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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅢ
308/549

深淵卿編第二章 保安局の未来は…



 沸騰でもしているかの如く、凄まじい気泡を上げる床の水。


 刹那、


――イァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ


 おぞましい絶叫が部屋の中を蹂躙した。


「――ッ!?」


 不可視の衝撃が浩介を襲う。リットマン教授の首を掴んでいた手が強制的にはがされ、一気に壁まで吹き飛んだ。


 大量の本のタワーを崩壊させながら、壁に亀裂を入れるほどの勢いで背中から激突。


「がはっ」


 肺の中の空気を無理矢理吐かされ、浩介は息を詰める。


 片膝立ちで着地。視線を上げれば、マリオネットのような奇怪な動きで起き上がるリットマン教授と、壁を走る無数の影が見えた。


 まるで影絵の如く、名状し難い形の影が凄まじい速度で壁から壁へ走り抜け、


「ぐぁっ」


 再び、真横から衝撃。浩介は見えざる存在に吹き飛ばされ、再び壁に叩き付けられる。


(なんだ!? 何がいる!?)


 何かがいる。おびただしい数の何かが。だが、姿は見えない。影が、壁に映っているだけ。


 床に落ちると同時に、勘に任せて横っ飛びする浩介。一瞬前までいた場所に水飛沫が上がり、更に背後の壁が陥没する。


 一か八か、浩介は、タイミングを見計らって壁の影に苦無を投擲した。が、苦無は壁に突き立っただけで、影には何の影響もない。


――ァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ


「ぐっ!?」


 真下から衝撃。鳩尾を突き上げられて、浩介の体がくの字に折れながら宙に浮く。かと思えば、間髪容れずに真上から衝撃。浩介は呼吸する暇もなく水浸しの床に叩き付けられた。


 その直後、足を掴まれたかのように引きずられ、そのまま猛烈な勢いで投げ飛ばされる。


 飛んだ先には頑丈そうな年代ものの大きな書棚。肩口から激突すれば、年月を経た木々が衝撃で砕けて、大量の本と共に雪崩を打った。


「ふむ。顕界できたが……影のみか。とはいえ、物理的な影響は及ぼせている。完全なる顕界も時間の問題だな」


 炯々と光る赤い目を、浩介が埋まる損壊した大きな書棚と本の山に向けながら、リットマン教授が独り言ちた。


 ダメージが深いのか、立ち上がってこない浩介。


 リットマン教授は鼻を鳴らすと、顎をしゃくった。すると、壁や天井、床を走り回る影の一部が浩介の方へ集まる。


 まるで、ポルターガイストのように、書棚が脇にどかされ、大量の本が宙に浮く。そうして、本の下に埋もれていた浩介も一緒に浮いてきた。


「ぐっ、かふっ」 


 首を支点に持ち上げられているようで、両手を自分の首に添えながら苦しそうに喘ぐ浩介。抵抗しているのか、魔力を放出しているようでうっすらと光っているが、首を掴む力は全く衰えない。頭から血が流れ、こめかみをツーと滑り落ちていく。


「っ、おま、えっ、なにもん、だよっ」

「見ての通り、ただの大学教授で、ただの研究者だとも」

「ただの、研究者ぁ? っ、冗談、きついぞ」


 リットマン教授が、浩介が投げた苦無へ視線を向ける。そうすれば、勝手に壁から抜けて宙を漂ってくる苦無。合わせて、天井に映る影がゆっくりとリットマン教授へ近づいていく。


 おそらく、リットマン教授に念動力的な力があるのではなく、不可視の存在が命令を受けて運んでいるのだろう。


 手元に運ばれてきた苦無を手に取り、しげしげと眺めながら、リットマン教授は講義の続きをするような口ぶりで話し出した。


「いいや、本当だとも。私は、ただ知りたかっただけだ。神や悪魔、天国や地獄。それらの概念は、一体いつ、どこから生まれたのか。私は、始まりが知りたかった。それだけだったのだ」

「あく、ま……」


 浩介が、一つのワードを反芻した。そう、あの鏡の向こうの世界で遭遇した存在も、今、自分の首をへし折らんとしている見えざる存在も、ああ、なるほど、確かに悪魔だと。


 未知の異世界でも、知られざる生物でもない。あれぞ、地球の人々が概念として知っている〝地獄〟と〝悪魔〟だった。


「しかしだ、君。記録というものは、時の権力者に都合良く作られるものであり、改竄されるものだ。考察と解釈を深めようと、それが真実であると誰に証明できようか」


 路傍の石を見るような目で、リットマン教授は部屋に散らばる書物を見やった。水浸しになり、あるいは戦闘の余波で損壊して悲惨な有様になっている書物を、炯々と光る赤い目で。


 浩介は察する。この状況、リットマン教授の言動。それが、物語の中で時折耳にするあの言葉を実現した結果なのだと。


「なるほど、な。お前、悪魔に魂を、売ったのか」

「真実を買えるのだ。妥当な取引だと言えるだろう」

「その、妥当な取引とやらで……何を知った?」


 もはやもがくこともなく、諦めたかのような虚ろな目でリットマン教授を見やりながら尋ねる浩介。


 リットマン教授は、浩介の目を見返した。


「君のルーツを教えなさい」


 ここでも、取引ということらしい。己の知識を知りたいなら、浩介の力の秘密も教えろと。


「……いいぜ? ただし……そっちが先だ。話したが最後、そのまま殺されちゃあ堪らない」


 探求のために、悪魔にすら魂を売った男が相手だ。浩介の条件は、リットマン教授に躊躇わせることすらなかった。


「よかろう。では、君。悪魔とは、そもそもどういう存在か、分かるかね?」


 知るか、と吐き捨てたい気持ちを飲み込んで、浩介は視線で否定の意を伝えた。


「人間だよ、君。悪魔は人間の成れの果てなのだ。ただし、異世界の、と但し書きが付くがね」


 どこかで、聞いた話だと浩介は思った。目を細める浩介の様子に、疑っているのだと考えたらしいリットマン教授は、如何にも、自分の知識を披露することに喜びを感じているかのように口元を歪めて言葉を続けた。


「我々人間が、〝地獄〟と称する世界は、まさに〝地獄〟と称するに相応しい有様だが、かつては自然に溢れ、今の地球より発展した都市の連なる世界だった」


 元より、〝地獄〟は〝地球〟と重なるようにして存在する異世界。世界の隔たりはあれど、偶発的に互いの世界へ何らかの影響――神隠し、超常現象、UMA等々――が出る程度には近い世界だった。


 そして、地球より遙かに発展した世界の住人は、地球の存在に気が付いた。


「奇蹟、魔法、魔術……火のないところに煙は立たん。それらの概念が生まれた火種は、そう、世界を渡ってきた彼等の技術にあった。分かるかね、君。地球にも、遙か昔、古代と呼ばれる時代には、奇蹟も魔法も存在したのだ。地獄の住人がもたらしたが故に」


 魔女は実在した。魔法使いも実在した。伝説の武具、選ばれし勇者達、英雄も実在した。神話の幻獣や怪物も、確かに存在したのだ。


 全ては、地獄の住人達が行使する〝神の魔法〟によって。


「神の……魔法、だって?」

「そう、そうなのだよ、君。地獄の住人達は、悪魔は、かつての地球人にとって奇蹟を起こす――まさに、神だったのだ」


 確かに、原始的な技術しか持たない者達にとって、魔法を使う者は神に等しかっただろう。まして、その神業を授けられれば、崇めるのも当然の流れと言える。


 地獄の住人にとって、異世界の交流の一環だったのか、それとも支配欲故だったのか、それは分からないが、とにもかくにも、魔法という技術が地球人にもたらされた結果、地球もまた急速に発展を遂げた。


 いわゆる、超古代文明と呼ばれているものが、それなのだという。


「だが、君。過ぎたる力が身を滅ぼすのは、いつの時代も繰り返されたことだ。分かるかね?」

「読めた、ぞ。そこで、分かれたんだな?」

「そう、分かれたのだ。神と悪魔に。地球人と異世界人に」


 はっきりと二分したわけではなかった。地球側についた異世界人もいれば、異世界人側についた地球人もいた。


 だが、二つの世界に跨がって、争いが勃発したのは確からしい。


 結果、神の業に等しい力は、異世界を〝地獄〟へ様変わりさせ、敗者達をその世界へ閉じ込めた。


「悪魔とは、争いに敗北した異世界人、そして異世界に与した地球人達の成れの果て。詳しい部分は私の理解がまだ追いついていないが、かの終わった世界で生き延びるために、彼等は魂だけで生き残る術を編み出しのだ」


 同時に、地獄に吹き荒れる血風――〝嘆きの風〟と呼ばれるあれで、魂魄を基点に仮初めの肉体を形作ることはできるらしい。


 とはいえ、〝地獄〟はそもそも、肉体ある者が存在し続けるには適さない世界。故に、あの餓鬼モドキがそうであったように、肉体は常に不完全かつ醜悪。思考能力も、人間だったときに魂が特に上質だった者はある程度あるが、普通の者は本能的な行動しか取れない。


「それが、彼等が現世に降り立とうとする理由なのだよ。地球に顕界すれば、確かな肉体を保てる。そうすれば、自然、魂の格は上がり、彼等は再び思考能力をも取り戻すだろう」

「それ、だけか? 違う、だろ?」

「うむ。〝あの方〟は、かつての宿願を果たそうとしているのだ。すなわち、二つの世界の統一支配。クラウディア・バレンバーグを欲するのは、より完全で強大な存在になるためだそうだ。かつてのように、〝あの方〟を抑制する王達が戻ってきても、一蹴できるようにな」

「王、達? それは――ぐぁっ」


 更に聞こうとした浩介だったが、強烈に首を絞められ中断させられた。


「ふむ。もう少し講義してやりたい気持ちがなくはないが、悪魔達が焦れているようなのでな。この辺りにしておこう。悪魔の思念を受け入れる身ではあれど、私はあくまで協力者。彼等に命令できるような地位ではないのだよ」


 さぁ、君の真実を話してくれたまえ。


 リットマン教授の目が、狂気を孕んで訴える。真実狂というべきか。探究心を満たすためなら悪魔にすら魂を売り、地球がどうなろうと知ったことではないと割り切る彼の目は、数々の修羅場をくぐり抜けてきた浩介をして、ゾッとするものだった。


 なので、


「講義ありがとう。俺の真実は……実地で経験したまえ」


 先の言葉を、そのまま返す。同時に、ぽんっと音を立てて浩介が消失。出現するのは、当然、リットマン教授が持つ苦無の位置。


「疾っ」

「ぐぁっ!?」


 さしもの悪魔と言えど、空間を飛び越えた浩介を捉えることはできなかったようだ。リットマン教授の眼前に出現した浩介の空中回し蹴りが、彼の顔面を捉え吹き飛ばす。


 飛んでいく場所は、浩介の姿を一時的に隠した大きな書棚。だが、リットマン教授がそこへ激突することはなかった。


「取り敢えず、沈め」


 本を失い隙間のできた書棚が、噴火でもしたかのように吹き飛んだ。姿を見せたのは、もう一人の浩介――分身体。


 そう、倒れた書棚が己の姿を隠した隙に、浩介は分身体を生み出して書棚の中に張り付かせたのだ。分身体による本気も本気の隠形と、本体たる浩介が敢えて魔力を放出して存在を強く示すことで、賭けではあったがきちんと隠れることができたらしい。


 その分身体によるかかと落としが、飛んできたリットマン教授を撃墜する。水平飛びからの直角墜落。リットマン教授が床の上で水揚げされた魚のようにバウンドした。


 悪魔が、動き出した。壁や天井を、無数の影が走る。実際には、部屋の中に何体もの悪魔がいるのだろう。不可視で、気配すら感じ取れない彼等。おそらく、未だ顕界が不完全であるがために、逆に厄介な状態になっているのだろう。


 とはいえ、今まで、一体どれだけの時間を話していたというのか。リットマン教授の知識を引き出したい、という目的はもちろんあった。


 だが、最大の理由は、この厄介な状況を打破するため。時間を稼ぐためであり、適性なくとも時間さえかければ発動できる……


「――〝絶禍〟!」


 神代の魔法を行使するため!


 黒く渦巻く禍星が、部屋の中心に創世される。二分以上詠唱してようやく発動にこぎつけた魔法は、その絶大な効果を遺憾なく発揮した。


 本も、備品も、床の水も、そして見えないが存在する悪魔達も、一切合切を引き込み、呑み込んでいく。


 重力魔法〝絶禍〟は、〝黒天窮〟と同じく周囲を引き込み、その内へ呑み込む魔法ではあるが、最終奥義の〝黒天窮〟と異なり、取り込んだものを消滅させる力はない。圧縮できるだけだ。


 大抵の生物は、その時点で圧殺されるので問題ないが、悪魔の、それも完全に顕界していないが故にほとんど魂だけの彼等に圧殺が通じるかは微妙なところ。


 なので、念の為、炎属性魔法を適当にぶち込んでおく。


「あ~、いててっ。ったく、好き勝手にぶん投げてくれやがって。素敵に燃えやがれ、悪魔共」


 世界の隔たりを超えるための、トンネル代わりになる〝水〟も蒸発するはずなので、これ以上、新たに悪魔が出現することはないだろう。


 浩介は溜息を一つ吐き、肩から力を抜いた。


「ぐっ、うっ」

「おっと、もう自殺は勘弁してくれよ?」


 かかと落としを決めた分身体が、リットマン教授を拘束しつつ、口の中に異物がないか、どこかに薬剤を持っていないか確認していく。案の定、懐に錠剤の入った小さなケースを発見。


 浩介は、素早く〝村人の誇りに賭けて〟を取り出し、悪魔の囁きがリットマン教授を狂わせる前に、こちら側に魂を傾けようとする。


 前回は、〝村人の誇りに賭けて〟が完全に効果を発揮する前に割り込まれた。


 悪魔の囁きが、それを受け入れる者にとって強力な暗示効果や洗脳効果があったとしても、魂魄魔法が完全に作用した上で打ち消されることはないはずだ。少なくとも、〝あの方〟と呼ばれる異常な力を持った悪魔のような、強力な個体でない限り。


「けど、どうにも悪魔のルーツは、南雲に聞いたエヒト関連の話に類似してるからなぁ。エヒトの元の世界は崩壊したはずだし、関係があるはずないんだけど……」


 もし、大本のルーツが一緒なら神代魔法といえど……


 浩介は、とにもかくにも、リットマン教授の意識にプロテクトをかけるべく、〝村人の誇りに賭けて〟を、彼の前に垂らした。


 と、ふ~りふ~りする寸前、


「私に、構っていていいのかね?」

「悪いが、時間稼ぎには付き合わないぞ」

「稼ぐ必要などない。既に、事は起きている。君、帰還者よ。我々は、君達を甘く見てはいない。バチカンと同等以上に警戒していた。実際、君達は脅威であったが、しかし、君。一般人の注目までは、流石に判別し、対応はできなかっただろう?」

「……何が言いたい」


 リットマン教授は、浩介の回し蹴りで鼻血まみれとなった顔面を醜く歪めて言った。


「仲間と、家族。それから……エミリー・グラントは大切かね?」

「っ! 寝てろ!」


 最大効果で〝村人の誇りに賭けて〟を発動。瞬く間に意識を捉え、そのまま自失状態で固定する。


 そうして、直ぐさま分身体に意識を繋げようとして……


 その瞬間、逆に分身体の方から緊急の知らせが飛んできた。


 今、まさに、襲撃を受けているという知らせが。












 時間は少し戻る。


 エミリー達が、浩介からの電話でバチカンの特異な実態と、現状起きている事態を把握した後、保安局の主要なメンバーは局長室に集まっていた。


 今は、アレンが渡航手続きを、バーナードを筆頭に局に残る者達で各課の主任クラスは、マグダネスがいない間の段取りなどの打ち合わせをしている。


 エミリー達は、そんな局員達の慌ただしい様子を、局長室の隅っこにちょこんと座りながら、所在なさげに見つめている。


「以上よ。何か質問は?」


 しばらくして、打ち合わせが終わったようで、マグダネス局長がそう言いながら部下達を見回した。誰も彼もまっすぐにマグダネス局長を見つめるだけだ。質問はないらしい。


「よろしい。では各々、職責を果たしなさい」

「「「「「アイ、マム」」」」」


 よく訓練された女王の犬達である。という印象を、グラント家一同、心に思う。


 解散となった打ち合わせだが、何故か、局員達は部屋を出ていかず、笑顔でグラント家――もとい、エミリーのもとへ集まってきた。


 強襲課の主任であるバーナード・ペイズのように、荒事に従事する課の局員達も多くいるので、屈強な男が笑顔で集まってくる光景に、エミリーの頬が少々引き攣る。


「グラント博士。久しぶりだな」

「隊長さん。お久しぶりです」


 ヴァネッサや、家の周囲にいた護衛官達はともかく、強襲課のバーナードとは普段あまり接点がない。実のところ、エミリーがバーナードと直接会って会話したのは、ベルセルク事件以来だったりする。


 他の局員については言わずもがな。唯一、護衛官達の主任や同僚だけは、直接、何度か話したことがある程度だ。


 接点があまりないのに、やたら友好的な雰囲気の局員達にエミリーは戸惑いを見せるが……彼等が寄って来た理由は直ぐに判明した。


「ところで、アビィの奴は大丈夫そうだったか? 話したんだろう?」

「アビィさん。またとんでもないことに首を突っ込んでいるんだって? 流石だな!」

「エミリー嬢ちゃん。アビスはいつこっちに来るんだい?」

「卿はどんな様子だ? 力を貸せというなら、今すぐ飛んで行くんだが……」

「うちの課も準備できてるぜ?」


 アビスゲート卿が大人気だった。局長さんが、眉間を揉みほぐしている。職責を果たせと言って、真面目に頷いた部下達が、直後にはアビィアビィと民間人に詰め寄っているのだ。頭も痛くなるというものだろう。


「ほぉ~。コウスケは随分と人気があるねぇ。流石、エミリーが選んだ男だねぇ」

「ちょっ、おばあちゃん!? 人前で何を言って――」

「いいじゃない、エミリー。お母さん、なんだかとっても誇らしいわ。こうすけ君はもう、息子も同然なのだし」

「そうだねぇ。父親としては、安心半分、複雑な気持ち半分だけどねぇ」


 予想外に、国家保安局の局員達に人望があるらしい娘の想い人に、グラント家一同テンションが上がったようだ。


「そりゃあ、アビィは俺達の、というか英国のヒーローですからな!」

「一緒に戦ったバーナードが羨ましいぜ」


 バーナードの言葉に全員が同意するように頷く。


 どうやら、彼等的に、浩介は英国の誇るヒーローらしい。アメコミヒーローが台頭する昨今、英国だって負けちゃいない! アイアン○ンがスパイ○ーマンを助っ人に呼ぶなら、キャプ○ンは是非、うちのアビスゲート卿を! みたいなノリだ。


 それを聞いて、エミリーは椅子の上で小さくなった。恥ずかしいやら照れくさいやら。ヒーローにヒロインは付きもの。自分がそうなのだと、ちょっと妄想しちゃって小さくなりつつ、羞恥でぷるぷると震える。


 そんな小動物のようなエミリーの姿に、屈強な男達が揃ってほっこり顔を見せつつ、「流石、ヒロインだ!」的な感じに盛り上がっていく。


 とうとう、彼等の女王の額に青筋が浮かび上がった。その眼光が、「いい加減、仕事しろ」と言っている。


 実際、マグダネス局長が、冷気を漂わせながら口を開いた。


「……あなた達。私は、職責を果たせと――」


 が、その言葉が言い切られる前に……


 局長室の中央に、黄金のスパークが迸った。


「――!?」

「っ、局長!」


 アレンがいち早く、マグダネス局長のもとへ飛び込む。バーナード達も腰の拳銃を抜いてエミリー達グラント家の前で立ちはだかった。


 超常現象を前に、誰もが硬直することなく動けたのは、彼等が鍛えられた精鋭であるというのもあるが、一番はアビスゲート卿という前例のおかげだろう。


 黄金のスパークは更に激しく迸り、やがて光り輝く球体となった。


 直後、その光がカッと爆ぜる。思わず、目を庇うマグダネス局長達。


 光が集束した後……


「「「「「――」」」」」


 誰もが絶句した。超常現象を前にしても的確に動けた彼等が、マグダネス局長ですら、微動だにしない。動けない。ぽかんっと口を開けたまま、ただ目を見開くのみ。


 彼等の瞳に映るもの。


 それは、一つの、美しさという概念の、完成形だった。


「……どうも、私です」


 第一声は、コミカルだったが。


 そう、空中に出現したのは、黄金の髪を波打たせた――ユエ様だった。


 それも、黄金の光を纏い、更には背後に輪後光を浮かべた、大人バージョンのユエ様だ!


 浩介のもとから転移した後、直接乗り込まずに、一旦近くに転移してからわざわざ大人バージョンになって着替えも済ませ、いろいろ演出を考えたうえで、タイミングを見計らって登場したユエ様である!


 絶世という言葉でも、まだ足りない。神の造形、否、むしろ女神本人の降臨かと、その場の誰もが呆然と思う。演出に本気を出した大人バージョンのユエは、それくらい、あらゆる意味で強烈だった。


「ユ、ユエお姉さん?」


 硬直の解けない局長室に、恐る恐るといった様子の声が響く。エミリーが、窺うようにユエを見つめている。


 ユエは、何事もなかったように魔力光と輪後光を消し、ふわりと着地した。黒のワンピース風のゆるふわ衣装が、ふんわりと広がる。ゆるふわの髪もふわふわするので、まるで夢の世界にでも迷い込んだかのようだ。


 バーナードを筆頭に、誰もがぽへぇ~とユエ様のご尊顔に見惚れて魂を投げ出している。


 そんな彼等に、「魔王の正妻として舐められないための、第一印象天元突破作戦!」の成功を確信したユエは、ふんすっと鼻息荒くガッツポーズした。


 そして、エミリーの視線を向けると、


「……ん。エミリン、久しぶり。髪切った?」

「切ってないです」


 んっと、何故か力強く頷くユエ。


「えっと、ユエお姉さん。どうしてここに……」

「……エミリンを迎えに来た。それと……」


 ユエの流し目が、マグダネス局長に炸裂。だが、そこは英国と結婚した鉄の女とまで言われる国家守護の要。ハッと我を取り戻すと、直後には凜とした佇まいでユエに向き直った。


「初めまして。私は、シャロン・マグダネス。国家保安局の局長です。貴女が〝魔王の奥方〟で間違いございませんか?」


 目上に対する丁寧な言葉遣いで、しかし、決してへりくだることはない態度で、予想外の邂逅に臨むマグダネス局長。毅然とした態度に見えるが、アレンなどは、マグダネス局長が相当緊張していることを見抜いていた。


 まるで、他国の主席クラスや、一歩間違えれば大惨事を招きかねない国家保安上の緊急会議に参加している時のような雰囲気だ。


 その緊張が、他の局員達の目を覚まし、同じように緊張を強いる。


 緊迫感が満ちる部屋の中で、言葉を向けられたユエは、


「……如何にも! 私はユエ。魔王の正妻たる女!」


 凜とのたまって、しゃらんっとポーズを取った。片手を腰に、もう片方の手を横ピースで目元に。ちょっと重心を傾けて。真面目な顔で。


 まるで、どこぞのアイドルのようなポーズだ。キランッというより、キリッとした顔だが。


 痛いほどの静寂が場を支配した。チクタク、チクタクと、時計の音がやけに明瞭に響く。


 誰もが動けない中、ポーズを静かに解いたユエは、


「……エミリン、スベった。どうしたらいい?」

「私にふるんですか!?」


 助けを求められたエミリー。どうしてちょっと弾けちゃったんですか! 後悔するくらいなら最初から普通に対応して! と言いたげだ。確かに、微妙に視線を虚空に投げるユエの横顔を見ると、後悔しているようにも見える。


 ユエ的に、最初の演出で「魔王の嫁は、やっぱりとんでもねぇ!」という印象を与えられたと確信していた。


 なので、それでもマグダネス局長が舐めた態度を取ったなら、クールユエさんモードで塩対応し、そうでなく礼儀を弁えた態度なら逆に緊張をほぐしてあげよう、と思ったのだが……


 逆に、空気を殺すことになってしまって、内心、めちゃくちゃ羞恥に震える気分だった。思わずエミリーに助けを求めるほど。


 なんとなく、部屋中の視線がエミリーに集中する。


 ビクッと震えたエミリーは、あたふた、おろおろと視線を彷徨わせ……


 キッと局員達を睨む。そして、


「わ、私はエミリー! 魔王の右腕たる深淵卿の嫁! になりたい女!」


 腰に手を、横ピースを目元に、片足をクイッと曲げてしゃらららんっ!!


 涙目で、顔を真っ赤にしながらやらかした。


 どうしたらいいか分からないので、取り敢えず、ユエと一緒に自爆してあげようと思ったのか。


 死ぬときは一緒だよ! ユエお姉さん!


 そんな心の声が、ぷるぷる震えるエミリーちゃんから聞こえてくるようだ。


 し~んと静まりかえる局長室。ただし、空気殺しのユエと違い、暖房でもつけたかのように空気が温かい。エミリーちゃんの優しさに、大人達が和んでいる!


 エミリーちゃんは静かに小さくなった。両手で頭を抱え、顔を膝に埋める。私を見ないで……。そんな心の声が聞こえてくるようだ。


 エミリーの犠牲で、部屋の空気は戻った。ユエが、改めてマグダネス局長を見やる。


 ジッと、デフォルトのジト目で、マグダネス局長を観察する。


 そう、ジト目は、ユエのデフォだ。あくまで、普通の状態である。


 が、初めて会ったマグダネス局長に、そんなことが分かるはずもない。むしろ、美貌の女がジト目を向けてくる光景に、マグダネス局長はゴクリッと生唾を呑み込み、勘違いを爆発させた。


「わ、私はマグダネス。英国と結婚した鉄の女! と、言われたりするわ」


 局長の、必死の歩み寄りに全局員が泣いた! 流石に、しゃらんっはしなかったが、腰に手を当てて一応のポーズは取っている! 国家守護のためなら、羞恥もプライドも投げ捨てる、まさに鉄の女がそこにはいた!


 ユエは、「え、いきなりどうしたの?」みたいなキョトンとした顔になったが、なんとなく、マグダネス局長も、ユエが殺した部屋の空気を蘇生させようと頑張ったのだろうと思ったようだ。


 ふっと笑うと、


「……ん。よろしく、マグダネス。貴女も、家に招待してあげる」


 正妻様がお認め下さった! 我等の局長を、お認め下さった! と、局員達が一斉にわっと騒ぎ出す!


 エミリーが、現実に対するカリチュ○ガード状態を解いて、信じられないといった表情でマグダネス局長を見る。


 そんなエミリーに、マグダネス局長は何かを失ったような透明な表情で、小さくサムズアップした。エミリーは、局長の犠牲の精神に、泣いた。


 その後、妙に透明感のあるマグダネス局長とアレン達一部の局員、そしてグラント家を連れて、ユエは日本へ転移したのだった。


 後には、「魔王の正妻、マジやばかった! いろんな意味で!」と、大騒ぎする局員達の姿があったとか。一部、「魔王の配下になれば、また、あの人を近くで見られるかもしれない……」と、退職願いを片手に握り締める者達もいたとか。


 何かを失った局長様に、魔王の嫁にいろんな意味で魂を奪われた局員――特に主任達。


 国家保安局の未来は、果たして……


 なお、演出のため保安局の外で待機させられていた浩介の分身体だが、一向に迎えに来ないユエに「あ~、はいはい。いつものこと、いつものこと」と呟きながら、とぼとぼと保安局に入り、ユエ達が既に帰国した旨をバーナードに伝えられ、死んだ目をしながらユエに連絡。


 ちょっとバツの悪そうなユエが慌てて戻って来て、無事、回収してもらった。


 二度目のユエを見られた局員達からの、卿への好感度が更に上がったのは言うまでもない。浩介は、悲しみに満ちていたが。


いつもお読み下さりありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


襲撃までいけなかった…

変な場所で区切ってすみません。



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[良い点] 襲撃まで来なかった代わりに、止まらないお腹の痛みを伴った苦しみを与える笑いの嵐に巻き込まれました。 ユエ、エミリン、そしてマグダネス局長……あなたちの素敵なポージングとセリフは脳裏に刻まれ…
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