ありふれたアフターⅡ 光輝編 根本的な問題
燦然たる輝きが倒れ伏したモアナ達を半球状に包んでいる。
瘴気を吸収することで一定時間の活動を可能にする瘴石はドス黒く染まっており、生気を失った彼女達の顔色は白を通り越して土気色となっていた。
モアナ達だけでなく、ハウムを筆頭に騎獣であるアロース達も力なく四肢を投げ出し、細い呼吸を繰り返すだけになっている。
辛うじて死んではいない。モアナ達が体内に有する恩恵力が命をつなぎ止めているのだ。
だが、そう遠くないうちに、死神の鎌が触れるだろうことは明らか。タイムリミットは近い。
モアナをハウムの体に預け、一歩一歩、この事態を引き起こした≪暗き者≫である鱗竜種のもとへ歩み寄る光輝。
下段に構えられた聖剣の切っ先は細かく震え、呼気は千々に乱れる。何も選択せず逃げ出したいという思いが、まるで閉じ込められた獣が檻から脱しようとしているかのように騒ぐ。
光属性最上級防御魔法≪聖絶≫が創り出す境界から一歩出たところで立ち止まった光輝へ、再度、怒声が浴びせられた。
『貴様っ、何者だと聞いている! その妙な光はなんだ! 貴様は、何故立っていられる!?』
鋭い竜眼。金属鎧よりも堅そう竜鱗。盛り上がった全身の筋肉に、構えられた長大な槍。
相対しただけで分かる。彼の者は、相応の武を納めている強者であると。
そう、
(獣じゃない)
理性ある、戦士なのだ。
一縷の望みとでもいうかのように、≪気配感知≫に反応しない六つの存在を思い、光輝は逆に質問で返した。
「……彼等は、仲間じゃなかったのか?」
『なに?』
一瞬、何を聞かれたのか分からなかったらしい鱗竜種は、訝しむような声音を出した。が、直ぐに、それが命を代価に高濃度の瘴気を撒き散らすという〝自爆〟を行った六体の同族を言っているのだと察すると、鼻を鳴らして答えた。
『眷属に決まっておろう』
「死ねと、そう命じたのか?」
『……一体何だ? さっきから何を言っている?』
光輝の質問の意図が分からず、鱗竜種はますます訝しむ様子を見せた。
まさか、少しでも〝選択〟のための理由を見つけようと必死になっているとは思わないだろう。
仲間を見捨てる非情な奴だから、理性なんてなくて命を軽んじているはずだから。
だから、魔物にそうしてきたように、殺してもいいはずだ、なんて。
光輝は苦しそうに表情を歪めながら、なお言葉を連ねる。
「もし、もしだ。別の世界に行けると言ったらどうする?」
『なに?』
「動植物も一緒に移住して、新天地を恩恵力で満たして、それで人と争わずに生きられるとしたら……逆に人が移住するのでもいい。人のいない、≪暗き者≫達だけの世界があるとしたら――」
苦肉の策。あの男に頼らねばならない故に、確証のある提案ではない。だが、彼の持つ羅針盤とクリスタルキーがあれば、無人の世界を見つけることができるかもしれない。加えて、必要な恩恵力を十分に確保することも。
あいつには、自分と違って、きっとできないことなんてないんだから、と。
モアナ達と≪暗き者≫の長きに渡る戦い。
もはや、共存の余地はないのかもしれない。
話し合いの余地などないのかもしれない。
なら、どちらかの種が全てを征服されるしか道はないのか?
闘争は不可避で、どちらかが絶望の淵に沈むしかないのか?
第三の道は本当にないのか……
新世界への移住という〝住み分け〟の提案。
それは、そんな光輝の思考からもたらされたものだった。意思を持ち恩恵力を喰わねば飢える≪暗き者≫と、瘴気に耐えられず恩恵力が満ちていなければ生きていけない人間。勧善懲悪の如く、明確な正しさを選択できないが故に。
彼の男への対価なら、どんな形でも払おうと決心することが、今、光輝が即断できる唯一のことで。
だが、そんな光輝の苦し紛れの提案は、
『ハッ』
嘲笑と、激烈な〝突き〟という拒絶をもって叩き返された。
息を呑み、しかし対応は迅速に。聖剣で長槍の切っ先を逸らす。ギギギッと金属同士が擦れ合う音が火花と共に散る。
即座に引き戻した長槍をもって、鱗竜種は怒濤の突きを繰り出す。絶大な膂力と、しなやかな筋肉から繰り出されるそれは尋常ではない。
それを捌きながら、光輝が更に声を張り上げる。
「っ、聞いてくれ! 俺は異世界からやって来たんだ! 後ろの障壁がその証拠だ! 人間と≪暗き者≫が争わなくても、双方生きられる未来があるかもしれない! だから――」
薙ぎ払いの一撃を聖剣が食い止める。ガンッと衝撃音が響き、光輝の腕に微かな痺れが伝わる。鍔迫り合いのようになった状況で、至近にある鱗竜種は、その竜眼に嘲りを浮かべて言葉を被せた。
『驚愕だっ。まさか、まだこのような腑抜けが存在したとは! ああ、認めようとも! 貴様は異世界の人間だ。貴様のような者が、この国の戦士であるはずがない!』
轟ッと、鱗竜種から瘴気が噴き出した。否、放たれたというべきか。指向性を持って光輝へと噴き出した瘴気は、そのまま物理的な衝撃となって光輝の足を浮かせた。そうすれば当然、鍔迫り合いの圧力そのままに真横へと吹き飛ばされる。
砂上を幾度かバウンドし、光輝は、辛うじて受け身を取って片膝立ちで体勢を整えた。視線を戻せば、鱗竜種が光輝を無視したまま≪聖絶≫へと突進している光景が見える。
光輝を無視した鱗竜種は、裂帛の気合いをもって長槍を障壁へと叩き付けた。
『チィッ! なんという堅さだ!』
衝撃音を響かせるだけで傷一つつかない輝く障壁に、鱗竜種は思わず悪態を吐く。
最上級クラスの障壁だ。そう簡単に壊されはしない。だが、いつまでも好きに攻撃されるわけにもいかない。
光輝は砂塵を噴き上げながら突進すると、今度は逆に鱗竜種を吹き飛ばした。
砂埃を上げて吹き飛びながらも四つん這いの姿勢で勢いを殺す鱗竜種。
「どうして、どちらも生き残れるかもしれない道を否定するんだ……、どうしてっ、生きる道を選んでくれない!」
『笑わせるなっ』
悲鳴じみた光輝の訴えを、鱗竜種はばっさりと切り捨てる。
『家畜如きに、食料如きに、自由に生きる権利を認めるだと? 常軌を逸しているぞ!』
貴様等人間とてしていないことを我等に求めるなどどうかしている。
異世界人だから? そのような考えを?
異なる世界の有無、その真偽。どうでもいいことだ。
教えてやろう。この世界の理を。生きるということが、どういうことかを!
鱗竜種がドンッと足を踏みならして立ち上がった。まるで、大樹の如く泰然と砂の大地を踏み締め、恥じることなど何もないと胸を張る。
『戦い、奪い、征服し、君臨する! これぞ生きる者の本懐!』
鱗竜種の全身から瘴気が溢れ出た。その雄叫びに呼応するように濃度を増していく。
『人間共を家畜とし、飢える苦痛の消えた新世界で! 我等、≪鱗の鎧を纏う者≫が格別の地位にあるために! 女王の首は必須!』
目に見えないプレッシャーが光輝を襲った。それは明確な力ではない。覇気であり、気概であり、視線の先の鱗竜種が掲げる覚悟の力だ。
『ならば、身命を賭した眷属に報いよう! 聞けっ、分不相応な力を持つ半端者! 我が名はラガル! ≪鱗の鎧を纏う者≫が頭領の一人!』
あぁ、と光輝は思った。感嘆とも絶望とも感じられる心の吐息が漏れる。
仲間に死ねと命じたのか? そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。それは分からないが、一つだけ確かなのは、自由落下という常軌を逸した奇襲を行い、命を代価に目的を果たしたあの鱗竜種達もまた、確かな覚悟があったのだ。断じて、逆らえず、抗えず、悲嘆と絶望の中で果てたわけではなかったのだ!
『貴様を殺し、女王の首――貰い受ける!』
砂柱が噴き上がった。天を衝くかのようなそれは、ラガルが踏み込んだ証。瘴気を鎧のように纏い、長槍にも纏わせた彼は一瞬で光輝の眼前へと出現する。
風を突き破るような鋭い刺突を、光輝は半身になって避けた。刹那、慣性を無視したかのように薙ぎ払いに変化した長槍の一撃。
先程より、感じる圧力は遙かに上で、その剛力が更に上昇していることがよく分かる。咄嗟に聖剣を盾にするが、ともすれば腕ごと持っていかれそうだ。
必死に踏ん張る光輝だったが、不意に圧力が消えて思わず蹈鞴を踏む。次の瞬間、足がふわりと浮いた。いつの間にか染み込んでいたらしい瘴気が、光輝の足下の砂を盛り上げたのだ。
バランスを崩した光輝に、再び長槍が振るわれた。掌底で穂先の腹を打つことで逸らした光輝に、鱗竜種特有の攻撃が襲いかかる。
回転したラガルの回し蹴りと、竜尾による薙ぎ払いだ。
上段と中段を埋められ回避は不可能。
迫る足の爪と、纏った瘴気が刃のようになっている竜尾。光輝の全身を本能的な恐怖が駆け抜ける。死に物狂いでバックステップし、辛うじて回避に成功する。
が、そこまではラガルの読んだ攻防の流れらしい。かわされた動揺など微塵もなく、流れるように形成された瘴気の投槍。それが弾丸の如く、近距離から光輝の頭部目がけて放たれた。
一部の規格外を除けば、最高峰のスペックを誇る光輝の動体視力と反射神経は、ここでも光輝の命を救う。意識するより速く体をずらせば、瘴気の投槍は光輝の首を掠めるようにして通り過ぎた。
地面に足が付くと同時に、光輝は更にバックステップして距離を取る。
熱さと、何かが首筋を伝う感触。
ラガルが長槍を構え直す姿から視線を逸らさないまま、そっと片手で首筋を撫でる。ぬるりと、指先から生々しい感触が伝わる。
「ッッ」
致命傷ではない。薄皮を切られたくらいだ。だが、首筋への一撃である。光輝の心に氷塊が滑り落ちた。
自分は今、死にかけた……
こわい……
死ぬことが怖い。
ご都合主義なんて起きやしない。死は目の前にある。どうして、かつての自分は、「絶対に大丈夫」なんて言えたのか。死ぬときは死ぬのだ。
天之河光輝は、簡単に死ねるのだ。
こわい……おそろしい……
ラガルがジリジリと間合いを詰めてくる。油断も慢心もない。確実に光輝を殺し、モアナの首をもって凱旋する気なのだ。そこに揺らぎはなく、躊躇いもない。
こわい……
殺すことが怖い。
意思ある存在の命を切り裂くことの、なんと恐ろしいことか。
ラガルを殺す。モアナ達の味方をして≪暗き者≫達を殺し尽くす。
それはきっと、≪暗き者≫達の希望を殺すということ。
その悲願を潰し、命脈を絶ち、絶望を与えるということ。
こわい……
誰かの生きる道を左右してしまうことが怖い。
まっとうに生きられたかもしれない誰かを、自分との関わりで狂わせてしまうことが堪らなく恐ろしい。
視界の端で、何かが動いた。ジリジリと、ラガルとの間合いを外しながらチラリと視線を移せば、そこには倒れているモアナの姿が。
ハウムにもたれかけさせていたはずだが、身じろぎでもしたのか倒れたらしい。あるいは、もたれる姿勢すら維持できなくなったのか。
こわい……
死ぬのが怖い。
殺すのが怖い。
間違えることが怖い。
でも、
――守れないことは、もっと怖い。それだけは、耐えられない。
だから、
もう、〝選べない〟という失敗だけは、絶対に認められないから、
だから、
「貴方を殺す」
泣きそうな顔で、震える声で、しかし、はっきりと〝選択〟を口にする。
光輝は一歩を踏み出した。
一瞬というのも生温い。地を縮めたかのような、という文字通りの速さをもってラガルの眼前へ。
『ぬっ』
銀の閃光かと思うような袈裟斬りを、ラガルは瞠目しつつも辛うじて長槍を盾に受け止めた。瞬間、地響きと錯覚するような轟音と共に、ラガルの足が砂の中に埋まる。堅い地面ならばクレーターでも出来ていたかもしれない。
先程までとは比べものにならない速度と破壊力。気を抜けば、長槍ごと両断されかねない凶悪な一撃。
そこには、先程までなかった〝殺意〟が、確かに込められていた。
『舐めるなぁっ』
裂帛の気合いと共に、ラガルから衝撃を伴う瘴気が噴き出した。
「――≪光絶≫ッ!」
光輝とラガルの隙間に光の障壁が出現した。
衝撃を浴びて一瞬で砕け散る障壁だったが、主を後退させないという目的は十分に果たした。
目論見通り瘴気の衝撃波を相殺した光輝へ、ラガルは瘴気の投槍、回転運動させた長槍の連撃、片手の爪、顎門、蹴り、竜尾と体の全てを使って怒濤の攻撃を放つ。
光輝はそれを捌き、かわし、弾き、迎撃する。
『っ、まだっ、上がるのか!? 貴様はっ、一体――』
遂に、ラガルの武力を超えた剣撃。攻勢から守勢に回ることを余儀なくされたラガルが、今度こそ驚愕と動揺の声を上げ……
切り上げ。長槍が大きく弾かれた。
瘴気の投槍。回転しながら回避。
すれ違い様、
「っぁあああああああああっ!!」
悲鳴じみた雄叫びと共に、剣閃がりんっと弧を描いた。
ざっと、砂埃が舞った。
聖剣を振り抜いた状態で残心する光輝と、半端に長槍を振り上げた状態のラガルが背中合わせに沈黙する。
『なん、たる……ことだ……』
驚愕と、絶望と、そして恨めしそうな感情を乗せた声音。ラガルの最期の言葉。
ずるりと、トカゲの頭がずれて地に落ちた。パッと瘴気が散り、落ちた頭の後を追うように巨躯が崩れ落ちる。
言葉なく、天を仰いだ光輝は大きく息を吸った。そして、ゆっくりと振り返った。自分のなしたことの結果を見るために。
虚ろな竜眼を虚空に投げる頭。首を落とされ、血を噴き上げる胴体。砂色の大地を染める赤黒い血。
命を奪った確かな証。
「っ、ぉぐっ、げぇっ」
意思も理性もない魔物を殺したときでさえこみ上げたものが、今度は耐えきれず溢れ出した。が、そもそも長時間なにも食べていないが故に、出てくるのは胃液のみ。
聖剣を支えに片膝立ちで嘔吐く光輝は、この一瞬で一気に年を取ったかのような有様だった。丸まった背には、まるで何かとてつもなく重いものがのしかかったかのようだ。震える背中は、その重さに必死に耐えているようにも見える。
精神的負荷から心を守るため、強制的にシャットダウンされそうな意識を必死に繋ぎ止める。今は気絶などしている場合ではないのだと、手に残るおぞましい感触に囚われている場合ではないのだと、己に言い聞かせる。
「っ、ぐっ、行かないと……」
体力が尽きたわけでもないのに鉛のように重くなった体を引きずるようにして、光輝はモアナ達のもとへ歩き出した。
スペンサー達の様子を見れば、まだ生きていることが分かった。一番戦闘力が低いであろうアニールも、辛うじて息をしている。
光輝はホッと安堵の息を吐きつつも、予断を許さない状況に直ぐさま青白い表情を引き締める。
スペンサー達の他、彼等のアロースをモアナの近くに引っ張り寝かせる。
「嘆きを溶かし、暗雲を払う。染まらぬ其は万物の光。救いの天光――≪万天≫」
光属性中級回復魔法≪万天≫――状態異常を回復する魔法だ。
先程、≪聖絶≫を展開したあと、光輝は瘴気に侵されたモアナ達へ詠唱を省略したこの魔法をかけた。結果は〝効果なし〟。
あるいは、詠唱省略のせいで効果が下がったせいかと思い、改めて発動してみたわけであるが……
「っ、やっぱり効かないのか……」
人体を侵食した瘴気を≪万天≫で払うことはできないようだった。
光輝は歯がみしつつ、ならばと別の詠唱に入る。香織ならば詠唱などしなくても即時発動で最大効果を出せるのだろうなと、少し嫉妬しながら。
「清浄なる領域より、聖母は救いの手を差し伸べる。求める者よ、天を仰げ。暗雲の果てに光を見よ。聖母は汝を見捨てず。救済の後光を背負いて降臨し、ものみな腕に抱きて、ここに聖母は微笑む。――≪聖典≫」
光属性最上級回復魔法≪聖典≫――対軍用の広域回復魔法だ。今回は、それを限定範囲で更に効果を上昇させるアレンジを加えて発動した。
燦然たる光が波紋となって広がり、モアナ達を余さず純白で包み込む。
「ぐっ……」
「スペンサーさん!」
どうやら、今度は効き目があったらしい。
最初に意識を取り戻したのは、やはり基礎能力が違うのだろう。近衛の隊長であるスペンサーだった。
「こう、き殿? 一体……っ、陛下は!?」
「落ち着いてください。モアナ様は無事、とは言い難いですが生きています。他の人達も死んだ人はいません」
「そ、そうですか……良かった。敵は?」
苦しそうではあるが少し言葉がはっきりしてきたスペンサーに、光輝はラガルの策と、彼を打倒したこと、そして瘴気を浄化できなかったこと、回復魔法はある程度効いたことを伝える。
「回復魔法……そのようなものが……。それにしても鱗竜種のラガル……それはまた、中々の大物を仕留められましたな」
どうやら、ラガルは結構名の通った敵だったらしい。光輝の説明に驚いた様子を見せたスペンサーは、ふっと表情を緩めると視線で感謝を伝えた。
「敵の術中にまんまとはまるとは……情けない。光輝殿がいなければどうなっていたことか。感謝致しますぞ」
「……いえ。それより、回復の見込みはありますか? 瘴気を浄化する方法は? 瘴石、でしたか? ……ラガル達から回収すれば使えますか?」
多少、顔色はよくなったようだが未だスペンサー以外はしゃべることもままならない様子だ。体を蝕む瘴気をどうしにかしなければ、根本的な解決には至らない。回復魔法は一時的な回復にしかならないようだ。
「いえ。瘴石はそのままでは使えないのです。三日から七日程かけて浄化せねばなりませんのでな。かくなる上は、光輝殿。陛下を連れて王都へと帰還してはいだけませんか?」
「……スペンサーさん達を置いていけと?」
「ええ。ですが、勘違いしないでください」
光輝の表情が歪んだのを見て、スペンサーは穏やかに微笑みながら言葉を付け足した。
「光輝殿の術のおかげか、瘴気を浴びた身でも今しばらくは持ちそうです。その間に、陛下と共に救援を呼んでいただければ、我等にもまだ望みはありましょう」
「どのくらい耐えられそうですか?」
「我等近衛なれば、一日程は。アニールが心配ですが、あの子も伊達に陛下専属の侍従ではありませんのでな、半日は耐えられるでしょう」
「半日……」
アロースに騎乗した状態で夕刻までには到着できると聞いた。現在の太陽の位置からすれば三、四時間もあれば到着できる距離だということだ。
人一人背負った状態でも、光輝が本気で走ればアロース並とは言わずともかなりの速度を出せる。プラス二時間もあれば到着できるだろう。
救援の準備の時間を考えても、とって返す際はアロースを使えるだろうからどうにか間に合いそうではある。
「念の為。……絶えず地を照らす天の梯子。其は守護と癒しの光――≪周天≫」
「おぉ、これは……」
光属性中級回復魔法≪周天≫――纏わせた魔力量に比例して、効果は低いが一定時間ごとに回復魔法を発動する魔法だ。
魔力をごっそりと持っていかれた感覚が生じるほど注いだので倦怠感を覚える光輝だったが、その分数時間は効果が持続するはずだ。
「先程、使っていた魔法です。一定時間ごとに自動で回復するんですけど……感覚的に、少しは耐えられる時間は延びそうですか?」
「ええ。瘴気を浴びた後、僅かに意識があったのですが、そのとき体内の恩恵力が妙に活性化したのです。それのおかげで、あれだけ濃密な瘴気を浴びてこの程度で済んでいるわけですが……なるほど、光輝殿の術だったわけですな。……この温かな光。まるで光輝殿のようですな」
「……」
スペンサーの言葉に、光輝は返答の言葉を見つけられず口を噤んでしまった。誤魔化すように咳払いを一つすると、改めてどのくらい耐えられる時間が延びそうか尋ねる。答えはプラス半日は持ちそうだと言うことだった。
「本来なら、襲撃のあった場所からは移動させたいところですが……」
「それで時間を潰しては本末転倒でしょう。≪暗き者≫は同種族以外では競い合いが激しい。故に、ラガルは、捨て駒たるニエブラ以外、他の種族に奇襲の件を伝えてはいないと見てもいいでしょう」
「……分かりました。なるべく早く救援を呼んできます」
「はい。陛下を、頼みます」
光輝は≪聖絶≫をもう一度発動し数時間は持続するようにすると、モアナを背負って立ち上がった。
そして、スペンサーに方角だけ教えてもらうと一気に駆け出した。
身体を強化し、モアナに回復魔法をかけながら滑るように砂漠の上を走っていく。
一時間も走っただろうか。光輝が、水分補給のためそろそろ立ち止まろうかと考えたそのとき、
「うっ……こう、き」
「モアナ様! 気が付いたんですね」
背負っていたモアナの声音が耳に届いた。光輝は立ち止まり、モアナを片腕で支えながら横にし、荷物の中から持ってきていた水袋を取り出すとモアナの口元に当てた。
モアナは素直に水を飲んだ。コクコクと小さく喉を鳴らす。
「んっ、ありがとう、光輝」
「いえ。それより体調はどうですか? 状況をお教えしたいんですが」
「いや、それには及ばない。体調も光輝の術のおかげでどうにか王都までは持ちそうだ」
モアナの言葉に光輝は目を丸くした。てっきり意識を失っていたと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「すまないが、スペンサー達が心配だ。先を急いでもらえるかな?」
「はい、分かりました」
再びモアナを背負って走り出した光輝。モアナは光輝の肩口に頭を預ける形でぐったりとしつつも、話せるくらいには持ち直したようで、実はずっと薄ぼんやりではあるが意識があったことを明かした。
「それにしても、君は瘴気の影響を受けないんだな。不幸中の幸いだった」
「そうですね。こちらの世界では恩恵力=生命力みたいなところがありますし、それが理由じゃないでしょうか? 瘴気を浴びたときは少し倦怠感を覚えましたけど、俺には恩恵力はありませんから強くは影響が出なかったんじゃないかな、と」
「ああ、そうなのだろうな」
光輝にとって、というより恩恵力に依存しない異世界の存在にとって、この世界の瘴気とは言ってみれば高濃度の排気ガスみたいなものなのかもしれない。即効性をもって命を削られるわけではないが、体調は崩すし人体に悪影響という点では共通する。長時間浴びていれば危険なのかもしれない。
そんな話の後、不意にモアナが身じろぎした。光輝の首に回した両腕を少しだけ強く引き寄せ抱きつく力を強くする。
どうしたのだろうと、光輝が肩越しに振り返ろうとするが、その前に、モアナが口を開いた。男口調を崩して、きっと本来の口調で。
「……ごめんね、光輝」
「?」
こうして背負われて運ばれていることについてだろうか? と首を傾げる光輝に、モアナは光輝にとって動揺せずにはいられない言葉を放った。
「……初めてだったんでしょう?」
「ッ」
何が、とは問わない。分かりきったことだ。モアナはずっと意識があったというのだ。
で、あれば、当然、見ていたということだ。
光輝の葛藤を。光輝の醜態を。
思わず、呼気が乱れ、足がもつれそうになる。
「ごめんね。きっと重いものを背負わせたわね」
「そんな、ことは……」
掠れた声で出した否定の言葉は宙に溶けて響かない。あの体が鉛にでもなってしまったかのような感覚が、滑るような足取りを乱し遅くする。
不倶戴天の敵を前に躊躇っていたというのに、モアナの声音には少しも責めるような色はなく、それどころか申し訳なさと、慈しむような感情が感じられる。
「聞こえていたわ。――『どうして生きる道を選んでくれない』って」
「……ごめん。モアナ達がずっと命がけで戦ってきた相手に……。本当のところ、俺は分かっていないんだ。モアナ達と彼等の関係を。根本的な価値観を。だから、簡単にそんな言葉を――」
「光輝。責めているわけじゃないわ。この世界に来たばかりで、話を聞いただけで、知らない相手を殺そうなんて誰だって躊躇うことよ」
モアナの手が、ぎこちなく動き光輝の頭の上に置かれた。そして、大丈夫だと言うように、そっと撫でる。そして、
「光輝は、優しいのね」
そう言った。刃向ける相手に、必死に生きられる道を見つけようとした光輝を、そう言った。他意なく、それこそ優しく。
だから、
「違うっ!!」
光輝には耐えられなかった。そんな誤解には。
光輝が立ち止まり膝を折ったがために、モアナはその背からずり落ち女の子座りをするように地面へ腰を下ろした。
モアナは抗議するでもなく、じっと光輝を見つめる。その視線を感じながら、光輝は血を吐くように叫んだ。
「やめてくれ! 俺は優しくなんかない! 優しいやつなんかじゃないんだっ」
いつもなら吐き出さず、自制できるはずの心情。だが、初めて意思ある存在を殺した衝撃はあまりに大きく、そして激しく動揺する心への不意の優しさは、心の堤防を決壊させるには十二分だった。
「勇者だって間違いなんだっ。俺には勇気なんてないんだ! いつも間違えてばかりでっ、何も見えてなくてっ、迷ってばかりでっ――」
崩れ落ちて、意味もなく砂を握り締める。ギリギリギリと鳴る微かな砂の擦過音は、まるで光輝の心が軋む音のよう。
「一番大事なときに、一番必要だったときに、俺は仲間をっ。ずっと近くにいたのにっ、あんなに壊れるまで気が付きもしないでっ。親友にっ、幼馴染みにっ、大事だったはずなのにっ、剣を向けてっ」
光輝の過去を知らないモアナにとっては、何が何やらという話だろう。ただ垂れ流すだけの言葉は支離滅裂で、その意味は判然としない。
だが、分かることもある。
光輝が、何か大きな失敗をしたのだということを。
それを、とても悔いているということを。
ずっと自分を責めているということを。
そして、
「……光輝。貴方は何故、そんなに怯えているの? 何がそんなに怖いの?」
光輝が酷く何かに怯えていることを。
光輝が顔を上げた。食いしばった口元と、深く刻まれた眉間の皺。揺れる瞳。
「……俺が、俺が怖いのは………………………………俺自身だ」
殺しを肯定する自分が恐ろしい。その殺意が正しいか分からないから。
戦うことが恐ろしい。殺される覚悟などないから。
間違えることが恐ろしい。取り返しがつかない現実を知っているから。
選択することが恐ろしい。
なぜなら、
「俺は、この世の誰よりも、どんな存在よりも…………俺自身を信じられない」
光輝が抱える根本的な問題。
そう、それは極度なまでの〝自分不信〟
殺し、殺されの覚悟をする以前の問題。選択するために最も大事なものの欠如。
誰よりも自分を疑っているのに、疑ってしまうのに、どうしてその先にある〝覚悟〟や〝選択〟ができようか。
どうして、勇者だと称賛を受けることができようか。
どうして、〝優しい〟という言葉を肯定できようか。
「それでも、光輝は選んでくれた。私達は、貴方に救われたわ」
まるで見えない鎖で雁字搦めにされているかのような光輝へ、モアナは言葉を贈る。
「……俺を命がけで救ってくれた皆と約束したから。自分と戦うって。だから、もう、何も選べないという失敗だけは、するわけにはいかなかったんだ。ただ、それだけなんだ」
勇気を持って踏み込んだわけでも、覚悟を決めたわけでも、まして優しさ故の選択でもない。ただタイムリミットに押されて、がむしゃらに選んだだけ。
泣き笑いのような表情でそう言った光輝は、一拍。モアナが何かを言う前にパンッと両頬を叩くと、取り乱した自分を恥じるように勢いよく立ち上がった。
そして、モアナへ手を差し伸べる。
「ごめん。こんなことしてる場合じゃなかった。早く先へ進もう」
「……そうね。いや、そうだな」
再び口調を戻したモアナを背負い直し、光輝は無言のまま砂漠を走り始める。
モアナも言葉を発することはなかった。ただ、その視線はジッと光輝の横顔に注がれていて、瞳の奥は不思議な、まるで水の中から仰ぎ見る水面のような揺らぎと澄み渡った色を湛えているようだった。
と、光輝が走り始めてしばらく、またもや≪気配感知≫に反応があった。「すわっ、敵か!?」と緊張する光輝とモアナだったが、かなりの速度でやって来る複数の反応が王都側からであることに訝しむ。
とにかく様子を見ようと砂丘の上に駆け上がった光輝は、そこで遠目に人間の集団がアロースに乗って疾走してくる様子を捉えた。
「良かった……。どうやら≪暗き者≫じゃないみたいですね」
「ああ。それどころか、むしろ迎えのようだ。どうやら、残してきた戦士長が我等の危機を嗅ぎつけてくれたらしい」
モアナによれば、砂塵を巻き上げて進んでくる百人程の集団はシンクレア王国の戦士団の一部隊らしい。かなり急いでいる様子から、おそらく何らかの方法で女王に対する襲撃計画を知り、慌てて駆けつけているところなのだろう。
ホッとしたように肩から力を抜いたモアナが大きく手を振ってやると、戦士団も光輝達に気が付いたようで微妙に進路をずらし向かってきた。
光輝も戦士団と合流すべく砂丘を滑り降りる。
そして、とうとうお互いの顔が目視で確認できるほど近づいたところで、
「おねぇええええええええちゃぁあああああああああんっ!!」
そんな幼い声音が響き渡った。よく見れば、集団の先頭を走るアロースの、その騎手の肩の上によじ登りながら手を振る幼い女の子の姿が見える。
年の頃は七、八歳くらいだろうか? チョコレート色の肌を純白の衣装で包み、太陽の光をキラキラと反射する金髪をツインテールにしている。
よじ登られている騎手がぎょっとした表情をしているのが印象的だ。周りの戦士達も目玉が飛び出さんばかりの様子で、それは、よじ登ったことに対して、というよりも、その幼女がここにいること自体に驚いているように見えた。「なんでここにいんの!?」という心の声が聞こえてきそうだ。
……どうやら、彼等の意思で幼女を戦場に連れてきたわけではないらしい。
そして、そんな戦士達の心を代弁するように、
「んなっ!? わ、私の可愛い〝クーネたん〟が、どうしてここにいるのぉおおおおおおおっ!?」
光輝の背から絶叫じみた声が響き渡った。
……どうやらこの女王様。自分の妹を〝たん〟づけで呼んじゃう人だったらしい。
戦士団が合流するまでの間、砂漠のど真ん中に、
――うぉねぇええええちゃぁあああああんっ
という叫びと、
――くぅううううねたぁあああああああんっ
という叫びが繰り返し響き渡っていた。
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