深淵卿第三章 姐御、参上
――貴女は誰ですか。
土御門椿は故人である、と取り戻した記憶をもとに真実を突きつけた陽晴。
倒れ伏し、あるいは気絶から目覚めたばかりの土御門の者達が愕然としている。
特に、息子である清武は、知らぬ女を母と呼んでいたことに寒気を覚えたように震えている。
それらを嘲笑うように、女は口元を嫌らしく歪めた。
「何を言っているのかしら。私は正真正銘、土御門椿よ?」
「ふざけるなっ」
白々しくも言い放つ女に、清武が我慢ならないといった様子で声を荒げる。
「おふくろは確かに死んだ。病気でっ、俺が八つの時に!」
「酷いわ、清武。お母さんのことが分からないの?」
「お前っ!! そもそも顔だって全く違うだろうが! お前が現れたのも……そう、そうだ! ほんの二か月前だ!」
「事情があるのよ。死を偽装したの。顔も整形手術を施したのよ。全ては、土御門家の真の敵を欺くために」
「し、真の敵?」
「ええ。十年以上をかけて、ようやく戻って来られたのよ」
りんっと意識の中に反響する鈴の音。清武や土御門の術師達が僅かに困惑を見せる。
「聞いてちょうだい! 私は――」
何かのっぴきならない陰謀が土御門を取り巻いていて、一連の出来事は全て、そのために必要なことだったのだと言い募ろうとする女。
だが、その表情に浮かぶ軽薄さを隠そうともしない様子からは、本気で信じてもらおうなどとは思っていないに違いなく。
だからだろう。
「もう結構」
冷めた声音が、茶番は不要と一刀両断に遮った。
更に「――〝封縛〟」と言霊が放たれれば、女は途端に「うぐっ!?」と息を詰めたような声を漏らしつつ、自ら手を後ろに回して硬直。そのまま倒れ伏してしまった。
支える手がなくて、顎が刺さるような勢いで地面に倒れ込んだ姿は哀れを誘う。
清武達がハッと視線を転じれば、そこには極寒と表現したくなるほど冷たい表情を浮かべた陽晴がいた。
大の男が数人、そして浩介が思わず「ひえっ」と身をすくませるほど冷え冷えとしている。なぜか、ごく一部、「おひい様……いい……」と頬を赤らめていたが……
彼等はきっと、少女の蔑みと踏みつけに圧倒的感謝を叫ばずにはいられない紳士に違いないので、後で呪われればいいだろう。
「貴女が何者か、その目的が何か。大体のところは推測できていますので」
「ほ、本当か!? あ、いや、本当、ですか? おひい様」
思わず前のめりになった清武だったが、陽晴と目が合うや否やバツの悪そうな顔となり言葉遣いを改めた。
他の術師達も同じだ。〝おひい様〟の凛とした言動により、僅かばかり混乱から立ち直れば、途端に陽晴や藤原家への罪悪感に苛まれたようで顔を伏せていく。
と、そこでもう一つ、申し訳なさの滲む震える声音が追加された。
「その話、私にもお聞かせ願えますか? 姫様」
「爺さん!」
振り返った先には、右腕を引き裂いた布で吊るしたご老公がいた。馬鬼に襲われた際に右腕を骨折したらしい。他もボロボロで、老体には堪えるだろう有様だ。
そんなご老公の左腕を肩に回して支えているのは大晴だ。衰弱具合で言うなら彼の方が酷いはずで、実際、顔色は死人の如くだが……
「お父様! まだ動いてはっ」
「娘が戦いに赴いたというのに、黙って見送るわけにはいかないだろう。まぁ、既に終わっているようだが」
凛とした雰囲気が霧散して、一人の父を心配する娘の顔になった陽晴に、大晴は苦笑しつつそう言った。つまり、娘が心配で無理を押してきたらしい。ご老公は便乗したといったところか。
「爺さん、親父は!?」
清武が姿の見えない父親を想い叫ぶ。
「案ずるな。直ぐに動ける状態ではないが命に大事はない。土御門も藤原もな」
憑き物が落ちたような穏やかな雰囲気のご老公を見て、清武達は一斉に安堵の吐息を漏らす。
それを横目に、ご老公から離れた大晴は、少々ふらつきつつも陽晴のもとへ歩み寄り、大きな手で包み込むように頭を撫でた。
「たった一人で寂しかっただろう? 辛かっただろう? 不甲斐ない父親ですまなかった」
「お父様……」
「だが、流石は私の娘だ。これほどの事態を見事に治めて見せるとは……助けてくれて感謝するよ、陽晴。お前は私の誇りだ」
「……ぅ」
涙の雫が目の端に溜まり、思わず父の懐へ飛び込みそうになる陽晴。
だが、陽晴は娘としての自分をぐっと吞み込んだようだった。まだ、その時ではないと言い聞かせるように、袖でそっと涙の雫を拭う。
大晴は少し驚いた後、眉を八の字に下げた。
少女が持つべきでない凄まじい自制心の発露に、誇らしいやら、寂しいやら。と言ったところか。
甘えたい娘から最強の陰陽少女に戻った陽晴は、ゆるりと首を振ると、ほんのり笑みを浮かべた。
「いいえ、お父様。わたくしは一人ではありませんでした。ずっと、守られていたのです」
そう言って送られた流し目と、そこに宿る多大な信頼に、男二人、ビクッとなる。
浩介は、少女に不似合いな熱量を感じて。大晴は、父親としての本能が戦闘態勢に入って。
「そ、そうか。ならば藤原の名にかけて謝意を示さねばな。しかし――」
「遠藤様こそ、わたくし達の恩人でございます。この方がいなければ、わたくしはきっと……」
「そ、そうか。とりあえず、陽晴。私とお話する時は、きちんと私の目を見て話しなさい。ほら、彼を見つめるのはやめるんだ。お父様、お前のそんな熱い眼差し見たことない――」
「たくさん、お話しなければならないことがあります。ですが、今はこちらを片付けましょう」
「いやいや、そう焦らずに。ぜひとも、彼の素性とか、何があったのかとか詳しく――」
お父様がお話を聞きたそうに娘を見ている! が、当の娘はスルーしちゃう。
「ご老公」
「エッ、わ、私ですか、姫様」
ご老公の視線が凄い勢いで陽晴と大晴を行き来している。
無視された大晴はぐりんっとホラーチックに首を回し、感謝と悲しみと憤りが入り混じった複雑極まりない眼差しを浩介へと向けた。「君、うちの娘と何があったの? ねぇ、何があったの? 懐き方が尋常じゃないんだけど!?」と問いたげだ。
もちろん、浩介はぐりんっと顔を逸らす。その先の服部を見つめる。服部はシャドー胃薬飲みをしつつ全力で無関係を装った。
そんなシリアスブレイクな男達を放置して、陽晴はご老公に語り掛けた。
「今ならお分かりと存じますが、土御門も藤原も共通の敵に狙われていたのです」
「う、うむ」
ちょっとここは、しっかりと気を取り直さねば。と、ご老公は咳払いして、雰囲気を改めた。
「そこの女の術中に陥っていた、ということでしょうな……」
情けない。と歯噛みするご老公。
「確かに、衰退する土御門の名を守りたいという気持ちはありましたが……」
「その想いを歪められ、増幅され、利用されたのでしょう」
「……だとしても、あのような恐ろしい計画を実行してしまうとは……おまけに、真の主家たる姫様方になんという仕打ちを……なんとお詫び申し上げればよいかっ。この土御門条之助、いかな罰とて受ける所存にございますッ」
ご老公は、力が抜けたように膝を突いた。そのまま土下座しそうな彼に、陽晴は首を振った。
「藤原と土御門のことは、全て終わらせた後に両家で話し合えばよいこと。ご老公、今は、いえ、今こそ力を合わせ、わたくし達を貶めんとする敵意に立ち向かう時ではございませんか?」
「……しかり。姫様のご意志に従います」
眩しいものを見るように、ご老公は陽晴を見やった。
気品を纏って立つ着物姿の少女と、跪く袴姿の老人の光景は、まるで、時代を超えて姫と家臣のやり取りを見ているかのようだった。
陽晴が清武達に視線を巡らせば、彼等もまた揃って頭を下げた。
その光景を横目に、浩介は、じりじりと迫ってくる大晴に小声で尋ねた。
「あのぉ、いいんですか? 藤原家の当主って、あなたでは……」
「ふっ。藤原家の男が、家族の女性に勝てると思っているのなら大間違いだ」
「な、なんて力強く情けないことを……」
「遠藤さん、父親ってのはね、そういうもんです。家長とは名ばかりですわ」
「服部さん!?」
服部ファミリーの内情が非常に気になる発言だった。
陽晴は、そんな男子達をやっぱりスルーして、まるで土御門の者達を従えるような雰囲気で、金縛りを解呪しかけていた女に向き合った。
視線を逸らしていても、気は逸らしていなかったようだ。むしろ、直後に行われた術のためにわざと時間をかけていたらしい。
「憑けているもの、剝がさせていただきますよ。ご安心くださいませ。ゆっくりと霊力を浸透させたので、命まで剥がれ落ちることはございませんから」
なんて、ナチュラルに恐ろしいことを口にし、女が「んんーーっ」と青褪めた表情で更に激しくもがく中、
「――緒余怨敵 皆悉摧滅!」
空気を震わせる言霊が迸った。陽晴の揺るぎない力が白き光の波動となって女を打つ。
直後、女から「ぎゃんっ」と人らしからぬ、否、明らかに獣のそれと分かる悲鳴が響いた。
女が激痛に喘ぎ、その身が弓のようにしなる。うつ伏せ状態からエビぞりとなり、一拍。胸の中心部から滲み出るようにして何かが転がり出た。
「おお? 猫?」
「尻尾が二つ。猫又ってやつですかねぇ?」
「む、あれは……」
浩介と服部、そして大晴が、痙攣する白い塊を警戒しつつも興味深そうに見やる。
それは、金眼二尾の白猫だった。大きさも普通の猫と変わらない。ただ、どこか病的でおぞましい気配を纏っていた。
これが、陽晴が看破していた、女が〝憑けていた存在〟なのだろう。
陽晴の言霊に打たれ、悶絶して蹲っている。
女もまた、無理やり引きずり出されたせいか苦しそうに喘ぎ、しかし、その眼光だけは異様に鋭く陽晴を睨みつけていた。
妖魔の憑依は、女が自ら受け入れていたこともあって強力であり、それを無理やり引き剥がせば命の危険もあった。陽晴の類まれな腕前でなければ、実際、そうなっていただろう。
つまり、その苦痛は尋常ではないはずで、にもかかわらず、なお睨む気概が衰えないのは、それもまた尋常のことではなかった。
陽晴は、そして大晴、ご老公達、浩介と服部も、女が私利私欲以上の何か大きなものを背負って、確固たる意志のもとにいると確信した。
鋭い眼光に動じることなく、陽晴は白猫をつぶさに観察し、「やはり」と納得したように頷いた。
「確か、水気の呪言を唱えた際、貴女は命じる対象に、こう呼びかけましたね? 〝きんかびょう〟と」
――金華猫 呪怨病苦 混合皆呪 急々如律令
急々如律令とは〝速やかに律令の如く行え〟という命令であり、当然、命じる対象と命令の内容を最低限組み込まなければ意味がない言葉となる。
あの戦いの最中、陽晴は女が命じた対象の名を聞き逃してはいなかったのだ。
無言で睨みつけてくる女に代わって、浩介が小首を傾げて問う。
「金貨の猫? 黄金っぽいのは瞳だけだけど……」
「いいえ、遠藤様。黄金の金に華やかと書きます」
「金華の猫?」
「はい。金華とは地方の名称です」
「おっと、そいつはまた……」
服部が困り顔で頭を掻く。知っていたからだ。その地方がどこにあるか。それは大晴も同じらしい。敵の正体を察し、その表情が一気に険しくなる。
――妖魔 金華猫
中国浙江省金華地方に伝わる猫の妖。飼い猫が〝月の精〟を取り込むことで、たった三年で化生へ転変するという稀な伝承を持つ妖魔で、変幻自在の能力で人を惑わし、尿を混ぜた水で衰弱死させる。
「土御門の方々に己を椿様であると誤認させたのも、わたくしの母に変じたのも、憑依させた金華猫の力を借りたのでしょう」
と言いながら、刀印の指先を下唇に当てて囁くように「――〝滅〟」と言い放てば、女の袖口が一瞬だけ光り、小さな鈴が転がり出てきた。
「鈴の音と言霊も併用した強力な暗示の術です。五芒星の白い覆面も呪物の一種でしょう。何重もの術式により、土御門は掌握されたのです」
その言葉は、もしかすると陽晴なりの慰めだったのかもしれない。
数百年前ならともかく、人間の術師に襲撃されるなんて、現代の陰陽師達が警戒するような事柄ではなかったのだ。
平和ボケと言われればそれまでだが、ただ伝統と知識を受け継いできただけの者達であるから、仕方のない面はあると。
もっとも、その気遣いは、気遣いだからこそ、ご老公達には余計に突き刺さるもので、誰もが忸怩たる表情を浮かべていた。
重い空気を変えるように大晴が話を進めた。
「つまり、陽晴。この女は大陸の術師だと?」
「ハッ、私が日本人以外の何に見えるのかしら? 言葉に訛りはある? 見当違いも甚だしいわよ、お嬢ちゃん?」
小馬鹿にするように鼻で嗤う女。
腹立たしい態度だが、言ってることは間違っていない。どう見ても日本人であるし、訛りも感じられないのだ。
「認めるわ。確かに私は土御門椿じゃあない。在野の術師よ。ご先祖様は土御門のようにご立派な家柄ではないけれどねぇ」
だから、血筋と家柄を欲し、それを利用して日本政府に食い込もうとしたのだと告白する女だったが、陽晴は首を振った。
「もう適当なお話は結構だと言いましたよ。あなたの国籍や系譜は調べれば分かります」
チラリと服部を見れば頷きが返ってくる。
「そもそも、貴女の国籍などは関係ございません」
「関係ない? どうしてかしら?」
「貴女が、かの国と深い関係を有していることは明らかだからです」
「ふん。金華猫を式神にしているからって短絡的だねぇ。別に、現地に行って捕まえてきだけだっていうのに」
「それは、〝息壌〟も?」
「……」
その問いに、女は黙りこくった。
「あり得ませんよね? 場合によっては人為的に転変させられる金華猫とはわけが違いますもの」
そこで、浩介がおずおずと手を挙げる。
「ええっと、ごめん、陽晴ちゃん。〝息壌〟って? 戦闘中にも耳にしていたし、たぶん、あの土くれのことだと思うんだけど」
話についていけなくて困った様子の浩介。その表情は、大晴とご老公以外の者達も同じだった。
どうやら、よほど知識深くないと陰陽師の家系に在する者達ですら分からないらしい。
「はい、遠藤様。あの土くれのことでございます。中国の神話に登場する土の妖怪……いえ、妖怪というより神具、あるいは神秘そのものというべきでしょうか」
「神秘そのもの?」
「紀元前二千年以上前の伝説に登場する存在で、詳細はわたくしも存じません。しかし、数十年にわたって地上を蹂躙した大洪水を、塞き止めるほどの壁に成ったという話は伝わっております」
「あ、ああ。あの増殖の力で……」
「はい。息壌は、当時の帝の所有物であり、同時に、妖怪ではなく至宝と考えられていたようです」
つまり、と大晴とご老公が陽晴の説明を引き継いだ。
「そのような伝説上の、それも神域の力を秘めた存在が、在野の術師の手に入るわけがない」
「厳重に保管されていたことでしょうな。気が遠くなるほど連綿と、密かに」
必然、それはかの国の古く由緒正しい家に違いなく、あるいは国家そのものかもしれず、いずれにしろ、一個人が、それも他国の者が手にすることは不可能な代物のはずだ。
そこで、にこやかに服部が進み出た。女の前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせる。
「最近ねぇ、他国のお招きしていないお客さんが多くてねぇ、おじさん達、それはもう大変なんだよぉ」
穏やかな笑顔と声が逆に恐ろしい。ゆるやかな弧を描く人の良さそうな目の奥に、蛇のような眼光が見て取れる。
浩介は思い出した。セーフハウスに招かれた時、今、政府内の一部や諸外国の動きが怪しいという話をしていたと。
もしや、この土御門家の事案が、そのにわかに騒がしくなり始めた政府や諸外国の動きと関係があるのか。
女は応えない。うつむき、服部と視線を合わせない。先程までの挑発的な眼光が嘘のように。
「で、おたくさんはどっち? 国の人? それともよろしくない民間組織の人?」
完全に尋問モードに入っている服部が、見せつけるようにナイフを取り出した。
大晴やご老公達がギョッとする。
だが、服部からすれば構っていられない事態だ。
ただのオカルト的組織の術者なら、地球ファンタジーの存在に関わっている身であるから、それほど驚きはない。また困ったちゃんな組織が出たと魔王一家に土下座して協力してもらえばいいだけだ。
だが、もし、かの国の工作員だったなら?
その所属する部隊、あるいは政府の部署が、同じ術者で構成されていたら?
数ヵ月前に力が復活したという陰陽師達だが、それが他国でも起きていないと、どうして言えるのか。
もし、この推測が当たっていれば、事態は最悪だ。
国家である以上、自国の利益のために手段を選らばないのは必然であり当然だ。それも、オカルトという科学的証明が不可能な絶対的な武器を有しているなら、それを国益に使わないのは、むしろ許し難い怠慢。国家としてあり得ない。
そして、躊躇いなく振るわれるであろう不可視の力に、日本は無防備だ。陰陽寮という対応組織は、もうずっと昔に廃されたのだから。
あるいは、第二次帰還者騒動を忘れたかのような政府内の一部の動きも、土御門家のように……
「答えてくれませんかねぇ」
「――ッ」
国家の犬たる服部は、故にためらわず振るった。ナイフを、女の太ももに突き刺した。
女の食いしばった歯の隙間から苦痛の音が漏れ出る。だが、それだけ。
耐える姿に、服部はますます剣呑に目を細めた。
「お待ちくださいっ、服部様!」
「おっと、すみませんね。お嬢様には刺激が強かったですか? でも、これも私のお仕事で、しかも事態は逼迫しているかもしれないんでね。どうかお許しを」
言外の「邪魔をするな」という言葉に、しかし、陽晴は怯まなかった。
今度は耳を削ごうとした服部の手を掴み取り制止する。
そして、服部が浩介に目線で〝離れた場所へ連れていってほしい〟と訴える前に、
「お忘れですか? 遠藤様は、もっとえげつない尋問方法をお持ちです!」
「あ、そうでした!」
「え、えげつないって……」
言わずもがな。素敵な村人になる例のあれである。浩介が非常に微妙な表情。
大晴やご老公達が首を傾げる中、服部は、自分が焦っていたことを自覚する。
「私としたことが、とんだ間抜けを晒しました」
「いえ。わたくしも、もっと早く指摘していれば良かったのですが……」
「ではなぜ……ああ! 腹いせに、一刺しくらい見ておきたかったと!」
「誤解です! 服部様は、わたくしをなんだと思っていらっしゃるんですか!」
どうやら、指摘遅れの理由は別らしい。
「わたくしはただ……無意識に選択肢から外してしまっていただけで」
なぜなら。
「あんな、あんなジャスティスは惨すぎますっ」
わっと両手で顔を覆ってしまった陽晴ちゃん。
とりあえず、大晴やご老公達は意味が分からないと、陽晴の頭を心配した。日本語がおかしいから仕方ない。でも事実だから、もっと仕方ない。
「あ、あの姫様? ジャスティスとはいったい……」
ご老公が困惑しながら尋ねる。
陽晴は、ご老公に憐れみの視線を向けた。次いで、清武にも。
そして、悲しそうに言った。
「大賀様は、もういない……ジャスティスになってしまったのです」
「「意味が分からない」」
なお、あのジャスティスさんの本名は、土御門大賀といい、ご老公の孫であり、清武の従兄だったりする。嫌味のない真っ直ぐな性格の好青年だった。いや、今もある意味、歪みは皆無で真っ直ぐなのだが。
「遠藤様……彼女は何か訓練を受けている様子。わたくしでは真実を引き出すにも時間がかかりますので……やむを得ません。どうかジャスティスしてあげてくださいませ」
「ジャスティスするって動詞、やめない?」
そうツッコミを入れつつも、自白を強要するため〝村人の誇りに賭けて〟を取り出す浩介。
服部が立ち上がり、場所を譲る。
が、そこで女の肩が震えていることに気が付いた。あれほど挑発的だったのに、顔は未だに伏せられているので表情は分からない。
超常の力を見せた浩介が何かすると聞いて怯えているのかとも思ったが、どうやら違ったらしい。
「ふ、ふふ……」
「何がおかしいんだ?」
訝しみ、浩介が問うた直後だった。
陽晴と大晴が同時に、ハッと屋敷の方へ振り返り、
「何かいます!!」
「馬鬼が戦って――いや、還された!?」
そう叫んだ直後、光の柱が天を衝いた。屋敷の向こう側、儀式場があった場所からだ。そこから更に、一瞬のうちに血管の如き不規則な光のラインが浩介達の足元を奔っていく。
「あははっ、時間稼ぎに付き合ってくれて感謝するわッ」
女がガバッと顔を上げた。見開いた目に喜悦が浮かぶ。
「ミスった! 隠密に長けた仲間がいたか!!」
浩介の判断は一瞬だった。倦怠感に苛まれ反応の鈍い体を叱咤し、地面を抉る勢いで反転。陽晴達の呼び声を置き去りに全速力で儀式場へと戻る。
(大晴さん達の応急処置をした後、念のため伏兵の探索はしたけど……クソッ。陽晴ちゃんの直感まで掻い潜るなんて、とんだジョーカーを隠し持っていたもんだなっ)
大晴が念のためにと護衛に残した、あの強力な馬鬼が、おそらく初撃決殺の奇襲で仕留められたことからも、伏兵の隠密能力の高さが推測できる。
慢心していたつもりはない。だが、斥候役の自負がある身としては痛恨のミスと自責せずにはいられない。
挽回すべく軋む体になお鞭を打って駆け抜け、瞬く間に森を抜け、屋敷の敷地内に突入する。すると、屋敷の裏庭から焦燥の滲む怒声が届いた。
「耐えろっ。藤原を死守しろぉっ」
片腕を失ったばかりのはずの土御門の次期当主――健比古の声だ。
屋根の上に飛び乗り状況を確認すれば、そこには、壮絶な光景が広がっていた。
青白い死人のような顔色の健比古が、残った片手で刀印を作り、その指に呪符を挟んで必死に結界の真言を迸らせている。
不可視の圧力がかかっているのか、結界の軋む音が聞こえるようで、そんな中、土御門の術者四人も、同じく必死の形相で結界を展開し、その中心に囲う未だ動けない様子の藤原一族を守っていた。
そう、術者は四人だ。残りの四人がどこにいったのかは、考えるまでもなかった。
「あぁあああっ」
そびえる光の柱の方から悲鳴が響いた。見れば、土御門の術者の一人が、土くれの触手に引きずられるようにして光の中へ――正確には、光の柱の中心にある輝く穴へと消えていくところだった。
土くれがまだ残っていたのかと驚愕する余裕もなく、浩介は飛び出した。
彼等を襲う者。
噴き上がる光の柱を背に立つ、黒衣を纏った男のもとへ。
無言のまま、刹那のうちに肉薄。隠形最大で、首刈りの一撃を放つ。情報を絞り取るために生かしておくなんて考えはなかった。浩介の戦闘経験が、今すぐ殺せと訴えていたから。
研ぎ澄まされた殺意の刃は、確かに、男に認識させる間もなく首を薙いだ。
だが、
「ッ、お前!」
手に伝わったのは肉を裂く感触ではなく、土を耕したようなもの。飛び散ったのは血だけでなく、大半は土くれ。
(息壌を憑依させていたのか!?)
浩介の推測は当っていた。
息壌の本当の主こそ、この黒衣の男。体内に息壌を入れ、憑依状態とすることで常に地中に潜んでいたのだろう。だから、足止めの現場から離れ、屋敷に近づくに比例して息壌は効力を上げた。
だが、陽晴の〝浄化の威力〟は予想外だったろう。
息壌ごと瀕死に追い込まれ、気配も小さくなり、かつ地中であったからこそ浩介や陽晴の探知に引っかからなかった。
二度目の〝山ごと浄化〟は致命傷だったに違いない。彼の顔には明白な死相が浮かんでいた。
だが、だからこそ、浩介は男の眼を見てゾッと背筋を震わせた。
「使命を負った死兵なんざ冗談じゃねぇっ!!」
膨れ上がる嫌な予感を払拭するように、氷遁を行使して封殺を試みる――が、やはり死兵は厄介だった。
〝憑依〟なんて生易しいものではなかったのだ。男は死を覚悟したその時から、既に〝同化〟というべき状態に自ら堕ちたのだ。
国道で戦った大晴の依り代の如く、その身が崩れる。
何もない場所が氷結され、浩介がしまったと思った時には、
「――オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ」
別の場所に生えた男の口から、大威徳明王に呪殺を嘆願する真言が放たれた。
対象は健比古。結界の要たる彼が、血を吐き出して倒れ込めば、結界は一気に脆弱となり、次の瞬間には粉砕されてしまった。
結界破壊の霊的衝撃により土御門の術者が一斉に膝を突く。
一瞬のうちに土くれの触手が藤原一族を捕らえ、光の穴へと引き寄せる。
「させるかぁっ!!」
魂が軋むような感覚を覚えながらも分身体を三体出現させる。
土遁と氷遁で息壌を崩壊または氷結封印していくが、いかんせん数が多い。
しかも、
「全ては祖国のために」
男からどす黒い瘴気が爆発的に噴き出した。
「今度はなんだ!?」
男の、既にほとんどが土くれと化している腹から、幾枚もの呪符が張り付けられた呪物が取り出されていた。
その呪符が剥がされ、気のせいだろうか、うっすらと九つの尾が揺らめく光景が見えた気がした。瘴気はとてつもなくおぞましい気配を発しており、浩介の首筋が一気に熱と激痛を発した。
そのせいで、八人の藤原が引きずられていくのを阻止し損ねてしまう。
「どっちくしょうがぁっ」
男が身を翻して自ら光の穴へ飛び込み、八人の藤原の者達が悲鳴を上げながら引きずり込まれ、浩介が悪態を吐きながらも続いて自ら飛び込む。
その光景を、
「遠藤様ぁっ!!!」
ようやく追いついた陽晴が目撃した。
大晴やご老公、土御門の術者達も一緒だ。女は清武に拘束された状態で嗤っている。
陽晴が慟哭じみた悲鳴を上げ、大晴やご老公が血相を変えて土御門の術者達に指示を飛ばす中、揃って光の穴へ落ちた浩介達は――
「んぬぎぎぎぎっ!!」
無事だった。
穴に飛び込む寸前でクナイを地面に突き刺し、結び付けた鋼糸を命綱代わりにしていたのだ。
それを右腕全体に巻き付けるようにして、左手も同じようにしつつ飛ばした鋼糸で藤原一族を数珠つなぎに絡め捕って落下を防いでいる。
いくら超人級の力を持っているとはいえ、疲弊状態の浩介には、八人分の体重は拷問に等しい加重だった。鋼糸が肉を裂き、血がパタパタと落ちていく。
光の穴の底は分からなかった。
だが、尋常ではなかった。
輝きだけが満ちているのに、浩介には分かったのだ。それは大河だと。
生命の光の奔流。人智の及ばぬ大いなる流れ。呑み込まれれば、きっと何者も己ではいられなくなる。〝個〟を失い、〝全〟となって果てしなく流れていくのだ。
下を見ていると、まるで吸い込まれるようだった。唐突に流れに身を任せてみたい心持にさえなった。
そんな無自覚かつ危険な思考は、
『どこまでも邪魔をっ』
他国の言葉によって遮られた。〝言語理解〟が大陸の言葉だと伝えてくれる。
そう、黒衣の男が、一番下の藤原の男に土くれの触手を使ってしがみついていたのだ。
一人では逝かない。必ず、目的のために優秀な藤原を道連れにすると狂気じみた眼差しが訴えていた。
「てめぇ、しつけぇ! 一人で落ちやがれぇ!」
〝宝物庫〟からクナイを召喚。飛ばして男に突き刺すが、やはり土くれが飛び散るだけでダメージにならない。
更に、
「い、けない。奴を、奴の持っているものをっ……ぐっ、龍脈に落としてはっ、いけない!」
浩介に一番近い場所にいた青年が、息も絶え絶えな様子で訴えた。
「この状況で、そんなこと言われましてもね!」
と言っている間にも、黒衣の男は最期の手を繰り出してきた。
異国の言葉で呪言が紡がれる。男の眼球が唐突にばちゅんと弾けて消えた。口から土くれと一緒に大量の血が飛び出し、やはり消える。
まるで生贄に自らを捧げたみたいに。
そうすれば、例の呪物を封じていた呪符が弾け飛び、完全に可視化された九つの尾が男の周囲に出現した。
同時に、男の土くれの体から別の呪物もせり出てくる。
同じく呪符が弾けとんだそれは、角だろうか。それがまた凄まじい瘴気を噴き上げ藤原の者達の意識を蝕んだ。
更に、地上で激烈な咆哮が上がった。
今なお黒衣の男の命令に従い、地上で他の藤原を引きずり込まんと暴れている息壌に対応していた分身体の目を通して、状況を把握する。
女だ。
女が、清武を人外の膂力で吹き飛ばし、陽晴の金縛りさえ弾き飛ばしてしまった。
みるみるうちに変貌していく。
髪が抜け落ち、体が膨れ上がり、爪や牙が伸びて、頭部の皮膚を突き破って角が生えていく。
『自国の妖魔が奪われていたことにも気が付かない間抜け共め!』
異国の言葉で男が嘲笑する。
同時に、巨体を誇る鬼に変じた女が凄まじい勢いで穴の方へ駆けだした。
既に穴の近くに駆け寄ってきていた陽晴が驚いたように振り返り、慌てて刀印を作るが、どう考えても間に合わない。
分身体の一体が、高速で迫り来るダンプカーを見るような表情になりながら、間一髪、横から陽晴をかっさらい回避する。
最初から、浩介達を完全に落とすことだけが目的だったのだろう。
分身体を通して急迫する鬼と化した女が、やけにスローモーションで見えた。
(これは……やばい。深淵卿に――)
刹那のうちに、魂に損傷が生じても無理を押し通す決断をする――と、その時だった。
――愛しの君
声が、聞こえた。
その瞬間、走馬灯の如く駆け巡る〝彼女〟の記憶。
同時に感じる、あの気配。
ハッと視線を転じる。
勝利を確信し狂笑を上げる黒衣の男の、土くれの触手が抱える角の呪物。よく見れば、滴り落ちた浩介の血が付着していて、それがうっすらと光を帯びていた。
途端に、激痛なき熱が首筋を撫でた。あたかも、抱擁されているみたいに全身が熱くなる。
(ああ、ごめん)
思わず謝罪の念が浮んだ。
地上で、陽晴が分身体に抱えられながら泣きそうな表情で手を伸ばしていた。
大晴やご老公、土御門の術師達に、意識のある藤原達が、絶望的な表情で突進する鬼を見ている。
けれど、生を諦めたから彼等に謝ったのではなかった。
謝罪の相手は、ずっと呼びかけてくれていた人。
まさか本当に、世界を越えて助けてくれるとは思ってもおらず。
それ以上に、なんとなく一度呼んだら不味いことになりそうだと本能が訴えたせいで、無意識のうちに記憶の奥底へ沈めてしまった、あの約定。
美しき、鬼の頭領。
その名は、
「――〝夜々之緋月〟」
その光景は、陰陽師達であっても目を疑うものだった。
光の穴――大いなる星の流れである〝龍脈〟に通じる〝龍穴〟に落ちた浩介達に、止めを刺さんと突進した女の変じた鬼。
陽晴の霊視的直観は看破していた。
それが平等院鳳凰堂に封じられた三柱の伝説の一体であり、女が体内に隠し持っていた依り代となる遺物と、女の生命身体を生贄に顕現した災厄の大鬼であると。
だからこその絶望。
止められない。間に合わない。あれほどの、しかも受肉して顕現した鬼を瞬時に止める術はないから。
時の流れが遅くなったように錯覚する。
一歩ごとに地を揺らす鬼が、龍穴に、その縁にて耐えているであろう浩介達へ到達する。
「遠藤様ぁあああああっ!!」
絶叫が陽晴の口から飛び出した。
そして、
「大丈夫」
自分を抱える分身体から、そんな軽い口調が飛び出して。
ドンッと爆発でもしたような轟音が鼓膜を強烈に打った。
同時に、凄まじい衝撃が伝わり、息壌によって散々に耕された土が煙となって広がる。
分身体が、しっかり衝撃から陽晴を守って消えた。
「けほっ、遠藤、さま?」
視界の端に、転倒した服部や大晴、ご老公達も見える。彼等も、陽晴と同じように、何が起きたのか分からないといった様子で龍穴の方を見ていて……
「ようよう呼んでくれんしたぇ?」
嬉しそうで、とても艶やかな女の声が響いた。
なのに、なぜだろうか。ゾッと背筋が震えたのは。
土煙が風に払われる。
二メートルを超える長身の女がいた。白く美しい長髪に黄金の瞳。胸が零れ落ちそうなほど着崩した黒地に彼岸花の刺繍が美しい和装。
そして、額と両のこめかみ辺りから生えた立派な三本角。
その突然現れた存在に、誰もが、陽晴でさえ怖気に襲われて息を呑んだ。
突進していた鬼を、片手で事も無げに止めているから?
それもある。
だが、それ以上に、優雅に微笑みながらも存分に発せられている強烈な鬼気が、陰陽師達を、否、人間の本能を圧するのだ。
彼女の正体を、陽晴はやはり類まれな直感力で看破した。
「まさか……酒吞、童子?」
唐突に現れた救援の正体に、そのあり得なさに、この場の全員が目を剥いたのは言うまでもなかった。
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