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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅡ
250/551

ありふれたアフターⅡ ありふれた学生生活①

お待たせしました。

なんでもない日常偏です。

①としてますが、学生生活編は閑話的に挟んでいくつもりなので、ただのナンバリングです。

来週も引き続き学生生活編にするかは未定です。気分次第かな。


 雲一つない青空が広がり、朝特有のひんやりした心地よい空気が満ちる住宅街の一角に、


――ガシャンッ


 という衝撃音と、


――ぐぺっ!?


 という悲鳴が響き渡った。


「……ハジメ? 聞いてる?」

「ん? あ、ああ。聞いてるよ、ユエ」


 コツコツと規則正しい足音を響かせながらハジメの隣を歩くユエが、ちょっぴり不満そうに頬を膨らませている。


 身長差のせいもあるが、下から覗き込むようにして視線を向けてくるユエは当然の如く上目遣いで、そんな彼女の仕草などもう何度も見ているはずなのに、ハジメの鼓動は一瞬跳ねることを避けられなかった。


 なので、先程の衝撃音と悲鳴の原因――すれ違った自転車通勤中のサラリーマンが余所見運転の末、電柱に激突してひっくり返っているという惨劇も、視線と同時にするりと意識が外れてしまう。


 ユエはトトッと前に進み出ると、そこでくるりと華麗なターンを決める。ふわりとなびく金糸の髪が朝日に祝福でもされているかのように煌めき、同じくふわりとひるがえったスカートが彼女の白く魅惑的な絶対領域をこれでもかと強調する。


――ズボッ、どわっ!?


 道の端で別の学校の高校生らしき男子が、側溝に足を突っ込んで悲鳴を上げているようだが、後ろ向きのまま自分を真っすぐに見つめてくるユエの姿に心捕らわれて、ハジメは視線を向けることもできない。


「後ろ向きは危ないぞ?」

「……ん。でも、これでお互いに視界の中」


 ジト目で無表情がデフォルトの表情が僅かに崩れる。ふんわりと緩んだ表情――ユエの微笑に、ハジメは既視感を刺激されて目を細めた。


 ……ハジメの脇を追い越した郵便局員は、脳髄を刺激されたらしい。余所見運転の代償に、危うく事故りかけてキキッーー!! と急ブレーキをかけている。中々、見事なドリフト停車だった。


「……ハジメ?」


 ハジメの様子に首を傾げるユエ。ハジメは既視感の原因に思い至り、「夢想が現実になったなぁ」と呟いた。その呟きを耳にして、ユエは更に反対側へこてんっと首を傾げて疑問を示す。


 そんな仕草が愛らしくて、ハジメは頬を緩める。


 同時に、脇の道から歩いてきた女子高生が突然鼻を押さえて蹲った。彼女の手の隙間からは幸福の赤い液体がポタポタと垂れている。「ま、また見ちゃった。天使すぎるよぉ」と呟いているこの女子高生、四、五日前にも同じ場所でボタボタと赤い幸福を垂れ流していたので、きっと健康に異常があるわけではないのだろう。


「前にな、その服を着て、そうやって後ろ向きに歩くユエの姿を見たことがあってな」

「……ん? したことあった?」

「いや、もう何度も一緒に登校しているが、こういうのは初めてだ。ただ、白状すると照れくさいんだが……ハルツィナの大迷宮で、な」

「……ぁ。ふふっ。夢想、したの?」

「笑うなよ」


 ハジメはそっぽを向きながら頬をポリポリと掻いた。恋人に自分の妄想と願望を知られるのは、今更であっても、否、今更であるからこそ少々恥ずかしかったのだ。


 ハジメが抱いた既視感の正体。それは、ハルツィナ大樹海の攻略において受けた試練の一つが原因だった。攻略メンバーが、転移と同時に見せつけられた夢の世界。苦しいことも、不都合な過去も帳消しにして、そのうえで望まれる最高にご都合主義な願望の世界を体験した。


 その中でハジメが夢想したのは、奈落で経験した絶望と地獄の苦しみをなかったことにしたうえでの平凡な日常。その中には恋人としてユエがいて、彼女とこうして学校へ通うのだ。日の光を浴びて、争いも苦痛も不安もなく、二人でのんびりと。


 ユエは今のようにくるりとターンを決めて、ハジメの前を後ろ向きにテクテクと歩いていたのだ。ハジメの通う高校の制服を着て。


 ブレザーにスカート、ローファーを履いて、学生カバンを後ろ手にステップを踏むユエの姿……。全ての苦難を乗り越えた先に待っていた夢想の情景は、まさにハジメにとって幸福の象徴だ。


「ハァハァ、僕のめがみ――あべしっ!?」


 ハジメが無意識に放った指弾は、通りかかった住宅の二階の部屋のカーテンの隙間からのぞき見していた男の額を見事に捉えた。もちろん、窓ガラスを綺麗に貫通して。


 首がもげそうなほどの衝撃と共に吹き飛んだ男は、そのまま部屋の扉を吹き飛ばす勢いで廊下に飛び出したらしい。家の中から、「あなたっ、たけしが! たけしが部屋から出てきたわ!」「なに!? 最近毎朝じゃないか! ようやく、たけしも社会復帰の決意を……うぅっ」という家族の和気あいあいとした声が聞こえてくる。


 窓に空いた穴の数に比例して、きっと家族の会話も増えていくことだろう。素晴らしいことだ。


「学校にはもう慣れたか?」

「……ん。新鮮で楽しい。特に、ハジメと二人っきりの登下校は」


 話題の転換を図ったハジメに、ユエは微笑を深めながら返した。


「ローテーション組んで、わざわざ電車まで利用して行くこともない気がするんだけどなぁ。近道を利用すりゃあ、自転車の方が早いくらいだぞ」

「……ハジメは分かってない。二人っきりの登下校は私達の大切な時間。これは総意だから異論も反論も認めない」

「そ、そうか。だけどなぁ……」


 ユエの言う通り、ユエ、シア、香織、雫の間でローテーションを組んだ二人っきりの登下校が週に一回ずつ実施されている。それは彼女達の総意で決められたことであり、普段だいたい誰か他の身内が一緒にいるハジメとの、貴重な二人で過ごす時間となっているのだ。


 一応、ハジメもその辺は察している。ただ、この四人の場合は誰でも、特にユエに関しては割と切実な問題があったりするわけで、その為にハジメの表情は少しばかり引き攣ってしまう。


「……二人っきりは、いや?」

「そんなわけないだろ」


 うるっとした瞳でそんなことを問われては、ハジメとしても即答するほかない。


 たとえ、ユエの表情が見える範囲にいた通行人達がこぞって衝突、転倒、鼻から幸福噴射の悲劇に見舞われていたとしても。


 ユエと二人で登下校すると、だいたい二人が通った後は災害跡地のようになる。ついでに言うと、マナーのなっていないスマホ使用者達のスマホが軒並み天に召されることになり、そういう意味でも阿鼻叫喚が木霊する悲劇ロードと化すのだが……


 ハジメはスタスタと足を速めてユエに追いつくと、懐から取り出した紅色フレームの眼鏡をそっとユエにかけた。目をパチクリさせるメガネっ子ユエ。


 この眼鏡、実は認識阻害の効力を持ったアーティファクトなのだが、


――ガシャン! キキッーー、ゴシャ! チュイン!

――か、かわいぶべらっ!? ひでぶっ。 あべし!?


 眼鏡をかけたユエ(・・・・・・・・)の魅力の前に、アーティファクトは膝を屈するのだった。


「……神代魔法を付与されたアーティファクトを無効化する魅力、か。実はチャームの概念魔法とか習得していたりしないだろうな?」

「……?」


 ぼそりと呟いたハジメは、逆効果だったとユエから眼鏡を外した。最初の頃は割と有効だった認識阻害の眼鏡アーティファクトだったのだが、最近はむしろユエの魅力を増すアイテムになってしまっている。


 どういうことだと首を捻るしかないハジメだったが、この話を聞いた母親である菫はキョトンとしながら、「あんたと一緒にいるからでしょう」となんでもないように答えた。最初に比べ最近は周囲も落ち着いてきて、ハジメとの二人っきりの時間を存分に楽しめるようになってきた。愛しい人との二人っきりの時間に、ユエの幸福感が溢れ出ているのだろう、ということらしい。


 まさか本当にそんな理由で? と思いながら、ハジメが視線を眼鏡からユエに戻してみれば、


ほわわん~


 ハジメと視線が合っただけで、ユエの体から小さなハート型のバブルが湧き出した……ように見えた。ごしごしと目元を擦ってもう一度見るとただ微笑んでいるだけのユエがいる。どうやら幻覚だったようだ。


「駅、着いたな」

「ん」


 深く考えないようにしよう、アーティファクトはもっと強力なものを用意しよう。ハジメがそう考えていると、実は登下校において遠回りとなる最寄りの駅へと到着した。


 ユエは再びハジメの隣へと戻り、ごく自然な動作でハジメの腕に自分の腕を絡ませる。彼女の柔らかい感触と甘い香りが鼻腔を擽り、駅員さんとサラリーマン達から鋭い視線を頂戴する。今にも、「朝っぱらから見せつけやがって」と唾を吐きそうな表情だ。


 朝から幸福感にほわほわしているユエ様はまったく周囲を気にしていないようだが、現代日本での元の生活に戻ろうと心掛けているハジメとしては中々大変だ。咄嗟に太ももに手が伸びるのを押さえる程度には。もちろん、そこには相棒のレールガンはない。


 駅のホームで何でもないような雑談をしていると、もう毎朝の光景ではあるが奇妙な状況が発生し始める。


 どう見ても、ハジメとユエが並ぶ車両の立ち位置に人が集中しているのだ。男性が多いが、女性もそれなりにいる。彼、彼女達は一見してスマホや新聞、本に目を落としているようだが、ハジメからすればチラッチラッと視線が飛んできているのが丸分かりである。


(毎朝毎朝、飽きずにまぁ。これ、もう殺気のレベルだろ。……まぁ、毎朝違う女と登校してりゃあ、しょうがないと言えばしょうがないか)


 列を作る彼等の中には、ユエだけでなく、シアのファンもいるのだろう。「シアちゃんを弄びやがって、クソガキがぁ」という小声がちらちらと聞こえてくる。ちなみに、香織や雫と登校するときは、ハジメが彼女達の家まで迎えに行ったうえで電車に乗るのだが、その時に必ず見かけるサラリーマンなどもいる。


 ちなみに、香織と雫の最寄り駅は学校を挟んで反対側の駅である。この駅まで八駅は離れている。


 普通の男子高校生なら、針の筵などという表現では到底表しきれない嫉妬やら何やらの負の感情の嵐にさらされ精神を失調するところだろう。


 もちろん、ここにいるのはそんなことでへたるほど柔な精神の持ち主ではない。


 後ろに並ぶサラリーマンのおっさんが微妙に距離を詰めてきたのを横目に、ハジメはユエの腰に手を回してぐっと自分の側へ引き寄せた。


 ざわっとなった。殺人的視線が倍増しになる。


「……ハジメ?」

「なぁ、ユエ。遠回りしてもいいから、やっぱり電車は止めないか? 触らせるつもりなんぞ全くないし、そんな奴がいれば未遂の段階でも両手の爪を剥がしてやるところだが、何も人生終了者を量産する必要もないだろう?」


 キョトンと首を傾げるユエは、一拍して言葉の意味を察したらしい。というか、本当に周囲の状況を自然にスルーしていたらしい。流石は元王族。有象無象の視線など意識の外というのがデフォルトのようだ。あるいは、ハジメしか見えていないということかもしれないが。


 ユエは「……ん~~」と少し考える素振りを見せると、おもむろにぴんっと人差し指を立てた。


「……『みんな、私達を気にしなくなぁ~~れ』」


 間延びした言葉が、不思議な響きを持って呟かれた。不可視の力が波紋を広げるように駅全体に浸透し、直後、じりじりと迫っていた後ろのサラリーマンを含め、ハジメ達に意識を向けていた人々がハッと我に返ったような表情になった。


 そして、どうしてこの車両の出入り口に長蛇の列を作っているのか不思議そうな表情をしながら別の場所へと分散していく。


「なんというか、【神言】の大安売りだな。そうまでして電車通学がしたいのか」

「んっ。ハジメ風に言うなら、これはロマン。故に譲れない」

「り、力説だな。分かったよ。まぁ、大した手間でもないし、認識阻害のアーティファクトを早めに強化しておこう」

「……眼鏡?」

「眼鏡だ」


 そこは譲れない。めがねっ子ユエ様は、ハジメ的にツボである。


 その後、学校に到着するまでの間、新たに電車に乗ってくる人や下車後に群がってくる人々に、文字通り、神の御言葉が連発されたのは言うまでもない。ユエ様は己の欲望のためなら、神の御業を惜しんだりしないのだ! ハジメ>越えられない壁>その他 なのである!





 学校に到着したハジメとユエは、それぞれ注目を集めながら下駄箱に到着した。


 ここで未だに続くテンプレが一つ。


――バサバサバサッ


 と、雪崩を打つお手紙の数々だ。下駄箱に手紙とは随分とレトロな方法だが、それ以外に想いを伝える方法がないので仕方ないのだろう。なにせ、ユエ達の連絡先などクラスメイトや一部の友人達しか知らないうえに、直接話そうにも魔王級の護衛が常に傍にいるのだから。


「相変わらずだな」

「……ん。好かれること自体は悪い気はしない。でもいい迷惑と言わざるを得ない」


 面倒そうな表情を隠しもしないユエは、一瞬目を細めて何かを見極めると、いくつかの手紙をポケットに入れ、それ以外を別の下駄箱に押し込んだ。ちなみに、それは香織の下駄箱だったりする。


「また女子からのラブレターか」


 ポケットに入れた手紙の出所を察して、ハジメが苦笑い気味に言う。その言葉通り、ユエが貰うラブレターの三割から四割は女子生徒からのものだったりする。


「……ラブレターというより、ファンというか、お友達になりたいというか、そんな感じのもの。ハジメがいると分かっていて送ってくる馬鹿はどうでもいいけど、仲良くしたいという女の子からのお手紙は無下にできない」

「そういうところがモテる理由なんだろうよ」


 ちょっぴり困ったように眉を下げたユエに、ハジメは面白がるようにそう言って自分の下駄箱を開けた。幾枚もの可愛らしい手紙が、ちょこんと積まれている。ユエ様の視線が突き刺さる。


 ハジメは仕方なく手紙を取り出して違う下駄箱に入れた。ちなみにその下駄箱には〝天之河光輝〟と名が書かれている。


 そんなハジメに、ユエが少し面白がるような表情で尋ねた。


「……ハジメ。一番上に乗っていた手紙も読まなくていいの?」

「一番上の? なんだ、何かあるのか?」


 再生魔法の応用で手紙作成時点の様子が何となく分かるユエの言葉に、ハジメは訝しそうな表情をする。


 ユエは当の手紙を下駄箱から取り出すと、


「……ん。ハジメを慕う可愛い……男の娘からの――」

「そぉいっ!!!」


 神速で手紙をひったくったハジメは、手紙を握力で超圧縮すると校舎の外に向かって全力投球した。さりげなく時速166キロを叩き出しながら、ピンボールより小さく圧縮された手紙がレーザービームの如くかっ飛んでいく。


 どこからか「あぁっ、ボクのお手紙ぃ!!」という悲痛な声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。


「……相変わらず、かわいい系の男の子からモテる」

「やめてくれ。クリスタベルに見つめられたときみたいなおぞましい感じはしないけどな、それでもあいつらの視線は耐えられん。最近、クラスの連中が、『魔王はついに、そっちにも手を出す気か!?』って戦慄しながら、俺とさりげなく距離を取るんだ。地味に、精神に来るんだよ」

「……クリスタベル。良い人なのに」

「恋人のケツが狙われているんだぞ? 良い人で済まさないでくれ」


 げんなりした様子のハジメに、ユエはくすくすと笑い声を上げた。そんなユエの楽し気な様子に惹かれて登校してきた生徒達の歩みがどんどん遅くなる。少しでも表向き転校してきた美貌の少女を見ようと人だかりができ始める。


 ハジメはユエの手を取るとさっさと教室に向かった。


 ハジメ達の教室は校舎最上階の一番隅にある。学年は二年なので、通常は二階の校舎になるはずなのだが、そんな普通は誰も寄り付かないような場所に教室があるのは、ハジメ達が〝帰還者〟であることに起因している。


 学校側や一部の家庭からの不安視する意見と、せっかく奇跡的に生還したのに学校を追い出すなんてという非難的な世間体と、帰還者を一カ所に集めておきたいという行政側の意思の妥協点が、同じ学校の隔離的な場所に〝特別教室〟を設けるというものだったのだ。


 なお、ハジメ達が異世界トータスに召喚された当時、学年的には一年生の中ほどといったところだった。なので、本来なら留年扱いになるはずなのだが、ハジメ達は特別教室とはいっても学年的にはきちんと二年生をしている。


 これは、〝留年はいやだ〟というハジメ達の要望と、同情や温情という建前でさっさと学校を卒業してほしい学校側の意見が合致した結果でもある。


 結果、特別講習期間を設けたうえで試験を行い、高校一年課程における学力が備わっているか確認し、問題なければ進級を認めようという特別措置が取られることになった。


 もちろん、どこぞの魔王と嫁~ズが裏で動いた結果でもある。


 そんなわけで、行政やマスコミ対応でてんやわんやの中、クラスメイト一同は特別講習を受け、最終的に試験で全員が文句なしの高得点を叩き出し進級が認められることになった。


 このとき、特別講習後、クラスメイト達は勉強会を開いて自習に励むという勤勉さを見せており、学校関係者をいたく感心させたのだが……


 教室から度々、「限界突破っ」という掛け声が響いてきたとか。


 実は、彼等はチートメイトという薬物摂取で集中力やら学習力を向上させつつ、更にラスト・ゼーレで限界突破しながら勉強していたりする。それどころか、学校が終わった後に優花の店に集まり、アワークリスタルで時間を引き延ばして勉強会していたりもする。


 みんな、留年だけは嫌だったのだ。ものすごく。


 最上階に辿り着き、教室のある廊下に入ると途端に人が減った。元々、使用していない教室や物置があるくらいなので当然だ。


 が、今朝はクラスメイト以外に、別の人影があった。


「あれは、教頭先生と、完全に影になって隠れてるけど愛子、先生か?」

「……ん。なんか揉めてるみたい?」


 確かに、そこには見事すぎて不自然な七三先生として有名な教頭先生が背を見せており、その向こう側にちんまい足が見えることから愛子がいるようだった。なにやら怒声っぽい教頭の声が聞こえることから、愛子が叱責だか説教だかを受けているようだと分かる。


 ハジメとユエは顔を見合わせると、気配を断ってそろりと教頭の背後に忍び寄った。


「いいかね、畑山先生。君は学校側の温情によって、まだ我が校の教師をしていられるんだ。そこのところをもう少し自覚してはどうかね!」

「は、はい。それについては感謝を……」

「だとすれば、どうして我が校を貶めるような不用意極まりない発言を、マスコミなんぞに零したりするのか。私としては甚だ疑問なのだが!」

「も、申し訳ありません。決して貶めるようなつもりは……」

「ほぅ。特別教室を設けている理由が、学校側の差別だという発言は貶めていないと?」

「いえ! 決して差別だなんて言っていません! ただ、もう少し学校側にも、生徒達を普通に扱っていただけたらと……」


 教頭が機嫌を損ねている理由は、愛子がマスコミに零した発言らしい。愛子は帰還者達の代表という立場で度々マスコミの前に出ている。一応、インタビューのようなものは正式にアポイントを取り、学校側などともよく話し合ったうえで行うということになっているのだが、しつこい記者などは家の前になどに張り込み、突撃取材をしてくるのだ。


 そういうとき、愛子は極力答えないようにして足を速めるのだが、記者の生徒達がまるで危険人物であるかのような発言と、それが特別教室という形で表れているのだろうという言葉に、ついつい反論してしまったのだ。


 曰く、生徒達は危険人物などではない。本来なら、普通に学校に通っているはずなのだと。


 それを喜々として拾ったマスコミは、学校側の差別だのなんだとの騒ぎ出し、それを受けて教頭が怒り心頭となったわけである。


(あんのハゲ散らかしたヅラ教頭が。なに愛子に八つ当たりしてんだ)

(……ん。学校側が私達を隔離的に扱っているのは事実。あのハゲのヅラ頭には保身しかない)


 未だガミガミと愛子を怒鳴りつけている教頭に半眼を向けるハジメとユエ。二人は気配を消したまま、更に教頭の背後へと忍び寄った。


 そこで、ようやく愛子がハジメとユエの存在に気が付いたようだ。何故か教頭の背後にそろりそろりと近づく二人に、愛子は猛烈に嫌な予感を覚え、チラチラと教頭と背後のハジメへと視線を交互に向ける。


 ハジメはにこやかに、口パクで「おはよう」と伝えた。愛子もチラチラと説教に夢中の教頭に視線を向けながら、口パクで「おはようございます」と伝える。


 ハジメは一つ頷くと、


(取り敢えず、こいつ撃っちまうか?)


 そっとドンナーを取り出して教頭の後頭部に照準した。


「ダメッ! 絶対!」

「むっ。その通りだ、畑山先生。母校とは読んで字の如く。生徒達にとって生涯忘れ得ないものであり、そこに傷がつくようなことがあってはならない。そもそも――」


 思わず両手でバッテンを作り叫んだ愛子。ちょうど、教頭が「学校が汚名を被っていいと思うのか」という発言の直後だったので、突然の奇行も奇跡的にスルーされた。


 ユエが人差し指をピンッと伸ばし、


(……安心して愛子。今、この残り少ない毛根を死滅させてあげる)


 そこに火を灯した。視線は教頭の頭に向けられている。


「これ以上はダメです! なくなっちゃう!」

「その通りだ、畑山先生! これ以上、我が校の名誉が傷つくようなことがあってはならないんだ。信用がなくなれば、生徒達の母校がなくなるということもあり得るのだよ!」


 またもや奇跡の会話リレー。


 七三のヅラの下は、既に全滅しかかっている毛根達が最後の気力を振り絞っているのだろう。流石に危機感を本能的に覚えたのか、教頭が何気なく背後を見やった。ハジメとユエは阿吽の呼吸でするりと死角へ移動する。


 誰もいないことを確認した教頭は視線を愛子へ戻した。同時に、ハジメとユエもするりと背後に戻る。


 教頭が時計を確認して、説教のまとめに入ったようだ。きっと彼なりの信条に基づいた大切な話をしているのだろう。だが、愛子としては背後の二人が気になって仕方がなく、教頭の話はまったく頭に入ってこない。


(もうチャイムなりますから! 早く教室に入ってください! っていうか、あれ? なんで私、口パクで会話してるんだろう?)


 何となく場の空気に流されて口パク対応していた愛子は、その辺のおかしさに気が付きつつもハジメとユエを叱責するように促した。


 今にも教頭のヅラに、二人の初めての共同作業です! というかのように揃って手を伸ばしていた二人は、愛子の形相と必死な口パクに顔を見合わせた。そして、何か通じ合ったように頷くと、その直後、二人して似合わないことにしょんぼりし出す。


(愛子が困っていると思ってやったのに……)

(……愛子を助けたくて頑張ったのに)


 どう考えても悪ノリ以外のなにものでもなかったが、状況的にいっぱいいっぱいの愛子は素直に罪悪感で胸を押えた。


 そんな愛子に、ハジメとユエは悪ノリ全開で瞳を潤ませながら訴える。


(愛子はもう、俺が嫌いになったんだな)

(……愛子はもう、私が嫌いになった?)


 惚れた男と、嫁~ズ筆頭にそんなことを言われては、既にテンパっている愛子が冷静に戻れるはずもなく、


「そんなっ、大好きに決まっているじゃないですか!」

「なっ。は、畑山先生、いきなり何を……」


 何故か、教頭先生が盛大に狼狽えていらっしゃる。耳の先を赤く染めたヅラ教頭は、しばらくあっけにとられたような表情をしたあと、ごほんっと咳払いを一つした。


「は、畑山先生。その、それは、いったいどういう意味だね?」


 ヅラ教頭の一つ前のお話は、「取り敢えず、時間もないし、今はこれくらいにしておこう。君の迂闊な言動がいかに大きな影響を我が校に与えるか、是非とも自覚してほしいものだ。もっとも、君は私を嫌っているようだし、私の話など右から左かもしれんがね」と嫌味たっぷり言ったところだったりする。


 愛子はそこで、ようやく教頭との会話に意識が向いた。もちろん、教頭の話を聞いていなかったので何を言っていたのか、何を聞かれているのかもよく分からない。だが、ここで「実は話を聞いていませんでした! ごめんなさい!」なんてセリフは絶対に言えない。空気的にも、立場的にも。


(ど、どうしよう。何の話か全然分からない……。待って、愛子、よく思い出すのよ。ヅラ、ごほんっ、教頭先生は学校を如何にして守るか、守る必要があるかという話をしていたから……そうよ! 学校を大切に想っているか、愛しているかという質問に違いない!)


「えっと、どういう意味も何も、そのままの意味ですが……」


 様子見がてらふわっとした回答をしてみる愛ちゃん先生。窺うように上目遣いになっていることもあり、ヅラ教頭は更に狼狽えた。


「そ、そのままの意味……。畑山先生、君、こんな場所でいきなり……冗談はやめたまえ」


 教頭がぷいっと明後日の方向を向いた。ハジメとユエが見事な移動術で視覚の範囲外に逃れる。


 愛子は、ヅラのおっさんが何故か頬を染めているという光景に胸やけがしたようで胸元を握り締めつつ、頭をフル回転させた。


(なんだろう、何だか変な様子だけど……冗談はやめたまえってことは、私が本気で学校を想っていないって思われているってこと。やっぱり三十年近く教職を務めてきた教頭先生からしたら、私なんて教師を名乗るのもおこがましいってことなんだ……でも、学校が、生徒を守る場所で、人生に残る大切な想い出の場所っていうのは正しい。なら、せめて、私が本気であることは伝えないと!)


 相互の認識が大きくずれていることを知らないまま、愛子は決然とした表情で大きく息を吸った。その真っ直ぐな瞳にヅラ教頭はビクッと震える。


 愛子は、ヅラ教頭がびくっと震えるのも気にせず、真っ直ぐに視線を合わせて、


「冗談ではありません。(学校や生徒が)大好きです! いえ、むしろ、(学校や生徒を)愛しているといっても過言ではありません!」

「な、なんだってぇーー!?」


 むんっと握られた拳、背後にザパ~~ンッという波しぶきを幻視させながらの力説。否応なく伝わる本気の感情。


 圧倒されたように一歩後退ったヅラ教頭は、


「わ、私には、妻と子供がいるんだぁあああああああ~~~~」


 なんてことを叫びながら廊下を走っていった。もちろん、ハジメとユエは神技スルーで死角に逃れる。その際、神風でも吹いたのか、教頭のヅラがするりと取れて廊下に落ちた。


 愛子は、突然わけの分からないことを叫びながら走り出した教頭をポカンと見てる。


「……愛子、貴女は奇跡の人。こんな芸術的なすれ違い、生まれて初めて見た」

「へ? え?」

「あ~、愛子。あのな、教頭、たぶん愛子に告白されたと思ってるぞ。自分のことなど嫌いだろうがっていう嫌味の後に、あのセリフだからな」

「はい?」


 呆ける愛子。しかし、一拍後には自分と教頭のやり取りを思い出し、ハジメの言葉を聞いて察したようで、サッと表情を青褪めさせた。そして、廊下のヅラを指先で摘まむと、


「きょ、教頭先生ぇえええええええっ! 誤解ですぅ! 誤解なんです!!! それとヅラァ!!! 職員室には入らないでください! 朝礼の時間が地獄になります~~~!! ヅラはここですよぉおおおおおっ」


 そう言って物凄い勢いで駆けていった。


 ヅラヅラと叫んでは、結局一緒のような気がするのだが……


 今日も元気に空回る可愛い担任の後ろ姿を見つめつつ、ユエは一言。


「……ん。やっぱり学校は楽しい」

「うん、まぁ。割と非日常系の学生生活だと思うけどな」


 ハジメのツッコミと同時にチャイムが鳴った。


 今日もありふれた学校生活が始まる。


いつも読んで下さりありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
教頭先生、強く生きて。
[良い点] やっぱりはじめとユエの絡みが原点にして頂点。 異論は認めない。 [一言] はじめとユエの描写もっとみたいです
[良い点] 「嫁~ズ筆頭」っていうフレーズはどうやって白米先生の脳裏に浮かぶのでしょうね〜? 本当に、嫉妬するくらい、言葉の才能に溢れていらして、もう、言葉にならないくらいスゴイと、いつも思ってしまい…
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