ありふれたアフターⅡ 光輝編 戦いが終わって
数的には、ほぼ互角。王国軍と≪暗き者≫の軍団は、戦力的には均衡するはずだった。
が、現実には全くそうはならなかった。
さながら、濁流に呑まれる雑草の群れ。
当然と言えば当然だろう。この場は、ありとあらゆる意味で王国軍に有利に働いていたのだから。
一つ、アークエットの地下保管庫周辺に、ほぼ全ての≪暗き者≫が集っていたおかげで、町中でありながら包囲が可能だったこと。
一つ、市街地戦という地の利があったこと。
一つ、既に食える恩恵力が周囲になく、僅かばかりとはいえ≪暗き者≫達に疲弊が見られたこと。
一つ、一部ではあるが、たった一人に負け続けたことで、人間に対する畏怖の感情が芽生え始めていたこと。
そして、何より、王国軍の戦士達の鬼気迫る戦意が天井知らずに上昇しており、そのプレッシャーに士気で負けていたこと、それが一番の要因だろう。
アークエットを襲われた義憤。五年前の雪辱。≪暗き者≫という種族そのものへの憎悪。
たった一人――
義理も義務もないのに、ボロボロになりながら三日もの間、戦い続けた者への言葉にできない感情。
戦士として、これほどの尊き勇姿を目の当たりにして、どうして心が震えずにいられようか。魂の雄叫びを上げずにいられようか。
凄絶。
そう表現することに躊躇う必要のない戦意が、次々と≪暗き者≫を駆逐していく。
『て、撤退っ! 撤退だっ』
≪暗き者≫のうち誰かが叫んだ。
たった一人が相手なら意地を通せた。今にも倒れそうな男一人なら、次こそは、あるいはこれだけの被害を出した敵を自分こそが討つのだと、そう息巻いて戦えた。
あたかも、次こそは大当たりが出るはずだと、引き際を見失ったギャンブラーのように。
「蹴散らせ! 逃げ出す奴は追撃して殺せ! 光輝の傍から奴等を引き離すことを最優先にしろ!」
モアナの指令が轟き、戦士達が次々と敵を追い散らしていく。
それを見て趨勢は決まったと判断したのか、光輝の周囲から≪暗き者≫が一斉に逃げ出していく。
中には、もう逃げられないと悟って光輝に特攻をかける者もいたが、モアナ達が「あっ」と声を上げる前に、ゆらりと揺れた光輝が一刀のもとに斬り捨てた。
ゾッとするほどの剣技。冗談のように飛んだ首。
歴戦のスペンサーをして、振るわれた瞬間が、切り裂いた過程が、まるで認識できなかった。気が付けば終わっていた。
光輝は仁王立ちしたまま、両手はだらりと下がって俯いている。表情は分からないが、先程からモアナが何度も呼びかけているのに、まるで反応がない。
尋常でない様子。
なのに、構えさえ取っていないその状態で、飛びかかってくる≪暗き者≫を、ゆらりゆらりと揺れながら、過程が認識できない剣撃で屠っていく。
「剣の……頂――剣聖」
掠れた声でスペンサーが呟いた。子供の頃、父親に聞かされた伝説の一つ。
不可視にして不可避の剣撃。剣士が目指すべき頂の一つ。
遙か昔、王の剣とされたその伝説上の人物を称えて、人々は彼の者を≪剣聖≫と呼んだ。
今の彼は、まるで伝説が再臨したようではないか。
「光輝!」
スペンサーがハッと我に返れば、周囲には既に≪暗き者≫の姿はなく、西門の方で戦士達が戦う喧噪が聞こえてくる。
そして、モアナが治癒の術士達を引き連れて、光輝のもとへ駆けていた。
先までの≪暗き者≫達がそうしていたのと同じ、飛び込むような勢いで。
「いかんっ、お下がりを! 陛下っ」
「え?」
未だ俯いて立ったまま、だらりと両腕を下げて佇む光輝が、ゆらりと揺れた。
スペンサーの声を聞いて振り返りかけたモアナは――既に光輝の間合い。
「ッ!!!」
「ぐぁ!?」
間一髪。リーリンがモアナを引き寄せた。後ろにゴロゴロと倒れ込む二人。「何をする」と、飛びつかれた衝撃で声を詰まらせながら言い、顔を上げたモアナの視界にはらはらと舞う白い糸が……
「え?」
「ご無事ですか、モアナ様!」
「陛下っ、お怪我は!?」
リーリンが青ざめた表情で、スペンサーが焦燥を浮かべた表情で声をかけるが、呆けるモアナはそれどころではない。
はらはらと舞う白い糸。
それは――自分の髪だ。
モアナの白い髪の先が、僅かに斬られて舞っているのだ。
誰に斬られた?
決まっている。
「光輝?」
呼びかけに応えはない。
光輝は元の位置――地下保管庫の扉の上で変わらず佇んでいる。
地面に転がっているおかげで、モアナにはようやく俯く光輝の顔が見えた。同時に、その異常に気が付いた。
「こう、き……」
半分閉じられた瞳に、光がない。虚ろで、どこも見てはいない。
「生きては……いるようです。ですが、意識はない。なんという……」
「信じられない……」
スペンサーとリーリンが揃って言葉を失っている。モアナもまた、一緒だった。
それも無理はない。
一体誰が、気絶しながら戦っているなどと想像できようか。
改めて見れば、光輝の状態は本当に酷いものだった。
体中に大小様々な傷があり、無事な箇所の方が少ない。全身血みどろで、自身の血と返り血で茶色の髪まで赤黒く染まっている。呼吸は浅く小さく、今にも止まってしまいそう。破れた服の隙間から見える脇腹が歪なのは肋骨が折れて変形しているからか……
形の変わっている剣を片手でしか握っていないのは、片方の腕が肩から拳にかけてあちこち砕けているから。
よくよく見れば、剣を握る手には衣服の切れ端が何重にも撒かれ、たとえ握力を失っても剣を落とさないようにしている。
ジジジッ、ジジジッと、切れかけの電灯のように明滅する聖剣は、そのまま光輝の命の灯火を表しているかのようだ。
一体、どれだけの間、この状態で戦い続けたのか。
意識を失ってなお、戦い続けるその姿。
モアナは、光輝の立つ場所に視線を向けた。地下保管庫の入り口を。
それだけで分かる。
――指一本、触れさせはしない
言葉では到底表現などできない感情が涙となって溢れてくる。
「そんなに、そんなになってまで守っているのか……守り通してくれたのか、光輝……」
モアナは立ち上がった。スペンサーとリーリンが止めようとするが、モアナは微笑みで無用と訴える。
近づく者すべてを排除しようとする今の光輝は危険だと、そう言おうとしたスペンサーとリーリンは、しかし、その微笑みで何も言えなくなった。二人もまた、光輝の姿に胸の奥の震えが止められなかった。
黙って見守る二人、否、いつの間にか二人と同じような表情をしながら見守っていた戦士達に囲まれながら、モアナは進む。
光輝の剣界まで、残り二メートル。
「光輝。光輝、私よ。モアナよ。貴方のもとへ来たわ。遅くなってごめんね?」
残り一メートル。
「もう大丈夫だから。貴方は守り通したから。ここにはもう、敵はいないわ」
残り三十センチ。
光輝が、ゆらりと反応した。
スペンサーが動こうとするが、リーリンがその腕を取って首を振る。その眼差しは真っ直ぐに光輝へ向けられてる。全幅の信頼を乗せて。スペンサーも力を抜いた。
「だから、もう休んでいいから。戦わなくていいから……だからっ」
残り――ゼロ。
聖剣が消失。そう見紛うような、見えざる剣撃がモアナの首に吸い込まれ――薄皮一枚のところでピタリと止まった。
優しい彼は、たとえ意識がなくたって、心を込めて呼びかければ必ず応えてくれる。
〝ここにいるよ〟と伝えれば、守りたいと願った者を傷つけることは絶対にない。
そう確信していたモアナに動揺は欠片もなく、そのままふわりと光輝を抱き締めた。
「光輝……」
「………………………ぅ……ぁ?」
微かな呻き声。光輝を支えながら顔を覗き込めば、そこにはモアナを映し込む彼の瞳があった。僅かな、灯火のような光の戻った瞳が。
「……モ……ァ……」
「ええ、私よ、光輝」
「…………まも………ら……ないと」
掠れてほとんど聞こえない声。再び溢れる涙をそのままに、モアナはそっと囁く。
「大丈夫。終わったのよ。みんな守れた。貴方が守ったの。だから、もう大丈夫なのよ」
「……まも…………れ、た?」
自分がしたことなのに、まるで「信じられない」と言いたげに、光輝の目が僅かに見開かれる。
だから、モアナは力強く、光輝の目を真っ直ぐに見つめながら伝えた。
「ええ、守れたわ。ありがとう、光輝。みんな、貴方に救われた」
その言葉を受け取った光輝は……
「……よか……た」
そう言って、僅かに微笑んで目を閉じた。
ガクリッと力を失う体。役目を終えたというように僅かな光すら消滅した聖剣。光輝の体から目に見えない大切な何かが霧散していくのが密着しているモアナには分かった。
穏やかに力を失うその姿は、まるでそのまま……
「早くっ、彼の治癒を! 急いで! 絶対に、この人を死なせてはダメ!」
悲鳴じみた指示が飛ぶ。光輝の壮絶なありように固まっていた術士達がこぞって集まり術をかけ始めた。
治癒に長けた王都の術士達の表情に焦燥が募っていく。それが、今の光輝の危うさを如実に語っていた。
「お願い、お願いだから死なないで……光輝……」
モアナの祈りが、遠くで未だに響いてる戦いの音と、地下保管庫からアークエットの人々を出すべく動き回る戦士達の狭間に響いた。
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暗い水の底から浮上するような感覚を味わう。
酷く重い何かに纏わり付かれているようだ。視界は真っ暗で何も見えない。声も、喉がひりついて中々出せない。
(なんだ……死後の世界っていうのは随分とシンプルなんだな……)
天国や地獄のような場所が本当にあるのなら、自分は間違いなく地獄行きだろう。ここで待っていれば、そのうち閻魔でもやって来て自分を裁くのだろうか。
今度という今度は、【神域】の時のように誰も追いつくことは出来ないだろう。
(せっかく雫達に助けられたのに……やっと答えを見つけたのに……ようやく前を向いて生きられそうだったのに……残念だなぁ)
さみしい気持ち、悲しい気持ち、悔しい気持ち。
家族や仲間とはもう二度と会えないだろうと思うと、そんな気持ちが洪水のように溢れ出てくる。
同時に、最後の最後に、まるで奇跡のように、見えた気がする彼女を思う。
(モアナ、様。……あれは幻だったんだろうか。どれくらい戦っていたのか覚えていないけど……俺は守れたのかな?)
守れた。そんな気がする。根拠はないけれど、光輝の中の深いところが確信していた。自分はやり遂げたはずだと。
(同じだけ、死なせたんだけどな)
〝どちらも〟は無理だった。けれど、〝どちらか〟を求めて失敗しなかったのなら……やはり、それは一つの答えなのだろう。
大勢の命を散らしておいて、そんなことを思う自分はやはり地獄行きだ。閻魔はまだだろうか? じらされるのは……正直、怖いので早くして欲しい。
そんな取り留めもないことを考えつつ、光輝の脳裏にふと思い浮かんだのは〝あいつ〟のこと。
(〝あいつ〟なら、きっと閻魔にだって銃口を突きつけて「お前は敵か、味方か」って逆に問いそうだ。それで敵だと判断したら、きっとドパンッするんだ)
なんてシンプルな判断基準だろう。
やはり自分には到底できない在り方だ。
そう思うと、光輝は何だか無性におかしくなって思わず笑い声を上げかけた。
上げかけたのだが、
(んんっ!? 痛い!? なんか全身が死にそうなくらいイタイィィィ!?)
死んだ後にまで肉体的苦痛があるなんてどういうことだよ! と理不尽な八つ当たりを心の中の閻魔に向かってしていると、何だか意識が浮上していくような感覚を覚えた。
しかも、真っ暗闇の中にぼんやりと光まで見え始める。
(え? まさか、俺って……)
まさかという思いに、光輝は目を見開いて――
現実でも目を開いた光輝の視界一杯に、おっさんの顔面ドアップが映り込んだ。鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で。
「ひっ、っぁ!? んぎっ、いたっ、こわっ!? こわ痛い!?」
「おぉ!? 光輝殿! 目を覚まされましたか!」
厳ついおっさん。目つきは歴戦の戦士。寝起きドアップの犯人はスペンサーだった。
加えて、驚きで身をよじった瞬間襲い来る全身の激痛。
寝起きは最悪だった。
スペンサーが「直ぐに陛下を呼んで参ります故! しばしお待ちを!」と言って部屋を飛び出していく。
取り敢えず〝怖い〟は去ったので少し落ち着いた光輝は、痛みに涙目になりながらも周囲を見渡した。
造りに見覚えがある。アークエットへ来た当初、案内された領主館の客室によく似ている。というか、まんま客室だ。耳を澄ませば、窓の外から人々の喧噪が聞こえてくる。
「生きてる、のか? 俺、生きてるのか……」
じわりじわりと、その事実が染み込んでいく。思わず、涙腺が緩んでホロリと涙がこぼれた。願いの代償に、犯した事の償いに、自分は命を失ったと本当に思っていたのだ。
もう、誰にも会えないと、そう思っていたのだ。
怖かった。苦しかった。
だけど、生きている。
自分がしたこと、やり遂げたこと、そして今生きていること。
その全てが心に迫って、光輝はただ泣いた。
そんな光輝の耳に、ズダダダダダッという凄まじい足音が響いてくる。
先程、スペンサーが「陛下を呼んでくる」と言っていたことを思い出し、おそらくモアナがやって来るのだろうと察した光輝。慌てて目元を拭う。何となく、彼女にはこれ以上情けないところを見せたくなかったのだ。
ゴシゴシッと目元を拭い終わった直後、バァーーーーーーンッ!! と扉を吹き飛ばしてモアナがやって来た。
何故だろう。光輝はもの凄く既視感を覚えた。姉妹揃って扉というものに何か思うところでもあるのだろうか。
「光輝」
「モアナ、様……やっぱり幻なんかじゃなかったんですね」
目を覚ましている光輝を見て呆けていたモアナは、そんな光輝の言葉にじわりと涙をにじませると、トテトテといった感じで歩み寄り、そのままベッドにぽてっと腰掛けた。
光輝に背を向ける形なので、彼女の長い髪がベールとなって横顔も分からない。
「あの、モアナ様? アークエットの人達は? あれからどれくらい経ちましたか?」
「……」
無言のモアナに、光輝は少し不安になった。何か、よくないことが起きたのだろうか、と。
が、その不安を口にする前に、モアナはそっと身を寄せてきた。そのまま光輝の怪我に響かないよう優しく、覆い被さるようにして抱き締める。
「モ、モモモ、モアナ様!?」
ククリのような、甘いフルーツの香りが光輝の鼻腔を擽った。かけられたシーツ越しでも分かる柔らかい感触に、つい動揺する。
「……アークエットの人達はみんな無事よ。言ったでしょう? 貴方がみんな守り切ったって」
「あ……はい」
自分の顔の直ぐ横に、埋めるようにしてモアナの顔がある。伝わる声音はいろんな感情を孕んでいるように少し震えていて、それが吐息と一緒に耳へ届く。
「まだたった一日しか経ってないわ。死にかけたくせにもう目が覚めるなんて、本当にどんな体をしているのよ」
「あはは……勇者スペックだから」
素の口調で話すモアナに流され、光輝も素の口調で返した。
モアナは起き上がり、鼻先をくっつけながら光輝を見つめる。
「でも、死ぬときは死ぬわ」
「……そうだね」
「治療中も、もう何度もダメかと思った」
「……俺も、何度も死ぬって思った」
光輝でなければ助からなかっただろう。恩恵術で活性化させられる生命力、休息すれば回復していく魔力、魔力さえあれば治癒力を向上させる技能。そして、倒れるまで治癒の術を使い続けてくれた術士達。
それが辛うじて光輝の命を救い上げたのだ。
「どうして、そんな目をしているのよ」
沢山、本当に沢山言いたいことはあった。自分の命を捨てるような献身を求めたりはしなかったと。クーネと一緒にどうして戻って来なかったんだと。自分自身の命を何だと思っているんだと。心配した分、沢山言ってやりたかった。
けれど、光輝の澄んだ瞳を見て、モアナは何も言えなくなった。
光輝は小さな笑みを浮かべて言う。
「答えを、見つけたんだ」
生き方に迷っていた光輝。自分に不信感を持ち、何も選べなくなっていた。何が正しい、どれが正しいと、〝正しい選択肢〟を求めて彷徨っていた。
死線の中で、その答えを見つけたのだと言う。
喜ぶべきなのだが……モアナは複雑な表情になった。
「それじゃあ、もう迷わないで済む? 苦しまずに生きられる?」
光輝は静かに首を振った。
「これからも迷うし、きっと苦しいと思う。俺が見つけた答えは、そういうものだから」
〝あいつ〟のようには割り切れない。
敵と味方。世界を二色には分けられない。何も知らないまま剣は振るえない。
最善を夢想して足掻くだろう。その道はないと、現実を突きつけられて苦悩するだろう。
だが、それがどうした。
足掻いてやろうじゃないか。苦悩してやろうじゃないか。
その時その時、きっと最善に繋がっていると信じる選択肢を選んでやろうじゃないか。
きっと、十中八九、その度に後悔するのだろけど、絶対に、選択した後の未来を諦めてなどやるものか。
最善が無理なら次善を。それがダメでも、少しでも良い未来を手繰り寄せるために戦い続ける。
そう、世界を二色には分けられない。
正しいか、間違っているか。
誰にとって?
正解などあるはずがなかった。
「爺ちゃんに憧れていたんだ。爺ちゃんは俺のヒーローだったから、ヒーローは正しくなくちゃいけなかったから……俺は、いつしか〝正しいこと〟に囚われていた」
「今は違う?」
「ああ。正しくありたいとは思うけど、もうそれに囚われることはない。だって、正しくても、間違っていても、俺は結局、あの手を振り払えないんだから」
≪暗き者≫にとっては、光輝は間違いなく〝悪〟であり、自分達を殺したことは間違っているのだろう。
だが、それでも光輝は、あの男の子の手を振り払えない。そんなこと絶対にしたくないのだ。たとえ、どれだけ双方の生きる道を望んでも。たとえ、一方を切り捨てることになっても。
「タイムリミットまで悩むよ。でも、必ず何かを選ぶよ。選んだ先で思い通りにならなくても足掻き続けるよ。俺は夢想を止めない。たとえ叶わなくても」
結局、あんまり変われてないんだよなと、光輝は苦笑いを浮かべた。
モアナはジッと光輝の瞳を見つめ、それからほんわりと微笑んだ。
「そう……それが光輝の答えなら、私は応援するわ。必要なら、いくらでも力になる。アークエットを救って貰ったからじゃないわ。私が、貴方の力になりたいから」
「モアナ、様……」
自分の鼻先で、咎めるように光輝の鼻先を突いたモアナは呼び方を訂正する。〝様〟はいらない、と。
モアナの瞳に吸い寄せられるような気持ちになりながら、光輝もまた穏やかに微笑んだ。
「モアナ。今は、いろいろ大変だし時間もあまりないけど……いつか、俺がした大失敗の話、聞いてくれるかな?」
「どんな話でも聞きたいわ。是非、聞かせて?」
自分のことを知って欲しいという光輝の言葉に、モアナは嬉しそうに頷いた。
気まずさのない沈黙が部屋を満たす。
互いの視線が絡み合ったまま、少しずつ近づいて――
光輝の優秀な勇者イヤーは、小さな、されど数が多い無数の息づかいをようやく捉えた。
ギシリッと固まり、油の切れた機械のようにギギギッと横を向く光輝。誘導されるようにモアナもまた視線を転じて――
吹き飛んで扉のなくなった部屋の出入り口に、固唾を呑んで見守る無数の人影を見た。
スペンサーやリーリンを筆頭に戦士達が多数、更に領主ロスコーとその妻シーラ、自警団団長のイヴァナとその部下、そして文官達……
まさにギッシリといった有様で注目している。
「ッッッ!? うおっうおっほんっ! こ、ここ、光輝は大丈夫みたいね! 安心したわ!」
ガバリッと起き上がり、軍人の〝休め〟のような姿勢で誤魔化すモアナに、光輝は心の中で「取り繕えてないよ」とツッコミを入れた。モアナのほっぺは真っ赤である。
その後、「陛下の逢瀬を邪魔してしまった」という気まずそうな表情のまま見舞いにやって来たロスコー達が、口々に光輝の無事を喜び、そして町を救ってくれたことへの感謝を口にしていった。
途中、回復した治癒術士が治療の続きをしようとやって来たのだが、誰も彼も少しでも礼をしたいと詰めかけてくるので騒がしく、遂に堪忍袋の緒が切れた彼等が「集中できないでしょうがっ」と怒り、ロスコーを含めて蹴り出すという珍事もあった。
仮にも領主なのに文字通り蹴り出されたロスコーを筆頭に、戦士達が揃ってシュンとしているのは中々シュールな光景と言えた。
もう一つ、珍事、というか彼女の気質を知る戦士達に目玉を飛び出させるほど驚かせた事件もあった。
「光輝さま。気絶しながらも戦い続けるお姿――痺れました。貴方こそ男の中の男、戦士の中の戦士です」
そんなことを言って、彼女――リーリンが光輝の頬に口づけしたのだ。
モアナやスペンサー達が知る限り、〝初めて〟となるはずの口づけ。
何事もなかったように仕事に戻っていった彼女の本心は分からない。というか、分からないということに一先ずしておきたい一同だった。
なぜなら、陛下の目がぐるぐるしていたから。
加えて、一瞬だが〝光輝が動けない今の内に……〟という内心が透けて見える獣みたいな目が光輝に向けられたから。
リーリンの口づけに呆然としていたところ、「ハッ、殺気!?」とビクつきながら跳ねた光輝を見て、スペンサー達は暗黙の内にこの件に関しては静観することで一致するのだった。
屈強な戦士達も、もしかしたら発生するかもしれない〝女の戦い〟は苦手としているらしい。町を救った恩人に、祈りを捧げつつも視線を逸らしてしまう程度には。
そんなこんなで、光輝の驚異的な回復力や、優秀な治癒術師数人がかりの治療はあれど、少なくとも一週間は絶対安静だとベッドに押し込まれた光輝だったが……
事態は既に動いていた。
――アークエットの近隣領地より救援要請
――王都より、≪黒王≫率いる大軍の進軍を確認した旨の知らせ
アークエットに駆け込んできた伝令がもたらした凶報。
しかし、再び眠りについた光輝の耳には入らない。
誰も教えようとはしなかった。
今、それを光輝が知れば、彼は絶対に動いてしまうから。
だから、光輝は気が付かなかった。
モアナ達が既に、戦場へと旅立ってしまったことを。
いつもお読み頂ありがとうございます。
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