魔王&勇者編 エピローグ
心地よい風が肌を撫でる感触と、目蓋の向こうに眩い光と温かさを感じて、ハジメは目を覚ました。
目と鼻の先に、マザーの素体がいた。
ガラス玉みたいな機械の目で凝視している。四つん這いで、覆いかぶさるようにして見つめているらしい。ホラーである。
なので、思わず視線を逸らしてしまう。と、その先に、やっぱりガラス玉みたいな目を見開いたノイントボディが……
見ている。生気なんて欠片もない死人の目でジッと。なまじ神が造形した美貌であるから、死人顔が実に凄惨な感じ。おまけに損壊しまくったボディで添い寝しているものだから凄惨さ倍増し。ホラーである。
常人なら確実に悲鳴を上げているだろう状況で、ハジメは冷静に視線を戻した。
「……で、何してる」
「イ゛~イ゛ッイ゛!!」
「おやすみからおはようまで主を見守るノガリさんです? やかましいわ」
ジト目になりつつ、ハジメはマザー素体に憑依しているノガリの顔を押しのけ身を起こした。太陽をやけに近く感じる。そう、人一人包み込めそうな大きな葉の隙間から見える太陽が。
周囲を見渡せば、自分のいる場所が分かって少し頬が引き攣る。
「聖樹の上か……」
「イ゛! イ゛ッ~イ゛~」
「ああ、そう言えばあの後、気絶したんだったな……それで、ここに寝かしてくれたわけか」
どうやら聖樹の頂上に近い枝の根元に、葉を重ねて作った簡易ベッドを用意してくれたらしい。人など存在しない機械都市であるから、ここ以外に休める場所がなかったのだろう。
もっとも、聖樹の枝は人が三~四人並んでも余裕があるほど太く、大きな葉も柔らかいので寝心地は実に良い。枝の先端の方も、上も下も、周囲は枝葉で囲まれていて寝室のようであるし、木漏れ日が光の梯子を作っていて温かさもある。中々に贅沢な寝床だ。
死体ノイントとターミネー○ーノガリに添い寝されてさえいなければ。
「イ゛♡」
「何が一緒に寝ちゃった……ポッ、だ。使徒ボディみたいにスクラップにするぞ」
「イ゛~」
両手を頬に当ててモジモジしたかと思えば、『主が怒った~』と万歳しながら太い枝を階段みたいに飛び降りていくノガリさん。
「あ、おい! 遠藤達は――」
「イ゛!」
「あ、そう。頼むわ」
逃亡とみせかけて、実はハジメが目覚めたことを浩介達に伝えに行ってくれたらしい。
ノガリの姿が見えなくなって、ハジメはノイントボディに視線を転じつつ、溜息を一つ。
「ノイントに間違いはないっぽいんだが……やっぱりそのままじゃねぇな。憑依過程が分からない以上、どこかで変質したと考えるのが妥当か……」
なんて考察は、体のあちこちが抗議の痛みを訴えてくるので、とりあえずスルー。試しに魔力を放出してみると、聖樹が元気に生い茂っていることから予想していた通り、やはり魔力は霧散しない。
「これならいけるな」
〝宝物庫〟を起動し、太い枝や大きな葉が邪魔なので少し離れた枝葉のない上空へ巨大な物体を召喚した。
一辺三メートルの正八面体の真ん中を横向きの円環が囲っているそれは衛星型再生魔法照射アーティファクト〝ベル・アガルタ〟だ。
円環が輝き、中央の正八面体の表面に真紅の光が走り、スッと再生の光が照射される。枝葉を透過して降り注ぐ光景は、まるで木漏れ日のようだ。
日向ぼっこでもしているみたいに、癒えていく体に心地よさそうに目を細めるハジメ。ついでにノイントボディも損壊が修復されて、とりあえず〝宝物庫〟にしまっておく。
そうして一呼吸おけば、見守るノガリマザーのホラー的衝撃で飛んでいた記憶も鮮明によみがえってきた。
G10がマザーに止めを刺した後のこと。
羅針盤で入念に確認しても、もうマザーの影武者がいるようなこともスタンドアローンで動く機兵や戦闘機、戦艦の類いもなく、機能を停止したそれらは楽園の落日を示すように地へ落ちていった。
その光景を見届けて、ハジメはようやく気を緩めたのだが……
極度の縛りプレイの中でギリギリの連続戦闘を強いられ蓄積したダメージは多く、そのうえで短時間の間に、魂魄から無理やりエネルギーを引きずり出す〝限界突破・覇潰〟を二度も使用とくれば、流石の魔王も休みたくなるというものだ。
というか、魂魄と肉体がいい加減に休めと命じたわけである。
マザーへの速攻撃滅を優先して後回しにしていたベル・アガルタでの治癒にも思考が回らず、浩介がいればどうにかなるだろうと、既に聖樹の洞は閉じていて最深部からどうやって戻ってくるのか問題もスルーして適当に判断し、どうにか近くの塔に不時着してぱったりと意識を手放したのだ。
ただ……最後に見た光景。
当然ながら回収していなかったグリムリーパー達が、一斉にグリンッと首を捻ってハジメに注目し、これまた一斉に飛んできた光景は……
「やべぇな、俺。遠藤が近くにいたとはいえ、ちょっと気を抜くの早すぎだろ……」
一応、最後に見た光景の中で、グリムリーパーの中の人達が殺気なり敵意なり放っていたなら、たとえ一度意識が落ちても即座に跳ね起きた自信はある。
見た感じ、『陛下!? ご無事ですか!?』『陛下がお倒れになったぞ!?』『今、お傍にゆきますっ』『陛下のもとへ集えーーっ!!』という雰囲気だったのでハジメの危機意識も反応しなかったのだろう。
だが、仮に『あの最凶が……倒れた?』『もしやこれ、下克上のチャンスでは?』『え? 殺っちゃえる? 次の魔王キタ?』『ワンチャンあり?』だったら、相当やばかった。
「中身ありになっていろいろと便利なのはいいんだが……俺の兵器のはずなのに、謀反の危険性を意識しちまうってどうなんだろうな……」
だって、中身は正真正銘の悪魔だし。
一人で操作するのに比べれば、その運用規模は段違いであるし、作戦行動力も各々の戦闘力も比べるべくもないということで受け入れたのはハジメ自身。なので、今更やっぱ全員解雇とは言わないが、もう少し安全策はあってもいいかもしれない。
ということをつらつらと考えていると、
「おお~い! 南雲! やっと起きたか!」
「うん? 今、声が聞こえたような? 幻聴か……」
「もっぺん寝かすぞゴラッ!」
ヒュパッと飛び上がってきた浩介が、早々に青筋を浮かべている。
「お前、地下から出られたんだな……てか、ボロボロだな?」
「そりゃあ、アップロードした後にガーディアン共が襲い掛かってきたからな。コンソールを守るのに体を張ったんだよ」
なんでもないみたいに肩を竦める浩介だが、ハジメに負けず劣らずの満身創痍具合である。
その言葉通り、作戦の要を物理的に破壊されないよう死に物狂いで守ってくれたのだろう。
「やべぇのがどんどんやって来てさ、あとちょっと魔力を使えるようになるのが遅かったらやばかった。まぁ、敵がなりふり構わず押し寄せたおかげで、地上までの隔壁が開きっぱなしになってたから、あっさり出られたんだけど」
「なるほどな。また、ゴキ――ごほんっ。分身しまくって乗り切ったか」
「おい、今なんて言おうとした? 俺が黒ずくめでどんどん数を増やすからって、お前、今なんて言おうとした!?」
「ゴキブリ」
「……あのさぁ、素直に回答するとかさぁ。南雲、オブラートって知ってるか?」
「当たり前だろ。薬も言葉も包める便利なものだ」
「じゃあ包めよ! そのゲイ・ボルグみたいな言葉をさぁっ!」
「元気いいなぁ。傷口、開いてんじゃねぇか?」
「お前のせいだよ! 文字通り、血を吐くような思いを込めた訴えなんだよ!」
「まぁまぁ、こっち来て座れよ」
今にも掴みかかってきそうな浩介を、ベル・アガルタの照射範囲に手招きする。浩介はじっとりした目をハジメに向けつつも、やはりキツかったのだろう。どすんっと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「ったく、二日近く眠ってたくせに、起きた途端にこれかよ」
「なに? 二日、だと?」
「おう、二日」
ハジメは、木漏れ日を辿って太陽を仰ぎ見た。燦燦と輝くそれは、少し東に寄っている。昼まで数時間といった時間帯だろう。つまり、四十時間近く寝ていたことになる。
「マジか」
「そりゃ俺のセリフだ。流石の魔王様も、今回は相当しんどかったみたいだな」
疲れて眠りこけるとか、久々に人間らしいところ見られたわ! と笑う浩介。
「お前も相当疲れてただろうに、悪かったな。二日も不寝番させて」
「ま、魔王の右腕だからな」
「……もしかして、今、卿か?」
「どこがだよ! 普通の受け答えだったろ! ……だったよな?」
ちょっと自信なさげな浩介。
そこで、ちょうど二人の傷も完治したようだ。ハジメの魂魄の疲弊に起因する根本的な疲労はまだ残っているが、それでも動くには十分に回復した。
「それで、この二日の間、何かあったか? グリムリーパー達はどうしてる? 天之河達からコンタクトはあったか?」
「ああ~、そうだな。何から説明すべきかな……」
少し悩んだ様子を見せた浩介は、よしっと手を打つと立ち上がった。そして、ちょいちょいとハジメを手招きし、枝の先端の方へ誘った。
「とりあえず、コルトランからは連絡がない。二日あれば、高速艇以外の輸送機でもこっちに来られるんじゃないかとも思ったんだけど、今のところはそれもない」
「向こうは電力関連が死んでるから、施設を使った通信はできないしな。こんなことなら、ゲートキーを渡しておくんだった」
「まさか魔力霧散効果が消えるとは思わないだろう? しょうがないって」
と、会話している間にハジメと浩介は枝の先の方まで来た。大きな葉が重なって壁になっており、浩介は〝のれん〟でもめくるように手で払う。
そうすれば……
「……マジか」
「すげぇよな。たった二日でこれだ」
眼下に広がる緑、緑、緑。木の根がうねる蛇のように幾本も突き出し、地面の亀裂からは雑草が飛び出して緑の絨毯を作っている。
塔には蔦が絡みついて花々を咲かせていて、まるで幾本もの巨木が生えているように錯覚してしまう。
機能を停止した戦艦や戦闘機、そして機兵団も植物に埋もれ始めていて、何より壮大なのは、機械都市の範囲外の大地が草原になっていることだ。
ハジメが気絶する前と同じなのは、流体金属がマグマと化して溜まった部分だけだ。冷えて硬質な金属となり、そのまま丘となっている。
「まるで、〝文明崩壊の千年後〟みたいな光景だな」
「映画とか漫画でたまに見るあれな」
ハジメは呆然と見とれるように息を吹き返した自然を眺め、おもむろに懐から〝ルトリアの宝珠〟を取り出した。
途端、干渉したわけでもないのに、聖樹が一度だけ淡く輝いた。
「なんか、礼を言ってるみたいだな」
微笑を浮かべて振り返っている浩介の言葉を、ハジメは無言で肯定した。
と、その直後、
地上がざわめいた。なんだか『ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ』とおぞましい鳴き声が聞こえる気がする。温かな日差しが降り注いでいるのに、体感温度もちょっぴり下がったような……
「あ、そういえば、お前に献上するための有用そうなパーツとかないか、グリムリーパー達が聖地中を探索してるんだった」
浩介がそう言った途端、聖地中から影が飛び立った。グリムリーパー共だ。不思議なことに、地上や塔に映る影と機体の形が一致していない。影は……実に名状し難い、ガーゴイルっぽい形というか、不定形というか……
「おぞましい」
「お前の部下だろ」
思わず呟いてしまったハジメに、浩介の冷静なツッコミが突き刺さった直後、四千五百ほどのグリムリーパーと、五百ほどの機兵がハジメの前の空中で整然と並び、一斉に頭を垂れて臣下の礼を取った。なお、五百の機兵も、損壊したグリムリーパーを担いでいる。憑依して乗り換えたのだろう。
そして、次々と『陛下ッ、ご快復、心よりお喜び申し上げますぅ!』とか『クロス・ヴェルトを筆頭に陛下の兵器並びに、敵方の主要な兵器は既に回収してございますッ!』『此度の戦勝、おめでとうございます!』『流石は我らの陛下!』『お嬢様への土産話ができましたな!』的な、祝辞を伝えてくれる。
「あ~、なんだ。初の総力戦だったが良い働きだった。――お前等、よくやった」
途端、聖地中に轟くようなおぞましい歓喜の『ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』が大爆発した。聞いているだけで精神をガリガリ削られそう。実は攻撃ではないだろうか?
「任務完了! 全軍、戻れ!」
聞くに堪えない! と思っていても、一応、上司として威厳を保ちつつ、ハジメは宝物庫を掲げた。真紅の輝きが放射状に広がり、グリムリーパー達はご機嫌な様子で消えていく。
なんとなく『ちょ~楽しかったぁ~~』というイベント帰りの参加者みたいな雰囲気だ。お土産をいっぱい抱えているし。
「後で回収品リスト作らなきゃなぁ」
「なんか抱えられるだけ抱えてるもんな。ほんと、爆買い旅行者みたいに」
聖地から、悪魔の気配が消えていく。
実に良きかな。
清涼な風が吹き抜け、ハジメと浩介は一息ついた。
「そういえば、ノガリとG10はどうした?」
ハジメが、〝ルトリアの宝珠〟をしまいながら、代わりに羅針盤とクリスタルキーを取り出す。
「……ノガリさんが今、連れてくるよ」
「……G10に何かあったか?」
微妙に歯切れの悪い浩介に目をすがめるハジメ。最後に見たG10は、文字通り死力を尽くした電脳戦により既に機能停止寸前だった。まさかという思いが過ぎる。
「たぶん、死んじゃいない。ノガリさん曰く、ギリギリのところで持ちこたえるためにスリープモードに入ってるんじゃないかって」
浩介曰く、自分が駆けつけた時には、G10はハジメに寄り添うようにして転がり、既に反応がなかったという。おそらく、最後の力を振り絞って浮遊し、ハジメのもとへ飛んだのだろう。
「今は地下の施設に安置してる。一応、ノガリさんが電力供給したり、CPUを代替えできないかって施設のコンソールに接続したりいろいろ試してたんだ」
だが、目覚める兆候はない。
「そうか……」
「うん。ノガリさんが今、運んできてくれてるよ。何がきっかけで悪化するか分からないから、めちゃ慎重にな」
「ま、大丈夫だろう。ベル・アガルタを使えば全て元通りだ。流石に二百年前の全盛期に戻すのは無理だろうが……いや、今ならいけるか」
「グラスプ・グローリアと変換システムはそのままにしてあるぜ。変換システムがさ、聖樹にめり込んでるうえに、コルトランで見たエネルギータワー並みの巨大さだから持ち運びとか無理なんだよな」
無限の魔力を手にした今のハジメなら、二百年を遡って再生することも可能かもしれない。聖樹とシステムも、宝珠を使えば引き離せるだろう。とはいえ、その辺りのことは後回しだ。
「遠藤、天之河達を連れてくる。ノガリ達が来たら一緒に待っていてくれ。直ぐに戻る」
「りょ~かい」
羅針盤で確認。光輝のいる場所を正確に探知し、かつ周囲に誰かいるか、いるとしてそれはジャスパー達か、それ以外の人間かも確認。
結果は問題なし。
ハジメはゲートを開き、一万二千キロを一瞬で移動した。
「きゃぁっ!?」
振り返れば魔王がいる。光の膜とそこから人が出てくるという未知との遭遇みたいな光景に尻餅をついたのはミンディだった。驚愕もあらわに、口をパクパクしている。
その横を、シュタタタタタッと小さな影が走った。動揺など皆無。すべきことはただ一つ! 突撃である! と言わんばかりに。
「んん~~~~~っ」
「おっと」
飛び込んできた突撃幼女――リスティをしっかり抱きとめてやるハジメ。そうすれば、リスティは全力全開でハジメの胸元に顔をこすりつけ、「ん~っ、んん~~っ」と言葉にならない喜びをあらわにした。
かと思えば顔を上げ、にへ~と涙の滲む目を細め、
「おかえりなさい、お父さん」
「……おう」
あえて空気を読まないこと多数。鬼畜だともっぱら評判の魔王でも、ここは流石に空気を読んだらしい。というか、リスティちゃんに読まされたというべきか。遂に、お父さん呼びを否定できなかった。
溜息を一つ。抱き直して頭を撫でてやれば、リスティちゃんは満足そうに胸元に顔を埋め直し、大人しく引っ付き虫と化した。
「リ、リスティ……あなたって子は」
躊躇いのなさに脱帽。といった感じで呆けていたミンディが、ようやく立ち上がった。
「驚かせて悪かったな」
「い、いえ。もうそういうものだと思うことに……頑張ってします。それより、ご無事で何よりでした。その、マザーは……」
「もちろん倒したぞ。そっちも、ジャスパー一家は全員無事生き残ったようだし、急いだ甲斐があったよ。それで……」
ほっと胸を撫でおろすミンディ。ハジメは、そんな彼女の背後――手術台のような場所に寝かされている光輝を見た。毛布を敷布団と掛け布団代わりにして丁寧に寝かされており、呼吸に乱れはない。近くに水の入った容器とタオルがあり、ミンディとリスティが世話をしていたことが窺える。
だが、今の騒動でも目を覚ます気配は欠片もない。
「あ、はい。光輝さんは……戦いの後に眠られてしまって。今のところ一度も目を覚ましていません」
どうやら、光輝も戦争後に気絶したらしい。エガリが回収し、雲上界の目立たない場所で隔離兼休養を取らせているのだとか。
「まるでお伽話のような光景でした。あのまま光輝さんを皆の前にさらしていたら、それこそ祭り上げられてしまいそうで」
それはそうだろう。輝く霊峰コルトランと、同じく輝く光の竜を操る剣士である。事前に剣型の秘密兵器であると説明はしていたが、それでもその使い手に選ばれたというだけで光輝は特別な存在になってしまう。コルトランを救ったならなおさら。
「けど、シナリオ通りにはやってるんだろう?」
「はい。今も兄さんが人々をまとめるために走り回ってます」
シナリオ――聖剣はマザーと繋がっており、マザーの死イコール聖剣の死である。つまり、マザーは人類を守るため敵と相討った。そして、使い手の光輝もまた、聖剣を使う代償として命を失った。的な話だ。
新たな人類の歴史において、マザーも超常の力も必要ない。ということである。
「ジャスパーは上手くやれそうか?」
「え~と……」
微妙に目を泳がせるミンディ。ハジメは、やはり最下層の民で、ろくに教養を与えられなかったジャスパーでは荷が重かったか……と思ったが、どうやら逆らしい。
「むしろ、上手くいきすぎていて、兄さん、かなり困っているというか、でもなんとかできてしまっているので、私からすると〝あれは本当に兄さんかしら?〟と困惑してしまうというか……」
「どういうことだよ」
つまり、戦争前の演説、戦争中の鼓舞、現場指揮官ぶり、最後の最後まで仲間のために戦い続け、指示を出し続けたジャスパーは、自然と戦後においても〝人類のリーダー〟として頼られている、ということらしい。
「マザーの死は、既に伝えています。敵はもういないとはいえ、心の拠り所を失った人々にとって、今は兄さんこそが頼るべき存在みたいで」
「マジか……元よりリーダーの資質はあると思っていたが……」
もちろん、ジャスパーの知識のなさはいかんともし難い。だが、その知識を有し、本来ならコルトランをまとめるだろう上界民が、率先してジャスパーに従いサポートしているのだという。
ジャスパーはジャスパーで、自分に足りない部分は素直に上界民を頼っているようで、この二日、マザーの死を伝えても大きな混乱もなく、負傷者の治療、食料の分配、寝床の割り当てなど最低限のことができているのだという。
それもこれも、「まぁ、ジャスパーが言うなら」という感じで上界から最下層まで、全ての民が従い、あるいは協力してくれているからだという。
「なるほど。前にも言ったが……この支配された偽りの楽園の中で、ただ一人、未来を夢見て行動を起こした男なだけはあるな」
「私達にとって兄さんは兄さんなんですけれど……なんだか遠くに行ってしまったみたいで、少し寂しい気もします」
「けど、誇らしいんだろ? 顔にそう書いてある」
「ふふっ、ええ。流石、私達の兄さん! と思ってますよ」
なんて話をミンディとしていると、ちょうど良いタイミングで話題の当人が部屋の扉を開けて入ってきた。
「おぉ!? 旦那っ、いつの間に戻って――」
「イ゛ィ゛!!」
様子を見に来たらしいジャスパーの頭を踏み台にして、エガリさんが飛び込んでくる。喜びの空中七回転捻りを見せてからポスッとハジメの頭の上に着地した。
かと思えば、「イ゛ッイ゛ッイ゛ッ」と前脚で頭を突いてくる。
どうやら、「主、今度は絶対に私を連れて行ってくださいね! ノガリなんてダメです! あいつは信用しちゃいけません!」的なことを言っている。
「お前、普通に妹を売るなよ」
「イ゛~~~ッ」
姉より優先される妹など断じて認められない! 的なことを言っている。
「ならば、たたかえ。しょうりの先にこそ、ほしいものはある!」
「イ゛!!」
「お前はどこの覇王だよ。っていうか、なんかエガリと仲良くなってないか?」
リスティちゃんが胸元すりすりから顔を上げ、キリッとした表情で頭上のエガリに言えば、エガリはビシッと敬礼を返した。
「え~と 何がどうなってんのかわけがわからないんだが……」
ジャスパーが困惑を表情に張り付けながらやってくる。
「分からないことはないだろう? マザーは潰した。コルトランの民は解放され、力を取り戻したから俺が戻ってきた。そういうことだ」
「……そうか。……マザー、倒したか……そうかぁ」
確かに分かっていたことだ。
でなければ、光輝があんなお伽話のような力など使えるはずもなく、霊峰コルトランが輝いたりもしない。戦いが、終わるはずもない。
何より、今こうして生き残っているはずがないのだから。
けれど、改めてそう言われると……
「っ……」
「兄さん……」
ジャスパーは、思わず手で目元を覆った。その隙間からツーッと涙が零れ落ちる。ミンディが微笑を浮かべて、ジャスパーの手に自分の手を重ねた。
「終わったんだな……本当に」
「違うだろ」
ジャスパーの万感の想いがこもった呟きを、ハジメはばっさりと切り捨てた。思わず顔を覆っていた手をどけて訝しむジャスパーに、ハジメは光輝のもとへ歩み寄りながら言う。
「始まったんだぞ? こっからが本番だ」
ベル・アガルタを取り出し、光輝に真紅の光を照射しながら肩越しに振り返る。
「覚悟はいいか?」
偽りの楽園は消えた。鳥かごの鳥は、今、頑丈な檻の外に出たのだ。ある意味、今までよりも厳しい現実と戦わねばならない。自らの足で歩まねばならない。多くの問題が起きるだろう。人間同士の争いも、きっと多発するに違いない。
「なめんなよ、旦那。そんなもんとっくにできてる」
涙をぐいっと拭って、ジャスパーは、どこかハジメや光輝に似た不敵な笑みを浮かべた。
「それが人間だろ?」
元より、鳥かごの鳥などではない。打ちのめされて、馬鹿をやらかして、それでも一歩一歩前に進むのが人間だろ? と、ジャスパーは言外の想いを瞳に乗せてハジメを見返した。
ハジメもまた、
「そうだな。その通りだ」
そう言って、小さく笑った。
「気張れよ? コルトランの新たなリーダー殿」
「うぐ……分かってるよ」
むず痒いような、しかし、覚悟も覇気も合わせ持った雰囲気で、ジャスパーは強く頷いた。
ハジメは笑みを浮かべたまま光輝に向き直った。
十秒以上、再生の光を照射しているのに、少し身じろぎする程度でまだ起きない。外傷は既に完治しているが……やはり、砂漠世界でも相当過酷な戦闘を連日繰り広げていただけあって、ハジメよりも深いダメージを負っているのだろう。
なので、
「さっさと起きろ」
「ほぐぅっ!?」
腹パンを決めてみた。
野郎の、それも勇者の寝顔を何秒も見ているなんて、ハジメには耐えられなかったのだから仕方ない! 背後でジャスパー達が恐ろしいものを見たような目をして身を寄せ合っている。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
ぱっちりと目を覚ました光輝は、寝台から転げ落ちるようにして降り、即座に戦闘態勢に入った。
そして、義手で拳を作っている魔王を見て、
「くっ、やはり敵襲か!」
右手をバッ。聖剣ちゃんが神速で応え飛び、その手の中へ。刹那のうちに抜刀!
「! てめぇ、寝ぼけてんのか!?」
「いや、完璧に目覚めてるよ、腹の痛みで!」
「じゃあなんで〝敵襲〟なんだよ!」
「お前が魔王だからだ!」
「身も蓋もねぇな! このクソ勇者がっ」
「腹パンで起こすクソ魔王には言われたくないねっ」
キンッキンッドパンッドパンッと争う二人。
なお、リスティちゃんは今この瞬間も片腕抱っこされているのだが、まったく怯えている様子はない。むしろ、おめめがキラキラ。
それから五分後。
ジャスパーが間に入り(悲壮な覚悟)、どうにか争いを止めた(九死に一生を得る感覚)。
そうして、光輝を聖地に連れていくにあたり、ジャスパー達も一時的に連れていくことに。
聖地を一度は見てみたいというのもあったが、G10に挨拶をしたいというのもあったのだ。何せ、もうG10がコルトランに戻ることは一生ないのだ。ジャスパー達とも今生の別れとなる。
もちろん、聖地から遠隔通信でジャスパーに助言を送ったり、コルトラン周辺の適当な場所に支援物資を送り、偶然の発見を装って支援したり、ということは続く。だが、直接会うことがないのは事実だ。
そういうわけで、ミンディが他の子供達を呼びに行き、ジャスパーは、この二日ほぼ不眠不休であったことから少し仮眠を取ると説明しに行き(実際、不眠不休だが、その疲労はベル・アガルタで取った)時間を捻出し、一向はゲートを通じて聖地へと渡ったのだった。
「で、なんでお前等、そんなギスギスしてんの?」
聖地の光景を、ジャスパー一家が感動とも驚嘆ともつかない様子で聖樹の上より眺めていて、その後ろでは、なんか某見下しすぎな海賊女帝のポーズを取っているノガリマザーと、それに地団駄を踏んでいるエガリさんがいる。
それを尻目に、浩介は別の枝の上でジト目を向けた。
先程から、視線を合わせない魔王と勇者に。
「このクソ魔王が悪い」
「このクソ勇者が悪い」
「お前等クソガキかよ」
ビシビシッと伝わる勇者と魔王の不機嫌オーラが、浩介の胃をシクシクと攻め立てる。
「聞いてくれ、遠藤。南雲の奴、俺のこと腹パンで起こしたんだ」
「なるほど。だいたい把握。そりゃ南雲が悪い」
ハジメはそっぽを向いた。浩介は「なんで俺がこんなことを……」と思いつつ、執り成すようにハジメへ言葉を向けた。
「南雲、一回、謝っとこうぜ? 話、進まないし」
「いいか、遠藤」
「お? なんだ?」
ハジメは、そこでキリッとした表情で浩介を見て、言った。
「たとえ百パーセント俺が悪かったとしても――下げたくない頭は、下げられねぇ!」
「いや下げろよ! 自覚あるならさ! ただの駄々っ子じゃねぇか!」
某使い魔な人の名セリフを、威風堂々と最低な使い方で口にする最低な魔王様。
勇者が聖剣の柄に手をかけた。
それを見て、浩介は慌てて、さきほどから抱えていたものをズイッと前に出した。
「ああもうっ、馬鹿やってないで早くG10を復活させろよ! なんでお前等はそう仲が悪いというか、直ぐに喧嘩ばかり……」
「おまえ、オカンみたいになってきたな」
「遠藤、ちょっと雫っぽいな」
「苦労人だと思ってるなら、もう少し俺の胃に配慮してくれますぅ!?」
もうやだ、この魔王と勇者……と浩介が愚痴をこぼしている間に、ベル・アガルタの光がG10を包み込んだ。
ほんの十秒程度で、再びG10のモノアイに光が灯った。
「システム再起動……保護モードから四十時間三十二分七秒の経過を確認……」
ふっと浮遊機能で浮き上がったG10は淡くモノアイを明滅させ、そして最初に飛び込んできた光景――聖地の様子を目にしてピタリッと動きを止めた。
「ああ……」
それは、どんな思いから転び出た声音だったのか。
ただ、ジッと。
記憶領域に焼き付けようとしているみたいに、G10は緑で溢れる聖地を眺め続けた。
G10の後ろで、静かに佇むハジメ、光輝、浩介の三人。G10の復活を見て、しかし、やはり声をかけることは躊躇われた様子で、隣の枝の上からジャスパー達とエガリ達も静かにG10を見つめている。
どれくらいそうしていたのか。
やがて、G10はゆっくりと回って、ハジメ達にモノアイを向けた。
「コルトランは――」
「多くの人が生き残ったよ、G10。全て、とはいかなかったけれど、とても多くの人が生き残った」
「そう、ですか。良かった……」
言葉は少ない。
けれど、だからこそ、G10の一言一言には、とてつもない感情が宿っていると誰にでも分かった。
また少し、押し寄せる感情を噛み締めているみたいに沈黙したG10を、誰も急かそうとはしない。
たった一人。二百年を戦い続けた戦士の想いなど、そう簡単に理解などできるはずもない。今、ハジメ達が口にする言葉は、きっと無粋以外のなにものでもないだろうから。
G10は、ゆっくりと聖樹を見上げ、また地平まで続く草原を眺め、そしてハジメ達を見やった。
「まさか、あのような作戦が上手くいくとは……戦術支援AIとしては到底採用できない綱渡りのような作戦でした」
「なんだお前、信じてなかったのかよ」
きっと、場の雰囲気を変えようとしたのだろう。G10が、もう大丈夫と言いたげに、どこかおどけるような声音でそう言えば、ハジメは意を汲んで、同じくおどけるように肩を竦めて返した。
光輝達の顔にも微笑が浮かぶ。
「まぁ、正気の沙汰じゃないよな。流石、南雲だよ」
「それは暗に、俺の頭がおかしいって言いたいのか?」
「え? おかしくないって思ってたのか!?」
「よし、殺す」
「だからっ、いちいち喧嘩するのやめろって!」
ナチュラルに殺し合い(笑)をしようとする二人を浩介が止める。G10がおかしそうに身を震わせ、場の空気がより和む。
「あ~、どういう作戦だったのか、俺はいまいち把握できてねぇんだけど……」
あの時は時間もなかったし、自分のすべきことだけ理解して質問を呑み込んだというジャスパーに、異界人三人の争いを尻目にしてG10は穏やかな声で説明した。物騒な内容を。
曰く、作戦は大きく四段階に分かれていた。
第一段階が、マザーの戦力と聖地の覆う力場の突破。
第二段階が、聖樹を囲う流体金属の建造物の引きはがし。
第三段階が、聖樹の中に直接通路を作り、浩介を変換システムの場所へ送る。
第四段階が、変換システムとグラスプ・グローリアを利用した無限魔力による反撃。
実のところ、開幕の高速貨物航空機による高高度特攻は、ハジメ達が力場内に押し入るための隠れ蓑以外に、もう一つ、目的があった。
それは、既に地上にいた浩介を、マザーに探知されないよう力場の中に侵入させること、だ。
「まったく、空挺降下に数十キロのマラソンとか、俺、上司の無茶ぶりに泣いてもいいと思うんだよね」
どうやら争いをやめたらしいハジメと光輝の間で、浩介が腕を組んで嘆息する。
その言葉通り、浩介は途中で飛び降りて、自力で聖地の外縁部まで走ったのである。身体強化は魔力霧散効果に影響されないので、たとえフルマラソンでも苦ではない。なので、浩介が辿り着くまでの三十分くらい、ハジメ達は聖地から離れた場所で旋回していたりする。
そうして、撃墜と同時にばらまかれた破片に紛れさせて、ハジメは、浩介が空間転移するための起点となるアーティファクト(小石)を、力場の内側に落としたのだ。
もちろん、大半の魔力を持っていかれるのだが、ゲートを開くより燃費はよほど良い。
そうして侵入した浩介は、ハジメが陽動という名の激戦を繰り広げている間に、聖樹の裏側へと回り込んだのである。
「浩介様は本当に人類なのでしょうか?」
「G10の言いたいことは分かる。俺も時々疑問に思うし」
「いくらアラクネの糸で編んだ服を戦闘服の下に着込んで、赤外線とか機械の目を欺く要素を増やしたといっても、あの大軍の中を素通りしていくってなぁ。幽霊より幽霊してるよ」
「OK。泣くな? 俺、もう泣くから」
ハジメに続いて光輝にもそんなことを言われて、浩介は三角座りを始めた。
それをナチュラルスルーして、光輝は顎に手を添えながら言う。
「まぁ、陽動役が魔王なんて贅沢の中なら、深淵卿が見つかるはずもないっていうのは納得の作戦だけど……正直、半信半疑だったのは聖樹が反応してくれるかってところだ」
作戦の要である。最深部まで幾重にもあるだろう防衛システムを抜けるのは、いくら深淵卿でも無理だ。隔壁が一枚あるだけで、もう道を阻まれる。
だからこそ、全てをすり抜ける最大の切り札――聖樹への直接干渉は、作戦の最重要事項だった。
ハジメは肩を竦める。
「まぁな。大樹ウーア・アルトで事前確認できていなかったら、流石に俺も採用しなかった作戦だし。一応、ダメだった時の第二プラン、第三プランも用意していたけどな」
第二プランとは、ノガリの憑依能力による機兵の乗っ取りだ。使徒ボディで撃墜され落ちたのは、実のところ半分くらいフェイクである。
魔力を【神域】からの供給に頼っていた使徒ボディに、自ら魔力を生み出す能力はない。とはいえ、体を動かすこと自体は別に問題ないのだ。
憑依能力は、マザーにとって未知の切り札であったが故に、聖樹が反応しない場合、ノガリが憑依した機兵で地下への道を開けないかと考えたのである。
もちろん、その場合、最深部まで探索しなければならず、時間は確実にかかる。時間稼ぎするハジメの命はより危険にさらされただろう。
そこで第三プランだ。これは、当初のプランと言い換えてもいい。
つまり、トータスへの一時撤退である。
そのための魔力を確保するために、最初にスクワームシェルを戦艦に撃ち込んだのだ。本来は、戦艦を乗っ取るためではなく、スクワームシェルに一緒に積み込んだ〝エレマギア〟に、小型アラクネ達の手で戦艦の電力を奪わせて蓄積するためだったのである。
「はぁ~、改めて聞いてもよく分かんねぇが……これだけは分かったぜ。マザーの失敗は、旦那を敵に回したことだってな」
「リスティ? どうしてあなたが得意気なの?」
呆れと感心を半々みたいなジャスパーの隣で、ふんすっと胸を張るリスティと、困った顔でツッコミを入れるミンディ。他の子供達もよく分かっていないようだが、とにかく、なんかすげぇ! ということは感じたらしい。キラキラした雰囲気だ。
ついでに、ノガリもドヤ顔だ。「わたし、すっごく活躍しました!」と。エガリが蜘蛛糸で編んだハンカチを噛み締め「きぃ~~、くやしぃっ」している。
「それにしても……」
G10が、おもむろに聖樹を見上げ呟くように言う。
「聖樹は、異界にも存在する。世界は、繋がっている……ですか」
「まだ推測の段階だがな、ハーデンの変換システムが裏付けになっていると、俺は考えている」
「素子、だっけ?」
復活した浩介が首を傾げながら問うた。光輝が思案顔で言葉を続ける。
「確か、魔力や恩恵力、グラスプ・グローリアの天竜力っていうのも、元を辿れば素子に行き着くって話だよな?」
「そうだ。聖樹や大樹――まとめて世界樹と呼ぶが、こいつはおそらく天然の変換システムなんだ」
各世界を流れるそれぞれのエネルギーは、物理でいうところの素粒子のように、各々より小さな粒で構成されているらしい。
それが〝素子〟。どんなエネルギーでも、その元になれる最小物質だ。
そして、各世界に存在する世界樹は、どこからかその素子を吸い上げ、そして各世界に適したエネルギーに変換して放出しているのだと考えられた。
「俺の世界には、こんな神話がある。世界は九つあり、それは全て一本の巨大な樹に内包され、支えられているのだと」
そこでまで説明して、ハジメは視線をG10に向けた。
「ただの神話か、それとも真実か。今、俺が確認した世界は既に七つ。もしかしたら、九つと言わず、もっと多くの世界があるのか……」
「ハジメ様?」
ゆっくりと歩み寄ってくるハジメに、G10は訝しむような声音を向ける。ハジメの話に聞き入っていた自覚もなく。
「あるいは、素子を生み出す根幹の世界だってあるのかもしれない。各世界に存在するこの巨大な樹は、もしかしたら、そんな根幹の世界にそびえる本当の世界樹の、その枝葉に過ぎないのかもしれない」
「な、なんとも壮大な話ですね」
G10の横で立ち止まり、聖地を眺めながら言うハジメ。G10だけでなく、光輝達も少し戸惑ったようにハジメを見る。
そんな中、ハジメは尋ねた。
「考えるだけで、わくわくしないか?」
誰に向けた言葉かは、一目瞭然だった。たとえ、眼下の聖地を眺めていても、その意識が向いているのは、G10だ。
「……ええ、そう思います。未知を既知に。飽くなき探求こそ、人間の輝きというものでしょう」
どこか抑揚に乏しい声音で、しかし、一部だけ強調して同意するG10。
そんなG10に、ハジメは向き直った。何を言う気なのか、察したらしい光輝達が静かに見守る。
「G10。お前はこれから、コルトランの民を陰から支え、彼等が自分の足で未来へ進めると確信したら、自爆すると言った」
「肯定します。それこそ、私の最後の使命」
改めて聞けば、光輝も浩介も、そしてジャスパー達も、顔を歪めずにはいられない。
だって、それではあまりに救いがない。
人類の未来を一心に思い、戦い続け、やり遂げた存在に、なんの救いも。
「生まれてくるべきではなかった、か?」
「肯定します。私達AIは、生まれてくるべきではなかった。この世界に、私達は不要。いえ、むしろ害悪でしかない」
超常の導き手なんて、管理者なんて、コルトランの民にとっては害悪でしかない。人間の未来は、人間が築いていかなければならないのだから。
「そうか……」
分かっている。G10の気持ちは。
だから、ハジメはコルトランの民の蘇生を試みなかったし、そのつもりもなかった。
人が、一歩一歩前に進まなければならないこれからの未来のためには、死んだ者が都合よく生き返るなんて超常の力は、絶対に見せてはいけない。
それは、G10の二百年の想いを踏みにじることと同義だから。
「なら、G10。使命を全うして、お前は死ね」
「おいっ、南雲!」
「ああもうっ、だからお前はオブラートってもんをさぁっ」
「旦那! それはあんまりじゃねぇかっ」
ハジメの言葉に、光輝と浩介、それにジャスパーが思わず声を荒げる。
だが、G10が当然だと答えるより早く、ハジメは更に言葉を紡いだ。
「そんで、全部終わったら生まれ直せ」
「え? 生まれ――え?」
困惑するG10。光輝達も困惑を見せる中、ハジメはスッと天を掴もうとしているかのように手を伸ばした。
直後、凄まじい輝きが、その指にはめられた〝宝物庫〟から放たれる。真紅の奔流が聖地の上空へと昇る。圧倒的な輝きと風圧に光輝達が腕で顔を庇う。
そうして、それは出現した。
「こいつはとある世界で、元は最強の戦艦だった」
全長四百メートルはあるだろうか。地球の最大級空母よりなお二回りは大きく、更にそれを二隻横に並べたような、呆れるほどの巨大さ。
「数奇な運命を辿り、民を守る船上国家となった」
竜と人間が共存する天空世界にて、この世界と同じく、もはや強大な力は不要だと女王が手放した決意の証。
「長くこの船と共にあった連中と、俺は約束した」
「やく、そく?」
あまりに巨大すぎて、太陽がすっぽり隠れてしまうほどのそれ。天竜力ではなく、後付けした無数の重力石により浮かせているため、今この瞬間もハジメの魔力は湯水の如く消費されているのだが、そんなことはおくびにも出さず、ハジメは頷いた。
「こいつを豪華客船にする。悲しき戦艦じゃあない。無限の宇宙と、未知の世界を冒険する世界最高の旅の船に。誰だって、なんだって乗せて、な」
「旅の船……」
呆然と見上げるG10に、ハジメの言葉が夢のように響いてくる。
「お前は一度、生まれ変わった。旅する者を助ける探査船管理AIから、戦争から仲間を守る戦術支援AIに」
「そ、それは……」
「なら、もう一度生まれ変わったっていいんじゃねぇか?」
ハジメが、すっと手を差し出した。誘うように、この手を掴めと。
「世界を旅する豪華客船――アーヴェンスト。こいつの全てを任せられる、いや、そのものになってくれるような優秀な航海士を、俺は捜している。どこかに最高の適任者はいねぇかな?」
「っ……あなたという人は……」
G10がゆらゆらと揺れた。モノアイはゆっくりと何度も点滅して、それは、誰からしても泣いているように見えた。
やがて、たっぷりと時間が過ぎた時、G10はぽつりと呟いた。
「……許されるのでしょうか」
主語などなくとも分かる。かつての仲間達はみんな死んでしまったのに、自分だけ使命以外のために生きることなど許されるのか。自爆の結論は、きっとそんな想いもあってのことに違いない。
「仲間が、仲間の生存を許さないなんて、あるわけがないよ」
答えたのは、光輝だった。優しい表情で、G10を見つめている。
「託されて、生き延びるってのは辛いよな。でも、だからこそ、死ぬまでは死ぬ気で生きるべきだと、俺は思う」
浩介が頭の後ろで腕を組んで、微笑を浮かべながら言った。
「頼むよ、G10。あんたが俺に夢を見せてくれたんだ。あんたが俺達を救ってくれたんだ! 俺にとってあんたは、恩人なんだよ! だからよぉっ、なぁっ、ちゃんとあんたも救われてくれよ!」
「そうですよっ。ここでまた一人になって、全部終わったら誰にも看取られずに消えるなんて、そんなの私達は望んでいませんっ」
「じーてん、生きてっ」
ジャスパー、ミンディ、リスティ、そして他の子供達も口を揃えて生きてほしいと叫ぶ。
「みなさん……」
G10の声が震えている。
「もう一度、聞くぞ?」
ハジメが、改めて手を差し出した。
「どこかに、俺達と共に旅をしてくれる、世界最高の航海士はいないか?」
その手を、G10はジッと見つめた。
様々な想いがG10に去来しているのだろう。モノアイを淡く明滅させて、そして――
「私をおいて、他にいるはずもありません。私こそ、世界最高の航海士なれば。私こそ、ハジメ様、貴方の船に相応しい」
スッと定まったモノアイの光。
「いつか、使命を全うしたその時、名乗らせてください」
その声音は強く、凛と響き。
「私が、私こそが――アーヴェンストであると」
けれど、やっぱりどこか泣きそうに震えていて。
「よろしく、未来のアーヴェンスト」
「はい、よろしくお願いします。ハジメ様――いえ、私の船長」
己という存在を終わりに向けて追い込み続けたAIは、ようやく己の未来を見つけて、その身を、そっと新たな仲間の手に委ねたのだった。
それから、アーヴェンストは墜落した。
無限の魔力も使っていないのに、まだ疲労が残っているハジメ個人で、あの巨体を浮かせ続けるのはしんどかったのだ。何せ、質量的には飛空艇フェルニル十隻分くらいであるからして。
聖地の塔をあらかた押しつぶし不時着(?)みたいな感じで地に着いたアーヴェンストは、そのまま聖地の機能を使ってG10が改良していくことになった。
聖樹の自然に覆われているとはいえ、地下にある主要な施設はあまり損壊していないのだ。種々の問題がないわけではないが、それらの施設を掌握し再利用することは不可能ではないだろう。
そのうち、アーヴェンスト用のドックが作られ、ハジメに渡された〝南雲ファミリーが考えた最高の豪華客船・要望集〟をもとに、この世界の技術を融合させたハイブリッドな新生アーヴェンストが建造されることだろう。
そして、ハジメはハジメで、素子配列相互変換システムの小型化ができないか、いろいろ調査を行った。
結果、システムを細部まできちんと把握しないと難しいということだけは分かり、現在、最深部のシステムの前でどうしたものかと考え込んでいるところだ。
「お~い、南雲~」
「天之河、なんの用だ?」
呼びかけてきた光輝に、ハジメは振り返ることもなく返事をする。
「どうにかできそうか?」
「どうにかというレベルなら、できる……が、今のところ宝物庫に丸ごと叩き込んで、魔力だけ取り出すような方法しか思いつかないな」
「宝物庫の中にある状態で、起動とか停止とか、出力調整とか、そういうのできるのか?」
「……今のところ無理だ。こう、中のアーティファクトを出さずに操れる端末的なアーティファクトを別途で作るしかないな」
エネルギータワーを仰ぎ見ながら、難しい表情でそう言うハジメ。
しかし、実際のところ、それほど難しいとは思っていない。
実は、宝物庫の応用的使用方法の研究は、既にかなり進んでいるのだ。この点、ハジメが〝ルトリアの宝珠〟を持っていたことにも関係する。
そう、本来〝ルトリアの宝珠〟はシアのドリュッケンに装着された宝物庫の中にあるものなのだ。神霊達の自然豊かな住居となっている、あの宝物庫である。
では、なぜシアが持っているはずの〝ルトリアの宝珠〟を、ハジメが持っていたのかというと……
それが宝物庫の内包空間共有という新たな応用方法に起因する。
ハジメもまた、悪魔達という意志ある存在を宝物庫に迎えるにあたって、内部の環境というものには目を向けた。
結果、宝物庫同士の内包空間を繋げられないかと考えたのだ。そうすれば、〝ルトリアの宝珠〟と神霊達により自然は勝手に育まれ、悪魔にとってもいくつもの宝物庫が連なった広大な空間で、それなりに退屈せずに住める。
その構想は見事に現実化し、今、ハジメ達の宝物庫は中で空間魔法的に繋がっている状態だったりする。
そして、宝物庫という内包世界における中心地を決めるに当たって、そこはやはりハジメの宝物庫だろうということになり、〝ルトリアの宝珠〟も移されたというわけだ。
もちろん、世界を隔ててまで繋げ続けることはできない。
神霊達はシアの宝物庫に、悪魔の大半はハジメの宝物庫に、大罪レンジャーの中の人と書物に出てくるようなやべぇ悪魔はミュウの宝物庫に、それぞれの縄張り的な感じで分けて住んでいるので、世界を越えた時点で、互いの宝物庫への道は閉ざされてしまっている。
そんなわけで、宝物庫の応用は既に進んでいるので、おそらく内部のアーティファクトの遠隔操作や、端末を通しての魔力のみの現出なども、たぶんできるだろうとハジメは考えていた。
ただし、
「それで出来るならいいじゃないか。何が不満なんだ?」
「美しくない」
なんか言い出した。
「かつて、オスカー・オルクスは機能美を愛し、ヴァンドゥル・シュネーは芸術美を愛し、それ故に相容れず、頻繁に取っ組み合いの喧嘩をしていたらしい」
※オスカーさんの日記より
「だが、あえて言おう。俺はどちらも追求したいと!」
「あ、そう」
「芸術的に美しく、そして素晴らしく機能的。そんなアーティファクトを、俺は作りたいっ」
「ジャスパー達がそろそろコルトランに戻るらしくてさ、時間も時間だし、その前に昼飯でもって話になったんだ」
「超小型のペンダント型素子配列相互変換システム。胸元を握り締め、言霊を響かせ、そして溢れ出る無限の魔力」
「食材は俺が出したよ。もうできてるから、早く来いよ」
「素晴らしいと思わないか?」
「いや、そこそこのできだと思う」
男料理だし。と答える光輝。
ハジメと光輝の視線が交差する。
とりあえず、浩介が迎えに来るまで銃撃音と斬撃音が響いたのは言うまでもない。あと、浩介の悲鳴も。
そんなこんなで、聖樹の上での昼食も終わって、少しの雑談をした後。
ジャスパー達だけでなく、ハジメ達も一度、砂漠の世界に戻ろうということになり、
「イヤッ! お父さんと行く! それ以外に、道はないッ!」
「なんでお前はそう極端なんだ」
リスティちゃんが駄々を捏ね、ハジメ達が説得していると――
不意に、光輝がキョロキョロし出した。
「天之河? どうした?」
「え? あ、いや、なんでもない……と思う。なんか不意に悪寒がしてさ」
「雫がどうしたって?」
「それはオカンだ」
なんて、雫が聞けば抜刀しそうな軽口を叩いたその瞬間、
――ああっ、奇跡です! 再び世界が繋がるなんて!
そんな、脳内に直接響くような声が。
ハジメの動きがピタリと止まる。光輝の動きもピタリと止まる。浩介が「え? え?」と困惑顔で周囲をキョロキョロ。
途端、聖樹が輝き出した。
ハジメと光輝は顔を見合わせ、刹那のうちに了解し合った。
「逃がすかぁっ」
「ふざけんなっ。クソ勇者! アビィバリア!!」
「ちょっ、おまっぎゃぁっ!?」
一瞬で踏み込む光輝くん、必死の形相。バリアと言いながら投げ飛ばされた浩介を、抜刀後の鞘で受け止めつつ、浩介が体をくの字に折って「ぐへぇ!?」と呻くのも無視して聖剣を伸ばす。
「お前っ、マジでいい加減にしろよ! 何度目だよ!」
「俺のせいじゃない!」
「俺はユエ達のところに帰りたいんだ! もうお前なんて知るか!」
「俺達、友達だろ!?」
「こいつ! 都合の良い時だけっ」
ギンギンギンッと剣閃とドンナ―&義手がその剣を弾く音が響く。
「お、お二人とも、いったい何を!?」
「お、おい! なんか聖樹がめちゃくちゃ光ってんだけど、これ大丈夫か!?」
G10とジャスパーは状況が呑み込めずおろおろするのみ。ミンディは子供達を遠ざけるので大忙し。
「このっ、往生際が悪いぞ! 魔王!」
「うるせぇっ、もう一度アビィバリア!」
「なっ、隠形してたのに!? 南雲、お前必死すぎ――」
こっそり逃げ出そうとしていた浩介を、ハジメがアンカーワイヤーで捕まえた途端、それにヒントを得たみたいな顔になった光輝は、
「応えてくれ! 聖剣!」
聖剣にイメージを伝え、聖剣ちゃんは健気に応えた。直後、伸びた聖剣が枝分かれし、更には鞭のようにしなって襲い掛かってきた。
古代インドの発祥のウルミという剣を、より柔軟に、より枝分かれさせたような、もはや剣というより無数の鞭みたいな形状だ。
「なんのアビィ・ブレット――」
「フッ、友よ。案ずるな」
「分身だと!?」
「我ら三人ならば、どのような試練とて問題なかろうよ! ハーハッハッハ!!」
ぷっつんしたらしい浩介さん、卿になる。分身を生み出してハジメを拘束。そこへ、聖剣ウルミモードが絡みつき――
その直後だった。
光輝が最初に、すぅと体が透けていく。いつの間にか聖樹の光がまとわりついていて、それは聖剣を伝ってハジメと浩介にも。
「「イ゛―――ッ!!(主! お供します!」」
「お父さん! いま、いく!」
「行かせませぇんっ!!」
体が透けて消える寸前、エガリとノガリがハジメにしがみついた。エガリはご丁寧に蜘蛛糸でぐるぐるに巻き付く。それで余計に脱出しづらくなったハジメは溜息を一つ。
ミンディに羽交い絞めにされたまま手を伸ばすリスティに、目で「待ってろ」と伝え、同じく、こちらに駆け付けようとしていたG10には、
「すぐ戻る!」
「っ、了解しました――」
後を任せる意を込めて、それだけ伝えた。
そうして、G10の返答を耳にした直後、ハジメ達の視界は暗転したのだった。
光にあふれた真っ白な世界に、気が付けばいた。
その光の空間の奥から、後光を背負う美女がゆっくりと歩み寄ってきた。
純白の衣装に、波打つプラチナブロンド、深緑の瞳。
絶世という言葉を使ってもなんら見劣りしない美しい女性。神々しい姿は、一目で彼女が超常の存在だと理解させられる。
「私の名は、アウラロッド・レア・レフィート。天樹の化身、調停者、あるいは女神と呼ばれる者。しかし、もはや私の力は及ばず、世界は危機に瀕しています……」
その女神を名乗る女性は、悲しげで、切実で、それでいて希望を見つけたような、そんな表情で、
「どうか、この世界をお救いくださいっ。勇者様!」
光輝を真っ直ぐに見つめながら、そう言った。
光輝は天を仰ぎ、直ぐに俯き、きゅっと拳を握って、スッと顔を上げると、大きく息を吸って、
「馬鹿野郎っ。どうしてそこで諦めるんだ! がんばれっ、がんばれっ! 女神様だろう!? 貴女ならできるっ、自分でできる! 必ずできる! 貴女を信じる俺を信じろ! 諦めたら、そこで世界終了だぞ!」
なんてことを、心のままに叫んだ。
それはまさに、ストレスというストレスと、相手の事情も意見ももう知らない! という言外の想いを詰め込んだ、勇者、魂の叫び。
あるいは、お願いだから少し休ませて! ブラックすぎるよ! という勇者の叫びというべきか。
いずれにせよ、そんな返しをされた女神様は……
「エッ!? まさかの返答!?」
なんか神々しさも吹き飛ぶ、コミカルで残念臭漂う反応を見せたのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
※ネタ紹介
・下げたくない頭は下げられねぇ
ゼロ魔の主人公のセリフです。主人公らしい、一本芯が通っていることを見せつけるような名セリフだと思います。魔王が魔王ですみません。
・ルトリアの宝珠
大樹干渉の力ですが、実は外伝小説〝零〟の四巻にてリューティリスさんが守護杖という同じようなものを持っています。こちらは濃霧操作や樹海再生までできる感じです。




