアぇ」と遠い目になる浩介。
『それで、こうくん。陽晴ちゃんだったかしら? あの子も無事?』
「ああ、無事だぞ。むしろ、俺より大活躍したんだ。ちゃんと記憶も取り戻して、それ以降は無双だぜ、無双」
『記憶を取り戻して無双状態? 何よそれ、最っ高にクールじゃない!』
「おう、めっちゃ格好良かった!」
『ハウリアの大好物よ! 興奮で脳汁がドパドパだわ! 後で過去映像を記録してくれる? 皆で鑑賞会よ!』
浩介とラナのべた褒めに加え、ヴァネッサからは『素晴らしい! 実在したジャパニーズエクソシスト! それも幼女! 私も大好物です!』とテンション上げ上げの絶賛が、クラウディアからは『わ、私だって悪魔相手なら無双できるのですよ!』となぜか対抗心バリバリの訴えが響いてくる。
陽晴がぷるぷるしていた。おすまし顔だが、顔も耳も首筋も真っ赤だ。めちゃくちゃ照れているらしい。
が、直後の言葉で、今度は違う意味で真っ赤に染まった。
『それじゃあ、五人目のお嫁さん候補でなんの問題もないわね!』
「問題しかねぇよ!」
『こうすけ? やっぱりそうなるの? またなの?』
「やっぱりってなんだ、エミリー。そんな気は毛頭ないから、暗黒面に落ちたような声音を出すのはやめてくれる?」
『嘘だッ!!! こうすけは嘘を吐いてる!!』
某ひぐらしばりにゾッとする怒声が返ってきた。固唾を呑んで見守っていた藤原&土御門の男達が「ひぇっ」と縮こまる。
「な、何を根拠に……。陽晴ちゃんは、まだ九歳の女の子だぞ? そんな対象に見るなんてあり得ないし、陽晴ちゃんだって俺をそんなふうには見てない。何せ、式神にしようと企んでたくらいだし……とにかく、陽晴ちゃんにも失礼だぞ」
陽晴ちゃんが、顔は真っ赤なままだが曖昧な笑みに……
『でも、私は知ってるの』
「知ってるって、何を?」
『日本の男性は、光源氏さんを語り継ぐほどリスペクトしてるって! 日本の〝紳士〟は、英国の〝紳士〟とは別者だって! ヴァネッサが言ってたもの!』
「ヴァネッサァアアアアアアアッ!!!」
某SOUSAKANから悪い影響を受けているエミリー。
『はい、コウスケさん。何か?』
こいつ、悪気の欠片もねぇ……と青筋を浮かべつつ、浩介は言い募った。
「とにかく! 陽晴ちゃんをそういう目で見るの禁止! いいな! 特にラナ! こっちには陽晴ちゃんのお父さん達もいるんだから、これ以上、変なこと言うな! お願いですから!」
『まぁ! 陽晴ちゃんのお父様が、そこに? 初めてまして! こうくんの婚約者のラナ・ハウリアと申します! 突然ですが、お義父さん! 娘さんをこうくんにくださいっ!!』
「お願いしたのに速攻かよっ」
「君にお義父さんと言われる筋合いはないッッ!!」
「なんであんたも乗ってるんだよ!!」
ああ、ついに陽晴ちゃんが両手で顔を覆ってしまった。
なんだろう、このカオスな空間は。なんだかコントじみていて、いつものことだがシリアスが瀕死だ。
が、それもここまで(?)。
不気味なほど大人しかった鬼女が、とうとう口を挟んだ。
「わっちを差し置いて嫁だのなんだの。片腹痛いとは、このことよな?」
しっとりと濡れたような声音だった。
大して大きくもない声量。否、むしろ静かなくらい。
だが、背筋を指先でなぞられたような、快感にも近い怖気が走って、全員がギョッとする。
特に、陽晴の反応は劇的だった。羞恥で真っ赤だった顔が奇術みたいにもとに戻って、その視線は鋭く緋月を捉える。更には、後ろ手でこっそり刀印まで作っていて、浩介はそれにもギョッとしてしまった。
『……こうすけ? 今の、だれ?』
こっちもこっちでギョッとしちゃう。
『もしかして、こうくん! 一度に二人もゲットなの!?』
ラナの空気を読まない奔放さが、ある意味、助かる&羨ましい。
「あ~、えっと、実はそのことで連絡を――」
「わっちは、愛しの君の女でありんす」
緋月さんが言い切った。すると、陽晴的には予想外のことが。
『……こうすけ』
「はい」
『いま、会いにいくから』
「えっ、ちょっと待って、エミリー!」
浩介が止めるが……遅かったようだ。
「実に結構なことでありんす。小娘、どこにおるのか知りんせんが――」
「私、エミリー。今、こうすけのうしろにいるわ」
エミリーちゃんはゲートを開いてしまった。
渦巻く光の膜が浩介の背後に出現。大晴達が瞠目する中、エミリーが光の中から現れる。
黒のインナーにスカート、黒のタイツとショートブーツ。そして、真っ黒な暗黒の瞳。サイドテールの金髪と翻る白衣がやけに映える。
当然ながら、後に続いてラナもぴょんっと飛び出てくる。ジーンズに片側を絞ってヘソ出しにしている白のブラウス、腰には二本の小太刀という恰好。
ヴァネッサは、いつものスーツ姿だ。モデル歩きで現れ、右手を広げて顔に添えて香ばしいポーズッ。クラウディアも白の法衣っぽいエクソシストの装いで、聖女らしく楚々と登場――しようとして自分の足につまずき顔面ドグチャァッする。
クラウディアが顔を真っ赤にして、パタパタともがくようにして立ち上がる中、嫉妬の大罪を背負っていそうなエミリーは、正面に優雅に立つ身長二メートル半の大女と目を合わせた。
そして、
「ひぅっ」
即行でびびった。だって、でかいし。角が生えてて明らかに人外だし。何あれ。なんなのあれ! なんで魔王様みたいな血色のオーラまとってるの? 心臓がキュッってなるんだけど!
常人では耐え難い鬼気。
それをもろに浴びて、薬学の天才ではあるもののがっつり常人なエミリーちゃんは今にも泣き出しそう。
目の端に涙を溜め、内股になってガクブルする姿は大変よわよわ。素敵に情けない。お漏らしのカウントダウンが開始されてそうである。
同時に、ヴァネッサも冷や汗を噴き出して硬直し、ラナとクラウディアも表情を一変させた。
「ちょ、ちょっとこうくん! 聞いてないわ! なにあいつ! シアと同じタイプのヤバみを感じるんだけどっ」
ラナが表情を引き攣らせながら、小声で浩介に迫った。肩に置かれた手が微かに震えている。
殺し合い上等の首刈りウサギが思わず怯むほどに、緋月の放つ鬼気は強かったのだ。
このまま膝を屈しろ。分を弁えて身を引け。そんな意志が込められているようにさえ思う。
「ふぅん? 有象無象ではありんせんか」
ラナ達の様子を見て、鼻で嗤う。取るに足らないと。己こそ、愛しの君の寵愛を受けるに相応しいと、自負と共に。
だから、
「やめろ、緋月。今すぐにだ」
ずんっと物理的な重さすら感じさせる言葉が響き渡った。
浩介だ。エミリー達の前に出る。緋月と相対する。真っ直ぐに、その金色の鬼眼を見返す。
緋月は目を細めた。扇子で口元を隠しながら、小首を傾げる。
「愛しの君。良い男に女が寄りつくのは必然故、過去には目を瞑りんす。これからはわっちだけを見てくんなまし――」
「ラナが、俺の最愛の人だ」
はっきりと告げる。ラナのアーティファクトで隠れたウサミミがピンッと立ち、頬が赤く染まり、四肢に力が滾るのが分かった。
それから、浩介は、少し言葉に迷う素振りを見せるも、エミリー達を見て吹っ切ったように告げた。
「エミリーも、ヴァネッサも、クレアも、俺の掛け替えのない大切な人だ。たとえ誰であろうと、傷つけることは許さない」
今にもジョバーといきそうだったエミリーが「んっふぅ」と声を漏らして震えを止めた。ヴァネッサも血の気の引いていた顔に血色が戻り、クラウディアは喜色を浮かべて、最強のエクソシストたる聖女の顔で緋月を睨み返した。
浩介がはっきりと気持ちを口にしてくれたことで、みな奮い立つことができたらしい。
「三度は言わないぞ。今すぐ、その鬼気を消せ」
「……」
緋月の目が細められた。無表情で、何を考えているのか分からない。
不穏で、ともすれば導火線に火が付いた爆弾の前にいるような緊迫感に誰もが口を噤む中、浩介を援護するように凜と響いたのは幼い声。
「酒呑童子。先程、わたくしが言いかけた忠告を、改めて言わせていただきます」
ハッとしたように全員の視線が陽晴に向く。
陽晴が浩介に並び立った。
小さな体で真っ直ぐに立ち、怯みなき眼差しを緋月に向ける。
「お前は、遠藤様を愛している。心から欲している。そうですね?」
「何を今更」
「言い方を変えましょう。お前は――」
一拍おいて、陽晴は、浩介達が抱いているであろう、ある種の勘違いを正すように、その事実を突きつけた。
「遠藤様を、その血肉を、喰らいたいと思っている。そうですね?」
「え?」
戸惑いの声を上げたのは浩介だ。ラナ達も、愛していることと陽晴の指摘がイコールで繋がらず、戸惑いを瞳に浮かべた。
だが、大晴達は、否、陰陽師達は意味を了解しているらしい。
そして、緋月は――
「ふふ」
うっとりと笑った。怖気が走るような妖しい笑みだった。
指摘は事実。何より雄弁にそう語る笑みに、浩介達の表情が引き攣る。
「遠藤様。お忘れなきよう。彼女は酒呑童子。数多の人を喰らった伝説の悪鬼。妖の言葉が、人のそれと同じと思ってはなりません」
緋月にとって、血肉の一欠片、一滴すら余さず喰らい尽くし一つになることこそ、究極の〝愛する〟ということ。
それを看破していたからこそ、陽晴は、緋月の助力に感謝こそすれ、決して油断しなかったのだ。浩介の前に立ち、緋月と相対したのは、つまり、認識の足りない浩介を守るためだったのである。
ラナ達のことも、遠方にいて緋月が手を出せないからこそ、浩介との関係性を暴露するチャンスだと考えて推奨したのだ。
その配慮は、空間転移という超常すぎる事象で無意味なものとなってしまったが。
浩介は、ふと思い出した。そう言えば、夢の中でも「喰らってしまおうか」と言っていたような気がする、と。あれは、冗談でも、ましてちょっと勘違いしてしまった性的な意味でもなく、そのままの意味だったのだ。
どんな人に近しい姿をしていても。
それがどんなに美しい姿でも。
妖魔を、人と同じ尺度で図ってはいけなかった。
彼等は、人の〝畏れ〟が生み出した人外。理解できぬもの、恐ろしいものとして生まれたのだから。
そのことをようやく理解して、思わず「うぼぁ」と白目を剥きかける浩介。
「ああ、愛しの君。そのように愛らしいお顔を見せんでおくんなまし。直ぐに、とは考えておりんせん。十年、二十年、よう熟した頃合いまで待ちんすよ? なんなら、もう動けぬ年寄りまで待っても構いんす」
まったくもって安堵できない。最終的には喰らいたいというのだから、死神に目を付けられた気分だ。
二十年程度なら返り討ちにする自信はあるが、それだって常に万全とは限らない。怪我や病気で一時的に弱体化することもあるだろう。この先ずっと、伝説級の捕食者に舌舐めずりされるのは勘弁である。
そんなヤンデレとはまた異なった、ヤバすぎる鬼女の情念を前に戦慄を隠せない浩介の視界の端に、自分を庇うように一歩前に出る陽晴の姿が映った。
「忠告、と申し上げました」
確固たる意志、巌の如く固い決意、言霊を以て示される覚悟。
「小娘に、何ができると?」
「お前を討伐できます」
それが、白き光となって溢れ出す。
「お忘れですか? 人に仇なす化生を討ってきたのは、いつだって人でした」
一気に膨れあがった清冽な霊気が、緋月の鬼気を押し返す!
大嶽丸の時は、時間が足りなくて何もできなかった。
だが、今は違う。時間は十分にあった。密かに回復に努め、練り上げ、重ねた対鬼の呪が、〝神降ろし〟に匹敵する圧力となって放たれる。
また一歩踏み出す現代最強の陰陽師を前に、緋月の顔色が徐々に変わっていく。
見所のある玩具を見るようだった目が、明確な脅威を見る目に。
「人を喰らわず、寄り添って生きるというのなら結構。ですが、遠藤様を、この方の大切な方々を、喰らおうというのなら容赦はしません」
人差し指と中指を真っ直ぐに立て作る刀印で、まるで緋月を幹竹割りに斬り裂くかのように振り下ろして突きつける。
そうして、陽晴は、裂帛の意志を以て宣言した。
「この安倍晴明が末裔、藤原陽晴の目が黒いうちは、遠藤様を傷付けること決して叶わぬと知りなさい!!」
それは、生涯をかけてお前を見張っているという宣言で。
その言霊に等しい言葉に嘘偽りは微塵も感じられず。
藤原陽晴は、しかるべき方法、必要な時間をかければ、伝説の鬼を討てるのだと確信させるに十分で。
「……ふふ。やはり面白い小娘でありんすねぇ」
緋月が愉快そうに笑う。余裕たっぷりに、優雅に。
だが、驚くべきことに、気のせいでなければ、うっすらと冷や汗を掻いているように見えた。
対峙状態こそ崩さなかったが、伝説の鬼に〝ただでは済まないだろう〟と思わせていることは明白。
千年前から続く陰陽師の血統は、現代においてもなお、妖魔にとって確かな脅威であったようだ。
そんな光景を前に、この場の全員が思った。
――この幼女、マジかっこいいーーっ!!
と。
不意に「ま、まずいわ。この子、想像以上の逸材だわ。正妻の座が危ういっ!?」と呟く声が。
ラナさんだった。浩介の告白を受けて以来の焦りっぷりである。
ラナお姉さんの負けられない戦いが、そこにあった。
気合一発。ハウリアの矜持、見せたらぁっと陽晴の横に進み出るラナ。
カチューシャ型のアーティファクトを取り、正体を現わす。
ぴょんっと現れたウサミミとウサシッポに、内心で〝おひい様フィーバー状態〟だった藤原と土御門の者達が息を呑む。陽晴でさえ、驚いたように瞬きを繰り返した。特に、大晴は何か衝撃を受けたように凝視している。
「初めまして。私はラナ・ハウリア。異世界のウサギお姉さん。そして、遠藤浩介を世界で一番、愛している女よ!」
いつものハウリア式香ばしい自己紹介ではなかった。
だが、ハウリア族の抱く意味不明な不敵さをこれでもかと表情に浮かべ、盛大に胸を張っていた。
「貴女が望むなら、こうくんのお嫁さん候補にしてあげる。正妻は私だけどね! 独占を望むなら諦めなさい。無理強いするなら相手になるわ」
酒呑童子相手に、臆することなく正妻マウントを取るラナ。
虚勢やはったりではなく、真実、殺し合い上等の気概があった。ジャイアントキリングはハウリアのお家芸! と自信すら窺える。
それを、緋月も感じ取ったのだろう。羽虫を見るようだったラナへの視線が、明らかに変わった。
「……おや、ウサギ如きが随分と吠えるじゃありんせんか」
「旦那様の敵とあらば、闇に紛れて首を刈る。それだけのことよ! 正妻だから! 正妻だから!」
大切なことなので二度言ってアピールしておく。チラッチラッと、緋月に――ではなく、陽晴に。
それを見て、こうしちゃいられないとエミリー達も続く!
「わ、私だって……えっと、えっと……そう! 鬼くらいパパッと毒殺してやるんだから! きゅ、九歳の女の子になんて負けないんだからね!」
「では、私はアンチマテリアルライフルで狙撃してやると宣言しましょう。陽晴さん、私をリスペクトしてもいいですよ」
「わ、私だって年下のエクソシストなんかに負けないのですよ! 最強のエクソシストは私ですっ」
緋月の目がエミリー達を順繰りに捉え、ますます細められる。だが、そこにあるのは剣呑というより、どこかラナに向けていたのと同種の感情のようで。
他方、ビシッと決めたのに、なんか思いがけない方向から対抗心を向けられた陽晴ちゃんが、盛大に目を泳がせている。フレンドリーファイアを受けた気分だろうか。
「あ、あの皆様? 何か勘違いをされて……わたくしはただ、大恩ある遠藤様に一生をかけて恩返しをしたいと思っているだけで……」
刀印を緋月に突きつけたまま弁明する陽晴ちゃん。
「つまり、一生を添い遂げたいということでしょう?」
ラナお姉さんがシンプルにまとめた。陽晴はぷるっぷるっと首を振る。
「そ、そのようなこと考えておりません。皆さまがいらっしゃいますのに、わたくしなど……ただ、お役に立てればそれで……」
「ダメよ! その考え方はダメ!」
一番浩介を独占したそうなエミリーちゃんが、なぜか一番に声を張り上げた。
「優花と同じ考え方をしてたら、愛人になっちゃうわよ!」
「あ、愛人!?」
なるほど。特別な関係は望まず、でもつかず離れずの関係で役には立ちたいとは、確かに愛人臭がしなくもない。やり玉に挙げられた優花ちゃんは猛抗議したいだろうが。
「で、ですが、その、わたくしにはまだ早いといいますか……遠藤様は健全な――」
言葉が途切れる。浩介を見て、ラナ達を見て、
「遠藤様は、わたくしのような子供を、そのような目で見たりはいたしませんから」
「ねぇ、陽晴ちゃん。なんで健全の部分を削除しちゃったの? ねぇ、なんで?」
浩介の指摘は綺麗にスルーされた。そりゃあ複数の女性を侍らせているのだから健全ではないだろう、と。
ラナが、バチコンッとウインクとサムズアップを陽晴へ向ける。
「そんなの、あと五年、十年すれば解決ね! ミュウお嬢なんて陽晴ちゃんより小さいけど、パパで私達のボスでもある人のお嫁さんの座を本気で狙ってるからね!」
「ち、父親の!?」
陽晴ちゃん、未知との概念に再び遭遇。そんな愛の形あってもいいのだろうか……と、詳細を知らない身としてはアブノーマルすぎる世界にお目目がぐるぐるし始める。
「正妻たる私が許すわ! さぁ、陽晴ちゃん、貴女の気持ちは!」
「あ、あの、今は酒呑童子のことを――」
「わっちも聞きたいでありんすぇ?」
「え!? なぜ!?」
今は自分の心情などどうでもよいことだと話題を逸らそうとするも、当の緋月に促されてしまい狼狽する陽晴ちゃん。
大晴パパが目を見開いている。服部に手首を拘束されていなければ飛び出してきそう。一族の皆も目を見開いて姫様に注目している!
なぜ、こんな状況に!? と陽晴の視線が泳ぐ泳ぐ。
「認めんす。小娘、否、晴明の末裔――陽晴。主さんはわっちを滅ぼし得る希有な人の子。ならば、その動向、わっちとて知らん顔はできんせん。立ち位置、はっきりしおし」
「う、ぇぅ、うぅ……」
先程までの〝マジで格好いい陽晴ちゃん〟は、どこにいったのか。今度は逆に緋月の笑顔の圧に押されまくっている。
「お、おい、やめろよお前等。陽晴ちゃんを困らせ――」
「こうくんは黙ってなさい! 女の子の大事な時間を邪魔しない!」
「ご、ごめん……」
最愛の恋人にそう言われては黙るしかない、よわよわの浩介。
「陽晴! きっぱり言ってやりなさい! こんな不健全な男など――」
「お父様は少し黙っていてください」
「す、すまない……」
最愛の娘にそう言われては黙るしかない、よわよわの大晴パパ。
しかし、そんな父親の言葉で踏ん切りがついたのか、深呼吸を一つ、二つ。三つ。
陽晴は、今まで使ったことのない全く未知の勇気を奮い立たせた。そして、心の奥の蓋を開けて、押し隠そうと思っていた気持ちを大切に取り出し、言葉に変えて、伝えた。
真っ赤になって、
「ご、ご迷惑でなければ……わたくしが大人になった時で構いませんので……」
消え入りそうな声で、
「末席においていただければ……幸いでぅ」
最後にちょっと噛みつつも、懸命に。
それはあまりにいじらしく、純粋で、謙虚な好意だった。
とりあえず、大晴パパの目が死んだ。服部が「分かりますよ、その気持ち」と同情と共感たっぷりに肩をぽんぽん。藤原と土御門の者達も、実に複雑な表情。エミリー達は「こ、これが大和撫子……?」と戦慄の表情に。
ラナの肘が、浩介の脇腹をつんつんする。何か言えということだろう。
真っ赤になってぷるぷるしている陽晴を見れば、確かに、声をかけないわけにはいかない……が、その前に。
「ようざんす。誠に、ようざんす」
ぱちんっと扇子を閉じる小気味良い音が響いた。
「主さんらの気概、確かに魅せていただきんした。千年ぶりの世も、愛らしい人で溢れんばかり。大変結構でありんす」
「えっと、緋月?」
浩介が訝しむように呼びかける。ラナや陽晴が、そしてエミリー達が緋月に注目する。
その表情には、今までのどれとも異なる子供のような愉しげな感情が浮かんでいるようだった。
「並み居る恋敵を蹴散らして、愛しの君の全てを手中にするも魅力的ではありんすが……ええ、ええ、わっち決めんした」
暴虐と人喰の鬼が結論を出そうとしている。
明るい笑顔を浮かべて生きとし生けるものを鏖殺できる存在だ。必然、警戒心が高まるが……
「一切合切、愛しの君に従いんす」
そう言って、緋月は膝を突いた。
「愛しい男だけでなく、愛らしい女達に囲まれるというのも、存外、悪くないでありんしょう?」
だから、と。
かつて、異界の山中で陽晴がそうしたみたいに、気品のある所作で着物の裾を払い、正座し、三つ指を突いて頭を下げる。
「末永く、よろしくお願いいたしんす」
それは、鬼の闘争心と執着心という強烈な性を抑えてでも共存を受け入れるという宣言だった。
鬼が、膝を突き、頭を下げたことが何よりの証拠だ。
あるいは、強き人の子を愛しく思うのもまた鬼の性である、ということなのかもしれないが。
浩介が大きく息を吐いた。重苦しさのない、気持ちを切り替えるための呼吸だ。
一拍おいて、頭を下げている緋月のもとへ歩み寄る。
「俺は老衰以外で死ぬ気はないけどさ」
その手をとって顔を上げさせる。
「死んだあと、よぼよぼの爺さんなんかで良ければ好きにしていいよ。それか、何かと騒動に巻き込まれる人生だから、万が一、ぽっくり逝っちまった時もな。体が残ってたら、緋月にやるよ」
「愛しの君……」
苦笑い気味にそんなことを言うのは、鬼女としての緋月の気持ちに少しでも報いるため。それが分かるから、緋月の表情はまたも恋する少女のように華やぐ。
緋月を立ち上がらせながらラナを見れば、満足げなサムズアップが返ってくる。と同時に、視線が陽晴へとチラチラ。
促されて、浩介は困った表情になりながら陽晴にも言葉を向ける。
「陽晴ちゃん」
「! ふぁい!」
断じて〝戦え!〟と言ってるわけではない。噛んだだけだ。羞恥心で倒れそうだし。
「気持ちは受け取っておく。ありがとな」
「は、はい」
「でもまぁ、陽晴ちゃんが言った通り、もう少し大人になってから、な? それまでに、陽晴ちゃんもたくさんの出会いを経験するだろうし」
「……わたくしの気持ちが変わることはないと存じますが、今は、それで構いません。ありがとうございます、遠藤様」
実質的には振られたようなものだが、分かっていたことらしく、陽晴の表情に悲しみはない。むしろ、他の出会いと言われて、少しむっとしつつも決意を新たにしたようだった。
「良いわね! こうくんの方は、これで一件落着よ!」
パァンッと手を打って、ラナがそう口にしたことで、ようやく空気が弛緩した。
長き夜の死闘が、ようやく幕を下ろしたのだと。
その後。
陽晴が改めて龍穴を閉じる儀式を行い。
エミリーが王樹の聖域で採取・研究していた薬草を用いて、藤原や土御門の疲弊した者達に特製薬を調合して回り。
ご老公が、念のため、九尾の呪物と黒衣の男が龍脈に落ちた影響を〝六壬式盤〟を用いた式占で調べたり。
服部が各方面と連絡を取ったり。
大晴は愛娘の恋心を聞いて呆然としていたものの、ラナのウサミミを見て気持ちを盛り返し、「兎娘がいるのなら、馬娘もいるのだろうか?」と真顔で聞き込みをしたり。
笑顔でキレた陽晴に「さっさとお母様に連絡してください!」と怒られたり。
そんな感じで事後処理やら休息を取ったりやらすることしばし。
浩介も一息ついて、さて、南雲や皆になんて報告しよう……絶対、またからかわれるよなぁと遠い目になりつつも、そろそろ連絡するかと思っていると。
不意にコール音が鳴った。
浩介ではない。出所は、少し離れた場所の土の中か。
「む? 私か? 馬鬼に振り回された時に落としたか」
「いいよ、爺さん。式占を続けてくれ。俺が出るから」
ご老公のスマホを掘り出し、清武が出る。電話の向こうは随分と興奮しているようで怒声じみた声が響いてきた。
何事かと注目が集まる中、清武の表情がどんどん険しくなっていく。そして、
「爺さん! 出雲の分家から連絡だ! 大社が襲撃されたって!」
「なんだと!?」
驚愕が湧き上がる中、しかし、立て続けに今度は服部が顔色を変えた。
「はぁ? 報告は正確に……京都御所で謎の発光現象?」
異変はまだ終わらない。今度は清武自身のスマホが鳴り響く。
「大賀! お前、今までどこで何をして――は? ふざけてんのか!? 何がジャスティスだ! え? 晴明神社に侵入者いたからジャスティスした? 結界がまずいかも? どういうことだ! いや、もうジャスティスはいいから!」
情報を共有する間もない。陽晴とご老公も険しい表情に一変する。
「これは……姫様! 穢れが感じられます! 流れが……東へ?」
「っ、葛の葉様? この焦燥は……神託? 警告?」
混乱と困惑がにわかに高まり始めた場で、ついに浩介のスマホにもコール音が。
それは、頼りになるボスからのもので。
しかし、この時ばかりは、不吉なものを感じざるを得ず。
「も、もしもし、南雲?」
『遠藤。こっちの騒動とお前の事件、やっぱり繋がってたぞ。いろいろ吐かせた。だが、詳細を共有する前に、まずはネットのニュースを見ろ』
「え? ネットのニュース?」
直ぐに反応したのはヴァネッサだ。スマホを取り出し、素早い操作でニュース画面を出す。
そして、目を見開いた。
画面をみなが見えるようにかざす。
スピーカーモードで再生される緊急速報。
それは、
「え、偶然……じゃない、よな?」
思わず目を疑う光景で。
日本が誇る最高峰の山――富士山がゆるやかに黒煙を噴き上げていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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