ありふれたアフターⅡ ティオ編 王の心得 後編
足元に淡く輝く非常灯のみを頼りに、まるで地の底まで通じていそうな螺旋階段を下りていく。
短い呼気と足音が聞こえる他は、微かな振動音や爆発音が鼓膜を叩くだけで静かなものだ。誰も言葉を発しない重苦しい空気が、更にその静けさを助長している。
「ぴぃ」
「大丈夫よ、くーちゃん」
ローゼの傍らを飛ぶクワイベルが、僅かに案じるような眼差しをローゼへと向ける。破られた沈黙にローゼが答えれば、オルガやジャンを始め、近衛達も気遣わしげな表情を向けてくる。
「今は、目的達成に集中しましょう」
きっと、ローゼが何を言っても、クロー姉弟や近衛達の表情は晴れないだろう。それだけ、親代わりに死守命令を下したローゼの表情は酷い状態なのだ。その自覚があるローゼであるから、彼等への言葉は自然と、そういうものになった。
「大丈夫ですよ、ローゼ様。サバス様――師匠のことです。絶対に、命令を軽くこなして普通に生きて戻ってきますよ。あの人は、人の枠に入れていいものか近衛の間でも議論があるくらいなのですから」
「姉さんの言う通りですよ、ローゼ様。もしかしたら、死守命令を『敵を皆殺しにして守れ』くらいの意味でしか捉えてないかもしれません。師匠の心配は、するだけ無駄ですよ」
オルガとジャンの励ましの言葉に近衛達も追従する。口々に、「あれは人でないなにか」とか、「実は旧文明が生み出した殺戮兵器」とか、「っていうか、マシンガンで十字砲火しても当たらないんですけど」「むしろ弾速の遅いロケット弾とかミサイルくらいなら、普通に掴んで投げ返してくるんですけど、マジで」とか、「これくらいできなくてどうする! とか言って毎回地獄の訓練してくるけど、俺等人間なんで」とか、「足腰弱ったら絶対しかえししてやるとか思ってた十年前の俺を殴りたい」等々……
途中から近衛達の愚痴が溢れ出した。それはもう氾濫する勢いで。全員、任務中だというのにどんどん目から生気が失われていく。近衛達は、じぃとの想い出に殺されかかっている!
「くふっ、ふふふっ。な、なら、きっと、大丈夫ですね」
小さな笑い声が響いた。近衛達がハッと現実に返ってみれば、ローゼが肩を震わせている姿がある。どうやら近衛達の素敵な思い出語りにより、少し心が晴れたようだ。
そうこうしているうちに、ローゼ達は螺旋階段を降り切った。少し広めの踊場があり、スライド式の両扉の横には、青白い光を放つコンソールがある。表示を見れば、どうやら手の平を置くタイプの認証を行うようだ。おそらく王族の血筋か判断するのだろう。
オルガが、コンソールの前に立ったローゼに制止をかけつつ、手元のタブレットのようなものを操作する。
「ローゼ様。サバス様からいただいた内面図では、扉の向こうは地下最下層の一つ上のフロアのようです。出て右の通路を真っ直ぐ進めば、最下層への階段があります」
こくりと頷いたローゼは、クワイベルに視線を向けながら続ける。
「確か、最下層は半ば迷路のようになっているのでしたね」
最下層は、侵入者がいた場合でも容易に最深部にたどり着けないよう、地上からの道中にいくつもの仕掛けが施されている。今、ローゼ達がいる階層にも、本来なら資格なき者が通れば命を落としかねないトラップや、解かなければならないロックがいくつもあるのだ。
ここまでくれば、あとは侵入者に対する時間稼ぎのために作られた地下最下層の迷路を突破するだけだが、この点、王竜がいれば問題はない。最奥にある【真竜の涙泉】が関係しているのか、王竜だけは迷わず進むことができるのだ。
クワイベルは、既になんらかの感覚を掴んでいるのか、自信ありげに「ぴぃっ」と鳴いた。
「はい。あともう少しです。……とはいっても、王宮が奪われて数十年。地下の様子が昔のままではない可能性は十分にあります。どうか、我々の傍から離れぬよう」
「頼りにしています。だけど、できる限り急がないと。今、こうしている間にも、空の皆は死の瀬戸際にいるのですから」
ローゼがそう言うと、クロー姉弟も、近衛達も力強く頷く。そして、扉に向かってライフルを構えた。オルガとジャンが扉の両サイドに陣取る。そして、オルガがコクリと静かにうなずけば、ローゼは意を決したようにコンソールへ手を置いた。
ピッという小さな認証音から一拍。これまた小さな作動音と共に扉がゆっくりと開く。
扉の外には、正面に真っすぐ伸びる通路と、左右に続く通路があった。人の気配はない。
「行きましょう」
ローゼの言葉にクロー姉弟と近衛達は頷き、流れるような隊列移動で右の通路へと進み出す。
しばらくすると、正面に階段が見えて来た。ローゼ達は慎重に、かつ迅速に最下層へと突入する。
長い階段を下り、最後の段差を飛び降りた――そのとき、
キィン
そんな小さな音と共に光と音が爆ぜた。
「っ!?」
「ローゼ様!」
「クワイベル様!」
オルガは、咄嗟にローゼに飛びつき、そのまま倒れ込むようにして階段の壁際へと退避し、ジャンはクワイベルへと呼びかけつつ階段へと逆戻りした。周囲は凄まじい光と、鼓膜を麻痺させる甲高い音で蹂躙されている。
(くっ、目と耳をやられた! トラップか、それともっ)
内心で悪態を吐くオルガは、周囲の状況を全く把握できないことに焦りの表情を浮かべる。オルガの懸念は、まったく嬉しくないことに的中してしまった。
一拍の後、許容量を超えた光と音に五感の二つを潰されていたオルガの感覚が急速に復活する。白で塗り潰されていた視界に飛び込んできたのは、庇っているローゼと自分の体が白銀の光を纏っている光景。どうやら、フラッシュバンのようなもので一時的に麻痺させられていた感覚を、クワイベルが回復させてくれたらしい。
だが、当然、安堵などしている余裕もない。状況が切迫していることは、耳に届く聞き慣れた身内の苦悶の声でも明白だ。
「ジャンッ」
「っ、姉さん、待ち伏せだっ。この場所はまずいっ」
ローゼとオルガの前で、ジャンが膝を突きながら背を見せていた。肩から血を流し、衝撃に吹き飛びそうな展開式の小盾を必死に支えている。
本来、この小盾は近接戦に持ち込むために、数発の銃弾を凌ぐためのものだ。最大に展開すれば上半身を丸ごと覆う程度の大きさにはなるが、衝撃緩和の性能や耐久性はそれほど高くない。
それでも、今この瞬間も撃ち込まれる銃弾を防いでいるのは、クワイベルがジャンの呼びかけに応じて、その小盾に白銀の光を纏わせたから。そして、己の後ろにいる存在に、傷一つつけてたまるかというジャンの気迫故だ。
「パイクっ、セリオは!?」
「っ、ダメです」
「くそっ」
ジャンの呼びかけに、パイクと呼ばれた近衛は同じように小盾で銃弾を凌ぎながら応える。その傍らには血塗れとなって倒れている近衛の姿があった。パイクの表情から、既に息がないのは明白だ。ジャンは思わず悪態を吐く。
オルガと、パイクの背後に庇われていた近衛が射線を読んで撃ち返した。直後、通路の奥から短い断末魔の声が複数上がる。
一瞬止まった射撃。その隙に、近衛達がローゼのもとへ集まり、小盾による防壁を構築する。
オルガが、更に銃弾を撃ち込んだ。ただし、今度は狙いをつけず、見える範囲の通路や死角位置にある通路へ、弾丸が跳弾するように調整して。同時に、瞑目しながら耳を澄ませる。
「……正面通路に五人。左右の通路にそれぞれ三人ずつ。クワイベル様、正しい道は?」
「ぴぃ。ぴぴっ」
銃弾の反響音と、銃弾に反応した敵の気配を頼りに人数を割り出す。オルガの得意技により待ち伏せの人数が判明する。尋ねられたクワイベルは、少し困ったように鳴くと、尻尾で正面の通路を示した。
「オルガ?」
ローゼの呼びかけに、オルガは強い眼差しと共に答える。
「時間がありません、ローゼ様。強行突破します」
「っ」
息を呑むローゼの視線を振り切って、オルガは大切な弟へと、近衛部隊の隊長として命じた。
「ジャン。道を切り開きなさい」
「了解、姉さん、いや、隊長。パイク、ウェイバー、左右の敵を押さえろ。レイモンドとオーソンは俺と正面に突っ込む。蹴散らすぞ!」
躊躇いはない。即応するジャンと近衛達。そして、一歩を踏み出そうとして、
「武運をっ」
敬愛する女王陛下からの激励に、全員が口角を釣り上げた。
一斉に飛び出すジャン達。パイクとウェイバーが左右の廊下に残弾も被弾の恐れも気にせずフルオートで銃弾を撃ち込む。ただ足止めのためにばら撒いているとはいえ、その腕は確かにアーヴェンストの最精鋭というに相応しい精度だ。
見事に左右からの射撃を一時的に抑え込んだ。
その瞬間を逃さず、正面をレイモンドとオーソンが小盾を掲げながら疾走。その後ろをジャンが、更にその後ろにオルガとローゼが続く。
正面から銃弾が雨嵐と飛び込んできた。白銀を纏う小盾は既に亀裂が走り粉砕される寸前。
「ぐっ」
レイモンドが苦悶の声をあげた。銃弾が足を掠ったのだ。身を可能な限り低くしてカバーできる範囲を大きくしているとはいえ、小盾の範囲で全てを防ぐのは不可能だ。
だが、レイモンドは止まらない。直撃ではないとはいえ、血を噴き出す足に力を込めて一歩を踏み出す。
直後、彼の小盾が砕けた。
「がっ、ぐっ、ぉぁああああああっ」
絶叫が迸る。その身に銃弾を受けながら、レイモンドは――それでも止まらない。腕で顔を庇いながら、体そのものを盾代わりに更に踏み出して先頭を行く。凄まじい気迫と鬼の形相に、一瞬、相手が怯んだのが分かった。
更に距離が縮まる。
再開された射撃が、遂にレイモンドの体から最後の力を失わせる。
「い゛けっ」
「おうっ」
代わりに先頭に立ったオーソンが、戦友と一瞬の視線を交わす。そして、裂帛の気合いと共に後を引き継ぎ、更に弾幕を突破していく!
正面の通路、その途中にある曲がり角から顔を覗かせる敵の姿が見える。彼の表情には、理解しがたい何かを見たような愕然とした表情が張り付いていた。
「アーヴェンストのっ、近衛のっ、俺のっ、覚悟を舐めるなっ」
オーソンの盾が砕けた。その身が衝撃に揺れるが、命を燃やし尽くすかのように駆けるオーソンの勢いは止まらない。銃弾に穿たれながら、小盾の残骸を打ち捨てハンドガンを連射する。その一発が、敵の一人の眉間を見事にぶち抜いた。
そして、辿り着く。
「後をっ、頼みますっ。副長!」
「ああっ。よくやったっ」
崩れ落ちるオーソンを飛び越えて、人外執事の愛弟子が躍り出る。
待ち構えていた敵の銃弾が、ジャンの小盾の下半分を砕いて腹部を貫いた。が、そんなことは知らないとばかりに、一瞬の停滞もなく抜き撃ちするジャン。狙いは恐ろしいほどに正確で、放たれた弾丸は敵の頭部を破壊し脳髄をぶちまけた。
他の敵が今にも引き金を引こうとしている。普段なら、回避&カウンターの一撃を放つところだ。だが、今はそうするわけにはいかない。この曲がり角に潜んでいる敵の銃弾は、一発たりとて後ろに通すわけにはいかない。
近衛部隊副隊長の意地に賭けて。女王陛下の覚悟に賭けて。大切な姉の信頼に賭けてっ。
「おぉおおおおおおおっ」
「な、なんなんだ、こいつらっ」
その身に銃弾を受けながら、固まる三人の敵目がけて体当たりをする。半壊した小盾を構えたまま行われた、アーヴェンスト竜王国近衛部隊副隊長の全てを賭けたシールドバッシュ。
それは、凄絶なまでの気迫に及び腰となっていた敵三人を纏めて薙ぎ倒すには十分な威力を持っていた。
もつれるようにして床へと倒れ込む中、ジャンは叫ぶ。
「ローゼ様を頼むよ! 姉さんっ」
「ええっ。任せなさい!」
背後の正面通路を、オルガとローゼ、そしてクワイベルが駆け抜けていく。一瞬、ジャンとローゼの視線が絡まった。
ローゼの瞳に宿るもの。それは、悲壮感でも、犠牲にしたことへの申し訳なさでもなかった。あったのは、ただ称賛と感謝の色のみ。
それは、与えられた責務を、身命を賭してやり遂げた者への紛れもない褒美だ。
(それでこそ、戦う女王に相応しい。……お強くなられたものだ)
敬愛する女王が見せた心の色に、ジャンは思わず口元を綻ばせる。
それは、態勢を立て直しつつある敵方にとっては悪夢のような光景だったようだ。何発もの弾丸を受け血塗れになりながらも笑う男がそこにはいたのだから、当然と言えば当然だろう。
圧倒的優位にありながら冷や汗を流さずにはいられない彼等に、ジャンは立ち上がりながら言う。
「お前達が、敵に回した者の恐ろしさを知るといい。――アーヴェンストの近衛は、少々しぶといぞ?」
一拍後、ローゼとオルガが去った通路に、怒声と銃声が響き渡った。
背後の銃撃音を耳にしながらクワイベルの誘導に従い通路を駆けるローゼとオルガ。
言葉はなく、ただ二人とも真っ直ぐに前を見つめている。
いくつかの角を曲がり駆けること数分。
「ローゼ様」
「ええ、辿り着いたようです」
二人の視線の先に大きな広間が見えた。部屋の奥には縦三メートルほどの大きな両開きの扉があり、その左右には立派な竜の石像が鎮座している。扉へと近づいてみれば、その壁面に手の平を象った大きめの窪みがあった。認証装置の類かと思ったローゼだが、機械らしきものはどこにもない。本当に、ただの壁面に彫られた窪みのように見えた。
「王竜だけでは通れない。王族だけでは意味がない。パートナーたる二人が共にいて、初めて意味を成す【真竜の涙泉】――古代の選定は、私を王と認めてくれるでしょうか?」
簒奪された国の生き残りだ。果たして、竜王国の王女として認めてくれるのか……機械ではない、遥か昔の、真竜と竜騎士が作ったと言われる原理不明の扉と泉。
僅かな不安を感じながら、ローゼは壁面の窪みに手を置いた。
直後、扉の白銀の光が奔った。まるで溝に水が流れ込むように、白銀の光は扉の表面をなぞって大きな竜王国の紋章を浮かび上がらせる。
そして、扉は――開かなかった。
否、正確に言うなら道は開いたのだ。両開きの扉は開かず、代わりに光り輝く鏡のような、あるいは膜のようなものが生じる形で。
「これが、泉へと通じる扉?」
ローゼが独り言のように呟く。クワイベルも、それを見たのは初めてのようだが、その奥にこそ目的の場所があると分かるのか、「ぴぃ」と頷いた。
オルガが、光り輝く膜に触れてみる。ずぷりと指が沈み込んだ。感触は特にない。やはり、奥に行けるようだ。
「ローゼ様、急ぎましょう。早く、みなをたすけ――」
タンッ
と、音が軽い破裂音が響いた。「え?」と声を漏らしたのは、オルガか、それともローゼか。
少なくとも、こふっと血を吐き出したのはオルガだった。
「オルガっ」
ローゼが叫ぶのと、オルガがローゼに飛びつきながら竜像の陰に退避したのは同時だった。刹那、銃弾の嵐がローゼ達に降り注ぐ。竜の像は頑丈で表面が削れるものの防壁としての役割は十分に果たしていた。
「オルガッ、しっかりしてください!」
「ごほっ、かふっ」
返事をしようとしているのだろうが、気管に血が詰まってしまったのか、咳き込み血を吐くだけで言葉を話せない。代わりに、竜の像に背をもたれさせながら銃を抜き、広間の手前の通路から銃撃してきている兵士達に向かって撃ち返した。
兵士の数はかなりいる。ジャン達が足止めしていた数よりずっと多い。増援が、何らかの手段でローゼ達の後を追跡してきたのは明らかだ。
視線で、クワイベルと共に先へ進むよう伝えるオルガ。その顔には死相が浮かんでいる。出血量からしても致命傷であることは間違いない。ここを死地に時間稼ぎをするつもりなのだろう。
その眼差しと、今にもこちらに雪崩れ込んできそうな兵士達と、そして心配そうに鳴くクワイベルを見てローゼは、
「くーちゃんっ。いえ、クワイベル! 先へ進みなさい! ここは、私とオルガで食い止めます!」
「ぴ!?」
ライフルを手に取り、竜の像の陰から半身を覗かせて撃ち返した。顔を出した瞬間、運悪く飛来した弾丸が頬を掠めて、彼女の傷一つなかった頬を鮮血の赤に染める。しかし、ローゼに怯んだ様子はなく、オルガのリロード時間を稼ぐべく引き金を引き続けた。
「体は傍になくとも、私達の心は繋がっています。かつて、天と地で、人と竜がそうであったように。さぁ、クワイベル。ここからは、一人で行くのです!」
「……ぴぃっ」
クワイベルは、そっとローゼの頬に尻尾を這わせた。そして、「今っ」とローゼが叫んだ瞬間に竜の像から飛び出し、単身、光の膜へと飛び込んだ。
光の膜は消えない。ローゼはそれを横目に「やはり」と呟いた。泉が王竜に力を与えるまで扉が開いている可能性を思えば、一緒に飛び込むわけにはいかない。光の膜は、一度開いてしまえばオルガの指を通したのだ。
それはつまり、敵方の兵士達も泉へとやってこれるということ。
広間に飛び出せば、ローゼやオルガにとって格好の的になる。敵を足止めするには、この場所が最適なのだ。
だから、
「立派になった姿を見せてくださいね、相棒」
薄く笑みを浮かべながらそう言ったローゼに、ひゅーひゅーと息を漏らしながらも不屈の意思で未だに銃を撃ち続けているオルガもまた小さく笑みを浮かべた。
弾薬の数は、それほど多くはない。均衡を保つのに必要な射撃量を考えれば、もって五分といったところか。それ以前にオルガが持たない。オルガの精密な射撃がなくなれば、均衡が崩れるのはもっと早いだろう。
だが、それでも、ローゼとオルガは微笑みを消さなかった。
「うぐっ」
ローゼの肩を、一発の銃弾が抉った。血が噴き出し、更に凄惨に彼女を彩る。
しかし、笑みは消えない。
多くの犠牲を払ったが、彼等は完璧に辿り着かせてくれた。
最後の王竜は、見事、切り札へと手をかけた。
「私達の、勝ちです!」
ローゼの言葉が、銃弾のように兵士達へと襲い掛かった。
ローゼ達が王宮の地下深くで死闘を繰り広げているころ、地上でも同様に、否、それ以上の激戦が繰り広げられていた。
『サンチェス隊がやられたっ。誰かっ、援護できないか!?』
『こちらクランクス1。ローズ隊っ、こちらは俺達だけでなんとかする! 援護に向かえ!』
『こちらオデット2っ。俺以外、もう誰も残っていない! 一か八か、艦橋に特攻する!』
『クランクス1っ、こちらシャント1! シモン隊が全滅したわっ。私達だけじゃアベリアを守り切れない!』
『シーゲル1だ! まずいっ。ロゼリアが集中砲火を受けているっ。スタン隊とエスター隊はつづけ――』
『くそっ、シーゲル1が墜ちた! シーゲル2が指揮を引き継ぐ! ロゼリアを守れ!』
戦域に飛び交う怒声と悲鳴の混じった通信。竜王国側の空戦機は、ローゼ達が王宮に突入してから今このときで、既にその数を三分の二にまで減らしていた。
開戦直後に七隻もの守護戦艦を戦闘不能に陥れることができたのは、あり得ない奇襲攻撃だったとはいえ凄まじい戦果と言えるだろう。その後も、飛空艦ロゼリアとアベリアの主砲により更に四隻の守護戦艦を落とし、敵の戦力は半分を切った。
あるいは、このまま全滅まで行けるのでは……
そんなことを思う者もいたが、やはり、神国最後の砦は、そう甘くはなかった。守護艦隊が遂にその障壁を展開すれば、アーヴェンスト側の攻撃は絶望的なまでに通らなくなった。
飛空艦ロゼリアとアベリアがフルチャージした主砲を最大限の近距離から撃ち込んでも、僅かに貫いて船体の一部を損壊させるだけで撃沈させるには程遠い。艦橋に当てられれば話は違うのだろうが、完全に起動した守護戦艦がそんな隙を晒すわけもない。
障壁内に入り込んだ空戦機も、障壁内に自由に入れる敵方空戦機の相手で精一杯となり、とても艦橋攻撃をしかける余裕などなく、無理に狙えば好機とばかりに艦載兵装か空戦機に撃ち落とされる。
そして、時間が経てばたつほど迎撃態勢を整えていく敵は、逆に飛空艦ロゼリアとアベリアを追い詰めだした。
更に、
『こちら、クライン! アーヴェンストの動力機関にダメージ! これ以上の攻撃には耐えられん!』
上空から、一般国民である老若男女により手動兵装で攻撃をしていた空母艦アーヴェンストが、船体後部より噴煙を巻き上げながら大きく傾き始めていた。
声音に焦燥を浮かべて援護を呼びかけるのは、空母艦アーヴェンストの艦長であるクライン=サンダースだ。総指揮官でもある彼は、もはや限界と命令を飛ばす。
『全空戦機部隊はアーヴェンストの守護に当たれ! ロゼリアは空戦機部隊の援護を! アベリアはアーヴェンストの左翼につけ!』
元より、彼等の役目は時間稼ぎ。まともに攻撃が通じなくなったのなら、後は潔く守りに徹してより時間を稼ぐ。空母艦アーヴェンストが墜ちるのは、何としても避けなければならないのだ。
ロゼリアとアベリアが被弾覚悟の無茶な軌道で空域を駆ける。両艦とも既に満身創痍状態だが、まだ辛うじて戦闘能力を有しているようだ。
ボーヴィッド達が守護戦艦を離れる。逃がすものかと守護戦艦から津波の如き弾幕が送られる。
それらをボーヴィッド達ベテラン勢は神懸かった機動でかわしながら空母艦アーヴェンストへと戻るが、まだまだ未熟の域を出ないパイロット達は次々と撃ち落とされていく。
『全部隊、報告! どれだけ残っている!?』
空戦機部隊の総隊長であるボーヴィッドが追走してきた敵空戦機を、空中でスピンするという変態機動をしながら撃ち落としつつ怒声を上げた。
返ってきた報告は、更に三小隊が全滅したという非情な報告。
思わず悪態を吐きそうになったボーヴィッドに、真横から死神が迫った。いつの間にか回り込んでいた敵空戦機からミサイルが放たれたのだ。
回避不能のタイミングに、ボーヴィッドはそれでも悪あがきをしようとスティックを握る手に力を込め――
「グルァアアアッ」
直後、黒色の閃光がミサイルを吹き飛ばした。
「は、ははっ。命拾いしたぜ。ありがとよ、黒竜ちゃん」
「グルゥ」
まるで、「気にすんな」とでもいうように並走しながら小さく鳴いた黒竜は、他の空戦機を援護すべく旋回していった。「あの貧弱っ子が逞しくなったもんだ」と軽口を叩くボーヴィッドだが、その表情は厳しい。
数体の黒竜達は八面六臂の活躍をしている。未だに、碌に戦闘機動ができないアーヴェンストが落ちていないのは、ひとえに彼等の尽力があるからだ。
だが、それも限界に近い。
「陛下……」
無意識に呟いたのは敬愛する女王陛下。あと、どれだけ時間を稼げばいい? 彼女は無事なのか? 【真竜の涙泉】で、本当にクワイベル様は覚醒できるのか。それはこの戦況を覆すに足るものなのか。
信じている。信じてはいるが、歴戦の戦士であるボーヴィッドをして、不安という黒い靄が心に生まれるのは避けられない。
「お前等っ、もう少しだ! 気張れよ! 陛下が戻ってきたときに、アーヴェンストがなくなってましたなんてことになったら末代までの恥だぞ!」
それでも隊長として、絶対に大丈夫だと全部隊に呼びかける。軽口と激励をもって部下達の士気を維持する。
が、現実は非情なうえに、いつだって斜め上を行くのだ。
『っ。馬鹿なっ。奴等、主砲を撃つ気か!? アベリアっ、ロゼリア! なんとしても止めろぉっ』
クラインの絶叫が迸る。ギョッとしたボーヴィッドが下を見れば、そこには主砲を上空のアーヴェンストに向ける一隻の守護戦艦の姿が。
クラインが狼狽えるのも当然だ。今、こんな場所でアーヴェンストが撃沈されれば、王宮周辺に墜落することになる。王宮周辺に住んでいるのは間違いなく神国の中でもそれなりの役職か家柄を持つ者達だ。
故に、一撃で轟沈する恐れのある主砲を使うことはないと踏んでいたのだが……
『ちくしょうっ。あちらさんも、いっぱいいっぱいかよ!』
どうやら、多くの守護戦艦が沈められたことに恐慌、あるいは憤怒の念を抑えきれなくなった輩がいるようだ。
飛空艦ロゼリアとアベリアが主砲をチャージして放とうとするが、とても間に合いそうにない。空戦機は言わずもがな。
ボーヴィッドが、そしてアーヴェンスの誰もが、船上国家というもう一つの故郷が消えるさる光景を幻視した。
――チャージ完了。
どこか、他の守護戦艦すら慌てているような気配の中、遂に主砲が空母艦アーヴェンストへと放たれる――寸前
――轟ッ
白銀の閃光が天を衝いた
「はっ、遅ぇよ、陛下。王竜様」
そう言ったボーヴィッドの視線の先。きっと、この戦場の誰もが唖然と見ていることは間違いない光景。事実、発射寸前だった守護戦艦すら動きを止めている。
王宮を縦に貫いて、遥か地下から天へと上ったのは紛れもない極光。
宙に溶け込むように細くなり消えていく極光に、戦場の時は停止したまま。
やがて、静寂が満ちる世界の大空に白銀が飛び出した。
一発の砲弾のように空へと飛びあがり、空中で反転して翼を広げる。太陽の光が竜麟を輝かせるその姿の何と美しいことか。
白銀に輝く竜麟。勇壮な巨体。畏敬を抱かせる竜眼。太陽を背負うその姿は、神威すら感じさせる。
――ガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
それは紛れもなく竜の咆哮。否、王に相応しい覇気をもった竜王の咆哮だ。
白銀のオーラが波紋の如く広がった。竜王国の全ての人にそれは宿った。
直後、きっと誰もが待ち焦がれていた者の言葉が木霊した。
『みなさんっ。よく耐えてくれました! あなた達の女王は、王竜はっ、ここにいます!』
白銀の王竜。その背に立つのは血に塗れてなお美しさを失わない彼等の女王――ローゼ。
アーヴェンスト竜王国の最強が、復活した瞬間だった。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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